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『道浦TIME』

新・ことば事情

7054「元長男」

1月30日の「ミヤネ屋」で、元「光GENJI」の大沢樹生さん

「元長男(22)」

が、傷害容疑で逮捕されたというニュースを取り上げました。フジテレビは実名で報道していたようですが、「ミヤネ屋」では「匿名」で「元長男」という表現になりました。

「元」が付いた「長男」は、珍しい呼び名だと思いますが、こうなった理由は、

  1. 大沢さんと妻が離婚した。

(2)大沢さんとのDNA鑑定で「親子ではない」と判明した

ということがあります。そのため、

「大沢さんが結婚していたときには『長男』として家族の一員として生活していた。実の親子であれば離婚しても『長男』だが、DNA鑑定で『親子でない』ことが分かり、離婚によって、『戸籍的にも血縁的にも「親子」ではなくなった』ので『元』付けた『長男』という表現になった。」

ということなのです。「離婚」によって、

「元妻」「元夫」

というように、「戸籍上の関係で『元』が付く」ことは普通にありますが、「血縁関係」にある「息子」「娘」「長男」「長女」に「元」が付くというのは、ちょっと珍しい事例ですね。

「事実は小説より奇なり」

ということですね。

(2019、1、30)

2019年1月31日 10:43 | コメント (0)

新・ことば事情

7053「火を付ける・着ける・点ける」

1月29日、兵庫県明石市の市長が2年前、土地買収が滞っていることに激怒して、

「建物に火つけてこい!」

などの暴言・パワハラを行った様子を録音していたものが報道され、記者会見で陳謝しました。この、

「火をつけてこい」

「つけて」の表記は、各社「つけて」と「平仮名」でした。この日の「ミヤネ屋」でも「つけて」は「平仮名」にしました。(「来い」は漢字にしましたが。)

でも、オンエアの翌日に、「火をつける」の「つける」の漢字の使い分けについてふと、ひらめきました。

「付ける」=火をつけてはいけないものに、火をつける=「放火」

「着ける」=火をつけるべきものに、火をつける=「着火」

「点ける」=あかりをつける=「点火」

なのではないか?と思ったのですが、どうでしょうか?

そうすると、今回の明石市長の発言の漢字表記は、

「火を付けて来い」

という表記が妥当ということですかねえ?(内容はダメですが。)

平成ことば事情3498「火を付ける?着ける?点ける?」

平成ことば事情4973「火を『付ける』か?『着ける』か?」

もお読みください。

(2019、1、30)

2019年1月30日 19:39 | コメント (0)

新・ことば事情

7052「ワープロで書かれた遺書2」

平成ことば事情6852「ワープロで書かれた遺書」の続きです。

これを書いた時に「また用語懇談会で聞いておきますね」と書いて、そのままになっていました。実は2018年6月の用語懇談会放送分科会で聞きました。その結果を。

****************************************

「手書きではない遺書」に関して、「ワープロで書かれた遺書」という表現にアナウンサーから疑問が出ました。今やハード(機械)としての「ワープロ(ワードプロセッサー)」は、ほぼ絶滅。「ワープロソフト」を使って「パソコンで書かれた遺書」なのではないかというのです。思えば「筆」が入っていなくても「筆箱」、「下駄」が入っていなくても「下駄箱」、「スロット」しかなくても「パチンコ店」、「金属に字形を刻んだもの」で印刷していなくても「活字」と呼ばれていることや、「ワープロソフトを使っている」ことから考えると、「ワープロで書かれた遺書」でも良いのではないかと思われますが、いかがでしょうか。

実際の放送では、報道デスク判断で「パソコンで書かれた遺書」になりました。ただし、本当に「ワープロ」の機械で書かれていたら、それが大きな特徴となります(脅迫状などの場合)から、「ワープロ」としなくてはならないと思いますが。(読売テレビ・道浦委員)

→(NHK)遺書を書いたのが「パソコン」であると「ウラ」が取れていれば、「パソコンで書かれた」のほうが良いだろう。警察発表が「ワープロで書かれた」で、その「ウラ」が取れないのなら、そのまま「ワープロで書かれた遺書」とするしかない。

(KTV)今回の事件では「パソコンで書かれた遺書」とした。

(共同通信)過去35年のデータベースで検索したところ、「ワープロで書かれた」=10件、「パソコンで書かれた」=0件だった。

(日本テレビ)特にない。

(TBS)「パソコンで書かれた」と言うと「パソコンを持ち上げてペンのように書いたのか?」という印象がある。これまでは「プリントアウトされた」や「パソコンで作成された」というケースが多いと思う。先の事件では「パソコンで書かれた」になっていたが。

(MBS)今回の大阪・堺市の事件は、うちが出稿で、私もニュースで読んだが「パソコンで書かれた遺書」だったと記憶している。

というところで、半年たって年が明けて、さきほど(2019年1月29日)の夜7時のNHKニュースで、製薬会社などの企業に「青酸カリ」が送り付けられてそれに脅迫状が添えられていた事件のニュースで、

「ワープロで文字が打たれ」

と女性アナウンサーが読んでいました。本当に「ワープロ」で打たれたの?また「警察発表」がそうなのかな?いまどき「ワープロで打たれた」のなら「ワープロ」は特定できそう。30数年前の「グリコ森永事件」(1984年=入社した年だ!)のときの「かい人21面相」の脅迫文が、

「パンライター」

というタイプライターで書かれていたことが突き止められましたが、あれは犯人が捕まらなかったなあ・・・。

あのときは「脅迫文」が見つかる度に大変な大騒ぎになって、「劇場型犯罪」と取りざたされたのに、30数年たったら、あまり大きな事件になっていない不思議・・・。

人間て、

「慣れる動物」

ですねえ・・・。

(2019、1、29)

2019年1月30日 19:38 | コメント (0)

新・ことば事情

7051「戦後最長」

きょう(1月29日)の夜7時のNHKニュースで、景気回復が、

「6年2か月」

となり、これまでの戦後最長記録である2002年2月から2008年2月まで「6年1か月」続いた「いざなみ景気」を抜いて、

「戦後最長」

になったと報じていました。

しかし同時に、

「全然、好景気といった実感が伴わない」

ということも取材していました。

おかしいよな、またデータを誤魔化しているのではないか?

それは、あるかもしれません。

でも、もしデータを誤魔化していないとしても、

「実感を伴わない『景気回復』というのはありうる」

のです。なぜならば「景気回復」というのは、ある時期に「底を打った不景気」があって、"そこ"から、

「右肩上がりの経済成長を続けている」

ということですね。その「期間が長い」ということですが、では、

「どれぐらい経済成長したのか?」

ということ、つまり「天井」は問われていないのです。例えば「6年2か月」右肩上がりを続けても、その間の経済成長が、

「たったの0、1%」

だとしたら、「好景気の実感」などあるわけがありません。

1月29日の朝日新聞と日経新聞の夕刊によると「今回の好景気」(6年2か月)の間の「GDP実質成長率」(年率)は(「0、1%」ではないものの)、

「1、2%」

に過ぎず、前回の「いざなみ景気」(2002年2月~2008年2月=6年1か月)の、

「1、6%」

にも及びません。そして、我々が「好景気」を肌で感じることができた「昭和の時代」の、

「バブル景気」(1986年12月~1991年2月=4年3か月)では、

「5、3%」

と、今回の4倍以上の好景気だったわけです。

さらに、高度経済成長期の「いざなぎ景気」(1965年11月から1970年7月=4年9か月)ではなんと、

「11、5%」

もの経済成長があったわけです。

「今回の成長率の10倍」

ですね!ついでに、神代の時代(「昭和」だけど)の「岩戸景気」(1958年7月~1961年12月=3年6か月)も、

「11、3%」

だったそうですから、もうケタ違いですね。

やはり、経済成長の「期間」より「割合」のほうが、「景況感」に与える影響は大きい。

つまり「好景気かどうかの実感」というのは、

「『期間の長さ』(横軸)ではなく、『経済成長率の幅』(縦軸=天井の高さ)で見るべき」

ではないでしょうか?なぜ、その話をしないんだろうなあ・・・と思うわけです。

嘘ではなくても、真実ではない話ですね。まあ、一言で言えば、

「長けりゃいいってもんじゃ、ないんだよ!」

ということでしょう。つまり、今回の「戦後最長」の好景気というのは、

「戦後最長の期間がかかるも、いまだ景気回復せず。不況のトンネル脱せず。」

ということになるのではないでしょうか?

(2019、1、29)

2019年1月30日 19:37 | コメント (0)

新・読書日記 2019_015

『マリアージュ~神の雫 最終章15』(亜樹直・作、オキモトシュウ・画、講談社:2019、11、23)

買い忘れていたこの15巻。読んでみたら、連載でも読んでいなかった部分だった!良かった!

「麻婆豆腐」に合うワインを探そうと、本場の「豆腐作り」から始めて、王大人が称賛したという「麻婆豆腐」をかつて作り、今は失明して引退した料理人に、その「麻婆豆腐」を作ってもらおうと努力する。

そして最後に「フカヒレスープ」。フカヒレとは何ぞや?とフカヒレの素材を売っているお店を訪ねるところから始まって・・・。

それでも、「4大中華料理」に合うワインを探すには、時間が足りない。そこで考え出したのが・・・。おもしろいやないか!

ワインと料理の「マリアージュ」を描く漫画です。


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(2019、1、29読了)

2019年1月30日 19:33 | コメント (0)

新・読書日記 2019_014

『かなり気になる日本語』(厚切りジェイソン、SB新書:2019、1、15)

たまたま本屋さんで見かけて購入。「かんさい情報ネットten.」に出演してもらっているタレントさんなので、興味を持って購入。ちょうどその翌日の「ten.」にジェイソンさんが生出演。車内でその姿を見かけましたが、声は賭けませんでした・そうか、こんなに日本語を愛してくれているのか、そして外からの視点で見ると、こういうところ分からないんだなと、こちらも勉強になります。「言葉=文化」ですからね。

中で私も「確かにそれは、わからないな」と思ったのは、

「男一匹」

なんで「一匹」なんだろう?私なりに考えたのは、

「一匹狼」

という言葉があるので、それからの類推で、

「『男一人』がプライドを持って、徒党を組むのではなく自立して独力で難局に挑む」

という時に「男一匹」という言い方をするのではないかなと思いました。

この本、ぜひ続編を出してほしいです!


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(2019、1、28読了)

2019年1月30日 19:26 | コメント (0)

新・読書日記 2019_013

『知らなきゃよかった~予測不能時代の新・情報術』(池上彰・佐藤優、文春新書:2018、8、20)

2人の対談シリーズ。

第1章は「北朝鮮が勝ったあとの世界」。きょう(1月30日)のニュースでも、北朝鮮は核開発を続けていると。米朝会談を開けたことが北朝鮮の勝利であり、しかもその後も、別にアメリカの言いなりになっているわけではない、と。

第2章は「劣化する日本人と日本社会」。やっぱりそうか、香山リカは先見の明があったな、「劣化する」という言葉使い。

第3章は「トランプは、どこへ行くのか」。本当にわからない、きのう(1月29日)は独立系候補として、スタバの創立者が大統領選に出馬する意向を表明した。一体どうなんねん?

第4章は「独裁化する世界」。これに関しては、やはり「民主主義の行き詰まり」を思う。今から10年前に「民主主義」と「政党政治の行き詰まり」というのを感じたが、それが来るところまで来た感じがする。

第5章は「本当は恐ろしい『新しい常識』」。

いろいろと勉強になりました。この本のレベルだと、割とすんなりと、頭の中に話が入ってる気がします。


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(2019、1、20読了)

2019年1月30日 19:24 | コメント (0)

新・読書日記 2019_012

『マリアージュ~神の雫 最終章16』(亜樹直・作、オキモトシュウ・画、講談社:2019、1、23)

「15巻」を買うのを忘れて「16巻」を買ってしまいました。連載は、大体読んでるからなあ。

「中華料理4品と合う(マリアージュ)ワイン」を探す、ワイン評論家・遠峰一青との戦いのため、中華料理に合うワインを探す主人公の神崎雫。時間との戦いになり、ついにワイン仲間に援助の手を差し伸べてもらうことに。まるでパーティーのようなワイワイとした中、たくさんの仲間に持って来てもらったワインをティスティング。ついに戦いに臨むワインが決定!それで見つかるんなら、最初からそうすればいいのに!なんて思うのはちょっと、ね。勝負の中華料理。出て来る順番も当てなければならないが、それは2人とも難なくクリア。「小籠包、北京ダック、フカフレスープ、麻婆豆腐」の順番。麻婆豆腐に合うワインなってあるの?と思うが・・・。

戦いは始まり、小籠包、北京ダックと進む。

その中で、ワインのマリアージュの表現で「メアリー・カサットの絵のような」というのが出て来る。メアリー・カサットは母子の絵画で有名。私は30数年前に奈良で見て、数年前にスペインで見たと思ったら、その年の内に京都にやって来たという、私もお気に入りの絵。もしかしたら、京都の前に絵画展が開かれていた東京で、この漫画の著者も見たのかもしれないな。


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(2019、1、27読了)

2019年1月29日 17:44 | コメント (0)

新・読書日記 2019_011

『夢見る葦笛』(上田早夕里、光文社文庫:2018、12、20)

中川右介さんのツイッター?フェイスブック?でこの本の存在を知り、中川さんがオススメしていたので読んでみた。ふだんは、まず読まない「SF作品」で、著者の名前も、私は勉強不足で存じ上げなかった。すみません。

表題作をはじめとした短編10作品が掲載されている。久々のSF短編だ。昔は、星新一とか筒井康隆とか、読みまくったんだけどなあ・・・。

表題作の「夢見る葦笛」も、ちょっと漫画で似たような作品を読んだ気がしたが、SFですねえ。「上海フランス租チジロ三二0号」は、SFだけども実際にかなり取材をされて勉強して、戦前の上海の様子を書き込んでいるのだなあと。色や音やにおいを感じた。テレビドラマ化とかできないだろうか。「完全なる脳髄」は、筒井康隆的な感じがした。

たまには、こういうのを読むのもいいかな。


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(2019、1、23読了)

2019年1月29日 17:41 | コメント (0)

新・読書日記 2019_010

『一神教と戦争』(橋爪大三郎・中田考、集英社新書:2018、12、19)

「2018読書日記180」で書いた(読んだ)『教養としての聖書』(橋爪大三郎、光文社新書)を読んで、橋爪さんの本は読まなくては!と思って、これは興味深いテーマだし、イスラム教の中田さんとの「対談」だし、わかりやすいかな、と思って読んだら、とても難しかった・・・。レベル高い。

一つだけ分かったのは、「キリスト教国」は、その宗教ゆえに結束して戦争に強い、と。そして「法人」を認めているので「国家」ができる。「国家」には「国王」がいる。俗世の「国王」と、宗教界の「法王」が並立している。俗世の「戦争」は「国王」が取り仕切る。

一方の「イスラム教」は「法人」を認めていないことから、いわゆる「国家(ネーション)」も認めていないので「国民一丸となって」という気持ちにならないので、戦争に弱い、と。「国民国家(ネーションステート)」の形成がされないのがイスラムの国々なのだそうです。うーん。わかるような、わからんような。

そして「国民国家」は最大の暴力装置なのだと。

だからこそ「ブレーキ」が必要なんですね。


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(2019、1、14読了)

2019年1月29日 17:40 | コメント (0)

新・読書日記 2019_009

『泥海』(陣野俊史、河出書房新社:2018、12、30)

ツイッターで知ったこの本。

パリの同時多発テロの犯人の兄弟たちは如何にしてテロリストになったかを、「小説」の形は取っているものの、ほぼ「ドキュメンタリー」として取材して描いている。

つまりあの事件を起こした背景としての「世の中の流れ」を描いた小説。

この世界がこれだけ生きづらくなっている。どうすれば生きやすい世の中になるのか?の対策の出発点を描いた素晴らしい小説。帯には、

「フランス・パリ・11区を舞台に贈る衝撃のデビュー作」

と書かれているから新人作家なのかなと思って読んだのだが、名前に覚えがなかったから、でもこれまでにも本を上梓しているし、その本を私が読んでいたのだよね。(『サッカーと人種差別』文春新書=2014読書日記116『サッカーと人種差別』(陣野俊史、文春新書:2014、7、20)

しかも彼は1961年生まれの同い年で、さらにしかも同窓の早稲田大学第一文学部卒。同じ青春時代を同じ場所で過ごしていた、知らない人だった。でも、どこかでつながっていたのか!と巡り合わせに感動でした。

これも何かの縁なので、ぜひ一度お目にかかって、一献、かわしたいと思います!


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(2019、1、22読了)

2019年1月29日 11:40 | コメント (0)

新・読書日記 2019_008

『平成論~「生きづらさ」の30年を考える』(池上彰、上田紀行、中島岳志、弓山達也、NHK出版新書:2018、9、10)

ことしの4月30日で「平成」が終わる。30年と4か月という、まさに「1世代」を顧みて、その時代がどういう時代であったのかを4人の論者が論じるが、これが4人共「東京工業大学」の先生。この大学は理系の大学なのに「リベラルアーツ」=「一般教養」に力を入れているという。理系の大学だからこそ、らしい。

4人それぞれが、少しずつ分野も違うので、それぞれの視点から述べている。

*「第1章」池上彰=「ジャーナリズム的視点」から「世界のなかの平成日本」

これはいつも読んでいる本で書かれていて読んでいるので大体想像がつく内容で、教科書的によくまとまっている。

*「第2章」弓山達也=「宗教から見た平成」ということで「スピリチュアルからスピリチュアリテッィへ」。この視点は新鮮だった。確かに「平成」に入ると「自然災害」が続発して、「オウム真理教」の事件があって、その後の「スピリチュアル・ブーム」。安倍昭恵首相夫人がスピリチュアルにのめり込んでいるという内容が記されている。神道・日本会議、戦前への回帰など、宗教と政治という視点も欠かせないだろう。宗教に頼るのは、現実社会が生きる幸せという意味で、十分に機能していないことの表れとも言えるだろう。

*「第3章」上田紀行=これも宗教の視点から「仏教は日本を救えるか」。「平成に起こった二つの敗戦」により「心の時代」が始まり「批判的思考が停止してしまった」と読み解く。

*「第4章」中島岳志=一番の若手は「宗教とナショナリズムの時代」と「平成」ヲ読み解き、「平成ネオ・ナショナリズムを超えて」と題して「1995年」がその大きな分岐点であったと見る。それは一般の方も同感だろう。中島もまた弓山のように「スピリチュアリティとナショナリズムの融合」について説く。普段、スピリチュアルに全く興味のない私としては、その視点はなかった。単なる流行・ブームだと思っていたが、その流行の下の深層心理が、現実社会にこんな影響を与えるとは!

中島岳志はまた、ロバート・D・パットナムの『孤独なボウリング』を紹介している。

1960年代のアメリカは、ボウリング場に行くとみんなが地域でボウリング大会をしていたが、今は地方のボウリング場に行くと、おじさんが一人でボウリングをやっている。それは「アソシエーション(社会集団)」が弱ってきたからだ。「アメリカン・デモクラシー」が弱くなったのは「中間共同体」がボロボロになっているからというのがパットナムの見立て。

そして「アソシエーション(社会集団)のあり方」には2種類あるという。それは、

「ボンディング」と「ブリッジング」

だそうです。

*「ボンディング」=強い絆→排除の論理、村八分。インクルージョンの中にエクスクルージョンが含まれてしまう。

*「ブリッジング」は、梯子をかける。町内会しかない社会がダメ。町内会にも出てNPOにも行って、別の日は習い事で友達がいる。これをどう構築するか。寺は、檀家の囲い込みで「ボンディング」に絞りすぎている。どう、外の人を取り入れるか。網野善彦の書いた「無縁」という空間としての寺。有縁はがんじがらめの寺、ボンディング。

なるほど、「縛りのキツイ組織」(「ボンデージ」のような?)と、「緩い繋がりの組織」があるというのですね。それはわかる。そして現代は「ボンディング」が行き詰まりを見せているので、「ブリッジング」に変えていくべきではないか?という主張ですね。

また、自分が価値ある存在として意味付けられる場所を哲学では「トポス」と言うそうだ。

そういえば、そんな名前のスーパーがあったな。哲学的スーパーマーケットだったのか。

いろいろと勉強になりました!

(☆4つ半)


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(2019、1、17読了)

2019年1月28日 22:38 | コメント (0)

新・読書日記 2019_007

『平成三十一年(2019年)大相撲力士年鑑』(「相撲」編集部編、べースボール・マガジン社:2019、1、15)

去年初めて知ったこの年鑑。素晴らしい!非常にコンパクトに必要なデータが納まっている。仕事で凄く役立っています!これで1000円(税別)は安すぎると思います。

日本の「国技」とされる相撲の世界をよく知るためには、欠かせないデータブックです!

買うべし!!!


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(2019、1、15)

2019年1月28日 20:37 | コメント (0)

新・読書日記 2019_006

『全国マン・チン分布考』(松本修、インターナショナル新書:2018、10、10第1刷・2018、11、14第3刷)

あの「アホ・バカ分布図」の著者が、言語学者から言えば禁忌の「マン・チン」に挑んだ意欲作。大好きです。でも恥ずかしいので、ふだん本を読むときに紙のカバーは付けない私もさすがにカバーを付けて読みました。

ある意味、著者の松本さんの原点に迫り、自伝的な一冊だと思いました。

結局松本さんは、「日本語」ということを民族的に明らかにしたいという感じなのかなあ。とっても勉強になった一冊ですね!


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(2019、1、9読了)

2019年1月28日 18:36 | コメント (0)

新・読書日記 2019_005

『オウム死刑囚 魂の遍歴~井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり』(門田隆将、PHP研究所:2018、12、28)

サブタイトルにあるように、オウム真理教の井上嘉浩がどのようにしてオウムに染まっていったのかを詳しく描いている。著者の門田さんがそういう事も取材していたのは知らなかった。

大変真面目な井上が、いかにしてオウムに染まり、抜け出ようと思ったけど抜けられなかった。良い者としての井上。そういう視点もありだなあと思いました。

513ページもある、この分厚い本。読まなければならないと思ったきっかけは、去年・2018年に、オウムの死刑囚13人の死刑が執行された。「平成」に起こった事件を「平成」のうちに解決したいという気持ちがあったと思う。それは確かに。井上は「再審請求」をしていたという事は初めて知ったが、それをも無視して死刑を執行した。それは間違いだったかもしれない。一審の無期懲役判決を、二審できっちり審議もせずに横並びの死刑判決。これで良かったのかどうかはわからない。でも「オウムの事件」を平成の内に、今一度学んでおくべきだと思うんですよねえ。


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(2019、1、11読了)

2019年1月28日 15:34 | コメント (0)

新・読書日記 2019_004

『アイヌの民話集』(更科源蔵、風光社:発行日記載なし)

先週、北海道旅行に行った際に、ホテルの売店に置いてあったのが目に止まって購入、すぐ読んだ。土産本(「みやげぼん」。「どさんぼん」ではない。「道産子」と字は似てるけど)のような冊子で、50ページほどの中に見開きで1話、合計アイヌの民話が20話、載っている。なぜこれを手に取ったかというと、著者(編者)の、

「更科源蔵」

という名前に記憶があったからだ。以前、歌ったことがある男声合唱組曲、

「海鳥の歌」

の作詞者として、記憶していたのだ。アイヌの民話を採取していた人だったとは!

奥付の所に載っている「更科源蔵」の簡単な略歴は(西暦は、私が付け足しました)、

「明治37年(1904年)北海道弟子屈に生まれる

詩人・随筆家・アイヌ文化研究によって知られる

昭和26年(1951年)北海道文化賞を受賞

昭和42年(1967年)NHK放送文化賞を受賞

昭和43年(1968年)道新文化賞を受賞」

本当に「略歴」ですね。ネットで調べると「読売オンライン」にこんなのが載っていました。

https://www.yomiuri.co.jp/life/travel/meigen/20180301-OYT8T50004.html

「原野というものは、なんの変化もない至極平凡な風景である(更科源蔵「熊牛原野(くまうしげんや)」(1965年)

更科は「原野の詩人」と呼ばれているそうだ。

また、代表作「凍原(とうげん)の歌」の一節から、

『白く凍いてつく丘に 遠い太陽を迎へる 厳然たる樹氷であらうとも

森は今 断じて遠大な夏を 夢見ぬ』

自然と共に生きて来た詩人なのでしょうね。ここでの「略歴」を引用すると、

【更科源蔵(1904~85年)】

東京の麻布獣医畜産学校(現麻布大)中退。上京時、詩人・尾崎喜八に師事。「智恵子抄」で知られる高村光太郎の影響も受ける。詩集に「種薯」「無明」など。散文も、「熊牛原野」(大和書房「ふるさと文学さんぽ北海道」に一部収録)のほか、「アイヌと日本人」、自伝的小説「原野シリーズ」など多数。40年、弟子屈町での生活を諦め、札幌市に転居。北海道立図書館嘱託などを経て、道立文学館理事長。「更科源蔵文学賞」は同町の後援で有志が創設。現在は休止中。

だそうです。勉強になりました。

(☆3つ半)


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(2019、1、22読了)

2019年1月28日 12:32 | コメント (0)

新・読書日記 2019_003

『こんな夜更けにバナナかよ~筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(渡辺一史、北海道新聞社:2003年3月31日第1刷・2004、4、26第8刷)

年末に公開された大泉洋さん主演の映画『こんな夜更けにバナナかよ~愛しき実話』の原作。本が出版されて1年後ぐらいに、書評を見て購入したのだが、読みかけたまま、ほったらかしになっていて十数年。今回の映画化を機に、読んでみました。これを逃したら、もう読み切れないと思って。463ページ、何とか読み切りました。

筋ジストロフィー患者が主人公。それを取り巻くボランティアの人たちとの交流・苦悩。よくこれを映画化ができたなあと思いましたが。主人公の鹿野靖明さん、大泉洋さんでなければ演じられなかったなあと思います。鹿野さんも大泉さんも「北海道出身」というのも、大きいですけどね。この本も北海道新聞社から出ています。

病との闘いの様子(ドキュメント)も勉強になりますが、「ボランティアって何?」ということを考える一冊になると思います。興味のある方は、東京オリンピックのボランティア(「ブラックボランティア問題」)と併せて考えて読んでみるのもいいと思います。

直接関係ありませんが、「映画」のほうは年末に、安倍首相も見たそうですね。何を感じたのか?あるいは感じなかったのか?そもそも、なぜこの映画を見たんだろう?


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(2019、1、6読了)

2019年1月28日 10:58 | コメント (0)

新・読書日記 2019_002

『友だち幻想~人と人との<つながり>を考える』(菅野仁、ちくまプリマー新書:2008、3、10第1刷・2018、4、25第25刷)

この本は2008年に出て、その後テレビ番組の「世界一受けたい授業」で、芥川賞作家の芸人・又吉直樹さんが紹介して、10年の時を経て再ブレーク、ベストセラーになった一冊。

「プリマー新書」ということで、まあ、「子ども(中高生)向け」の本なので、「おっさん」の私は読まなかったのだが、話題の本ということで、今回読んでみた。

やっぱり「若者向け」でしたね。でも若者でも結構、難しい感じがしたけれども。

「友だち」とのつながりが何よりも大切だと思い込んでいる(?)青春時代、その呪縛から抜け出そうとする人たちには「道しるべ」となる一冊なのではないか?と思いました。


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(2019、1、4読了)

2019年1月27日 18:57 | コメント (0)

新・読書日記 2019_001

『スクープ音声が伝えた戦後ニッポン』(文化放送報道部編:2005、7、30)

もう14年前になるのか、このCD付きの本を買ったのは。ついこの間のような気がするけれど。CDだけ先に聞いて、本はちゃんと読んでいなかったが、今回本を整理していたら出て来たので、本編の本の方も読んだ。

「平成」が終わろうとしている今、「昭和」の歴史を再確認できた。やはりジャーリズムの仕事は、「日々紡がれる歴史を刻むこと」だなと、お正月に思った。


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(2019、1、2読了)

2019年1月26日 18:55 | コメント (0)

新・読書日記 2018_186

『合唱っていいな!~作曲・演奏・指揮をめぐって~』(新実徳英、洪水企画・燈台ライブラリー:2015、8、1第1刷・2015、9月20日第2刷)

2018年の10月に、大学生の合唱コンクール(と言っても、参加団体は6つぐらいの小さなものだが)の「特別審査員」をいうものを仰せつかった。私は、音楽的に詳しいことはわからないので、「そんなのは無理です」と固辞したのだが、係の人が、

「聴いてみて気に入った演奏団体に『特別賞』を上げてくれれば結構です。本物の審査(?)は専門家がやりますので」

と言うので、「そういった気楽な立場なら」ということで引き受けた。

その際の「本物の審査員」として集まっていた作曲家・指揮者5人の中に、作曲家の新実徳英先生がいらっしゃったのだ。今から30数年前に「幼年連祷」という新実先生の曲を歌ったことがある。ついこの1か月前にも、ある合唱団が歌った新実先生の曲の「朗読」を担当した。これも何かの縁だろうと、お会いするのを楽しみにして当日を迎えた。名刺代わりに、拙著『スープのさめない距離』を持参したところ、「帰ったら、私も本を送りますよ」とおっしゃって、すぐに送っていただいたのがこの本。すぐに読んだのだが、じっくり感想を書こうとしていたら、年が明けてしまった・・・。

第1章「合唱音楽の魅力を考える」はコラムだが、第2章と第4章・第5章は「対談」。指揮者の栗山文明さん、清水敬一さん、松下耕さん、寺嶋陸也さん、そして新実先生が2011年の東日本大震災をきっかけに「つぶてソング」を書くきっかけとなった詩人の和合亮一さんとの対談を収めている。実際にコンクール当日に、異動の車の中などでいろいろお話を聞かせて頂いたが、対談では、その口調が浮かび上がってくる気がした。

実は10月のコンクールの本物の審査員のお一人に、清水敬一先生もいらっしゃった。新実先生ともお友達なんですね。清水敬一先生は、早稲田に2つある男声合唱団の一つ「コール・フリューゲル」という合唱団のご出身(もう1つの男声合唱団が「グリークラブ」=私の出身合唱団)で、私より2学年上、早稲田グリー事情にもお詳しかった。さすが!

第6章では「合唱音楽の名作を選ぶ」と題して、新実先生と今回対談した先生方が選ぶ「合唱音楽の名曲ベスト10」が紹介されている。

なかなか楽しい一冊であった!


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(2018、10、28読了)

2019年1月25日 18:54 | コメント (0)

新・ことば事情

7050「塀の中」

1月24日のNHKのお昼のニュースを見ていたら、関西ローカルのニュースで、

「官製談合で家宅捜索」

のニュースをやっていました。これは、大阪市発注の電気工事を巡って入札情報を不正に漏らした疑いがあるというもので、大阪地検特捜部が「官製談合防止法違反容疑」で大阪市建設局や契約管財局、電気工事会社などを「家宅捜索」したものです。

それを伝えた男性記者のリポートの声が、

「大阪地検の職員が、次々と『塀の中』に入って行きます!」

というものでした。この、

「塀の中」

に引っかかりました。大阪地検の職員が入って行ったのは、

「大阪市建設局の事務所のガラスドアの中(向こう側)」

であって、決して、

「塀の中」

ではありませんでした。それに「塀の中」というのは、普通は、

「刑務所の中」

を意味しますよね。安部譲二さんの「塀の中の懲りない面々」とかね。まだ、誰もつかまってないので「塀の中」には入っていません。表現が間違っている上に、ややこしい。

このリポート部分は「VTR収録で声だけ」だったので、私が報道のデスクならば「塀の中に」の部分の声だけをカットして、

「大阪地検の職員が、次々と入って行きます!」

にするところだけどなあと思いました。なぜ直さなかったのかは、

「藪の中」

ですけどね。

(2019,1、24)

2019年1月24日 16:48 | コメント (0)

新・ことば事情

7049「実物大ガンダム」

1月18日の日本テレビ「ストレイトニュース」で、「ガンダム」のイベントを巡っての詐欺事件で男が逮捕されたというニュースを放送していました。その中で出て来た、

「実物大のガンダム」

という言葉に引っかかりました。「ガンダム」って漫画・アニメなので、

「2次元の世界の物」

ですよね。もちろんその中で、

「大きさのデータ(数字)」

はあるんでしょうけど、それはあくまで「データ」であって、

「実物ではない」

のではないか?「実物=2次元」で「3次元=実物ではない」のではないでしょうか?

理屈っぽすぎ?ネット検索では、

「ガンダム」18m

「Zガンダム」20m

「νガンダム」25m

「F91」15m

なんだそうです。

(2019、1、24)

2019年1月24日 16:47 | コメント (0)

新・読書日記 2018_185

『日本が売られる』(堤未果、幻冬舎新書:2018、10、5第1刷)

「幻冬舎」から出ているというのも注目だが、この本がベストセラーとなっている。

『日本が売られる』が売られる」状態ということは、現在の日本の状態を憂える人がかなりの数いるということで「希望」が湧く。

「いつの間にかどんどん売られる日本!」

と題された「まえがき」の後の、目次の前には、

「ある晴れた昼さがり」

で始まる有名な「ドナドナ」という曲の日本語の歌詞が記されている。

売られていく子牛。悲しいメロディーに、「日本」という国の将来を重ね合わせるようなこの「歌詞」の掲載は、堤未果さんが必要以上に「悲観的」に日本を見つめているように感じる。しかし本文を読んでいくと、「それも仕方ないかな」と思うぐらい、今の日本は"すでに"次々と売られている。気が付いたら、何も残らないのではないか?この国は。

第1章「日本の資産が売られる」では、

「水」(水道民営化)

「土」(汚染土の再利用)

「タネ」(種子法廃止)

「ミツバチの命」(農薬規制緩和)

「食の選択肢」(遺伝子組み換え食品表示消滅)

「牛乳」(生乳流通自由化)

「農地」(農地法改正)

「森」(森林経営管理法)

「海」(漁協法改正)

「築地」(卸売市場解体)

という「10のもの(分野)」が「売られている現状」が、詳しく説明されている。

さらに第2章では「日本人の未来が売られる」では、

「労働者」(高度プロフェッショナル制度)

「日本人の仕事」(改正国家戦略特区法)

「ブラック企業対策」(労働監督部門民営化)

「ギャンブル」(IR法)

「学校」(公設民営学校解禁)

「医療」(医療タダ乗り)

「老後」(介護の投資商品化)

「個人情報」(マイナンバー包囲網拡大)

が売られていると。

こうして見ると、ほとんどは「法律」によって個人の自由を奪っていくものばかり。当然「法律」は国会で審議されて決定していくのだが、その審議がおざなりで、強行採決などでどんどん可決していく現状。それに国民は、目を向けようとしない・・・。

もう、私達に残されたものは、何もないではないか!?

それを取り戻そうとすると「じゃあ、金を払え」という新自由主義の覇権国家。それはアメリカだけではない。覇権によって派遣になるのか、私たちは。

第3章では「このままではいけない」「売られたものは取り返せ」ということで、諸外国において同じような状態になったものを「取り戻す動きの実例」が記されている。

イタリア「お笑い芸人の草の根政治革命」

マレーシア「92歳の首相が 消費税廃止」

ロシア「有機農業大国となり、ハゲタカたちから国を守る」

フランス「巨大水企業のふるさとで水道公営化を叫ぶ」

スイス「考える消費者と協同組合の最強タッグ」

アメリカ「もう止められない!子供を農薬から守る母親たち」

我々、日本人は、「ドナドナ」の子牛のように売られて行くのを、指をくわえて「仕方ない」と思っていてはいけないのだという「励ましの言葉」が記されている。


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(2018、12、22読了)

2019年1月24日 10:53 | コメント (0)

新・読書日記 2018_184

『考証要集2~蔵出し NHK時代考証資料』(大森洋平、文春文庫:2018、12、10)

著者の大森さんは、NHKの時代劇などの考証担当のベテラン・第一人者。入局(入社)は私より1年先輩。以前出された『考証要集』の「1」を読んで「これはスゴイ!」と、この「読書日記」に感想を書いたところ、それに目を通された大森さんから直接連絡を頂き、その後2度ほどお目にかかったことがあります。

先日「考証要集の『2』が出ます!」とご案内をいただいたので、早速行きつけの本屋さんに注文したところに、著者ご本人から「献本」が届いたという次第。

読み出したら、これは止まらないですね。「考証事版・悪魔の辞典」のようなおもしろさがあります。

ページの端を折って行ったら、また端っこが膨れてしまった。

大森さんの経験や知識、いろいろ読んだり聞いたり調べたりした出来事が、大森さんを通して、そのゆるぎない姿勢で、ユーモアを交えて描かれている。楽しんで読める一冊です!太鼓判。


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(2018、12、19読了)

2019年1月18日 18:19 | コメント (0)

新・読書日記 2018_183

『ブラックボランティア』(本間龍、角川新書:2018、7、10)

帯には、

「肥えるオリンピック貴族 タダ働きの学生たち」

という大きな文字。

2020年、もう来年に迫った東京オリンピックの、なんと11万人もの「ボランティア」を大々的に募集しているが、このボランティアは「無給」。

「ボランティアは無給って、当然なんじゃないの?」

と思うかもしれないが、実は過去のオリンピックのボランティアには、「有償ボランティア」もあったという。しかし今回は、交通費も宿泊費もなく、最低10日間以上という「制限」付き。それでもやりたいと言う人は、まあ自由だが、東京都では学生にまで「ボランティア志願」を求めている。これって「学徒動員」「徴兵制」の予行演習ではないのか?と思ってしまう。その一方で、「エライ」方々は高給を取っていて、しかも、これまでのオリンピックのスポンサーは「1業種1社」に制限していたのに、この東京オリンピックはそれを取り払って、これまで以上のスポンサーを集めているという。その額、4000億円。

うーん、万博もそうだけど、もうオリンピックって見直す時期に来ているのではないだろうか?

JOCの竹田会長の贈賄疑惑もそうだが、「アマチュア精神のオリンピック」は「1984年のロサンゼルスオリンピック」の「商業主義オリンピック導入」によって完全になくなり、その後30数年で「拝金主義」「金まみれの興行」になってしまったことが明らか。ボランティアだけに「アマチュア精神」を求めるのは、どこかおかしいのではないだろうか?と思った。


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(2018、12、25読了)

2019年1月17日 18:49 | コメント (0)

新・読書日記 2018_182

『自分が高齢になるということ』(和田秀樹、新講社:2018、6、27第1刷・2018、9、21第5刷)

83歳の母から「これを読んで、老人がどういうものか、理解して接してほしい」

と渡された。有名な和田先生の本。どこかに連載されていたものを集めたような感じで、同じことが繰り返し書かれている気がするが、それはお年寄り向けだからなのかな?

「ボケを恐れなくてよい。ボケにも良い面がある」

「年をとっても残存能力がある。それに気づくことが大切」

「人に頼ることは、悪いことではない」

「ボケようがボケまいが、自分が楽しく幸せと感じることが大事」

というようにポジティブに生き、周りをそれを認めてあげよう、と。

これから行く道なのだから。

勉強しました。


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(2018、12、28読了)

2019年1月17日 18:45 | コメント (0)

新・ことば事情

7048「近々に」

「近々に」

の読み方は、

  1. キンキンニ

  2. チカヂカニ

どちらでしょうか?

2018年12月19日に放送した「ミヤネ屋」の中で、札幌で爆発事故を起こした不動産仲介業社の従業員の一人が、本来、消臭作業に使われるスプレー缶が、なぜ百何十本もあったかに関して、

「入居時期が近々すぎて(消臭作業をしに)行けない」

と言っていたのですが、この「近々」は、

「きんきん」

でした。「きんきん」は「音読み」で「書き言葉」っぽいですね。

「話し言葉」であれば、

「ちかぢか」

ですが、ビジネスパーソンの会話では、結構「きんきん」が出て来るような気がします。

この使い分けって、難しいですねえ。

(2019、1、17)

2019年1月17日 18:31 | コメント (0)

新・ことば事情

7047「アメリカ人か?アメリカ国籍か?」

去年(2018年)2月、兵庫・三田市の女性を、大阪市内で監禁・死体遺棄容疑で捕まった、

「バイラクタル・エフゲニー・バシリエビチ容疑者」

の、

「ナショナリティー」

に関して、読売テレビでは逮捕当時、

「アメリカ国籍の」

と放送していました。なぜ、

「アメリカ人の」

としないのか?報道デスクに聞いてみたところ、

「容疑者は『ウクライナ系』で、10歳ぐらいの時にアメリカに引っ越したという。アメリカで生まれて、ずっとアメリカにいるのなら『アメリカ人』で良いが、引っ越して『アメリカ国籍』を取得したということなので、『アメリカ国籍』とした」

とのことでした。

「○○人」と「○○国籍の男(女)」の使い分けの基準はどうなっているか、在阪各社の放送用語委員の方に、メールで伺ってみました。

<ABC>

「アメリカ国籍」。理由は報道デスクに確認したが、なかなかはっきりしない。警察発表のまま対応しているようだ。

<関西テレビ>

日本出身でアメリカ国籍のノーベル賞受賞者を当時「日本人で何人目」と報道していたような気がします。(「国籍が変わっても、日本人は日本人でしょ」みたいな...)。

34代遡れば、結構な割合で他国の血が入っていて「〇〇系△△人」が当たり前のアメリカやヨーロッパと、そういった考え方が薄い日本とでは、一般人の感覚も報道の扱い方も違ってくるのかもしれません。日本でも「韓国系日本人」という考え方が醸成されれば、ありがちな出自に対する「もやもや解消」につながるような気がします。

<MBS>

「アメリカ人」「アメリカ国籍」どちらも使っている。容疑者が「何系のアメリカ人」なのか、まだよくわからないので、決めきれずにいるようだ。

<読売テレビ>

当初「アメリカ人」とするか「アメリカ国籍」とするかについて話した際に、「生まれてずっとアメリカにいるのなら『アメリカ人』で良いが、引っ越して『アメリカ国籍』を取得したということなので、『アメリカ国籍』とした。

なるほど、高校を出るまで「大阪」に住んでいて、「東京」の大学に行って、その後ずっと「東京」に住んでても、

「江戸っ子」「東京人」

とは言わずに、

「東京在住」

というようなものでしょうか?

「『江戸っ子』は、3代住んでいないとダメ」

とか、聞きますよね。

はたまた、「モンゴル出身」「日本国籍を取得」した後も、単純に、

「日本人力士」

とは呼ばれずに、

「モンゴル出身日本人力士」

と呼ばれたり・・・。逆に、

「日本生まれの日本育ち」

の人は、単なる、

「日本人力士」

ではなく、

「日本出身力士」

と呼ばれているようなものでしょうか?

そこまで「出身」にこだわらなきゃいけないのか?という問題があります。もし、

「その出身地に特有の何か」

がポイントであれば、話は別ですが。たとえば、

「もともと日本人で、現在はアメリカに住んでいる25歳」

の、

「アメリカ国籍を取った日本出身の男」

が、

「日本刀」

で犯罪を犯したとしたら、たとえ「アメリカ国籍」を取っていても、単純に「アメリカ人」とはせずに、

「アメリカ国籍の日本出身の男」

のように、

「日本出身」

がクローズアップされるんでしょうねえ。これって、結構、面倒くさい話ですねえ。

その後、2018年3月7日の日本テレビ「every.」で、あおり運転で、

「ブラジル国籍の男が逮捕されました」

という原稿を読んでいました。

「ブラジル人」ではなく「ブラジル国籍の男」

でした。名前は、

「コスタ・イワブチ・ジャアオ容疑者」

で、短く読むときは、

「コスタ容疑者」

でした。

2018年4月の新聞用語懇談会放送分科会で各社に聞いたところ、

(NHK)ケース・バイ・ケース。このニュースでは「アメリカ人」だった。他のニュースでは「アメリカ国籍」もあった。

(共同通信)決まりはない。今回は「米国籍」でやった。中国・朝鮮系の人は「朝鮮籍」。アメリカは移民が多いので、ケース・バイ・ケース。

という回答でした。

そして、そのバイラクタル被告の初公判が2019年1月15日に開かれ、この際に、読売テレビの報道では、これまでどおり、

「アメリカ国籍の」

で放送しました。NHKは、お昼のニュースも、夜9時前のニュースも、

「アメリカ人の」

で放送していました。(サイドスーパーは「米国人元大学生」

1月15日の夕刊各紙は、

*「米国籍の」=朝日・毎日・産経・日経

*「米国人の」=読売

でした。

(2019、1、15)

2019年1月17日 18:26 | コメント (0)

新・ことば事情

7046「韓国・国防省か?防衛省か?」

韓国の国防・防衛を担当する役所は、

「国防省」

でしょうか?それとも、

「防衛省」

でしょうか?グーグル検索では(1月10日)、

*「韓国・国防省」=1890万件(産経新聞・毎日新聞・朝日新聞・日経新聞・時事通信・フジテレビ・TBS・)

*「韓国・防衛省」=3030万件

でした。

NNN24では「韓国・国防省」でしたので、「ミヤネ屋」でもそれで放送しました。

本来は、

「韓国・国防部」

です。これは、

「韓国・国防部」=1780万件

でした。

1月15日夜のNHK「ニュースウオッチ9」でも、

「韓国国防省」

でした。

(2019、1、15)

2019年1月15日 21:23 | コメント (0)

新・ことば事情

7045「『湯の温度』のアクセント」

1月11日のお昼のニュースで、入社2年目のIアナウンサーが、

「湯の温度」

という文言を「コンパウンド」させて、

×「ユ/ノオ\ンド」

と、「ノ」「オ」が高くなるアクセントで読んでいましたが、これは間違い。

正しくはコンパウンドせずに、

〇「ユ\ノ・オ\ンド」

と、「2語に分けて」読みます。

「湯」は「ユ\」で「尾高アクセント」です。

「尾高アクセントの語」に「の」が付いた場合には、

「コンパウンドする傾向」

がありますが、「尾高アクセント語」が「1音(1文字)の語」の場合は、

「コンパウンドしない傾向」

がありますね。

ちなみにこのニュースは、「温泉」のニュースではなく、残念ながら、高齢者施設の風呂で、高齢者のお湯で火傷を負わせたという事件でした・・・。

(2019、1、15)

2019年1月15日 21:19 | コメント (0)

新・ことば事情

7044「最高学府」

「最高学府」

というのは、具体的には「何」を指すのか?

「大学(一般)」

なのか?はたまた、学力では日本のトップとされる、

「東京大学」

だけを指すのか?

「2007読書日記176」に書いた本、

『最高学府はバカだらけ~全入時代の大学「崖っぷち」事情』(石渡嶺司、光文社新書:2007、9、20)

を読んでから、ずっと気になっていました。

この本の著者・石渡さんは「最高学府」を、

「大学全般」

を指して使っていましたが、それに対して私は「2007年10月21日」に、

「『最高学府』は、もともとは『単なる大学』のことを指すのではなく『旧帝国大学』のことを指していたので、正確な使い方とは言えないかもしれないですね。」

と書いています。

その後「2010年4月9日」には、

『女子と鉄道』(酒井順子、光文社文庫)という本を読んでいて、その中に、

「日本のトップオブ最高学府、東大と京大の鉄研を見てこようと思い立ちました。」

という使われ方をしているのを見つけました。

これは「トップオブ」が付いて「東大」「京大」なので、

「最高学府=大学全般」

を指しているようですが。単に「大学」ではなく「最高学府」という言葉を使うところから見ると、そこに「格式」と言いますか、なにがしかの、

「プレミアム感」

を醸しだそうとしているようにも思え、

「『東大』『京大』には『最高学府』という表現がふさわしかろう」

という思いも感じられます。

そのまま、ほったらかしになって、さらに9年近くが経った、2019年1月15日。

「ミヤネ屋」の原稿を持って、ナレーターの鹿瀬さんが、

「ちょっとよろしいでしょうか?」

と声をかけて来ました。

「原稿に『最高学府・東京大学で』とあるのですが、この『最高学府』の使い方は、これで良いんでしょうか?」

そこで『新明解国語辞典』で「最高学府」を引いてみたら、

「学問を学ぶ最高機関としての大学(特に、大学の数が少なかった旧制度化における旧帝大や一部私立大学の異称)」

とありました。

そのそも、昔は大学の数も少なかったので、

「大学=最高学府」

だったのですが、「大学」の数が増えて、大学進学率が50%を超えるようになったので、

「大学の中でもレベルの高い大学=最高学府」

と呼ぶ傾向が出て来ました。

しかし、本来の「最高学府」の意味を考えれば、

「それも、一概に間違いとは言えない」

ということではないでしょうか?

ということで、今回の「ミヤネ屋」では、

「最高学府の一つ、東大で」

という表現にしました。

(2019、1、15)

2019年1月15日 21:18 | コメント (0)

新・ことば事情

7043「恒和か?恆和か?」

東京五輪招致に際して「贈賄」の疑いが持たれれている、JOCの

「竹田恒和」

会長。1月15日の午前11時から、質疑応答なしの「7分間だけ」の会見が行われましたが、この竹田会長の名前の、

「恒」

の字体ですが、JOCからの記者会見のお知らせの文書(プレスリリーズ)では、「旧字体」の

「恆」

になっていました。しかし、会見やニュースで見たところ、

*「恆」=TBS

*「恒」=日テレ、テレ朝、フジ、NHK

で、TBSのみ「正字(旧字体)」の「恆」でした。

どちらも「同じ漢字」で「旧字体(正字)」=「恆」で、「新字体(略字体)」=「恒」なのです。

「ミヤネ屋」では、前日の「バンキシャ」も、きょう(1月15日)のお昼の「ストレイトニュース」も、

「恒」

だったので、それに従って放送しました。

きょう(1月15日)の夕刊各紙は、「読売・朝日・毎日・日経・産経」全て、

「恒」

でした。

(2019、1、15)

2019年1月15日 21:13 | コメント (0)

新・ことば事情

7042「栄光に"包まれた"か?"輝いた"か?」

レスリング女子の吉田沙保里選手(36)の引退会見を放送する1月10日の「ミヤネ屋」で、そのVTR原稿を書いていたYディレクターから質問を受けました。

「『数々の"栄光に包まれた"吉田沙保里選手』という表現は大丈夫でしょうか?少し引っ掛かりを感じるのですが・・・」

「え?大丈夫じゃないの?でも確かに言われてみれば『栄光に包まれる』は、少し引っかかるかな。」

と答えて辞書で「栄光」を引くと、用例で出て来るのはほとんどが、

「栄光に輝く」

でした。そこから考えて、こう答えました。

「『栄光』は『光』だから、『"(内(吉田沙保里)"から"外"に向かって"輝く"』んだよね。それに対して『包まれる』『包む』は、『"外"から"内"に向かう運動』だから、『称賛』とか『拍手』などの場合には『包まれる』という違いではないかなあ。そして『栄光』が"内から外"へ『輝く』から、それに応える形で『称賛に包まれる』のではないかな。これは"相互作用"なので、そこに"混交表現"となる原因があるんじゃないかなあ。」

これで、私もYディレクターも納得。結局、原稿は、

「栄光に輝く」

になりました。

(2019、1、10)

2019年1月10日 19:44 | コメント (0)

新・ことば事情

7041「小惑星りゅうぐう」

1月8日のNHK「ニュースウォッチ9」で、「はやぶさ2」が、

「小惑星りゅうぐう」

に着陸を試みるというニュースをやっていました。この、

「小惑星」

が、何度聞いても、

「小学生」

に聞こえるんだよなあ。前の「はやぶさ」の、

「小惑星イトカワ」

の時も「小学生」に聞こえたなあ。

「平成ことば事情2411小惑星イトカワ」で書きましたが、あれは、

「2005年12月23日」

でした。13年以上もたったのか、あれから。耳が悪くなったはずだわ。

13年分、年、取りました。

(2019、1、8)

2019年1月10日 19:43 | コメント (0)

新・ことば事情

7040「絢爛豪華と豪華絢爛」

普通は、

「豪華絢爛」

というふうに「豪華」が先に来ますよね。しかし、

「絢爛豪華」

「絢爛(けんらん)」が先に来る言葉もあります。

どっちなんだろう?・・・って、どっちも、あるんだよなあ。

グーグル検索では(1月10日)、

「豪華絢爛」=574万件

「絢爛豪華」=126万件

でした。やはり「豪華絢爛」のほうが、4,5倍ほど、よく使われているようです。

感覚的には「豪華絢爛」は「名詞」で「体言止め」ができそうだけど、

「絢爛豪華」は「な」が付いた、

「絢爛豪華な」

という「形容動詞」で後ろに「その内容を指す具体的な名詞」が来る感じがします。

「絢爛豪華なドレス」

のような感じ。

「ドレスが絢爛豪華」

とは言わずに、

「ドレスが豪華絢爛」

と言う気がしますが、いかがでしょうか?

これもグーグル検索では、

「豪華絢爛な」=188万0000件

「絢爛豪華な」= 89万9000件

これも「豪華絢爛(な)」のほうが、たくさん使われているのか。

四字熟語の段階で、

「豪華絢爛」>「絢爛豪華」

ということですね。

(2019、1、10)

2019年1月10日 19:41 | コメント (0)

新・ことば事情

7039「サイレ」

「サイレ」

という言葉をご存じですか?

「ああ、あれね、『行かせていただきます』とかいう『さ』が入る言葉でしょ、『さ入れ言葉』だっけ」

は、それもそうですが、私が聞いたのは違うものです。アクセントは「中高アクセント」で、

「サ/イ\レ」

です。関西っぽいですね。

これは、実はうちの子どもが小学校の時に行っていた塾の、

「最高レベル特訓」

「省略形」なのだそうです。なんでも略すなや!と思いました。

(2019、1、8)

2019年1月10日 19:40 | コメント (0)

新・ことば事情

7038「霊長類最強」

レスリング女子でオリンピック3連覇を果たし「国民栄誉賞」も受賞した、

「吉田沙保里選手(36)」

が、1月8日にツイッターで「引退」を表明しました。

そのニュースを伝えるのに、うち(ytv)のニュースでも他局のニュースでも使っていた"形容詞"が、

「霊長類最強」

でしたが、これって、女子選手には大変失礼ではないでしょうか?

「霊長類最強女子」

と「女子」を付けると、「やや許容」という感じも、しないではないですが・・・。

「霊長類」

を調べてみたら、

「哺乳綱の一目。サル目。進化的にはモグラ目(食虫類)から別れ、歯・四肢は特殊化していないが大脳はよく発達、顔は丸く、両眼視ができる。指は物をつかむのに適する。ほとんどの種が、どの指かに扁爪(ひらづめ)を持つ。多くは森林の樹上にすみ昼行性。ヒトを含めて12科約60属180種に分けられる。霊長目。」(広辞苑)

詳しすぎてわかりにくい。もっと簡潔に!こういうときは「新明解国語辞典」だ!

「霊長類」=ヒトとサルの総称。

ほら、わかりやすい!

私は「サル」で一番強いのは「ゴリラ」だと思います。

そうだとすると、「霊長類最強」ということは、

「ゴリラより強い」

ということになります。そうかもしれないけど(いや、実際はそんなことはないでしょう)、やはり、

「褒めてるようだけど、失礼な感じ」

は拭えませんねえ・・・。

本人は心が広いから、文句は言わないと思うけど、それにしても・・・。

「絶対女王」

は良いと思いますが。

いずれにせよ、吉田沙保里選手、長い現役生活、本当にお疲れさまでした!

(追記)

1月10日に引退会見を行った吉田沙保里選手。その会見後には、お母さんの幸代さんも、インタビューに答えていました。その中で出た質問に、

「『霊長類最強』と呼ばれることをどう思いますか?」

というものがあって、お母さんは、

「一応、女の子なんでねえ、なんか『ゴリラ』みたいな感じで、かわいそうに思いますけど」

と話されていました。やっぱり!その通りですよね!と言いつつ、きょうも「ミヤネ屋」でも使ってしまいましたが、一応「女子」を付けて、

「霊長類最強女子」

という肩書で・・・。

(2019、1、8)

2019年1月10日 19:38 | コメント (0)

新・ことば事情

7037「『度』か『回』か3」

「平成ことば事情5070『度』か『回』か」

「平成ことば事情5562『度』か『回』か2」

の続編です。

1月8日の夕刊各紙に、北朝鮮の金正恩委員長が列車で訪中、北京に到着してたというニュースが載っていました。金委員長の訪中は、

「4回目」

ということですが、これを「4回目」としたか「4度目」としたかをチェックしました。

【見出し】【本文】

(読売)**** 4回目

(朝日)4回目  4回目

(毎日)4度目  4回目

(産経)4度目  4度目

(日経)4度目  4度目

というように分かれました。つまり、

(朝日・読売)4回目

(産経・日経)4度目

ということです。

不思議なのは「毎日新聞」です。「見出し」は「4度目」なのに、本文は「4回目」なのです。整理部と外報部で、意見が統一できなかったのかな?

「朝日新聞」も、ちょっと不思議です。というのは、同じ日の夕刊の「スポーツ記事」で、今月13日から始まる大相撲初場所に向けての横綱・白鵬についての記事で、「見出し」では、

「優勝41回」

「回」を使っておきながら、「本文」では、

「42度目の優勝を狙う」

「度」を使っているのです。「語呂」「字面(じづら)」によって、どちらを使っても良い、ということなんでしょうか?

また、その記事の下には、プロ野球パ・リーグ優勝監督の、

「年代別優勝回数」(「回数」です)

の表があるのですが、それによると、

「60代=13度、 50代=56度、40代=62度、30代=22度」

ということで、全部「優勝回数」が「回」ではなく「度」で示されていたのです。

基準がよくわかりません。気分かな?

それとこれは「度」ではなく、それぞれの「年代」(60代・50代・40代・30代)での、

「優勝監督ののべ人数」

で、つまり、

「〇人」

と示すべきではないですかね?ためしにやってみると、

「60代=13人、 50代=56人、40代=62人、30代=22人」

で、わかりやすくなる気がするのですが。これも気分でしょうかね?

あ、今NHKの「ニュースウオッチ9」を見ていたら、金委員長の訪中は、

「4回目」

とアナウンサーが原稿を読んでいました。

(2019、1、8)

2019年1月 8日 21:26 | コメント (0)

新・ことば事情

7036「なんなら」

「今、親の老後と自分の老後、なんなら娘の老後も考えていて。」

と、去年離婚した歌手の大塚愛さんがインタビューで、こう答えていました。この、

「なんなら」

は、ちょっと気になる使い方です。本来「なんなら」は、

「あした梅田に行くんで、なんなら買ってきてあげようか」

というように、

「(相手の)つごうによっては。おのぞみなら。」(「三省堂国語辞典」第7版)

のように使う言葉です。(しめしめ、まだ「三国」=「三省堂国語辞典」にも、この用法は載っていませんね、飯間さん。)

「デジタル大辞泉」でも、

*「なんなら」[副]《「なになら」の音変化》

(1)相手が実現を希望していることを仮定する気持ちを表す。もしよければ。「何なら私のほうからお電話しましょう」

(2)相手がそれを希望しないことを仮定する気持ちを表す。気に入らないなら。「ビールが何なら日本酒にしましょうか」

となっています。

しかし、大塚愛さんの「なんなら」の使い方は、

「それどころか。~はおろか・・・まで。」

の意味で使われているところが新しいのです。

「なんならの新用法」

で検索したところ、二松学舎大学の島田泰子さんという方が10か月前(2018年3月)に書かれた論文が出て来ました。

https://hjl.hatenablog.com/entry/2018/08/09/090000

やはり気付いている人がいたか!

それによると、従来の「なんなら」の用法は、

(1)差し支えなければ/あなたが何(=OK)なら

(2)可能ならば/状況的な前提が何(=許す)なら

となっており、それに対して「新しい用法」の用例は、

「なんなら1週間ぐらいアナログゲームしかしてなくても大丈夫と思います」

「なんならむしろ、自分ではよく聞き取れたな、くらいに思ってたんで」

「もう12月っすね、なんなら7日も経っちゃってますがな」

のように使われ、明らかに使い方が異なり、

「聞き手への意向が、ほとんど含意されない」

ところに特徴があると、島田さんは書いています。ただ「全く新しい用法か?」と言うと、そうではなく、

「近世後期にすでに次のような例がある」

と書いています

「おらアこれからあるいてゆかふ。なんならせう〳〵は銭を出しても、のるこたアいやだ」(膝栗毛)

「小金『手を叩いて床を敷いて貰ひませうか。』彦三『なんなら今に持つて来るだらう。床急ぎのやうで格好が悪い。』」(恋迺染分解)

「△吉何をいふのじやヱ。早ふおりて来なされ△息なんなら、そちらから上つた方がはやからふ」(落噺千里薮[1846])

という具合です。ちょっとわかりにくい所もあるけど、確かに「新しい用法」に似ていますね。

また、読売新聞のオンライン「発言小町」でも、2017年7月18日に、

「『なんなら』という言葉の使い方」

というタイトルで「疑問」が呈されています。

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2017/0718/811935.htm

この方は、

『従来は「なんなら私がお手伝いしましょうか?」とか「なんなら、ついでに○○したらどう?」とか、申し出や提案などの時に使うと思っていたのだが、新しい「なんなら」は、「その上」あるいは「ましてや」などの意味で使っているようだ』

と違和感を示していました。

今後、この新しい「なんなら」に、なんなら注目したいと思います。

なまら「なんなら」に、こだわっているんでないかい?...とつい大泉洋さんのように「北海道弁」になってるべさ、北海道出身でもないのに。

(2019、1、8)

2019年1月 8日 20:19 | コメント (0)

新・ことば事情

7035「1ミリの後悔もなく」

1月8日のNHKニュースと夕刊で横浜Fマリノスの元日本代表DF中澤佑二選手(40)の引退を知りました。日刊スポーツによると、

「元日本代表として歴代6位タイの国際Aマッチ110試合に出場し、DF最多の17得点を記録。J1でも通算593試合(歴代3位)、フィールド選手最長の連続フル出場178試合を記録した鉄人」

なのです。

その際に中沢選手のコメントとして発表された中に、

「1ミリの後悔もなく、ピッチを去ろうと思います。」

というものがありました。それを聞いて、

「後悔の単位は『ミリ』なのか!?」

と思いました。こういった表現。最近時々耳にする気がします。私は使いませんが。

グーグル検索してみたところ(1月8日)、

「1ミリの後悔もなく」=1万6600件

も出てきて、そのほとんで全てが「中沢選手の引退コメント」でした。名言だな。

日刊スポーツより、長いですが「引退コメント全文」を引用します。

*****************************

「私、中澤佑二は、2018シーズンをもって現役を引退する決断を致しました。

自分の中では、プロ20年目となる昨シーズンを一つの区切りとして考え、全てを出し切るという思いで最終戦まで走り続けました。そしてシーズンを終え、改めて自分の思いを整理した中で、やはりこのクラブでユニフォームを脱ぎたい、そしてそれが横浜F・マリノスに対して一番の恩返しになるんじゃないかなという思いになりました。

小学校6年生からスタートさせたサッカー人生は30年。プロとしての現役生活は20年。振り返ると、ここでは書ききれないほどの本当に多くの方々に支えていただき、こんなに長く現役生活を続けることが出来ました。

もがき苦しみ、がむしゃらに掴み取ったプロ生活。来年もF・マリノスで現役を続ける選択肢もありましたが、最後は"中澤佑二"らしく、自分の決断を信じ、1ミリの後悔もなくピッチを去ろうと思います。

良い時も悪い時も共に戦っていただいたファン・サポーターの皆さま、チームメイト、チームスタッフ、スポンサー各社の皆さま、ホームタウンで支えてくださった皆さま、横浜F・マリノスに関わるすべての皆さま、そして東京ヴェルディに関わるすべての皆さま、本当にありがとうございました。

今後のことはこれからゆっくり考え、また皆さんにご報告出来たらと思います。20年間、本当にありがとうございました」(原文のまま)

****************************************

同じ日に、同じく元日本代表GK楢崎正剛選手(42)=奈良育英高校出身も、引退を表明しました。

お二人ともお疲れさまでした。ありがとう!

(2019、1、8)

2019年1月 8日 20:18 | コメント (0)

新・ことば事情 (2019、1、8)

7034「最高価格と最高値」

先日の東京・豊洲市場の「初競り」で、「すざんまい」の木村社長がこれまでの記録を大きく上回る、

「3億3360万円」

という史上最高値で「初マグロ」が競り落とされたという話題を、1月8日の「ミヤネ屋」で放送しました。その際に、テロップをチェックしていたら、

×「過去最高価格の倍以上」

×「このお値段

×「ご祝儀価格

というのが出て来たので原稿もチェックしたら、同じように、そうなっていました。

しかし、基本的に「価格」「値段」というものは、

「売る側が決めるもの」

です。それに対して「競り=オークション」は、

「買う側が金額を決める」

わけですから「価格」値段」という表現はおかしい。この場合は、

「最高値(さいたかね)」「金額」「相場」

といった表現にするべきでしょう。

×「過去最高価格の倍以上」→〇「過去最高の倍以上」

×「このお値段」→〇「この金額

×「ご祝儀価格」→〇「ご祝儀相場

放送ではそのように変えて、放送しました。

2019年1月 8日 20:16 | コメント (0)

新・ことば事情

7033「フレー!フレー!」

NHKの新しい大河ドラマ「いだてん」。それに関連したツイッターの記事を見ていたら、こんな記述が。

「『いだてん』に出て来た天狗倶楽部の応援の掛け声『奮(ふる)え!奮え!』は、英語の『hurray』=万歳・愉快など、歓喜・賛成を表す発声を、勇気を奮え、闘志を奮えの意味にあてたもの」

え!そうだったのか!

そもそも私は「フレー!フレー!」は、

「振れ!振れ!」

かと思っていました。運動会では応援団が旗を振っているし、

「(力を)振り絞れ」

なのかと思っていました。まさかそれが、英語の、

「hurray」

が語源とは!しかも日本語の、

「奮え」

にも当たるとは!うまいこと、やりましたね。そういえば「天狗倶楽部」の、

「倶楽部」

という当て字も、

「倶(共)に楽しむ部」

という意味なので、うまく当て字してますよね。明治の頃は、こういった英語(外来語)に当て字で表す余裕があったのだなあ。今のインターネット用語なんか、日本では無理だなあ。中国語は、やっているかもしれないけど。でも中国語では「訓読み」はないわな。

「広辞苑」を引いたら、英語のほうは出ていました。

*「フレー」(感)【hurray】スポーツ競技などの応援の時に出す声。がんばれ。しっかりやれ。フラー。

勉強になりました!

(2019、1、8)

2019年1月 8日 20:15 | コメント (0)

新・ことば事情

7032「トーハチバン、トーキューバン」

年末に東京に行って大阪に帰る時、雪のために東海道新幹線が遅れていて、東京駅の、

「18番&19番ホーム」

で40分ぐらい待ちました。その時のアナウンスを聞いていたら、「番線」をこのように呼んでいました。

「業務連絡、トーハチバンセン、トーキューバンセン、ホームドアをロックしてください」

最初はちょっとわからなかったのですが、すぐに気付きました。つまり、

「10」=「ジュー」→「トー」

というように「10」の「漢語読み」である「ジュー」の代わりに、「和語読み」の「トー」を使っているのですね。だから、

*「トーハチバンセン」=18番線

*「トーキューバンセン」=19番線

ということか!「トーキューバンセン」と言っても、

「東急番線」

ではありません、あくまで「JR東海」です。

「2番線」を「フタバンセン」などと言うのは聞いたことがある気がしますが、さすがに「19番線」まである駅は、そんなにないので、このアナウンスの言い方が珍しい感じなのかあと思いました。

しかしそのあと、「乗客向け」には、

「ジューハチバンセン」「ジューキューバンセン」

と言っていたので、

*「ジューハチバンセン」「ジューキュウーバンセン」=乗客向けのアナウンス

*「トーハチバンセン」「トーキューバンセン」=JR職員向けのアナウンス

というように、すぐにJR職員が気付けるように、最初の音を変えて言っているのかなと思いました。

(2019、1、8)

2019年1月 8日 20:12 | コメント (0)

新・ことば事情

7031「ラフスリーパー」

ツイッターのニュースを見ていたら、イギリスでは、

「ホームレス」

という言葉は使わないで(まあ「ホームレス」は「和製英語」でしょうから当然でしょうが)、

「ラフスリーパー」

と言うそうです。直訳すると、

「過酷な場所で寝る人」

ということだそうです。「路上生活者」のことですが、少し配慮があるように感じますね。

グーグル検索では(1月7日)

「ラフスリーパー」=178件

しか出て来ませんでした。一方、和製英語などのほうは、

「ホームレス」=774万0000件

「路上生活者」=256万0000件

暖かい家で、皆が過ごせるようになりますように。

(2019、1、7)

2019年1月 7日 22:18 | コメント (0)

新・ことば事情

7030「糸こんにゃくか糸ごんにゃくか?」

すき焼きなどに入っている、

「糸蒟蒻」

この「蒟蒻」の読み方は、単独であれば、

「こんにゃく」

ですが、前に「糸」が付いた場合は、

「こんにゃく」

でしょうか?それとも連濁して、

「ごんにゃく」

となるのでしょうか?普通、私は、

「糸こんにゃく」

と濁らずに言いますが、濁る言い方も耳にした覚えはあります。

グーグル検索をしてみたところ(1月7日)、

「糸こんにゃく」=63万8000件

「糸ごんにゃく」=   8500件

と、圧倒的に「濁らない」ほうの「糸こんにゃく」でしたね。

用例では林芙美子の「放浪記」の中に、

「糸ごんにゃくと肉の煮つけ、はりはり、じゅうおうむじんに味う。」

と出てくるようです。

漢字で書いたものは、

「糸蒟蒻」=2万4000件

でした。

(2019、1、7)

2019年1月 7日 22:16 | コメント (0)

新・ことば事情

7029「フリック」

高校サッカーの記事を読んでいたら、その中に、

「こぼれ球に反応したMF武田英寿(2年)のシュートを、DF二階堂正哉(3年)がフリックし、同点ゴール」

という一文が出て来ました。この、

「フリック」

の意味が分かりません。調べてみたところ、

「パスが入って来たときに軽くボールに触り、ダイレクトパスの軌道を微妙にずらしパスをつなげる技術」

とありました。この場合、二階堂選手は「フリック」したものが「同点ゴール」になったのですから、「フリック」は「パス」ではなく「シュート」になったと。武田選手のシュートに少し触って軌道を変えたことがゴールになったということですね。そう言われると、そういうシーンが目に浮かびました。他にも、

「フリック(flick)とは、素早く動かす・弾くという意味」

という記述も。

あ!スマホを指で弾くあの動きも「フリック」か!「フリック入力」というのもありましたね。

グーグル検索では(1月7日)、

「フリック、サッカー」=50万1000件

もありました。

(2019、1、7)

2019年1月 7日 22:14 | コメント (0)