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『道浦TIME』

新・ことば事情

4675「北杜市」

 

山梨流通研究会が、電気料金の値上げをはかる東京電力を公正取引委員会に訴えたというニュースを3月23日のテレビ朝日の『モーニングバード』で伝えていました。

その中で若い男性アナウンサーが、「山梨県北杜市」を、

「きたもりし」

と読んでいたので、

「え!?『ほくとし』だろ?『北杜夫』じゃないんだから」

と思って見ていましたが、誰も訂正も突っ込みもしません。

5,6分後(もう少し後だったかも)に、

「さきほど『きたもりし』と言いましたが、正しくは『ほくとし』でした」

訂正しました。

「山梨県」は関東甲信越の一部(つまり関東ローカル放送の範囲)と認識していたので、

「何で知らないんだろう」

と疑問に思いました。

私は例の「平成の大合併」の際にこの地名が物議を醸したことを覚えていました。なぜ物議を醸したかというと、

「北海道や、杜の都・仙台ならまだ分かるが、なぜ『山梨』なのに『北杜』なのか?」

という疑問の声が結構あったからです。ちなみに北海道には、同じ読み方で漢字が違う

「北斗市」

があります。テレビ朝日は先日のニュースでも「彼岸の中日」を、

「ヒガンのナカビ」

と読んでいたという話をチラッと耳にしました。大相撲の春場所開催中ということが「ナカビ」と読んでしまったことは関連があるのかなあとも思いましたが・・・。

私は過去に「中日」を「チューニチ」とは読んだものの、アクセントを間違えて、

「チュ/ーニチ」

「平板アクセント」で読んでしまったことがあり、あまり他人のことは責められません。ドラゴンズ・ファンというわけではないのですが。正しくは「頭高」で、

「チュ\ーニチ」

ですね。

「キタモリシ」と読み間違った若いアナウンサーのしゃべり方・声が、うちの後輩の若いアナウンサーに似ているような気がしたので、ためしに読ませてみると、案の定、

「キタモリシ」

と読んだではないですか!もしかしたら、二人とも「どくとるマンボウ」のファンだったのかな?

 

(2012、3、23)

2012年4月 9日 12:49 | コメント (0)

新・ことば事情

4674「ジャー」

 

京阪電車の社内に張ってあった、滋賀・浜大津アーカスの広告ポスターに、

「海賊戦隊ゴーカイジャー」

というも字が目に入りました。

「豪快じゃ」

という駄ジャレンジャー・・・。

いろんな戦隊モノが「ご当地ゆるキャラ」のようにいるんだなあ・・とボーっと見ていたときに、「ハッ!」とひらめきました。

「ゴレンジャー」以降の「戦隊もの」の名前は必ず、

「○○ジャー」

となっていますが、これは中国地方・方言語尾

「じゃ」

や、「名乗り」の「わしじゃ」「役割語」の「老人・博士」そして、

「『忍者』の『者』」

との連想もあるのではないでしょうか?

そういえば木村拓哉さん(キムタク)が出演している「グリーンジャンボ宝くじ」のコマーシャルで、キムタクが、

「ゴクエンジャー」

というのを提案していました。「5億円じゃ」。やはり「ジャー」じゃ

 

(2012、4、3)

2012年4月 3日 22:57 | コメント (0)

新・ことば事情

4701「p、fは表情記号か?音量記号か?2」

 

平成ことば事情4700「pfは表情記号か?音量記号か?」の文章を、私の所属する男声合唱団のメンバーにも送ったところ、齢(よわい)八十を超える二人の大先輩から「メール」を頂きました。お一人は、合唱団の会長のT先輩です。それによると、

 

「考えられるのは、原譜には何も書いてなかったのではないか。好きなように歌えというのが、作曲者の意図ではないか。ffは編曲者が書き加えたのではないか。

 

とのこと。これはそのとおりだと思います。ですから、このアレンジで、編曲者の意図した歌い方はどうすれば良いのか?と悩んでいるのですね。

もうお一人は、S先輩からのメールで、そこには、こう書かれていました。

 

「謡曲の『強吟(ゴーギン)』と『弱吟(ヨワギン)』に似ていませんか?

ppで切迫した場面を謡う『強吟』こそまさに・・・」

 

「謡曲」に関してははまったく知らなかったので、『精選版日本国語大辞典』(電子辞書ですが)を引いてみたところ、「ごうぎん」は、

「剛吟」

の見出しで出ていました。

 

「謡曲の謡い方の一つ。声をゆるめることなく、音程の高低の差よりも、呼吸の強弱によって強くうたう。神能物、修羅物、男物、鬼物などに多く用いる。強吟(つよぎん)」

 

一方の「弱吟」は、

 

「謡曲の音階と発声法の一つ。強吟にくらべて音域が広く、音程も安定している、緩急をつけて情緒的に優美に歌い、風雅・温和・哀愁などを表すのに用いる」

 

『広辞苑』は「ごうぎん」で引くと「剛吟・強吟」両方の表記があり、「強吟(つよぎん)」に同じと。「強吟(つよぎん)」は、

 

「謡曲の発声法の一つ。「弱吟(よわぎん)にくらべて音域が狭く、音階が不安定で音の顫動(せんどう)も不規則な部分。主に祝意・勇壮等の表現に用いるが、常に強く謡うとは限らない。剛吟。」

 

この「常に強く謡うとは限らない」という部分のようです。

ただこれも、理屈はわかっても、実際にどう歌えばいいのか?は大変難しいです・・・。

 

それにしてもすばやいご返事のメールをくださったお二人が、ともに「オーバー80」の「アラサン」(「アラウンド傘寿」=いま、私が作った言葉です)というのが、また驚きでした。

 

(2012、4、30)

2012年4月30日 23:33 | コメント (0)

新・ことば事情

4700「p、fは表情記号か?音量記号か?」

 

音楽の記号で「p」「f」は、楽譜を読めない人でも知っていますよね。

「p」は「ピアノ」、「f」は「フォルテ」

音楽用語のほとんどは「イタリア語」ですが、これももちろんイタリア語で、

「p」は「弱く」、「f」は「強く」

です。余談ですが「フォルテ」と同じような意味で、

「フォルツァ」

というと、

「頑張れ!」

という意味ですね。

「フォルツァ・イターリャ!」(頑張れイタリア!)

は、サッカーのときの応援の掛け声でもあり、ベルルスコーニ前首相の政党名にも付けられたのではなかったか。日本で言うと「立ち上げれ日本」みたいなものですね。

合唱団の先輩で「f」を「ファイト!」とわざと読み代えて、「mf」は「もっとファイト」、「ff」は「ファイトファイト!!」だと、また「p」は「パワー」、「mp」は「もっとパワー」だと信じ切って歌うすごい人がいるという話を以前書きましたが、今回はこんな問題です。

 

「ささやかな幸せを祈っている」

 

という歌詞の「ささやかな」の部分に「ff」の符号が付いている。

これはどう歌えば良いのか?

「ff」

「とても強く」ですが、実際の歌い方としてはほとんどの人が、

「とても大きく」

歌っていると思います。しかし「ささやかな」という日本語の語感から言うと、これは「大きく歌う」のは違います。

ただ「ささやかな幸せを祈っている」という「強い気持ち」はありうるので、編曲者は「とても強く(ff)」という表情記号をつけたのではないか。つまりここは、

「音量はp」で「歌い方はff=とても強く」

する必要があるのではないか?

しかし、実際問題として、それを歌い手が表現できるのか?「ささやかな音量」で「とても力強く歌う」にはどうすれば良いのか?

そもそも、ほとんどの人は「強弱記号」である「f」「p」を、「音量記号」として、

「f=大きく」「p=小さく」

歌っているのではないか。そのあたりはどう考えて編曲したんだろうか???

と、頭の中は、

「????」

になるのでした。

 

(2012、4、23)

2012年4月30日 21:31 | コメント (0)

新・ことば事情

4699「信号機はえらいね」

 

雨の日、小学2年生の娘と傘をさして横断歩道を渡ったときのこと、娘がこう言いました。

 

「信号機はえらいね」

 

「え?なんで?」

と問うと、

 

「雨でも傘もささずに立っているもん」

 

うーん、小学校の低学年は「詩人」だなあ!!

でも、信号も電気のところに「傘」というか「ひさし」があるけどね。あれは、

「笠」

かな?

あ、しかし最近は、信号の上の「ひさし」がなくなっているのでは?

というのもLED信号機」が普及したから、「ひさし」で「信号部分」を陰にしなくても視認性が高くて信号の色がわかるから、もう「ひさし」はないのでは?

 

そう思ってその後ちょっと注意して信号機を見ましたが、「LED」の信号でも、やっぱり「ひさし」は付いていました。「明るさ」のためだけではなくてやはり「笠」(傘)として、雨や雪から信号の電気を守る役目があるのかな?

子どもの「詩人の言葉」から、実際的な「信号の形態」に目が向いた出来事でした。

 

(2012,4、23)

2012年4月25日 17:53 | コメント (0)

新・ことば事情

4698「南沙諸島」

 

新聞を読んでいて、

 

「南沙諸島」

 

という文字が出ていたのですが、パッと見て、

 

「え!南沙織島!?」

 

と思ってしまいました・・・。

 

確実に50(以上)ですね。それと「老眼」も進んでいるのかも・・・。

 

でもきっと、「南沙諸島」って、「誰もいない海」なんでしょうね。

 

(2012、4、23)

2012年4月25日 12:09 | コメント (0)

新・ことば事情

4696「謄写版」

 

甲南大学での2012年度の講義が始まりました。

「マスコミ言語研究Ⅰ」

土曜日の2限という出にくい時間帯なので、去年は30人ぐらい、今年はどうやら15人ぐらいに落ち着きそうです。そのぶん「ゼミ」のような感じでできるのと、レポートなどの採点がラクということはあります。以前のように100人ぐらいだと、それだけで大変な負担がありますが。

この授業のためのレジュメは毎回、甲南大学の講師控え室で「印刷」します。「コピー」ではなく「印刷」なのです。見た目はコピー機と同じですが、最初に「製版」のボタンを押して2回目からはそれを「印刷」するというスタイルの機械なのです。

ところがこの機械が、すぐに止まってしまうのです。最初は、なぜ機械の具合が悪いのかが分からず、係の職員に聞くと、

「黒っぽい写真の部分が多いと、そこにインクがたくさん付いて引っかかってしまうんです」

と言われました。そこで私は、このコピー機のようなものが「印刷機」であることを改めて思い出して、係の人に、

「謄写版みたいなのものですかね」

と言ったら、

「????」

何のことを言われているのか分からない、といった感じ。

「ガリ版みたいに、一枚一枚インクつけて刷るやつ」

と言ったら、わかったような顔をしていましたが、わかってないな。

そうか、「謄写版」はもう「死語」なのですね。

それを実感したのが、今週の甲南大学での収穫でした。

 

(2012、4、23)

2012年4月24日 18:12 | コメント (0)

新・ことば事情

4697「救急車のサイレンのリズム」

 

朝、出勤前に見かけた救急車

「ピーポー、ピーポー」

とサイレンを鳴らしていました。その音は「ドレミ」で言えば、

「シーソー、シーソー」

で、音をアルファベットで示す「シ」は「H」、「ソ」は「G」これをドイツ語で言えば、

「ハーゲー、ハーゲー」

であると母に教わったのは高校生のときだったと思います。どんな母親だ!

それはさておき、その「ハーゲー」ではなく「ピーポー」ですが、これまでは、「ピー」「ポー」がそれぞれ「四分音符」で、「ピーポーピーポー」は、

「4分の4拍子」

だと思っていました。けさはなぜかそれを細かく区切って聞いて、「ピー」の中身を、

「8分音符3つの3拍子(8分の6拍子)」

でもいけるし、

「16分音符4つで割って」

も振れる(歌える)ということに急に気付きました。午前845分頃のことです。

そうなると疑問は、

「音(楽)が何拍子かということは、どうやって決めているのか?」

ということ。ビートを感じながらも歌えるし、ワルツを感じながらも歌える、マーチでもいける。おんなじ曲でもいろんなリズムを内包しているのだなあと改めて感じたのでした。

 

 

 

 

(2012、4、18)

2012年4月24日 19:14 | コメント (0)

新・ことば事情

4695「国内最大80型うす型液晶テレビ」

 

「国内最大80型うす型液晶テレビ」

が売り出されるというニュースのスーパー表記で、

うす型」

が気になりました。「うす」は「漢字」でいいんじゃないか?と思い、

型」

にしましたが、まだ落ち着きません。あ、そうか、この場合、「型」じゃなくて「形」か!と思って、

「薄

にしました。

「国内最大80型薄形液晶テレビ」

うーん、これでいいのかな、落ち着きがなんとなく悪いな。そこで「ハッ!」と気付きました!

そもそも「薄型テレビ」というのは奥行きのある、

「ブラウン管テレビ」

に対して、ずっと「薄い形」の、

「液晶テレビ」「プラズマ・ディスプレイテレビ」

が出てきたときに生まれた言葉です。地上デジタル化が完了して、

「『ブラウン管テレビ』が消えたいま」

(まだ、ブラウン管テレビでデジタル放送を見ている家庭などもある都思いますが、少なくとも販売はされていないでしょう)

「『薄形テレビ』という表現は『死語』」

なのではないでしょうか。しかもこのニュースのポイントは、

「『80型』という『大きさ』」

であって、「薄さ」ではありません。

そう考えて、結局「薄形」は、

「削除」

しました。

 

(2012、4、18)

2012年4月22日 10:29 | コメント (0)

新・ことば事情

4694「になります」

 

「こちら、A定食になります」

というような「~になります」という言葉を初めて聞いてから10年余り。

「いつまで待ったら、A定食になるねん!」

なんてボケたり、ましてや怒ったりすることはなくなりました・・・。

しかし、ことは「A定食」どころでは済まなくなってきたのです。

2012年4月17日朝、他局のモーニングショーを見ていたら、福井県の大飯原発の再稼働を巡る問題をリポートしていた男性アナウンサーが海側から大飯原発に近づき、船の上から、こう言ったのです。

 

 

「あちらが大飯原発になります」

 

 

・・・・(絶句)。これはもちろん、

 

「あちらが大飯原発です」

 

と言ってほしかった。ここまで「~になります」は蔓延しているのです。10年以上かかって一度広まった言葉を今から直していくことはかなり困難なことだと感じました。原発事故にも通じることですが・・・。

 

(2012、4、18)

2012年4月21日 18:52 | コメント (0)

新・読書日記 2012_070

『宇宙兄弟7』(小山宙哉、講談社:5巻は2009、3、23第1刷・2012、3、6第13刷でした)

表紙が『神の雫』と同じで、キラキラしていて好きです!

この話って、「宇宙飛行士」がテーマのように見えるけど、いま描かれているのはそのための「テスト」(面接も含めて)の様子だから、ある意味『ドラゴン桜』(受験もの)のようでもある。そこに「兄弟愛」や「職業意識」「仲間」「恋愛感情」「親子関係」「絆」「家族」などのテーマが上手く盛り込まれていると思う。

 

 


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(2012、4、16読了)

2012年4月21日 13:11 | コメント (0)

新・読書日記 2012_069

『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(石井好子、河出文庫:2011、7、20第1版・2011、7、30第2版)

 

単行本は196310月、つまりほぼ「半世紀前」に出ている。(シャンソン歌手の著者は2010年に亡くなっています)それが2011年に文庫版で「復刻」(?)。エッセイスト賞も受賞し名著の誉れ高いこの本を、なんとなく購入して読んでしまった。1話、1話、楽しみながら読んだ。いろいろと発見があった。その意味では「本」というのは「タイムマシン」のようですよね。たとえば、

『シェフの資格がとれたらニューヨークで料理店をひらくという青年ダニーが黒一点でいた』(186ページ)

とあったが、「紅一点」の反対の意味での「黒一点」という表現、半世紀前から使われていたんだなあ。

「なんの本を読んでるの?」

と覗き込んできた妻に、タイトルを見せると、

「ふーん、オムツのにおいかあ・・・」

と。そんなわけないやろ!

 

 

 


star4

(2012、4、15読了)

2012年4月20日 13:09 | コメント (0)

新・ことば事情

4693「帰化」

 

201126日にメモを書き始めました。その時点での数字は「平成ことば事情4289」>

20111月のサッカー・アジアカップ決勝で、延長後半4分、見事な左足ボレーで決勝点をたたき出した「李忠成選手」。その新聞記事を読んでいると、

(読売)帰化4年

(朝日)韓国から国籍を変え

(毎日)07年に日本国籍を取得した李

(産経)2007年に日本に帰化し

(日経)<文言なし>

でした。「帰化」という表現「読売」と「産経」が使っていました。

 

その後、2012年4月16日の「ミヤネ屋」で、「カンボジア国籍を取得」し、見事カンボジアの「ロンドン五輪マラソン代表」に選ばれた「猫ひろし」選手に、国際陸連が「待った!」をかけたというニュースを取り上げました。

ライバルの選手が、選考終了後のきのう(4月15日)のレースで、五輪標準記録(2時間18分)には及ばないものの、猫選手の記録(2時間30分台)を7分以上上回る「2時間23分」台の記録を出したことと、今年になって国際陸連が打ち出した参加資格に、

「国籍変更後1年以上たっていること」

という条文があることがネックになると。いまさら言われても・・・という感じですよね。「後出しじゃんけん」ではないのか?

このニュースの「ミヤネ屋」のスーパーで、

「帰化選手」

という表現が出てきたので、これは、

「国籍変更選手」

に変更しました。

そして、放送後のスタッフへのメールで、

「『帰化』は要注意語」

として周知しました。

△「帰化選手」→○「国籍変更選手」

『読売テレビ放送用語ガイドブック第二版』128ページで「帰化(人)」を見ると、

「『帰化』には朝廷の支配下に入るという意味がある。現在は教科書・百科事典など『渡来人』『渡来した人々』と記載している。なお国籍法では『帰化』が使われており、法律の説明などでの使用は可。しかし、一般的には差別的表現と捕らえる人たちも多く、言いかえが望ましい。→『渡来人』『渡来した人々』。また『帰化』を動詞として使用する場合、たとえば『Aさんが帰化した』は『Aさんが日本国籍を取得した』と言い換えることが出来る。」

となっています。しかしここでは、日本人がカンボジア国籍を取得することは、想定していませんでした。

 

 

(2012、4、16)

2012年4月20日 13:06 | コメント (0)

新・ことば事情

4692「傾聴は尊敬語か?」

 

2011117日に、2行だけ書き始めたまま放っておいたものです。当時の番号は、4283でした>

「『傾聴』という言葉は『尊敬語』でしょうか?」

と質問を受けました。即答できませんでした。

「聴く」の「尊敬語」(「謙譲語」ですね)は、

「拝聴」

でしょう。しかし、たしかに「傾聴」は、相手を尊敬した状態で使う言葉で、

「聴きました」

よりも、敬語の「位」は高いように感じます。「けい」という音が、

「『尊敬』の『敬』と同じ」

なので「敬語っぽく」聞こえるのではないでしょうか?あ、でも

「『軽薄』の『軽』とも音は同じ」

ですから、この考えは「×」ですね...。

 

それから1年あまり、きょう(2012年4月16日)、急に思いつきました。

「『傾聴』は『耳を傾けて熱心に聞く』ということ。つまりその『聴く姿勢』に、『相手に対する敬意』が感じられる。だからその意味では『敬語』である」

と。そう思いついてから・・・ですが、「傾聴」を辞書で引いてみましょう。

 

『精選版日本国語大辞典』=つつしんできくこと。謹聴。

『デジタル大辞泉』=謹んできくこと。

『明鏡国語辞典』=耳を傾けて、熱心に聴くこと。

『広辞苑』=つつしんできくこと。

『三省堂国語辞典』=熱心に聞くこと。

『新潮現代国語辞典』=よく注意をして熱心にきくこと。

『岩波国語辞典』=(耳を傾けて)熱心にきくこと。

『新明解国語辞典』=聞きもらすまいとして熱心に聞くこと。

 

辞書からは「謹んで聞く」「熱心に聞く」「注意して聞く」というような意味が。ということは・・・そうか、

「そのような態度で接する『話』」は決して軽んずるものではなく、重い意味合いを持つものだから、当然そのようなことを話す人は、尊敬されてしかるべきである」

と。「三段論法で敬意が表現」されているのですね。やっとわかったような気がします。

単に「拝聴」するのは「立場」として「話を伺う」のだけれども、「傾聴」は立場には関係なく(だから「敬語」とは限らない)、相手の話の内容を尊重して聞く、という微妙な違いがあるようですね。

このコラムは「傾聴」に値したでしょうか?あ、「傾聴」は文字には使わないか。「傾聴」はあっても、

「傾読」

はないのかな?なさそうだな。「耳」は「傾ける」けど「目」は「傾けない」からか。目はどうするんでしょうか?「熟読」は「熱心に読む」ことだけど、そこに「敬意」は特に感じられないなあ・・・。うーん、これは次への課題にします!

 

(追記)

なんと平成ことば事情4576「傾聴する」に同じようなことを書いていました。そこには、(2009年の122日に書き始めて、そのままになっていました。当時の番号は「平成ことば事情3614」)とありました。そっちも読んでみてね!

                      (2012,4,20)

 

 

 

 

(2012、4、16)

2012年4月19日 18:06 | コメント (0)

新・読書日記 2012_068

『宇宙兄弟1~6』(小山宙哉、講談社:5巻は2009、3、23第1刷・2012、3、6第13刷)

 

4月から読売テレビ系で日曜朝7時からという時間帯で放送が始まったアニメの原作。『コミックモーニング』(講談社)は、私は読まないので知らなかったが、時々こういった面白い漫画を出してくる。(だからまったく波長が合わないワケではないが、毎週(隔週?毎号)読みたい漫画が載っているわけではないようなので・・・。)この漫画は毎週読むより単行本でまとめて読みたい漫画だ。

主人公=兄のムッタは、実写版では「小栗旬」が演じているが、原作のイメージは絶対「大泉洋」をモデルにしているのではないかと改めて思った。そう感じたのは私だけではないはずです!また、JAXAの那須田(なすだ=NASDAはたしかJAXAの前身の名称だよね?)理事長は、「向井千秋宇宙飛行士の旦那さん」がモデルでしょうなあ。おもしろいわ、これ。「はやぶさブーム」より前に、宇宙飛行士ブームが漫画界に来ていたなんて、ちっとも気付かなかったよ。続きも読もうっと!

 

 

 


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(2012、4、14)

2012年4月19日 12:15 | コメント (0)

新・ことば事情

4691「何月何日何時何分?」

 

2の子どもが、小4のいとこと一緒に遊んでいたときに口にした言葉、

「何月何日何時何分?地球が何回回った日?」

これは、

「こんなこと、あったで」

と言ったら、

「何月何日何時何分?地球が何回回った日?」

と返ってくる、なんだか「けんか売ってんのか!」というような言葉です。

二人が住んでいる場所は、同じ大阪府内でも車で1時間以上離れているのですが、異なる地域の小学校で、同じ言い回しが使われているのですね。

私が子ども時代の40年ほど前は、

「何月何日何時何分何秒?」

「何秒」を付けていましたが、今の子どもたちは、そこに、

「地球が何回回った日?」

という、ちょっと意味不明の言葉が付いて「グローバル化」しているようです。

Google検索では(4月16日)

「何月何日何時何分?地球が何回回った日?」=4件

でしたが、これに「何秒」も付けると

「何月何日何時何分何秒?地球が何回回った日?」=2万1700

一気に件数が増えました。

かなり子どもたちの間では使われている言い回しのようです。子どもの真似をして言おうとしてちょっと言い間違えて、

「何月何日何時何分何秒?地球が何回った日?」

と言ったらすぐに、

「わあー、間違ってる!"何周"やて!!」

と突っ込まれました・・・。恐るべし、コドモ・・・。

 

 

 

 

(2012、4、16)

2012年4月18日 18:47 | コメント (0)

新・ことば事情

4690「あべ」

 

大阪市営地下鉄の駅の壁で見かけた「山形県大阪事務所」の広告。

「おいしい山形さあべ」

と書かれていました。おそらく意味は、

「おいしい山形へ行こう」

なのでしょう。「さ」は「方向を示す助詞「へ」ですよね。そうすると、「あべ」は、

「行こう!」

という意味ですよね。なんか「あべ」って「フランス語」みたい。

「あべ」の「べ」は、茨城方言などに出て来る語尾の、

「べえ」

が短くなったものではないでしょうか?だとすると、

「行くべえ」「行くべ」

なら、それほど違和感なく意味がわかりますが、そうなると「あべ」の「あ」は何なんでしょうか?

「行く」が「あ」

なのでしょうか???

山形方言に詳しい方、ぜひご教示を!!

 

 

(追伸)

と、呼びかけたところ、早速、NHKの原田邦博さんからメールが!

『山形だけでなく、青森にも「あべ」があります。これは「歩く」を「あぶ」と言い、「来い」が「あべ」になるということです。一説には、奈良時代の大和ことば「歩いて行くべし」が、青森に伝わるまでに「"あべ"に縮んだ」(?)という話もあります。真偽の程は定かではありません。また、NHK山形放送局では、方言のみの「今夜はなまらナイト」という番組を制作しており、HP上で「んだ辞苑」という方言辞書も展開していますので、よろしかったらご覧ください。』

ありがとうございます。「歩く」=「あぶ」、「歩け」=「来い」=「あべ」なんですかね。分かるような、分からないような・・・。

では、「マリアのところへ行け」は、

「アベマリア」

かな?

原田さんおすすめの「NHK山形放送局」のサイトをのぞいて見ました。「んだ辞苑」という方言辞書に「あべ」、ありました。「庄内方言」で、

「あべ」=行きましょう

英語で言うと、

Le't go!(レッツゴー!)」

なのですね。たしかに、

「おいしい山形さあべ」

に当てはめると、

「おししい山形へ行きましょう」

バッチリです!

「あべは」「あいぶべ」

「行きましょう」の意味だそうです。バリエーションがあるのですね。

(2012、4、18)

 

 

 

 

(2012、4、13)

2012年4月18日 12:57 | コメント (0)

新・ことば事情

4689「しゃぶしゃぶ」

 

 

『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(石井好子、河出文庫:20117201版・20117302版)の71ページに。

「大阪には、『しゃぶしゃぶ』というなべ料理がある。(最近では東京にも出現した)」

という一文がありました。この本の初版は1963年(昭和38年)です。

「え!その頃までは東京では『しゃぶしゃぶ』は知られていなかったの!?」

とびっくりしました。確かに昔は、あまり家庭料理で食べるものではなかった気がします。と言うより、私が「しゃぶしゃぶ」を初めて食べたのは、会社に入ってからですから、20数年前です。「すきやき」は家で食べたことがありましたが。

しかも「しゃぶしゃぶ」は関西発祥だったのか!「うどんすき」が「大阪の美美卯」発祥というのは知っていましたが、「しゃぶしゃぶ」も関西か。そう言われれば、なんとなく関西っぽいなあ、その擬音が。

しゃぶしゃぶ、しゃぶしゃぶ!

 

 

(2012、4、13)

2012年4月17日 11:56 | コメント (0)

新・ことば事情

4688「近まる」

 

NHK放送文化研究所が出している『放送研究と調査』の20124月号のコラム「ことば言葉コトバ」で本多葵研究員が、

「春が近まる」?

というタイトルのコラムを書いていました。それによると、

「春が近まってきました」

という表現はおかしいか?という問い合わせを受けたことで、

「~まる」

について考察しています。私も考えることにしました。

「近まる」

は、やっぱりヘンですよね。「~まる」は、「形容詞の語幹+まる」で、

「~の状態になる」

という意味ですが、この「形容詞」には使えるものと使えないものがあるようです。「~まる」で、「これはOK」というものは、

「高まる」「強まる」「深まる」

を多田さんは挙げています。このほかに私が思いついたのは

「温(暖)まる」「弱まる」「早まる」「広まる」「狭(せば)まる」

といったところ。それ以外のものを『逆引き広辞苑』で調べると、

「改まる」「薄まる」「固まる」「静(鎮)まる」「長まる」(=長くなる体を伸ばしてながながと横になる)「温(ぬく)まる」「和(のど)まる」(=のどかになる。しずまる。おちつく)「低まる」「緩まる」

というのがありました。聞いたことがないものもありますが。

ここから私の考察。「~まる」が付くことのできる形容詞は、

「客観的な価値機銃(尺度)で対語を持つ、程度を表す形容詞」

で、「対語」のうちどちらかと言うと、

「プラスイメージ」

のほうが、よく使われるのではないでしょうか?「近い」「遠い」という対語は、

「定点からの距離(程度)」

を指すので、「客観的な尺度」とはなりえないので、「~まる」を付けた形は使えないのではないでしょうか?

しかし、一筋縄ではいかないあな。もう少し考えてみたいと思います。

 

 

 

 

(2012、4、13)

2012年4月16日 14:56 | コメント (0)

新・読書日記 2012_067

『お金がなくても平気なフランス人お金があっても不安な日本人』(吉村葉子、講談社文庫:2007、1、16第1刷・2011、2、21第21刷)

 

単行本は2003年10月に双葉社刊ですが、改めて奥付を見ると文庫化されてから4年で21刷り!大題ロングセラー、ベストセラーではないですか!フランス好きの読書人が多いのかなあ・・・。

解説に、漫画家の伊藤理佐(漫画家・吉田戦車の妻)が出てきたのにはびっくりした。いろんなつながりがあるんですね、人と人とは。ある意味、それがあったからこの本を買ったということもあります。意外性で。

滞仏20年という著者が、長い糸でつながれた凧でフランス上空から眺めたような感じ、というのは、そうなのかもしれないなあと。上空から、時には地上に降りてつぶさにフランスとフランス人を観察したんでしょうね。返す刀で(?)日本のこともよーく見えたのでしょうね。そう思わせる一冊でした。

 

 

 


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(2012、4、12読了)

2012年4月16日 10:26 | コメント (0)

新・読書日記 2012_066

『東北の震災と想像力~われわれは何を負わされたのか』(鷲田清一×赤坂憲雄、講談社:2012、3、8)

 

阪神大震災を経験した前大阪大学総長の哲学者(鷲田)と、東日本大震災を経験した福島県立博物館館長で東北学の権威(赤坂)の対談集。

3章までの避難所の様子、ボランティアの様子と言ったこともさることながら、第4章「放置されたフクシマの奇妙な静けさ」、第5章「われわれは何を負わされてしまったのか」は重くのしかかってくる。第5章(最終章)の最後のタイトルが『「フクシマ」から「ふくしま」へ』。

「広島の美術館ではひらがなで『ひろしま』と表記するようになっていると。もう昔の漢字の『広島』へは戻れないがカタカナの『ヒロシマ』を内包して、自分たちに固有の都市像を抱きたいと願って、ひらがなにしたんじゃないか」と鷲田は想像する。「福島は今カタカナの『フクシマ』だけど、いつかひらがなの『ふくしま』を遠望できるような道筋を探したい」と。

実際、赤坂は20111111日~13日の「ふくしま会議2011」という「草の根会議」のタイトルを、ひらがなの「ふくしま」にした。福島の人たちの声を一つでも二つでもすくいあげて世界に発信する、そのときにカタカナの「フクシマ」でなく、やわらかく溶かすために、ひらがなの「ふくしま」にしたとのことだ。

 

 


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(2012、3、26読了)

2012年4月15日 08:25 | コメント (0)

新・ことば事情

4687「平手で殴る」

 

五十嵐アナウンサーから質問のメールが届きました。

 

「読売新聞に載っていた記事で質問です。千葉県警行徳署が5日、朝日新聞記者(35)を傷害容疑で逮捕したと。発表によるとこの記者は2011年12月31日、当時住んでいた千葉県市川市のマンションで妻(37)の顔を平手で殴るなどして全治約3か月の重傷を負わせた疑いで、容疑者は『もめ事はあったが、殴ってはいない』と話しているともことなのですが、この逮捕された記者は、

『妻を平手で殴った』

と、読売新聞(オンライン)には書かれていますが、『平手』でも『殴る』と言うのでしょうか?『殴る』と言えば、『握りこぶし』のイメージがあって、ちょっとひっかかったので質問しました。」

 

なるほど。確かにそういうイメージはありますね。「殴る」のは「拳骨」のようなイメージが。でも「平手」でも「殴る」でいいんじゃないかな?こんな返事のメールを書きました。

 

「殴る」

を手元の辞書で引くと、

「横ざまに打つ。たたく。力をこめて打つ」(精選版日本国語大辞典)

「力をこめて打つ。ぶつ。たたく。はる。」(新選国語辞典)

とあり、特に「グー」でないとダメとは書いていません。

しかし、

「(こぶしや棒などで)相手を乱暴に強く打つ」(デジタル大辞泉)

「(握り拳で)横様に力をこめて打つ。強く打つ」(広辞苑)

「(げんこつ・棒で人や動物を)強く打つ」(三省堂国語辞典)

「(懲罰を加えたり危害を加えたりする目的で)こぶしを振り下ろして、相手の顔や頭に強い衝撃を加える」((新明解国語辞典)

と書かれている辞書もあるので、「強く打つ」から「こぶしで殴るイメージ」があるのでしょう。でも

「パー(平手)で殴られた」

「あり」じゃないかなあ。個人的には。関東だと、「平手」は、

「はたかれる」「ひっぱたかれる」「たたく」

かも知れませんね。

 

 

(2012、4、12)

2012年4月14日 22:23 | コメント (0)

新・ことば事情

4686「思料と思量」

 

2012年3月の小沢裁判で出てきた言葉に、

「思料」

という言葉がありました。これとは別に「同音同義語」で、

「思量」

というのもあります。『広辞苑』を引いてみると、

「思料」=思いはかること。考えること。

「思量」=思いはかること。考えること。

と、一字一句同じ説明が。これって不親切です。

NHK放送文化研究所の塩田雄大さんに聞いてみたところ、

「思料と思量の件、違いはよくわかりません。裁判関連の用語としては『思料』が使われているという程度で、どこかの分野で意図的に両者が使い分けられているというような話は、聞いたことがありません(もしあったら、ぜひ教えてください)。」

 

ということで、『新明解国語辞典』を引いてみると、見出しは「思量」しか載っておらず、

「思量」=「あれこれと、比べ合わせて、考えること。(多く、法曹関係の用語)【表記】思料とも書く。

そうそう、法曹関係!これはちょっと親切。

さらに、『三省堂国語辞典』「しりょう」の漢字表記が2通り書いてあって、

「思量・思料」=(文)こうではないかと、考えること。

と、「文語」であることを示しています。

そして、『精選版日本国語大辞典』を引いてみると、

「思料」→しりょう(思量)」

となっていて、「思料」の用例1873年の『泰西勧善訓蒙』<箕作麟祥訳>です。

「思量」を引くと、

「思量」=あれこれ思いめぐらすこと。思慮。思考。思料。

とあって、用例は『菅家後集』(903年ごろ)が古いですが、これはレ点が付いた漢文です。もう一つの用例は『一遍上人語録』(1763年)です。ともに、「思料」よりも古い。

ということは、昔は「思量」を使っていたが、その後、明治維新後、翻訳のときに「思料」という漢字の使い方も出てきたということなのでしょうか?

なんとなく見えてきた感じです。

ということで「思料」と「思量」の違いについて「思料・思量」してみました。

 

(2012、4、12)

2012年4月14日 18:21 | コメント (0)

新・読書日記 2012_065

『人生が深まるクラシック音楽入門』(伊東乾、幻冬舎新書:2011、7、30第1刷・2011、11、20第4刷)

 

以前、この著者(指揮者!)の本(『指揮者の仕事術』)を読んで、「目からウロコ」が落ちた。大変面白い音楽の楽しみ方を教えてもらった気がする。その伊東さんの新刊ということで、購入後すぐに読破!(でも、出ていることに気付いたのは出版後半年以上もたっていたが。)

今回も「ホオ、そうだったのか!」と思ったのは、「モノフォニー」から「ポリフォニー」に変わったのは「宗教改革」に伴う「建築様式の変化」が影響していると。「カトリック」から「プロテスタント」に変わったことで、教会の造りが天井3階位の高さでよく音が響くものから、ゴシックエ建築の天井が高すぎるものになった。それまでは「ユニゾン」の「ポリフォニー」でもよくハーモニーが成り立っていたのが、音楽の側でハモるようにしなくてはならなくて「ポリフォニー」が生まれたと。

「そうだったのか!」

と音楽仲間にそういう話をすると、「そうかなあ」と疑問を呈されることが多く、「うーん、でもそう書いてあるよ」と言うことに落ち着くのだが、とにかく宗教改革と建築物と音(音楽)の関係というところに着目したのはすごいと思った。ビバルディとバッハの違いは実はそういう違いであったのか、と。

 

 

 

 

 


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(2012、3、20読了)

2012年4月14日 12:17 | コメント (0)

新・ことば事情

4685「七角形の読み方」

 

「七角形」

 

の読み方は、

「シチカ(ク)ケイ」(シチカッケイ)でしょうか?それとも、

「ナナカ(ク)ケイ」(ナナカッケイ)でしょうか? 

※(ク)は母音の無声化

「ミヤネ屋」のナレーターのMさんに質問を受けました。

うーん、どっちでもいいんじゃない?分かれば。

本来「シチ」だけれど「ナナ」が聞いて分かりやすいので、そっちかなあ。

「シチ」の場合「イチ」と聞き間違いやすいから「ナナ」にするということはあるけど、

「一角形」(イチカクケイ、イチカッケイ)

は存在しないから、間違わないだろうから「シチカ(ク)ケイ」(シチカッケイ)でもいいのかなあ。ちなみに「二角形」も存在しません。

そう思って、『NHK日本語発音アクセント辞典』を引いてみると、「三角形」から「六角形」までと「八角形」は載っているのに、「七」は抜けています。

「九角形」「十角形」も載っていません。

「シチ」「ナナ」は、どちらでも良いのでしょうか?

用語委員会でご一緒している、NHKの原田邦博さんに聞いてみたところ、

「あくまで"私見"ですが、読みは『ナナ』でよいと考えます。『ナナカクケイ』『ナナカッケイ』の2通りがありえますが、どちらを優先するかは微妙です。『三角形』『六角形』『八角形』についても、それぞれ読み方は順不同で、一貫性はありません。また『ロク~』『ハチ~』という読みは採用していません。『ロッ~』『ハッ~』のみです。『七角形』を載せていない意味は不明ですが、幾何学以外には使わないためではないでしょうか。『六角形』までは数学以外でもよく使うことばで、『八角形』は『夢殿』などがあるため、採用したのではと推測されます。『九角形』以上も採用していません。」

というお返事を頂きました。ありがとうございます。

国語辞典は「何角形」まで載せているのでしょうか?調べてみましょう!!

「見出し」に載っているかどうかが基準です。

3・4・5・6・7・8・9・10角形

*『精選版日本国語大辞典』= ○・○・○・○・×・○・×・× 「かっけい」

*『広辞苑』       = ○・○・○・○・×・△・×・× 「かくけい」△「八角」

*『新明解国語辞典』  = ○・△・×・×・×・×・△・× 

   「かくけい」△「四角」「八角」

*『三省堂国語辞典』   = ○・△・×・×・×・△・×・× 「かくけい」△「四角」「八角」

*『新選国語辞典』    = ○・△・×・×・×・×・×・× 「かくけい」△「四角」

*『新潮現代国語辞典』  = ○・○・×・△・×・△・×・× 「かくけい」△「六角」「八角」

*『岩波国語辞典』    =○・△・×・×・×・△・×・×  「かくけい」△「八角」

*『デジタル大辞泉』   = ○・○・○・○・×・×・×・× 「かくけい」

*『明鏡国語辞典』    = ○・×・×・×・×・×・×・× 「かくけい」

 

というような結果でした。「七角形」を載せている辞書はありませんでした。

△印は、「四角」「六角」「八角」のように「形」が付いていない形では載っていた、というものです。また「八角」は「かたち」ではなく、「中国料理の食材」として載っているものが多かったようです。また、『広辞苑』には仏教用語の「七覚(しちかく)」が載っていました。ネットでの検索件数はどうか?調べてみましょう。頻度順に並べると、

(1)「三角形」=41200000

(2)「四角形」= 7810000

(3)「六角形」= 6890000

(4)「八角形」= 6210000

(5)「五角形」= 1010000

(6)「七角形」=   60200

(7)「九角形」=  42500

(8)「十角形」=   23800

で、明らかに「七角形」「九角形」「十角形」の出現頻度は「2けた」落ちます。大きめの辞典と小さめの辞典では載せられる語彙数が違うので、そのあたりの判断もあるのでしょうね。このあたりが、辞書にも反映されているのでしょうかね。

また、「~かっけい」という「促音」を基本にしているのは『精選版日本国語大辞典』だけで、あとは「~かくけい」という形(「く」は無声化でしょう)を基本にしています。ちなみに数字を「洋数字」にしてみると、

(1)「6角形」= 298000

(2)「3角形」= 220000

(3)「5角形」= 181000

(4)「8角形」= 175000

(5)「7角形」=  91500

(6)「4角形」=  68600

(7)「10角形」=13100

(8)「9角形」=     6020

と、ずいぶん順序が入れ替わりました。

「三角形」と「四角形」「漢数字」で書くほうが多い、つまりそれだけ「ひとつの単語」として認識・定着していることを示しています。

それに対して「洋数字」で書かれることが多い「6角形」は、数字部分が入れ替わり可能な、

「○角形」

の中で、使用頻度の多い数字と言えるでしょう。

 

 

(2012、4、12)

2012年4月13日 18:58 | コメント (0)

新・読書日記 2012_064

『放射能から子どもの未来を守る』(児玉龍彦+金子勝、携書Discover:2012、1、20)

 

児玉さんと金子さんは、なんと大学の同級生だった!知らなかった!

児玉さんと言えば「内部被曝研究」の第一人者で、国会での「政府の無策ぶりの糾弾」によって、一躍、一般にも有名になった学者。その児玉さんが、母親たちが子どもたちのために「除染」に立ち上がった姿を、驚きと感動で見つめている。

政府は「パニック」を防ぐために情報を遮断したが、それは失敗だった。今の日本人は「パニック」に陥らないのか?それだけのリテラシーを備えているのか?わからないが、政府は冷静に情報を提供することが必要であった。まったく情報をシャットダウンするのは、やってはならないことだ、ということが、こういった放射能の災害に関しては必要だと、当たり前だが納得。

そして、やはり我々「おとな」は「子どもたちの未来」を守らないといけない。持続可能な日本は、子どもたちが育ってこそである。そのために出来ることをやらなくてはならない。

 

 

 


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(2012、3、30読了)

2012年4月13日 18:16 | コメント (0)

新・読書日記 2012_063

『日本人のちょっとヘンな英語』(デイビッド・セイン=著・中野きゆ美=イラスト、アスコム:2012、1、30)

 

『日本人の知らない日本語』と同じようなタッチの本ですが、著者も違いますし、そもそも「外国人が使うヘンな日本語」とはまったく逆で「日本人が使うヘンな英語」。構図は同じで、逆のパターンですね。コレは一本取られた!

英語、あまり使わないので、笑いながら勉強になります。

You are welcome」は、古いのか!知らなかった!!

 

 

 

 


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(2012、4、8読了)

2012年4月13日 12:15 | コメント (0)

新・ことば事情

4684「トド」

 

福島県のアクアマリンふくしまという水族館に、疎開していた「トド」の「フク」が帰ってきたというニュースが、322日に伝わりました。これが本当の

「トドのつまり」

かと思いましたが、さて、「トド」ですが、漢字で書くとどうだっけ?

たしか「木扁」に「段」だったのでは?と思って辞書を引くと、

「椴」

と書いて「トド」と読むものはありましたが、これは動物の「トド」ではなく、植物の「トドマツ」の「トド」でした。その横に、動物(アシカ科の哺乳類)の「トド」もありました。漢字で書くと、

「胡獱」

でした。難しい漢字!絶対に読めないな。その説明に、

 

「(ニヴヒ語が由来といわれる)」

 

とありました。「ニヴヒ語」?一体どこの国の言葉なの?今度は「ニヴヒ語」を引くことに。

 

「ニヴヒ語」=アムール川(黒竜江)流域とサハリン(樺太)北部に住むロシアの少数民族。言語は古アジア諸語の一つで、周辺のツングース系諸語やアイヌ語の影響を受ける。漁労・海獣猟に従事。ニヴフ。旧称、ギリヤーク。

 

アイヌ語の影響も受けていたのか。「漁労・海獣猟に従事」しているからその「獲物」として「トド」が存在したのですね。

あれ?旧称の「ギリヤーク」ってなんか耳にしたことがあるぞ。

「ギリヤークなんとかさん」

という名前(芸名?)の人がいたような・・・。これも検索してみると・・・あった!ウィキペディアですが。

「ギリヤーク尼ケ崎」

でした。

「ギリヤーク尼ヶ崎(ぎりやーく あまがさき、1930818 - )は、日本の大道芸人、舞踏家。北海道函館市出身。本名は尼ヶ崎勝見(あまがさき かつみ)。芸名の由来は、自身の風貌が樺太の少数民族ギリヤーク(近年はニヴフと呼ばれる)に似ていることから。」

 

うーん、そうだったのか。「トド」のつまりは「ギリヤーク尼ケ崎・大道芸人」とは。

「ネットサーフィン」兼「辞書サーフィン」ですね。

 

(2012、3、22)

2012年4月13日 10:35 | コメント (0)

新・読書日記 2012_062

『犠牲のシステム福島・沖縄』(高橋哲哉、集英社新書:2012、1、22)

 

著者は、今一番信頼の置ける学者の一人かもしれない。

今回の原発の事故によって明らかになった「福島」というところの持つ運命。「原発」を持つことによって、何を得て、何を失ったのか。その構図は、「米軍基地」を持つ「沖縄」にも共通する部分があると。ある意味「日本全体」にとっての「必要悪」のようなものをどこが引き受けるかとなったときに「弱い立場の県」が引き受けざるを得なくなっていることが、誰の目にも明らかになったのだ。それは、悪い面が出た場合には「犠牲」という名で呼ばれるものかもしれない。常日頃から「悪い面が出るかもしれない」という恐怖を感じつつ、「でも、出るわけない」と信じたふりをしつつ生きていくことの重さ。それをわれわれ国民も「知って」しまった。「犠牲」が「可視化」された現在、国民ひとり一人が、逃げることが許されない立場におかれているのだ。

 

 

 


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(2012、3、29読了)

2012年4月13日 08:14 | コメント (0)

新・読書日記 2012_061

『日本から男の子を育てる場所が消えていく~ボーイスカウトの凋落が日本をダメにした』(喜多由浩、主婦の友新書*2012、1、10)

 

3月末に広島に行った。広島駅の構内になんと新古書店があるんですね。ぶらぶらしていて目に付いた本書を購入。今年1月に出たのがもう古本(新古書)に。新書より1~2割安い。タイトルがキャッチーだったのと、著者が産経新聞の記者で同世代ということもあり購入。うーん、内容は・・・。そうだけどさ、みたいなところが。著者はボーイスカウトをやっているが、最近参加者が減ってきていて・・・みたいな話だが、子どもの数が減ってるんだから、減って当然ではないか?「外遊び」の重要性は理解するが。帯に書いてあった「遊びに"アポ取り"する子どもたち」というのは目を引いたが、よく考えると私たちの頃も「アポ取り」していた。もちろんケータイなどないから「口約束」だが。アポ取りしなくても原っぱに遊んでいる友達がいたというのも本当ではあるが、真実の一面にしか過ぎないのではないかなあ。ちょっと思い込みが激しいのかな?

それにしても「主婦の友」まで「新書」を出しているとは知りませんでした。ボーイスカウトの歴史などは、よく分かりました。

そういえば私も小学生の頃は、ボーイスカウトは行かなかったけど、YMCAには通っていました。キャンプもやったよ!

 

 

 


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(2012、3、30読了)

2012年4月13日 01:48 | コメント (0)

新・ことば事情

4683「笞(しもと)」

 

瀬戸内寂聴と梅原猛の対談集『生ききる。』(角川Oneテーマ212011710第1版・20119305版)を読んでいたら、

「笞(しもと)」

という言葉が出てきました。能『葵上(あおいのうえ)』で、六条の御息所(みやすどころ)が病に伏している「葵上」を、

「笞(しもと)で叩く」

と。心の底で嫉妬した六条の御息所の生霊が、もしかしたら行ったかもしれない。「無意識」の世界・・・という「近代文学」、犯罪心理を表していると、対談の二人は説きます。「自分の意識」というのは果たして「無意識」か?「意識」か?哲学的な世界に入っていきます。

で、この「苔(こけ)」と書いて「しもと」と読むものは、一体なに?

『精選版に本国語大辞典』を引くと、載っていました!

「しもと(笞・楚)」=「(「しもと」を用いたところから)刑罰の具。木の若枝でつくったむち、または杖。また、それで打つ刑。すわえ。しもっと。」

うーん、全然わかりません・・・・。「木の枝」と「こけ」は同じものなのか?

実はもうひとつ「しもと」が載っているのですが、この漢字はワープロでは出てきません。草冠の下にゴチャゴチャっと書いてあります。もしくは木へんに「若」と書いて「しもと」、あるいは「細枝」と書いて「しもと」。もうこうなると「当て字」ですよね。意味は、

「枝のよく茂った若い木立。若い小枝の長く伸びたもの。すわえ。」

「枝」のことを「しもと」と言うようで、それをむちのように用いてビシバシやる刑罰「しもと」と言うと。「すわえ」って何だろう?

「すわえ(楚・「木若」・杪)」(1)木の枝や幹から、まっすぐに細長く伸びた若い小枝。すわい。ずわい。すわえぎ。(2)刑罰に用いる道具。むち。しもと。また、それで打つこと。(3)舞楽で舞人が持つ白い木の棒。

「すわえ」と「しもと」は同じような意味ですね。

気になったのは、「すわえ」を「ずわい」とも言うと。「ずわい」と聞いて思い出すのは、もちろん、

「ズワイガニ」

です。もしかしたら、

「足が枝のように伸びているから」

この名前があるのではないか?これは想像ですが、そうだとしたら、いろいろ古い言葉が現代につながっているんですね。

でもなぜ「苔(こけ)」と書いて「しもと」と読むかは分からずじまいでした・・・。

あ、そうだ、こういうときは「漢和辞典」だ!

『新潮日本語漢字字典』を引いたら、「しもと」と読む漢字が4種類、載っていました!!

その中で、「笞」を見ると、

「むち・しもと・むちうち」

と3つの読み方が。

①むち・しもと。人を叩くための竹や木の棒。人を苦しめる厳しい戒めにたとえる。<「むち」は多く「鞭」と書く>

②「①」で人を叩く。また、人を厳しく責めて苦しめる。しかって励ます。"むちうつ"とも読む。

 

ここで私、気付きました・・・「苔」じゃなかったんだ・・・「竹」かんむりの、

「笞」

でした。そりゃ「こけ」のわけないわな。

「草かんむり」が「苔」、「竹かんむり」が「笞」。

ややこしいなあ。

「楚」は「すわえ」。「楚輪(そわ)」さんというサッカー選手が昔いたけど、あれは「楚」だけでも「すわ(え)」→「そわ」と読んだのかも知れんなあ。

 

(2012、4、10)

2012年4月12日 21:32 | コメント (0)

新・読書日記 2012_060

『生ききる。』(瀬戸内寂聴・梅原猛、角川Oneテーマ21:2011、7、10第1版・2011、9、30第5版)

 

瀬戸内寂聴=1922年生まれ、梅原猛=1925年生まれ。この二人は確かに「生ききって」いると思うが、まだ当分大丈夫そうです。すごい生命力。いろいろご迷惑をおかけしてすみません・・・とこちらが謝ってしまいそうです。

梅原「我々は今、太郎の『東北』『太陽』『原爆』という三つの予言を抱えている。今こそ岡本太郎から学ぶべきです。『岡本太郎』という思想を学ぶべきなんです。」

岡本太郎はやはり早すぎた天才だったんだなあ。「太陽の塔」「原爆の図」「明日への神話」。

「東北から未来を学ぶ」「仏教に今、何ができるのか、心を癒すということ」「『日本人』のアイデンティティとは何か」「『源氏物語』の新しい読み方、苦難を乗り越えるために」「震災後のめざすべき日本、よみがえりの思想」という各章の二人の対談から学べることは、数多くある。

 

 

 


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(2012、3、17読了)

2012年4月12日 18:45 | コメント (0)

新・ことば事情

4682「『いつしか』の『し』」

 

「ミヤネ屋」のスーパーをチェックしていて急に思いつきました。

「『いつしか』の『し』は『過去』を表す助動詞なのではないか?」

辞書で「し」を引いてみると、「いつしか」の「し」は、

「強めの助詞」

でした。「過去」ではなかったのか・・・。

「えにし(えん+し)」「定めし」「果てし(ない)」

などの「し」と同じでした。「おりしも」の「し」もそうかな。また、

「風(し)」

というのは「複合語」として用いる、

「かぜの古語」

なのだそうです。

「あらし(荒らし)」「木枯らし」

などの「し」だそうです。もしかすると、

「五十嵐(いがらし)」

も、そうかも!?

「し」ひとつとっても、おも「し」ろいですね。

 

(2012、4、10)

2012年4月12日 14:31 | コメント (0)

新・読書日記 2012_059

『なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか~見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間』(森功、講談社:2012、3、11)

 

長いタイトルに、これまで何度も目にした、病院の外に置き去りにされたままのベッドの写真の表紙。あれは「大熊町の双葉病院」だったのか。地震後の大混乱の様子がまざまざと目に浮かぶようだ。

最善を尽くし頑張った医療関係者が、なぜ「逃亡犯」呼ばわりされたのか?それはもちろん、地震・原発の爆発といった大きな災害・事故の後の行政や警察・自衛隊などの混乱などによるものだったが、そうなる(大混乱)ことが事前に予想されたのではないか?そんな大混乱のときだから「誤報も仕方がない」という甘え・隙が行政側になかったか?また責任を相手にもたせ掛けるという姿勢がなかったか?いろいろな反省材料が提示される「誤報」であり、われわれ報道陣にとっても、大変遺憾な出来事である。そもそもこの「誤報」があったことを、私は知らなかった。不勉強を恥じねばならない。

 

 


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(2012、4、4読了)

2012年4月12日 12:22 | コメント (0)
2012_058

『孤立死~あなたは大丈夫ですか?』(吉田太一、扶桑社:2010、12、30)

 

「ミヤネ屋」でも紹介した本。著者は「遺品整理屋」さん。遺体の引き取り手のない、たった一人で死んでしまった人の遺品を整理する仕事というのも、需要はあって誰かがやってくれないと困る仕事ではあるが、なかなか大変なお仕事だと思う・・・。そんな仕事を通しての目から見えてくる「現代」というものは・・・。「孤独」「孤立」の中から再生しなくてはいけないものは何なのか?

 

 

 

(2012、3、20読了)

2012年4月12日 10:21 | コメント (0)

新・読書日記 2012_057

『他諺の空似~ことわざ人類学』(米原万里、光文社:2006、8、30)

 

米原万里さん、2006525死去。もう6年も経つのか。死後3か月で出た本書、「積ん読」になっていたものを、ようやくよんだ。帯には「"世界はことわざで連帯する"米原ワールド炸裂!遺作、待望の刊行」と書かれている。たしかに炸裂している。各国の諺が、改行されずに載っているのが読みにくい。もう少し、見せ方(読ませ方)を工夫すればもっと読みやすいのに・・・。そこが残念。

各章冒頭のアネクドートは、やや下ネタ系が多くひねりも利いているが、おもしろい。

 

 

 


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(2012、4、2読了)

2012年4月12日 01:21 | コメント (0)

新・読書日記 2012_056

『メジャーで勝つ~日本人ピッチャーの心技体』(長谷川滋利、ベースボール・マガジン社新書:2011、9、20)

 

少し古い、といっても去年秋に出た本。いま、「読もう」と思ったのは、もちろん、メジャーの今シーズンが始まろうとし、そこでは「ダルビッシュ」が投げるから。長谷川投手も渋くスゴイ投手だったんだなあと改めて思った。何といってもやはり「頭」がいい。クレバーなピッチャーである。ダルビッシュもそういうところを学んでほしいなあ、なんて、偉そうに。「先発ピッチャー」のダルビッシュと「ブルペンピッチャー」(そういう言い方があるんだ。先発でない中継ぎや押さえ=クローザーのピッチャーのこと)の長谷川さんは違うかもしれないが「日本人投手」が「アメリカで」投げるという状況は同じなので、ぜひ参考にしてほしいな。アメリカの選手の奥さんはあまり料理を作らないんだって。ダルビッシュは離婚してしまったから、料理は誰が作るのかな?健康管理も大事だよね。

 

 


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(2012、3、15読了)

2012年4月11日 20:19 | コメント (0)

新・ことば事情

4681「レシートは大丈夫ですか?」

 

先月末、広島に行ったときに「のど飴100円也」を買った後のコンビニの店員さんの言葉。

「レシートは大丈夫ですか?」

思わず、

「大丈夫です」

と答えそうになって、

「一体、レシートの"何が"大丈夫なんだ?」

と自問自答。考え込んでしまいました。

この言葉の意味は、

「レシートは、お持ちにならなくて大丈夫ですか?」

「レシートは要りませんか?」

という意味なのは分かるけど、まるで「レシートの身の上を心配している」ような感じも。

「おかげさんでレシートは大過なく、無事に元気でやっています。ありがとうございます」

そう答えたら、店員さんはどう反応するんだろう?と、ちょっといたずら心が・・・

 

「日本語は大丈夫ですか?」

 

そう聞き返したら、嫌味だろうなあ。気付かないとは思うけど。

 

(2012、4、10)

2012年4月11日 18:19 | コメント (0)

新・読書日記 2012_055

『極北ラプソディ』(海堂尊、朝日新聞出版:2011、12、30)

 

最近結構忙しく、休みの日もウロウロしたり疲れて寝ていたりするので、まとまって本を読む時間が取れない。そうなると「小説」ってなかなか読めないんですよね。心に「ゆとり」がないと。

そういう意味で、久々に「海堂尊」の医療小説を読んだ。なんとなく勢いで。前回の「極北病院」のシリーズの内容をもうほとんど忘れてしまっていたが、それでも面白かった。単独で読んでも大丈夫。また、前作も読み返してみようかなと思う感じかな。

 

 


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(2012、3、18読了)

2012年4月11日 15:19 | コメント (0)

新・読書日記 2012_054

『ブラック・スワン降臨』(手嶋龍一、新潮社:2011、12、5)

 

「ブラック・スワン」=黒鳥とは、不吉の象徴。「白鳥」に対する陰画。実際は1697年にオーストラリアで発見された。バレエ「白鳥の湖」でも、それこそ「悪魔」のような扱いである。それ以来「ブラック・スワン」は「ありえないこと」のメタファー(隠喩)となった。2001年の「9、11」から2011年「3、11」への10年、ブラック・スワンはニューヨーク・フクシマに舞い降りた・・・というところから始まるいくつかの物語(といってもノンフィクション)は、NHKワシントン支局長としての著者の取材に基づくもの10年の世界の動きである。国際社会を生き抜くときに必要とされる「インテリジェンス」とは?

同時代を生きているだけに「そうそう、あった、あった」と思うことや「あれはそういうことだったのか」と思うことなど、大変興味深いエピソード満載。昨年来「ミヤネ屋」ファミリーとなった手嶋さんに、たまたま私がいつも行く酒屋で見つけたオーストラリアのワイン、その名も「ブラック・スワン」を、「ミヤネ屋」出演後にプレゼントした。このワイン、なんとコルク(プラスティックだけど)も「黒」なのだ。喜んでくれたようだった。

「同盟国アメリカ大統領に食言し、首相の座を追われたのは初めてのことだった。」(183ページ)という一文に出て来る、

「食言」

という言葉、初めて知りました。勉強になりました。

 

 

 

 


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(2012、3、15読了)

2012年4月11日 10:18 | コメント (0)

新・ことば事情

4680「お迷子さん」

 

4月6日の日本テレビ「スッキリ!!」で放送していた、愛知県桑名市の「ナガシマスパリゾート」での「迷子」の特集を見ていたら、園内の放送で、

「お迷子さんのお知らせです」

と言っていました。「迷子」に「さん」を付けた、

「迷子さん」

は聞いたことがありましたが、「お」を付けた、

「お迷子さん」

は初めて耳にしました!「お遍路さん」のようです・・・丁寧すぎないか?

「迷子のお知らせ」

で十分ではないか?と思いました。

G00gle検索(4月9日)では、

「お迷子さん」    =     657

「迷子さん」     =  138000

「迷子」       17800000

「お迷子さんのお知らせ」=     2

「迷子さんのお知らせ」   21400

「迷子さんのおしらせ」          4

「迷子のお知らせ」      920000

「迷子のおしらせ」      18100

でした。「お迷子さんのお知らせ」はたったの「2件」しかなかったのですが、そのうちのひとつが、なんと1970年の毎日新聞」からの引用の記事でした。

 

『高校生「展覧会場に落とし物が」

案内係「どうもありがとうございました。ちょっとこちらの方に一応、お書きになっていらっしゃいませ。こちらへですね。札入れ二つって」

他にもこんな言葉が聞こえてくる。

「恐れ入ります。お出口を少々お開け下さいませ」

「さようでございますか。せっかくお越し下さいましたのに。申し訳ございません。」

お迷子さんのお知らせを・・・」

これではいけないということでデパートでは、特にエレベーターや案内係の女子店員に猛烈に指導をしている。こんな敬語の行方を国立国語研究所では、「社会構造の変化、価値観の変革、男女同権などで敬語の使われる基盤が薄れる一方、将来はデパートのような意識して作られた話し方が、現実の言語生活とは離れて残るのではないか」と考える。』(毎日新聞縮刷版19701月)

 

これを「カコログ~過去にタイムスリップ~」というサイトで取り上げた人は、

「いつの時代も敬語を使いこなすのは難しかったのだ。現在と何にも状況が変わっていない。ということは敬語自体に『使えない』という問題があるのでは。」

と結んでいます。

 

(2012、4、9)

2012年4月11日 07:29 | コメント (0)

新・読書日記 2012_053

『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿、講談社:2011、9、5第1刷・2011、10、26第4刷)

 

去年の9月に出て、結構重版を重ねている。著者は1985年生まれ。ということは、今年27歳の大学院生。私が社会人になって2年目に生まれている。「私の子どもの世代」といってもいいぐらいの年回りだ。27歳でこんなに勉強してこんな本が書けるなんて、スゴイ。表紙が東野圭吾の『幻夜』にとても似ている。意識したのかな?「脚注」の書き方が、その昔の田中康夫『なんクリ』(『なんとなくクリスタル』)を髣髴させた。

周囲からは最近の若者は「かわいそう」といわれるが、当の「若者たち」の意見を聞くと「幸福度」「満足度」が高い、というのだ。ま、「覇気がない」とか言われるのでしょうが。小さくまとまっているとか。そういうものを大人たちが求めたのではないのか?

そもそも「若者」とは誰なのか?を探るところから話は始まる、それはスリリングな知の冒険である。読んでみて!

 

 


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(2012、3、13読了)

2012年4月11日 01:17 | コメント (0)

新・ことば事情

4679「駅弁当」

 

『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(石井好子、河出文庫:20117201版・20117302版)6061ページに、

「私は駅弁当を気にしているから、まずい駅弁当を買ってしまった時は、何かだまされたみたいにくやしい。」

「日本の駅弁当は楽しく、また変化に富んでいるけれど」

というように「駅弁」ではなくて、

「駅弁当」

という表記が出てきました。単行本は1963年(昭和38年)3に「暮しの手帖社」から出ています。当時はまだ「駅弁」という言葉が定着していなかった?いや、そんなこともないだろうと思うのだけど、私はまだ2歳ですので、確かな記憶はありません。

当時のことをご存じの方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください!

ちなみにGoogle検索では(410日)

「駅弁」 =10900000

「駅弁当」=  34600

でしたが、「広島駅弁当株式会社」のような文字列の中の「駅弁当」という漢字がヒットしたものが多いようです。そんな中で、

「駅弁当 日本の味博覧 2011春バージョン」

というサイトは、「駅弁当」をちゃんとそのまま使っていました。

 

(2012、4、10)

2012年4月10日 23:29 | コメント (0)

新・読書日記 2012_052

『反TPP論』(小林よしのり、幻冬舎:2012、2、25)

 

「ゴーマニズム宣言」の小林よしのりの漫画です。マンガで学ぶ「TTP」。

これを読んだら、「反TPP」の立場も少し理解できた。「TTP」の中でメインは「アメリカ」で、そのほかは経済的小国ばかり。そこでのアメリカの目論見は「日本」を引き入れること。「経済」が「武力」以上に、国際関係を縛るものであると。実際、過去に日本が中国や東南アジアに侵出(進出)せざるを得なくなったひとつのきっかけは「資源問題」、「ABCD包囲網」によって「石油」が手に入らなくなったことが大きな要因であるし、北朝鮮やイラク、イランに対しての「経済制裁」というのも、「武力」ではない形での「戦争」を仕掛けていると考えられるというのも、よくわかった。「TTP」は「経済関係の構築」というよりは「国政経済戦争」と考える視点もあるということですね。もっと勉強しないといけないな。

 

 

 


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(2012、3、13読了)

2012年4月10日 21:16 | コメント (0)

新・ことば事情

4678「倍ぢかく」

 

『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(石井好子、河出文庫:20117201版・20117302版)62ページに。

「大通りの肉屋はたしかに品物が上等だったが、値段も角の肉屋の倍ぢかくするので、私はふだんは安い店で買っていたのだった。」

という文章が出てきました。この本の単行本が出たのは1963年(昭和38年)。「三丁目の夕日」の時代。東京オリンピックの前。もう50年近く前です。

そのころは、「倍ちかく」ではなく、濁って、

「倍ぢかく」

という言い方があったのか!?

Google検索(410日)では「倍ぢかく」で出てきたのは、

「倍痔核」

という漢字の並び。「痔核」の前の「40倍」とかの言葉がくっついていただけで、本来の意味での「倍ぢかく」は見当たりません。

石井さんだけが使っていた言い方なのかどうか、わかりませんが、文字には残っているんですね。

 

(2012、4、10)

2012年4月10日 20:28 | コメント (0)

新・読書日記 2012_051

『大往生したけりゃ医療とかかわるな~「自然死」のすすめ』(中村仁一、幻冬舎新書:2012、1、30第1刷・2012、2、11第3刷)

 

知らない間に大ベストセラーになっているようだ。宮根さんも読んでおもしろかったと言っていた。

この先生の言うとおりなら、「がん」の治療などしないほうがいいのか?でも半分は納得しつつも、半分は「マユツバ」の部分もある「QOL」を高めるために不要な(?)がん治療は拒否するというのは分かるが、何をもって「不要」と言えるのか?人、それぞれである。「死ぬこと」は「生きること」を考えることだというのはここでも出てくるような気がする。生前に「棺おけ」に入ってみるというのは、確かに「生き方」を考えるひとつの手段かも知れない。「メメント・モリ」(死を思え)であろう。でも「ダンボールの棺おけ」って、結構いいお値段するのね。置いておくところがないわ。毎日その中で寝ていたら、「ドラキュラ」みたいだし・・・。

 

 


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(2012、3、13読了)

2012年4月10日 18:15 | コメント (0)

新・読書日記 2012_050

『大学の思い出は就活です(苦笑)~大学生活50のお約束』(石渡嶺司、ちくま新書:2012、3、10)

 

石渡さんの最新刊。ちょうど2年半ぶりぐらいで石渡さんと飲もうということになって、その前々日ぐらいにこの本が出ているのを発見!「半分ぐらい読んだよ」と当日伝えたら、「もう買ってくれていましたか・・・持ってきたんですが・・・」

と。甥っ子が大学に受かったと伝えたら「じゃあ、その甥ごさんに」と、1冊頂きました。ありがとうございます。まだ渡せていません。ゴメンナサイ。

タイトルにあるようなことを面接で言ったら、そりゃあ「苦笑」ですよね、採用サイドは。私も面接官をしたことがありますが、一番腹が立ったのは、終始下を向いてモジモジして小さな声で、

「私は・・・いつも、『○○ちゃんは明るいね』・・と言われます・・・元気だけが・・・取り柄です・・・・」

と言う人。おかしいやろ!全然明るくないやん!もし本当にそう言われているのなら、それは「嫌味」やろ!気付けよ・・・。とまあ、「マニュアルどおり」答えようとしているかわいそうな人、困り者です。

そんな人にならないために、この本を読みましょう!

 

 

 

 


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(2012、3、12読了)

2012年4月10日 14:14 | コメント (0)

新・ことば事情

4677「テキサス」

 

ダルビッシュ有投手の新本拠地テキサス・レンジャーズ。

その様子を3月28日の「ミヤネ屋」で紹介しました。それを見ていて、

「もしかして、『テキサス』という地名は、スペイン語では?『テ・キサス』では?」

と思いつきました。

「キサス、キサス、キサス」

というスペイン語の曲が、昔ありましたよね?調べてみたら、

「『キサス・キサス・キサス』は、キューバのオスバルド・ファレス (Osvaldo Farrés) 作曲の1947年発表の曲『Quizás, quizás, quizás』。『たぶん、たぶん、たぶん』という意味である」

と出ていました。これは「たぶん」・・・・。「テキサス」の語源も検索してみたら、

「『テキサス』という名称は、Hasinai インディアンの言葉で"友人"を意味する"Tejas"に由来する。」

ということでした。ありゃあ、違った。でも先住民の言葉が語源なのか。その意味では、「アイヌ語」を漢字に置き換えた、

「北海道の地名」

似たところがあるのかもしれませんね。

 

と書いて、一晩明けて、朝。

ダルビッシュ、公式戦初登板。会社に着いてテレビを見ると、2回で5点も取られていました。投球数も50球を超えています。ダルビッシュはここ3年、日本でも開幕投手で3連敗、去年は7点も取られていたことから考えると、開幕戦には弱いのかなあ・・・。

 

(2012、4、10)

2012年4月10日 10:27 | コメント (0)

新・ことば事情

4675「ヤマウドのアクセント」

 

「ヤマウド」

のアクセントについて質問を受けました。

「ヤ/マウ\ド」(中高アクセント)か?「ヤ/マウド」(平板アクセント)か?

という問題。私は「平板アクセント」ですね。『NHK日本語発音アクセント辞典』で「山○○」という単語は、

「山芋」「山犬」

しか載ってなくて、どちらも「平板」アクセントの、

「ヤ/マイモ」「ヤ/マイヌ」

もともとの「芋(イ/モ\)」「犬(イ/ヌ\)」は「尾高」。「ウ\ド」は「頭高」。

「ウ\ド」と同じ「頭高」のもので「山」とくっついているものはないか?と見ていたら、

「山姥」

がありました。

「ヤマウバ」

と読みます。(普通はなまって、「ヤ/マ\ンバ」と言いますが。)「姥(ウ\バ)」のアクセントは「頭高」です。

これが『新明解国語辞典』では「2」「0」となっているので、

「ヤ/マ\ウバ」(中高)、「ヤ/マウバ」(平板)

の順で載っていました。おそらくまず「中高」があって、それがだんだん「平板」に代わってきたのではないか?

『新明解日本語アクセント辞典』によると、なんと、

「ヤ\マウバ」「ヤ\マンバ」

「頭高アクセント」になっています!そしてその後ろに、

「(新はヤ/マ\ウバ ヤ/マ\ンバ)」

「中高アクセント」も「新しいアクセント」として載っています。「中高」の前に「頭高」があったのか!それがさらに「平板」に変わろうとしているのか?

「赤トンボ」が、

「ア\カトンボ」→「ア/カト\ンボ」

に変わったようなものか?

そうすると、「ヤマウド」も最初は「頭高」で、

「ヤ\マウド」

だった可能性がありますね。それが「ヤ/マ\ウド」「ヤ/マウ\ド」と「中高」になって、さらに「平板化」して、「ヤ/マウド」になったとか・・・。

アクセントの変化は、本当になかなか、ついていけない部分があります。

 

(2012、4、9)

2012年4月10日 02:50 | コメント (0)

新・読書日記 2012_049

『死ぬことを学ぶ』(福田和也、新潮新書:2011、2、20)

 

この人、私と1歳しか違わない同世代なのだけど、ずっと年上のように思えてしまいます。風貌も何もかも。「老成」という言葉がお似合いです。

話し言葉口調で書かれた本書は著者の深い知識を余すところなく披露している。それにしても「死者の置き土産」の「墓」を回る趣味かあ・・・なるほどなあ。

折口信夫が「コカイン中毒」とともに「男色」も有名だったとはシリませんでした。「コカイン中毒」と言えば「シャーロック・ホームズ」か。「コカイン」、昔は今のような存在ではなかったのかなあ。折口信夫と羽咋の関係も知りませんでした。本当に「羽咋」で知っていることと言えば「UFO」ぐらいのもので。勉強になりました。

 

 


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(2012、2、25読了)

2012年4月10日 09:08 | コメント (0)

新・読書日記 2012_048

『日本人はどう住まうべきか?』(養老孟司・隈研吾、日経BP社:2012、2、6第1刷)

 

おなじみ脳科学者の養老先生と、建築家の隅研吾さんの対談集。「都市」を否定していた養老先生が今回の震災をどう見たのか。建築家として隅さんが「地震」「津波」に強い家をどう考えるのか?隅さんの建築物は「地下」に作ったりしているようだが、「対・津波」の建物としても「地下」を想定しているようだ。大丈夫なのかな?確かに「水」が入ってこなければ「地下」なら流されることもないかも。その前の「地震」に対してどのぐらいの耐性があるのだろうか?震災復興と、今後の災害対策には、今までになかったような発想も必要かもしれない。

 

 

 


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(2012、2、29読了)

2012年4月10日 01:07 | コメント (0)