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『道浦TIME』

新・読書日記 2016_206

『ジャニーズと日本』(矢野利裕、講談社現代新書:2016、12、20)

著者は1983年生まれ。子どもの頃からSMAPがいた世代。この年末に出た4冊の「SMAP関連の新書」の著者の中では一番若い。そして本書の企画は「解散騒動」前に立ち上がったそうだが、だからこそ、その騒動の経過を取り込みつつ「そもそも、ジャニーズとは」という大きなテーマに迫ることができたのだと思う。

移民2世であるジャニー喜多川さんが、日本に戻って来て描いた夢は、「アメリカ流のエンターテインメント」を日本で実現すること。143ページあたりで作曲家の「服部良一」に触れており、ジャニーズの各グループの曲の中に、笠置シヅ子「買い物ブギ」や美空ひばりの「お祭りマンボ」へのオマージュの曲があり、ジャニーズ全般に漂う「ジャマネスクへの憧れ」的な空気は、アメリカで幼少期を過ごしたジャニー喜多川さんの「日系人的なモノの見方」に由来するというようなことが記されている。日経新聞でこの11月に連載されていた服部克久さんの『私の履歴書』を読んでいたので、「なるほど」と思えた。

ジャニー喜多川は「ジャニーズ」を通じて「民主主義精神」を日本に配ったという。『「ジャニー喜多川」その戦略と戦術』という本から、ジャニー喜多川のこんな発言も紹介されている。

「人間はだれでも素晴らしい才能をもって生まれてくる。その才能の中身は違うから、その特徴を伸ばしてやる。それが個性というものだから。ただそれだけ。叱ったりせず、引き出してやるのが僕の役目」

これって、まんま『世界に一つだけの花』の歌詞じゃない!

著者は最後に、こんな「願い」を記している。

「誰かに抑圧するようなかたちで維持される芸能のありかたは、もうやめて欲しい。ミュージカル、スウィングジャズ、ディスコ、フリーソウル、ヒップホップ・・・。さまざまな抑圧から解放され、自由になるためにこそ、音楽やダンスはあったはずである。ジャニーズの志向したものは、グループや時代によってさまざまだが、その点においいてはいつの時代も一貫していた。(中略)戦後日本ショービジネスを支えたジャニーズに、最大限のリスペクトと批判を捧げる」。


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(2016、12、28読了)

2016年12月31日 11:39 | コメント (0)

新・ことば事情

6226「『じいじ』と『ばあば』」

最近、「おじいちゃん・おばあちゃん」のことを、

「じいじ・ばあば」

と呼ぶ傾向があります。これに関しては7年前に、2010年版の『現代用語の基礎知識』に書きました。その原稿を引用します。

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「祖父、祖母」のことを「じいじ、ばあば」と呼ぶ幼児語を、子供だけでなくその両親や祖父・祖母自身が「じいじ、ばあば」と言う傾向がある。国立国語研究所が20093月、全国で803人に「じいじ」「ばあば」という言葉を使うことがあるか調査したところ、「ある」と答えた人は約24%だった。この言葉は首都圏と東海地方を中心に使われており、特に首都圏の50代以下の女性が突出して使っている。父母のことを「パパ、ママ」と呼んだ場合、祖父母の対になる呼称がないために、響きの優しい「幼児語」を持ってきたのかもしれない。中にはこの呼び方に違和感を持つ人もいる。2008823日の読売新聞YOMIURI ONLINE「発言小町」に、「子供に、祖父母を『じぃじ』『ばぁば』と呼ばせることにとっても抵抗がある」という30代半ばの母親が投稿している。この人の実母も「孫に"ばぁば"と呼ばれるのは抵抗がある。ちゃんと"おばあちゃん"と呼んでもらいたい」と言っているという。この投稿に同意する書き込みも複数されている。

200971日の朝日新聞のネット記事には、国立国語研究所の調査を取り上げた上で、『広がった明確なきっかけは不明だが、朝日新聞では「ひととき」欄などで80年代から使われている。04年にはNHKのテレビドラマ「ジイジ 孫といた夏」が放映され、西田敏行さんの「ジイジ」役が好評で、「じいじ」「ばあば」の普及に一役買ったようだ。』と記されている。読売新聞では「ばあば」は19918月の投稿記事「ばあばの作った野菜」が初出。一方「じいじ」は、「じいじい」の形では199910月に四国の小学5年生の書いた作文「じいじいとさぬきうどん」が記事になった時に出てくるが、「じいじ」の形では20024月、鹿児島の動物園の飼育員(57)が初孫に「じいじ、コアラは元気?」と話しかけられるシーンの記事で初めて出てくる。20098月の読売新聞夕刊「いやはや語辞典」では高井有一氏が「"ぢいぢ""ばあば"目尻下がる不思議な響き」として取り上げている。

国語辞典では2007年秋改定の『広辞苑・第6版』にじは「じいじ=(ジジの長音化)祖父を親しんで呼ぶ幼児語」として載っている。(「ばあば」も同様)第4版、5版には載っていない「新語」。少子化で子ども(幼児)目線に立ちすぎて出来た言葉か?自分の息子を「王子」、娘を「姫」と呼ぶ風潮とも連動している可能性がある。育児関連の雑誌が起源だという説もあるようだ。  

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と、ここまでが、これまでの「基礎知識」。さて、きょう(2016年12月29日)の日本テレビお昼のニュース番組『ストレイトニュース』では、お正月休みを故郷で過ごそうという人たちの帰省ラッシュのニュースを伝えていました。

その中で、新幹線の駅(たぶん東京駅だったと思いますが)で「これから、どこへ行くの?」とインタビューされていた、小学校低学年と思われる女の子が、こう答えていました。

「広島のおばあちゃんと、ばあばのおうちです」

え?「おばあちゃん」と「ばあば」?おんなじじゃないの?と思いましたが、

「あ、そうか、『内孫』と『外孫』、つまり『父方の祖母』と『母方の祖母』で、呼び方を変えているんだ!」

と気付きましたが、どちらが「おばあちゃん」で、どちらが「ばあば」なのか?は、わからないままでした。

それよりも、

「『おじいちゃん』と『じいじ』」

は、一体どこへ行ったのでしょうか・・・・。

(2016、12、29)

2016年12月29日 22:18 | コメント (0)

新・ことば事情

6225「糸魚川の読み方」

新潟・糸魚川市の144棟を焼いた大火災から、1週間が経ちました。

火災は鎮火しましたが、まるで空襲の後のような状態はそのままです。お正月を控えて、一日も早い復旧・復興を祈ります。

さて、この地名の、

「糸魚川」

ですが、有名な地名だけれども、

「なぜ『魚』を『い』と読むのか?」

は多分、多くの人が疑問に思っているのではないでしょうか?私も「なぜだろうなあ?」と一瞬考えて、正解と思われる考えが思い浮かびました。

「古語では『魚』は『いお』と言ったので、元々は『糸魚川』と書いて『いといおがわ』と読んだ(呼んだ)のだろう。それがだんだん訛って、

『いとおい』→『いとい』

になったのではないか?」

と。

『精選版日本国語大辞典』「いお」を引くと『語誌』の欄に、こうありました。

「同義のウオ(ヲ)は奈良時代から使われたが、イオ(ヲ)のたしかな例は平安時代からになる。ただし、イオがウオに取って代わることはなく、散文にイオ、和歌にウオという使い分けが認められる」

ほー、「ウオ」のほうが古いのか。で、「イオ」は「散文」に使われたと。「ウオ」は「和歌」だったのですね。今は「イオ」のほうが、和歌に使われていそうな感じがしますが・・・。たぶん、

eo光」

は、この「イオ」とは関係ないと思います。

(2016、12、29)

2016年12月29日 21:15 | コメント (0)

新・読書日記 2016_205

『SMAPと平成ニッポン~不安の時代のエンターテインメント』(太田省一、光文社新書:2016、12、20)

本を買ってから気付いたのだが、この本著者が描いた本は、以前『紅白歌合戦と日本人』という本をおもしろく(興味深く)読んだことがあった。「大衆音楽」という視点から見る日本人論を本筋としている社会学者のようである。(著者の紹介文では「テレビと戦後日本の関係が研究および著述のメインテーマ」とある。)1960年生まれ。同世代。「2016読書日記203」で読んだ『SMAPと平成』(朝日新書)の著者・中川右介さんと同い年。

「"世界に一つだけの花"=オンリーワンであるSMAP」を求め続けるファンは、「平成ニッポン=不安の時代」を生きる人々。これまでの「カッコイイアイドル」ではなく、団塊ジュニア世代にあたる「等身大のアイドル」を求めた人々。「作り物」ではなく「自然体」。「アイドル」が出演する「音楽番組」がなくなっていった「90年代=平成」。彼らSMAPが、「ジャニーズの本山」である「ステージ=ミュージカル」ではなく「テレビ」で、タレントとして生き抜いていくためには、歌・踊りができ俳優にもなれるアイドルであるだけでなく「お笑いもできるテレビタレント」としての道を選ばざるを得なかった。そして彼らはその道が性に合っていたということだ。

85ページあたりに、服部良一&笠置シヅ子とジャニーズ・SMAPとの関係が記されているが、11月1日から30日まで日本経済新聞『私の履歴書』で連載していた作曲家・編曲家の服部克久氏の自伝(2016読書日記200『私の履歴書~服部克久』で書きました)を読んでいたので、「そう繋がって来るか!」とより深く読み込むことができた。

「あとがき」では、解散発表後の「SMAP×SMAP」に登場した2人のゲスト、松任谷由実(10月31日放送)と谷村新司(11月7日放送)とのコラボにも触れている。

「SMAPとともにあった日常が、このまま続くことを願う気持ち」

が著者にもあった、と。

それを読んで思ったのは、生物学者・福岡伸一氏が著作で述べる、

「動的平衡」

という言葉・概念だ。それは、

「同じであり続けるために、変わり続ける」

ということである。SMAPの中の多くのメンバーは、

「動的平衡」

を求めたが、ジャニーズ事務所側は、

「静的平衡」

を求めたということではなかったのだろうか。

かくして「平成」という時代を象徴する一つの偉大なグループは、その歴史に幕を閉じるのである。


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(2016、12、23読了)

2016年12月30日 17:47 | コメント (0)

新・ことば事情

6230「木村さん、剛くん、慎吾ちゃん」

12月21日のフジテレビ「とくダネ!!」を見ていたら、この日発売される「SMAP25周年」のCDアルバムについて、CDを買いに行ってインタビューされていた40代の女性ファン(テロップがそう出ていた)が、メンバーの名前をこんな風に呼んでいました。

「木村さん、剛くん、慎吾ちゃん」

つまり、「さん・くん・ちゃん」という「3通りの呼び方」が混在していたのです。

それを聞いて

「この40代女性の年齢と立ち位置が、よく分かる発言だなあ」

と思いました。

SMAPのメンバーの生年月日生まれ年は、早い者順に、

中居正広=1972年 8月18日

木村拓哉=1972年11月13日

稲垣吾郎=1973年12月 8日

草彅剛 =1974年 7月 9日

香取慎吾=1977年 1月31日

ですから、「さん・くん・ちゃん」というのは、

「さん」=年上

「くん」=同い年

「ちゃん」=年下

と考えられますので、この「40代女性」は、

「木村 > 草彅=40代女性 >香取」

となり、「1974年生まれの学年」ではないか?と推測されますね。

(2016、12、22)

2016年12月31日 22:23 | コメント (0)

新・ことば事情

6229「あばよ」

テレビで柳沢慎吾さんを見かけました。柳沢さんの口癖(?)で「別れの言葉」と言えば、

「あばよ」

ですが、この「あばよ」とは、どういう語源なのか?

ちょっと考えて思い浮かびました。

もともとは、

「さらばよ」

だったのでしょう。その「さら」が「あ」になったのが、「あばよ」なのではないでしょうか?「さ」も「ら」も母音は「あ」だから「あ」つながりになりやすいのでしょう。同じようなものには、

「おっす」

があります。これは当然、

「おはようございます」

が縮まって、

「おはようございます」→「おはよっす」→「おーっす」→「おっす」

となったのでしょう。また、同じように、

「ちーっす」

はというと、「こんにちは」が語源だと思うのですが、「おはようございます」に比べると「こんにちは」は、

「丁寧さに欠ける」

ようなイメージがあるのではないでしょうか?「こんにちは」も元々は、

「こんにちは、ごきげんうるわしゅう・・・」

などの「省略形」ですもんね。そこで「こんにちは」に、「でございます」を省略した「です」を付けて、

「こんにちは、です」

にして、それが、

「こんにちは、です」→「こんちはです」→「こんちはっす」→「ちはっす」→「ちーす」

になったのでしょう。人間は、なんと省略するのが好きなのでしょうか!

(2016、11、29)

2016年12月31日 20:22 | コメント (0)

新・ことば事情

6228「もこみち君か?もこみちさんか?」

日本テレビの朝の番組『ZIP!!』の中の人気コーナー「MOCO'Sキッチン」。

このナレーターの女性アナウンサーの声が、コーナーが始まった当初の延友陽子アナウンサーは、

「もこみち君」

と、「君」で呼び、その女性が男性を「君付け」で呼ぶ感じが、

「お姉さん感」

があって良かったのです。その後任の徳島えりかアナウンサー「君付け」にしていたので、

「このコーナーの特徴として『もこみち君』と呼ぶ」

のだと思っていたら、去年ぐらいに交代した中島芽生アナウンサーは、

「もこみちさん」

「さん付け」で呼んでいます。

これは、もこみちさんとの「年齢差」によるものだと思われます。

3人の女性アナウンサーと、速水もこみちさんの「生まれ年」を調べてみると、

速水もこみち=1984年 8月

延友陽子  =1974年10月

徳島えりか =1988年 9月

中島芽生  =1990年 4月

ということで、「もこみちさん」より「年上」は「延友アナウンサー」だけでした。

徳島アナウンサーは、もこみちさんより「4学年下」ですが、番組のトーンとして「君付け」をしていたのでしょうかね?

でも、中島アナウンサーになると「6学年下」ですし、キャラクター的にも「君付け」よりも「さん付け」のほうが合っているという判断だったんでしょうかね、推測ですが。

「さん」になってしばらくは、ちょっと違和感があったのですが、もう慣れれば、どちらでも良い気がします。

(2016、11、29)

2016年12月31日 12:20 | コメント (0)

新・ことば事情

6227「万球」

11月23日の日本テレビ「スッキリ!!」で、各地の「クリスマス・イルミネーション」を紹介していました。その中で

「LED500万球」「電球55万球」

というように、電球の数を「個」ではなく、

「球」

で数えているのに気付きました。たしかに「電"球"」ですから「球」でも問題ないんですが、普通は、

「個」

を使うのではないかなと思いました。つまり,

「『万球』ではなく『万個』」

もしかしたら、

「マンコ」

という「音」を避けたのでしょうか?

・・・などと思っていたら、通勤で使っている京阪電車の車内アナウンス(録音)で、「ひらパー」で知られる遊園地「ひらかたパーク」の広告を流していました。そこではイルミネーションについて、女性の声で、

「150万球」

と言っていました。関西ですから別に「万個」でいいと思うのに「万球」です。

遊園地業界では「万球」を使うのかもしれません。

そう思っていたら12月24日の朝日新聞で、福岡・中の道公園のイルミネーションを、

「一万個」

と表現していました。新聞は「音」にしないから「万個」で問題ないのかもしれません。

グーグル検索では(12月28日)、

「万個」=748万件

「万球」= 44万件

とケタ違いに「万個」が多かったのですが、これに「イルミネーション」を加えて検索すると、

「万個・イルミネーション」=61万8000件

「万球・イルミネーション」=54万6000件

で、「ほぼ互角の戦い」になりました。

(2016、12、28)

2016年12月30日 20:19 | コメント (0)

新・ことば事情

6224「四斗樽は三斗樽?」

12月21日、ことしは、きょうが「冬至」です。

読売テレビのお昼のニュースで京都の造り酒屋さんが、お正月の「鏡割り」(「鏡き開き」とも)に使われる「菰樽(こもだる)づくり」の作業がたけなわ、というニュースを伝えていました。ところで、このお酒の入る「樽」は、

「四斗樽」

と言います。これを「よんとだる」と読んだら、先輩アナウンサーに、

「馬鹿野郎!」

と叱られます。これは、

「しとだる」

と読むのです。「四斗(しと)=4斗」は、当然「1斗×4」です。

1斗=10升」

で、「1升=1、8リットル」ですから、

「4斗=40升=40×1,8リットル=72リットル」

ということになりますね。

ところが!

きのう読んでいた飯田朝子さんの新著、

『日本の助数詞に親しむ~数える言葉の奥深さ』(飯田朝子、東邦出版)

を読んでいたら、こんな記述が(110ページ)。

「日本酒の樽は『ひと樽、ふた樽』、あるいは『一本、二本』と数えます。三斗五升(六三リットル)入りでひと樽です」

と記されているではありませんか!

え?「四斗」入るから「四斗樽」じゃないの?「三斗五升」しか入らないのであるなら、

「三斗五升樽」

なのでは?と思って辞書を引いてみると、今度は、こんな記述が。

「酒などが4斗ほど入る大きな樽。現在ではふつう約3斗2升入りをいう」(『デジタル大辞泉』)

え?「3斗5升」でもなく「3斗2升」?もうそれは「四斗樽」ではなく、

「三斗樽」

では?

うーむ、難しいなあ。

(2016、12、28)

2016年12月29日 20:17 | コメント (0)

新・ことば事情

6223「ほのかりんのアクセント」

「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音さんと一緒に飲み会に出ていたとして注目された、タレントの、

「ほのかりん」

さんに関するナレーション原稿が回ってきました。「ほのかりん」さんの所属事務所のコメントで、その吹き替えを録音してくれと。「はいよ!」ということで、すぐに録音しました。その際には、「小倉優子」さんのニックネーム「ゆうこりん」(ユ\ウコリン)と同じように「頭高アクセント」で、

「ほのかりん」(ホ\ノカリン)

と読んだところ、担当ディレクターが申し訳なさそうに、

「道浦さん、すみません、ちょと、アクセントが違うんですけど・・・録り直していただけませんか?」

「え?どういうこと?『ホ\ノカリン』じゃないの?」

「違うんです。『ほのか』が名字で、『りん』が名前なんで、『ホ\ノカ・リ\ン』なんです・・・」

「・・・続けて読んだら、ほぼ一緒やん!」

「でも・・・すみません、録り直し、お願いします。」

ということで、今度はちゃんと、

「ホ\ノカ・リ\ン」

で録音しました。でも、韓国のニュースが延びて、放送されなかったけどな。

(2016、12、19)

2016年12月28日 23:15 | コメント (0)

新・読書日記 2016_204

『大人のSMAP論』(速水健朗・戸部田誠・みきーる、宝島新書:2016、12、24)

「SMAP」について語るべきことを持つ3人による鼎談集。速水健朗氏は「メディア論のライター」としての目線で、戸部田誠氏は「テレビっ子のライター」として、そしてみきーる氏は「ジャニヲタ・女子マインド研究家」の立場で「SMAP解散」について語る。

SMAPの「グループ」としての在り方、その音楽の持つ特性、5人+1人のメンバーそれぞれについての分析、テレビ界におけるSMAPの立ち位置、そしてSMAPなき後のジャニーズと芸能界の未来について、3人がそれぞれの意見を語り合う。3人ともSMAPのファンであり、その価値を高く認めている、速水氏は1973年生まれ、戸部田氏は1978年生まれ、みきーる氏は、わからないが、まあ若いんだろうな(1970年代か80年代生まれでしょう)

SMAPの面々の誕生日は、

中居 正広=1972年 8月18日(44歳)

木村 拓哉=1972年11月13日(44歳)

稲垣 吾郎=1973年12月 8日(43歳)

草彅  剛=1974年 7月 9日(42歳)

香取 慎吾=1977年 1月31日(39歳)

で、一番若い香取君が、もう39歳(もうすぐ40歳)、それ以外の4人は、みんなもう「40代」である。速水氏が稲垣君と同い年。中居・木村の2人は、この本の3人よりも「年上」なのだ。その世代の目線として語られている。「同世代の同時代人による話」なのである。私などはSMAPよりも「ひと回り(以上)」も年上になってしまうので、その辺の実感は違うと思う。この年末に「SMAP解散」にまつわる新書が、異なる書き手によって4冊出されたそれらを読んで来たが、簡単に言うと「著者の年齢によって感じ方・書き方は違う」ということだろう。

きのう(12月26日)「SMAP×SMAP」の最終回を見ていて思ったのは、

「ああ、俺は『スマスマ』って、ちゃんと見たことは、一回も無かったんだな」

ということ。

12月21日に発売された「デビュー25周年」の、ファンのリクエスト・ランキングによる3枚組アルバムも購入した。1位から50位までの「50曲」が収録されているが、「あ、聞いたことがある。知ってる」という曲は「世界に一つだけの花」「らいおんハート」「青いイナズマ」「SHAKE」など数曲しかなかった。大ヒットした、みんながよく知っている曲だけだ。つまり私は「SMAPのファンではなかった」のである。改めて、それを感じたのだが、とすると「平成」を、私はどういう風に生きて来たのだろうか・・・?

12月23日紙面に発表された読売新聞の「今年の十大ニュース」の国内版。ここには何と「SMAP解散」は入らなかった、「20位まで」にも入っていなかったのだ。これは「読売新聞の読者」は「SMAPを、平成を代表すグループである」とういう認識が無いことを意味する。これはとりもなおさず「新聞読者が、いかに高齢であるか」ということの証明のように感じた。


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(2016、12、20読了)

2016年12月30日 12:01 | コメント (0)

新・読書日記 2016_203

『SMAPと平成』(中川右介、朝日新書:2016、12、30)

著者の中川さんから贈って頂いたが、その前に自分で本屋さんで購入して読み出していた。

この2か月で新書3冊という驚くべき健筆ぶり!ただ、この「SMAP」本は、『月9』の副産物で書けた漢字もする。資料などは重なっている部分もあるだろうし、1つの資料を別の視点からピックアップして一冊にまとめた感じ。ベースの資料の一つは「ザテレビジョン」であると『月9』に書いてあったが、通読して感じたのは、思っていたよりも「平成」=「天皇」との絡みが少なかったなと。「SMAP」を語る際の「背骨」となっているのが、SMAPの出した曲の「オリコンチャート」になっているということ。

石原裕次郎や美空ひばりが「昭和」という時代を象徴するアイドルであったことを考えると、「SAMAP」の「6人」(森且行を含む。この本は、森の脱退までの流れが、主に書かれている)はまぎれもなく「平成」という時代を通して「時代を代表するアイドル」であると言えるのだなあと思った。しかし、個人的には、特にCDを買った訳ではないし(「世界に一つだけの花」だけです、買ったのは)、ドラマでもタイトルは知ってるけど、見たことがあるのは「ロンバケ」だけと言ってもいいぐらいなので、まったく私は「時代」に載って来なかったんだなあと思いました。個々には書かれていないけど稲垣君が出ていた「ソムリエ」は見たな。ワイン漫画だったから。

「SMAP」と「天皇陛下」をともに「国民の象徴」として捉えた視点は興味深かったが、天皇陛下が「生前退位」(譲位)というお考えを表明したのに対して、「SMAP」の解散は、所属事務所の社長が「退位しない」ことの表われであった点で、180度違うのだなとも思った。


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(2016、12、19読了)

2016年12月29日 12:00 | コメント (0)

新・読書日記 2016_202

『私の履歴書~服部克久』(日本経済新聞:2016、11、1~11、30)

11月1日から30日まで日本経済新聞『私の履歴書』で連載していた作曲家・編曲家の服部克久氏の自伝。面白かったですね。著名人が次々と出て来るから。

「ブギウギ」「タンゴ」の曲を多く作った、お父さんの作曲家・服部良一の発言、

「古賀(政男)先生の歌は首を横に振るが、おれの歌は縦だ」

とおっしゃっていたというのは興味深い。

「父の作る曲はリズムの乗りが洋楽的だった」

"縦ノリ"なんですね。演歌の源流と言われる「古賀メロディー」に対して、「ビート」の効いた「服部サウンド」。

そのお父さん(良一)が、1950年に笠置シヅ子さんと一緒にハワイを振り出しに、ロサンゼルスやニューヨークで公演をしたというが、ロスで通訳を兼ねてお世話をしてくれたのが、何と現在のジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんと、姉で副社長のメリー喜多川さんだという。66年前は、まだ20代の若者だったのですね。その後、姉弟が日本に移住した際には、

「しばらく我が家に入り浸っていた時期がある。僕や妹はすっかり彼らと仲良しになった。その後も笠置さんの誕生日になると、必ずジャニーさんが遊びに来ていた。」

著者の服部克久さんは、1969年のジャニーさん企画・演出のフォーリーブスのミュージカル『少年たち』で音楽を担当、1993年の父・良一さんの葬儀では、ジャニー喜多川・姉弟共に親族席に座ってもらったと。父・良一さん愛用のピアノをジャニーさんにプレゼントしたらとても喜んでくれて、ジャニーズ事務所の歌手の舞台で使ってくれたそうだ。また、

「今もよく電話でやりとりをする仲」

なのだそうだ。意外な、というとおかしいが、そんな交流・つながりがあるんですねえ。勉強になりました。本になったら、また、買って読むと思います。

なお、後で読んだ『SMAPと平成ニッポン~不安の時代のエンターテインメント』(太田省一、光文社新書)の85ページあたりに、服部良一&笠置シヅ子とジャニーズ・SMAPとの関係が記されているほか、『ジャニーズと日本』(矢野利裕、講談社現代新書)でも143ページあたりで服部良一に触れており、ジャニーズの各グループの曲の中に笠置シヅ子「買い物ブギ」や美空ひばりの「お祭りマンボ」へのオマージュの曲があり、ジャニーズ全般に漂う「ジャマネスクへの憧れ」的な空気は、アメリカで幼少期を過ごしたジャニー喜多川さんの「日系人的なモノの見方」に由来するというようなことが記されている。

この「私の履歴書」を読んでいたので、「なるほど」と思えた。


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(2016、11、30読了)

2016年12月28日 19:58 | コメント (0)

新・読書日記 2016_201

『「残業ゼロ」がすべてを解決する』(小山昇、ダイヤモンド社:2016、12、1)

電通問題以来、「残業削減」が、これまで以上に課題となって来ている。そんな時に見かけたこの本、すぐに買ってしまった。しかしちょっと読んでみたら、どうも会社の形態や規模がうちとは違うし、参考になるのかな?とも思ったが、具体的な個別の事例は、多少参考になる。そして最後にまとめて、

「躍進する32社の社長がこっそり教える『残業ゼロ』を実現する5つの秘訣」

というのがあったので読むと、既にやっていることもあるが、参考にはなった。

その5つとは・・・

それを書くとこの本を買う人が減るので差し控える。詳しくは本を買って読んでいただきたい。1つだけ、「一番私が参考になった」のは、

「『終りの時間』を決める」

ということだ。「やっぱりそうか」という気がしました。


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(2016、12、18読了)

2016年12月27日 12:27 | コメント (0)

新・読書日記 2016_200

『日本テレビの「1秒戦略」』(岩崎達也、小学館新書:2016、12、6)

著者は1956年生まれ。博報堂のコピーライターから日本テレビに転職。「それって、日テレ」のブランドイメージ戦略などを担当。宣伝部長、編成局エグゼクイティブディレクター、「日テレアックスオン」(日テレの関連会社)の執行役員などを務めた後に、法政大学大学院客員教授を経て、現在、九州産業大学教授だそうだ。

難攻不落の難敵・フジテレビを徹底的に分析して、その攻略を計画・実行したことで、現在の日本テレビの高視聴率を築くことができたと。

フジテレビは「自分たちが好きなことが、視聴者のためになる」と考え、日本テレビは「視聴者の好むことが、視聴者のためになる」と、共に「視聴者のため」を考えて番組作りをするのだが、その姿勢は「180度違う」と。

全体的には「テレビ業界の教科書」みたいな感じで、私達、内部の物から見れば「大体、知っている」ことが書かれている。新入社員や、テレビ業界を目指している学生さんなどに読ませると、ピッタリかもしれない。


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(2016、12、17読了)

2016年12月26日 21:25 | コメント (0)

新・ことば事情

6222「白煙・黒煙のアクセント」

ご存じのとおり、白い煙を「白煙」、黒い煙を「黒煙」と言います。

このアクセントに関して言うと、標準語では

「ハ/クエン」

「コ/クエン」

と、共に「平板アクセント」です。ことし5月に18年ぶりに出た『NHK日本語発音アクセント辞典』では、「平板アクセント」しか載っていません。しかし最近、違うアクセントを耳にしました。

12月5日の日本テレビ『スッキリ!!』では、女性アナウンサーが、1回目は「平板アクセント」で、

「ハ/クエン」

でしたが、2回目に、

「ハ/ク\エン」

という「中高アクセント」で読んだのです。

それだけなら、単なる「言い間違い」かも知れないのですが、今度はきょう(12月21日)の「スッキリ!!」の中のニュースコーナーで、メキシコの首都・メキシコシティー近郊のトゥルテペックという町にある花火市場で現地時間の今月20日爆発が起き、少なくとも26人が死亡、70人が負傷したというニュースを伝えた女性キャスターが、

「黒煙が上がって」

という原稿の「黒煙」を、

「コ/ク\エン」

「中高アクセント」で読んだのです。「中高アクセント」の「コ/ク\エン」は、

「黒鉛」

であり、そんなものが上がるのは、

「チェルノブイリ型の原子炉」

であり、花火どころの話ではなくなってしまいます。

最近は、もしかしたら

「『○○煙』と書かれた『○○エン』という言葉を『中高アクセント』で読む」

傾向があるのではないか?と思ったのでした。

危惧しています。皆さん、アクセント辞典を引きましょう。

(2016、12、21)

2016年12月23日 12:45 | コメント (0)

新・ことば事情

6221「悔いは1ミリもない」

12月16日、USJを今の企画満載の会社にテコ入れをした執行役員、森岡毅氏(44)が、USJを退社するというニュースが流れました。その会見で森岡執行役員は、

「やるべきことは、全てやった。悔いは1ミリもない」

と言っていました。

それを耳にして思ったのは、

「『悔い』というのは『1ミリ』という『長さ』で計るものなのか?」

ということです。もしかしたら、

「1ミリ(グラム)」

という「重さ」かもしれませんが。

似たようなものに、

「一寸の虫にも五分の魂」

というのがありました。あれは「虫の体長」なので「一寸」と「五分」ということになっているのですね。この「五分」に関しては、以前、書きました(「平成ことば事情4997)が、謎は解けないままになっています。つまり「五分」が、

(1)5%

(2)50%

という2通りが考えられるというところで止まっています。

元に戻って、

「『悔い』は『長さ』か?」

です。これが「杭」であれば「長さ」か「太さ」でしょうけど・・・。

あ、そうか、「悔い」が、

「深さ」

であるとすると、「長さの単位」で表現することもありうるな。もしくは、

「時間の長さ」

なのかもしれません。でもその場合は、

「悔いは1秒もない」

と、やはり「時間の単位」で示すでしょうね。

「悔い」が、これまでやって来た仕事の中における「割合」だとすれば、「一寸の虫にも五分の魂」のように、

「一分(いちぶ)の悔いもない」

という言い方もあるかもしれません。あれ?そうなると、

「一分(いちぶ)の隙もない」

という場合の「一分」は何だろう?「10%」かな?「10%」では隙間が大きすぎる気がするし。わあ、また悩みが増えたあ!!

(2016、12、21)

2016年12月22日 15:00 | コメント (0)

新・読書日記 2016_199

『日本の助数詞に親しむ~数える言葉の奥深さ』(飯田朝子、東邦出版:2016、11、1)

2009年に、新聞用語懇談会放送分科会で『放送で使用する助数詞』という冊子をまとめた。3年以上(だったかな)の討議を要した。「なんで、日本語には助数詞なんて面倒なものがあるんだ!」「助数詞は、1つの物に1つで良いじゃないか」と思っていたのが、調べれば調べるほど、その「奥深さ」に惹き込まれていった。その討議の際に、「参考書」として、飯田朝子さんの『数え方の辞典』を活用させてもらったが、もう『数え方の辞典』が出て(2004年)から12年もたったんだなあと、それも感慨が深い。

折りも折り、ことし10月に開かれた「関西地区新聞用語懇談会」のテーマが「助数詞」であった。その会議の翌日、たまたま本屋さんでこの本を見つけて即購入。なんと、会議で討議された助数詞のほとんど全てが、この本に載っていた。きれいなイラストも多く、読み物としても良いし、とっても「上品」な一冊だと思います。


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(2016、12、20読了)

2016年12月24日 18:51 | コメント (0)

新・読書日記 2016_198

『ビジネスエリートの新論語』(司馬遼太郎、文春新書:2016、12、10)

結構、話題の本みたい。若き日の産経新聞記者・司馬遼太郎こと福田定一が書いたものが、20年ぶりに新刊として新書で出たと。

読みやすいです。司馬遼太郎は、最初から産経新聞の大阪に勤めていたと思ったら、違うんだね。復員してきて、大阪・鶴橋で、就職するためにまずは「靴」を買おうと思っていて、たまたま見かけた「記者募集」の張り紙で、一緒にそれを見つけた男と共にその小さな新聞社に面接に行く。「もう募集は締め切った」というところを、その一緒に受けに行った男のせいで(?)強引に面接してもらって受かってしまう。その後も、いくつかの新聞社を渡り歩いているのだ。そこで知り合ったというか、先輩だった2人の「老記者」、味わい深いですね。もう、こんな人はいません。こんな人は「今の会社」では、生きていけないです。当時でも、ギリギリだったのじゃないかな。でも司馬遼太郎は、強烈なインパクトを持って、その人たちのことを覚えている。「人間性」というものでしょうな。

それとやはりいろんな意味で、これが書かれた当時(昭和30年==1955年)とは、もう全然「時代が違う」ということを感じざるを得ないなあと思い、歴史の勉強をさせてもらった気がしました。


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(2016、12、13読了)

2016年12月24日 11:49 | コメント (0)

新・読書日記 2016_197

『スクープ!~週刊文春エース記者の取材メモ』(中村竜太郎、文藝春秋:2016、9、30)

今年に入ってスクープを連発した「センテンス・スプリング」こと「週刊文春」。その特ダネはどのように生まれたのか?現役の「文春記者」は、その正体を明かすと取材できなくなるので、長年「文春記者」を務めた著者が、その「スクープ」の数々の「舞台裏」を記す。中には「オウム事件」など随分古いものもあるが、やはり最初に書かれた「シャブ&ASKA」と名付けられたスクープに関する記述が、今一番注目・旬であろう。

結局「特殊な人脈」を作るというわけではなく、「地道な人脈づくり」がある時、突如として特ダネにつながる、ということのように感じましたけどね。昔で言う「トップ屋」ですね。梶山季之のような。


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(2016、12、12読了)

2016年12月23日 17:48 | コメント (0)

新・読書日記 2016_196

『最も危険なアメリカ映画~「國民の創生」から「バック・トゥザ・フューチャー」まで』(町山智浩、集英社インターナショナル:2016、10、31第1刷・2016、11、23第2刷)

町山さんの本は、見つけたら必ず買うようにしているが、これは出たのに気付かず、読売新聞の書評欄で確認して注文、購入。その後、本屋さんの店頭で発見した。じわじわ売れているのかもしれない。

内容は、少し難しい。いろいろな知識をお持ちなので、それがカットバック的に入って来るので、少しわかりにくい。それほど馴染みのない古い俳優や監督の名前と役名が混在して、ただでさえ、カタカナの外国人の名前は把握しにくいのに、それが「ごっちゃ」になってしまうので。

16章ある映画の紹介の中で最初に読んだのは、最終章。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年公開)と『フォレスト・ガンプ』(1994年公開)が、実は政治的意図を持った映画であると記されたところだ。ともに「ロバート・ゼメキス監督」の作品だというのは、言われて初めて気付いた。この章のサブタイトルは、

「なぜ60年代をアメリカの歴史から抹殺したのか」

え?そうだっけ?と思い出しながら読んでいくと、たしかに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が戻る「30年前」は「1955年」。「60年代」は飛び越えている。それだけでは「それがどうした?」だが、年代を追って主人公のガンプがアメリカの重大場面に顔を出す『フォレスト・ガンプ』では、たしかに「60年代」で一番代表的な「黒人の人権闘争」が出て来ない。そして「ベトナム戦争」は出て来るし、「反戦運動」は出て来るが、反戦運動・フラワーピープルは「ネガティブ」に描かれている。ゼメキス監督へのインタビューの内容などでも、それは裏付けられているという。知らなかった。

黒い表紙に白い三角の帽子というか、目出し帽的マスクを被った人は、言う間でもなく白人至上主義集団「KKK(クー・クラックス・クラン)」だが、「フォレスト・ガンプ」の「フォレスト」は、その「KKK」の創始者「ネイサン・ベッドフォード・フォレスト」から取っていたのだ!知らなかった!

トランプ次期大統領を選んだアメリカに渦巻く通奏低音的な国民の気持ちを理解し、アメリカの「裏歴史」「黒い歴史」を読み解くために必読の一冊。

で、ロバート・ゼメキス監督の作品をそういった目線で見るべく、来年2月10日公開予定でブラッド・ピット主演の『マリアンヌ』という映画の試写会に入って来ましたが・・・わからんかった!そんな視点は、わからんかった!


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(2016、12、11読了)

2016年12月23日 12:47 | コメント (0)

新・読書日記 2016_195

『トランプ大統領の衝撃』(冷泉彰彦、幻冬舎新書:2016、11、25)

アメリカ在住のジャーナリストである著者が、現地で取材して来た大統領選挙の様子を毎週のように詳しくリポートしている。それをまとめたものに、11月最初の「決戦」の様子を付け加えて、文字通り「緊急出版」されたもの。

丹念に読んでいくと「トランプ大統領」に至る過程、風向きの変化は少しずつ感じられていたように思う。「結果」に対する「衝撃」はあったものの、「そうなるかもしれない・・・」ということは、アメリカの人々は感じていたのではないか?というように思った。それだけ、ここ20年ほどの「世の中の流れ」は、耐えられない・我慢ならないものになっていたということだ。


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(2016、12、10読了)

2016年12月22日 17:42 | コメント (0)

新・読書日記 2016_194

『プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争~135枚が映し出す真実』(編著者・田島奈都子、勉誠出版:2016、7、15第1刷・2016、9、30第2刷)

社会言語学者の井上史雄先生が日本経済新聞・日用版の最終面で連載しているコラムで、この本のことに触れていたので購入した。井上先生は、戦時中のこれらのポスターの文字が「右から横書き」か「左から横書き」かという点に注目していて、戦前(戦中)も混在していたことの証拠として捉えていた。

これらのポスターは、長野県金地村の村長(1937年~1945年)を務めていた原弘平(1891年~1950年)という人が集めていた戦意高揚のポスター135枚が、長野県阿智村で見つかったというもの。貴重な資料ですね。中には、有名な日本画家の横山大観や竹内栖鳳(せいほう)、川端龍子(りゅうし)といった人たちが描いたものもあった。へえー。

また、日名子実三(ひなこ・じつぞう)というデザイナーの方が描いたものもあった。この人は、以前、ちょっとだけ調べたことがあるんでが、日本サッカー協会の「八咫烏(やたがらす)」のマークを昭和6年(1931年)にデザインした人で、また、三原順子議員がが国会で取り上げた、宮崎県に今もある「八紘一宇の塔」のデザインもしている人だ。いろんなところで、ちょっとずつ、そういったことに触れる機会があって、非常に興味深い。


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(2016、12、6読了)

2016年12月22日 12:15 | コメント (0)

新・読書日記 2016_193

『属国民主議論~この支配からいつ卒業できるのか』(白井聡・内田樹、東洋経済新報社:2016、7、21)

1950年生まれ、60代半ばの内田と、1977年生まれでまだ30代の白井。ちょうど「親子」ほど年の離れた二人の対談。内田樹いわく「こんなに若いのに、なぜか話がピッタリと合うのが不思議」と。

かなり、「勉強」をしただけでなく、実際「内田の時代の空気」を嗅いでいる感じのする若き論客。メインのしゃべり手は白井で、内田は「聞き手」として話を支えて行く感じで、他の内田の対談や著書とは、雰囲気が違う。

「永続敗戦レジーム」で一躍名をはせた白井だが、『永続敗戦レジーム』というのは、つまり「属国民主主義」なのであると。帯には、

『「コスパ化」「消費者化」「数値化」「幼児化」「階級化」をキーワードに徹底徹討議!』

とある。興味深い。

白井は、「安倍・橋下の政治手法にはファシズム的な共通点がある。それは『人々の悪感情に依拠する政治』だ。政治に求められる本来の役割は、悪い感情が大きくならないよう、できるかぎり対処する事だと思うが、自らが権力を持つために、人々の悪い感情を血用紙、増幅しようとするのがファシズムだ」

なんか、「トランプ氏」のことを指しているのかと思った。

世界中がそんな方向に向かっている。「トランプ菌」に感染するとみんな「下品」になり、「周囲の人間のことを思いやらない、自分本位の言葉」を遠慮なく吐きまくるようになる。WHO(世界保健機関)は、この菌の「パンデミック」を防がないといけないのではないか。もう、手遅れか?


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(2016、10、12読了)

2016年12月21日 18:14 | コメント (0)

新・読書日記 2016_192

『政府はもう 嘘をつけない』(堤未果、角川新書:2016、7、10)

1章の「金の流れで『アメリカ大統領選挙』が見える!」が面白かった。なるほどそういう視点で見ると、まるで「赤外線カメラ」で見ているような風景が見えて来るのか!と思った。

第2章の「日本に忍び寄る『ファシズムの甘い香り』」は、これまでにも書かれている著者の主張が記されているように感じた。全体に「金」をキーワードに斬っていくというのは、ありそうでなかった視点のように感じました!

あっ、これを読み終わった日に「網膜剥離」になったのですが、23日間の入院費用の約半額は「高額療養費制度」によって賄われました。(残りは、自分がかけている「生命保険」の「入院特約」でほぼ賄えました。月々の掛け金から言えば、少し取り戻せた、ということですが。また「入院4日目」までの分の「日額」は出ませんでした。)

日本の医療保険制度に感謝します!


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(2016、8、31読了)

2016年12月21日 11:13 | コメント (0)

新・読書日記 2016_191

『日本語の建築~空間にひらがなの流動感を生む』(伊東豊雄、PHP新書:2016、11、29)

建築界のノーベル賞とも言われる「プリツカー賞」も受賞した世界的な建築家の著者。

東京五輪のメイン会場=新国立競技場のコンペでは、ザハ氏に敗れ、その後の「改修案」で敗れ、白紙撤回された後には、隅研吾さんの案には敗れと、合計「3回」敗れているという。しかし、その「建築思想」は隅氏に勝るとも劣らないものであったろう。

そして世界的な建築家である著者が言うのは、

「建築はグローバル化していて、その国の個性がなくなって来ている。だからこそ、日本には日本の建築が必要。その建築の基礎となるのは、『日本語による思考』で構成された『日本人の思想』なのだ」

と。たしかにそうだよね!現在、瀬戸内海の「大三島」で、建築のリアリティーを求めて展開しているプロジェクトというのも、見てみたいなと思いました。

「建築」は建物を作るだけじゃなく、「生き方」や「哲学」に関与していくものなのだなと思いました。


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(2016、12、2読了)

2016年12月20日 21:12 | コメント (0)

新・読書日記 2016_190

『怖いくらい通じるカタカナ英語の法則』(池谷裕二、講談社ブルーバックス:2016,10、20第1刷・2016、11、11第3刷)

これも3刷で10万部突破だとか。よく売れており、御同慶の至りです。

著者は脳研究者。「脳」の仕組みから言って「通じやすい英語の発音」を「日本語のカタカナの発音で、どう言えばいいか」を考えたのでしょうね。右脳と左脳で言うと、右脳かな?感覚の方でしょう。「目から入る外来語」と「耳から入る外来語」で言うと、「耳から」の方が、たぶん通じやすい、実際、ここに書かれた「カタカナ英語」を発音すると、なんだか「ネイティブになった感じ」がした。通じるかどうかはわからないけど。たとえば,

Get out of here

というのを、

「ゲット アウト オブ ヒア」

というよりも、

「ゲラウラヴヒア」

と言った方が、それっぽいでしょ?ねっ!

面白かったです!


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(2016、12、4読了)

2016年12月20日 18:10 | コメント (0)

新・ことば事情

6220「高齢者の運転ミス」

11月12日午後3時ごろ、東京・立川市の病院で、「83歳の女性」が運転する車が暴走し、30歳代の男女2人をはねて死亡させる事故がありました。

これを伝えた11月14日夕刊の記事での「加害者」の表現は、

(読売新聞)上江洲(うえず)幸子容疑者(83)

(産経新聞)上江洲(うえず)幸子さん(83)

(日経新聞)83歳の女

朝日と毎日には、この日の夕刊には記事が載っていませんでした。(この日の朝刊は「休刊日」でお休み。)

また11月14日の読売テレビ『かんさい情報ネットten.』と、日本テレビ『every.』では、

「83歳の女性」

という表現でした。

ネットで検索してみると、UPした時系列では

(日本テレビ))83歳の女性(11月12日18時03分)

(産経新聞)国分寺市の女性(83)(11月12日18時15分)

(フジテレビ)83歳の女性(11月12日19時11分)

(日経新聞)国分寺市の女性(83)(11月12日20時27分)

TBS)83歳の女性・国分寺市に住む83歳の女性(11月12日20時42分)

NHK)83歳の女性(11月12日20時44分)

(時事通信)上江州幸子さん(83)=国分寺市東戸倉=(11月12日21時25分)

(朝日新聞)上江洲(うえず)幸子さん(83)(11月12日22時18分)

(毎日新聞)上江洲(うえず)幸子さん(83)

(11月12日17時45分・最終更新23時13分UP

(読売新聞)83歳の女、車を運転していた国分寺市の女(83)(11月13日)

(テレビ朝日)83歳の女性(11月14日11時57分)

(東京新聞)上江洲幸子(うえずさちこ)さん(83)(11月14日夕刊)

でした。これに関して11月に富山で開かれた新聞用語懇談会秋季総会で質問しました。

『11月12日に、東京・立川市の病院で、「83歳の女性」が運転する車が暴走し、30代の男女2人をはねて死亡させる事故がありました。

これを伝えた各紙の報道は、上記のようなものでした。

こういった「高齢者の運転ミスによる死亡事故の加害者」は「男・女」か?「男性・女性」か?基準はどのあたりにあるのでしょうか?』

各社の回答は、以下の通りです。

(朝日新聞)社会部デスクの判断。事件・事故でどの程度の処罰になるかによって、途中で表現が「女→女性」あるいは「女性→女」(「男→男性」「男性→男」)に変わる可能性もある。微罪なら「さん」付き。

(毎日新聞)立川市の83歳女性のケースは、この加害者女性もけがをして入院して、まだ逮捕されていなかった。逮捕状が出ていなければ「さん」。しかし、遺族感情を考えると、加害者に「さん」はおかしくないか?と社内で議論になった。その場合、「肩書」があれば「○○課長」のように書けるが、「高齢者」は「職業不詳」などで、そういう方法が使えない。「容体が回復し次第、逮捕する方針」などと入れるしかないか。

※14日は「新聞休刊日」。「産経・東京」は「夕刊がない」ので、この日は朝刊。・夕刊共なし。「産経・大阪」は「東京の前日の情報」しかなくて、「容疑者情報(逮捕状が出た)」を載せられなかったのではないか(道浦の推測)。

というようなことでした。これからこういった事故の報道が増えると思いますが、よく注視して見ていきたいと思います。

(2016、12、17)

2016年12月19日 18:47 | コメント (0)

新・ことば事情

6219「おでん、つんつん」

愛知県の28歳の男が、コンビニのおでんを指でつっついた様子を動画に撮り、ネットにアップしたとして、威力業務妨害の疑いで逮捕されました。

あー、書いててバカみたいな気がしてきました。子どもかっ!

これを報じた朝日新聞12月15日朝刊の見出しは、

「コンビニおでん指で『ツンツン』」

と「カタカナ」で「ツンツン」と書かれていました。産経新聞朝刊の見出しは、

「コンビにおでん 指でつつく動画」

と、「つんつん」も「ツンツン」も使っていませんでした。

読売新聞の同日の夕刊は、

「コンビニおでんに指 動画投稿男を逮捕」

で、本文には、

「豊嶋容疑者は『つんつん』などと言いながら店員の目の前で自分でおでんを触る様子を撮影」

と「平仮名」の、

「つんつん」

でした。

きょう(12月16日)に「送検」されたニュースを読売テレビの夕方のニュース「かんさい情報ネットten.」でやっていましたが、その際は、

「ツンツン」

「カタカナ」でした。

原則としては、

「擬態語=平仮名」「擬声語=カタカナ」

だと思います。その意味ではこの「つんつん」は「擬態語」なので「平仮名」が妥当かと思いますが、最近は個人的には、

「擬態語」でもモカタカナのほうが良い」

ような気がしています。また、

「文脈で『平仮名が多い』場合には、擬態語・擬声語を目立たせるために『カタカナ』にする」

ことも「あり」だと思います。

そして今回の「つんつん」「ツンツン」の場合は、

「態度がツンツンしている」

のような時は「カタカナ」しかないように思いますので、それと違って、

「動きのある擬態語」(=突っつく)

「カタカナ」でも良いのかなあと思いました。

(2016、12、16)

2016年12月19日 12:25 | コメント (0)

新・ことば事情

6218「ナルシストか?ナルシシストか?」

お笑い芸人のNONSTYLE 井上裕介が、タクシーに「当て逃げ」をしたことが報じられました。

その際に、「さん」を付けるかどうか?という問題もありますが、今回は井上裕介を表現する際に、

「ナルシスト」

という表現が出て来ました。この言葉、実は正しくは「シ」がもう一つ入る、

「ナルシシスト」

なんですね。同じく、「ナルシズム」も、正しくは、

「ナルシシズム」

なのです。でも正しいとされる形よりも、「シ」が一つ少ない形の方が、おそらく普通によく使われていることでしょう。

去年(2015年)9月の新聞用語懇談会放送分科会で、私からこんな質問を出していました。

『『新聞用語集』などでは、「ナルシシスト」で、「シシ」と「シ」が2回続く形が正しいと載っていますが、世間一般には「ナルシスト」のほうが通りがいいと思います。原語は「narcissist」ですから「シシ」が正しいのでしょうが、「ナルシスト」も放送で「許容」としている社はありますか?ちなみに「ミヤネ屋」のパネルで出て来た、お笑いコンビ「NONSTYLE・井上」が自称「ナルシスト」で、これを紹介するときに「ナルシシスト」ではなく「ナルシスト」を使いました』

それに対する各社からの回答は以下の通りです。

(読売新聞)原則通り「ナルシシスト」。

(新聞協会・専門委員)これは外来語では、新聞にはまず出て来ない。正しくは「ロマンチシスト」「ロマンチシズム」だが一般的には「ロマンチスト」「ロマンシズム」も許容されているというのに似ているのでは?

(MBS)放送では「ナルシスト」も許容。ただし「本来は『ナルシシスト』であると知っておけ」と言う。

(TBS)「ナルシスト」もOK。人口に膾炙(かいしゃ)している。たしかフランス語では「ナルシスト」ではなかったか。

(新聞協会・専門委員)辞書も「ナルシスト」が空見出しで「『ナルシシスト』を見よ」となっているのではないか。20年ほど前に「『エステスシャン』ではなく『エステティシャン』だ」と言っていたのに似ている。これは本来の「エステティシャン」が定着した。

(NHK)『NHK日本語発音アクセント辞典』は「ナルシシスト」。来年の改訂でもそのまま。「ナルシスト」は認めないが、ニュースには、あまり出て来ない言葉。日本人に発音しにくくて、本来の形と変わったものには、「ギブス」(本来は「ギプス」)、「グロッキー」(本来は「グロッギー」)、「メリーゴランド」(本来は「メリーゴーラウンド」)などがある。

(NTV)アナウンス部内では、さりげなく「ナルシシスト」と正しい言葉を言ってみて、(知っているかどうか)その相手(後輩)の反応を見る。放送上は、まず出て来ないが、ナレーション原稿などで出て来た場合は「アクセント辞典」に準拠して「ナルシシスト」で読む。

(ABC)「ナルシスト」で読むこともある、制作者(ディレクター)の意向・意図に従う。

今回「ミヤネ屋」では、「正しい形を知っているよ」とアピールするために(?)、

「ナルシシスト」

を使いました。

ちなみに、よく似たものに、

「マルキスト」「マルキシスト」

「マルキズム」「マルキシズム」

がありますが、これも正しい形は、「シ」が入る、

「マルキシスト」「マルキシズム」

なのです。グーグル検索(12月16日)では、

「ナルシスト」 =387万0000件

「ナルシシスト」=  6万4000件

「ナルシズム」 = 18万9000件

「ナルシシズム」= 17万4000件

「マルキスト」 =  3万0100件

「マルキシスト」=    6950件

「マルキズム」 =     532件

「マルキシズム」=   4万500件

でした。

短い「ナルシスト」を使っていると、正しい「ナルシシスト」を使っている人の比率は、

「ナルシスト:ナルシシスト」=「387:6」=「60:1」

で、圧倒的に、短い「ナルシスト」がネット上では使われていました。

また、「マルキスト」と「マルキシスト」ですが、この比率も、

「マルキスト:マルキシスト」=「30:7」

で、短い「マルキスト」のほうが4倍以上使われています。

司馬遼太郎さんが、詩韻文記者時代の若い頃に書いた本の復刊本、

『ビジネスエリートの新論語』(文春新書)

を読んでいたら、

「橋本先生の思想的立場をはっきりしておく必要がある。彼女は、マルキストである。」(144ページ)

というように「シ」の入らない、

「マルキスト」

を、若き日の司馬遼太郎は使っていました。

(2016、12、16)

2016年12月18日 18:23 | コメント (0)

新・ことば事情

6217「『サステイナビリティー』の表記」

毎度毎度、新しい「カタカナ語」を披露している小池百合子東京都知事。

きょう(12月16日)出て来た新しい「カタカナ語」は、

「サステイナビリティー」

でした。意味は、

「持続性」

ですね。わかります。わかりますが、使わないなあ。この言葉の表記が、

「サステイナビリティー」

「サステイナビリティ」

「サステナビリティー」

「サステナビリティ」

「サスティナビリティー」

「サスティナビリティ」

「6通り」考えられます。ポイントは、

  1. 語尾を「ー」で伸ばすかどうか?

  2. 「テイ」か?「テ」か?「ティ」か?

の2点です。その組み合わせで「6通り」になっているんですね。

英語の綴りの、

sustainability

や「発音」からから考えると、

「サステイナビリティー」

かなあと思うのですが。「グーグル検索」(12月16日)では、

「サステイナビリティー」=  8万9700件

「サステイナビリティ」 = 29万4000件

「サステナビリティー」 = 32万5000件

「サステナビリティ」  =239万0000件

「サスティナビリティー」=103万0000件

「サスティナビリティ」 =103万0000件

ということで、一番多い表記は、

「サステナビリティ」

でした。私が推した「サステイナビリティー」は最下位、一番使われていませんでした。

(2016、12、16)

2016年12月18日 12:21 | コメント (0)

新・ことば事情

6216「根治はコンチか?コンジか?」

10月3日の「ミヤネ屋」で、

「根治手術」

という言葉が出て来て、この「根治」を林マオアナウンサーが、

「こんじ」

と読みました。それを聞いて、

「あれ?『こんち』じゃないの?」

と思って『NHK日本語発音アクセント進辞典』を引くと、

「コンジ」

で載っていました。

どっちなの?ということで、12月2日の新聞用語懇談会放送分科会で、議題として出しました。

『「根治」の読み方は、「NHK日本語発音アクセント新辞典」では、先に「コンチ」、2番目に「コンジ」を載せている。旧版には見出しそのものがなかった。私が調べた国語辞典での「コンチ」「コンジ」の「見出し」は以下の通り(○=見出しあり、×=見出しなし、「空」=空見出し)。今後は「コンチ」>「コンジ」に統一されると考えていいのか。

                <コンチ><コンジ>

「NHKアクセント新」(2016年)○    空

「三省堂国語・7版」(2014年) ○    空

「新明解国語・7版」(2012年) ○    空

「岩波国語・7版」(2009年)  ○    空

「精選版日国」          

「デジタル大辞泉」        

「広辞苑・6版」(2008年)    空    ○

「明鏡国語・2版」(2010年)  空    ○

「大辞林・3版」(2006年)   空    ○

「日本語大辞典」(1989年)   空    ○

「旺文社標準国語」         ×    ○

「新潮現代国語・2版」(2000年)×    ○

「新明解アクセント」(2010年) ×    ○

「NHKアクセント」(1998年) ×    ×

これに関して、この日出席されていた、NHK放送文化研究所の塩田雄大主任研究員から、以下のような回答が得られました。

『昔は「コンジ」しか読みがなかった。その後NHKの用語委員会で「コンチ」も認めて、

  1. コンジ②コンチ」

となり、今回は順番が変わって、

  1. コンチ②コンジ」

になった。「全治」「難治」なども「ゼンチ」「ナンチ」と、「治」を「チ」と読むもの多いので、今後は「コンチ」がもっと増えて行くだろう。』

ということでした。

(2016、12、17)

2016年12月17日 21:18 | コメント (0)

新・読書日記 2016_189

『保育園義務教育化』(古市憲寿、小学館:2015、7、6)

去年買って、読みさしになっていたもの。

古市さんの本は、最初に出た1冊だけ読んで、それはまあ参考になったが、その後、人気者になってからは読んでいない。ちょっと違うんじゃないか?という感じがして。これもそう思いながらも読んでみた。でもやっぱり、「イクメン」なんて言葉が無い時代から「子育て」をした者から見ると、「自分でまずやってみろよ」と言いたくなるのを抑えられない。意見は、賛成の部分と、反対の部分が半々ぐらいかな。


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(2016、12、5読了)

2016年12月13日 09:28 | コメント (0)

新・読書日記 2016_188

『新・リーダー論~大格差時代のインテリジェンス』(佐藤優・池上彰、文春新書:2016、10、20)

(タイトル、今なら「新」じゃなくて「シン」でも良かったな、なんて。冗談です)

現代日本を代表する「知のエリート」の対談。レベルが高く、刺激を受ける。

「リーダー不在の時代」と題された第1章では、新自由主義とポピュリズムの関連、「生前退位」や「民主主義を回避する仕組み」について、現在の日本と世界の現状を読み解きます。また第2章は、独裁者たちのリーダー論として、実際の世界のリーダー、ロシアのプーチン大統領や、トルコのエルドアン大統領、そして第3章では、早くもトランプについて1章を割いています。次期大統領に決まる前に、この本は出ています。エリートと大衆の対立が、今回の選挙結果を生んだと。やはり、そうだったのか。英国のEUの離脱にも触れていて、大変勉強になる一冊です。


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(2016、10、23読了)

2016年12月12日 20:27 | コメント (0)

新・読書日記 2016_187

『戦争の社会学~はじめての軍事・戦争入門』(橋爪大三郎、光文社新書:2016、7、20)

「平和」を考えるためには、やはりその反対の「戦争」についても知らなくてはならないと思って読みました。「戦争論」と言えば「クラウゼヴィッツ」が有名ですが、その理論をわかりやすく説いてくれています。

また、「テロ」は「戦争」なのか?「戦争」でないとすれば、戦争だけが平和を脅かすものではないことになるし、「戦争」だとすれば、「これまでの戦争の概念」が、明らかに21世紀に入って変化してきている、その違いを知ることで防御策を考えられるのではないか?と思って読みました。近代の戦争は「兵器の進化」と切っても切れないものなのだなあと、改めて思いました。


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(2016、11、3読了)

2016年12月12日 15:25 | コメント (0)

新・ことば事情

6215「南青山か?北青山か?」

12月6日、東京でタクシーが歩道に乗り上げる事故がありました。この事故のニュースで、当初、担当のYディレクターと話して、Y君は「東京・南青山」で中継場所を示すサイドスーパーを出そうとしていたのですが、「港区」を入れたほうが良いと私が言って、

「LIVE 東京・港区 南青山」

と出しました。

放送後、夕刊各紙を見ていると「見出し」に、

「東京・南青山」

としている新聞と、

「東京・北青山」

としている 新聞があるではないですか!詳しくは以下のとおり。

*「東京・南青山」=日経・朝日

*「南青山交差点」=読売

*「東京・青山」=産経

*「東京・北青山」=毎日

そして、リードを読んでみると

(読売)東京都港区北青山の南青山三丁目交差点で

(朝日)東京都港区の南青山三丁目交差点で

(毎日)東京都港区北青山2の交差点で

(産経)東京都港区北青山の国道交差点で

(日経)東京都港区南青山3の交差点で

ということでした。つまり、事故があった、

「南青山三丁目交差点は、北青山にある」

ということのようです。ややこしい!!

「国道246号線=青山通りを挟んで、北が北青山、南が南青山」

のようなのです。

読売新聞の「東京都港区北青山の南青山三丁目交差点で」という表現は、

「正確だけど、わかりにくい」

ので、

「東京・南青山」

ぐらいで良かったかな、と思います。

ほんと、ややこしいですね!

(2016、12、9)

2016年12月13日 12:15 | コメント (0)

新・ことば事情

6214「『母なる』と『母たる』」

本を読んでいたら、

「母たる○○」(○○は人名)

という文章が出て来て「おや?」っと思いました。

「母なる大地」

等の文章で「なる」のほうが自然ではないか?と思ったのです。

「たる」は、

「男たるもの、こうあらねばならぬ」

みたいな文章で目にします。

そこで「母なる」と「母たる」の違いについて考えてみました。

まず、本に出て来た「母たる」は、

「母である」

という意味ですよね。「母=○○」です。

それに対して「母なる」は、

「母のような」

という意味ですね。「母なる大地」では「大地(地面)」が「母」ではありません。あくまで「比喩」です。「なる」は、

「形容動詞の活用語尾」

であり、「たる」は、文語「たり」の活用形。「たり」を現代口語で言うと、

「だ」

でしょうから、意味は「断定」ですね。文法は詳しくないので、間違っていたらゴメンナサイ。

ですから、本に出て来た「母たる○○」は「正しい」という結論に至りました。

(2016、12、8)

2016年12月12日 12:13 | コメント (0)

新・ことば事情

6213「リアス式海岸」

11月27日放送の日本テレビ「ザ!鉄腕!!ダッシュ!!!」で、長崎の五島列島・福江市で伊勢エビを取るロケをしていました。その際のナレーションで、

「島全体が、溶岩で出来たギザギザの"リアス式海岸"」

というのがありました。この、

「リアス式海岸」

という呼び方、大変なじみがありますが、実は少し前から「式」を取って、

「リアス海岸」

と呼ばれているそうなのです。

2年半前(2014年6月)の新聞用語懇談会・放送分科会で、関西テレビの委員から、こんな質問(議題)が出ました。

「リアス海岸(リアス式海岸)、縄文土器(縄文式土器)、高床倉庫(高床式倉庫)、いずれも数年前(1996年頃から)の教科書から表記が変わっているようです。各社対応はどのようにされているでしょうか?」

これに対しての各社の回答は、

(共同通信)「縄文土器」「弥生土器」に決めている。「縄文土器」には、その下のカテゴリーに「○○式」というのがあり、ややこしいので変更されたようだ。「高床」は決めていない。「ハンドブック」の「外来語表記」では「リアス式」になっている。

(朝日放送)「竪穴式住居」も最近は「竪穴住居」になっていると聞いたが。

(毎日放送)子どもの小・中学校の教科書では、そうなっている。

(NHK)気候区分の「亜寒帯」もなくなっている。『NHK日本語発音アクセント辞典』では「リアス式海岸」になっているが、変更を検討中。

(関西テレビ)「式」が付かなくても意味は通じるが、リードと本文で違う用語が出たりしないようにしたい。

一昨年の時点では、NHKは「アクセント辞典での変更を検討中」」ということでしたが、ことし5月に出た『NHK日本語発音アクセント新辞典』を引いてみたら、

「リアス海岸」

を見出しに変更していました。そして、

(「リアス式海岸」とも)

とも、記されていて、それぞれのアクセントも載っていました。

その後、会議の議題に上がったことはないんですが、まだ変わっていない部分もあるんでしょうね。

(2016、11、29)

2016年12月11日 19:11 | コメント (0)

新・ことば事情

6212「売り切れ中」

先日、富山での用語懇談会の出張で乗った特急「サンダーバード」車内アナウンスで、

「サンダーバード車内の自動販売機は『売り切れ中』につき、使用中止でございます。あしからずご了承ください。」

と。この、

「売り切れ中」

という表現、初めて耳にしました・・・・と思ったら、なんと、

「2002年2月」

にもう、これについて書いていました。(平成ことば事情569故障中)似たような表現の、

「故障中」

について書いたものの中でした。引用しましょう。

『休みの日に近くの書店をブラついていたら、

「この本は、売切中です。大変申し訳ありません。」

と書かれた札を見つけました。

「売切中」

きっと、取り次ぎに今注文を出しているところなんでしょう。そういった努力が感じられて、私は、言葉として正しいか間違っているかよりも"人間味"を感じたのですがね。』

ということでした。

「故障中」については、「2005年4月」にも「平成ことば事情2148故障中2」で書いていました。その「追記」を書きかけで「ほったらかし」でしたが、川崎市の西尾さんからメールを頂いていました。それをご紹介しましょう。

それによると、私が書いた、

『「故障(に付き、現在修理の準備)中」あるいは、「故障(に付き、現在メーカー修理の問い合わせ中で返事待ち)中」の(  )を省略した形と考えられないか?』

に対して、

『中には「故障(に付き、放置)中」と思えるようなケースもありますが、「ただいま故障しています。修理手配中(あるいは手配済み)ですので修理が完了するまでしばらくお待ちください」と良心的に解釈する人が 多いのではないでしょうか。少なくとも私はそのように解釈しています。たまに「修理中」という張り紙を見ることもあり、保守員が修理作業中の場合を除き、これは明らかにおかしいと思いますけど。

ちょうど、国立国語研究所が発行している『新「ことば」シリーズ』の 最新号に「故障中」という言い方は文法的に間違っているか?という 問答が載っています。

https://www.ninjal.ac.jp/publication/catalogue/shin_kotoba_series/11_19/17/

 新「ことば」シリーズ17『言葉の「正しさ」とは何か』

該当コンテンツが更新されるかもしれないので、全文を添付ファイルに 引いておきます。ついでに、引き合いに出されている参考文献が手もとにありましたので、OCRでテキスト化しておきました。ご参考まで。 これによると、「故障中」は「~中」の典型的な用法からは外れているものの、文法的に間違っているとは言えない微妙な問題なのだと述べています。『「ことば」シリーズ』の問答集は、旧シリーズ(総集編もあり)でもそうでしたが、「正しい」とか「間違っている」とかを単純に断定しないのが特徴です。巷で話題の『問題な日本語』も同じスタンスですね。それだけ言葉の問題は奥深いということでしょう。』

というものでした。

西尾さん、10年以上も「ほったらかし」にしていて、すみませんでした。ずっと、

「準備中」

だったんです・・・なんて・・・。

(2016、11、23)

2016年12月10日 19:09 | コメント (0)

新・ことば事情

6211「ギャルギャルしい」

『校閲ガール ア・ラ・モード』(宮木あや子、角川書店)を読んでいたら、

「ギャルギャルしい女子社員たちから」89ページ)

という表現が出て来ました。この、

「ギャルギャルしい」

は、絶対「国語辞典」には載っていないでしょう。載せてたまるか!という表現です。「流行語辞典」「俗語辞典」「若者語辞典」にだったら、載せてもいいけど。

「見るからにギャル、という雰囲気いっぱいの」

という感じですかね。「ギャル」を2回重ねることで、そういった雰囲気が出ています。「濁音」も続くので、

「ものものしい」「そうぞうしい」

感じがしますね。

グーグル検索(12月5日)では、

「ギャルギャルしい」=1万8300件

と、思ったより少なかったです。

(2016、12、5)

2016年12月 9日 19:08 | コメント (0)

新・読書日記 2016_186

『マリアージュ~神の雫最終章5』(亜樹直・作、オキモトシュウ・画、講談社:2016、10、21)

ワイン漫画。単行本は10月に出ていたが、なかなか近くの書店で見つけられず、注文して取り寄せた。今回は「寿司」とのマリアージュ対決。まあ、一般的には「寿司とワインは合わない」と思われているし、私も寿司を食べに行ってワインは飲まない。「ビール」か「日本酒」でしょう。でも果敢に「寿司に合うワイン」の戦いを続ける。ちょっと、試してみたいなと思わせる一冊。


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(2016、12、6読了)

2016年12月11日 12:44 | コメント (0)

新・読書日記 2016_185

『九十歳。何がめでたい』(佐藤愛子、小学館:2016、8、6第1刷・2016、11、15第9刷)

なんともう35万部も売れているそうだ。

もう、やんちゃなおばあちゃんなんだから。

字がとっても大きいです。だって、90歳のおばあちゃんだから。いや、実際はもう93歳になっている。若い時の(と言っても今の私ぐらいの年だった)の本も読んだが、まあこういう元気なおばあちゃん、「かくしゃく(矍鑠)」としているんですね。

いやな婆さんだよ、言いたいことはバンバン言うし。でも気持ちが良いですね。笑えるし。昔よりは笑えなかったが、この本の読者層にとってはクスクス、ゲラゲラ笑えるんだと思う。家のリビングのテーブルにこの本を置いていたら、小6の娘が、

「あ、この本、おばちゃんも読んでた!」

と・・・。

「おんなじ本?」

「うん。なんか急にクスクス笑い出したりして気持ち悪かったから、覚えてる」

・・・母、81歳。趣味が同じか。血だな。読み終ったら両親にあげようと思っていたのだが、不要でした。


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(2016、12、4読了)

2016年12月10日 12:42 | コメント (0)

新・読書日記 2016_184

『昭和のことば』(鴨下信一、文春新書:2016、10、20)

元、TBSドラマを代表するプロデューサーで、「言葉」に関する造詣と愛情も深い。これまでに何冊も、著書は読ませていただいています。年齢的にはもう「傘寿」というお年・・・うちのおやじと同い年(昭和10年生まれ)じゃないか!

「昭和の言葉」というからには「今は使われなくなった言葉」が中心だが、流行語の類ではなく、まさに「昭和という時代」に寄り添って来た風俗・時代に沿って使われた言葉。言葉の使い方に愛情を込めて寄り添うエッセイ。

中には「え?今も使ってるし『昭和』限定の言葉じゃないんじゃないの?」と思うものもあるが、よくその説明を読んでみると「なるほど、そういう捉え方があるのか」と納得できる一冊。


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(2016、11、30読了)

2016年12月 9日 12:40 | コメント (0)

新・読書日記 2016_183

『鬼才 五社英雄の生涯』(春日太一、文春新書:2016、8、20)

最近よく読むようになった春日太一さんの本。出てすぐ買ったのだが、右目の網膜剥離で入院してしまったので読めなくて、退院後、すぐに読んだ。

五社英雄監督名前は知っていたが、そして何本か映画も見ているが、どんな人かは、よく知らなかった。もともと映画を撮りたかったのに映画会社には入れず、フジテレビに入って、そのうち映画を撮るようになったと。私にとってはテレビマンの先輩でもあるが、創世記のテレビ局には、こういった破天荒でアクの強そうな映像人間が、フジテレビ以外にもいっぱいいたようだ。

あの「三匹の侍」を撮った人とは知らなかった。あの長門勇を抜擢したんだ。また丹波哲郎との付き合いや、夏目雅子との出会いなど。五社監督を始め、みんな"鬼籍"に入ってしまったが、みんなの心の中に生きている人たち。その息遣いが聞こえてくる一冊。


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(2016、9、30読了)

2016年12月 8日 17:39 | コメント (0)

新・読書日記 2016_182

『ヒットの崩壊』(柴 那典、講談社現代新書:2016、11、20)

音楽関係の本は好きなので、こういった新書を見つけると買って読んでしまう。

帯には、

「激変する音楽業界 『国民的ヒット曲』はもう生まれないのか?」

とある。消費者として「へえー、そうだったのか」と思ったのは、「フェス=フェスティバル」の存在。「夏フェス」というのは聞いたことがあった。しかし、あれは若い人たちがイベント感覚で行くもので、50を過ぎた我々には全く関係ないと思っていた。事実、関係ないが、世の中は「フェス」が当たり前のものとして存在感を高めて来ていたということには、全く気付かなかった。また「オリコン」がヒットを表す指標として絶対的な力を持っていた時代は過ぎ去ったと。それはなんとなく気付いていた。上位は全部、AKBになっていたもんね。テレビは、毎週放送される音楽番組はなくなったが、年に何度か、長時間(10時間以上の番組も)"生"で放送する目玉の音楽番組は、増えているのだ。言われて見れば、確かにそう。

また、リオ五輪の閉会式で、例の安倍首相がマリオの扮装をしたイベントの「音楽監督」を「椎名林檎」が務めたのは知っていたが、「パフォーマンスの総合演出」を手掛けた「MIKIKO」という人と、チーフテクニカルディレクターを務めた「真鍋大度」という人は知らなかった。そして、MIKIKOさんは、「Perfume(パフューム)」の振り付けや、星野源の「恋ダンス」も手掛けているらしい。へー。


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(2016、11、29読了)

2016年12月 6日 10:18 | コメント (0)

新・読書日記 2016_181

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(伊藤亜沙、光文社新書:2015、4、20)

去年、出てすぐに購入して「読みさし」になっていた本だが、いざ自分が「網膜剥離」でに手術・入院してみて「目の見えない」状態(片目だけですが)を経験しただけに、やはり読んでおきたい本だということで、退院後すぐに読んだ。

結論から言うと、「目の見えない人」には、「見えないけど、見える表現方法」があるということ。たとえば「絵画を見ること」は「絵の内容を、他人の言葉で説明してもらったものを、頭の中で描き直す」訳である。そして、やはり目が見えないことは大変なんだなあという当たり前のことを、改めて感じました。


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(2016、9、28読了)

2016年12月 5日 17:51 | コメント (0)

新・ことば事情

6210「ワッショイとソイヤ」

9月に入院していた時に、「おみこしをかつぐときの掛け声」の、

「ワッショイ」と「ソイヤ」

について考えてみました。「ソイヤ」は、

「ショイヤ」

ですよね。その「ショイヤ」は、

「『ワッショイ』が続いて、区切りがずれたのではないだろうか」

と。

「ワッショイワッショイワッショイワッショイ」

「ワ」も「ヤ」に変わって、

「(ワッ)ショイヤショイヤショイヤショイヤ」

で、また「ショ」→「ソ」になると

「ソイヤ」

の完成です。また「ワッショイ」の「ショイ」→「ソ」になると、

「ワッソ」

ですね。関西では、

「四天王寺ワッソ」

が有名です。

こう考えると、お祭りのみこしを担ぐときの掛け声の大もとは、やはり、

「ワッショイ」

のような気がしてきました。「標準語」なのかな、これ。

(2016、11、23)

2016年12月 3日 12:43 | コメント (0)

新・ことば事情

6209「初雪の可能性・雪の可能性」

11月21日の「ミヤネ屋」天気予報で、

「初雪の可能性」「雪の可能性

という表現が出て来ました。一般的に、

「良いもの」「期待しているもの」

に関しては「可能性」で良いのですが、

「悪いもの」「起こる・来ると困るもの」「期待しないもの」

には、

「恐れ・おそれ」

を使います。この場合「初雪」は、

「季節(冬)の訪れを告げるもの」

なので、「悪くはない」ので、

「可能性」

を使って良いでしょう。

しかし一般的に「雪」となると、「東京や大阪」など、普段あまり雪が降らない(積もらない)地域の都会では、少しの雪でも交通機関に混乱が起きますので、

「招かざるもの」

の側面があり、

「恐れ・おそれ」

のほうが良いでしょう。

また「大雨」「豪雨」など、

「災害を引き起こすもの」

も、「可能性」ではなく、

「恐れ・おそれ」

とすべきです。

しかし、「チラホラ」程度の「小雪」なら、単に寒いぐらいなので「悪いもの」とまでは言えない。こういった、

「プラスマイナス・ゼロ」

のものに対しては、

「可能性」

を使ったほうが良いのかなあという気がしました。

(2016、11、21)

2016年12月 1日 13:41 | コメント (0)

新・読書日記 2016_180

『帝国の女』(宮木あや子、光文社:2015、7、20)

『校閲ガール』シリーズの著者・宮木あや子さんの小説。他の作品も読んでみたいなと思っていたら、既に去年購入して「積ん読(どく)」になっていたのでした。

「帝国」というのは「帝国テレビ」という東京のキー局。そこで働く「女性たち」の物語。

正社員の宣伝部員(30歳)、同じく正社員で京大卒のドラマのプロデューサー(35歳)、脚本家(44歳)、40代の女優のマネージャーで背中一面に入れ墨をしている娘(27歳)、テレビ雑誌編集者(30歳)といった5人(と、40代の女優)が、それぞれの思いを抱えながら仕事をしていく様子を描いている。もしかしたら宮木さんが書きたかったのは、「校閲ガール」よりもこっちなのかな?と、ちょっと思ったが、「校閲ガール」ほど爽快な感じはなく、少し"重い"小説です。タイトルの「帝国」って、「スターウォーズ」を意識したのかな?


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(2016、11、28読了)

2016年12月 2日 12:37 | コメント (0)

新・読書日記 2016_179

『気象予報士・蓬莱さんの へえ~がいっぱい クレヨン天気ずかん』(蓬莱大介 文・絵、主婦と生活社:2016、8、8)

「ミヤネ屋」や「かんさい情報ネットten.」の天気予報でおなじみの蓬莱大介さんが書いた・描いた本。僕にも一冊くれるのかな?と思っていたけど、くれないので買いました。(ここ、強調。)「かんさい情報ネットten.」で毎日書いているクレヨンでの絵。上手なんだよねえ。それを一冊にうまくまとめられていて、それだけ見てても楽しいし、蓬莱さん、ホントに目の付け所が良いなあ(構図が素晴らしい)と思う。映画の撮影監督のようです。文章もしっかりしている。でも、絵本で出すなら、文字はもう少し大きくして、分量も減らした方が、子どもたち(小学生)が読むのには適していると思います。内容的には大人向けなんですよね。しかし、老眼の年寄りには字が小さい。カラフルで楽しく勉強になる一冊です。是非、お買い求めを!!


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(2016、11、28読了)

2016年12月 1日 21:36 | コメント (0)

新・読書日記 2016_178

『ビッグコミック~総務部総務課山口六平太』(高井研一郎、小学館:2016、11、10発売号)

隔週で発行される小学館の漫画雑誌『ビッグコミック』。その中でも安定した人気の漫画『総務部総務課山口六平太』。いつも癒やされる感じで読んでいました。いまや、こんな呑気な昔の会社(部署)って、あんまりないんじゃないかなと思いながら。そして、六平太のような「地味だけどスーパーマン」がいると良いなとも思いました。

2016年の第22号(731話)を、いつものように読み終わって、「今回の『ヒゲ』の話はあんまり面白くなかったな」と思って数日後(11月14日)に、作者の高井研一郎さんの訃報。ビックリです。次の第23号には1ページを割いて、追悼文が掲載されましたが、もっと大きく載せてもいいのに!と思いました。もっと先の分まで原稿を書いているのかと思ったら、なかったんですね。

飄々とした六平太は、飄々として去って行くのか。去年は水木しげる、そして高井研一郎。合掌。


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(2016、11、10読了)

2016年12月 1日 18:34 | コメント (0)

新・読書日記 2016_177

『メアリー・カサット展図録』(京都国立近代美術館)

国立京都近代美術館で開かれている「メアリー・カサット展」に、10月22日に行ってきました。(忘れていたけど、この日は「時代祭」の日で、ちょうど美術館の前の平安神宮の大鳥居がゴールでした。)

「メアリー・カサット展」は、日本国内では35年ぶりということですが、実は35年前の大学生の時に、奈良で見たんだよね。結構好きだった。

そして去年、スペインのビルバオの「グッゲンハイム美術館」で、このメアリー・カサットの絵に出会っていたので、日本国内の展覧会は「是非、行かなければ!」と思っていたのです。なかなか、見ごたえがありました。カサットだけではなく、その印象派の他の画家との繋がりなどは、全然知りませんでした。特に「ゴヤ」との繋がり。勉強になりました。

12月4日までやっています。


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(2016、10、22)

2016年12月 1日 14:32 | コメント (0)