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『道浦TIME』

新・読書日記 2017_010

『消えるコトバ 消えないコトバ』(外山滋比古、PHP研究所:2016、7、14)

ものすごく字が大きい新書。すぐに読めるなと思ったが、意外と(文字数は少ない分?)含蓄が深く、読むのに時間がかかる。「硬くて大きな食べ物は、よく噛まないと食べられない」ようなものか。新書なのに、最初の16ページはとってもきれいで印象深いカラー写真と、まるで詩集のようなコトバが記されていて、工夫を凝らした一冊。

しかし、タイトルは内容に合っていない。内容に合わせると、

「アウトサイダー思考のすすめ」

とか、そんな感じである。繰り返し、繰り返し「アウトサイダーとインサイダー」について語られている。

*「文藝はインサイダー文学として発足し、歴史を重ねているうちに象徴に達する」(106ページ)

*「作者尊重の思想は文献学より古く、十八世紀のはじめ(一七0九年)に、著作権法(コピーライト法)という特典を、作者、著作権に与えた。これが現在も拡大、適用されているのである。作者はつねに正しく、それ以外のものの借用、改編を認めない著作権法は、作者、著作者にとっては好都合であるが、読者のことはほんのすこししか考えない。読者には、ものを言う余地がない。読者に当たるものが作成する版本は、原本に比べて、価値が無いのは当然という常識を生んだ。」(120ページ)

*「伝統はインサイダーによってつくられるが、発見はアウトサイダーのはたらきであるということを、自己中心の人間が亜理解するのは容易ではない。」(180ページ)

*「舞台の芝居を客席で観る人のことを、第四人称と呼んだことにあやかって言うならば、発行後、何年、何十年もしてから読むのは、第五人称的読者であると考えることが可能である。」(203ページ)

*「アウトサイダー言語論、アウトサイダー文化論は新しい思考であると考えている。」(215ページ)

勉強になりました!

(☆4つ)


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(2017、1、11読了)

2017年1月25日 18:13 | コメント (0)

新・読書日記 2017_009

『おれたちに偏差値はない~堂南高校ゲッキョク部』(福澤徹三、文春文庫:2017、1、10)

本屋さんで見かけ、タイトルにつられて立ち読み。おお、舞台は1979年か。そこに2016年からタイムスリップするのね。気持ちに余裕のある時しか読めないよなあ、こんな物語。で、気持ちに余裕のある、「ノロウイルスに倒れて、他に何もすることのない時」に読みました。

著者は1962年生まれ。1つ下。またまた同世代です。北九州が舞台だけど、正確に当時の風俗を書き込んでらっしゃいますね。主人公は「1979年に高校1年」だったということは、私よりも「2つ下」の学年。弟と一緒だ。まあ同世代だね。出て来る「1979年」の物事・風物は、読んでても、全然「昔」とは思えないけど、昔だね、もう37年も前。大昔です。そんな遠く昔に、私(たち)は「青春」だったんだなあと。

楽しく読ませてもらいました。


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(2017、1、15読了)

2017年1月25日 18:10 | コメント (0)

新・読書日記 2017_0008

『新・敬語論~なぜ「乱れる」のか』(井上史雄、NHK出版新書:2017、1、10)

元東京外国語大学教授・元明海大学教授で、現在NHK用語委員の井上史雄先生と言えば、以前、『敬語はこわくない』という本を出されていて、読みましたが、もう20年位前の話になっちゃうのかな。それで、「2017年の現在」における敬語の現状について、改めて筆を執られたと。しかも今回は、データに基づいた分析ということで、ちょっと学術的でもある。前回は「普及版」っぽい新書だったので。

でもグラフが結構ややこしくて難しい。これは、もっとわかりやすいグラフを、一部使った方が良いなあと思ったところもありました。

勉強になったのは、「所有物敬語」「所有傾斜」と呼ばれる傾向が出て来ていること、「尊敬語より謙譲語の使い方が難しいが、共に暗記するのが一番効果がある」など。

ショックを受けたのは、もう大分以前から(関西にはまだちょっとと残っていたが)「ウ音便」(「おいしゅうございます」「危のうございます」など)が消えてきたことには気付いていたのだが、それは「『ですます体』の確立」によるものであるということ。「ですます体」が「敬意低減の法則」で、話し言葉や文章語に進出してきたと。そうか「ございます体」が消えて、「ですます体」が「敬語」になってしまったということなんですね!それに伴って「ウ音便」が消えたのか!ショック。(67ページあたり)

また「ございます体」の名残りは「~してございます」だと言う。「でございます」は、前に名詞(体言)が来るが、動詞や形容詞や形容動詞(用言)が来ると「~してございます」になるんだな。

そして「だ・である体」と「ですます体」の中間の形として、

「っす」「っしょ」「っした」

が普及したと。これらは、

「中間敬語」「後輩口調」

とでも呼ぶべき存在であると、井上先生は捉えてらっしゃいますが・・・単なる若者言葉のちょっと手抜きな敬語じゃないの?これが今後、「敬語」に進化していくんですか?やだなあー。観察しないといけませんね。思わず私のキライな「マジか!」と言ってしまいそうな・・・。

また、皆から嫌われる「マアニュアル敬語」も、井上先生は評価している。「よろしかったですか」も「になります」も婉曲表現で「気配り」なのだと。特に「になります」は「にあたる」という意味で「こちら叔父になります」のような言い方は、以前からあった。確かに、それだと違和感はない。しかし、それが飲食店で使われると、やはり違和感がある。井上先生も「乱用しない方がいい」とクギを刺していた。

とにかく、勉強になる楽しい一冊です。


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(2017、1、13読了)

2017年1月25日 18:09 | コメント (0)

新・ことば事情

6236「脳出血と脳溢血」

去年12月19日の「ミヤネ屋」で吉本新喜劇の島木譲二さんが亡くなったニュースで、島木さんの死因について、吉本興業のファクスには、

「脳溢血(いっけつ)」

と記されていました。

『広辞苑』で「脳溢血(いっけつ)」を引くと、

「『脳出血』を見よ」

となっていて、意味上は「同じ」ようです。どちらかというと、「脳溢血」のほうが「古い言葉」のようですね。

そもそも「溢」が「表外字(=常用漢字ではない)」なので、ニュース放送で使うならば、

「ルビを振る」

ことになります。

『新聞用語集2007年版』でも、

「のういっけつ(脳溢血)→(学)脳出血」

と書かれていて、「文部科学省が定めた学術用語」では「脳出血」とすることが記されていましたので、今回「ミヤネ屋」では

「脳出血」

を使いました。

年があけて1月17日、映画「ションベン・ライダー」で1983年にデビューした、女優の河合美智子さんが、

「脳出血」

で去年夏から入院していて今年1月10日に退院したということを、その日の会見で述べていました。これは発表も「脳出血」で、「ミヤネ屋」でも、

「脳出血」

で放送しました。翌日(18日)の日本テレビ『スッキリ!!』でも、このニュースをやっていて、そこでは、脳の血管の「三大疾患」である、

「脳梗塞」「脳出血(=脳内出血)」「くも膜下出血」

は、総称して、

「脳卒中」

と呼ばれるという解説をしていて、「脳出血」を使っていました。

(2017、1、18)

2017年1月18日 20:46 | コメント (0)

新・読書日記 2017_007

『下流志向~学ばない子どもたち 働かない若者たち』(内田樹、講談社:2007、1、30第1刷・2007、2、15第5刷)

ちょうど10年前に出た本を、読み差しで「ほったらかし」だったものを、10年経って読んだら、一気に読めた。時代が・・・いや、私が、ようやく内田樹さんに追いついたのか?

「ニート」が増えて来た当時の論だが、「学ばない」「働かない」若者が出て来たのは「怠けている」のではなく「学ばない・働かないほうが"トク"だから」という価値観に基づくと。そうだとすると「学ばない・働かないほうが"ソン"だ」という価値観を植え付けないことには変わりようがない。

「育児と音楽」(169ページ)を読むと、

「開放的な態度で耳を傾けないとノイズはシグナルには変わらない。ノイズはノイズであり、シグナルはシグナルであるというふうにきれいに切り分けてしまう人には、ノイズがシグナルになる変成の瞬間が訪れない。」

「音楽を聴くということは『学び』の基本の一つになっていると思うんです。孔子は『君子の六芸』として、礼、楽、射、御、書、数を挙げています」

「六芸の一つに『楽』が掲げられているというのは『時間意識を持つこと』、『人間は時間の中の存在であると知ること』が知性の基礎だということが古代の聖賢は熟知していたからではないでしょうか」

これ、現代における「加速=時間をゼロにする」という方向性が「反知性」だということを表していますね。

「無時間モデルでは音楽は聞こえない。聞こえるはずがない。どんなすばらしい音楽も、モーツアルトの音楽も、バッハの音楽も、単独の音では何の意味もないし、美的価値もない」

「生きるということは、いわば一つの曲を生涯をかけて演奏するということです」

「人の話を聴くというのも、すぐれて時間的な活動だと思うんです」

「コミュニケーションと言うのはそういう意味で時間的な現象だと思うんです」

つまり「デジタル思考」では「ノイズはノイズ」であり、「シグナル」として受け取れない恐れがあるということかな。

「文化資本」というのはピエール・ブルデューの用語。「お育ちのよさ」

「日本でも、社会上層では『文化資本(いわゆる教養)には差別化機能がある』と信じられていますから、子どもたちは進んで文化資本を身に着けようとします。逆に、社会下層では『文化資本には差別化機能がない』という考え方の方が受け入れられやすいので、子どもたちはむしろ積極的に文化資本を拒否するふるまいによって同集団の大人たちからの評価を期待します」

「マジョリティーの教養がどんどん下がっていく一方で、社会的に高い階層にはまだ教養や趣味のよさをたいせつにする気風が残っている」

「都市化ということ自体が、言い換えれば、時間を短縮してゼロにしていくということとほとんど同義だと思うのです。つまり都市化というのは、何か移動するのに最短の時間で行けるようにした結果」

「利便性の追求は、すべて時間をゼロにするという要請から出てきた」

「都市生活の中でいかに時間制を回復するか。あるとすれば『ルーティンを守ること』です。都市化のもたらしたいちばん大きな変化は、人々が日課を守らなくなったということだと思っているんです」

とっても腑に落ちる話でした。


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(2017、1、11)

2017年1月20日 12:08 | コメント (0)

新・読書日記 2017_006

『あさ美さんの家さがし』(黒野伸一、河出書房新社:2016、11、30)

このタイトルを見ただけでは食指は動かなかったと思うが、著者が「黒野伸一さん」ということで、「おっ」と思って手に取った。黒野さんの作品は、以前『限界集落株式会社』という本を読んで(続編も)「おもしろいな」と思ったことがあったからだ。

本作は、ひょんなことからOLを辞めて、食べて行くために「場末のキャバ嬢」となった主人公と、その周辺の人たちの「家」にまつわる話。でもこれを読んでいてわかりました。「限界集落~」もそうでしたが、黒野さんは単に「今の世の中の世相」を描いているのではなく、そして単なる「家」さがしではなく「家族さがし」をテーマにしているんだと。人と人とのつながりの最少単位である「家族」。その多くが崩壊している現代において、「家族」とは何かを考える小説を書いているんだなと。「家族」が住む場所が「家」なんだからね。


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(2017、1、9読了)

2017年1月19日 12:06 | コメント (0)

新・読書日記 2017_005

『いつかの夏~名古屋闇サイト殺人事件』(大崎善生、角川書店:2016、11、30)

あの事件から、もう10年になろうとしているのか・・・。2007年8月24日、名古屋で起きた「闇サイト殺人事件」。インターネットの「闇サイト」で、「闇の仕事」を募って集まった「顔も見知らぬ男たち」が企てた強盗事件。共通しているのは「金が欲しい」だけだった。ちんけな盗人たちが、「俺の方が、もっと悪いぜ」と見栄を張っている間に「金を奪うなら、相手を殺しても仕方がない」というように、その気持ちが「一線」を超えて行く。そこに、何の落ち度もない31歳のOLが、まさに「たまたま」標的となり、無残な殺され方で命を落としてしまう。彼女が、そして残された彼女の母が、どう生きて来たかを丹念に追うことで、この犯罪の残虐さ、浅はかさ、またこういった事件を繰り返させてはならないという著者の気持ちが、伝わってくる。

殺される恐怖と闘いながらも、犯人たちに「銀行の暗証番号を教えろ」と脅されても、決して屈しなかった被害者・磯谷利恵さん。犯人たちに伝えた、偽の暗証番号「2960」。それは、死の間際にあっても、決して犯人たちに屈しなかったことを証明する番号であったことは、恋人が証明してくれる・・・。

本書のタイトル「いつかの夏」は、磯谷利恵さんが心から愛したGLAYの曲『いつかの夏に耳をすませば』というタイトルから抜粋したという。


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(2017、1、10読了)

2017年1月18日 18:05 | コメント (0)
2017_002

『芥川症』(久坂部羊、新潮文庫:2017、1、1)

タイトルは、いわずもがな「芥川賞」のもじりだが、本書に収められた7編の短編小説も、

全て「芥川龍之介」の作品名をもじったもの。

「病院の中」(←「薮の中」)

「他生門」(←「羅生門」)

「耳」(←「鼻」)

「クモの意図」(←「蜘蛛の糸」)

「極楽変」(←「地獄変」)

「バナナ粥」(←「芋粥」)

「或利口の一生」(←「或阿呆の一生」)

である。いわゆる「パステーシュ」「パロディ」といった感じの作品。好きである。パスティーシュというと清水義範を思い浮かべるが、これは若い頃の筒井康隆を彷彿させる作品(特に「病院の中」)だった。

著者の本業が「外科医」ということも、特に「病院の中」には反映されていると思う。医師でありながら、医師と患者さんとの世界の乖離に疑問を持つ「第三者の視点」がなければ、このような作品は書けないだろう。また「大阪出身」というのも「笑い」の視点を持っている理由かも。(笑い=自分をも第三者の視点で客観的に見られる=自分を笑いの題材にできる)今後も注目していきます。

(2017、1、8読了)

2017年1月17日 21:01 | コメント (0)

新・読書日記 2017_004

『トランプは世界をどう変えるか?』(エマニュエル・トッド&佐藤優、朝日新書:2016、12、30)

年末の「12月30日」付で緊急出版。まあ、続々とトランプ本が出版されていますが、「佐藤優」「エマニュエル・トッド」という著者への信頼性において購入。

全部で173ページしかない薄い新書。そのうち前半の10~36ページが、トッド。ただし、書かれたたものではなく、朝日新聞の大野博人編集委員がインタビューしたもの。タイトルは「民主主義がトランプを選んだ」。短すぎるよね、これ。羊頭狗肉。

そして、38~61ページまでは、トランプ氏の「共和党候補受諾演説」(2016年7月21日)を資料として載せている。いいけど、「水増し感」、ありあり。

そして64~163ページとあとがきは佐藤優が書いている。という意味では佐藤優の本だ。そこに書かれたことは、

・安倍総理は、外務省の「読み違い」に怒っていた。

・5月にキッシンジャーがトランプと面談したことが、「戦争NO」というキッシンジャーの姿勢を表した=「クリントンNO」という形。

・トランプはbeing―「在る」という静止した状態ではなく、becoming-「生成する」というダイナミズムを重視していて、ヘーゲリアン(ヘーゲル主義、ヘーゲル学派)的な考え方。

・トランプ以後のアメリカを見極める3つのポイントは、

(1)1941年12月7日より前のアメリカ、つまり非介入主義への回帰

(2)FBIの政治化による自由と抑圧のせめぎあい

(3)国内の敵探しが始まる危険な兆候

・「ラインホールド・ニーバー」(1892-1971)=アメリカの新正統派(ニュー・オーキドクシー)と呼ばれる潮流の神学者に注目。=ニーバーは「デモクラシーの理念こそが、自由と平等、両者の間に生まれる矛盾を解消する。一般的には『友愛』として知られる概念がそうだ。しかし、『友愛』をうまく機能させることは非常に難しい。聖書のルカの福音書にある「不正な管理人」に出て来る「闇の子」(=道徳的シニックス=冷笑家)と「光の子」(=私的利益を、より高い律法のもとに従わせなければならないと信じる人)との闘い。

・トランプは「赤狩り」のマッカーシーに似ている。マッカーシズムは「不安の時代」を背景に成立した。アメリカの病理。

・ヒラリー・クリントンのメール問題を、なぜ最後の最後までFBIが引っ張ったのか?クリントンが大統領になると、メール問題を追及しているFBIは徹底的に潰されてしまうから、その前にクリントンの大統領になる芽を潰しておこうという、という意図であった。

うーん、勉強になりました。


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(2017、1、6読了)

2017年1月18日 11:58 | コメント (0)

新・読書日記 2017_003

『芸能人寛容論~テレビの中のわだかまり』(武田砂鉄、青弓社:2016、8、10第1刷・2016、10、17第2刷)

このところ、テレビ論関連でよく週刊誌などのコラムで目にするようになってきた著者は1982年生まれのライター。まだ34歳という新進気鋭。「その世代で、よくぞテレビに注目してくれました」という気もします。

文章は「まだ青い」というか、持って回った表現はわかりにくい所も、多々ある。もっととスッと書けばいいのに。これが若さの証しか。EXILEから始まって星野源で終わっているが、30代前半の視点で捉えた芸能人への「わだかまり=違和感」は、実は我々世代でも共有しているものである。一読の価値あり。


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(2017、1、5読了)

2017年1月17日 22:57 | コメント (0)

新・読書日記 2017_001

『安倍でもわかる政治思想入門』(適菜収、KKベストセラーズ:2016、11、25)

えらいタイトルである。その昔「サルでもわかる○○」というタイトルが流行ったことがあった。「アホでもわかる」とすると、バカにされた感じがあるが「サルでもわかる」は、何となく面白いし、そんなにバカにされた感じが無いのに対して、固有名詞・名指しで「安倍でもわかる」は、とっても攻撃的なタイトルで、まあ品が無い。だから購入をためらっていたのだが、立ち読みをすると「ほほう、そういうことか」と納得して購入。

「政治思想」の基本(大学の政治学の講義で出て来るようなもの)が、各章の最初に3ページほどあって「お勉強」できるようになっている。そのあとに、そういった「政治思想の基本」から、いかに離れた思想・行動を安倍首相が取っているのか、というこれまでの実例が記されているのだ。もちろん、そっちの方が「おもしろい」というか「アホちゃうか・・・」と、「基本」が分かっていない(分かろうとしていないか、無視している)ことにあきれるのだが、それらは日頃ニュースで接している出来事である。読み進むうちに、「これは、かなりヤバイな・・・」と思わざるを得ない。

あ、そうか「アベ」の「ベ」の一つ下は「ホ」だったな・・・。


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(2017、1、3読了)

2017年1月17日 20:56 | コメント (0)

新・ことば事情

6235「柿の葉ずしか?柿の葉すしか?」

柿の葉っぱにくるまれた「マス」のお寿司や「タイ」のお寿司、おいしいですよね。

これを何と呼ぶか?

「柿の葉すし」

「濁らない」のか?それとも、

「柿の葉ずし」

「濁る」のか?気になります。

きのう(1月9日)、「近鉄・丹波橋駅」で見かけた店には、

「柿の葉すし」

「濁らず」に「平仮名」で書かれていました。これは、

「柿の葉すし本舗たなか 丹波橋駅ショップ」

です。これに関しては、2014年4月に開かれた新聞用語懇談会放送分科会で、

「回転ずしか?回転すしか?」

という、いわゆる「連濁」が問題になったときに、MBS毎日放送の委員から、

「『柿の葉はすし』『回転すし』『越前かに』のように、一般的には『ずし』『がに』と濁って発音するものを、濁らずに清音で書いてあることがある。『田中の柿の葉すし』という商品は、商品名として『すし』と濁らないで読んでほしいとスポンサーに言われる。」

という意見が出たことがありました。これのことですね。

ところが!

その後に行った「近鉄・京都駅」構内にあった「平宗」という店では、

「柿の葉ずし」「柿の葉寿司」「柿の葉寿し」

という「3通りの表記」をしていたのです!どれがホンマやねん?

帰ってからHPを見てみると、

「柿の葉ずし 総本家 平宗」

と、この会社は、

「柿の葉ずし」

「濁る」のでした。うーん、ややこしい!

グーグル検索では(1月10日)、

「柿の葉すし」=67万6000件

「柿の葉ずし」=57万1000件

「柿の葉寿司」=34万8000件

「柿の葉寿し」= 1万4600件

でした。

(2017、1、10)

2017年1月11日 17:55 | コメント (0)

新・ことば事情

6234「蔵人の読み方」

<2014年12月4日書きかけました。>

「蔵人」

という漢字の読み方について、

「くらうど」か?「くろうど」か?

と疑問に想いました。たぶん、

「くろうど」

だろうと思いました。

「真木蔵人」

さんも「くろうど」だし。しかし、調べてみたら、

「くらひと」

のようなのです。

「月桂冠」のホームページには、こう記されていました。

「杜氏と蔵人・・・酒造りの最高責任者を杜氏(とうじ)と呼びます。酒造りの技術職人集団という意味で杜氏と呼称されることもあります。そのため、冬季に酒蔵で働く人すべてが「杜氏」だと捉えられることもありますが、杜氏と呼ばれる長(おさ)は、一つの酒蔵でただ一人です。杜氏のもとで酒造りに携わる職人は蔵人(くらびと)と呼びます。杜氏・蔵人たちは、農村・山村・漁村から酒どころの蔵元へ出向いて、農閑期・漁閑期ともなる晩秋からの早春の頃にかけて、寒造り(かんづくり)に励んでいます。」

ルビが振ってあって、とても丁寧な説明です。

「剣菱」のサイトも、

「やるべきことは、ひとつ。酒造りの"精鋭集団"蔵人(くらびと)」

とルビが振ってありました。

「暖気樽(だきだる)職人」

などという言葉も!

川島酒造「松の花」のサイトも、

「松の花では冬の11月頃から酒造りが始まります。造りが始まると3月に終わるまで休み無く酒造りをするのが杜氏(とうじ)と蔵人(くらびと)です。」

「くらびと」でした。

日本酒発祥の地と言われる島根出雲の地酒の「ヤマサン正宗」のサイトでも

「蔵人(くらびと)」

とルビを振ってありました。

そして、「杜氏と蔵人の生活」というサイトにも、

「杜氏のもとで酒造りに従事する人間を総称して蔵人(クラビト)と呼ぶ。」

とあります。

どうやら「くらびと」が正しいようですね。

しかし!『夏子の酒』などで有名な漫画家・尾瀬あきらさんの作品に、酒造りに挑戦する外国人を主人公にした

『蔵人』

という作品があり、この単行本の表紙には、

『クロード』

とあります。2006年に単行本第1巻が出ていますが、これは連載されていた時に私、読んでいました!それで「くろうど」と思っていたのかもしれません。

(2016、12、30)

2017年1月 4日 12:16 | コメント (0)

新・ことば事情

6233「レノアのアクセント」

さっき(2016、12、26)見た「洗剤」のコマーシャル。

以前のコマーシャルでは、

「レ/ノ\ア」

「中高アクセント」だったと思ったのに、今、聞いたら、

「レ\ノア・なんたらジェル」(「なんたら」の部分は忘れました)

「頭高アクセント」でした。

変わったのか、それともどちらでもいいのか?

どうなんだろうか???

(2016、12、26)

2017年1月 3日 12:35 | コメント (0)

新・ことば事情

6232「ファザーか?ファーザーか?」

読売テレビの後輩・清水健アナウンサー(40=SMAP・香取慎吾と同じ学年か・・・)が、2017年1月27日の放送をもって番組を降板、退社することになったと発表しました。

去年2月に乳がんで29歳の若さで亡くした奥さん。またそういった人を出さないために、著書の印税などで設立した「乳がんで亡くなる人をなくすための財団」の活動と、2歳になる息子さんの育児に専念するためだそうです。

そのことを報じた12月26日のニュースを見ていたら、

「シングルファザー」

という表記がありました。(「スポニチ」のネット記事)それを見て、

「あれ?『シングルファーザー』と伸ばすのではないか?」

と思ったのです。

グーグル検索では(12月27日)

「シングルファザー」 =28万9000件

「シングルファーザー」=25万0000件

と、ほぼ同数ですが、伸ばさない「ファザー」のほうが、わずかに多かったです。

単体の「ファザー」「ファーザー」は、

「ファザー」 =102万件

「ファーザー」=254万件

で、従来の(?)「ファーザー」と伸ばすほうが「2、5倍」使われていました。

「京都新聞」(電子版2016年3月31日)は「シングルファーザー」と伸ばしていました。「デイリースポーツ」(電子版2016年12月26日)も「シングルファーザー」と伸ばしていました。

国語辞典を引くと、『広辞苑』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』『精選版日本国語大辞典』『デジタル大字泉』は、「見出し語」は伸ばす「ファーザー」しかありませんでした。

『岩波国語辞典』『旺文社標準国語辞典』『新潮現代国語辞典』『新選国語辞典』は、「ファーザー」「ファザー」共に載っていませんでした。「英語」という扱いなんでしょうか?

『三省堂国語辞典』を引くと「見出し語」は「ファーザー」しか載っていましたが、その語釈の中に「ファザー」も記されていました!さすが『三国』!また、今年出たばかりの『現代国語例解辞典』も、「見出し語」は「ファーザー」しかありませんが、「こういう風にも書く」という表記で「ファザー」が記されています。

同じく今年出た『NHK日本語発音アクセント新辞典』には「ファザー」「ファーザー」共に載っていませんでしたが、

「ファザコン」

は「見出し語」として載っていて、その意味説明に

(俗語。ファーザーコンプレックスの略)

と書かれていたので、NHK(放送文化研究所)の分析では、

「ファーザー」

と伸ばす方をメインに考えているのではないかな?と思いました。

ここまでを踏まえて分析すると、元々「父親」を意味する「father」は、ここ数十年は、

「ファーザー」

と伸ばして発音・表記して来たものが、最近は短く、

「ファザー」

となって来ているのではないか?そしてそれは「対語」である、

「マザー」

「マーザー」でなくて「マザー」と短い発音であること揃えているのではないか?ということです。原語(英語)の発音に近付けづけているのか?

ただ、「ファーザー」しか見出しにしていなかった『新潮現代国語辞典』なのですが、引用された用例は、

「ぢゃ、君にそれだけの信念を与へた君のファザアの議論を聞かせてくれ給へ」

という谷崎潤一郎の『鮫人(こうじん)』(1920年=大正9年)からの記述で、ここでは伸ばさない形の、

「ファザア」

が使われています。これはということは、100年ほど前の大正時代には「ファザア(ファザー)」と「ファ」を伸ばさない形が一般的で、その後、昭和の時代には伸ばすようになり、また平成になってからは、だんだん伸ばさなくなってきているのではないか?ということです。でもそれなら今後は、「er」で終わる語尾の「ザー」も伸ばさなくなって、

「ファザ」

になるかもしれませんね。

なお、よく芸能人が選ばれて話題になる、

「ベストファーザー賞」

は、伸ばす「ファーザー」です。

(2016、12、27)

2017年1月 2日 12:27 | コメント (0)

新・ことば事情

6231「44日間の読み方」

清原さんが逮捕で勾留されていた期間が「44日間」。この「44日」を何と読みますか?「ミヤネ屋」ナレーターの藤田さんから質問を受けました。

(1)ヨンジューヨッカ

(2)ヨンジューヨンニチ

どちらでしょうか?

単に「4日」ならば「ヨッカ」ですし、「10」「20」が付いた「14日」「24日」ならば何の問題もなく、

「ジューヨッカ」「ニジューヨッカ」

と読むのですが、「ヨンジュー」が付くとどうなるか?

正解から言うと、(2)の

(2)ヨンジューヨンニチ

と読んでもらいました。「カレンダー」の中(1日~31日まで)にある、

「4日「14日」「24日」

は、

「4日=ヨッカ」

を基本にして、

「ジュー+ヨッカ」「ニジュー+ヨッカ」

と「ヨッカ」と読むことが定着していますが、そこから外れた「34日」「44日」・・・などは、

「34+日」「44+日」

と読むために、

「サンジューヨン+ニチ」「ヨンジューヨン+ニチ」

と読むほうが自然でしょう、ということになりました。

(2016、12、27)

2017年1月 1日 12:24 | コメント (0)