Top

『道浦TIME』

新・ことば事情

6266「尾崎士郎の『覗き込んだ』のアクセント」

作家・尾崎士郎が自作『篝火』を朗読している録音をツイッター上で聴きました。

わりと淡々と読んでいるなという印象でしたが、聴いている中で、

「覗き込んだ」

のアクセントが、

「ノ/ゾ\キコンダ」

と「ゾ」にアクセントがある「伝統的アクセント」で読んでいました。

去年発に出たNHKの「新アクセント辞典」では、こういった「伝統アクセント」を、基本的に排除したと聞いています。

この尾崎士郎の朗読の録音が、いつのものかはわかりませんが、尾崎士郎は「明治生まれ」で、

1898年(明治31年)25日~ 1964年(昭和39年)219日」

まで生きたので、その時代のアクセントですね。

(2017、2、9)

2017年2月28日 21:35 | コメント (0)

新・ことば事情

6265「人種のるつぼ」

後輩のプロデューサーから質問メールが届きました。

「『人種のるつぼ』という表現に関して、放送では使わない方がいいと、昔、聞いたような記憶があるのですが、実際どうなのでしょうか?ちなみに読売テレビの『放送用語ガイドライン』には載っておりません。古臭い紋切り型の表現で個人的には好きではないため、自分が原稿を書く際にはまず使わないのですが、ディレクターや作家に『ダメ』という根拠があるのなら理由を持っておきたいと思っております。お教え願えれば幸いです。よろしくお願いいたします。」

なるほど、なるほど。ちょっと気になりますよね。

別に差別的な表現だとは思いませんが、たしか「別の表現」があったはず。

一応いろいろ調べてみて、こんな返事をメールしました。

「『人種のるつぼ』は、特に『使ってはいけない』ということは『ない』ようですね。

国語辞典で『るつぼ』を引くと、その用例に『人種のるつぼ』が出て来ます。手元にある国語辞典では、

『精選版日本国語大辞典』『広辞苑』『三省堂国語辞典』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』『岩波国語辞典』『現代国語例解辞典』

に、『人種のるつぼ』が用例として載っています。

ただ、ネットで調べると『るつぼ』は、

『全部を溶かして一つにする』

のですが、例えば、アメリカのニューヨークという都市は、

『人種を溶かして一つにするわけではない』

ので『いろんな人種の人がいる』という意味で、最近は『サラダボウル』を使って、

『人種のサラダボウル』

という表現のほうが使われる傾向だとのこと。ただし、『国語辞典』の『サラダボウル』の用例になるところまでにはなっていないようです。

その意味では、『人種のサラダボウル』のほうが、手垢の付いていない新しい比喩的表現と言えるでしょう。

グーグル検索(1月25日)では、

『人種のるつぼ』   =13万1000件

『人種のサラダボウル』= 1万3300件

と、やはり従来の『るつぼ』のほうが、『サラダボウル』の『10倍』、使われているようです。」

ということで、放送ではそのまま「人種のるつぼ」を使っていたようでした。

(2017、1、25)

2017年2月28日 18:33 | コメント (0)

新・ことば事情

6264「智頭町は『づ』か?『ず』か?」

1月から2月にかけて、西日本の日本海側は、雪が例年になくたくさん降り積もりました。ということで、鳥取県の

「智頭町」

も、ニュースによく出て来たのですが、これに振り仮名を振ろうと、確認をしたところで疑問が。いつも使っている「共同通信」のハンドブックは、

「ちづちょう」

「づ」になっているのに対して、「読売新聞社」のハンドブックは、

「ちずちょう」

「ず」になっていたのです!

「発音」を「現代仮名遣い」で書けば「ず」が正しいのです。

しかし、当の「智頭町」のホームページを確認すると、

http://www1.town.chizu.tottori.jp/

なんと、

「ちづちょう」

「づ」で書かれていました。「歴史的仮名遣い」を採用しているのです。

こうなると、「固有名詞」としてその表記に従わざるを得ません。「ミヤネ屋」では、

「ちづちょう」

で放送しました。

「づ」「ず」を気にしていたら、大阪・豊中市の、安倍首相夫人が名誉校長になっていていろいろと取沙汰されている小学校(4月開校予定)の名前、

「瑞穂の國」

「瑞穂」が、

「みづほ」

「歴史的仮名遣い」(旧仮名遣い)でしたね。「國」も「旧字体」だし、「名は体を表す」と。

あと、今度の3月に、私が所属する合唱団の「60周年記念コンサート」を開くんですが、そこで歌う「啄木短歌集」歌詞は当然(啄木の歌の表記のまま)「歴史的仮名遣い」(旧仮名遣い)なのですが、8首の歌の「タイトル」が、楽譜では「新仮名遣い」になっていて齟齬がありました。

(タイトル) (歌詞)

頬をつとう  :頬をつたふ

はずれまで :はづれまで

楽譜の中に書かれた歌詞は「発音記号」であると考えれば「新仮名遣い」でいいと思いますが、啄木の「歌詞」と、そこから取ったタイトルは「歴史的仮名遣い」が妥当だと思いました。

(2017、2、24)

2017年2月28日 11:30 | コメント (0)

新・ことば事情

6263「少人数娘。」

会社の食堂で「ヒルナンデス」の音声を聞いていたら、

「少人数娘。」

という声が聞こえていました。え?そんなの、あるの?何人組?2人ぐらい?いまや、

「少子化」

だしなあ・・・と思って画面を見たら、

「モーニング娘。」

でした。

「少子化」、関係なかった。私の耳が、

「老化」

でした・・・。

(2017.2、27)

2017年2月27日 21:29 | コメント (0)

新・ことば事情

6262「プレ金」

2月24日、その月の「最終金曜日」の仕事を、午後3時で切り上げるという、

「プレミアムフライデー」

が、始まりました・・・と言っても、午後2時から4時まで生放送を担当している私たちには、あんまり関係が無いんですけど・・・。経済産業省の肝煎り。

経済効果が果たしてあるのか?というか、どのくらいの人がこれを実行できるのか?しなきゃいけないのか?どうなのか?などと思っていたら、ネットニュースの見出しで、

「プレ金」

という文字を見かけました。

あっそうか、これは「プレミアムフライデー」が長いから「プレミアム」を「プレ」に略して「フライデー」を「金曜日」の「金」に置き換えたんだ!なんだかなあ・・・。

グーグル検索では(2月24日)、

「プレミアムフライデー」=92万9000件

「プレ金」       =33万2000件

結構、もう使われているんだ、「プレ金」!「成(り)金」にも似てるし、昔の、

「花金」

を思い出すなあ。もう「死語」でしょうねえ。これも検索。

「花金」=44万1000件

「華金」=45万2000件

「ハナキン」=10万6000件

「ハナ金」 = 2万7300件

でした。

米川明彦先生『明治・大正・昭和の 新語・流行語辞典』(三省堂)を引いてみると、

「1985年(昭和60年)」

の流行語として載っていました。

*「花金」=「花の金曜日」の略で、金曜日の夜遊んで楽しむ事。週休二日制になって生まれた。▼『現代用語の基礎知識一九八六年版』若者用語に「はな金 花の金曜日。OL用語」とある。」

と載っていました。『三省堂国語辞典』にも載っていました。

*「はなきん(花金)」=「(←花の金曜日)(俗)土曜日・日曜日の休みをひかえた、心もうきうきするような金曜日」

いいですねえ・・・うきうき。ウキウキ。ブギウギ。

「花木」

というのもあったな。「ハナモク」。これも「死語」ですね。検索、検索。「花木」だと「花」と「木」(ハナキ)を検索しちゃうから、2語で。

「花木・ハナモク」=1万4500件

「花モク」    =   628件

「ハナモク」   =  9490件

これは、全然定着しなかったようで。

「花金」や「花モク」は、「お上」が決めたわけではありませんでしたが、今回の「プレミアムフライデー」は、お上(経済産業省)主導。お上が決めて、意外と定着したのは、

「クールビズ」

ぐらいですかねえ・・・。

そして、きょう(2月24日)の「ミヤネ屋」で「プレミアムフライデー」を取り上げたのですが、その中でインタビューに応じてくれた「50代主婦」の方。昼間からビールを飲んでいて、

「ごめん!今、ごちそう 食べて来てん!」

「でも、ビールは2本までやで」

と、のたまいます。そしてディレクターの、

「『プレミアムフライデー』は、いかがですか?」

という質問に対して、一言、

「いらん!」

彼女の「50代主婦」というスーパーの横には、こう書かれていました。

「プレミアムエブリデー」

うまい!

そういえば40年ぐらい前に

「毎日が日曜日」

ってのがあったな、城山三郎の小説。思い出しました。

(2017、2、24)

2017年2月27日 18:27 | コメント (0)

新・ことば事情

6261「お守りは『1体』」

今年のお正月。初詣に行った京都・八幡市の石清水八幡宮で、子どもの中学受験用に、「合格祈願」のお守りを買いました。あ、「買った」んじゃないんだ、「頂いた」んですね、「お布施」をして。

その際に、巫女さんが、こう言いました。

「2体で2000円のお納めになります。」

このひとことで、2つのポイントがあります。

1つ目は、

「『お守り』は『1体』『2体』・・・と『体』で数える」(「お守り」の助数詞は「体」)

ということです。これが一番。

あとで飯田朝子さんの『数え方の辞典』で「お守り」の数え方を引いてみたら、

「枚、個 ※まれに『尊』で数えることもあります」

とありましたが、「体」は載っていませんでした。この場合の「体」は、明らかに、

「神様」

を示していますね。「枚」は「紙さま」でしょうけど。

そして、もう一つ気付いたのは、最初に書いたように「お守り」は「買う」のではなく「お布施」なので、

「お納めになります」

という言い方です。

「『お布施』は『納める』」

のです。「奉納」です。

奉納の甲斐あって、娘は受験した中学に、見事合格しました。神様、ありがとうございました!

(2017、2、16)

2017年2月20日 20:04 | コメント (0)

新・ことば事情

6260「未遂と失敗」

きょう(2月15日)の「ミヤネ屋」の放送の中で、以前「オウム真理教」が、「幸福の科学」の大川隆法総裁の暗殺を企てたことがあって、実際に毒ガスの「VXガス」を大川総裁の車に散布したが、失敗に終わったのだそうです。それを指して、

「VXガスを散布したが、未遂に終わった」

との表現が、フリップに出て来たのですが、違和感が。

「未遂」というのは、まだ、

「行う前」

のような気がします。すでに毒ガスを散布しているのだから「未遂」ではなく、

「失敗」

ではないか?と思ったのです。しかし、

「自殺未遂」「殺人未遂」

などの表現はありますし、これらは、

「実際に行為を行って、失敗した場合」

に言います。この違いは何でしょうか?

考えました。

結論は、「行った」場合には、

*「未遂」=行為(自殺・殺人など)

*「失敗」=計画(暗殺・殺害計画など)

と使い分けているのではないか?また、

「まだ行為を行っていない場合」

は、やはり「未遂」ですね。

そして「計画」が「未遂」で潰(つい)えてしまった場合には、

「失敗」

も使えると思います。いかがでしょうか?

そして、この言葉の違いを考えていて思いが及んだのは、今、国会で問題になっている、

「共謀罪」

についてです。これまでの犯罪の「殺人」「詐欺」などは、実際に行動に出たが、目的を達することができなかった場合に、

「殺人未遂」「詐欺未遂」

などの「未遂」の罪があります。つまり、

(1)「計画」

(2)「実行」

(3)「結果」

のうち、(1)(2)まで行って(3)が失敗した場合が、「未遂」になっています。

これを見ていて、よくビジネス関係で出て来る、

「PDCAサイクル」

を思い出しました。「PDCA」とは、

「Plan(計画)」→「Do(実行)」→「Check(評価)」→「Act(改善)」

の4 段階を指します。

この「(2)実行」にまで行かなくて、

「(1)計画」

をしただけで捕まる恐れがあるのが「共謀罪」です。もちろん、

「悪いことを計画した場合」

ですが、この、

「悪いこと」

というのが具体的に何を指すのかが問題です。

そこが「恣意的」に、権力を持つ政府側が決められるということになると、一般市民にとっては自由を制限される非常に危ないことになるということです。

もちろん、「他人の命を奪う」「他人を傷つける」ような計画は、有無を言わさず「悪いこと」ですが、それ以外の意見が分かれているような問題に関して(たとえば沖縄の米軍基地の問題や難民の問題など)、政府側から、

「敵=悪いヤツら」

と認定されると、非常に危ないです。

とここまで書いて、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)委員長の異母兄である、

「金正男(キム・ジョンナム)氏」

が、マレーシアのクアラルンプーリュ国際空港で"暗殺"された事件で、実行犯と見られる2人目の女が捕まったというNHKの夜7時のニュースの中で、凶器は、

「『VXガス』ではないか?」

という見方を放送していました。

ここにも出て来たか、「VXガス」!

以前から、オウム真理教や北朝鮮のテロ行為の際に出て来た毒ガスですね。こわいです。こんなのは事前に取り締まってほしいと、誰だって思います。こういう自然な気持ちは良いのですが、ねえ。

(2017、2、16)

2017年2月19日 19:50 | コメント (0)

新・読書日記 2017_021

『キレイゴト抜きの就活論』(石渡嶺司、新潮社:2017、1、20)

シューカツ評論家の石渡さん、知り合いです。最近会ってないけど。メールのやりとりぐらいですが、しょっちゅう、関西にはいらっしゃってるそうですが、忙しそうです。

頑張ってほしいなと思って応援しているので、本が出たら買います。今は私は「シューカツ」に、あまり関係ないけど。採用側でもないし、子どももまだ小さいしと思っていたら、息子も大学生になったので、ちょっと興味を持って見ておかないとな。もう、私たちが学生の時(30年以上昔・・・)とは、全然状況も違うし。まあ、「ミヤネ屋」に来てくれている「学生アルバイトさん」とかで、ちょっとだけ「シューカツ」にも関係があるけどね。

これは私らが学生の時も同じだけど、今の学生もやはり、名の知れた大きな会社しか知らないし、興味をなかなか持てないようですが、石渡さんこの本の最後の方に、中小企業や、あまり有名ではないけど世界的には業界シェアの大きな会社、質実剛健の会社など、「オススメ企業」を一覧にしてコメントを寄せてくれている。これなんかは、私なんか会社員でもちょっと「へえーそうなんだ」と興味を持って読めました。

つまり一般の人は「BtoC」=「消費者目線」でしか企業を知らないけれど「BtoB」、企業を相手に商売をしているシブイ会社に目を向けると、優良で面白い企業がたくさんあるよということを、この本は教えてくれるのです。「シューカツ」にあまり興味のない一般の人も、そういう視点で読むと面白いです。

「就活家族」なんていう他局のドラマもあって、「就活」という言葉はもうすっかり定着しましたね。21世紀に入ってから、私は知った言葉ですけどね。

そうそう、この間読んで「2017読書日記019」に書いた本『お祈りメール来た、日本死ね~「日本型新卒一括採用」を考える』(海老原嗣生、文春新書:2016、11、20)を、石渡さんは「良書」と取り上げていましたよ。


star4

(2017、2、14読了)

2017年2月25日 11:46 | コメント (0)

新・ことば事情

6259「『ビリギャル』に出て来た慶應義塾大学の校舎に」

映画「ビリギャル」(「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」)に出て来た慶應義塾大学の校舎に、

「ラテン語の文字」

が刻まれているのが見えました。録画していたので停止させて書き取りました。こんな文字でした。

HOMO NEC VLLVS CVIQVAM PRAEPOSITVS NEC SVBDITVS CREATVR

(ホモ・ネク・ウールス・クウィークアム・プラエポシトゥス・ネク・スブディトゥス・クレアトゥール)

ラテン語の「V」は「U」なのですよね。そう思って見ると、「ローマ字読み」で読めなくもない。

これはどういう意味なのか、調べてみたところ、なんとあの「福沢諭吉」の、

「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」

のようなのです!そうだったのか!慶應の人は、みんな知ってるのかな?

「ヤフー知恵袋」(2014年12月24日)の質問に対して「ベストアンサー」に選ばれた「elegant_tasty_new_coffeeさん」の回答によると、

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13139789623

単語の意味は、

homo=人間」

nec...nec.=〜でも〜でもない」

ullus=どんな」

cuiquam quisquam(誰か)の与格」

praeposituspraepono(上に置く)の完了受動分詞」

subditus subdo(下に置く)の完了受動分詞」

creatur creo(創る)の接続法受動相三人称単数現在形」

だそうです。

勉強になりますね!

(2017、2、15)

2017年2月18日 18:43 | コメント (0)

新・ことば事情

6258「泣きべそ、ばけべそ」

出勤途中に、ふと思いました。

「『なきべそ』の『べそ』は、『顔』の意味の『面相』が訛ったのではないか?」

たぶん・・・きっとそうだ!

『広辞苑』で「べそ」を引くと、

「子供などの泣き顔」

とありました。やっぱり「顔」なのは間違いない。『精選版日本国語大辞典』には、

「子どもなどが口をゆがめて泣き顔をすること。またその顔」

とありました。

そもそも何で私がこんなことを考えたかと言うと、通勤の時に前を歩いていた女性の後ろ姿を見て、

「もし、前に回って顔を見たら、『ばけべそ』だったりして・・・」

という失礼なことを考えたからでした。

「ばけべそ」

という言葉は、もちろん「俗語」で「死語」かもしれませんが、

「化け物のような顔」

という意味ですよね。これは「国語辞典」に載っているのか?『広辞苑』と『精選版日本本国語辞典』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』『三省堂国語辞典』には、載ってないなあ。

ネット検索(グーグル)では(2月15日)、

「ばけべそ」=3万1900件

出て来ました。トップに出てきた、

http://blogs.yahoo.co.jp/denjiro_jp/19931663.html

のサイトによると、『江戸の女気質』(三田村鳶魚)に、

『奥様以下――即ち大名の妻以下を見る。女房の称呼も随分いろいろあって、御新造、御上《おかみ》さん、カカア、山の神、下歯《したぱ》、化臍《ばけべそ》という風に、沢山の種類に分れて居りますが』

とあるそうで、

『この記述に依拠すれば、化けた臍(へそ)である。「ばけべそ」の意味が「江戸時代、下級武士が自分の妻のことを卑下(ひげ)して、こう呼んだ」とあるから、「へそ」が化粧したような不細工な顔をしている妻という意味から卑下に通じるのだろうか。』

と書かれています。

「江戸言葉」のようですね。私も「ばけべそ」は「江戸落語」で耳にしたような気がします。

「めんそう→べそ」

に訛って変わったということはないのかなあ。

(2017、2、15)

2017年2月17日 18:42 | コメント (0)

新・ことば事情

6257「女性パティシエ」

先日放送で、

「女性パティシエ」

という言葉が出て来ましたが、ちょっと「?」が。というのも、ワインの

「ソムリエ」

という男性の職業に対して、同じ職業でも「女性」の場合は、

「ソムリエール」

と言うのと同じように、「菓子職人」の、

「パティシエ」

に対して、女性の場合は、

「パティシエール」

と言うのではないか?と思ったからです。たしか昔、うち(読売テレビ)のアニメで、

「夢色パティシエール」

というのがあったと思います。2010年ごろに放送していました。

実はこれに気付いたのは、去年(2016年)の5月で、読売テレビの由がtの「かんさい情報ネットten.」の人気コーナー「ノゾキミ」で出て来たのでした。

そのときのグーグル検索(2016年5月19日)では、

「パティシエ」  =  64万7000件

「パティシエール」=  44万3000件

「ソムリエ」   =1870万0000件

「ソムリエール」 =  26万6000件

でした。割合で言うと当時は、

「パティシエ:パティシエール」= 3:2

「ソムリエ:ソムリエール」  =70:1

でした。

今回のグーグル検索(2017年2月15日)では、

「パティシエ」  =1040万0000件

「パティシエール」=  87万9000件

「ソムリエ」   =2630万0000件

「ソムリエール」 =  19万1000件

「男性パティシエ」=     1480件

「女性パティシエ」=   9万4800件

でした。割合で言うと、

「パティシエ:パティシエール」= 12:1

「ソムリエ:ソムリエール」  =138:1

です。

「パティシエ」の伸び(16倍)に比べて、「パティシエール」が伸びていません。(2倍)

それとは別に、前回は調べていなかったのですが、

「女性パティシエ」

という言い方の数がかなり多い。「パティシエール」よりも「女性パティシエ」の方が定着しようとしているのではないでしょうか?

また「ソムリエ」の伸び(1、4倍)に比べて、「ソムリエール」は逆に「3割」も減っています!なぜなんでしょうかね?あ、そうか、これももしかしたら「ソムリエール」よりも「女性ソムリエ」が増えているのかな?

グーグル検索(2017年2月16日)では、

「男性ソムリエ」=  1040件

「女性ソムリエ」=1万5800件

でした。それほど多いとは言えないかな。

(2017、2、16)

2017年2月16日 16:31 | コメント (0)

新・ことば事情

6256「65代のアクセント」

初場所で大関・稀勢の里が初優勝を果たし、「横綱昇進」も決めました。3代目若乃花以来、19年ぶりの、

「日本出身横綱」

の誕生になりました。

さて、その稀勢の里は、

「第72代横綱」

になるわけです。この「○○代」のアクセントの中でも「1ケタ」が「5」の場合は、たとえば

「65代」になると、(65代=貴乃花)

「ロ/クジュー・ゴ/ダイ」

と「5代」部分のアクセントが、

「ゴ/ダイ」

「平板アクセント」になるのが正しいと私は思います。ところが最近よく、

「ロ/クジュー・ゴ\ダイ」

というようなアクセントを耳にします。「5代」部分のアクセントが「頭高アクセント」になっているのですね。なぜこうなるのか?考えました。

「●代」

という数詞と助数詞のアクセントを1から順番に見ていくと、

「イ/チ\ダイ」(1代)

「ニ\ダイ」(2代)

「サ\ンダイ」(3代)

「ヨ\ンダイ」「ヨ/ダイ」(4代)

「ゴ/ダイ」(5代)

「ロ/ク\ダイ」(6代)

「ナ/ナ\ダイ」(7代)

「ハ/チ\ダイ」(8代)

「キュ\ーダイ」「ク/ダイ」(9代)

「ジュ\ーダイ」(10代)

ということで、「ゴダイ」と同じ「3拍」のもののアクセントを見てみると、

「ニ\ダイ」(2代)

「サ\ンダイ」(3代)

「ヨ/ダイ」(4代)

「ゴ/ダイ」(5代)

「ク/ダイ」(9代)

となっています。このうち「4代」「9代」は、普通は、

「ヨ\ンダイ」「キュ\ーダイ」

ですから、それを除くと、

「ニ\ダイ」(2代)、「サ\ンダイ」(3代)

は、共に「頭高アクセント」ですよね。だから「5代」も、それにつられて(引き付けられて)「頭高アクセント」で、

「ゴ\ダイ」

になってしまうのではないか?と考えました。

それともう一つは、飛行機の「便数」を数えるときに、

  1. 便名

  2. 合計便数

によってアクセントが変わる傾向があります。例えば、「5便」のアクセントには、

「ゴ\ビン」(頭高クセント)

「ゴ/ビン」(平板アクセント)

の2種類がありますが、

(1)便名=「ゴ/ビン」(平板アクセント)

(2)合計便数=「ゴ\ビン」(頭高アクセント)

という傾向があるのではないでしょうか?

こういった「2種類のアクセント」がある助数詞につられて、「頭高アクセント」を選択してしまうのではないかな?と思いました。

しかし!

去年5月に新しく出た『NHK日本語発音アクセント辞典』の巻末に載っている「数詞と助数詞のアクセント」の一覧表で「代」について見てみると、なんと、

「ゴ\ダイ」

という「頭高アクセント」を2番目に認めているではありませんか!

もちろん最初に載っているのは、

「ゴ/ダイ」

という「平板アクセント」ではあるのですが。

「ゴ\ダイ」

というアクセントは、なんか気持ち悪いんだよなあ・・・。

『宇宙戦艦ヤマト』の主人公「古代守」の「古代」なら

「コ\ダイ」

でいいんだけどなあ・・・・。

ちなみに飛行機の便数の、

(1)便名=「ゴ/ビン」(平板アクセント)

(2)合計便数=「ゴ\ビン」(頭高アクセント)

という傾向があるのではないか?ということに関しても、『NHK日本語発音アクセント辞典』の巻末に載っている「数詞と助数詞のアクセント」の一覧表に、載っていました。

「便」の「備考欄」には、

「航空機などの便名の場合は、平板型(2単位語の場合は、後部要素が平板型)が推奨型」

とありました。ちょっとわかりにくいけど、その上の一覧表を見ると「1番目のアクセント」は「中高アクセント」か「頭高アクセント」で、

「イ/チ\ビン」「ニ\ビン」「サ\ンビン」「ヨ\ンビン」「ゴ\ビン」「ロ/ク\ビン」「ナ/ナ\ビン」「ハ/チ\ビン」「キュ\ービン」「ジュ\ービン」

となっていて、「2番目のアクセント」として、全て「平板アクセント」が載っているので、その使い分けとして、

「便名」

の場合は、

「イ/チビン」「ニ/ビン」「サ/ンビン」「ヨ/ンビン」「ゴ/ビン」

「ロ/クビン」「ナナ/ビン」「ハ/チビン」「キュ/ービン」「ジュ/ービン」

「平板アクセント」のほうを、

「推奨」

しているということです。逆に言うと、

「『便名』でない場合=『便数』をいう場合」

には「頭高アクセントを推奨」ということになるんでしょうね。

(2017、2、15)

2017年2月16日 12:30 | コメント (0)

新・ことば事情

6255「5遺体」

2月6日の未明にツイッターで見た「日テレニュース」。

大分県別府市で火事があり、5人が犠牲になったというものでした。その見出しに、

「5遺体」

とありました。これが本文だと、

「5人の遺体」

となるのでしょうが、見出しは文字数に制限があるので、短く「5遺体」としたのでしょう。ここでは、

「『遺体』が助数詞」

になっていました。しかし「5遺体」を音声で聞くと、

「ご遺体」

に聞こえなくもありませんね。

(2017、2、9)

2017年2月15日 17:11 | コメント (0)

新・読書日記 2017_020

『大統領の演説』(パトリック・ハーラン、角川新書:2016、7、10)

去年の7月に出た本。大統領選挙の共和党・民主党の候補は、トランプとヒラリー・クリントンに決まったという時点。まさか、その4か月後に、本当にトランプが勝って「大統領」になる(なってしまう)とは、著者のパックンことパトリック・ハーランも、思ってもみなかっただろう。しかしトランプの、それまでの既成の政治家にはないスピーチ内容や人気というものには、十分脅威は感じていたと思う。

歴史的に見て「大統領」の演説というのはどうであったか、またどうあるべきかというようなことを、丹念に歴史を振り返って記している労作。

最後の方に、「トランプ」がいかにウソを付くか、つまり大統領の資質を持っていないかについても触れている。

そしてそれと対照的に、あまり評価されない大統領となった「オバマ」だが、その演説の巧みさ、歴史的に見ても含蓄のある良い演説をしばしば行ったことを、具体的な例を挙げて記している。最終章では「広島演説」も紹介している。確かにあれは、歴史に残る演説であったと思う。

アメリカという国を引っ張ってきた「大統領の演説の力」というものが、よくわかる一冊。これを読むと、トランプが大統領としては、やっていけないのではないかと思わざるを得ないのだが・・・。


star4_half

(2017、2、5読了)

2017年2月24日 12:07 | コメント (0)

新・読書日記 2017_019

『お祈りメール来た、日本死ね~「日本型新卒一括採用」を考える』(海老原嗣生、文春新書:2016、11、20)

「日本死ね」が去年の「新語・流行語大賞」に上がったので、この言葉は嫌いだけど、よく考えてみないといけないかなと思っていた時に、この本のタイトルを見かけたので購入。

しかし、実はこの本の内容は「サブタイトル」のほう、

「『日本型新卒一括採用』を考える」

にあった。つまり日本の「新卒採用」という採用の仕方は、よく、

「『世界標準』じゃないので、良くない」

と否定・批判されるが、実は、

「もちろん悪い面もあるが、だからと言って外国の採用の仕方が問題なく良いわけではない。(「インターン制度」なども)『一長一短』『で、日本型経営にはこの『新卒採用』は意外と合っているのではないか?」

というような見方で綴られているように思った。

また、タイトルの「お祈りメール」というのは、採用に落とされた学生に対して、落とした会社から送られる

「貴殿の今後ますますのご活躍をお祈り申し上げます」

という、木で鼻をくくったような慇懃無礼なメールのこと。何社も、何十社も落とされた学生から言うと、

「ケッ!!何言ってやがんでい!」

てなものだろう。

私たちの頃、と言ってもう30年以上前で比較にならないけど。その頃の就職活動(「就活」という言葉もなかった。これは21世紀に入ってから出来た言葉では?)は、メールが無かったし、こんな思いはしなかったのだろうけど、現代では手軽なメールで届くからこそ、その「手軽さ」で綴られた文章に嫌気が差すのだろうなあと感じた。

採用方法に「一長一短」があるのは当然で、ある方法の良い面だけを見ても仕方がない。良い面・悪い面を比較して、どちらのメリットが大きいか。それは会社によっても違うと思うので、「一律」というのもなあ・・・と感じた次第です。


star3

(2017、1、22読了)

2017年2月23日 12:25 | コメント (0)

新・読書日記 2017_018

『映画と本の意外な関係!』(町山智浩、インターナショナル新書:2017、1、17)

この本不況の中、またまた新しい新書が発刊されました。集英社の「インターナショナル新書」!"真っ赤な表紙"が目印です。

その4冊ぐらい出た「今月の本」の中の一冊が、町山さんのこの本。

紹介された映画の多くは、まだ見たことがない映画だったが、その映画のベースとなった考え方というか「本」が何であるかを知ることで、より深くその映画を味わえるなあと感じた。

結構、「本」「や「本棚」が出て来る映画はあるものなのだな。これまでは、単なる「風景」としてしか見ていなかったが、実は、「象徴的な存在」として、"暗号のように"その本が撮影されていることもあると。その奥深さを知ると、より映画の世界を愉しめますね。

とっても勉強になりました!


star4

(2017、2、9読了)

2017年2月22日 12:03 | コメント (0)

新・読書日記 2017_017

『現代の名演奏家50~クラシック音楽の天才・奇才・異才』(中川右介、幻冬舎新書:2017、1、30)

昨年末から、ものすごいペースで(毎月のように)本を出されている中川右介さん、今回は「本業」と言える「クラシック音楽」に関する著書。

このところ「500ページ近い」とても分厚い新書を立て続けに出されていたが、本書は270ページ、常識的な(?)厚さになっている。

今回は、購入する前に中川さんから贈って頂きました。ありがとうございます。

クラシック音楽に興味はあるが、それほど詳しいわけではない私などにはピッタリの一冊。2014年1月から2015年11月までCD付きマガジン『クラシックプレミアム』(小学館・全50巻)に連載されていたエッセイを基に書かれたものだそうだ。ということは連載時のマガジンを買っていれば、文章も読めてその実際の音楽(CD)も聴けたのか。しまった・・・買っておけば良かった。

しかしCD全部聴くのも大変だし、ここで紹介されたCDの中から「これは・・・」と思う物をピックアップして聴くのもいいかもしれない。

最後に中川さんが書いているが、やはりこうやって「現代の名演奏家」=「20世紀から21世紀の音楽家」について通して見てみると、20世紀のクラシック界は、

「カラヤン」

を中心に動いていたのだなということを、改めて感じたそうだ。

そうでしょうね。クラシック通ではない私でも「カラヤン」は知っていますからね。多くの人たちもそうでしょう(これからは、わからないが)。

ホロビッツやアルゲリッチといったピアノの巨匠。グールド。

ホロビッツの来日公演は1983年の春だったか。クラシック音楽に全く興味のない人まで、 「5万円のチケット」という話題性で、テレビでコンサートを見た(聴いた、というよりも)もんな。私もその一人でした。上手なのかどうかも良く分からなかった。もう「おじいさん」だったし。もう34年も前ですが。

そして「ベルリンフィル」と「ウィーンフィル」という柱。これとのカラヤンの確執。それに振り回される人たち。うーん、人間模様が音楽家には付きまとう。音楽は人間が演奏するんだもんね。

ちょうど直木賞受賞作、恩田陸の『蜜蜂と遠雷』も並行して読んでいたので、よけいに興味深く思えました。


star4_half

(2017、2、7読了)

2017年2月21日 12:01 | コメント (0)

新・読書日記 2017_016

『テレビ報道記者』(下川美奈、WAC:2016、11、30)

昨年末で、5年半にわたる「ミヤネ屋250」で、日本テレビ報道フロアからのニュースを読む仕事から「卒業」した、日本テレビ社会部デスク兼キャスターの下川美奈さんの本。結構、話題になっているみたい。

下川さんが昨年末の「ミヤネ屋」忘年会にも参加されていた時に「本、買って読みますね!感想もブログにUPするから!」と言ったので、さっそく「2017年」の1冊目として読みました。(感想を書くのが遅くなってしまいました。済みません)

著者略歴を見ると、私より11歳年下でなんと早稲田の政経の後輩ではないか!知らなかった。たしかに彼女、"バンカラな感じ"がします。早稲田っぽいかも。少なくとも"慶應っぽくない"ですね。

タイトル通り「テレビ報道記者」の仕事の内容が書かれているので、私達にとっては特に目新しい感じではないけれども、テレビの記者って、女性記者って、どんな仕事をどのような気持ちで働いているんだろう?という意味で読むと、興味深いかも。

ただ「ミヤネ屋」に関する記述では、111ページに「ミヤネ屋」が当初「関西ローカル放送」だったのが、

「二00七年三月から日本テレビが加わるなど全国ネット放送に発展した」

とあるのは間違いで、正しくは、

「二00八年三月から」

です。同じことに関して書いてある127ページには、

「二00八年三月には日本テレビなどでも放送が開始され」

と書かれていて、これは正しい。どちらも「注釈」部分なので、たぶん下川さんは書いていないのかもしれないけど、チェックをしっかりしないといけないですね。

ぜひ重版がかかった際には「修正」をお願いしますね。

「ミヤネ屋」、お疲れ様でした!


star3_half

(2017、1、2読了)

2017年2月20日 12:00 | コメント (0)

新・読書日記 2017_015

『孕むことば』(鴻巣友季子、マガジンハウス:2008、5、22)

「孕」は「はらむ」と読む。常用漢字ではありません。著者は翻訳家でエッセイスト。エッセイは面白い(勉強になる)ので、何冊か読んだことがあるが、この本は、大分前に出ていたのに知らなかった。たまたま、会社の近くで開かれていた「古本市」で見かけて、即買いました。新刊だったら1500円のところ所が300円です。鴻巣さん、すみません。中身は1500円分あります。

あまり子どもが好きではない著者が、40歳を前にして念願の『嵐が丘』の新訳の大仕事を取り、(年齢的に)子どもを産むことを諦める覚悟をしたところ、なぜか仕事をした後に結婚して子どもも産んでしまうという事態に。

そこで、「子育てと仕事をタテ糸・ヨコ糸に絡めたエッセイを書いてくれませんか?」という編集者の依頼に応え雑誌の連載をまとめた一冊です。

ということで、お子さん(娘)の成長の過程が出てきて、その娘の「ことば」を「翻訳」しながら、自らの「翻訳の仕事」についても考えを巡らせるというような、大変オトナな、それでいて「母」としての気持ちを記した「育児日記」の一種だと考えられる。

私も(男だけど)育児には少しは携わったので、昔を思い出し、現在を重ね合わせながら、楽しく読むことができました。「子育て」は「親育て」なんだよね。そして「教えること」は「学ぶこと」です!


star4

(2017、2、12読了)

2017年2月19日 12:59 | コメント (0)

新・読書日記 2017_014

『冲方丁のこち留~こちら渋谷警察署留置場』(冲方丁、集英社インターナショナル:2016、8、31第1刷・2016、10、10第2刷)

著者の名前「冲方丁」は、「うぶかた・とう」と読む。難しい名前ですね。

「こち留(とめ)~こちら渋谷警察署留置場」

というタイトルはもちろん、昨年、40年にわたる連載が終了した漫画、

「こち亀~こちら葛飾区亀有公園前派出所」

のパロディーだろう。「こち亀」では主人公は、

「警察官」

だが、「こち留」での主人公は、

「無実の罪で留置された著者=冲方丁」

である。大変な経験を「笑い」で吹き飛ばそうという気持ちが伝わってくる。

以前、日経新聞のコラムを読んで「おもしろいなあ」と注目をしていた著者は、その後『天地明察』で「本屋大賞」を取ったり、映画化されたりして売れっ子作家となった。

それがある日突然(2015年の8月に)、「妻に対するDV容疑」で逮捕されたニュースがマスコミを賑わしたときには「え?本当に?」と思った。

その後、何だか、うやむやになるような感じで釈放されたという記事を読んでも、著者に対する「グレーなイメージ」は拭えないままでいた。一体何があったのか?知りたいと思っていたら、この本を見つけたので、即購入。

なかなか経験できない「留置場(や、刑務所)生活」についての記録は、例えば、佐藤優の『獄中記』などがあるが、より身近な感じでその生活の細かいところなどが分かった気がした。よくこれだけ細々と覚えていられたものだ。さすが作家!

警察が、また検察が、そのメンツにかけて、

「逮捕した以上、何が何でも送検・起訴・有罪にしてやる」

と誇りを持って。「正義」の名の下に思っている様子、そのためには「冤罪」も起こりうる可能性を十分に感じ、今、国会論戦に上っている「共謀罪」等の"コワサ"を彷彿させるものにもなっている。

しかし、読み終わって、やはり疑問が残る。

なぜ、彼の妻は、夫を訴えたのか?

もし「虚偽」の訴えであるならば、なぜ著者は「妻の側」を訴えることをしないのか?

その一点だけは、謎のままで残ってしまう。それが明らかにされることは、ないのだろうか?


star4

(2017、2、1読了)

2017年2月18日 12:57 | コメント (0)

新・読書日記 2017_013

『蜜蜂と遠雷』(恩田陸、幻冬舎:2016、9、20)

この間の直木賞受賞作。直木賞を取る前に新聞広告で見て「読みたい」と思った。装丁がおシャレ。タイトルは「金文字」である。「蜜蜂」と「遠雷」って、一体どんな話なんだろう?実は全編「ピアノコンクール」の話。500ページを超える2段組みのボリュームだが、一気に読ませる楽しさがある。と言うのも、「4人の登場人物=コンクールに出場する人」が、果たしてコンクール上位へ進んで行けるのか?というのが、まるでミステリーの様に読めるからだ。グイグイ引き込まれる。3人の天才と、1人の努力型の人。4人は皆、とっても魅力的な存在だ。天才は天才で、何か悩みを抱えているものなのだな。「蜜蜂」=養蜂業の父親について放浪の生活をしている最年少の天才ピアノ少年「風間塵(かざま・じん)」。「風神雷神」のようなイメージの名前。彼が主人公のように見えて、実は「狂言回し」的な存在なのかなという風に思った。本当の主人公は、母の死で一度は挫折した天才女性ピアニスト・栄伝亜夜だろう。

私は楽器(ピアノ)は弾けないけれど、合唱をやっていて音楽には興味がある。それと以前、仕事で「音楽コンクールの司会」をやったことがあるので、コンクールの雰囲気は少し知っている。課題曲で同じ曲ばかり聞かなくてはならない審査員の先生の大変さもちょっとはわかる気がする。司会もずっと演奏を聴いて・・・というか、舞台の裏で待っていなくちゃいけないし、聴いている内に、ある程度の上手い・下手というか、次に進めるかどうかが、最初の予選の段階だと、分かったりする。耳が慣れて来るのかな。

とにかく、読んでいると、まるでピアノの音が聞こえてくるような気がした。その曲も、どんな曲かは知らないんだけれども。これが文学の力か。

音楽好きの方には、絶対お勧めです!


star5

(2017、2、1読了)

2017年2月17日 19:17 | コメント (0)

新・読書日記 2017_012

『役者は一日にしてならず』(春日太一、小学館:2015、2、28第1刷・2015、6、14、第2刷)

今、ノリにノッている著者の「原点」とも言うべき一冊。帯には「魂を揺さぶる16人の白熱インタビュー」とある。16人もインタビューするの、その準備も考えたら大変です。よっぽど元々からずっと見ていなくては、浅い質問しかできずに、いい話を引き出せないですからね。インタビューされたのは全部「男」。男臭い一冊です。名前を挙げましょうか。

平幹二朗、千葉真一、夏八木功、中村敦夫、林与一、近藤正臣、松方弘樹、前田吟、平泉成、杉良太郎、蟹江敬三、綿引勝彦、伊吹吾郎、田村亮、風間杜夫、草刈正雄。このうち平幹二朗、夏八木功、蟹江敬三、そして、つい最近には、松方弘樹が亡くなった。(なんか「デスノート」のような?冗談ですが・・・)ベテランの俳優さんばかりだから、当然、「今!」聞いておかなければという気持ちが、著者の中にも、ないことはなかったとは思いますが。

それぞれの俳優さんは、俳優になった経緯も違うし、主役ばかりをやって来た人もいれば、脇役をやって来た人もいる、それらが組み合わさって、映画・舞台・テレビの作品が出来上がっていくんだということが、よく分かる。また、その世界でいかに生き残っていくか、皆さん、すごく考えて悩んで・・・勉強になりました。


star4

(2017、1、31読了)

2017年2月16日 19:15 | コメント (0)

新・読書日記 2017_011

『それでもこの世は悪くなかった』(佐藤愛子、文春新書:2017、1、20)

著者は大正12年(1923年)生まれの93歳。関東大震災の年に生まれたんだな。

元気なおばあさんで、このところ立て続けに本を出している。もう「遺言」のつもりなんでしょうね。でも、本当に元気!「イノシシ年」生まれなので「猪突猛進」ですなー。

93年生きてきたこの作家の「初めての語りおろし」。もう、搾れるだけ、思い出を搾り取ってやれ!という感じが。でも確かに「今のうちに」という気はしますよね。有益なお話が聞けると思うからこそ。

著者は作家・佐藤紅緑の娘だというのは知っていたが、紅緑が若い頃「陸羯南(くが・かつなん)の書生をしていたというのは知らなかったし、改めて言われて気付いたのは、詩人の「サトー・ハチロー」が著者(愛子)の兄に当たるということ。そ、そうだったのか。言われてみれば・・・。後半に出て来る、作家の人たちとの交流も、今こうやって書き残しておかないと、もうわからなくなっちゃうしね。貴重な一冊です。


star3_half

(2017、1、25読了)

2017年2月15日 19:14 | コメント (0)

新・ことば事情

6254「叩き込み」

先月、大相撲初場所を見ていて気付いたのですが、決まり手の一つ、

「はたきこみ」

を漢字で書くと

「叩き込み」

なんですね!

「たたきこみ」

ではないんですね!「はたく」を「叩く」と書くとは、知らんかったなあ。

つまり、「叩く」

「たたく」「はたく」

どちらとも読める。ということは、

「たたく=はたく」

なのか?「たたく」の意味はわかりますが、どちらかと言うと「はたく」のほうの意味が「叩く」には、なじまないような。掃除のときにホコリを払う、

「はたき」

は、「たたいている」と言えば「たたいている」けど、いわゆる「たたく」とは違う気がします。

辞書で「はたく」を引いてみましょう。『精選版日本国語大辞典』では、

*「はたく」(叩く・砕く)

◆1(他動詞・カ行五段)

(1)搗(つ)く。砕く。搗き砕く。砕いて粉末にする。粉にする。

(2)うち払う。払いのける。ごみやほこりをたたいて落とす。

(3)たたく。平たいもので打つ。なぐる。

(4)すっかりなくしてしまう。財産、持ち金、知恵などを使い尽くす。払い尽くす。

(5)身に受ける。蒙(こうむ)る。

(6)しくじる。失敗する。やりそこなう。損する。また、不評を蒙る。

(7)値切る。値段を安くさせる。まけさせる。

(8)口に出す。吐く。ほざく。ぬかす。

(9)相撲で、相手の首や方を上からたたいて前に倒す技をかける。

◆2(他動詞・カ行下二段)(手や足を)のばしたりひろげたりする。

こんなにいっぱい意味があるんだ!『広辞苑』でも5つ、意味が載っていました。

知らなかったなあ。

(2017、2、13)

2017年2月15日 11:12 | コメント (0)

新・ことば事情

6253「梅春」

2月10日の日本テレビ『スッキリ』で、トランプ大統領の娘。イバンカさんのブランドである、

「イバンカ・トランプ」

を扱っている東京・浅草のお店の女性店員(店長?)さんにインタビューしていました。

その店員さんの言葉の中で耳に留まったのは、

「『梅春』に向けて」

という言葉です。この「梅春」は「バイシュン」ではなく、

「ウメハル」

です。意味を補うテロップでは、

「12月~2月」

と時期が出て来ました。

「梅の花が咲く頃にかけて」

を指して、この業界ではそう呼ぶのですかね。

ちょっと「俳句の世界」みたいな感じがしました。

国語辞典は『広辞苑』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』『精選版日本国語大辞典』『三省堂国語辞典』を引きましたが「梅春」は載っていません。

ネット検索でトップに出て来たのは、『実用日本語表現辞典』というサイトで、そこには、こう記されていました。

*「梅春」=読み方:うめはる

主に服飾業界の用語で、冬明けと春の到来の中に位置する期間。および、その期間向けのファッション。防寒用の厚手の生地に、春らしい明るい色づかいなどの組み合わせが多い。

やっぱりファッション業界用語だったんだ!

ちなみに、俳句の季語辞典もいくつか引いてみてみましたが、載っていませんでした。「梅」と「春」は、季語が重なってますもんね。

(2017、2、10)

2017年2月14日 19:15 | コメント (0)

新・ことば事情

6252「大尉の読み方」

日本時間の昨年12月28日、安倍首相は米・ハワイのオアフ島にある「真珠湾」を訪問し、17分間にわたるスピーチを行いました。

その演説の中で気になったことがあります。

「日本帝国海軍大尉」

という言葉の、

「大尉」

を、安倍首相は、

「だいい」

と「濁って」読みました。これは、

「たいい」

という「濁らない読み方」が普通だと思うのですが、「間違い」ということではありません。「云々」を「でんでん」と読んだのとは違います。

実は、「海軍」では習慣的に、

「大尉(ダイイ)」「大佐(ダイサ)」

「大」を「ダイ」と濁って呼んだそうなのです。

「昭和期の海軍に関する場合はダイイ・ダイサが望ましい」

というのを聞いたことがあります。

NHK放送文化研究所の「ことば」に関するサイトには、山下洋子さんが次のように記しています。

****************************************

「大尉」「大佐」ともに、軍隊の階級を表す語です。一般的には「タイイ」「タイサ」と読みます。しかし、別の言い方を情報として示す辞書もあります。

例えば、『大辞林第3版』(18・三省堂)の「大尉(たいい)」「大佐(たいさ)」の項目には、「旧日本海軍では『だいい』と称した」「旧日本海軍では『だいさ』と称した」と説明があります。「ダイイ」「ダイサ」という言い方が本当に、旧海軍で使われていたのか。また、旧海軍のことを伝える場合「大尉」「大佐」の呼称は、どのように扱えばいいのか、ドラマの時代考証を担当し、軍隊のことばにくわしいNHKドラマ番組部・大森洋平シニア・ディレクターに聞きました。

1.海軍でも正式には「タイイ」「タイサ」である。

海軍省監修書籍には「たいい」「たいさ」の読みがながつけられており、表記で「だいい」「だいさ」が出てくることはない。(考証資料:『旧軍諮問録3』ほか)

堤明夫元防衛大学校教授(ドラマ「坂の上の雲」の海軍考証を担当)によれば、海軍でも正式には「たいい」「たいさ」だった。

2.「ダイイ」「ダイサ」は昭和になってはっきり出てきた呼称である。

NPO法人「零戦の会」会長神立尚紀氏(ノンフィクション作家)の取材経験によれば、海軍兵学校の同窓会で60期(昭和4年入校者)までの人は「タイイ」と言う人が多く、はっきり「ダイイ」と言うのは62期(昭和6年入校者)からである。

3 .昭和期の海軍に関するドラマのせりふやドキュメンタリーのコメントでは、当時を知る人の強い要望もあり、極力「ダイイ」「ダイサ」が望ましい。

4 明治・大正期のせりふでは「タイイ」「タイサ」で差し支えないが、「艦長」「分隊長」などの役職名にすれば、海軍の習慣にもかなう。

参考文献:『考証要集 秘伝!NHK時代考証資料』文春文庫

「ダイイ」「ダイサ」については、正式の読み方ではなく、昭和期の旧海軍での習慣的呼称であり、旧日本海軍では全期間において、「○ダイイ、ダイサ」「×タイイ、タイサ」ということではありません。このことを踏まえたうえで、番組で使うことばを選ぶようにしてください。

****************************************

また『新聞用語集2007年版』の、「放送で標準とする読み方例」には「大尉」「大佐」は載せていませんが、載せる必要はないのか?また各社、こういったケースはどう対応されているか、2月3日に開かれた新聞用語懇談会放送分科会で聞いてみました。

その結果は、以下の通りです。

(NHK)NHK放送文化研究所のサイトに、そのコラムを書いたのは、私。ドラマやドキュメンタリーにおいては「ダイイ・ダイサ」とすることもあるが、ニュースでは濁らずに「タイイ・タイサ」で良いと思う。

(ytv)昨年末の安倍首相が「ダイイ」と濁って読んだときに、社内で「違和感がある」というような声は出なかったか?<→各社、特に出なかった模様>

(NHK)「ダイイ・ダイサ」が出て来るのは、昭和の中期以降。「ダイイ・ダイサ」を使われる方は誇りをお持ちで「ダイイ・ダイサでなきゃ嫌だ」とおっしゃる。(海軍兵学校の同窓会で60期【昭和4年=1929年入校者】までの人は「タイイ」と言う人が多く、はっきり「ダイイ」と言うのは62期【昭和6年=1931年入校者】から。)ドキュメンタリー番組で以前、制作サイドが当事者とかなり話し合って「タイイ」としたことがあった。「ダイイ・ダイサ」という「濁り」は話し言葉だけであって、書き言葉には出て来ない。

(ytv)かなり「限定的な使用例」であるようなので、『新聞用語集』の「放送で標準とする読み方例」には、「大尉」「大佐」の読みとして載せる必要はないだろう。

(2017、2、6)

2017年2月14日 11:14 | コメント (0)

新・ことば事情

6251「週日」

2020年東京五輪のゴルフの舞台となる「霞ヶ関カンツリー倶楽部」。小池都知事が、

「女性がプレーできないのは差別だ」

という趣旨の発言をして注目を浴びていますが、実は女性会員も200人以上いて、プレーしているそうです。そのあたりに関して「ミヤネ屋」の「パネル」での説明の中で、

「女性会員は『週日』のみ」

という文章が出てきました。この、

「週日」

という言葉が見慣れません。

「平日」

ではないのか?と思ってさらにその下の文章を見ると、

「日・祝日はプレーできない」

とあります。そうすると、

「土曜日はどうなるのか?プレーできるのか?『週日』の範囲とは?」

ということが疑問になります。調べてみると、『広辞苑』に載っていました、

*「週日」=一週間の内の日曜(および土曜日)以外の日。ウィークデー。

うーん、( )の中が問題で「土曜日」を含むのかどうかは微妙ですね。

『明鏡国語辞典』にも載っていました。

*「週日」=一週間のうち、日曜または土曜・日曜を除いた日。平日・ウィークデー。

と、これも「半歩前進」ですが、「日曜を除く曜日」または「土・日を除く曜日」と並列なので、ハッキリしません。

『新明解国語辞典』にも載っていました。

*「週日」=一週間のうち、日曜以外の日。(広義では、土曜をも除く)ウィークデー。平日。

とこれまた「広義」か「狭義」かと区別しているけど、断定はしていません。

『三省堂国語辞典』では、

*「週日」=(1)(土曜および)日曜以外の日。平日。ウイークデー。(2)一週間の日。(例)「週日は月曜に始まって日曜に終わる」

これも、(2)の意味が加わっただけで、(1)の意味・解説は、他と変わりませんね。

そうか、昔まだ「週休2日制」が普及する前は、「一週間」というのは、

「平日」「日・祝日(=休日)」

にきっちり「二分」できたのだけれども、「週休2日制」の普及(=土曜が休み)の進み具合(=一律ではない)によって、それが、

「平日」「土曜」「日・祝日」

「三分」され、「土曜」を「平日」に区分するのか、「日・祝日」に区分するのかは、

「断定できない状況」

になっているということですね。これは当然、

「平日」「ウイークデー」

の定義の揺れにもつながっていますね。

今回の霞ヶ関カンツリー倶楽部は1929年(昭和4年)創立の名門だそうですが、

「女性がプレーできない『週日』」

というのは、

「日・祝日」

を指すようですから、ここでは、

「土曜は平日(ウイークデー)」

という判断ということですね。

(2017、2、10)

2017年2月13日 19:00 | コメント (0)

新・ことば事情

6250「シャンペン」

1月14日放送の日本テレビ「嵐にしやがれ」で、銀座の「シャンパン鍋」の店の人が、

「シャンペン」

と2度言ったら、2度とも、会場の若い女性観客から笑い声が起こりました。

「『シャンペン』ではなく『シャンパン』が正しい。『シャンペン』は訛っていて間違い」

と彼女らは思ったのでしょう。しかしそれは、

「半分正しく、半分間違い」

ですね。

昔は「シャンペン」と言ったんですよ。たぶん「耳から入った外国語」としては「シャンペン」と聞こえたのでしょうね。でも「原産地」の名前が、フランスの、

「シャンパーニュ地方」

なので、そこから「シャンパン」が定着していったのでしょう。

グーグル検索では(2月10日)

「シャンペン」=144万件

「シャンパン」=705万件

でした。『三省堂国語辞典』は「シャパン」が見出しですが、その意味説明(語釈)の中に、「シャンペン」も出て来ます。『広辞苑』も同様で、見出しは「シャンパン」ですが、「シャンペン」も「空見出し」で載っていて。「シャンパン」の語釈の中には「シャンペン」も出て来るほか、

「サンパン」

というのもありました。さすがにこれは、現代では使われていないと思いますが。一応「サンパン・シャンパン」で検索してみると、

「サンパン・シャンパン」=6010件

ありました。その中の「京都吉兆」のHPでは、作家の村松友視さんが、

「シャンパーニュの魅力」

という文章を書いていました。村松さんは、京都・嵐山で会席料理とシャンパーニュのマリアージュを味わいながら「アンリ・クリュッグ」さんとお話ができるという機会に恵まれたそうです。「クリュッグ」というのは私でも知っているシャンパンの銘柄です。その当主なんでしょうね、アンリさんは。

そして、村松さんは、「ワイン」に関するある書物に付いて語っています。

「ワイン通の人々が時おり引用する山本千代喜著『酒の書物』である。昭和15年すなわち1940年の発刊で、西洋における古今の酒に関する文章を網羅した趣のアンソロジーといった内容になっている。(中略)有名な三ツ矢サイダーの腹に貼られたラベルに、三つの矢が組み合わされた図柄があり、そこに"シャンペン・サイダー"なる文字があしらわれていた。これを味わったのが、私の"シャンペン"体験の原点というお粗末だが、『酒の書物』はそんな時代に先んじること九年、というより日本が第二次世界大戦に突入せんとする空気の中で出版されているのだ。(中略)『酒の書物』には"シャンペン"と表記されており、シャンペン、サンパン、シャンパン、シャンパーニュ・・・・この呼称の移り変わりの中に、日本という土壌にシャンパーニュ産の白ワインが浸透してゆく色合いが感じられて面白い。』

やっぱり昔は「シャンペン」だったんですね。歴史ある表記なのです、「シャンペン」は。

(2017、2、10)

2017年2月13日 11:58 | コメント (0)

新・ことば事情

6249「恵方巻か?恵方巻か?」

2月3日の節分の行事としてすっかり定着した「恵方巻き」

その年の恵方(今年は「北北西」)に向かって、長い巻きずしにかぶりつくというものです。

この「恵方巻き」の表記ですが、『新聞用語集2007年版』でに、直接は載っていないものの、「~巻き」を見てみると、

「新巻き」「襟巻き」「腰巻き」「鉄火巻き」「鉢巻き」「竜巻」葉巻」

となっていて、「恵方巻き」と同じ種類の食べ物である、

「鉄火巻き」

には、送り仮名の「き」があるので、「ミヤネ屋」の放送でも「き」を送りました。しかし、スーパーやデパートで打っている「恵方巻き」は、「き」が付かない、

「恵方巻」

のほうが多いように感じます。

グーグル検索では(2月9日)

「恵方巻き」=107万0000件

「恵方巻」 = 87万9000件

でした。

(2017、2、9)

2017年2月12日 21:46 | コメント (0)

新・ことば事情

6248「荷棚」

先日、東京出張で新幹線に乗ったとき、「車内アナウンス」のコメントに耳が引きつけられました。それは、こういうものでした。

「ニダナにお忘れ物はございませんでしょうか?」

ここに出て来る、

「ニダナ=荷棚」

だとは思いますが、聞き慣れない言葉です。電車の場合普通は、

「網棚」

と言いますが、最近は「網」ではなくなってきていますし、新幹線も「網棚」ではありませんね。たしかに、

「荷物を置く棚」

です。しかし「にだな」と聞くと、なんだか

「煮卵」

のような「煮ている棚」のように感じてしまいます。

辞書を引いてみると、『広辞苑』『新明解国語辞典』『明鏡国語辞典』『デジタル大辞泉』『精選版日本国語大辞典』『新潮現代国語辞典』『現代国語例解辞典』には「にだな」は載っていませんでした。

しかし『岩波国語辞典』と『三省堂国語辞典』には載っていました!

【にだな(荷棚)】

*『岩波国語辞典』=乗り物で、乗客が荷物を載せるためのたな

*『三省堂国語辞典』=(乗り物の中にある)荷物を置くためのたな

しかし、

「棚の上にお忘れ物はございませんでしょうか?」

で、いいんじゃないのかなあ・・・と思いました。

(2017、2、9)

2017年2月12日 17:45 | コメント (0)

新・ことば事情

6247「セカエレ」

先日、東京出張のとき、東京駅で新幹線から降りる際に目に留まった「フジテック」の広告ポスター。そこには大きな文字で、

「セカエレ」

と書かれていました。その下には少し小さめの文字で、

「世界のエレベーター・エスカレーター」

とありました。なるほど「世界のエレベーター」は、略すとたしかに、

「セカエレ」

ですが、「世界のエスカレーター」は、略すと、

「セカエス」

ではないかと思うわけですが、まあそんな所に突っ込んでもしょうがない。

これは明らかに、

「SEKAI NO OWARI」=「セカオワ」

のパクリですよね?(笑)

でも、たしかに目立つし、インパクトはありました。こうやってコラムに書いてしまうぐらい・・・。

まんまと術中に、はまりましたな。

(2017、2、9)

2017年2月12日 12:44 | コメント (0)

新・読書日記 2016_208

『感情化する社会』(大塚英志、太田出版:2016、10、9)

タイトルが全てを表している。

シンプルな青い表紙。「裏表紙」かと思ったが「表」だった。ボソッと「吹き出し」が小さくあり、「感情化する社会」とタイトルがある。手に取って読んでみると、冒頭の第1章は、「感情天皇制論」。おっ!?どういうことか?天皇陛下が2016年8月8日の「生前退位」についての「お気持ち」を表明したことが、まず書かれていて新しい。(この本が出たのは10月初め。「お気持ち」から、2か月も経っていない。)本書のテーマ「感情化」が天皇制にまで及んだと記されている。「おことば」でななく「お気持ち」。つまりこれは、21世紀の現代における「空気の研究」である。「感情」が価値判断の最上位に来て、「感情」による「共感」が社会システムとして機能する事態を、本書では「感情化」と呼ぶのだ。当然、ここで出て来る疑問は「理性は何処へ行った?」であろう。

「共感」は、人と人との結びつきに重要ではあるが、「共感」が直接「大きな感情」に結びついてしまうと、私達が本来、設計すべきだった「社会」「国家」(民主主義社会、民主主義国家、国民統合の象徴としての天皇"制")とは異質なものになってしまう。「感情天皇制」は、その象徴だという。

そして、「象徴」天皇制の本質は"感情労働"であると喝破する!なるほど、被災地を天皇陛下が見舞うこと、それを今上天皇が大事になさっていることは、「肉体労働」でも「頭脳労働」でもない、「感情労働」だったのか!

問題は、公共性に向かわない「感情」だ。著者はここで、アダム・スミスの「道徳感情論」を紹介している。

そして、今起こっていることは「文学の感情化」や「ジャーナリストの感情化」。「Twitter」や「LINE」など感情を表出するツールの充実は、「言葉の側面」から感情化を推進する。

天皇の「お気持ち」を受け止め、法の改定をしてしまえば、それはこの先の「感情的な政治選択」へのパンドラの箱を開けてしまうことになる、と著者は警鐘を鳴らす(世の中の方向性は、もう完全にそちらへ舵を切っているが・・・)。

「キモチ」を商品として提供されることに、ユーザー化した私たちは慣れている。そう!世の中は「感動」のセールスであふれている!

メールの返事の文面が、ある瞬間から「了解しました」ではなく「承知しました」に変わったことの奇妙さ。これも「感情労働」である。

「反知性主義」という「知性」さえも凌駕する「感情」の正体。まず「感情」の外側に立つことが大事だ。その機能を「批評」と呼ぶのだ。

2017年2月。

今、まさに世界はこの「感情化の波」にさらされている。世界で一番強い国のトップが、これでもか!と「感情」(それも「憎しみ」の)を投げ付けて来る。まるで、ジョージ・オーウェルの『1984年』に出て来る「2分間憎悪」のようだ。(『1984年』に出て来る党の3つのスローガン「戦争は平和なり」「自由は隷従なり」「無知は力なり」を見ると、あまりにも現代日本・現代世界に通じるので、改めて驚く。「安保法制」は「戦争は平和なり」だし、「自由は隷従なり」は「共謀法」だし、「無知は力なり」は昨今の国会論戦の法相や首相の答弁を見ていても感じるし、世の中全体の「反知性主義」の蔓延はまさにこれではないか!)

そして時節柄、思い当たったのは「節分の豆まき」である。

「鬼は外、福は内」

鬼は、うちに入って来るな!ビザなんか出さない!

普通の豆まきとは異なるのは「豆を投げている人が"鬼"」であることなのだが、投げている本人は「自分が鬼」だとは気付いていないのである。


star4

(2016、10、6読了)

2017年2月12日 12:26 | コメント (0)

新・ことば事情

6246「嘔気」

1月の中旬、生まれて初めて「ノロウイルス」にやられました。

「平成ことば事情6245おろしてくださいますか」で書いた通りです。

その「ノロウイルス検査」をして、結果を先生に聴きに行くときのこと。

検査を担当したベテラン女性看護師ではない、若い女性看護師さんが、診察室まで案内してくれました。その際にその看護師さんが、こう聞いて来ました。

「オウキは、ないですか?」

「はい?」

「おおきに、ありがとう」

ではないことは確かです。

何を聞かれたのか分からなかったので、聞き返しました。すると、

「オウキ。吐き気は、ないですか?」

ああ、「オウキ=吐き気」。つまり、

「嘔気」

と書く言葉であることが、想像つきました。「嘔吐(おうと)」の「嘔」の「気配」ということですね。「嘔吐」って「嘔」も「吐」も、「吐く」という意味なのか。

医療現場では普通に使われている言葉なのかもしれませんが、初めて耳にする言葉でした。

帰ってから国語辞典を引いてみると、『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』『三省堂国語辞典』『岩波国語辞典』『新潮現代国語辞典』『現代国語例解辞典』には載っていませんでしたが、『広辞苑』『精選版日本国語大辞典』には、ちゃんと載っていました、「嘔気」。

(2017、2、9)

2017年2月11日 12:00 | コメント (0)

新・ことば事情

6245「おろしてくださいますか」

1月の中旬、生まれて初めて「ノロウイルス」にやられました。その日はなんだか胃がもたれる感じがしていたのですが、帰宅して夕食後も胃がすごくもたれ、夜中に「オエーッ」と2度、戻してしまいました。幸い、トイレに駆け込んで便器に直接吐いたので、被害は最小限に食い止めましたが。

2度吐いた翌朝、さっそく病院に行き病状を話すと、

「うーん、『ノロ』かもしれませんね。じゃあ、調べて見ますか。普通は『検便』で調べるのですが・・・今、出ますか?」

とお医者さんが。

「きのう全部吐いてしまって、その後もちろん何も食べてないので、おなかの中は空っぽで、何も出ません」

というと、そのお医者さんは、ちょっと困ったように看護師さんと視線を合わせた後、

「そうですか・・・じゃあ、仕方ないな。」

と言います。何が仕方がないのでしょうか?

「向こうの廊下の端のベンチで、座って待っていてください」

と言われたので、20分ばかりも待っていたでしょうか?看護師長さんと思しきベテランの女性看護師さんがやって来ました。そして、

「じゃあ、ついて来てください」

と言うと、さらに廊下の奥の方へ。なんだか電気も点いていなくて、いくつか診察室もあるようですが、人気(ひとけ)はありません。その一つの部屋の扉を開けると、

「ああ、ここがいいわ。こちらに入ってください。」

従うと、電気を点けないまま、薄暗闇の中にぼんやりと何かが見えます。

「そこの寝台の上に荷物を置いてください」

おとなしく従うと、

「こんなの、初めてでしょ。」

と怪しい雰囲気。でも、何をするかは、おおよそ想像はついています。

「いえ、一度あります」

と答えると、

「ええ!そうなんですか?」

と大層、驚いた様子。

「昔インドに行ったときに下痢をして、帰りに成田空港の検疫のところで、同じようなゲッソリとした顔の若者が集められて、係の方が『いいですか、このガラスの棒を肛門から入れてもらって、その後ガラス棒をこの試験管に入れて渡してください』と言われたことがあって・・・」

緊張のため、「牛歩戦術」のように、つい饒舌になってしまう私。その辺まで聴き終えた看護師さん、落ち着いた顔でおもむろに、

「じゃ、いいですか。

「・・・はい・・・」

「おろしてくださいますか」

そうか、

「脱いでください」

だと、やはり患者さんに抵抗があるから、ここは、

「おろしてください」

と言うのか。確かにそのほうが、自然におろせる感じがする!

スルスルスルッ、パサッ。

「あ、なんでしたら、その寝台に手をついて後ろ向きになってもらって・・・そうですね」

と言うと、私が後ろ向きになって手を付いたかどうかのタイミングでいきなり、

「ブスッ・・・ズンズンズン」

と何かが入って来ました。

「フンッ」

と思わず踏ん張る私。いっときの我慢です。

「はい、OKです。じゃあ、15分後ぐらいで検査結果が出ますからね。お疲れ様でした。」

ハァーッ、緊張した・・・というほどでもなかったか。

おろしたものを、元に戻しました。

15分後。

先ほどよりもずっと若い女性看護師さんがやってきて、

「道浦さん、診察します。ついて来てください」

と、最初に診察した先生の所へ。

「出ました。『ノロ』ですね。」

「え!・・・出ましたか」

結局それから2日間は、スポーツドリンクだけを飲む生活。その後も1日1食「おかゆ」か「うどん」を食べる日々が続き、5日間で4キロ痩せました。でもこれが、すぐに元に戻っちゃうんですけどね。

いろいろ、「患者さんのことを考えた言い方」があるものだなあと感心したのでした。

皆さんも「ノロウイルス」には、十分気を付けてくださいね。うがい・手洗い励行!!

(2017、2、9)

2017年2月10日 19:00 | コメント (0)

新・ことば事情

6244「入国禁止か?入国停止か?入国制限か?」

トランプ大統領の中東など7か国からの入国を認めないという「大統領令」。これは

「入国禁止」

でしょうか?それとも、

「入国停止」

でしょうか?はたまた、

「入国制限」

でしょうか?以前はみんな「入国禁止」で放送していたん思うのですが、「ミヤネ屋」では2月7日から、

「入国停止」

なりました。そこで東京駐在のデスクに、日本テレビさんに理由を聞いてもらったところ、

「国際部に問い合わせたところ、NNNでは『入国停止』または『入国制限』で今のところ統一しているそうです。『入国禁止』はナレーション原稿では使っていません。今回の措置は期限が区切られたものだから、という見解だと聞いています。」

ということでしたので、客観的に地の文で使うときは、

「入国停止」

でいくことにしました。

私が見た限りでは、きのう(2月8日昼ニュース&夕刊・見出し)の日テレ以外は、

(TBS)「入国禁止」

(NHK)スーパー「入国禁止」、ナレーション「入国停止」

(読売新聞)「入国制限」

(朝日新聞)「入国禁止」

(毎日新聞)「入国禁止」

(産経新聞)「入国禁止」

(日経新聞)「入国制限」

でした。

この問題、天皇陛下の、

「退位」か?「譲位」か?

にちょっと似ているなと思いました。「退位」と「譲位」の場合は、

「退位」=客観的

「譲位」=主観的

というイメージがあったのですが、今回の場合も、

「停止」=客観的

「禁止」=主観的

のような感じがします。「制限」は、その中間あたりでしょうかね。

(2017、2、9)

2017年2月10日 11:45 | コメント (0)

新・ことば事情

6243「『中3トリオ』か?『中三トリオ』か?」

2月8日の「ミヤネ屋」に、歌手の森昌子さんが,東京のスタジオから中継生出演してくださいました。その関係で出て来た言葉の「表記」で問題が。

「花の中3トリオ」か?「花の中三トリオ」か?

という問題。つまり「洋数字」か「漢数字」かという問題ですね。森昌子・桜田淳子・山口百恵の3人(三人)です。

結論から言うと、放送では。

「中三」

「漢数字」にしました。グーグル検索では(2月7日)、

*「花の中3トリオ」=1万4700件

*「花の中三トリオ」=3万2100件

だったので、多いほうの「中三」にしました。

思えばその昔、「旺文社」が、

「中三時代」

そして「学研」が、

「中学三年生コース」

という学年雑誌を出していました。私は「旺文社・時代」派でしたが、両方とも「漢数字」で、

「中三」「中学三年生」

だったんですね。私のイメージでは、

「旺文社」=漢数字、「学研」=洋数字

だったのですが。きっと「学研」が出していてこれも愛読していた「小学生用」の、

「学習」と「かがく(科学)」

のほうが、

「1年のかがく」「2年のかがく」「1年の学習」「2年の学習」

「洋数字」で、高校生向けも、

「高1コース」「高2コース」

「洋数字」だったので、そのイメージがあったのかもしれませんね。

(2017、2、8)

2017年2月 9日 17:42 | コメント (0)

新・ことば事情

6242「正絹の読み方」

今「ひな人形」のCMを見ていて出て来たスーパーの文字、

「正絹」

これ、読めますか?

「衣服の素材」に関して、現代を生きる我々は、昔よりも鈍感になっているのではないでしょうか?

例えば、先日視聴者の方からのご指摘で、こういう事例がありました。

****************************************

(Q)「東京五輪のグッズ紹介でトートバッグの素材がテロップでは『綿』と出ていたが、コメントでは『絹(きぬ)』と言っていた。どっちなんですか。」

(A) テロップの『綿』が正しい情報です。

 ※コメント:「まずはこちらの絹(きぬ)のトートバック...」⇒×

  テロップ:「小池都知事も大絶賛 トートバック¥5300(税別) 素材:綿」○

****************************************

単なる読み間違い・言い間違いかもしれませんが、「トートバッグ」が「きぬ」というのは、普通は「ない」でしょう。

このことからも「綿」とか「絹」とか、中でも「和服」関連の「衣服の素材」に接することが減っているので、それに関する知識・関心が低下していることがうかがわれます。

「綿」

も、記事としての読み方は、

「メン」

で、「ワタ」ではありません。女性用の服でも「メン」です。

さて、冒頭の「正絹」の正解は、

「ショ/ーケン」

と「平板アクセント」です。覚えておきましょう。

というメールを、アナウンス部員に送りました。

(2017、1、20)

2017年2月 5日 12:03 | コメント (0)

新・ことば事情

6241「後手に回った」

将棋の三浦九段が、スマホなどコンピューターソフトを使ったカンニングをしていたのではないかと疑われたものの、「無罪」となった件で、1月18日、「日本(にほん)将棋協会」の谷川浩司会長が、責任を取って辞意を表明しました。

1月18日のNHK夜7時のニュースで、そのリポートしていた記者が、

「将棋連盟の対応が後手に回った」

と言っているのを聞いて、不謹慎ながら吹き出してしまいました。

というのも、

「後手に回る」

というのは、

「対応が遅れた」

という意味の比喩表現ですが、そもそも「後手」は、

「将棋(囲碁)用語」

です。つまり、

「将棋界のニュースに将棋用語の比喩用語を使うことの可笑(おか)しさ」

を感じたのです。

他の例で思い出すのは、マラソン選手について、

「○○選手が駆け出しのランナーだった頃」

というのもがありましたね。(平成ことば事情666「駆け出しのランナー」=ハヌーシ選手でした。2001年、もう15年も前の話。)

「後手に回る」の反対語は、もちろん、

「先手を取る」「先手を打つ」

ですね。これも、もちろん「将棋用語」です。

(2017、1、18)

2017年2月 4日 12:02 | コメント (0)

新・ことば事情

6240「どべ」

1月19日の読売新聞連載「ポケモンといっしょにおぼえよう たのしい方言」で紹介されていたのは、

「どべ」

という言葉でした。「広島県の方言」で、意味は、

「どろ(泥)」

なのだそうです。私はこの「どべ」という言葉を見て、

「最下位」

の意味だと思いました。子どもの頃、背は高かったのですが太っていたので走るのが遅く、運動会ではいつも最下位で、

「どべ」「どべた」

と言われ続けていたので、よく覚えている言葉です。

私のこういった子どもの頃の言葉は、「三重県伊賀上野」「愛知・名古屋」「大阪・堺」あたりで培われたものですから、「広島」とは、同じ「どべ」でも意味が違うのでしょうね。

もしかしたら「泥」の意味の「どべ」が「最下位」に影響を与えているのでしょうか?

「泥が付く」

とかそういった感じで。その辺りについてちょっと考えた時に、「どべ」は、

「どんべ」

とも言ったことを思いだしました。「『どべ』の強調語」「どんべ」「どべた」(「どべた」は「侮蔑」のニュアンスもある)だと思います。そうそう、

「べった」

という言葉もありました。これも関係あるでしょう。

そうすると、もしかしたら「どべ」は「べった」に「強調の『ど』」が付いたのではないか?しかも、そもそも「べった」の「た」は、

「~の人」

という意味がありそうな接尾語っぽいので、「意味の幹」となる言葉は、

「べ」

です。・・・・あ、そうか、「べ」は、標準語の、

「ビリ」

を早く言った時に「べ」と聞こえなくもない。もともとは「ビリ」が語源なのではないか?というところまで、たどり着きました。この間(これを書きながら)約10分です。

「ビリ」の語源は何か?「一番最後」ということであれば、

「ビ=尾」

が関係しているかもしれません。ここで『精選版日本国語大辞典』を引いてみましょう。

・・・うーん「語源」は載ってないな。でも「尻」に関係していますね。ということは、

「尾=尻」

という関係かもしれません。「どべ」も引いてみましょう。「最下位」の意味は載っていませんでしたが、

*「どべ(土辺)」地の上、地べた

というのがありました。これは広島県方言の「泥」の意意味の「どべ」に関係するかもしれません。また、「順位の上位」を「天」「空」のように「上の方」と考えると、「最下位」は「地べた」に近い感じなので、意味的には通じる所があるようにも思います。

「地べた」は「どべた」と共通の「べた」がありますが、「べた」は「辺」「あたり」の意味なんですね。「道端」の「ばた」も「べた」に似ています。「炉端」も。「はた」も「へた」から来て、連濁して「ばた」になっているのかも。

あ、「べた」と言えば、

「すべた」

という言葉がありましたね!これは何と、

「(トランプの)スペード」-

のことだと知った時にはビックリしましたが。(語源はポルトガル語のespada。元来はカルタ用語で「剣」の意)「侮蔑語」の、

「このスベタ!」

ぐらいでしか見たことが無かったので。この「すべた」の「べた」も意味は同じかも。「す」は、もともとは「素」でしょう。

いやあ、頭の体操になって、半世紀前、子どもの頃から疑問に思っていた「どべ」「どべた」の謎が解けたたような気がしました。

あしたも、読売新聞の「ポケモンといっしょにおぼえよう たのしい方言」、読まなきゃ!

(2017、1、19)

2017年2月 3日 12:56 | コメント (0)

新・ことば事情

6239「アンドリュースか?アンドルーズか?」

アメリカの空軍基地の名前が、

「アンドリュース空軍基地」

というのが出て来ましたが、あまり、

「アンドリュース」

というのは聞いたことが無かったので、日テレ原稿を確認してもらいました。

しかし、該当の空軍基地の名前は出て来なかったそうで、グーグル検索したところ(1月20日)、

「アンドリュース」=2640件

「アンドリュー」 = 649件

「アンドルーズ」 =5150件

「アンドルー」  =  25件

で、「アンドルーズ」が一番多く、また「読売新聞」もそれを使っていたので、この日は、

「アンドルーズ空軍基地」

にしました。

(2107、1、20)

2017年2月 2日 20:53 | コメント (0)

新・ことば事情

6238「三寒四温、四寒三温?」

きょう(2月2日)の「ミヤネ屋」で、画面の左上に出るテロップをチェックしていたら、「三寒四温」ならぬ、

「四寒三温」

というテロップの発注が出ていたので、

「間違いではないか?」

と電話したところ、

「お天気コーナー担当者が、わざと、そうしているそうです」

とのことだったので、そのままにしました。しかし、案の定、視聴者の方から、

「間違いでは!?」

というご指摘が入りました。(※私が電話したわけではありませんので、念のため)

紛らわしい「新造語」は、視聴者の方の興味を、本来伝えたいこととは別の所に注目さ

せてしまうので、避けたほうが賢明です。

万が一、使うとしても、「漢数字」ではなく「洋数字」で、

「4寒3温」

とするなど、

「故事成語の『三寒四温』ではない」

ことがハッキリわかるようにすべきでした。

また、本来の「三寒四温」は、「日本での気象現象」を指すものではなく、

「中国東北部や朝鮮半島の気候」

を指していう言葉なので、それにも注意が必要(知っておくべき)です。

あすは「節分」かあ。

(2017、2、2)

2017年2月 2日 20:08 | コメント (0)

新・ことば事情

6237「2月3日号」

1月20日、いつものように「ミヤネ屋」のテロップチェックをしていると、テロップ作成のオペレーターさんが質問をしてきました。

「道浦さん、『FRIDAY(2月3日号)』という」クレジットがあるんですが、まだ『2月3日』は来ていないので、これは去年のではないですか?『2016年』と入れなくていいんですか?」

と聞いて来てくれました。

雑誌の「○月○日号」という「日付」は、新聞などのような「発行日」ではなく、

「発行(発売)日よりも、先(未来)の日付」

になっており、いわば、

「賞味期限」

のようなものです。つまり、

「その日付までは、掲載情報の鮮度は保証します」

というようなことですね。

あまり雑誌を読まない若い人は、雑誌も新聞と同じ様に

「発売日(発行日)を記してある」

と思っていたんですかね?

今回のネタは「6股疑惑の狩野英孝が、今度は女子高校生と」というものでしたから、もしかしたら、

「去年の『FRIDAY』の可能性」

もあります。しかし、ことしの「2月3日」は「金曜日」です。「FRIDAY」は、毎週「金曜日発売」なので、

「ことしの2月3日」

の可能性が高い。確認をすると、

「ことしの2月3日号」

だったので、「2016年」も「2017年」も入れずに、

『「FRIDAY」2月3日号』

のままで放送しました。

(2017、1、20)

2017年2月 1日 12:07 | コメント (0)