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『道浦TIME』

新・ことば事情

4338「天皇陛下のお言葉か?メッセージか?」

2011316日の夕方、今回の「東北地方太平洋沿岸大地震」(NNN系列では「東日本大地震」→「東日本大震災」に変更)を受けて、天皇陛下がビデオで励ましのお言葉を述べられました。

日本がくじけそうになっている今、海外の人たちが励ましてくれるのも涙が出るけど、天皇陛下のお言葉は胸に染みました。その「お言葉」を指して、翌日(317日)の朝刊の見出しは、

(読売)メッセージ

(朝日)メッセージ

(毎日)メッセージ

(日経)お言葉

(産経)メッセージ、お言葉全文

となっていました。

たしかに「メッセージ」には違いがないのですが、外来語にしてしまうとちょっと軽くなってしまって、ありがたみが薄れるような気がしたのは私だけでしょうか?

そのメッセージ、お言葉の中で、"アナウンサーとして"気になった言葉やアクセントは、

「ゼ\ンリョクデ」(「全力で」=頭高アクセント)

「コ\ーテンシ」(「好転し」=頭高アクセント)

「クニ\ヤ」(「国や」=関西風アクセント)

「ニ/ホン\ジン」(「日本人」)

「チュ\ーシンヨリ」(「衷心より」=頭高アクセント)

「ヒトリビトリが」(「一人一人が」=「ビトリ」と濁った)

といったお言葉でした。

(2011、3、17)

2011年3月28日 18:45 | コメント (2)

新・読書日記 2011_041

『仕事の9割は「依頼術」で決まる』(深澤真紀、双葉新書:2010、11、21)

だいぶ前に買っていて、読みかけのままになっていました。

著者は、日本語に関する本も、確か出してたな。前に読んだ気がします。

よくある「○○の9割は・・・」というタイトルですが、まあ、「依頼」の方法の入門編のようなもの。普段「依頼」を仕事・生業にしている著者だからこそ、書けたのかもしれません。フリーランスの方が、当然のことながら「依頼の仕方」には気を使っていると思い案す。気軽に読めます。


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(2011、3、15読了)

2011年3月28日 12:42 | コメント (0)

新・読書日記 2011_040

『のはなし・さん』(伊集院光、宝島社:2010、10、22第1刷・2010、12、13第3刷)

新古書店に、初めて「CD」を売りに行って、査定を待つ間にブラブラ見ていた本の中で買うことを決めてしまった。定価1200円が500円だ。きれいだし、新刊で出てまだ3か月だし、買うしかないでしょ。CD40枚売りに行ったのに、買い取ってもらえたのは20枚。しかも値段は20枚で873円...。シングルCDでさえ買われへんやんけ!

で、買うことを決めた本2冊で900円払いました...トントンかな。

この本のシリーズの、「いち」と「に」は新刊で買って本棚に入れていました、寝室の娘の枕元の本棚に。デザインが一緒で"色違い"のこの「さん」の表紙を見た6歳の娘が、

「あ!この本、見たことある!」

「すごい記憶力やなあ」と娘に言ったところ、

「トランプの"神経衰弱"も得意やねん!」

と。たしかに。息子も小学校に入るぐらいまでは「神経衰弱」は得意でした。多分、記憶のし方が、文字を読める大人の脳とは違うのだと思います。恐れ入りました。

あ、本ですか?「フツウに」面白かったです。でもやっぱり「いち」が一番面白かったなあ。


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(2011、03、19読了)

2011年3月27日 21:38 | コメント (0)

新・ことば事情

4337「ジオラマ」

先日、読売テレビの夕方の番組「関西情報ネットten!」で、

「ジオラマ」

を紹介していました。何のだったかは忘れたけど。

この「ジオラマ」という言葉を聞いて、

「『ジオラマ』の『ジオ』は、『地球』とか『地面』とかそんな感じの意味ではなかったか。そうすると、お尻に付いている『ラマ』にも何か意味があるのか?そう言えば『パノラマ』とか『ドラマ』とか、お尻に『ラマ』が付く言葉があるではないか!」

と思って、「ラマ」について調べてみました。

すると、実はこれは「ラマ」ではなく、

-オラマ(-orama)」

であることが分かりました。これの意味は、

①...展(display)、ショー(spectacle)、...館(hall

②盛大なもの(また,-orama,-ama,-arama,rama[PANORAMA,DIORAMAまたはCYCLORAMAから抽出]

とありました。(「ランダムハウス英和大辞典」)

-オラマ(-orama)」以外にも、-アマ(-ama)」「-アラマ(-arama)」「-ラマ(-rama)」という接尾語もあって、同じような意味になるんですね。

CYCLORAMAと言うのは、

「円形パノラマ」

のことを言うそうです。

ふーん。言葉って不思議です。

 

(追記)

アメリカ在住のI先輩からメールが。

「ジオラマは『diorama』と綴り、ジオは地球を意味する『geo- 』とは違いますよ。『dia-』が『横切る』『-を通じて』などという意味らしいです。ジオラマはもともとフランス語らしいですが、英語では『dia-』がつく英単語は、『diagram(図表)』『diagonal(斜めの)』 diaphragm(横隔膜)』などがあります。いずれも横断的に広がっているモノです。『diorama』は『a』が落ちてますが、次の『o と結びついたのかな?」

おお、そうでしたか!

語尾を調べる前に「ジオラマ」の綴りを調べるべきでした。大変失礼しました。ご指摘ありがとうございます。

 

(2011、3、10)

2011年3月18日 12:25 | コメント (1)

新・読書日記 2011_039

『聖(セイント)☆おにいさん1~3』(中村光、講談社)

 

新聞か週刊誌の書評欄で見かけて興味を持った。マンガです。

キリストとブッダが下界に下りてきて、若者の姿で安いアパートで共同生活をしているという、「いいのかなあ、こんなの」という設定。マンガの体は取っているが、明らかにこれは「コント」「漫才」の類(たぐい)だよなあと思いながら読んでいる。

一番笑ったのは第3巻で、カラオケ・ボックス(って、行く?普通)でキリスト(=下界では姓が「聖」、名前は「イエス」)が名前を聞かれて、

「聖イエス」

と答えると、「チャゲアス」大ヒット曲、

Say Yes

が入るというまあ、くだらない話。でも、受けた。

いいのかなあ、こんなマンガ・・・。

 


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(2011、3、8読了)

2011年3月17日 20:20 | コメント (0)

新・読書日記 2011_038

『キュレーションの時代~「つながり」の情報革命が始まる』(佐々木俊尚、ちくま新書:2011、2、10)

このところ精力的にメディアと情報革命に関する本を上梓している著者。この新書も分厚いです。300ページを超えるもの。いつものように、「ここは大事!」というページの耳を折っていったら・・・もう本が膨れ上がってしまいました。

「キュレーション」というのは、なじみのない言葉だけれども、美術館・博物館の「学芸員」のことを「キュレーター」と呼ぶのは聞いたことがあります。まさにその「キュレーター」が行うような行為、いいもの・役に立つものを見極めて、そのモノや情報の「新しい価値の意味づけをする」ということが、「キュレーション」。これからはそういった行為に「価値」が出てくるのだと。(つまり「お金が動く」「商売になる」と。)単に情報を伝えるのではなく、その情報がどういう意味合いを持っているか、どう並べると価値が相乗効果で上がるのか、そういったことを示唆することが「キュレーション」なのだ。情報が溢れかえっている時代だからこそ、重要な情報をきっちりと目利きして提示できる、そういった仕事が必要なんだよと。そんなことが書いてあったように思います。

それにしても著者の佐々木さん、趣味の幅も広いですねえ・・・。

 

(追記)

「現代用語の基礎知識2011年版」を見ていたら、巻頭のエッセイで、既に佐々木さんが「キュレーション」について書いていました!

 


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(2011、3、2読了)

2011年3月17日 10:18 | コメント (0)

新・読書日記 2010_254

『誰が誰に何を言ってるの』(森達也、大和書房:2010、3、5)

 

同じ著者の『マジョガリガリ』と同じような、黄色一色の目立つ表紙。タイトルはまるで「井上陽水」の曲のようだ。

内容は主に「監視カメラ」。そしてそれに対して何も感じないどころか、「善意」でそれを推進する人たちと、それに何も感じない人たちへの警鐘。本当にオーウェルの『1984』的な世の中になってしまったなあ、日本も。1984年から26年、四半世紀が経って。

私はタバコを吸わないのであまり意識しなかったが、飛行機へのライターの持込は「1個に限定」っていうのも、確かにヘン。ライターが危険だと言うなら、「1個も持ち込ませない」のが正しいのに、なぜ1個持ち込める?1個が大丈夫なら2個もOKでしょう。一人で100個とかいうのはおかしいにしても。それを指摘すると係官は「ダメなものはダメ」的に「職務に忠実」な働きをした後に、そっと著者に耳を寄せて小声で、しかし憤然と「私もおかしいと思ってるんです!」と囁いたというが・・・これは実話かな?創作かな?

また電車の座席や公園のベンチにが「長いす」ではなく「一人一人がきっちり座れるように区切られた」背景には、そこで寝そべったりする人を物理的に「排除」しようとする意図が。たしかにちょっと、気に食わない。

日本の犯罪は減少しているのに、監視カメラは増え、「厳罰化」の空気が強まっている。「ニワトリが先か、タマゴが先か」の議論と似てはいるが、「日本の犯罪件数は減っている」というのは客観的事実のようだ。

「地獄への道は、善意で舗装されている」

この言葉は確かにそうだと思う。また最後に出てきた、ナチス・ドイツでルター派の牧師だった、マルティン・ニーメラーの詩は印象的だった。

 

※読んで書いていたものの、行方不明になっていたのが、1年たって今頃出てきました。2010年は254冊読んだのですね。新記録!

 

(☆3つ半)


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(2010、3、16読了)

2011年3月16日 21:33 | コメント (0)

新・読書日記 2011_037

『大局観』(羽生善治、角川Oneテーマ21:2011、2、10)

 

かつて「七冠」に輝いた羽生さん。若き天才も、もう30代後半になり、ひと回り若い世代が台頭してきました。とはいえ、もう一歩で「七冠」全部で「永世」の栄誉を取れる「天才」は、やはり「不世出」という言葉がふさわしいでしょう。

その羽生さんが、一体どんなことを考えているのかは興味がありました。平易な言葉で、我々凡人でもわかるように書いてくれています。

「大局観」とは、あるようでなかった言葉。羽生さんの造語のようですが、局地的な攻防も、もちろん大事だけれども、何より「全体の流れ=大局」をつかむことが大切であると。ま、タイトルを一言で説明すると、そういうことになりますかね。

いい本でした!


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(2011、2、19読了)

2011年3月16日 20:17 | コメント (0)

新・ことば事情

4336「寒の戻り2」

「平成ことば事情4320」で書いた「寒の戻り」ですが、その後、気を付けて聞いていると、ベテランお天気キャスターの小谷純久さんも使っていました。おかしいなあと思っていたらウェザーニュースの気象予報士さんが、

「道浦さん、どうやら『国語辞典』には『晩春に使う』と書いてあるようですが、『歳時記』などでは『早春にも使う』と書いてあるみたいなんですよ」

とのこと!ええ!それは大変!調べてみなくては!

ということで調べました、「寒の戻り」。

『広辞苑』=春先一時的に寒さがぶり返す現象。

『明鏡国語辞典』=暖かくなった晩春の頃、一時的に寒さがぶり返すこと。寒返り。

『精選版日本国語大辞典』=晩春のころ、急に大陸性高気圧の勢いがもり返して、一時異常に寒くなること<季・春>

『デジタル大辞泉』=晩春のころ、一時的に寒さがぶり返すこと。

『新明解国語辞典』=※「寒の戻り」は載っていない。

『三省堂国語辞典』=春になって、また寒さがもどって来ること。寒もどり。

『新潮現代国語辞典』=晩春に一時的にまた寒くなること。

『岩波国語辞典』=※「寒の戻り」の見出しなし。(「寒」のところに「寒の戻り」という言葉だけは載っているが)」

『日本語大辞典』=春、気候が暖かくなったあと、突然寒くなる現象。

 

うーん、たしかに国語辞典は「晩春」が多いですね。単なる「春」あるいは『広辞苑』の「春先」「早春」でも使えそうです。

ネット検索では、

「四季の気象と暮らしの事典」=立春を過ぎ、春になって気温が上がる時期に、寒さがぶり返す現象を「寒の戻り」という。冬型気圧配置になって、寒波が吹き出す早春寒波や寒冷な移動性高気圧におおわれて、霜が降りたり、氷が張るほど冷え込む現象。桜が咲く頃の寒の戻りを花冷え、北海道ではリラの花が咲く頃の寒の戻りをリラ冷えという。寒の戻りが起こりやすい日は4月6日、23日、24日。晩霜の危険日でもある。

 

これだと「立春を過ぎて春になって気温が上がる時期」ですから「早春」でも確かに使えなくはない感じ。

また、200932日の「北海道新聞」お天気キャスターの賀久正則さんという人が、

「昨年の三月は、記録的な高温で寒の戻りもなく経過した。札幌では三月一日に九五センチあった積雪が二十五日に消えて根雪の終日となった。例年なら、春と冬がせめぎ合う中で寒の戻りが幾日か現れ、雪が減っていくのが一般的だ。」

と、3月に寒の戻りがなかった」という内容で書いています。「3月=早春」ですから、昨年(2008年)はなくても普通は「3月に寒の戻りがある」という前提で書かれていますね。

しかいし、そのほかのサイトも見てみると、大体は、

「桜が咲く頃の寒の戻り」

というように、

4月に入ってからの寒さ」

を示しているようです。「早春」に使えるかどうかは、微妙ですね。

引き続き、調べてみます。

(2011、3、9)

2011年3月16日 10:30 | コメント (0)

新・ことば事情

4335「身に"着く"か?身に"付く"か?」

去年の9月下旬、「ミヤネ屋」スタッフのT君に質問を受けました。

「道浦さん、『身につく』の『つく』は、『付く』ですか? それとも『着く』ですか?」

うーん、またややこしい問題を・・・。

その時は、たしか、

「ややこしいときはね、平仮名にしとき!」

といったような気がしますが。

えーとね、これが「つく」ではなく「つける」「衣服」などを「身につける」のであれば、実質「着る」わけですから、

「身に着ける」

ですね。この「着ける」は自らの体を「外側から覆う」場合ですね。

それに対して「知識」などを「身につける」のは、「内部につける」わけですから、

「身に付ける」

なのではないでしょうか。また、「簡易カイロ」を「身につける」場合、「体の内部」ではありませんが、「肌(もしくは肌着)に密着」させるわけですから(「外側から覆う」というよりは「肌に密着」なので)、

「身に付ける」

でいいように思います。

「着く」「付く」の違いも、これと同じように考えてはいかがでしょうか。

(2011、3、7)

2011年3月15日 19:07 | コメント (0)

新・ことば事情

4334「ザラにある」

 

去年(2010年)の年末に、「ミヤネ屋」スタッフのIさんから、

「『ザラにある』の『ザラ』って何なんでしょうか?」

と聞かれました。辞書(『精選版日本国語大辞典』)を引いても語源は出ていません。

さあ、困った。

ということで、寝かせておきました。約2か月半、経ちました。

また取り組んでみることにしました。

すると・・・

「ザラ」は「形容動詞」であること、「ザラに」という形になることに改めて気付きまた。

「もしかしたらこれは、『さら』が強調されて濁ったのではないか?」

というアイデアが浮かびました。

「さら(なり)」は、

(1)「(多く「言へばさらなり」「言ふもさらなり」の形で用いて)いまさらめいているさま。わざとらしいさま。

(2)(「言へばさら」「言ふもさら」の略)いうまでもないさま。もちろんだ」

と載っていました。

うん、これの強調形で濁ったんじゃないかな。意味も近いし。

正解はわかりませんが、一つのアイデアとして書き残しておきます。

(2011、3、7)

2011年3月15日 13:06 | コメント (1)

新・ことば事情

4333「第三極か?第3極か?」

漢数字か?洋数字か?

これはいつも迷う、揺れている表記ではあります。

ただ、原則としては、

「そこの数字が、ほかの数字に置き換えられるものであれば、洋数字」

「『一郎、二郎』のように『1』や『2』に置き換えられない(×1郎、2郎)固有名詞としての意味を持つ場合は、漢数字」

としています。それでも判断が難しい場合もあります。

2010521日の新聞紙面を見ていたら、

(毎日新聞)第三極

(読売新聞)第3極

と、漢数字と洋数字で分かれていました。524日の新聞

(日経新聞)第三極

となっていました。「第1極」「第2極」があるからこその「第3極」ですから、数字の置き換えは可能なのですが、それを前提として、1でも2でもない」意味合いとしての「3」だとすると、

「第三局」

自体が「一つの言葉」として意味を持つので、「漢数字」でいいようにも感じます。

憲法の条文の一つである

「憲法第九条」

ですが、その内容が憲法の一番大事な精神「戦争の放棄」を表すのだという人たちにとっては、ここは漢数字で「第九条」でなくてはならないでしょうし、103ある憲法の条文の一つであると考える人たちにとっては洋数字で「第9条」であると。表記一つにも「考え方=思想」が入り込んでくるので、本当に難しいのです。

(2011、3、7)

2011年3月15日 04:05 | コメント (0)

新・ことば事情

4332「少なくても」

2011114日のNNNニュース(日本テレビ)を見ていたら、アナウンサー(記者かな?)が、

「少なくても20人以上が死亡しました」

と読んでいるのが聞こえました。この、

「少なくも」

には違和感が。これは本来、

「少なくも」

ではないのか?と思いました。「ても」と「とも」、これが例えば、

「どんな困難が待ち受けようも」

という文章なら「とも」しかあり得ませんよね。

「どんな困難が待ち受けようも」

とは言えないし、明らかにおかしい。しかし、「少なくても」もおかしいが、聞き流してしまいそうな雰囲気があるのはたしか。

「少なくとも」は、「少なく見積もったとしても」という、

「多くなることを前提にした仮定」

を表しています。そしてその「多い仮定が、たとえ現実のものになったとしても」というようなニュアンスがあります。

これに対して「少なくても」は、「たとえ少なくても」と、これも仮定といえば仮定なんですが、

「少ないことを前提にした仮定」

のように思えます。その意味で、似ているが正反対のような印象があるのです。

ま、理屈を言わなくても、アナウンサーなら「少なくとも」言葉の肌触りと言いますか、ニュアンスでこのぐらいわかってくれないかなあとも思うのですが・・・・。

(2011、3、7)

2011年3月14日 18:17 | コメント (0)

新・ことば事情

4331「結氷」

2011117日、テレビ朝日のお昼のニュースで、長野県の諏訪湖が、

「全面結氷した」

と伝えていました。この、

「結氷(けっぴょう)」

という言葉、"あまり"耳にしたことがありませんでした。聞いたことはあるとは思いますが。あ、「缶チューハイ」でも見たことがあるような。あ、あれは「氷結」か。

『広辞苑』ではさりげなく

「けっぴょう(結氷)」=氷がはること。また、その氷。

とシンプルな説明。『精選版日本国語大辞典』は、

「けっぴょう(結氷)」=水などの液体が凍ること。氷がはること。またその氷<季・冬>

として「俳句で冬の季語」であることも示していました。少し詳しかった。

おそらく冬になると池や湖の水が凍る寒い地方では、「当たり前の生活の言葉」なんでしょうね。関西(京阪神)はそこまで寒くないから、それほど耳慣れないだけで。

ニュースは、

「3年ぶりの御神渡り(おみわたり)が期待されます」

と結んでいました。「期待される」のかあ。

 

 

と、書いてほうっておいて約2か月。「啓蟄」も過ぎましたが、「御神渡り」はどうなったのだろうか?

(2011、3、7)

2011年3月14日 10:17 | コメント (0)

新・ことば事情

4330「カダフィ大佐か?カダフィ氏か?」

リビア情勢が緊迫の度を強めています。いまや「内戦状態」のようです。

ところで、このリビア情勢で出てくる「カダフィ」の肩書ですが、

「大佐」でしょうか?「氏」でしょうか?

テレビは、各社、

「大佐」

で放送しているようですが、新聞にはバラつきが見られます。基本、朝日・毎日・産経新聞(と共同通信・時事通信)は「大佐」、一方、読売新聞は「氏」です。

222日の朝刊を見ると、一つの新聞の中でも各社、「混在」しているように見えます。これは以前からなのか?また混在(統一)の理由は?何か根拠があるのでしょうか?

そのあたり、各社の知り合いに聞いてみました。

まず、「カダフィ氏」に統一している読売新聞は「219日付のミニ解説」で、その辺の事情を記しているとのことです。それによると、

「カダフィ氏1969年の無血クーデターで王政を打倒したリビアの最高指導者。クーデター後、大尉から大佐への昇格が発表された。現在、公的な肩書はない。欧米メディアなどは「カダフィ大佐」としているところが少なくないが、本人は「もう軍人でも大佐でもない」と説明している。」

とのことです。「氏」の表記は2009年夏ごろから表れ始め、直近での「大佐」の記述は、今年(2011年)1月7日朝刊のウィキリークス関係の記事で、

「カダフィ大佐関連 公電暴露 駐リビア米大使離任か」

の見出しと記事で例外的に登場したぐらいで、これを除くと2009914日朝刊の「編集手帳」で出た「大佐」が最後。そのぐらい「氏で統一」されているようです。

また、毎日新聞基本的には最初に「大佐」、あとは「氏」としているそうです。これは「カダフィ」に限ったことではなく、最初だけ「肩書」、あと「氏」というのが毎日新聞では一般的な書き方で、今後も「大佐」で行く方針だとか。

産経新聞の知り合いからもご意見いただきました。

「使用状況としてリビアのカダフィの肩書は、初出は基本的に『カダフィ大佐』、その記事の2度目からは『カダフィ氏』のケースがほとんど。これは産経新聞のハンドブックの「(記事)スタイルの基準 氏名の表記」に準じている。たとえば日本の政治家の記事で、枝野幸男官房長官が何度も出てくる場合、そのつど「枝野官房長官」とせずに、同じ記事では2度目から「枝野氏」としているのと同じ。もちろん、ずっと正式の肩書をつけても構わないが、あまり見ない。活字媒体ゆえの字数の制約もあり、国内外の記事を問わずそうしている例が多い」

また、報知新聞の方からもご意見を頂きました。

「軍事上の最高階級が大佐だったため『カダフィ大佐』と呼ばれているという説や、『カーネル・カダフィ』と名乗っていたため直訳して『カダフィ大佐』となった説がある」

と。そして、「ウィキペディア」の記述をひいて、

「『リビア人民局(大使館)はカダフィはいまだに大佐だと説明している』とのことなので、これが本当なら、リビア国の公式見解にしたがって各紙『大佐』と表記しているのではないか?」

とのことご意見も頂きました。

またわが社の『ウェークアップぷらす』のCPであるY氏は、

「英語でColonel Qadhafiとも。Colonelは日本語の大佐。カダフィが尊敬しているエジプトのナセル大統領が『カーネル』であったから『大佐』と名乗っているとの説が。よく昔は書かれていた。『カーネル』は『指導者』という訳もあるそうだ。」

という意見をくれました。皆さん、ありがとうございます。

そして、今週木曜日(3月10日)発売の『週刊文春』でジャーナリストの池上彰さんがご自分のコラム「そこからですか!?第20回」で、まさにこの問題「カダフィ大佐はなぜ大佐?」について「解説」されていました。それを要約すると、カダフィは1968年、リビア軍の大尉のときに仲間の将校たちとクーデターを起こし、国の最高機関である「革命評議会議長」に就任、その後1979年に一切の公職から退くと発表、建前上はなんの役職にも就いていないが、依然として最高指導者であることには変わりはない。そしてカダフィが「大佐」と呼ばれるようになったのは、カダフィが傾倒したエジプトのナセル大統領がクーデターを起したときの軍の肩書が「大佐」だったので、それにならって自分の肩書も「大尉→大佐」に昇格させた。本人が名乗らなくなった後も、呼び名に困ったマスコミは「大佐」を使い続けた、としています。つまり「ウェークアップ」のYプロデューサーが言っていたのと同じ理由ですね。

 

(2011、3、11)

2011年3月13日 18:16 | コメント (0)

新・ことば事情

4329「つべこべ」

ふと疑問が。

「『つべこべ言わずに』の『つべこべ』というのは、一体どういう擬態語なのか?」

つべこべ言わずに、辞書を引きましょう。『精選版日本国語大辞典』です。

「つべこべ」=(多く「と」を伴って用いる)出しゃばってあれこれとしゃべりたてるさまや、不平・理屈・へつらいなどをうるさく言うさまを表わす語。つべつべ。つべらこべら。」

うーん、なんだかすごく「不快」を現す「罵倒語」の一種のようにも思えてきたなあ。「つべらこべら」、いい感じですねえ、「ら」が。「えっちら、おっちら」みたいな。

用例は『浄瑠璃・信濃源氏木曾物語』(1698年ごろ)というから古い。

「姉に向ふてつべこべとあた弁口な異見立て」

とありました。

あ、そうか、もしかしたら「つべこべ」は、

「つべし、こべし」

「し」が脱落したのではないかな。「つべし」を引くと、

「つべし」=(完了の「つ」に推量の「べし」のついたもの)

(1)  あることがまさに実現しそうである、ある事態の完了が当然予想される、などの強い推量を現す。...にちがいない。...てしまいそうだ。つべい。つべしい。

(2)あることが実現可能だという判断を表わす。きっと...できるだろう。たしかに...できそうだ。...てもとさそうだ。つべい。つべしい。

 

どうでしょう、この「つべい」の「い」が落ちたと考えては。「こべし」「こべい」は、それに該当する語は見当たらないけど、語調を合わしたということで。

え?なんです?「つべこべ言うな」?ヘイヘイ・・・・。

あ、それと方言の語尾の「~だ(ん)べ(い)」は、もしかしたら「~だべし」から来ているのかもしれないなと、ふと感じたのでした。

(2011、3、7)

2011年3月13日 10:15 | コメント (0)

新・ことば事情

4328「八百長とサンタ」

大相撲の八百長問題、ちょっと今、ニュージーランドの地震や京大のケータイでのカンニング事件や、前原外相の辞任問題やもろもろ、もっと大きなニュースが連続していて、表に出てこなくなりましたが、連日大きく取り上げられていた2月中旬に、ふとこの「八百長」と似たものを思い浮かべました。それは、

「サンタクロース」

です。

えー、このコラム、子どもさんは読んでないですよね?小学生は、読むの禁止です。ここから先は読まないように!!

 

 

 

 

では、大人の皆さんに。

「サンタはいない」

ということは、「大人はみんな知っている」けれども、「サンタの存在を信じている子供たち」のことを考えて、公の場で、また子供の耳に届くところでは口にはしません。それが「大人のお約束」です。

かたや大相撲。「八百長がある」ことを、知っている人はみんな知っているけど、「大相撲は純粋なスポーツであると信じている人たち」のことを考えて、口にはしない。

つまり、そういうことなのではないでしょうか?違いますか?全然違うかもしれませんが。(お金が絡んでくると、ちょっと事情は変わると思いますが。)あ、そうだ、あれも似ていますね、"着ぐるみ"の、

「中の人」

あれも、関係者に向かって、

「中の人は、夏は暑くて大変でしょう?」

とねぎらうと、

「中の人などいない」

と言われることが最近多いです。そうなんです、「中の人などいない」のです。そうなっているのです。これは「ウソ」ではなく「方便」です。あ。「方便」もまずいのか、いま。うーん、なかなか自由にしゃべりにくくなっているような気もするなあ・・・。

(2011、3、7)

2011年3月13日 02:14 | コメント (0)

新・ことば事情

4327「因数分解と謎かけ」

京大を始めとする入試での「ヤフー智恵袋」を使ったカンニング事件。偽計業務妨害の容疑で19歳の予備校生が「逮捕」されました。

つい先日、その京大の数学の入試問題が新聞に載っていました。もう最近はこんな問題を解いたりすることもなかったのですが・・・つい、ちょっと解いてみようかなあ・・・なんて気を起こしました。もちろん、解けませんでしたけど。

この数学の問題を見ていて思いました。

「因数分解と謎かけは似ている」

と。(x+1)の2乗であれば「展開」していけば解けるのですが、「x2乗-3x―4」(x+1)(x-4)

というようにするには、何か「アイデア」が必要です。これは、

「○○とかけて●●とときます。その心は・・・どちらも××でしょう」

という「謎かけ」に似ているのではないか、とふと思ったのです。

例の「ととのいました!」というヤツですね。

これ、私は実は大変苦手でした。寄席なので「謎とき」をしている落語家や「ねづっち」の姿を見ると「すごいなあ」と思っていました。でも先日、「謎かけの作り方」にハタと気付いたのです。その「作り方」とは・・・、

「○○→●●→××」

の順番で考えるから解けないのです。これは、

「〇〇→××→●●」の順番で考える

のです。つまり具体的には、最初のお題(○○)を、たとえば「コーヒー」にしましょうか、そうすると「コーヒー」で思いつくイメージをまず挙げるのです。それがオチ(××)になるのです。そうですね、たとえば、「苦味が決め手」とでもしますか。これがオチ(××)です。そしてこの「苦味が決め手」で連想するものを考えます。例えば「高倉健さん」としましょうか。連想ゲームです。これが「●●」になります。さあ、これを並べ替えましょう。すると、こうなります。

「コーヒー(○○)とかけまして、高倉健さん(●●)と解きます。その心は、苦味が決め手(××)です」

となって一丁上がり!そんなに面白くないですが、一応、形にはなっているでしょ。

えーと、つまり、何か思いつくアイデア、きっかけがつかめると、因数分解も謎かけも、できるようになるんじゃないかなあ、と思ったのでした。おしまい。

(2011、3、7)

2011年3月12日 18:13 | コメント (0)

新・ことば事情

4326「C調の語源」

225日の読売新聞のコラム「編集手帳」に、

C調は『調子いい』を上下ひっくり返したジャズマンの業界言葉」

と書かれていました。

ええ!そうだったの!?私はてっきり、「C調」は「ハ長調」で、

「明るい音階」

なのだとばっかり思っていました。たしかに、「調子=チョーシ」をひっくり返すと「シーチョー」=「C調」ですね。「倒語」プラス「ハ長調」の「C」も引っ掛けているのかもしれません。

この「C調」、クレージーキャッツの植木等さんの歌で一般的になったのだと思っていましたが、植木さんもジャズマンですしね。

私が「C調」をきっちり意識したのは、サザンオールスターズの『C調言葉にご用心』という曲でした。1979だと思います。もう30年以上前の私の高校時代ですが。

こういった言葉はやはり、米川明彦先生の『日本俗語大辞典』でしょう。引いて見ましょう。

「シーちょう(C調)」=(「調子」の倒語)

あら。いきなりちゃんと書いてあったわ・・・・。

「軽薄な調子のいいさま。またその人。バンドマンの用語から。」

なるほど。また『現代用語の基礎知識1987年版』からも引いていて、

「ちょうしのいい。『調子』のさかさまことばから。本来はジャズのバンドマンの俗語で、ハ調(C)などというのにひっかけている。一般的には『プレイボーイ流の』『ミーハー的で俗っぽい』などの意味も込めて用いる」

とありました。また同じく米川先生の『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』では、

1962年の流行語」

として「C調」が紹介されていますが、その「発生源」は、植木等主演の映画『ニッポン無責任時代』前年(1961年)の『スーダラ節』だと紹介されていました。

(2011、3、7)

2011年3月12日 12:13 | コメント (0)

新・ことば事情

4325「アンフレンド」

220日の日経新聞のコラム「編集手帳」

「エジプトのムバラクが、アンフレンドされた。次は誰か?」

というような形で使われる、

「アンフレンド」

が紹介されていました。これはネット用語で、

「アドレスからの削除」

を意味するのだそうです。もちろん「フレンド」は「友好的=味方」でしょうから、「アン」という否定の接頭語が付いた「アンフレンド」は、

「友達でない=敵」

になるのでしょう。本当は「友達でない」が即座に「敵」にはならないであろうに、「二者択一」のデジタル思考では「AでないものはB」となるのでしょう。

これを読んで思い出したのは、ジョージ・オーウェルの『1984年』に出てくる、

「ニュースピーク」

です。これについては「平成ことば事情457」で、詳しく書いたので、そちらをお読みください。

 

(2011、3、7)

2011年3月11日 18:12 | コメント (0)

新・読書日記 2011_036

『たてつく二人』(清水ミチ子・三谷幸喜、幻冬舎:2011、2)

なんだか漫談のように、かみ合っているのかかみ合っていないのか・・・そこがおもしろいのだが。三谷さんは私と同い年で今年50歳。清水さんは、私(と三谷さん)よりもたしか3つぐらい年上。気心の知れた二人ですから、そして女性の清水さんの方が少しお姉さんなので、リードするような感じで。三谷さんは脚本家であり出演者であるというマルチプレーヤー。その意味では、演者さんである清水さんとの距離の取り方って難しくないのかなあ。ま、本業は裏方さんなんだけど。もともとは役者さんだし。

そのあたり、東京サンサインボーイズの結成20周年(だっけ)の復活舞台で、昔の仲間で今も役者をやっている人と会ったら、「ああ、やっぱり向こうはプロなんだな」と、三谷さんが今の自分のポジションとの「差」を感じたりというシーンは、時の流れを感じました。

これまでに『かみつく二人』『いらつく二人』と言うシリーズが出ています。拍子イラストは、和田誠さん。三谷さんは和田さんのファンで、「和田タッチ」のイラストも描けます。


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(2011、2、18読了)

2011年3月11日 12:21 | コメント (0)

新・読書日記 2011_035

『テレビは総理を殺したか』(菊池正史、文春新書:2011、2、20)

タイトルにつられて買ったら、著者は元・日本テレビ政治部記者だった!(現在は編成局)。そういえばお名前は聞いたことがあるなあ・・・と思いながら生まれ年を見たら、あれれ?ずいぶん若いやん!貫禄あるなあ。

食堂で読んでたら、旧知の後輩で『ウェークアップぷらす』のプロデューサーY君が近づいてきて、

「あれ!?菊池のヤツ、俺の知らない間にこんな本書いて・・・よし、電話してやる!」

と、その場で本人に電話をかけて、

「本、出したなら教えてよ!」

と言っていました。

本書は主に1993年以降の政治の流れが、小沢一郎を軸に書かれているが、リアルタイムに経験してきただけに、なんだか緊張して読んだ。

そして結局、田中角栄を軸に、その系譜・田中派の流れを汲む者VSアンチ角栄の闘いが今も続いているのではないか。娘・真紀子の場合は、ちょっとややこしくて、角栄の流れを汲む者は角栄を倒して・裏切って・見捨てて乗っ取った(=竹下ですが)わけで、それに対する近親憎悪というか、「可愛さ余って憎さ百倍」で「アンチ角栄」のはずの小泉と結んでしまったり。

そして1972年、田中が総理に就任した年にバンダが来た。今年、またパンダが来た。その年に沖縄が返還された。その沖縄が、日本・ヤマトンチュに「NO!」を突き付けている。世代交代、30年一巡説、か。

 


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(2011、2、26読了)

2011年3月10日 22:17 | コメント (0)

新・読書日記 2011_034

『それでも、ぼくは生きられる~旅で見つけた目に見えない大切なもの~』(坂野祐介、自費出版(だと思う):2011、1)

「9か月ぶりに日本に帰ってきました」

と書かれた梅の花の柄の便箋一枚が添えられた、このフォトブックが届いたのは1月下旬のことだった。差出人は、5年ほど前まで朝の番組を一緒にやっていた若い男性ディレクター。その後、東京に移りディレクターを続け、結婚。その奥さんが過労から鬱になり、二人で東京を飛び出した。ハワイ、ブータン、インド、ネパール・・・そこで見たもの体験したものは、日本・東京とは全く違った価値観、時間の流れ、自然とのつきあい方の中で「生きている人たち」の生活だった。

小さな、CDサイズ(よりもちょっと小さい?)の本の中に、鮮やかでヴィヴィッドな写真とともに、彼等が体験した"世界"が封じ込められている。

9か月のこの体験が、二人をひと回りもふた回りも大きくしたに違いない。

 


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(2011、1、28)

2011年3月10日 12:15 | コメント (0)

新・読書日記 2011_033

『なぜ日本は没落するか』(森嶋通夫、岩波現代文庫:2010、7、16第1刷)

著者は元大阪大学・ロンドン大学教授。2004年に亡くなっているが、本書は1999年に出たものの文庫化。

これも"10年前"に書かれてはいるが、既に「予言の書」的な側面がある。というか、10年前から"流れ"は動いていて、それが10年という歳月で予定通りのところに「時代」を運んだというべきか。ここには、そうなったときの"処方箋"が書かれている。その"処方箋"どおりに手当を行えば症状が和らぐかというと、それには疑問符が付くが、参考・指針にはなるだろう。


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(2011、2、13)

2011年3月 9日 22:13 | コメント (0)

新・読書日記 2011_032

『意地悪は死なず~夏彦・七平対談』(山本夏彦・山本七平、WAC:2011、1、27)

山本夏彦とその時代・全10巻の第2巻。

うーん、二人「山本」、ともにゴッツイなあ。

今の時代だからこそ、この対談、読む意味があるのかもしれん。

古くないです。

 

 


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(2011、2、13)

2011年3月 9日 12:11 | コメント (0)

新・読書日記 2011_031

『妻と最期の十日間』(桃井和馬、集英社新書:2010、12、22第1刷・2011、1、19日 第2刷)

 

著者は1962年生まれの写真家・ジャーナリスト。いま話題の「戦場カメラマン」でもある。

「もしかして、女優の桃井かおりさんと姉弟?」

と思ったが、全然違うみたい。

著者の妻が41歳でくも膜下出血で倒れ、意識を取り戻すことなく「十日間」で逝ってしまった。「たった十日」がどれだけ長い時間であったか。本書を読めばよくわかる。

残された夫=著者はあまりにも無力であった。「男って弱いな」、そう感じざるを得ない。そして、ほぼ同世代であるだけに、「もし、自分がその立場であったなら・・・」と想像せざるを得ない。同じく一緒に残された小学6年の娘。妻が「灰」になった後の帰りのタクシーの中で、口を開く。

「おとうさん」

「なに?」

「あしたからはしっかり働くんだよ!」

やはり、「女は、強い」のである。弱き者、汝の名は、男・・・。

それにしても「集英社新書」も10周年で、こんなノンフィクションも出すようになったのですね。

 


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(2011、2、11読了)

2011年3月 8日 22:10 | コメント (0)

新・ことば事情

4324「三歩下がって・・・」

 

昔ばなしです。

その昔、水前寺清子さんの『三百六十五歩のマーチ』という曲がありました。

その歌を知っているか?番組内で尋ねたら、

「知ってますよぉ、『三歩下がって、二歩下がる』でしょ」

と答えた女性アナウンサーがいました。みんな、ズルっとずっこけました。「五歩」、下がっとるやないか!

もちろん正しくは、

「三歩進んで、二歩下がる」

ですが、なぜ彼女がそんなアホな間違いをしたのか?という理由が、20年ぶりぐらいにひらめきました!これは、おそらく、

「三歩下がって、師の影踏まず」

との混同だったのではないでしょうか?つまり、「師の影踏まず」の代わりに「二歩下がる」と言ってしまった、あるいは「三歩進んで」の代わりに「三歩下がって」と言ってしまったか。結果は同じですが。

アホに見える「言い間違い」にも、何かしら理由があるものなんじゃないかなあと。

その彼女は10年前、「UFJ(ユニバーサルスタジオ・ジャパン)開園」の際のヘリコプター生中継で、

「こちらはJR大阪駅から数十分・・ではなくて十数分、USJジャパンです!」

と言ったのと同じ人です。

「USJジャパン」って・・・じゃあ「USJ」の最後の「J」は何?「ユニバーサルスタジオ・ジャパンジャパーン!」になってしまいます。郷ひろみじゃないんだから。GOGO!ヘリコプターの操縦士も思わずずっこけて、ヘリが落ちそうになった、とかいうことは、さすがにありませんでしたが・・・動揺したでしょうな。

あ、それと「三歩下がって、師の影踏まず」は、「さん・し」という韻を踏んでいるのかもしれないなと思いました。

(2011、3、7)

2011年3月 8日 19:13 | コメント (0)

新・ことば事情

4323「拗音の特徴」

先週の「ミヤネ屋」の放送の、漫才のB&B・島田洋七さんのネタで字幕スーパーに、

「もみじまんじゅう」

という文字が出ていました。それを見ていたら、全部平仮名なので、

「入れ替えたら別の言葉にならないかな?」

と思って頭の中で入れ替えていて、ふと、気付きました。

「じゅう」

最後の二文字「ゅう」の「前」に、「も・み・じ・ま・ん・じ(ゅう)」の中で入ることができるのは、

「じ・み」

の二文字だけだ。「も・ま」は入れない。ということは、もしかして「拗音」

「〇ゃう」「〇ゅう」「○ょう」

「○」の中には、

「イ段の音」

しか入らないのではないか?

そこでためしに、「イ段」の音を入れてみると、

「きょう、しょう、ちょう、にょう、ひょう、みょう、りょう」

「きゅう、しゅう、ちゅう、にゅう、ひゅう、みゅう、りゅう」

全部「音」(拗音)になりました!ただ小さい「ゃ」は、

「きゃう、しゃう、ちゃう、にゃう、ひゃう、みゃう、りゃう」

ということで、全部「歴史的仮名遣い」になっています。読み方は、

「きょう、しょう、ちょう、にょう、ひょう、みょう、りょう」

と同じですよね。歴史的仮名遣いの方が論理的な構成なのだということは、これでもその一端がわかる気がしますね。

それにしても「拗音」って、そんな音だったんだなあ。

 

 

(2011、3、7)

2011年3月 8日 12:12 | コメント (0)

新・ことば事情

4322「脚本と脚色」

先日、三谷幸喜さんと清水ミチコさんの対談本を読んでいたら、

「アメリカのアカデミー賞には、『脚本賞』とは別に『脚色賞』もあるのに、日本のアカデミー賞にはない」

というようなことを三谷さんが述べられていました。それを読んで、

「ふーん、そうなのか」

と思うと同時に、

「脚本・脚色の『脚』ってなんで『あし(脚)』なんだろう?この『脚』にはどんな意味があるんだろう?」

と、気になりました。調べる時間がなかったので、メモだけ置いておいて一週間、ようやく調べる時間が。『新潮日本語漢字字典』を引いてみました。

「脚」=②元となる基礎。「立脚・失脚・脚本」

「脚色」=①小説や事件などを、演劇・映画・放送などの脚本にすること。②事実に手を加えて伝えること。また、その内容。

「脚本」=演劇・映画・放送などで、演出のもととなる舞台装置・台詞(せりふ)・動作などを記したものシナリオ。

ふーむ、そうすると、「脚本」は「名詞形」で、それ(=脚本)を作る「動作」が「脚色」ということか?それならアメリカのアカデミー賞に「脚本賞」と「脚色賞」の2種類あるというのは、もう一つ納得がいかないなあ・・・。そういうことでしょうね?

ちなみに英語で「脚本賞」は、

Academy Award for Writing Original Screenplay

で、「脚色賞」は、

Academy Award for Writing Adapted Screenplay

あ、そうか!「脚本=オリジナル」で、「脚色=応用」、つまり、

「作曲と編曲のような違い」

か!これならわかりやすいですね。「元となる(=脚)台本」が「脚本」で、「元となる台本(=脚本)」に「色を付ける=アレンジする」のが「脚色」ということですね。そう書いてくれたら、一発でわかったのに!

(2011、3、7)

2011年3月 7日 21:08 | コメント (0)

新・ことば事情

4321「ホドリゴピンポン」

 

3月3日朝刊のスポーツ面を読んでいたら、サッカーのアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を戦っている「セレッソ大阪」が、インドネシア「アレマ」を相手に2-1で辛勝したという記事が載っていました。この2得点を挙げた新外国人選手の名前は、

「ホドリゴピンポン」

というのだそうです!サッカーなのにピンポン?

どこの国の選手かなと思ったら、記事によると「ブラジル人」だとか。ふーん、そんな名前があるんですねえ。

その後、スポーツ新聞も読んでいたら、あれ?名前が微妙に違う!スポーツニッポンでは、

「ホドリゴ・ピンパォン」

となんていました。「ピンポン」だと「卓球」を連想しますが、「ピンパォン」だと「ゾウ」をイメージしてしまいます。一体どっちが、現地の音に近いんだろうなあ??

Google検索(34日)では、

「ホドリゴピンポン」  =  1770

「ホドリゴ・ピンパォン」=21700

でした。セレッソ大阪の公式サイトによると、

「ホドリゴ ピンパォン選手」

でした。

 

(2011、3、4)

2011年3月 4日 19:54 | コメント (0)

新・ことば事情

4320「寒の戻り」

 

3月に入りもう「春」かと思ったら、何かこのところ寒い、寒い・・・・。

「ミヤネ屋」の番組最後で、森若アナウンサーが読む「天気予報の原稿」は、ウェザーニュースの気象予報士さんが書いてくれているのですが、それに事前に目を通してチェックしています。先週のこと、

「このところの暖かさから、うって変わって、『寒戻り』となるでしょう」

という文章がありました。「そうか、寒くなるのか」と思ってから、ちょっと「うん?」と思いました。それは、

「『寒の戻り』という言葉は、今の時期に使うのか?」

という疑問です。『精選版日本国語大辞典』を引いて見ると、

「かんの戻り」=「晩春の頃、急に大陸性高気圧の勢いが盛り返して、一時異常に寒くなること」

とありました。やはり!今の時期=早春に使う言葉ではなかったのです!

念のため、「晩春」を引くと、

「晩春」=①春の末。春の終わり方。暮春。②陰暦三月の異称。

とありました。

ちなみに、この時期よく耳にする、

「三寒四温」

も、本来はこの時期(早春)の気候を指すものではないと聞いたことがあります。これも引いて見ましょう。

「三寒四温」=冬期、寒い日が三日続くとその後四日ほど温暖な日が続き、これが繰り返される気候現象。天候変化に七日ほどの周期のあることによる。中国北部や朝鮮半島北部などでかなり規則的にあらわれる。」

のだそうです。やはり春先ではないのですね。

(2011、3、3)

2011年3月 3日 19:06 | コメント (0)

新・ことば事情

4319「スマホ」

 

225日の朝日新聞朝刊を読んでいたら、こんな見出しが目に入りました。

「スマホ購入後値引き」

え?「スマホ」・・・って何?と一瞬考えて、本文を読んでみると、そこに出てきたのは、

「スマートフォン」

でした。つまり「スマホ」とは「スマートフォン」の略だったのです。しかし、ここで疑問が。

「『スマートフォン』の略なら『スマホ』ではなく『スマフォ』ではないのか?」

ということ。「フォ」を略すと「ホ」になるのでしょうか?

ならないこともない、かもしれません。例えば、

「ハンディキャップ」

の略は、

「ハンデ」

であり、「ハンディ」とは、まず言いません(書きません)。拗音、小さい文字の音は、略語の語尾には来にくいということがあるのではないでしょうか?それはもともとそういった「フォ」「ディ」という音が、日本語にはなかったから。もちろん奈良時代にまで遡るとあったかもしれませんが。

NTT(旧電電公社)の、

「テレホンカード」

商品名として「ホン」です。「フォン」ではありません。「テレホンカード」が出た1980年代前半は、まだ「フォン」が定着していなかったのかもしれません。

電車の「ホーム」は「プラットホーム」の略で「ホ」ですが、IT用語で出てくる「プラットフォーム」は「フォ」です。

また、新聞では「ユニホーム」と書きますが、一般的には「ユニフォーム」と書き、言う人が多いのではないでしょうか。

まず音で「フォ」が言えるようになり一般化する(英語が生活の中に入ってきたから)、その後に文字でも「フォ」が、「ホ」に取って代わる。ただこれまで何十年もの習慣で「ホ」としているものについては、その世代がいなくなるまでは変わらない。新たに生まれてきた物については最初から「フォ」。

「アイフォーン」については、「アイホン」という「インターホン」が既にあったこともあって、表記が「アイフォーン」と「―」が入る形になりましたが、その流れもあって、「アイフォーン」のような種類の電話(携帯端末)を「スマートフォン」としたのでしょう。

今回「スマホ」と「ホ」にしたのは、「見出しの文字数を減らす」ということが最大の目的でしょうが、「フォ」で止めるのは発音がしにくい(「ホ」に比べて)という事情もあったのかもしれません。でも「インフォーメーション」を略して「インホ」と言うか「インフォ」と言うかというと「インフォ」と言う(言えそう)な気もしますが。

                           (2011、2、25)

 

(追記)

「ハンディ」とは、まず言いません(書きません)、と書いたところ、NHKの原田邦博さんからメールをもらいました。

NHKでは「ハンデ」と「ハンディ」を使い分けています。ゴルフは「ハンデ」、「ハンディキャップ」の略は「ハンディ」として、両方を認めています。(NHKことばのハンドブック巻末「カナ表記」参照)』

そうでしたか!ありがとうございます。さっそくNHKことばのハンドブック第2版』の281ページを見てみると、

「ハンディキャップ handicap (ゴルフ用語は「ハンデ」、略記はハンディ)」

とありました。そううかあ。

また、よく考えると、「ハンディーカメラ(handy camera)」のことを略して「ハンディー」と言いますね。「hady」だと語尾は「handicap」とは違いますが。

拗音は略語では言わないというわけでもなかったか。

 

 

 

 

 

(2011、3、3)

2011年3月 3日 16:41 | コメント (0)

新・ことば事情

4318「微粉砕」

ちょっと休憩・・・して、会社の自動販売機にコーヒーを買いに行きました。

温かいコーヒーを飲むと、ちょっとホッとします。

そのいつもの自動販売機、コーヒーがカップに注がれるまでの間、数十秒でしょうか、自販機を眺めていたら、広告の文字が目に入りました。

「微粉砕のコーヒー豆」

ふーむ、「微粉砕」ですかあ。あまりお目にかからない表現。これって「微」というところがポイントなんでしょうね。

「粗挽き」

の方が好まれたり「微粉砕」を特長としたり、コーヒー豆は「その挽き方」によって味わいが変わるんですねえ・・・と改めて感じたのでした。

Google検索では(2月24日)、

「微粉砕」=195000

驚いた!こんなに出てきました。しかもトップに出てきたのは、

「食品における乾式微粉砕」

なる文字が。そして、「粉砕」するための機械(粉砕機)には、

「粗砕機、中砕機、微粉砕機、超粉砕機」

といった種類があるようです。知らない世界だなあ・・・業界用語なんですね、きっと。

ちなみに、

「粗挽き」=128万件

でした。「デジタル大辞泉」では、

「あら‐びき 【粗×挽き】

 [名](スル)穀物・食肉などを普通よりも粗めにひき砕くこと。また、そうしたもの。「―のソーセージ」「胡椒(こしょう)を―する」

とありました。

(2011、2、24)

2011年3月 2日 12:12 | コメント (1)