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『道浦TIME』

新・ことば事情

5347「Goetheのカタカナ表記」

 

「財団法人 東京ゲーテ記念館」のサイトを見たら、こんな記述がありました。

言語学者の矢崎源九郎『日本の外来語』(1964年、岩波書店)によると、あの、

「ゲーテ」

には、

「表記の上ではゴエテ、ギューテ、ギェーテ、ギューテ、ギョート、ギョーツ、ゲーテ、ギュエテ、ゲォエテ、ゴアタ、グウィーテ、ゲヱテー、ゲーテー、ゲェテー、ギョウテ、ギヨーテ、ギョーテ、ギョーテー、ギヨテー、ゴエテ、ギョテ、ギヨヲテ、ギヨオテ、ゲョーテ、ゲヨーテ、ゴエテー、ゲエテ、ギヨエテ、ゲイテ、ギョエテ、と、じつに二十九通りの書き方があるという。『ギョーテとは俺のことかとゲーテ言い』という、斎藤緑雨の川柳すらも生まれているほどである。(170ページ)」

 

これ、おもしろいのは「29通り」と書いてありながら、数えてみたら「30通り」あるんですね。更にこのサイトには、

「品川力著『古書巡礼』(青英舎版、1982年)所収の「二十九人のゴッホ・四十五人のゲーテ」に詳しく書かれています。モノマニアックだった品川力(つとむ)氏の調査では、矢崎が言う29通りどころか、45通りもあるとのことです。

と書かれています。

このように「外来語のカタカナ表記」は難しいという話ですが、きょう(1月29日)配信したニコ生「第10回道浦俊彦の言葉のことばかり」で、この話をしました。

(2014、1、29)

2014年1月31日 10:14 | コメント (0)

新・ことば事情

5346「チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星」

 

「平成ことば事情5212」で書いた「ロゼッタストーン」。それ以来、

「ロゼッタ」

と聞くと、「ピクッ」と反応します。

先日、ニュースで、「ロゼッタ」が出て来ました。なんとそれは、欧州宇宙機関 (ESA)

「探査機の名前」

でした。そして、その探査機が探査しているのは、

「チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星」

という彗星だったのです。舌噛みそう!さあ、3回言ってみましょう。

 

「チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星」

 

あ、舌、噛んだ。

(2014、1、29)

2014年1月30日 23:11 | コメント (0)

新・ことば事情

5345「販売と発売」

 

「発売」

というのは、

「販売を始めること」

を言います。ですから、

「『販売初日』は『発売』」

ですが、「2日目以降」に関しては、本来は、

「販売中」

ではあっても「発売中」ではありません。この使い分けが必要です。

世の中では、「2日目以降」でも平気で「発売中」という言葉を使っていますが、それは、「『発売』が『たった1日しかない貴重なもの』」

なので、

「そういう貴重なものなのだ」

と思わせる「商業主義」によるものだと思われます。「売っている」ことには違いありません。それはある意味、商売上の「方便」で許されると思いますが、放送などでは、区別をすべきだと思います。

(2014、1、29)

2014年1月30日 21:10 | コメント (0)

新・ことば事情

5344「ベトナム旅行から感じたこと」

(書いてから、なぜか半年近く、ほったらかしになっていました。一部、

去年(2013年)の夏休みにベトナム旅行に行って来ました。南部のホー・チ・ミン(「胡志明」・・・陳志明というゴルファーがいたけど、もしかしたら「ホー・チ・ミン」から取った名前だったのかな?)です。昔の「サイゴン」です。その際に「注意」という意味の言葉が「キューイ」としてベトナム(越南)に残っていたことから、「漢字文化圏」ということに思いをはせました。それは「平成ことば事情5210 注意」に書きました。

 

また、フランスの支配を受けていた「仏領インドシナ」の歴史を考えると、列強による帝国主義、その契機は1840年の「アヘン戦争」であるということも思い浮かびます。さらに、その欧州列強のアジア支配の契機となったことはというと、「東インド会社の設立」、17世紀にさかのぼります。さらにさらに、東インド会社設立の契機はというと、香料や絹などの輸入、羅針盤の発明や各種航路の発見と言ったことが、その前提条件になって来ます。

歴史を最初から見ていくのではなく、逆回転で、「どうしてそうなったか?」を見ていくと、「歴史の必然」というものが見えてくる気がしました。

 

(2013、8、26)

2014年1月30日 18:38 | コメント (0)

新・ことば事情

5343「炒まったら」

 

「ミヤネ屋」の名物コーナー林先生「愛のスパルタ料理塾」のレシピを事前にチェックをしていたら、

「炒まったら」

という表現が出て来ました。これに違和感が。

「炒める」

他動詞です。目的語を取ります。つまり、

「○○を炒める」

となるわけです。それが「自動詞」だと、

「炒まる」

ですが、その「○○」が、自分で勝手に「炒まる」ということはありません。必ず「炒めた」結果「炒まる」わけですから、「炒まる」を単独で使うのは、やはりおかしいはずです。

『三省堂国語辞典・第7版』を引くと、見出し語として載っているのは「炒める」だけ。その中に「自動詞」は「炒まる」は載っていましたが、見出し語としては載っていない。ということは、実際には流通していない、これまでは使われていなかったということでしょう。『精選版日本国語大辞典』にも「炒める」は載っていても、「炒まる」は載っていませんでした。

では、炒めた結果、「炒められた状態になったこと」を、どう言えばいいのか?

 

「火が通ったら」

 

で、いかがでしょうか。

実際の「炒める」は、「油で炒める」ので、「火が通ったら」だけでは表現が足りないかもしれませんが、なかなか言い換えが難しいのも事実ですね。

(2014、1、29)

2014年1月30日 14:37 | コメント (0)

新・ことば事情

5342「一生 上がらない」

 

よくテレビで、

「保険料が一生、上がらない」

のをアピールする保険のコマーシャルがあります。それは、とってもうれしい、ありがたいことですが、この場合、テレビを見ている我々は、「一生」について、

 

「少なくとも平均寿命80歳ぐらいまでは生きる。あるいはそれ以上長生きする」

 

ことを想定していますよね。

しかし、「一生」と言っても、「短い」場合もあります。

そう考えると、

 

「『一生』というのは、ものすごく不確定なもの」

 

だなあと改めて感じました。だからこそ「保険」という商売も成り立つんだなあと思いました。「一生」に喜んでばかりもいられないな。

(2014、1、27)

2014年1月30日 11:35 | コメント (0)

新・ことば事情

5341「拳銃か?ピストルか?」

 

テレビや新聞での「拳銃」の表記ですが、以前は「拳」の字が「表外字」(=常用漢字でない)だったため、

「けん銃」

「交ぜ書き」になっていました。それを嫌って、放送局は、

「ピストル」

という(一応)「外来語」を使っていました。新聞は、文字数が「ピストル」だと4文字と多くなるのも嫌って、

「短銃」

という表現をしていました。

その後、2001年に日本新聞協会の用語懇談会が、

「ルビなしで使ってよい」

と決めた、

「新聞常用漢字・39字」

の中に「拳」が入ったために、

「拳銃」

2文字で、ルビなしで使えるようになりました。

それで、新聞・放送共に、

「拳銃」

という表記を使用し始めたのだと思います。

(2014、1、29)

2014年1月29日 22:07 | コメント (0)

新・ことば事情

5340「養殖と繁殖」

 

群馬のアクリフーズの冷凍食品に農薬が混入された事件で、1月25日、この工場で働く契約社員の阿部利樹容疑者(49)が逮捕されました。(その後、送検)

その阿部容疑者の副業のひとつに、

「カブトムシの繁殖」

がありました。これを1月27日放送の「ミヤネ屋」のフリップで、

「養殖」

と出してしまいました。それ以外のスーパーや、中山リポーターのコメントは、

「繁殖」

だったのですが。やはり、

「養殖」=魚など

「繁殖」=昆虫、動物など

という使い分けですね。それと、「養殖」の場合は、

「養殖する」

と使うのに対して、「繁殖」は「繁殖する」ではなく、

「繁殖させる」

という「使役の形」を使います。「する」と「させる」の違い。これは、

「養殖」=人間が、完全にコントロールできている

「繁殖」=人間が、一部コントロールできない部分も含まれている

という違いのようにも感じるのですが、いかがでしょうか?

(2014、1、27)

2014年1月29日 11:33 | コメント (0)

新・ことば事情

5339「誰もが思って・・・」

 

1月27日の夕方のニュースで、「文楽」に対する補助金の問題を取り上げていました。そのまとめでキャスターが、

 

「関西から文楽がなくなってほしいと、

 誰もが 思っていないと思うんですよね」

 

と言っていました。私はこのコメントを、

 

「誰もが思って・・・」

 

まで聞いた時に、

 

「(誰もが思って)いる」

 

とつながるのかと思って、「え?」と驚きましたが、次の瞬間、

 

「(思って)いない」

 

となり、ホッとしました。しかしこの表現、本来なら

 

「誰も思っていない」

 

とならなくてはいけないところです。

「誰も~ない」で否定形の呼応が来ます。「誰もが」に対する呼応は「~する」です。これは、「文楽」とともに守ってほしい、

「伝統」

ですね。

(2014、1、27)

2014年1月28日 19:31 | コメント (0)

新・ことば事情

5338「クロッキー」

 

小学3年生の娘と車に乗っている時に、後ろの席に座っている娘が、こんな話をしてきました。

「ねえねえ、『クロッキー』って知ってる?」

「『クロッキー』?知らんわ。何?」

「あのな、自動車のナンバープレート、普通の車は白の板に緑の字で書いてあるやろ、お仕事の車は、緑の板に白い字で書いてあって、軽自動車は黄色の板に黒い字で書いてあるやん。でも、『軽自動車でお仕事の車』は、『黒い板に黄色い字』で書いてあるねん。郵便局の配達の車とか。それが『クロッキー』って言うねん。黒と黄色やから。」

「へえー、そんなナンバープレートあるの!?」

「あるで!それで、『クロッキー』を5台続けて見ると、ええこと、あんねん!」

「ふーん」

とそんな話をしていたら、娘が窓の外を指して、

「あ、『クロッキー』や!ほら、横の車!」

「どれどれ・・・あ、ほんまや!」

私の車の横には、「佐川急便」の、軽自動車だけど背が高い配達の車が、信号待ちで止まっていて、確かにナンバープレートは、

「黒地に黄色い文字」

で書かれていました。

その後、今度は「郵便局の配達の軽自動車」を見かけることがありましたが、これも娘の言うとおり、「クロッキー」でした。

私の高校時代には、「カブトムシ」の愛称で知られる、

「フォルクスワーゲンのビートル」

を100台(だったかな)見るといいことがある、でも、「赤いビートル」を見ると、それまでの積算が「ゼロ」になる、というゲームのようなものが流行りましたが、それと似ているなあと思いました。

「クロッキー、ナンバープレート」で検索したところ「4110件」出て来ました。「ヤフー知恵袋」には、2008年3月に、

「黒いプレートに黄色のナンバーの車を見かけますがどういった車種なのでしょうか?子供たちの間で「クロッキー」と呼ばれ100台見ると幸せになれるのだそう・・・(笑)

今まで気にしてなかったので・・・ふっと気になりどなたか教えてください」

という問いがあり、

「お金貰って、荷物運ぶ軽自動車です。国土交通省が、五月蠅いこと言い始めたため、この先は見かけること多くなると思いますよ。(アルバイトでも何でも、自家用車で荷物運ぶ場合は全て営業ナンバー取りなさい)どっかのメール便とか、自分のクルマで配達するのも、黒ナンバー取らないとダメや!って事で。」

という回答が「ベストアンサー」になっていました。これは6年前だから随分早いですね。

2012年4月には、

「クロッキー(黒に黄色の字)のナンバープレートについてです。今僕たちの周りでは、クロッキーを3台みたらピースと言って、手をVの字にします。」

という投稿が。「100台」が「3台」に減っている!

それと同じ「3台見たら幸せになれる」という内容で書かれた、

「クロッキー~幸せな1日」

という「小説」もネット上にありました。

(2014、1、24)

2014年1月27日 17:09 | コメント (0)

新・読書日記 2013_229

『東海村・村長の「脱原発」論』(村上達也・神保哲生、修正者新書:2013、8、26)

 

村上達也さんは、日本原電・東海第二原発のある「東海村」の前村長。この本が出た時点では現役の村長で、原発立地自治体の首長ながら「脱原発」、東海第二原発の「廃炉」を主張してきた。そして、神保哲生さんは(私と同い年だが)、日本の「ビデオジャーナリスト」の草分け的存在だ。その二人の対談集。

東海村の「原発」は、1999年に重大な「事故」(臨界事故)も起こした。しかし、原発を持つ多くの地方自治体は、原発なしではやっていけない状態になっていて、なかなか「脱原発」とは言えない。言ったら「選挙」で市長やら町長やらに当選しないということが、これまで続いてきた。「3・11」以降は、生活するための「経済」はもちろん大切だが、それよりも「いのち」が大切だという考えの下で、「脱原発」を主張する人たちが増えてきた。とは言え、やはり「生活」は大事。

実際に「原発」のある村がどのような選択肢を取るのか、全国的に注目されてきた。その「脱原発」を主張する村上村長は、2013年9月の東海村の村長選挙には、結局、出馬しなかった。その結果、村上村長の後継と目された候補が敗れ、原発「中立派」の村長が誕生した。

この本では、その選挙の結果は(当然)収められていないが、その選挙前の様子を読み取ることができる。その流れを受けた「さあ現実は・・・」ということに注目していかなければならない。

ことは「原発」に限らない。きのう(1月19日)行われた沖縄・名護市長選挙も「米軍基地」を巡る選挙。「必要」とされるプラスの面が大きければ、その代償の「マイナス面」も大きい。どちらを取るかという判断は、どこの自治体でも大なり小なり抱えているのではないか?ということを思った。


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(2013、10、14読了)

2014年1月23日 18:38 | コメント (0)

新・読書日記 2013_228

『他人を攻撃せずにはいられない人』(片田珠美、PHP新書:2013、12、2)

 

著者の片田さんとは面識はないのですが、これまでに何冊かたまたま著書を読んで、この「読書日記」に感想を書いたところ、新しく出された本も送って来てくれました。この本も、その一冊です。ありがとうございます。読むのが遅くなってすみません。

このタイトルのような人、いますよね。困ったものです。できるだけそういう人とは接触しないようにしていますが、接触せざるを得ないこともありますからね。それと、実は私自身が、この本のタイトルの様な状況に陥ることもあります。ですから、攻撃と防御、両方の意味でこの本を読んで、「そうだそうだ!」と攻撃的に思う面と「いや、そうは言ったってさ・・・」と防御する面があったという意味で、ちょっと変わった体験をさせていただきました。


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(2013、12、30読了)

2014年1月22日 22:03 | コメント (0)

新・読書日記 2013_227

『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか?~ワードハンティングの現場から』(飯間浩明、ディスカヴァー携書:2013、12、30)

 

去年12月に「第7版」が出た『三省堂国語辞典』=『三国(さんこく)』。その編纂を担当した早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんによる、「三国」の解説書とでもいえる一冊。それも単なる解説書ではなく、面白くてためになる解説書だ。(飯間さんから1冊、贈呈していただきました。ありがとうございます。)

サブタイトルは「ワードハンティングの現場から」とある。飯間さんは、そういった言葉を本や雑誌・新聞・テレビ・インターネットなどのメディアからも、もちろん「ハンティングする」のだが、もっと人々の生活の中からも"獲物"を捕まえる。それは「街中から」だ。実際に街に出て、店の看板やメニューなどなどから「言葉」を拾ってくる。まさに「ワードハンティング」だ。その「狩猟場」は、「秋葉原、渋谷、銀座、原宿」など「流行を発信する街」から、「アメ横、戸越銀座、高円寺、巣鴨」という「ふだん着の街(お年寄りの街?)」、水道橋、深川、浅草~押上、月島~佃島など「昔の面影を残す街」、高田馬場~早稲田、新橋、神田、大久保という「混沌と熱気の街」、池袋、新宿、麻布十番~六本木、日本橋という「高層ビルのある商業地区」、千住、吉祥寺、柴又、舞浜という「都心を離れた街」を歩いて拾い集めた言葉を紹介。「辞書を作るのには、こんなに歩かなければならないのか!」と、皆さんビックリするのではないか?まあ、私なども似たようなことをやっていますが、これほど徹底してはやっていません。できません。さすが、プロ!ですね。

なおこの「ワードハンティング」のエッセイは、NHKラジオのテキスト「英語5分間トレーニング」に「街角ことば探検」というタイトルで、2年に亘って連載されていたそうです。知りませんでした!


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(2013、12、30読了)

2014年1月22日 18:02 | コメント (0)

新・読書日記 2013_226

『紅白歌合戦と日本人』(太田省一、筑摩選書:2013、11、15)

 

大晦日までに読もうと。でも感想を書くのが年明けになりました。

こういうような視点で書く人は、例えば京都大学の佐藤卓己先生などがいらっしゃる(やはりNHKの「青年の主張」や「のど自慢」等の「素人参加番組」を分析されたりしている)が、私は好きですね。著者は1960年生まれの社会学者。テレビ文化論がご専門だそうです。(たしか佐藤先生も1960年生まれだった!)

第1章「復興の中の『紅白歌合戦』」、第2章「豊かさの中の『紅白歌合戦』」、第3章「喪失の再生――80年代後半―2000年代の『紅白』」、そしてまとめとして、終章「3・11以後の『紅白歌合戦』」と、いうように流れを追っている。私が、子ども心に紅白を意識し始めたのは、「第2章」の途中ぐらいのフォークソングあたりからだが、それは、それまでに「創成期」があっての「中継ぎ投手的」な歴史の1ページだったわけですね。

「『紅白』というホームドラマ」「ワイドショー化する『紅白』」あたりで「歌謡曲の衰退」を感じ、第3章で「紅白」で中島みゆきや長淵剛の「生中継」(NHKホールの外からの)が始まったことや、「J-POP」の台頭、「トリ」の意味の変容、パロディなど「遊び場」になった「紅白」、アイドルたちの現在など、興味深い分析が続く。

そして最後に「3・11以後」という時代の、2011年&2012年の紅白(美輪明宏の「ヨイトマケの唄」まで)の分析。

350ページの本書の分析の結論は、実は、帯に書いてある、

「それは『心のふるさと』だった」

と。安住の地として、バーチャルな存在の「ふるさと」、今は存在位しないかもしれないが、記憶の中に残る「故郷」「ふるさと」を、「歌」で提示することだと。

 


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(2013、11、30読了)

2014年1月22日 14:00 | コメント (0)

新・ことば事情

5337「セールにかかる」

 

いつも「新しいことば情報」をくれるMアナウンサーが、またこの時期ならではの情報をくれました。

「この時期、いろんなお店で『バーゲンセール』がありますけど、その『セール対象品になる』ことを『セールにかかる』って、よくお店の人なんかも言うんです。私も普通に使ってたんですけど、これって新しい使い方じゃないですかね?」

なるほど、

「セールにかかる」

自分ではあまり使わないけど、誰かが使っていても、すんなり受け入れてしまいそうです。

イメージとしては、

「対象の網にかかる」

ような感じですね。

それよりも気になったのはMアナウンサーのアクセントです。彼女は、

「セ/ールニカカ\ル」

と、「セ/ール」を「平板アクセント」で話していたんです。普通、これは

「セ\ール」

「頭高アクセント」ですよね。NHKアクセント辞典」にも「頭高アクセント」しか載っていません。しかし、よくこの言葉を使う人は、「平板」になることもあるだろうなあ、「専門家アクセント」ですね。

それと、もし「ヨットの帆」=「セール」が、「(バーゲン)セール」にかかったら、

「セールがセールにかかる」

と言うのでしょうか?その場合のアクセントは、

「セ/ールガ・セ/ールニカカ\ル」

なのか、それとも、

「セ\ールガ・セ\ールニカカル」

なのか、それとも、

「セ\ールガ・セ/ールニカカ\ル」

なのか、それとも、

「セ/ールガ・セ\ールニカカル」

なのか・・・・ああ、ややこしい!

同じようなアクセントの問題は、「ネット(網)」を「(インター)ネット」で購入する場合の、

「ネットでネットを購入」

という言葉でも起きますなあ。

(2014、1、17)

2014年1月22日 10:57 | コメント (0)

新・読書日記 2013_225

『就活のコノヤロー~ネット就活の限界。その先は?』(石渡嶺司、光文社新書:2013、12、20)

 

石渡さん、このところ、たてつづけに著作を出しています。元気です!(去年11月には、『教員採用のカラクリ~「高人気」職のドタバタ事情』(新井立夫+石渡嶺司、中公新書ラクレ)が出ています。読書日記 206参照)

最初の「就活にあたふたする学生たち」のところは学生のタイプ別9分類、イラストも入っているけど、私にとってはそんなに面白くない。くどい。これは章末の「まとめ」を読んでサラッと飛ばす。第2章の「反就職額講座」は、「お、ちょっとおもしろいね、これは視点が」となって来て、第3章「就活協定の歴史」(いま、章のサブタイトルを見て「就職協定」では?と思ったが、本文はちゃんと「就職協定」となっている。「就活戦線」は、編集者が付けたサブタイトルか?)は、私には勉強になる。(「私には」と書くのは、本来、この手の本は「就活学生」向けか、「採用担当者」か、そういった人が読者対象で、私などはそのカテゴリーからは外れているため。)

最終章、「就活ビジネス」も岐路に立っているというような分析など、「どうすれば就活戦線に勝ち残れるか」というノウハウ本ではなく、「就職戦線」について現状と歴史について書かれた一冊なので、私のような就活に直接携わっていない「一般の人」が読んでも、タメになる。


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(2013、12、25読了)

2014年1月22日 01:59 | コメント (0)

新・ことば事情

5336「鈴懸のなんちゃら(略呼称)」

 

(2013年11月22日に書きかけました)

AKB新曲のタイトルが、長いので話題になりました。そのタイトルは、

『鈴懸の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの」

 

なーがーいなー!

で、当然、全部放送で字幕では出せない長さなので、なんと「略称」が決まったそうです。略称は、

「鈴懸のなんちゃら」

うーん、最初からそれでいいのではないか?と思っちゃいました。

 

その後、『ポエムに万歳!』(小田嶋隆、新潮社)という本を読んで、

「ふーん、いわゆる『きれいごと』っぽい、上滑りしているような言葉のことを『ポエム』と呼ぶのか」

と思っていたら(「"ポエム"」は小田嶋隆さんが名付けたようです)、今(2014年1月14日)NHKの『クローズアップ現代』で、

 

「あふれだす"ポエム"のような言葉」

「若者たちが熱狂?前向きで優しい言葉」

 

として、この「"ポエム"」を取り上げていました。「居酒屋」の経営者が、店内などでこういったことを積極的に行う傾向があるほか、「新しい地名」や、なんと地方自治体の「条例名」にも、先ほどの「鈴懸のなんちゃら」のように、めちゃくちゃ長い名前が付けられる傾向があるそうです。

例えば、熊本県人吉市の「ふるさと納税条例」の名称は、

「子どもたちのポケットに夢がいっぱい、そんな笑顔を忘れない古都人吉応援団条例

という長いもの。前文も、

「人吉をふるさとだと思っていただいているすべての方々に伝えたい。

ふるさとはあなたの思い出のとおり、今も青い山々と翠(みどり)なす球磨川のきらめきの中で春夏秋冬を優しく刻んでいます。

あの春の日、大きな夢と少しの不安を抱いて旅立った人吉駅のプラットホームは、昔と同じ官製(昭和)の匂いがかすかに残ったまま新生SLを迎え、秋空に響き渡るおくんち祭りの青井さんは国宝になりました。線路の遥か向こうに憧れを追いかけていたあの頃、小さな幸せが子どもたちのポケットからこぼれ落ちそうで、また、悲しみさえも持ち寄り、支え合う場所があったような気がします。今、人吉は笑顔のまちづくりに取り組んでいます。時代が変わっても誠実に生きることが報われるまちであることを目指して。

いつまでも人吉の応援団としてお見守りください。」

と長―い!!これが「条例」の「前文」?たしかに"ポエム"だな!うーん、いいのかな、これで!(伝わればいいのか?伝わる?)

で、この「クローズアップ現代」の放送が終わった直後に流れたのが、なんと、

「花は咲く」

のミュージックビデオ。これこそまさに"ポエム"的な音楽なのでは?番組の方向とちょっと違うなあ・・・と、放送の直後だっただけに思いました。

 

 

(2014、1、14)

2014年1月21日 21:55 | コメント (0)

新・読書日記 2013_224

『一度、死んでみましたが』(神足裕司、集英社:29013、12、18)

 

サブタイトルは「スーパー闘病エッセイ!」。

ひとまず、「よかった」と。以前、「ミヤネ屋」のレギュラーコメンテーターとしてお世話になっていた方だけに、本当に良かった。本当に死の淵まで行かれていたのだなと。これを機に、神足さんのツイッターもフォローし始めました!同じく以前「ミヤネ屋」コメンテーターだった水道橋博士のツイッターも。

タイトルは「一度、死んでみました」ではなく、最後に「が」が付いている。つまり「死んでみたが、生き返った。死の淵から蘇った」という「生の喜び」を表しているように感じる。

ただ、第2章のこの文章は悲しい。

「取材して、歩いて歩いて稼いだ記事は、ボクにはもう書けないのかと思うと、さびしい。誰かがボクの脚と眼になり、現場合を歩いて、見てきてほしい。そして、ボクに、その話をしてほしい。ただ、本当は自由に飛び回る脚と眼と頭脳がもう一度、ほしい。できることならば・・・・。」

涙・・・・・・・・・・。

 


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(2013、12、20読了)

2014年1月19日 10:44 | コメント (0)

新・読書日記 2013_223

『おしゃべりの思想』(外山滋比古、ちくま文庫:2013、10、10)

 

1980年6月に毎日新聞社から刊行された『ことばの四季』を精選・再編集したものです。30年以上たっても、色あせていないですね。字が大きくて、老眼でも読みやすい。

軽いエッセイだが、含蓄がある。

一つご紹介。外山さんが子どもの頃に覚えた言葉、

「オーヤマゲッセン・ドン!」

「大山」は関係なくて、これは「走り出す時」つまり「かけっこ」のスタートの合図の言葉だったという。おまじないの言葉か?と思うでしょ?当時はわからなかったが、実はこれは「英語」で、

On Your Mark」「Get Set」「Don!」

なんだそうだ!まあ、「ドン」は「日本語」ですが。

東京や、大正10年頃には広島でも使われていた言葉なんだそうです。勉強になった!


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(2013、12、28読了)

2014年1月18日 10:42 | コメント (0)

新・ことば事情

5335「錨のアクセント」

 

広島県で、1月15日、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船が衝突。釣り船の2人が死亡した事故のニュース。1月16日の日本テレビ系「ストレートニュース」で、広島テレビからのニュースの読みで、女性アナウンサーが、

「錨(いかり)を降ろしました」

「錨」(碇)のアクセントちょっとおかしかったです。聴いていたら、

「イ/カリ\を降ろしました」

というように「尾高アクセント」で読んでいたのですが、それだと、

「怒り」

になってしまいます。「錨の鉄槌を下した」のか?

「錨」は「平板をクセント」で、

「イ/カリヲ 降ろしました」

でないといけないでしょう。ちょっとしたアクセントの違いですが、全然違います。他山の石として気を付けます!(「他山の石」と言っても同じ系列局なので、仲間内と言えばそうなんですが・・・)

(2014、1、16)

2014年1月17日 14:08 | コメント (0)

新・読書日記 2013_222

『失礼な敬語~誤用例から学ぶ、正しい使い方』(野口恵子、光文社新書;2013、6、 20)

 

いろいろな「失礼な敬語」の実例を挙げて、あれもダメ、これもダメ。ほんと、ダメな敬語だらけで落ち込みます・・・。でも勉強にはなりますね。皆さん、ぜひ読んでください。

 


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(2013、11、20読了 )

2014年1月17日 12:42 | コメント (0)

新・ことば事情

5334「来る」

 

去年の紅白歌合戦で、大島優子さんが「AKB48」を卒業しますと言ったシーンがありました。その際に彼女は、

「くる2014年」

と言いました。あれはきっと本当は、

「きたる2014年」

と言うべきところだったのでしょう。

ただ、これは間違いやすいのには事情があります。「きたる」を漢字で書くと、

「来る」

となるのです。これだと普通は、

「くる」

と読んでしまいますよね。「きたる」という文語的表現を知っていたとしても、漢字を見ると「くる」と読んでしまうのは、ある程度仕方がないと思います。(アナウンサーなどはダメですが。)

これを防ぐためには、表記も工夫するべきではないか?つまり「きたる」と読ませるには、

「来たる」

と書くようにすれば、誤読は防げます。運用としてこういうことも考えていいのではないかと思いました。

(2014、1、16)

2014年1月17日 10:07 | コメント (0)

新・ことば事情

5333「貴賤群衆」

 

鴨下信一さんの『昭和十年生まれのカーテンコール』(幻戯書房)という本を読んでいたら81ページに、桜の花に関する記述の中にこんな一節が。

「昔の本の花見の記事には必ず『貴賤群集』という言葉が出てくる。(何故だか知らないが、くんじゅと濁らず読む。)長屋の花見で、家主さんも八公も熊公も、会社の花見で、課長さんも部長さんも平社員も、みんないっしょにワイワイというのは日本の花見の正しい伝承で、この日だけは貴賤の隔てもなく群集しての無礼講だから、女性の性的解放もあったのだろう。」

この中の、

「貴賤群衆」

という言葉に見覚えがありました。新人アナウンサーの研修を受けた時に繰り返しやった、

「外郎売り」

の中の一節に確かあったぞと、当時のアナウンス教本を引っ張りだして来たら、ありました、ありました。ただ、ちょっと漢字が違う。

「隠れござらぬ 貴賤群衆の 花のお江戸の 花ういろう」

漢字が「集」ではなく「衆」なんです。そして「読み」も、鴨下さんが言うような、

「何故だか知らないが、くんじゅと濁らず読む」

ではなく、そ「群衆」には、

「ぐんじゅ」

と濁ってルビが振ってあるのです。当時、濁って覚えました。鴨下さんの言うように、確かに「花」にかけて使われていますけどね。

この言葉、小さな辞書や中型辞書には載っていなくて、『精選版日本国語大辞典』には載っていました。

「きせんくんじゅ(貴賤群集)」=身分の高い者も低い者も寄り集まること。また、その人々」

用例は、「明宿集」(1465年頃)から、

「神事にしあれ、臨時にしあれ、きせんくんじゅをなす衆生を」

とありました。同じく「くんじゅ」を引くと、

「くんじゅ(群集・群衆・群聚)」(後世は「ぐんじゅ」「ぐんしゅ」とも)=人が多くむらがり集まること。また、むらがり集まった多くの人々。ぐんしゅう。

で、用例は省略しますが、『将門記』(940年ごろか)と古い。でも、振り仮名は付いていない「群衆」。それと、尾崎紅葉『三人妻』(1892年)の用例は、

「群集(グンシュ)」

という読み方が付いています。「語誌」も読んでみると、

「『群』の漢音クンと『聚』の漢音シュ(「衆」の音シュは呉音とみるのが普通)が複合し、連濁したと考えるのが一般的で、『群集』と書いてもそのようによまれたが、江戸後期から明治頃にかけて『ぐんしゅう』のよみが普通になった。」

と書かれていました。たしかに今は「群集」「群衆」ともに、

「ぐんしゅう」

と読むのが「普通」ですよね。私が覚えた「外郎売り」のセリフは、

「『クンジュ』から『グンシュウ』に読み方が変わる途中だった」

というわけですかね。

(2014、1、15)

2014年1月16日 21:04 | コメント (0)

新・ことば事情

5332「ラピスは石」

 

去年10月下旬からツイッターを始めたのですが、それを見ていて「そうだったのか!」と思った記述がありました。それは、

「『ラピス』は、ラテン語で『石』」

というもの。それで「あ!」っと思ったのは、宮崎駿監督の

『天空の城ラピュタ』

「ラピュタ」です。あれは「ラピス」=「石」からきているのではないか!

確かに「空に浮かぶ「石」(岩?)」でしたよね!

それと、「青色」の宝石の名前(染料の名前にもありましたっけ?岩絵の具の)、

「ラピスラズリ」

これも「青い石」だったのですね!「青金石」とも。

「ラピス」が「石」、「ラアズリ」は「ラ・アズリ」かな。「アズーリ」はイタリア語で「青」「群青色」ですね。サッカーイタリア代表のユニフォームが「青」だから、「イタリア代表」のことを、

「アズーリ」

と言いますからね。

うーむ、一つの言葉が分かると、芋蔓式に分かることが出て来るな。これはやっぱり楽しいね!

(2014、1、14)

2014年1月16日 17:38 | コメント (0)

新・ことば事情

5331「メードイン関西」

 

ten.」のSプロデューサーが、「新聞のラテ欄」の表記の相談に来ました。

「メードイン関西」

という見出しを出したいのですが、この場合、

(1)「メイド」か?「メード」か?

(2)「・」は必要かどうか?

という2点についての質問です。

『新聞用語集』の外来語の書き方を見ると、似たようなもので、

「メード・イン・ジャパン」

という表記が載っていました。ここから、まず(1)の表記に関しては、

「メード」

「-」で引っ張るということが分かりました。

一方、(2)に関しては、それ以外の外来語の表記を見てみたところ、どうやら、

「アールデコ」「アールヌーボー」「アロマセラピー」「イレギュラーバウンド」「インフォームドコンセント」「ウエディングドレス」

など、「2語」の場合には「・(中黒)」は付かないで、

「オール・オア・ナッシング」「キック・アンド・ラッシュ」「ギブ・アンド・テーク」「ステップ・バイ・ステップ」「バランス・オブ・パワー」

など「3語(以上)」の場合には、単語の区切りに「・」が付いていることがわかりました。例外的に、

「シンガー・ソングライター」

は、「シンガー」「ソング」「ライター」の「3語」でできていますが、「ソングライター」が「複合語=1語認定」されたからか、

「2語扱いだけど『・』を付ける」

ことになっているようです。

「メード・イン・ジャパン」は、「・」が必要ですが、今回は「ジャパン」ではなく「関西」という漢字なので、カタカナは「2語」。よって、

「『メードイン関西』には『・』は不要」

という判断をしました。翌日の新聞ラテ欄には「メードイン関西」という表記で出たのですが、そんな苦労があったにもかかわらず、本放送でのスーパーは、

「メイドイン関西」

と出ていました。うーむ、まあ、わかればいいとはいえ・・・・。

(2014、1、14)

2014年1月16日 10:37 | コメント (0)

新・読書日記 2013_221

『中村勘三郎 最期の131日~哲明(のりあき)さんと生きて』(波野好江、集英社:2013、12、10)

一昨年12月、食道がんの手術後約4か月で亡くなった歌舞伎役者・中村勘三郎さんの奥さんが、死後1年が経って、勘三郎さんの闘病の様子を事細かに綴ったもの。大体は、死の直後に雑誌などにも出ていたが、身内の一番近い人の言葉で綴られていることに価値がある。

これを読むと、手術そのものは成功したが、術後に「嘔吐」した際、吐しゃ物が肺に入ってしまったこと、そしてその後の処置が遅れたことが、死の大きな要因であったという風に読める。「医療ミス」ではないかもしれないが、余りにも若い死を悔やむ人は、未だに多いと思う。

勘三郎さんが「食道がん」の手術を受けた病院は、同じ病気で手術を受けた歌手の桑田佳祐さんと同じ病院だった。面識のない桑田さんの事務所に連絡を取って、手術した病院を教えてもらったのだという。


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(2013、12、21読了)

2014年1月15日 22:00 | コメント (0)

新・ことば事情

5330「『バカにされる』と『バカと思われる』のアクセント」

 

ふと、バカなことが気になりました。

(1)「バカにされる」

(2)「バカと思われる」

「バカ」のアクセントは違いますよね。

(1)は「平板アクセント」で「バ/カに」

(2)は「頭高アクセント」で「バ\カと」

になります。その違いは、「品詞の違い」によるのでしょうか。

アクセント辞典で、名詞の「バカ」を引くと、

「バ\カ」(頭高アクセント)

で載っているほか、副詞の「ばかに暖かい」の「バカニ」も、

「バ\カニ」(頭高アクセント)

同じ「頭高」です。ところがアクセント辞典には、これ以外に、

「バカニスル」「バカニナラナイ」

も見出しとして載っていて、そのアクセントは、

「バ/カニスル」(平板アクセント)、「バ\カニスル」(頭高アクセント)

「バ/カニナラ\ナイ」(中高アクセント)、「バ\カニ・ナ/ラ\ナイ」(2語アクセント)

というように載っています。単独の名詞の「バカ」のアクセントは「頭高」に固定されていますが、「連語」として使われる場合は「コンパウンド」が生じていると考えたほうがいいのでしょうね。

(2014、1、14)

2014年1月15日 17:36 | コメント (0)

新・ことば事情

5329「○○容疑者でいらっしゃいますか?」

 

容疑者に、逮捕される前に接触して取材したVTRが、逮捕後に放送されることがあります。先日、そういった取材の様子が流れたのですが、記者がその容疑者に話を聞こうと語りかける際に、

「○○さんでいらっしゃいますか?」

と丁寧に聞いていました。まだ逮捕もされていない段階なので、それはそれでいいと思うのですが、放送されたのは「逮捕後」です。その記者のコメントをフォローする字幕スーパーは、

「○○容疑者でいらっしゃいますか」

というものでした。「逮捕された後」に放送しているので、スーパーに「容疑者」を付けたのでしょうが、そうすると、

「~でいらっしゃいますか」

という丁寧な聞き方に、ものすごく違和感があります。これは、

「○○容疑者ですか」

でいいのではないでしょうか。

「コメントフォロースーパー」は、耳で聞いたコメントがわかりやすくするためのものなので、必ずしもコメントと一字一句一致する必要はないと思います。

(2014、1、14)

2014年1月15日 10:36 | コメント (0)

新・ことば事情

5328「ヨンミー」

 

10年以上前(2002年8月2日)の「平成ことば事情763三位一体」で書いた菓子パンの、

「サンミー」

そこでの会話を再掲すると、

「そう言えば、"サンミー"って菓子パンがあって、中学のときにめっちゃ好きやったんですが、この間久々に見かけまして。あれ、まだ売ってるんですねえ。」

「売ってるよ。見ることあるで。」

「あれってパンの生地と、チョコレートと、白いクリームが三位一体になっているから、"サンミー"って言うんでしょ。」

「え!!!そうなの?ぜーんぜん、知らなかった!」

その後「追記」で、コンビニの「ファミリーマート」で売っているのを見つけた「サンミー」(神戸屋パン)には、英語で「KOBEYA  SWEET  DANISHと記されていて、さらにその命名に付いての説明が、

「パンの中にクリームをサンドし、上にチョコとビスケット生地の3つの味<三味(サンミ)>が楽しめるデニッシュ」

と書いてあったのです。「三つの味」で「サンミー」だったのですね。

その「サンミー」の誕生から、なんと「43年」たっているそうです。

なぜ、そんなことを知っているかと言うと、別のコンビニできのう、見つけたのです、

「ヨンミー」

というよく似た菓子パンを!そこに、

『サンミー』誕生43年を記念して『ヨンミー』を発売」

と書かれていたのです。「43年」で「ヨン」「ミー」か。

「サンミー」は、

「チョコ、ケーキ生地、オレンジジャムの『3つの味』」

ですが、「ヨンミー」はそれに、

「クリーム」

が加わったそうです。早速、買って食べてみたのですが、

「味はほとんど同じ」

でした・・・。いろいろやるな、神戸屋パン。

(2014、1、10)

2014年1月14日 12:22 | コメント (0)

新・ことば事情

5327「周囲と地球儀」

 

1月9日のテレビ朝日のお昼のニュースの最後で、スーパー(テロップ)の訂正が入りました。

「先ほど、安倍総理のコメントのスーパーの文字が間違っていました。失礼しました」

どのような間違いであったのかというと、

 ×「周囲を俯瞰する戦略的外交」

○「地球儀を俯瞰する戦略的外交」

とのこと。その部分の安倍総理のコメントを、あとで他社のニュースで聴いたところ、「地球儀」が、たしかに「周囲」と聞こえないこともありません。

「地球儀」=tikyuugi

「周囲」 =Syuui

「タ行(t)」と「サ行(s)」及び「カ行(k)」の区別があまりついていないのですね。それと「g」の子音の脱落。これは、あまり「あご」「口全体」を動かさずに、口先だけで早くしゃべろうとすることに起因します。唇だけでの発音には、明瞭さに限界があるということでしょう。

これまでも、安倍総理のコメントはカツゼツが悪くて聞き取りにくいとは、さんざん言われてきましたが、「訂正」を出すほどのことはあまりなかったのではないか、と驚きました。

注意深く、意味を考えて聞き取らないと、こういった間違いを犯す恐れは十分あります。スタッフに注意を促すとともに、自らにも「注意!」を改めて確認したのでした。

(2014、1、10)

2014年1月12日 18:50 | コメント (0)

新・読書日記 2013_220

『ユーミンの罪』(酒井順子、講談社現代新書:2013、11、30第1刷・2013、12、3第2刷)

 

40代~50代の私ら世代には"キャッチ―"なタイトル。バブルの時代にはよく聞いたユーミン。え?なんでそれが「罪」なんだ?「ユーミンの罪」って一体???と思って思わず購入してしまった。280ページほどの、やや分厚い新書。

1973年の荒井由実時代の「ひこうき雲」から始まって、「MISSLIM」(1974年)、「COBALT HOUR」(1975年)、「14番目の月」(1976年)、この辺りはレコードは持ってなかったんだよね。曲は知ってるけど、ラジオで聴いていたような気がする。

そして「SURFSNOW」(1980年)、「REINCANATION」(1983年)、「NO SIDE」(1984年)、「ダイアモンドダストが消えぬまに」(1987年)」、「天国のドア」(1990年)、「DAWN PURPLE」(1991年)、ここまではCDを持っているのが多い。聴いてたなあ。その後もユーミンの活動は現在に至るまで続いているのだが、酒井さんが書いたのは、この1991年までのユーミン。確かに「時代を切り取る」のはここまでかもしれない。その後、私は(と言うか「時代」は、ユーミンを聴いていたような人たちも)「ドリカム」に流れたような気がします。

酒井さんはこれらのアルバムを一つずつ丁寧に、ユーミンと時代を重ね合わせ、「時代と寝た女」というか、まさに「時代そのもの」の「ユーミン」を読み解いていく。「ユーミンの罪」はすなわち「時代の罪」、「その時代を作って来た我々の罪」なのだ。21世紀になって13年もたった現在位置を、改めて確認する作業をコツコツとやり遂げた著者に、敬意を表する。名著です。これで840円は安い!


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(2013、12、19読了)

2014年1月11日 21:53 | コメント (0)

新・ことば事情

5326「ちりもつもれば」

 

「ちりもつもれば・・・」(塵も積もれば)

とくれば当然、

「やまとなる」(山となる)

ですよね。でも、私、見つけちゃったんです。文の区切りを変えれば、

「ちり、もつ、も、れば」

となります。そう!この中に隠れている物を!

「ちり、モツ、レバー」

つまり!

「ちり鍋もモツ鍋も、レバーを入れると山盛りになるということ」

という意味だったんですよ!・・・まあ冗談ですが。

「首とスッボン」

ですね。あ、これはもちろん、

「月とスッポン」

ですけどね。

(2014、1、9)

2014年1月12日 11:50 | コメント (0)

新・ことば事情

5325「取らなきゃだし」

 

『ビッグコミック』の増刊号(2013年12月17日号)で連載されている「切手デカ」という漫画のセリフで、

「取らなきゃだし」

という言葉が出て来て、「おや?」と思いました。これは、これまでだと、

「取らなきゃいけないし」

と言うべきところです。時々この、

「○○○しなきゃだし」

という言い回し、目にするような気がします。新しい言葉なのではないでしょうか。だとすると、私としては、

「書きとめなきゃだし」

しかし、この言い回し、関西ではあまり目にしません。そもそも、

「○○○しなきゃ」

とは言いませんからね。関西では

「○○○せんとあかんし」

と言います。京都辺りは、

「○○○しんとあかん」

でしょうか?「せ」じゃなくて「し」。

宮城・仙台あたりだと「しなくてはいけない」を、

「○○○しなきゃない」

という言い方をするようですね。グーグル検索では(1月9日)、

「しなきゃだし」=276万件

おお、こんなに!

「節電しなきゃだし」「住所変更しなきゃだし」「ちゃんとしなきゃだし」

「ダイエットしなきゃだし」「勉強しなきゃだし」「製作しなきゃだし」etc.

ふーむ、なるほど。

「せんとあかんし」=21万2000件

「しんとあかんし」= 1万1600件

「しなきゃない」 =90万8000件

今後、「○○しなきゃだし」という言い方、注目していきます!

(2014、1、9)

2014年1月11日 11:49 | コメント (0)

新・読書日記 2013_219

『上岡龍太郎話芸一代』(戸田学、青土社:2013、10、7第1刷・2013、11、15第3刷)

 

「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才、上岡龍太郎です」

という語り口でおなじみの上岡龍太郎さん。

もう引退して十数年たつのだろうか?つい、この間の様に思えるのだが・・・その、上岡龍太郎さんの「話芸」の記録を収めた本を、放送作家の戸田さんがまとめた。

今思えば、上岡さんは60歳を前に引退した。(58歳)

本書を読むと、落語や歌舞伎などの演劇などの芸能には『型』がある。『型』があるものは受け継いで『伝統』ができる。しかし『一人の話芸』にはそういった『型』はない。一代限り。だから伝統にならない。一人語りの『話芸』に『型』を求めていろいろな試みに挑戦したのが上岡さん。しかし試行錯誤の結果に得たものは、一人語りの話芸は、「型」がないことがそのレーゾンデートルであり、もし「型」が出来てしまったら、それは、追い求めていたものではなくなってしまうという"矛盾"。それを悟って、上岡さんは引退したのではないか。タイトルの「話芸一代」にも、それは表れているような気がした。

なお本書は、このお値段(2310円)で、なんと上岡さんの漫談「ロミオトジュリエット」のCDが付いている。本と、実際の上岡さんの「しゃべくり」を楽しむ(勉強する)ことができる。


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(2013、11、20読了)

2014年1月10日 21:52 | コメント (0)

新・ことば事情

5324「布帛素材」

 

年末、正確に言うと大晦日。お正月を控えて、新しい下着を買いました。「トランクス」を買ったのですが、そのサイズ表示の横に、こんな文字が出ていました。

「布帛素材」

この「布帛」というのは、なんと読むのでしょうか?

帛」

という字が分からない。「綿」の「つくり」の部分と同じだから、「めん」と読んで、

「フメン素材」

なのかな?しかし『広辞苑』で「ふめん」を引いても載っていません。

実は今、ここにパソコンで書くにあたって「帛」の字を書いた時に、読み方が、

「ハク、ビャク」

と出たのがチラッと見えました。とすると、これはもしかしたら、

「フハク素材」

かな?そう思って『広辞苑』を引くと、ビンゴ!ありました。

 

「ふはく(布帛)」①ぬのときぬ ②織物。きれじ。

 

「きれじ」と言っても「布きれ」のこと、「布地」です。「切れ痔」ではありません。念の為。

「ふはく」、知らないなあ。初めて聞きました。こんな身近な所に、簡単そうでムズカシイ読みの漢字が、隠れているものですねえ・・・。

(2014、1、9)

2014年1月10日 18:12 | コメント (0)

新・ことば事情

5323「『でも』と『にも』」

 

読売テレビの夕方のニュース『ten.』を見ていたら、外国人が時代劇の映画を撮影しているという話題を取り上げていました。その際のテロップに、

「インド"でも"時代劇はありますか?」

というのがありました。この場合、

「インド"でも"」

なのでしょうか?それとも、

「インド"にも"」

なのでしょうか?その使い分けは?という疑問が持ち上りました。

思うに、「にも」は、日本にもある、韓国にもある、中国にもアメリカにもドイツにもイラクにもある。で、インドは?というように、

「他にも例があるという事実を前提として、有無を尋ねる場合」

に使います。それに対して「でも」は、

「日本"には"あります。インド"では"どうでしょうか?」

のように、

「当事者以外の情報は関係なく、当事者の二者間における質問の際に使う」

ような気がします。これって、結構、納得?私は納得。腑に落ちました、自分で言っておいてなんですが・・・。

なお、こういった「でも」と「にも」の関係性について"気付いたこと"のことを、専門用語では、

「ファインディング・にも」

と言います。(笑)

(2014、1、9)

2014年1月10日 12:28 | コメント (0)

新・ことば事情

5322「たかじんのアクセント」

 

2014年1月3日に歌手・司会者の「やしきたかじん」さんが、亡くなっていたことが分かりました。64歳でした。

本名を漢字で書くと、

「家鋪隆仁」

だそうですが、芸名は、名字も名前も「平仮名」です。この、

「たかじん」

読み方、アクセントが3通りあります。

関西人はたいてい、

「たか/じ\ん」

と、「じ」のところで初めて高くなるように言います。

これに対して、関西以外の標準語圏の人、特に関東の人は、

「た\かじん」

「頭高アクセント」で、「た」を高く言います。

しかし中には、標準語圏の人だけど「ちょっと関西風に言ってやろう」として失敗する(?)人がいて、そういった人は、

「た/か\じん」

「か」が高くなる「中高アクセント」で言っていることがあります。芸能リポーターの井上公造さん(九州出身)は、

「た/か\じん」

と発音されています。

また、フルネームのアクセントは、関西では、

「やしきた\かじん」

と高い音が続いて「た」のあとにアクセントが下がる。標準語圏では、

「や/しきた\かじん」

と、「中高アクセント」になりますね。そのほか、名字と名前を分けて、

「や\しき・た\かじん」

という人もいますね。

「ミヤネ屋」の若いスタッフに、

「スーパーは、名字の『やしき』と名前の『たかじん』の間を、少しスペースを空けて」

と言うと、

「え!『やしき』が名字なんですか!」

と驚いていました。

「そりゃそうやん。じゃあ今まで、どこまでが名字やと思ってたんや?」

と聞くと、

「いえ、芸名で特に名字や名前もなく、"ひとつながり"だと思っていました・・・」

と、とんでもないことを言っていました。

どう呼ばれても、「たかじんさん」に、かわりはないとはいえ、

「たか/じ\ん」

に愛着を感じます。

合掌。

(追記)

読売テレビ「ten.」の有田ナレーターは、1回目・3回目は、

「た/か\じんさん」

と、井上公造さんと同じアクセント、2回目は

「た/かじ\んさん」

と原稿を読んでいました。清水健キャスター、パネリストのあいはらさん、朴一さんは、

「たか/じ\んさん」

でした。

(2014、1、9)

(2014、1、9)

2014年1月 9日 20:26 | コメント (0)

新・読書日記 2013_218

『成長から成熟へ~さよなら経済大国』(天野祐吉、集英社新書:2013、11、15)

 

2013年10月20日に80歳で亡くなった、広告批評家の天野祐吉さんの、最後の著作(遺作)と言っていいのではないか。「遺言」のようなもの。

天野さんはこの本の最後のゲラ直しを終え、バイク便で送ったことを電話連絡し、その夜に入院、帰らぬ人となったという。亡くなる3日前にレコーディングをした島倉千代子さんと言い、そのプロ意識の高さに敬服する。文字通り「生涯現役」ですね。合掌。

194ページ、「中央集権」を生むのは「地方」だと。だから「地方分権」は、「中央集権」の呪縛から逃れられない。「地方」ではなく「地域」にしなくてはならないという主張には、ハタと膝を打った。「地方分権」「道州制」は、下手をすると、新たに「小さな中央集権」を生むだけだと、前から考えていた。


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(2013、12、8読了)

2014年1月 9日 08:32 | コメント (0)

新・ことば事情

5321「応援しています」

 

正月休み、妻の実家のある和歌山で、のんびりテレビを眺めていたら、こんなコマーシャルが流れました。

「○○建設は、和歌山国体を応援しています。」

それを聴いて、改めて思いました。

「この『応援しています』は、もちろん『フレーフレー和歌山国体、ガンバレガンバレ和歌山国体!』という意味ではない。和歌山国体に関して、『何らかの金を出している』ということの婉曲表現であろう」

と。この意味での「応援する」は、『三省堂堂国語辞典・第7版』に載っているか?引いてみました。すると、

【おうえん(応援)】①わきから助けること。②(競技で)拍手をしたり、声を出したりして、味方のチームや選手をはげますこと。

しか載っていませんでした。私が最初に「違う」と言ったのは②の意味ですが、①でもちょっと物足りない。この場合の「応援する」は、

「③イベントなどに対して協賛金や寄付金などの資金援助をすることの婉曲表現。」

という意味を、「第8版」では入れてくれませんかね?

(2014、1、8)

2014年1月 8日 15:12 | コメント (0)

新・読書日記 2013_217

『世界と闘う「読書術」思想を鍛える一○○○冊』(佐高信、佐藤優、集英社新書;2013、11、 20)

 

いろいろな出来事に対する「読書」、おすすめの本を交えながら語り合う対談だが、まあ、8割がた、佐藤優が主導している。90年代には、そういった役割を佐高信が担っていたのだが、代(世代)が変わったんだなと感じざるを得ない。それにしても佐藤優の読書量はすごい。これはとてもかないません。

参考資料として挙げられた本が、なんと1000冊!そのすべてについてコメントしているわけではないが、それにしても、"普通"こういったガイドでは「100冊」とするのが「普通」なのに、ケタが違うなあ。


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(2013、11、23読了 )

2014年1月 6日 12:47 | コメント (0)