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『道浦TIME』

新・ことば事情

3912「キセル」

 

3月30日のお昼のニュースで、大阪の高校の教頭宅から大麻が見つかった事件で出てきた言葉が、

「キセル」

でした。このアクセントは、もちろん「平板アクセント」で、

「キ/セル」

ですが、入社2年目(もうすぐ3年目)のHアナウンサーは、

「キ\セル」

「頭高アクセント」で読んでいたので、びっくりしました。きっと、知らないんだ「キセル」という「もの」も「言葉」も・・・。

そこで、 念のため、アナウンス部員全員にメールしました。

「『キセル』のアクセントは、

×「キ\セル」→○「キ/セル」(平板アクセント)

漢字で書くと「煙管」。タバコを吸う道具です。「吸い口」と、「先っぽのタバコの葉を詰めるところ」が「金属」。「先っぽ」は、鳥の「雁(ガン)」の首に似ているから「雁首(ガンクビ)」と言います。そして、それを繋ぐ部分は「竹」。この「竹」の部分を「ラオ」あるいは「ラウ」と言います。漢字で書くと「羅宇」。この竹は「ラオス」から来た竹だったので、「ラオ」(なまって「ラウ」)と言ったんだそうです。(『広辞苑』による。)

この「ラオ」の部分が詰まったときに掃除をする仕事の人たちがいました。それが「ラオ屋」。もちろん、これらの大部分は「死語」ですが、古典落語には出てきます。

なお、

「最初と最後だけ金(金属)があって、真ん中はない」

ところから、最近まで生きていた言葉としての「キセル」は、

「電車に乗る際に、入るときと出るときの切符(あるいは定期券)だけを持っていて電車に乗り、真ん中の運賃を払わないという方法」

を指しました。最近のように「入口」も「出口」もしっかり磁気カードで管理されるようになってからは、この「キセル」と呼ばれた不正乗車方法も、「死語」になっていますね。」

 

これで次回は、ちゃんと読んでくれるかなあ・・・。

(2010、3、30)

2010年3月31日 12:45 | コメント (0)

新・ことば事情

3911「あづみの」

先週の「情報ライブ・ミヤネ屋」3時間スペシャル。その中で、長野県のテレビ信州さんから中継をしてもらいました。「わさび田」からの中継でした。その場所の地名は、

「安曇野」

で、そこに振り仮名が

「あづみの」

となっていました。これを見て、

「あれ?『あずみの』ではないのか?」

と思いましたが、まさか地元の局が地元の地名を間違えるわけはないと思って辞書(『広辞苑』)を引いてみると、

「あずみの」

のところの②に「あづみの」と書かれていました。そこを見てみると・・・「あずみの」と全く同じ説明が。うーん、どういうことなんだろうか?これは地元に聞いてみるしかない。テレビ信州の伊東陽司アナウンサーに聞いて見たところ、以下のような返事が。

「『安曇野』について、地元でも『づ』と『ず』の振り仮名が混在しています。 ただ、合併により誕生した『安曇野市』や『国営アルプス安曇野公園』など、公的な場所は『づ』が使われています。ですので、放送でも『づ』でルビを振っています。ある信州の出身者に聞くと、昔から『あづみの』であり、やはり『づ』の方がしっくりくると申していました。意味の違いについては私もわかりませんが、また何かわかれば、お伝えします。」

とのことでした。ということは、伝統的には、

「あづみの」

で、その後、

「あずみの」

となったものの、最近はまた「伝統回帰」の方向なのでしょうか?

「づ」「ず」、「四つ仮名」は難しい・・・。

 

(2010、3、29)

2010年3月30日 13:54 | コメント (1)

新・読書日記 2010_063

『廃墟に乞う』(佐々木譲、文藝春秋、2009、7、15第1刷・2010、1、20第2刷)

 

佐々木譲の直木賞受賞作。連作短編6編。主人公は、北海道警察の休職中の警察官。休職中をいいことに(?)「個人的に」いろんな事件の「捜査」「解決」を頼まれ、見事にそれを解いていく。最初は「短編」の"短さ"に物足りなさを感じたが、「連作」を読み進むうちに、段段となじんでくる感じがした。最後の「復帰する朝」で、

「翌朝も、帯広は快晴だった。ただし気温は低い。プラス七度か八度というところだろ」(312ページ)

というふうに「プラス七度か八度」と、気温表記に「プラス」が出てきたのが「北海道らしいなあ」と思った。

 

 


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(2010、3、15読了)

2010年3月30日 11:55 | コメント (1)

新・ことば事情

3910「クリック音」

最近のコマーシャルを見ていると、CMの最後のほうで、長方形の窓にそのメーカーや製品の名前が書かれていて、その横のところのボタンを「カチッ」とクリックするシーンがあります。コメントは付きません。音声は

「カチッ」

という「クリック音」だけです。この意味合いはもちろん、

「くわしくは、ホームページを見てね」

という意味ですよね。この手の広告、初めの頃はナレーションが付いて、

「くわしくはホームページで。http://●●●」

と、アドレスを全部読んでいたりしました。その次には、

「くわしくはウェブで」

となって、このときの「ウェブ」は「平板アクセント」の、「ウ/ェブで」。そして現在の主流は「カチッ」というクリック音だけに。音だけで、意図するところが判るなんて、

「パブロフの犬」

みたいなものですよね。すごいなあ、CMの反復作用というのは。

これによく似たものは、以前もありました。そう、「薬のCMです。

「ピンポーン♪」

という注意を喚起する音のあとに、

「薬は用法・用量をお守りの上~・・・」

とくわしくしゃべっていたのに、最近は、

「ピンポーン♪」

だけ。しかもその擬音を、

「人に口で言わせている」

ケースも出てきています。

「薬は用法・用量をお守りの上~・・・=ピンポーン」

という等式が成り立っているのです。しかしそれに慣れてくると、新たな注意喚起の方法として、最初のような長いセリフの注意事項を早口で言わせたり・・・。

コマーシャルの表現方法の歴史を研究したら、それできっと論文が書けるような気がしてきました。

 

(2010、3、29)

2010年3月30日 11:53 | コメント (1)

新・ことば事情

3909「預入か?預け入れか?」

 

郵政民営化を、元に戻すように動くのかどうか、亀井大臣と他の大臣が戦っていますが、そのひとつに、ゆうちょう(郵便貯金)の限度額を現在の1000万円から2000万円に上限を上げるという案の扱いがあります。このニュースを伝える時に、

「あずけいれ」

の書き方に2種類あることに気付きました。

「預入」と「預け入れ」

です。新聞各紙は、

「預入」=読売・産経・日経

「預け入れ」=朝日・毎日

でした。日本テレビのお昼のニュースでは、

「預入」

を使っていたので、NNN系列の読売テレビの「ミヤネ屋」では、それに従いました。

ふつう、複合語が動詞で使われる場合は、送り仮名を使って「預け入れ」と書きますが、例外として慣用に従って送り仮名をつけないものもあります。『新聞用語集2007年版』132136ページによると(抜粋)、

「年寄(相撲)」「貸付(金)」「貸付額」「貸付残高」「貸付手形」「貸付枠」「受付期間」「関取」「張出横綱」「進退伺」「取締役」「社員見習」「事務取扱」「見習工員」「退職願」「戸籍係」「博多織」「春慶塗」「備前焼」「鎌倉彫」「売上高」「積立金」「取次店」「見積書」「立会人」「借入金」「仮払伝票」「小売商」「取扱期間」「引当金」「繰越高」「振込金」「割増金」「割戻金」「請負」「消印」「小切手」「小包」「作付面積」「貸方(経済用語)」「気付(あて先)」「書留」「受渡期日」「受取(領収証の場合)」「切手」「切符」「両替」「割引」「振替」「染物屋」「釣具店」「仕立屋」・・・

などの特定の領域の語で慣用が定着していると認定されています。金融関係が多い感じがしますね。このほかにも、

「合方」「合言葉」「合服」「浮足」「浮草」「浮名」「浮橋」「浮袋」「建物」「建前」「奥書」「引換券」「居合」「沖合」「待合室」「建売住宅」「建坪」「木立」「星取表」「子守」「役割」「割合」「夕立」「字引」「手引」「水引」「忌引」「高利貸」「差出人」「封切館」「身代金」「指図」

といった言葉も、送り仮名を伴いません。まだこの段階に至っていないとされているのが、

×「焼肉店」→○「焼き肉店」

×「生花」 →○「生け花」

です。郵政民営化問題もややこしいですが、漢字(送り仮名も)って、本当に難しい・・・というかややこしいですねえ・・・。

 

 

(2010、3、29)

2010年3月29日 21:53 | コメント (1)

新・ことば事情

3908「メモリーカード」

5歳の娘を保育園に送る途中、「しりとり」をしていました。

いつものように「し・り・と・り」から始めて、

リンゴ、ゴリラ、ラッパ、パンツ、積み木、キツネ、ネコ・・・・・めだか、カモメ

と続き、娘の番で、

「め」

になりました。するとすぐさま、娘が答えた言葉は、なんと、

 

「メモリーカード」

 

でした。・・・5歳の子供が、しりとりで「め」で答えるのが、「メモリーカード」!

うーん、21世紀だなあ・・・と、昭和生まれの私はびっくりしたのでした。

風は冷たいものの、春は近い気がしました。

 

(2010、3、26)

2010年3月26日 19:11 | コメント (0)

新・ことば事情

3907「虎視眈々か?虎視眈眈か?」

「こしたんたん」

という四字熟語を漢字で書くときに、

「虎視眈眈」と「虎視眈々」

どちらが正しいのでしょうか?辞書の見出しは、「繰り返し符号(々)」を使わないで、

「虎視眈眈」

ですよね。でも用例を見ると「々」を使って

「虎視眈々」

だったりするのですが・・・

「々」を使う、使わないに関しては、たとえば、

「山梨日日新聞」

のような場合には「使わない」というのは分かりますが、「こしたんたん」のような場合はどうすればいいのでしょうか?

早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんにうかがったところ、

『「虎視眈眈」か「虎視眈々」か、という問題ですね。これについては、私も

考えていたところです。辞書で「虎視眈眈」などと「々」を使わずに書くのは、辞書特有の書き癖という面が強いです。『新潮日本語漢字辞典』の小駒勝美さんは、「人人(ひとびと)」にすら「々」を使わない不自然さを指摘しています。

http://www.sanseido.net/Main/Words/Patio/Article.aspx?ai=f4a7b9d8-da45-4d20-8e2a-2eb1e9aec075

「国語辞典の謎 第1回 国語辞典に「々」はない? その1

http://www.sanseido.net/Main/Words/Patio/Article.aspx?ai=370c6d61-5c22-45fd-a1ae-9c757ff83b5f

「国語辞典の謎 第2回 国語辞典に「々」はない? その2

たしかに、一般の文章の書き方を示すべき辞書に「特有の書き癖」があっては困ります。こういうものは、今後正していくべきだと、私も考えます。

この方針で行けば、「人々」はもちろん、「興味津々」「威風堂々」「意気揚々」「奇々怪々」「虚々実々」「是々非々」など、すべてこの通りに書くことになります。「虎視眈々」も当然こう書きます。これでほぼ不都合はないという気がします。

ただし、「三々五々」は「三三五五」と書く作家がたまにいます。「三人、また三人、五人、また五人」と集ま(ってい)る感じを出すためでしょうか。それから「官官接待」のようなのは「官々接待」とは書けませんね。』

というお返事を頂きました。これに対して、

『早速ありがとうございます。たしか「第一生命」の保険商品で

「堂堂人生」

というのがあったかと。また、「代々木ゼミナール」の座右の銘である

「日日是決戦」

も「日日」だったような。漢文では「々」は使わないのでしょうね。とすると、その手の四字熟語は「々」を使わない方がいいでしょうか?また、「ヒトヒト感染」も漢字で書くと

「人人感染」

さらにいうと、

「人ー人感染」

でしょうね。

「人々感染」

だと「ひとびと」となってしまいます。「々」を使うと「連濁」して、遣わないと「連濁しない」ですね。つながりの強さの違いがあるのではないでしょうか?』

とメールしたところ、

『「堂堂人生」「日日是決選」の例、ありがとうございます。私の思いつく

「々」を使わない例は、

  朝日新聞のコラム「時時刻刻」

  大河ドラマ「黄金の日日」

  筒井康隆著『日日不穏』(日記集)

といったところです。前便でお示しの「山梨日日新聞」など固有名詞はけっこうありますね。漢文の引用は、さすがに「々」は使えないと思います。つまり「日々是好日」と書いてもいいけれども、古文書を引用するときは「日日是好日」となる、という違いはあると思います。読み下すときも、「桃の夭夭たる、灼灼たる其の花」(詩経)と書くのであって、「桃の夭々たる、灼々たる其の花」とすると、何だか違う感じがします。

「官官接待」「ヒトヒト感染」の類例は、あとは「老老介護」ですか。「認認介護」という過酷なものもあるとテレビで知りました(認知症同士の介護)。

「官官接待」を「官々接待」としないならば、「是是非非」も「是々非々」(新聞の表記はこれ)はよくないという気もします。「正々堂々」のような単なる繰り返しではなく、「是は是、非は非」と、主語と述語に分かれる言い方だからです。』

というお返事が来ました。

「々」を使っても間違いではないでしょうが、漢文系のものは繰り返し符号「々」を使わない方がいいのかもしれません。

(2010、3、3)

(追記)

「虚々実々の応酬」

という見出しは317日の毎日新聞。第59期王将戦、第6局。羽生善治王将と挑戦者・久保利明棋王に関しての見出しでした。「虚虚実実」ではなく「虚々実々」でした。

                                       (2010、3、24)

(追記2)
上でご紹介した・・・というか、飯間さんが紹介してくれた、新潮社の小駒勝美さんからメールを頂きました。それによると上記2つのコラムには、掲載されなかった「第3回」があったというのです。小駒さんのご了承を得て、その原稿をここに掲載します。
*********************************『国語辞典に「々」はない──その3』

『三省堂国語辞典』『大辞林』の両辞典の正書法欄で共通して「々」が使われている唯一の項目が「おのおの」です。
 おのおの[(各)・(各々)](三省堂国語辞典)
 おのおの【各・各々】(大辞林)
 ここでは、他の場所では使われない「々」の記号が使われています。これはどうしてなのでしょう。
 じつは、ヒントは正書法欄の中に隠されています。これらの国語辞典には表外音訓の場合、そのことを示す記号「▽」が付けられているのですが、「各々」には▽がありません。つまり、「各々」は常用漢字表で認められている表記形なのです。常用漢字表を調べてみると、「各」の字の「おのおの」という訓の「備考」の欄に、
 「各々」とも書く。
という注が記されています。
 常用漢字表の「前書き」には、「備考」の欄は「個々の音訓の使用に当たつて留意すべき事項を記した」と書かれています。「備考」に「々」が出てくるのはこの一カ所だけですから、これに従って例外として「各々」という表記を認めたのでしょう。
 常用漢字表は、内閣告示、内閣訓令であり、国が認めた正式なものですから、国語辞典がこれに従うのは当然といえます。
 しかし、ここでさらに疑問が生じます。常用漢字表は他の箇所でも「々」の使用を認めているのです。
 常用漢字表の「備考」の欄に「々」が使われているのは「各々」だけです。しかし、「例」の欄には「々」を使用した語例が三十カ所以上出ていて、訓読語では
「我々、時々、津々浦々、次々と、荒々しい、千々に」
など、音読語では
「区々、徐々に、堂々と、唯々諾々」
などの語例が挙げられています。それに対して、「々」
を使用しないで同じ漢字を並べた語例は一つも出ていません。さらに「前書き」でも
「個々、個々人」
の語で「々」を使用しているのです。
 常用漢字表の趣旨に従えば、「われわれ、つつうらうら、じょじょに、いいだくだく」などの正書法欄には「我々、津々浦々、徐々に、唯々諾々」と「々」を使用してもいいはずです。しかし、多くの国語辞典は常用漢字表よりも、繰り返し記号を使用しないという原則を重視し、備考欄に書かれている「各々」だけを例外として認めているのです。

うーん、確かに世の中の実体としては「々」符号を使う傾向が強いようですし、辞書もそれを認識した上で「々」を「使わない」のなら、その基準をはっきりさせるべきかもしれませんね。小駒さん、ありがとうございました。

(2010、4、7)

2010年3月26日 16:46 | コメント (0)

新・ことば事情

3906「あすから仕事が充実する50 の鉄則」

 

先日のこと。会社の帰りに、駅の売店で見かけた雑誌の表紙に大書してあった特集のタイトルに目が゙留まりました。

 

「あすから仕事が充実する50 の鉄則」

 

「鉄則」が50もあったらダメだろ、覚えきれない!・・・と思わず頭の中で突っ込みを入れてしまいました。どうなんでしょうねえ・・・。私はその時点でギブアップです。

これ、全部できる人は、確かに間違いなく「仕事が充実する」ことでしょう。でも、その前に倒れてしまうかも。

多ければいいというものでもないのですね、何事もホドホドに・・・。

ところであの雑誌、売れたのかなあ・・・。

 

(2010、3、24)

2010年3月26日 15:45 | コメント (0)

新・ことば事情

3905「バームクーヘンか?バウムクーヘンか?」

大阪大学の岡島先生から久々にメールがありました。

「今日の夕刻の読売テレビの番組で、豚に『バームクーヘン』を食べさせているという話が出て来た。(「バームクーヘン豚」と呼ばれていた。)これは、『バウムクーヘン』に訂正していないのでしょうか。発音としては、『バームクーヘン』であっても、文字上では『バウム』とするのが普通かなと思っていたので。道浦さんは、『クーベルタン』のところで、『バウムクーヘン』とお書きでしたね。ネット上では、『バーム』もたくさんありますけれども。(辞書は今のところ、引いていません)」

おお、久しぶりです!早速お返事しました。

「番組のチェック、ありがとうございます。『バームクーヘン』は当然『バウム』です。『Baumkuchen』ですから。もし『バーム』となっていたとしたら、チェック漏れでしょうね。 私は『ミヤネ屋』の担当で手一杯なので、夕方の番組まではチェックしていませんが、一応、デスクがチェックし、また読売新聞校閲部OBの人にも、チェックをお願いしているのですが、すり抜けてしまったのか、もしくは『完パケ』といって、字幕スーパーをテープに事前に焼き込んでしまっているために、直せなかったのかもしれません。夕方の番組ということは『ten!』ですね。今週はいつもより1時間早く、15:50から放送しています。その部分かもしれません。『バーム』では『タイガーバーム』のようですね。いま、担当者に伝えておきました。ありがとうございました!」

岡島先生からは、

「いえ、もうテレビの字幕では『バーム』でよくなったのかと。それならば、いつからそうなったのかを聞きたかった」

とのこと。そこで、

「もう『バームクーヘン』で良い、というわけではなく、『バウム』です。ただ『新聞用語集』にも、読売新聞社の『読売スタイルブック』にも、カタカナ語の例としては『バウムクーヘン』は載っていませんでした。『パエリア』『パエリヤ』は載っているのに・・・」

と、ここまで書いて、気になって、Google検索をしてみたら、

「バウムクーヘン」=377万件

「バームクーヘン」=422万件

「バーム」が数の上では多かったです。しかも羽田空港などで人気の「ねんりん屋」が、

「バームクーヘン」

という表記を使っていました。(私も買ったことがあります。去年の12月には新幹線・東京駅の構内にも進出していました)

二重母音の表記では、専門的になればなるほど「ー」を使うのを嫌がる傾向があると私は思うのですが、それに逆らった感じです。もしかしたら、「バウムクーヘン」が「ドイツ菓子」=「ドイツ語」という意識が薄れて「英語感覚」になっているのではないでしょうか?もちろん、英語でも二重母音だとは思いますが。

辞書も引いてみました。手元にある『精選版日本国語大辞典』『広辞苑』『明鏡国語辞典』『デジタル大辞泉』『新明解国語辞典』『新潮現代国語辞典』『三省堂国語辞典』は、すべて見出し語は「バウムクーヘン」で、「バームクーヘン」はありませんでした。

ただこの中で『三省堂国語辞典』だけは、見出しは「バウムクーヘン」しかありませんでしたが、その説明文の中で「バームクーヘン」とも書かれていました。

また、去年秋に出たばかりの『岩波国語辞典・第7版』は、なんと「バウムクーヘン」も「バームクーヘン」も載せていませんでした。新しい言葉「バウチャー」は載せてるのに・・・。

辞書は「バウム」派ですが、ネットでは「バーム」が優勢で、新しい言葉を早く取り入れることで知られる『三省堂国語辞典』は、見出しにこそしていないが「バーム」という表記も載せているところから見ると、時代の趨勢はいま、「バーム」に傾きかけているのかもしれません。うちのten!』で「バーム」としたのも、その「時代」を先取りしたか、もしくはもしかしたら商品名がそうだったということがあるのかもしれませんね。

これ、ブログに載せていいですか?と岡島先生に伺ったら「どうぞ」というお返事とともに、

「この場合、『アウ』が『アー』になるので、二重母音といっても、『イウ』→『ユー』や『オウ』→『オー』などとは少し問題が違うように思っています。『アウ』が『アー』になった例としては、『ファウル』→『ファール』などが思い出されますが、それほど多いものではありませんね。(「ラーメン」の源は「ラウメン」である、という説に従えば、これもその例になりはしますが)『シャウプ勧告』を『シャープ勧告』と間違えたりとか、『カウボーイ』を『カーボーイ』と洒落てみたりとか。)」

なるほど、一口に「二重母音」と言っても厳密には違いがあると。そう言えば、

「イナバウアー」

「イナバーアー」にはなりませんね。「イナバウワー」にはなっても。うーん、難しい。「ファウル」を「ファール」と言ってしまう傾向は強く日本テレビ元アナウンサーの芦沢さんが、その昔、

「『ファウル』はしっかり『ファウル』と言うように。『ファール』ではありません!」

と、研修会などで口を酸っぱくしておっしゃってました。

また、いろいろ調べておきます!岡島先生、ご指摘ありがとうございました!

(2010、3、25)

(追記)

早稲田大学非常勤講師で『三省堂国語辞典』を編集に携わっている飯間浩明さんに、「バームクーヘン」を載せているのは、私が調べた範囲では「三国」だけですとメールしたら、お返事を頂きました。

「バームクーヘンを示すのは三国だけですか。これもうれしいですね。岩波は、クレーム・ブリュレ、ティラミス、ナタデココ、ブリオッシュ、マカロンなども載せないので、こまかい菓子名は載せない方針なのでしょう。

「バーム~」は、手元の用例では、

〈それでも、間髪いれず、「私、ダイヤの指輪が半額で買えるルート知って

ますから」/ と突っ込むあたり、だてに人生の年輪を◆バームクーヘンし

てない私。〔イシバシマリコ〕〉(『週刊朝日』1994.7.1 p.100)

〈ユーハイムとは、◆バームクーヘンを日本に紹介した、いまも盛業中のユー

ハイムの創業者である。〉(小菅桂子『にっぽん洋食物語大全』講談社

文庫/1994.10.20〔1983.12新潮社『にっぽん洋食物語』を大幅に加筆・改

筆〕)

といったところが古いのですが、Googleブックスで見ると、『日本生活文化史1 日本的生活の母胎』(河出書房新社, 1975)p.195に〈バームクーヘンのように〉とあるらしいことが分かります。Googleにはかないません。

もっとも、該当箇所は、横長の画像に縦書きの文章が示されているため、前後関係がさっぱりわかりません。これは英文書籍の表示を想定しているからですね。」

ということです。さすが飯間さん、しっかりと「バーム」のほうの用例を示してくださいました。ありがとうございます。

 

 

(2010、3、25)

2010年3月26日 13:45 | コメント (0)

新・ことば事情

3904「下から目線」

平成ことば事情3201で「上から目線」について書きましたが、「上から目線」という言葉が定着したからでしょうか、その逆の言葉が出てきました。

「下から目線」

です。よく駅の階段を上るときに、意図せずともそういう感じになってしまって、上にいる女性のスカートが気になって、

「いかんいかん、ここで上を向いたら、チカンに間違われる」

と思う、あの状態のことを指しているのでは、もちろんありません。

ここで使われている「下から目線」は、「上から目線」の正に反対の意味で、立場の上から見ているような「見下した感じ」ではなく、立場の下の人たちと同じ所におりていって、その人たちと同じ目の高さで接する考えるということのようです。

この記事で取り上げられているのは、土井香苗さんという34歳の弁護士。見出しは、

「『下から目線』の大切さ痛感」

で、彼女は、1993年にエチオピアから独立したばかりのアフリカ東北部のエリトリアで、19975月から1年間、法務省調査員を完全なボランティアで勤めたそうです。現在、国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)」日本代表。彼女いわく、

「エリトリアは今、人権侵害国家になっている。独立当初、憲法草案を私は手伝ったが、結果的に"独裁国家"を手伝ってしまったことになる。」

「"良いこと"なら何でもいいというわけではない。HRWのような『下から目線』が大事なのだ」

と。「目線」を使うかどうかは別として、国家建設(独立)のときに、国を作る(ある意味)エリートの人たちの立場だけでなく、国民全般の立場も考慮する必要がある、ということを「下から目線」という言葉で表しているようです。

Google検索(324日)では、

「上から目線」=1030000

「下から目線」= 602000

でした。

(2010、3、24)

2010年3月26日 12:48 | コメント (0)

新・ことば事情

3903「万引きの言い換え」

312日の毎日新聞に、認知症の「ピック病」の患者が、「店頭などから物を持ち去る症状」について、「万引き」ではない呼び名を検討しているという記事が載っていました。

私は初めて耳にするこの「ピック病」というのは、脳の前頭葉と側頭葉が萎縮して起きる認知症で、発症はアルツハイマー病よりも若く、5060代の男性に多いのだそうです。判断力の低下で行動や感情を抑えられずに特異な行動を取るようになり、「万引き行為」などをしても、違法であると認識できないこともあるそうです。

NPO法人の「若年認知症サポートセンター」(宮永和夫理事長)が、この1~2月に全国23の家族会・支援団体にアンケートをした結果、46の言い換え案が集まり、それが以下の6つに絞られたのだそうです。

「支払誤認」

「支払健忘」

「自任行動」

「買い物実行障がい」

「無意購入」

「ゲートアウト」

早ければ今月(3月)中にも決めるそうなので、また決定したら、報道されるかもしれません。つまり、「病気の症状として起こる『店頭などから物を持ち去る症状』」と、「一般の万引き」とを区別するということですねえ。

なかなか難しい問題ですねえ。

病気の名前を、たとえば「精神分裂病」を「統合失調症」に、「痴呆症」を「認知症」に変更したというのは、最初は多少(慣れていないこともあって)抵抗がありましたが、意外に早く、すんなりと社会に溶け込んでなじんだように思います。やってみると、

「ああ、そういうことなのか」

と理解できました。というのは、やはり前の病名に染み付いた「病気に対する偏見」が、新しい名前とともに薄れ、それと同時に、新しい理解(たとえば昔と違って治療法が進んでいることとか)を促すきっかけになるということです。

そういう意味ではまさに、いわゆる「万引き」とは違うのだと主張することで、「ピック病」への社会の理解を促進するきっかけになるように思います。

それでちょっと思い出したのは、よく我々のような番組(「ミヤネ屋」)で放送している、スーパーで万引きをする人を、スーパーの警備員の人が捕まえて問い詰める様子を撮影した特集です。あれも、もしかしたら「ピック病」の人の行動のケースもあるのかな?そういうのを撮影するのはいかがなものか?ということになるのでしょうか?もちろん、顔を映さない(モザイクをかける)などの措置は取って、プライバシーには配慮しているつもりではあるのですが・・・。

いろいろと、難しい問題だなあと感じたのは、そういうこともあったからです。

(2010、3、24)

2010年3月25日 20:43 | コメント (0)

新・読書日記 2010_062

『マイクは死んでも離さない』(倉持隆夫、新潮社:2010、1、15)

元日本テレビアナウンサーで、プロレスアナウンサーとして有名な倉持隆夫さんが本を出したと、読売新聞の書評欄で知った。倉持さんにお目にかかったことはあるが、もちろんあちらが大先輩なので、おそらく私のことは覚えてらっしゃらないだろうなあ。しかし、私の大先輩で読売テレビのプロレス担当アナウンサーだった竹山祐一・元アナウンサーとは「仕事仲間」だったはず。竹山さんには、私は随分お世話になりました。お世話もしたけど。もう日本テレビをリタイアされてから10年近くになるはず。懐かしさとともに本を取り寄せて読んだ。竹山さんの名前も出てきた。

実は私はプロレスは、からっきしわからなくて、あまり見たこともないのだ。テレビではチラチラと見る程度で、生でプロレスを見たことは一度もない。あ、メキシコに行った時に「ルチャ・リブレ」は生で見た。でも「プロレス」を見たというよりも、単なる「観光」でした。そんな私でも、1970年代のプロレスはちょっとは知っている。そのぐらい「プロレス」が普遍的であった時代だった。この本は、プロレスを知らない私が読んでも「懐かしさ」とともに、「へえ、そうだったのか」と思うことが出来る一冊である。プロレスファンなら、もう、食い入るようにして読むでしょうな、きっと。

倉持さんは18年間のプロレス実況生活から足を洗ったあとは、キッパリとプロレスとの関係を絶っていたそうだ。また60歳・定年で、これまたキッパリと会社を辞めてからは、奥様とスペインはセビージャ(セビリア)に移住。フラメンコをされる奥様孝行に努めていると。1年のうち8か月はスペインなんですって。それも、うらやましいなあ。

そんな倉持さんが、日本テレビの地上波から「プロレス中継」がなくなったことをきっかけに、新潮社の編集者から「プロレスの本を書いて見ませんか」と言われて書き出したら、昨年、「タイガーマスク」時代をよく知っている三沢選手の死が・・・。最終章は三沢選手の思い出が記されている。またジャンボ鶴田さんの「愛のキューピッド」役を務めたというエピソードや、鶴田さんの"まさか"のしらせなど、今だから明かせる舞台裏の話も・・・この本はある意味、「プロレス」という「テレビ最大のコンテンツ」だったものの「(地上波)テレビにおける墓碑銘」「弔辞」のようにも思えてしまったのは、あまりにも哀しいか・・・。

 

 


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(2010、3、21読了)

2010年3月25日 11:56 | コメント (1)

新・ことば事情

3902「崖っぷち」

よく目にする・耳にする言葉に、

「がけっぷち」

があります。これを常用漢字を交えて書くなら、

「がけっ縁」

です。しかしこの表記は、あまり目にしない気がします。どちらかと言うと、

「崖っぷち」

の方が目にする気がします。でも「崖」は「常用漢字ではない=表外字」なので、新聞やテレビでは出さないはず、なのですが・・・例の『崖の下のポニョ』以来、表外字でも「子供でも読める漢字」になった気がします。「気がして」ばかりですが・・・これ、書きましたよね?(確認したら、平成ことば事情3407「崖」で書いてました。)

「がけっ縁」よりは、まだカタカナを使った、

「ガケっぷち」

の方が多い気もします。なぜなんだろうか?と考えたら、おそらく、

「『っぷち』が『接尾語』的なイメージがあるので、漢字がなじまない」

からではないでしょうか?それに対して、

「『がけ』は一語としての一体感があるので、漢字で『崖』と書くか、カタカナで『ガケ』と書きたがる」

のではないでしょうか?もとは、

「がけのふち」→「がけふち」→「がけっぷち」

と変化したと思われますが、その過程で「ふち」が接尾語に感じられるようになったのではないかなと思いました。

Google検索(323日)で、使用頻度順位に並べると、

「崖っぷち」 =7090000

「がけっぷち」= 572000

「がけっ縁」 = 227000

「ガケップチ」= 143000

「ガケっぷち」= 76600

「崖っ縁」  = 45600

「がけップチ」=    44

でした。「崖っぷち」圧倒的にネット上では使われているようです。

(2010、3、23)

2010年3月24日 10:45 | コメント (1)

新・読書日記 2010_061

『不肖・宮嶋のネェちゃん撮らせんかい!』(宮嶋茂樹、文春文庫PLUS、2001、11、10)

『週刊文春』でおなじみの「不肖・宮嶋」こと宮嶋茂樹カメラマンの本。随分前に買ったまま、なかなか読めなかった(読まなかった)のですが、本棚に並んでいたこの文庫本がこちらを見つめて、

「おいわれ!読んだらんかい!」

と言ったような気がして、一気に読んでしまいました。電車の中でカバーを付けずに読むのは、ちょっと勇気のいるタイトルです。

まだ戦争が終わっていない(現地に行ったら「停戦合意」されたとのこと。カンボジアの時も。そういう意味では宮嶋カメラマンは「平和の使者」か?)旧ユーゴスラビアのボスニアやクロアチア、セルビアにもぐり込んで、戦争の様子を撮るのかと思いきや、「キレイなおねえちゃん」を撮影しに行くと。ある意味、こちらの方が「命知らず」というか、「恥知らず」というか、とにかく大変な仕事なのかも・・・と思わせる気も・・・。

最初にその「キレイなおねえちゃん」の写真ばかり、最初から最後まで見てしまってから、文章を読みました。写真を見て文章を読んでと交互の作業は、結構わずらわしいので、文章読むのが面倒な方は、写真だけ見ても良いと思います。でも、それで1冊買うのはもったいないか、白黒やし・・・いえいえ、写真にこそ価値があると思えば、ちっとも、もったいなくはない!それこそ、カメラマン冥利に尽きるのでは?でも宮嶋カメラマンは、文才もあるのが特徴で・・・。当時コンビを組んでいた編集者は勝谷さん。勝谷さんもその後、ペンと口で独立されて・・・さきほど、読売テレビの2階ロビーでお見かけしましたが。『週刊文春』は、スゴイ人材を輩出しているんだなあ、と。右寄りだけど。

 


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(2010、3、14読了)

2010年3月23日 21:50 | コメント (1)

新・ことば事情

3901「『シンカ』のアクセント」

 

おかげさまで「平成ことば事情」も3900回を突破!めでたい、めでたい、愛でたい。あ、めでたいは「愛でたい」なのか?と変換ミスに驚きながら、4000回まであと一息です!

さて、その「ことば事情」の読者の方から質問を受けました。KAGURA さんという方です。

「このところ沖縄の基地問題が取りざたされていますが、日米同盟の『シンカ』という言葉が気になっています。テレビで見る限り、ほとんどの方が、『頭高アクセント』で読んでいると思います。ですから、どうしても日米同盟の『進化』と聞こえてしまい、違和感がありました。『日米同盟が、何かスゴいものに生まれ変わるのか?』と思ってしまいます。

そう思っていたとき、確か『ズームイン!!SUPER』で、羽鳥アナが『平板アクセント』で読んでいらしたので、『深化』なのだと理解できました。(テロップも出ていたと思います)素人としてはコチラのほうが分かりやすいのですが、どうなんでしょうか?素人なりに考えた事です。色々間違っていたらすいません。タイミングを外していたらすみませんが、どうしても気になったもので・・・。」

という質問。そんな微妙なところに気付くなんて、ご自分では「素人」とおっしゃってますが、実は素人ではありませんね?

ああ、全然気付かなかったなあ、「シンカ」「進化」と「深化」、両方ありますね。はたしてアクセントは違うのか?アナウンサーならまず「アクセント辞典」を引きますね。まず『NHK日本語発音アクセント辞典』を引くと、「頭高アクセント」の「シ\ンカ」には、

「進化、深化、真価、臣下」

4つの熟語が載っていました。つまり、

「『進化』と『深化』は、同じ『頭高アクセント』である」

と。そのほか「ジ\ンカ」とも読む「シ\ンカ」には、

「神火」

が載っていました。『新明解日本語アクセント辞典』でも、上の4つは同じ「頭高アクセント」で、それ以外にも、

「心火」

という言葉も載っていました。「頭高」です。アクセント辞典には載っていない「シンカ」『新明解国語辞典』で引いてみると(この国語辞典は、アクセントも載っているのです)、

「神化」=頭高・平板

がありました。これは「頭高」と「平板」の両方のアクセントが使われているということですね。そのほかの言葉(シンカ)『広辞苑』で調べると、

「心下、心窩、神歌、真仮、真果、新加、請暇」

が載っていました。アクセントは載っていないので分かりませんが。どの言葉も、私はこれまでの人生で使ったことはありません・・・。

ということで、KAGURAさん、結論から言うと「深化」は「頭高アクセント」で良い、アクセントの違いで単語の違いを区別していない、ということになります。羽鳥アナウンサーは、アクセント辞典が正しいとすれば、「間違っている」ということになりますね・・・。

ただ、羽鳥アナウンサーKAGURAさんが考えたように、「進化」ではない「深化」を伝えるために、どうすればいいかを考えて、

「アクセントに違いを付けるという方法を試した」

のかもしれません。「平成ことば事情2049 防犯・判決・支援のアクセント」で散々書いたような、「防犯」「判決」「支援」「教育」「通信」「教育」といった言葉が、アクセント辞典には載っていない「頭高アクセント」で話されることも、ある種の工夫がなされた結果なので、こういった「アクセントの揺れ」は、ごく普通にあるものだと思われます。KAGURAさんこんなところでいかがでしょうか?

(2010、3、23)

2010年3月23日 20:54 | コメント (0)

新・ことば事情

3900「ハの字」

3月初旬、北海道でスキーをしてきました。メインは子供たち。小6の息子はこれが3回目のスキーですが、これまで「そり遊び」しかしたことがなかった5歳の娘は、初めての「スキー」。私たち親は、教えられるほど上手ではないので、コーチに教えてもらうことになりました。最初が肝心ですからね。

とはいうものの、相手は5歳児。スキーを教えるというか、子守りを押し付けているような錯覚に陥ることも・・・。

指導はコーチに頼んだものの、結局そのそばで様子を見ている時間が多かったのですが、少し滑れるようになってきたときに、コーチが5歳の娘に言っていた言葉が、

「『ハ』の字にして」

というもの。うちの子、ようやく平仮名は読めて書けるようになってきましたが、まだカタカナはそれほど読めません。ここで言う「ハの字」とは、もちろん、

「カタカナの『ハ』の字」

つまり、

「ボーゲンの指導」

をしているのです。20年以上前に私も最初「板をハの字にして」と教わりましたが、その時の私は大学生、対する娘は5歳。5歳児に「ハの字」という指導は結構難しい。平仮名なら分かるのですが、スキーの板を、

「平仮名の『はの字』」

にするときっと転んでしまいます・・・っていうか無理でしょ、それ。

何気ない一言ですが、やはり相手のレベルに合わせた指導というのが必要なんだなあと痛感しました。

 

(2010、3、22)

2010年3月23日 10:00 | コメント (0)

新・ことば事情

3899「弱冠29歳」

3月6日、大阪市内のホテルで開かれた大阪高砂部屋後援会のパーティーで、騒動で引退表明後、初めて公の席に登場した元横綱・朝青龍が、コメントの中でこうしゃべっていました。

「まだ弱冠29歳、今年30歳になりますけど」

ご存じのように、「弱冠」は、

「男子20歳の異称」

です。しかし、「若いことを強調する場合には、20歳でなくても使われているのが現状」ではあるのですが。モンゴルでは「29歳」でも「弱冠」なのでしょうか?

「それにしても、よく『弱冠』なんて言葉知ってるなあ」

と感心しつつも、

「ちょっと、使い方が違うなあ」

と思いました。

日本新聞協会・新聞用語懇談会・放送分科会編集の『放送で気になる言葉・改訂新版』でも、「弱冠」に関しては、

「年齢が若いことを指す言葉として使われているが、もともとは20歳をいうので、あまり範囲を広げたくない。『弱冠12歳で優勝』『弱冠35歳で大臣に』などは広げすぎた感じだ。」

とあります。

朝青龍のコメントは「ミヤネ屋」でもお伝えしましたが、朝青龍の発言のその部分についてのコメントフォローの字幕スーパーは、「弱冠」を抜いて、

「まだ29歳、今年30歳になりますけど」

として放送しました。「弱冠」を抜いても、意味は十分に伝わりますね。

(2010、3、22)

2010年3月22日 19:00 | コメント (1)

新・ことば事情

3898「チョー美ケー」

 

駅で見かけたパナソニックの携帯電話のポスターに、

「チョー美、ケー。」

と、最後に「。」が付いた文字が大きく書かれていました。携帯電話をイケメンの若い男性モデルが持っているので、

「超美形」

なのですが、その「超」の部分と「形」の部分とを、カタカナで「チョー」「ケー」と書くことで、また「長音」は「長音符号(-)」で書き、「美」だけを漢字にすることで、「美」を目立たせている。

しかも「携帯電話」=「ケータイ」の「ケー」「美形」の「ケー」を掛け合わせているところに注目しました。

「携帯電話」の略称の表記「ケイタイ」か「ケータイ」かでもめた(?)のはもう10年ほど前。結局「ケータイ」の勝利に終わったのですが、それから10年経ったら、「ケータイ」が略されて「ケー」になっちゃった、というところが、私が注目したところです。

で、その「チョー美ケー」の男性モデル、どこかで見たことがあるけど、誰だっけなー?と思って、「ミヤネ屋」の若い女性スタッフに、広告ポスターと同じ広告写真が載った新聞を見せて、

「これ、誰だっけ?」

って聞いたら、即座に、

「水嶋ヒロ!」

と答えが返ってきました。ああ、これが。あの絢香のダンナか。

(2010、3、19)

2010年3月22日 12:19 | コメント (0)

新・ことば事情

3897「テラバイト」

誕生日プレゼントに携帯音楽プレーヤーが欲しいという小学6年の息子、カタログを見ながら話しかけてきました。

「なあなあ、この携帯音楽プレーヤー、スゴイで、○○テラバイトなんやで!」

「ほお。テラバイト・・・お寺でバイトやな。」

「容量やろ。」

「そうや。要領のええ奴は、早く終わんねん。要領の悪い人は、夜遅くまでかかんねん。」

「人は関係ないやろ。ギガバイトの1000倍とちゃうん?」

「そういえば、知り合いに、ギガさんって人がおったな。」

「だから、人じゃないんだって!」

全然噛み合わない会話でした。それにしても、よう知ってるな、「テラバイト」が「ギガバイト」の1000倍って。正確には1024倍だそうですが。

ちなみにその携帯音楽プレーヤーは、なんと、

「マレーシア製」

でした!携帯音楽プレーヤーの元祖・ウオークマンが発売されて30年あまり、いまやマレーシアで作っているのかあ・・・。何となく時代の流れを感じました。

 

(2010、3、19)

2010年3月19日 12:01 | コメント (0)

新・ことば事情

3896「元サヤ」

 

3月17日の「ミヤネ屋」で、タイガ・ウッズが48日のマスターズで復帰することになったというニュースをお伝えしました。その中に、タイガーが奥さんのエリンさんと仲直りしたのか?という意味で、原稿は、

「元の鞘(さや)に戻るのか?」

とありました。この部分、字幕スーパーでは、

「"元サヤ"に戻るのか?」

と書かれていました。これを見た、スーパーチェック係の、読売新聞校閲OBのOさんが、

「道浦さん、これって『の』が抜けてますよね、『元のサヤに戻る』ですよね?」

と指摘してくれました。これに対して私は、

「これはいわゆる俗語で『元の彼女』を『元カノ』、『元の彼氏』を『元カレ』と呼ぶのと同じ用法ではないでしょうか?" "も、付いてますし・・・」

と説明して、納得してもらいました。あとで女性ディレクターのWさんに、

「"元サヤ"って言葉、言う?」

と確認のため聞いたところ、

「言います、言います!よく使います。」

「夫婦ではなくて、彼女とか彼氏とかでも使うの?」

「使います!」

ということでした。Google検索では(318日)、

「元サヤ」=126000

で、最初に出てきたのはネット上の「日本語俗語辞書」というサイトでした。「俗語」で「若者語」なのでしょうね。

(2010、3、18)

2010年3月18日 20:21 | コメント (0)

新・ことば事情

3895「やつあたりの表記は?」

316日、生後2か月の長女を強く「揺さぶり」脳に障害を負わせ殺害したとして、大阪府警は堺市中区の24歳の母親を「殺人容疑」で逮捕しました。

このニュースの中で、

「やつあたり」

という言葉が出てきました。表記は全部「平仮名」でしたが、これって漢字を交えた書き方もありますよね。「つ」を「カタカナ」の「ツ」で書くことも。どれも間違いではないと思いますが、ネット上ではどう使われているか、Google検索しました。(317日)

「やつあたり」=117000

「やつ当たり」=   9590

「八つ当たり」=617000

「八つあたり」= 94700

「八ツ当たり」=   9810

「八ツあたり」=   9340

でした。そういえばうちの本棚に、江国滋(江国香織のお父さん)の本で、

『日本語八ツ当たり』

という本が、たしかありました。また、元・日本テレビアナウンサーの倉持隆夫さんが、今年1月に出された本、

『マイクは死んでも離さない』(新潮社:2010115

21ページに、

「レフェリーに八つ当たり」

という表記が出てきました。

(2010、3、17)

2010年3月18日 14:42 | コメント (0)

新・ことば事情

3894「体育座り」

森・前アナウンス部長から電話です。

「ナレーションで、わりと新しい言葉で『体育座り』と言うのが出てきたんだけど、これって『すわり』かなあ、それとも濁って『ずわり』かなあ・・・ボクは『すわり』だと思うんだけど。濁らない方がキレイだし」

あ・・・ボクは「ずわり」と濁るんだと思ってました・・・

「ちょっと時間下さい。調べてすぐに折り返します!」

新しい言葉は・・・『現代用語の基礎知識2010年』・・・うーん、載ってない。『日本俗語大辞典』は?・・・これも載っていない・・・『精選版日本国語大辞典』『広辞苑』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』、新しく出た『岩波国語辞典』、全部、載っていない・・・私が調べた国語辞典では唯一、『三省堂国語辞典・第6版』が、

「体育ずわり」

濁った「ずわり」で項目を立てていました。

Google検索では(316日)

「体育ずわり」=101000

「体育すわり」=13300

「体育座り」=234000

と、濁る「ずわり」が優勢でしたので、

「『ずわり』と濁ると思う」

と森さんに電話して伝えました。この座り方、

「三角ずわり」

とも呼ばれるようです。

 

(2010、3、16)

2010年3月18日 10:39 | コメント (0)

新・ことば事情

3893「ツイッターのアクセント」

NHKの原田邦博さんから、メールがありました。

「私見だが、『ツイッター』は『平板アクセント』だろうと思っていたら、在京民放のアナウンサーが、『ツ/イ\ッター』という『中高アクセント』で読んでいた。確かに『さえずり』という意味の原語ではそうだが、システムとしての『ツイッター』のアクセントはどうだろうか?」

ああ!全然気付かなかった!話題の3D映画『アバター』は、頭高の「ア\バター」か、平板の「ア/バター」か気になっていましたが。私は何の気なしに、そのテレビ朝日のアナウンサーと同じく「中高アクセント」の、

「ツ/イ\ッター」

と読んでいました。「ツイッター」だけに、つい言ったあ・・・・。

『ミヤネ屋』で、前日(3月8日)に、その「ツイッター」の特集をした大田良平アナウンサーに聞いてみると、

「そりゃあ、中高の『ツ/イ\ッター』しか考えられないでしょう。『平板』は気持ち悪い。『平板』で言う人、いるんですか?」

ということ。ちょっとホッとして、

「これはもしかしたら、かなり"ばらつき"があるのではないか?」

と思い、実態調査を。まず読売テレビのアナウンス部聞いて見ました。その結果、返事があった人を並べると、

(1)   中高「ツ/イ\ッター」=12人

道浦俊彦、大田良平、三浦隆志、山本隆弥、萩原章嘉、野村明大、尾山憲一、虎谷温子、清水健、森若佐紀子、小沢昭博、横須賀ゆきの

(2)   平板「ツ/イッター」=4人

本野大輔、林マオ、小林杏奈、川田裕美

(3)   意識して言ったことがないのでわからない=1人

植村なおみ

という結果に。でも中には、

「単独で使う場合、『中高』対応に努めていますが、正直なところ、コンパウンド以外でも『平板』処理していることが多々あります。これは、『新出ネット用語平板化の原則』に影響されているものと自己分析しています。」(萩原アナウンサー)

という意見もありました。日本テレビ系列局のアナウンサーや新聞用語懇談会放送分科会のメンバーの方にも聞いてみると、「自らもツイッター・ユーザーである」というテレビ朝日番組審査室の佐藤耕太郎さんからは、

「自分では(2)ツ/イッター(平板) で読んでいるが、まだ一般にアクセントが定着したとは言えないだろう。派生のアプリケーションには、

『ふぁぼったー』『ツイーティ』『ツイットファイヤー』『ツィートピック』

などなど、数多あり、『ツイート+○○』『ツイッ+○○』などのネーミング。新しい言葉なので、若者流に『平板』が無難かとも思えるが・・・(ユーザーは、中年層が意外と多いのだそうだ)」

という詳しいご意見を頂きました。また、フジテレビの畑農敏哉さんは、

「特に社内で議論した覚えはないので、あくまでも個人的見解として(2)の平板アクセント。」

とのことです。そのほか、朝日放送・岡元昇アナウンサー、テレビ大阪・千年屋俊幸アナウンサー、福井放送・森本茂樹アナウンサー、福岡放送・古賀之士アナウンサー、北日本放送・小林淳子アナウンサー、静岡放送の元アナウンサー・國本良博さん、山形放送・芳賀道也アナウンサー「中高」の「ツ/イ\ッター」。福井放送・川島秀成アナウンサー「基本的に中高」ですが、

「状況によって変えているかもしれない。例えば、主語になっているときは『中高』だが、『ツイッターやってる?』のような時は『平板』で言う人もいる。」

とのこと。テレビ岩手の柴柳二郎アナウンサーは、

アナウンス部内で統一はしていないが、私としては現時点では『中高』で発音したいと考えている。でも近いうちに『平板』の発音が一般的になるような予感がする。その時には、どこかのタイミングで『平板』に切り替えることになるだろう。」

と、近い将来にアクセントの変更が来る予感を。TBSの柴田秀一アナウンサーは、

「若い人達は何の疑いもなく当然『平板』で言っている。『アバター』も英語では『ア』にアクセントがついているのに、『平板』。『ツイッター』は英語twitterでは『イ』にアクセントがあるので、日本語でいう『平板』ではないだろう。多分、ゆっくり言うと『中高』に近いのだろう。でも、これを使う人達が疑問を持たず『平板』だと、将来的に『平板』で落ち着くのだろうか。何でも『平板』はねぇ・・・・」

と、嘆いていらっしゃいます。

西日本放送の山口喜久一郎アナウンサーは、

「西日本放送アナウンサーの『ツイッター』のアクセントは、私を含めてアナウンサー4人が(1) ツ/イ\ッター(中高)で、(2) ツ/イッター(平板) 読みが3人いた。ちなみにツイッター利用経験者は2人おり、2人とも(2)平板読みだった。」

という西日本放送アナウンサーの実態を「ツイッター利用状況」と関連させて調べてくださいました。また、日本海テレビのベテラン・福田仁志アナウンサーは、

「弊社のアナウンサーは『中高』のアクセントだった。まだ原稿に現れたことはない」

というお返事。札幌テレビのこちらもベテラン・工藤準基アナウンサーからは、

「私は()の『中高アクセント』で読んでいる。若い世代は()の『平板』だろうか・・・。『ツイッター』つながりで、先日『ゆうばり映画祭』に足を運んだが、映画上映後の監督との質疑応答でも、『ツイッター』で寄せられる『質問』を代表して聞いていた。『つぶやき』の応用・進化と言えるのだろうか?」

という「ツイッターの進化形」のご報告、ありがとうございます。

そして、福島中央テレビ・菅佐原隆幸アナウンサーは、

「福島県内でも、若者は『平板』の『ツ/イッター』。社内でも若いスタッフは『平板』、アナウンス部でも、やはり若手アナは『平板』で話していましたが、『アクセントの確定していない外来語は、その国のアクセントに順ずる』ということで、『「中高」の「ツ/イ\ッター」でいこう!!』ということにしました。」

と、アナウンス部内で取り決めた様子を知らせてくれました。そして、テレビ信州の伊東陽司アナアウンサーからは、

「先日ニュースでツイッターの特集を放送し、そのときは(2)の『平板』だった。まだ、当社でどちらという取り決めはないが。」

とのこと。

全体を大まかに整理すると、

「若い人、『ツイッター』を実際に使っている人は(2)平板アクセントで『ツ/イッター』」

「中堅からベテラン、あるいは『ツイッター』を利用していない人は(1)中高アクセントの『ツ/イ\ッター』」

という傾向があるのではないでしょうか。「アバター」のアクセントはどうなのか、気になってきました・・・。

(2010、3、15)

(追記)

山形放送の芳賀アナウンサーが、アナウンス部で聞き取りをしてくださいました。それによると、山形放送のアナウンス部では、

「中高アクセント」=9人、「平板アクセント」=4

だったそうです。「平板」は、若いアナでは半分に近かったということです。

2010年3月18日 10:29 | コメント (0)

新・読書日記 2010_060

『ネイティブが許せない日本人がかならず間違える英語』(ジェームズ・M・バーダマン、長尾実佐子・訳、中経の文庫:2009、12、28)

表題のような英語の実例が2択で100問。私の正解率はおおよそ6割。かつて「駅前留学」の経験がある妻は、私より先に読んでしまって、正解率は8割。やっぱり英語は難しい。

裏表紙にある「中経の文庫ミニギャラリー」で紹介されている絵は、司馬江漢の『異国風景人物画』と言うもの。へえ、司馬江漢ってこんな絵を描く人だったのか!江戸時代の洋画家の先駆者だとか。なにやらヨーロッパ風の趣が。ブリューゲルの絵かと思った。

オランダのルイケン父子作の銅版画集『人間の職業』の「船員図」をもとにしているらしいが、たしかにオランダのその時代の人の絵のようだ。

 


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(2010、3、15読了)

2010年3月17日 12:40 | コメント (0)

新・読書日記 2010_059

『誰が誰に何を言ってるの』(森達也、大和書房:2010、3、5)

同じ著者の『マジョガリガリ』と同じような、黄色一色の目立つ表紙。タイトルはまるで「井上陽水」の曲のようだ。

内容は主に「監視カメラ」。そしてそれに対して何も感じないどころか、「善意」でそれを推進する人たちと、それに何も感じない人たちへの警鐘。本当にオーウェルの『1984』的な世の中になってしまったなあ、日本も。1984年から26年、四半世紀が経って。

私はタバコを吸わないのであまり意識しなかったが、飛行機へのライターの持込は「1個に限定」っていうのも、確かにヘン。ライターが危険だと言うなら、「1個も持ち込ませない」のが正しいのに、なぜ1個持ち込める?1個が大丈夫なら2個もOKでしょう。一人で100個とかいうのはおかしいにしても。それを指摘すると係官は「ダメなものはダメ」的に「職務に忠実」な働きをした後に、そっと著者に耳を寄せて小声で、しかし憤然と「私もおかしいと思ってるんです!」と囁いたというが・・・これは実話かな?創作かな?

また電車の座席や公園のベンチにが「長いす」ではなく「一人一人がきっちり座れるように区切られた」背景には、そこで寝そべったりする人を物理的に「排除」しようとする意図が。たしかにちょっと、気に食わない。

日本の犯罪は減少しているのに、監視カメラは増え、「厳罰化」の空気が強まっている。「ニワトリが先か、タマゴが先か」の議論と似てはいるが、「日本の犯罪件数は減っている」というのは客観的事実のようだ。

「地獄への道は、善意で舗装されている」

この言葉は確かにそうだと思う。また最後に出てきた、ナチス・ドイツでルター派の牧師だった、マルティン・ニーメラーの詩は印象的だった。

 


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(2010、3、16読了)

2010年3月17日 11:59 | コメント (0)

新・読書日記 2010_058

『日本語を「外」から見る~留学生たちと解く日本語の謎』(佐々木瑞枝、小学館101新書:2010、2、6 )

何だかちょっと、ぬるい内容。

これ、絶対「まんが」にしたい方がいい。『日本人の知らない日本語』の原作にしてはどうか?絶対それがいいですよ。

留学生たちの様子が手に取るようにわかって、そういう意味では「青春モノ」のドラマの原作という手もあるかも。あまり「日本語の謎」は解かれたような気はしませんが、「日本語のなぜ」はいっぱい出てきますね。おもしろいです。


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(2010、3、8読了)

2010年3月17日 10:27 | コメント (0)

新・読書日記 2010_055

『数字のウソを見破る』(中原秀臣・佐川峻、PHP新書:2010、1、5)

最初のページに出てきた「日経ダウ平均」という言葉を見て「なに?」と思って、ちょっとこれから読む内容が信用できなくなってしまって、読むのをやめた(はやっ!)。再び読み出すまで、1か月以上かかってしまった。だって「ダウ」って「ニューヨーク株式市場」でしょ、「日経」は「東証株価」だし、なんだか、ええかげんな言葉だなあと思ったので・・・タイトルは「数字のウソを見破る」だけど、「文章のウソを見破って」しまった感じ。

しかし読み始めると、最初の印象とは違って、意外としっかりとした内容だったように思う。数字に騙されないようにしようと思った。

 

 


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(2010、3、1読了)

2010年3月16日 22:24 | コメント (0)

新・ことば事情

3892「いいたいこと、ふたつあるねん」

5歳の娘が起きぬけに、冷蔵庫の前に立って、こう言いました。

「あんな いいたいこと ふたつ あるねん。たまごは おくのが あたらしいから たまごかけごはんには こっちをつかって!それから このしゃしんは、みさきちゃんのおてがみとか いれるところに いれて。」

けさの朝ごはんの「卵かけごはん」に使うのは「新しい方の卵」を、ということと、保育所で、お友達のみさきちゃんに、一緒に写った写真をあげるのに、保育所からのお手紙などを入れるためのレターラックのところに入れて、と言うのです。

それを聞いて、ちょっとびっくり。なぜって、たった5歳でまず最初に、

「言いたいことが2つある」

と宣言してしゃべるというのは、すごいことじゃないですか? 45歳でも、出来ない人、いっぱいいますよ。

そして、ちゃんとその2つを簡潔に説明できたことも、オドロキです。

人間は、5歳で脳の90%は完成するという話をどこかで聞いたことがありますが(本で読んだのかな?)、明らかに4歳までの話し方とは違い、脳の中の構造世界が変わってきている、大人に近づいているなということを、確信しました。

で、それなら・・・ということで、

「そこまでわかってるなら、写真は自分で、みさきちゃんのところに入れたら?」

と話しかけてみると、毅然とした表情で、

「せー(背)が とどかへんねん。」

ときっぱり。

(2010,3,15)

2010年3月16日 17:34 | コメント (0)

新・ことば事情

3891「まぶち」

今年の直木賞作家・佐々木譲の直木賞受賞作で連作短編集『廃墟に乞う』(文藝春秋、2009715第1刷・2010120第2刷)を読んでいたら、「復帰する朝」という作品の中に、

「中村由美子はハンカチを取出し、メガネの下のまぶちを何度もぬぐって言った」308ページ)

という一文が出てきました。この文の中の、

「まぶち」

という言葉、わたしは

「まぶた」

の誤植ではないか?と一瞬思いましたが。私が買った本は「初刷」ではなく「2刷」でもありますし、誤植ということはないだろうと。「まぶち」の「ま」は「目」のことでしょうから、

「まぶち=目の縁」

の意味であろうと推測しましたが、はたしてこれが標準語なのか、それとも方言なのか?

『精選版日本国語大辞典』「まぶち」を引くと、載っていました。

「まぶち(目縁・眶)」=目のふち、まなかぶら。また、まぶた。(日葡辞書(160304

と出ていました。「目」偏に「匡」なんて漢字、初めて見ました!あ、でも、

「上がりかまち」(「上がりがまち」)

「かまち」というのは、漢字で「匡」を使っていなかったっけ?「上がりかまち」は、「土間から上がるところのふち」

という意味ですよね?調べてみると、「かまち」は「木」偏に「匡」でした!「匡」には「ふち」というような意味がありそうです。それにして、日葡辞書の時代(17世紀初頭)には使われていた言葉なんですね!『広辞苑』でも同じように載っていました。(『広辞苑』には「まぶた」の意味は書かれていませんでした。あくまで目のふち。)

しかし、この言葉が現代も使われているのかどうかはわかりません。あまり耳にしたことも目にしたこともない言葉でした。Google検索(315日)で、

「まぶち、目のふち」

と検索すると、1170でした。決して多い件数ではありませんが、辞書のようなサイトが多くひっかかってきました。

 

(2010、3、15)

2010年3月16日 13:17 | コメント (0)

新・ことば事情

3890「ケーキ1台」

 

3月11日放送の日本テレビ『スッキリ!!』で、314日のホワイトデーを控えて、最近流行の「弁当男子」や「草食系男子」の間で、ホワイトデーのお返しに「手作りスイーツ」を贈ろうとして料理(菓子)学校に通う人が増えているという話題を放送していました。

その料理教室の、女性の若めの先生が、こう言いました。

「バニラとホワイトチョコレートを使ったケーキを1台作ってもらいます。」

ケーキを数えるのに出てきた助数詞が、

「1台」

ふーん、丸ごとの丸いケーキは「1台」か。以前たしか、

「ワンホール」

という数え方も聞いたことがあります。これは書いたな、たぶん・・・検索したら出てきました、「平成ことば事情1265 1ホール」。書いたのは、20037月、7年前でした。喫茶店で見つけた表示、

「ケーキ、1ホールご予約されると、1カット分ブレゼント」

を取り上げていました。「ホール」もそうだけど、今見ると、

「1カット」

というのも「一切れ」「1ピース」の意味なんでしょうね。どのぐらいに「カット」されているかは分かりませんが。

新聞用語懇談会放送分科会20089月に作成した『放送で使用する助数詞』には、「ケーキ」の数え方は載っていませんでした。飯田朝子さん『数え方の辞典』(小学館)には、

「個、台、切れ、ピース」

イラスト付きで載っていました。わかりやすい!また、ケーキの中でも細長い「焼き菓子」だと、

1本」

と数えることもあると。さらに説明を読むと、

「バースデーケーキなどの丸ごとのケーキは『台』で数えます。(家庭でケーキを焼く際、レシピに材料は『ケーキ1台分』と記されます。)

とありました。また、ケーキはケーキでも「ウエディングケーキ」のように「重ねられているもの」は、その段数を、

「段」

で数えるとなっています。ただ、「1ホール」というのは載っていませんでした。

 

(2010、3、11)

2010年3月12日 10:45 | コメント (0)

新・読書日記 2010_054

『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(水木悦子・赤塚りえ子・手塚るみ子・企画構成=近藤康太郎・三田格、文藝春秋:2010、2、10)

タイトルが素晴しくて、おもしろそうだから買いました。もちろん、

「ゲゲゲ」=鬼太郎=水木しげる

「レレレ」=レレレのおじさん=赤塚不二夫

「ららら」=鉄腕アトム=手塚治虫

という3人の天才漫画家を示しています。同じ音を3つ重ねただけの擬態語で誰か分かる、というのはスゴイです!

その天才漫画家3人には、それぞれ娘がいたと。僕なんかと同世代か、少し若いぐらいの世代で。手塚治虫の息子さん・眞さんは有名なので、お名前も知っていますが、娘さんもいたんですね。『ブラック・ジャック』のピノコに似てるって。写真を見るとたしかに・・・。赤塚不二夫さんは一人娘かな。水木しげるの娘さんは、この悦子さんの上にお姉さんがいらっしゃるそうです。

3人の漫画家の中では水木しげるが一番年長なのに、彼より若い2人が先に亡くなるなんて・・・。娘さんたちは、漫画家にならなかったんだなあ。たしかに「世襲」では出来ない職業だよなあ。

娘たちは、お父さんをどう見ていたか、そして今、どう見ているか?また、家での天才漫画家たちは、どんな様子であったのか?興味深く読みました。

ところで、企画・構成の「三田格」って人のペンネームは、もしかして「見た、書く」からかな?


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(2010、2、26読了)

2010年3月11日 22:25 | コメント (0)

新・ことば事情

3889「十本アニメ」

 

NHK教育テレビで朝の8時台にやっている『ピタゴラスイッチ』の中で、

「十本アニメ」

というのがあります。頭に硫黄が付いていないマッチ棒のような、爪楊枝のような「棒」が10本出てきて、いろいろしゃべって、協力して何かをするんですね。単純だけどおもしろい原始的な感じのアニメーションです。このタイトルの「十本アニメ」、エンディングの曲も「マッチ棒」が歌うんですが、そこでは、

「(『じっぽん』ではなく)『じゅっぽん』アニメ」

と歌っています。今の常用漢字表の「十」の読み方には、

「じゅう、じっ、とお、と」

しかなく、「じゅっ」はないので、教育現場などでは「十本」は、

「じっぽん」

発音し、振り仮名を書かなければ、「間違い。×」とされるのですが、「教育テレビ」は先取りして「じゅっぽん」という言い方を認めているのですね。まあ、わたしも、アナウンサーという仕事をしていなければ、絶対「じっぽん」なんて言わないでしょうし、NHKも、

「現在はジッ、ジュッ両様の発音が認められている」

(『NHKことばのハンドブック第2版』)

として、どちらも「許容」になっているんですが、さすがに番組の「タイトル」となると、しかも教育テレビの子供向けの番組となると、「じゅっ」よりも「じっ」の方がいいのかなあなんて、番組を見るたびに思ってしまいます。

(2010、3、11)

2010年3月11日 20:47 | コメント (1)

新・読書日記 2010_053

『不幸な国の幸福論』(加賀乙彦、集英社新書:2009、12、2第1刷・2010、1、19第2刷)

この前読んだ、読書日記052の『民主主義が一度もなかった国・日本』(宮台真司、福山哲郎、幻冬舎新書)にくらべると、格段におとなしい口調。たぶん"思い"は同じで、「日本を良くしたい、みんなの暮らしが少しでもよくなるように・・・」ということで、同じ頂を目指しているのだろうけど、表現の仕方でこんなに変わってくるものかと思って、「ああ、これは『北風と太陽』だな」と。もちろん、宮台さんは「北風」で、加賀さんは「太陽」。年齢(経験)の違いか??もちろん具体性は宮台さんの方があるが、何か「救い」がない。精神論のようなところになってくると、ちょっと宗教も絡んでくる。「生」と「死」の「死」を見据えて考えるかどうか、ということかな。(☆4つ)


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(2010、3、5読了)

2010年3月10日 12:28 | コメント (0)

新・読書日記 2010_052

『民主主義が一度もなかった国・日本』(宮台真司、福山哲郎、幻冬舎新書:2009、11、30第1刷・2009、12、10第2刷)

 

宮台真司と民主党の福山哲郎の対談集。宮台真司さん、大丈夫?というぐらいのハイテンションで罵倒しまくっていて、品がない。いつもこうなのかな?私はほとんど宮台さんのことを知らないが、そういう人が読んだら、「ちょっと・・・・」と引いてしまうと思う。そりゃあ、メッチャ賢いのかもしれないけど、「ごとき」とか「たかが」と言った時点で、「学者」としては失格なのではないか?冷静さに欠けている。やたら「バカ」「バカ○○」という口調が出てきて、読んでいるとだんだん気分が悪くなってきた。「恨み」がこもっている感じさえする。一体何回「バカ」と言っているか、数えようかと思ったが、それもバカらしくなってやめた。ああ、「上から目線」というのは、こういうのを言うのだろうなあと。「戦略」としてやっているとしても、失敗である。対談なら「話し言葉」なので、ニュアンスで、「同じ『バカ』と言ってもいろいろある」というのが分かるが、「本」(=活字)では、「バカ」は「見下した罵倒語」としてしか読み取れない。(読み取れない私がバカだって?ほっといて!)それで、この口調と言うのは・・・。これは、「本」になることがあらかじめ分かっている「対談」ではないのか?「バカ」と言わざるを得ない気持ちの裏には、現在の日本の政治やマスコミをめぐる「不満」が溜まりに溜まっているのだろうけど・・・。

うちの5歳の娘がよく言っている、

「バカって言った人が、バカなんやでえ

 


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(2010、3、4読了)

2010年3月10日 10:23 | コメント (0)

新・読書日記 2010_051

『オーガニック革命』(高城剛、集英社新書:2010、1、20)

ちょっと、本の帯の文句(コピー)にあった、

「高城剛は、なぜ東京を去り、モノを処分し、生き方を変えたのか?」

に興味を持ったので読んでみた。あの「エリカ様」のだんな様が書いた本だ。読んでいる途中での感想は、

「なにかウソくさい、何か軽い、信念や真理ではなく、ブーム・流行りという感じが、もうなんていうか、全体に立ち込めている感じがする」

だ。結局、ライフスタイルを根底から変えたというよりは、より新しい流行に乗り換えただけのような気がする。だって、あなたが主張する形での「モノを持たないで定着しない生き方」って、お金持ってなきゃ出来ないでしょ。ロンドンやスペインや沖縄や北海道、都合のいいところを、ひょいひょいと移動するなんて、そう誰でもができることじゃないし、飛行機で移動するのなら、全然エコじゃないし。バルセロナで、日本から運んだ玄米でパエリア食べて「エコ」なわけないでしょ。ひと所に定住して、畑、耕すのならわかるけど、結局「ファッション」じゃないのか?という疑念が、読み込んでいっても払拭できない。

真ん中あたりのイギリスについて「お勉強」して書いた(であろう)ところは、こちらも勉強になりました。

 

 


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(2010、2、25)

2010年3月 9日 22:26 | コメント (1)

新・ことば事情

3888「パパ友ママ友」

 

ケータイ電話会社が盛んに宣伝している、

「ただ友」

というのもありますが、

「○○友(とも)」

というのは、語呂がいいのでしょうね。今年のお正月の新聞で見かけたのは、

「ママ友」

という言葉。これは結構、普及しているようです。15日の日経新聞夕刊で見つけました。要するに、

「子どものママ(母親)のつながりの友達」

のことで、

「子育てについて語り合える女性同士の友達」

のことですね。記事の見出しは、

「『ママとも』お酒で親密に」

とあり、子育て中のママ同士でお酒を飲む行為をさして、

「ママ飲み」

というそうです。「女子飲み」の「ママ版」ですね。最近の女性は、よう飲まはりますな。記事によると、

「ママ飲みは、お酒を飲んで日常のストレスを発散するのと同時に、ママ友同士がより親密な関係を築くコミュニケーションの新形態だといえる」

と結んでいます。ふーんと思っていたら、同じ15日の、今度は読売新聞の夕刊に載っていた「パパ入門 18」というコラムで、NPO法人『ファザーリング・ジャパン』代表理事の安藤哲也さんが、

「『パパ友』は父親育児のトレンドだ。『ママ友』は聞いたことがあると思うが、父親も子育てをするようになれば、当然悩みも出てくる。」

というふうに、

「パパ友」

という言葉を使って書いています。「パパ友」が出てくる文章を拾ってみると、

「子どもにとっても、パパ友はメリットがある。」

「アウトドアはそれが得意なパパ友にゆだねてしまう。」

「自分と違うコミュニケーションツールを持ったパパ友の存在は大きい。」

「パパ友ネットが稼動できたら素晴らしい」

「僕には40人のパパ友がいる」

「『パパ友』は終生の友達になれる予感がする。」

と、希望いっぱい。「オヤジの会」というのが最近、PTAや自治会関連で各地に出来ているようです。そのつながりかな。でも、「子どもの切れ目が、縁の切れ目」。そんなに簡単ではないのでしょうけどね。Google検索(31日)では、

「ママ友」 1670000

「ママ飲み」= 75200

「パパ友」  47300

ついでに、

「オヤジの会」=   9910

「おやじの会」=578000

「パパ飲み」  12300

パパ飲みって、結局「飲み会」だなあ・・・あ、そういえば先週、「パパ友」飲み会、やりました!

(2010、3、1)

2010年3月 2日 12:40 | コメント (0)