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『道浦TIME』

新・ことば事情

5911「『こともあって』?『とあって』?」

 

 

先週、カニが名物の兵庫県城崎市で行われた、

「カニ絶叫大会」

の様子を、ニュースで放送していました。その中で、

「豪華賞品がもらえる『こと』もあって」

という原稿をアナウンサーが読んでいました。それを聞いて「おや?」っと思いました。これは、本来は、

「豪華賞品がもらえる『と』あって」

なのではないか?

「こともあって」だと、賞品はあくまで「おまけ」、主目的ではなくなります。

「とあって」だと、賞品が目的で「頑張るぞー」という感じになります。

微妙な違いですが、やはり、意味は変わって来ると思いました。

 

 

(2015、11、30)

2015年11月30日 21:00 | コメント (0)

新・ことば事情

5910「バカ殿様のアクセント」

 

 

11月27日の日本テレビ『スッキリ!!』を見ていたら、志村けんさんのお母さんが亡くなったというニュースを伝えていました。その中で、志村さんが演じる、「バカ殿」のことを紹介した男性アナウンサーが、これに「様」が付いた、

「バカ殿様」

を、

「バ/カト\ノサマ」

と、「中高アクセント」で読んでいましたが、これには違和感が。この場合は、

「バ/カトノサマ」

と、「平板アクセント」で読むべきではないでしょうか。

もし「中高アクセント」にすると、

「バ/カ・ト\ノサマ」

というように「殿様」に「バカ」が付いた形になりますが、元々この言葉は「バカ殿」で定着しているので、それに「様」が付いた形の、

「バ/カトノ・サマ」

なのではないかと。その意識の違いアクセントに表れたのではないかなあと思いました。

 

(2015、11、27)

2015年11月29日 12:39 | コメント (0)

新・読書日記 2015_167

『宇宙兄弟27』(小山宙丸、講談社:2015、11、20)

 

 

漫画です。

今度は、六太が憧れている伊東セリカさんが、国際宇宙ステーションの中で、ピンチ!

愛する父を亡くした難病「ALS」の治療に役立つ薬を作りたいという強い思い。そのための実験を宇宙空間で行っているが・・・。

結局、人間の敵は人間、人間の味方も人間。宇宙においても、それは変わらないのだなと。1冊、読みごたえあります。

 

 


star4

(2015、11、19読了)

2015年11月28日 13:06 | コメント (0)

新・ことば事情

5909「三番三」

 

 

ツイッターでニュースを見ていたら、

「三番三」

という文字が目に入りました。あれ?これは、

「三番叟」

の間違いではないか?

「さんばそう」

と読みますよね。そう思って調べて見ると、どうやら

「狂言の大蔵流では、『さんばそう』を『三番三』と記す」

ということなのです!知らなかった!てっきり「叟」の字が「表外字」(常用漢字ではない)だから、「代用字」として「三」を用いたのかと思った!

ちなみに、先日、若手のMアナウンサーがニュースで、正しくルビが振ってあったにもかかわらず、「三番叟」を、

「さんばんそう」

と読んでいたので注意したばかりでしたが、「三番三」だと、

「さんばんさん」

と読まれてしまいそうですね・・・。

 

(2015、11、27)

2015年11月28日 12:38 | コメント (0)

新・ことば事情

5908「つがい(番)」

 

11月26日の「ミヤネ屋」で、弁護士の局部を切り取った男の裁判を取り上げました。被告の名前は、

「小番一騎」

この名字「小番」のルビが、事前チェックしていた際に間違っていました。

 

×「小番(コヅカイ)被告」→○「小番(コツガイ)被告」

 

「番」は「つがい」とも読むのです。「つがい」とは、

(1)「二つのものが組み合わさって一組みになること。またはそのもの。対。

(2)動物の雄と雌の一組み。また、夫婦。(以下略)

です。「つがい」でよく使うのは「セキセイインコ」とか「文鳥」などの「小鳥」ですね。

「番」なのに「一騎」というのも、なんだか矛盾しているような気がします。

それにしてもこのニュースを聞くたびに、なんだか痛くて痛くて、耳を塞さぎたくなります。

今、読んでいる佐藤優さんと池上彰さんの対談本『大世界史~現代を生き抜く最強の教科書』(文春新書)の中で、佐藤さんが、

「中国の明王朝では官僚に『宦官』を重用したが、それはそうしないと財力や権力の世襲が生じてしまうから」

と述べていました。そうか、「世襲」を防ぐために「宦官」にしたのか!(切る部所は、小番被告とは違いますが。)

ちなみに、ローマ教会は、「宦官」を用いないために、

「独身制」

を採用したと。これだと外に子どもを作っても、「独身」の建て前だから「後継ぎ」としては認められないということだそうです。

勉強になりました。

 

(2015、11、27)

2015年11月27日 20:37 | コメント (0)

新・ことば事情

5907「怪気炎を上げる」

 

 

11月23日の「ミヤネ屋」で、ディレクターから質問を受けました。

「『怪気炎を上げる』という表現は、普通に使っていいですか?」

聞いてみると、別に否定的じゃない場面のようです。そこで、こう答えました。

「『怪気炎』は、何やら"怪しい感じ"がある場合なので、今回は、『気勢を上げる』にしたら?」

ということで、「気勢を上げる」になりました。

どんな文脈だったのかは忘れました。

 

(2015、11、26)

2015年11月27日 16:35 | コメント (0)

新・ことば事情

5906「『榎木孝明さん』のアクセント」

 

 

11月25日の「ミヤネ屋」で、(結局、この日は放送できなかったのですが)30日間の「不食生活」をした「榎木孝明さん」の現状は?という特集の原稿に関して、ナレーターの藤田さんから質問を受けました。それは、

「『榎木孝明』の読み方・アクセントについて」

でした。

「エ/ノキタカ\アキさん」(コンパウンドして、中高アクセント)

「エ\ノキ・タ/カ\アキさん」(2語・頭高アクセント)

のどちらか?と。これは「つんく♂さん」でも、

「ツ/ンクサン」(平板アクセント)

「ツ\ンクサン」(頭高アクセント)

で出て来る問題に似ています。

芸能界に詳しい方(業界人)や、「榎木さん」や「つんく♂さん」と頻繁に交流がある方の場合は、

「コンパウンドして『平板アクセント』になる傾向」

(=「エ/ノキタカ\アキさん」「ツ/ンクサン」)

があります。私は、一般視聴者の立場で、

「エ\ノキ・タ/カ\アキさん」(2語・頭高アクセント)

を取りました。

 

(2015、11、26)

2015年11月27日 15:34 | コメント (0)

新・読書日記 2015_166

『へんな生きもの へんな生きざま』(早川いくを、エクスナレッジ、2015、8、1)

 

上田玉芳堂(本屋さん)に注文した時には、こんな大きな図鑑のような本だとは思わなかった。全部カラー。いや~あ、世界には不思議な興味深い生きものがたくさんいるんだなあって、改めてその多様性に驚かされます。

本書は「狩る 捕る 喰らう」「愛する自分を守るため」「存在しない者たち」「周りに合わせて生きてます」「ある愛の詩」に分類されているが、如何に生物が環境に合わせて生き残るために、その遺伝子を変化させて適応しているか、しみじみと感じる素晴らしい写真ばかり。不思議だ。また早川さんの文章も非常に小気味よく、ユーモアと知性が感じられて読みごたえがある。

私が気に入った生きものは、「ニセハナマオウカマキリ」。スゴいですよ、このカラフルなカマキリは。人工的に見えるが、自然の造形。また、「眼状紋」と呼ばれる、「大きな目ん玉」に見える文様が羽根にある「アフリカメダマカマキリ」(そのまんまの名前ですが)。これも「アート」ですね。そして「アカハネガウンカ」。これは、「ピクサー」のアニメーションに出てくるんじゃない?と思わせるような。思わず笑ってしまうよね、この顔!

自然ってすごい!!

 

 


star5

(2015、11、23読了)

2015年11月27日 14:02 | コメント (0)

新・読書日記 2015_165

『下町ロケット2~ガウディ計画』(池井戸潤、小学館:2015、11、5)

 

 

某局でやっているドラマ、視聴率がいいようです。原作が面白いからね。その続編が出たと思ったら、ドラマももうその「2」を放送しています。「2」はロケットから医療機器へ。

なんか、脚本として書かれたような感じも。読んでいて思ったのは、

「あ、水戸黄門だな」

と。つまり「勧善懲悪」。いろいろ紆余曲折はあるけど「正義は勝つ!」だからスッキリ。いや、でも面白いし、一気に読ませてしまいますね。さすが!

しかし、かなり慌てて書かれたのか、校閲に時間がなかったのか、1か所「誤植」を発見しました。

×語幣→○語弊(355ページ)

まあ、めちゃくちゃ売れてるだろうから、2刷以降に訂正(修正)されるでしょうね。修正してね。

 

 


star4

(2015、11、17読了)

2015年11月26日 18:01 | コメント (0)

新・読書日記 2015_164

『愛媛ことば図鑑~マンガで読み解く愛媛の方言』(土井中 照、アトラス地域文化新書:2005、8、1初版第1刷・2007、4、25第2刷・2013、7、1第3刷)

 

出張に地方へ出かけると、その地方の「方言」に関する本などを買い求めることが多い。先日も愛媛・松山で用語懇談会が開かれたので、帰りの空港で購入。会社に戻るまでに読み終えた。

「愛媛」と言うと「坊っちゃん」。「ぞなもし」というような語尾が特徴かと思いきや、実は「愛媛県」と言っても一つの方言ではなく、「東予」「中予」「南予」の3つの地域・言葉に大別されるそうだ。そして、「東予」=京阪式アクセント、「中予」=東京式アクセント、「南予」=一型に近いアクセント(九州・大分弁に似ている)のだそうだ。江戸時代に松山藩主=三重・桑名から、今治藩主=三重・長島から、宇和島藩主=宮城・仙台から、大洲藩主=米子から所替えになったので、アクセントがバラバラという説もあるそうです。全体としては、「古語」が、現代にも息づいているような感じがしました。勉強になりました。

 

 


star4

(2015、11、20読了)

2015年11月25日 12:32 | コメント (0)

新・読書日記 2015_163

『スポーツアナウンサー~実況の神髄』(山本浩、岩波新書:2015、10、20)

 

著者は、サッカー中継で有名なNHKの元アナウンサー。『メキシコの青い空』という著書も、以前読んだ。もう8年も前か、その名著が出たのも。

その山本さんが「スポーツアナウンサー」=実況ということについて書いた。内容はかなり専門的で、スポーツアナウンサーを目指す人・・・というよりは、既にアナウンサーになっている若い人をスポーツアナウンサーに育てるための教本のようなものだと思った。つまり、読者のターゲットは狭い。(だから専門的。)

最初の方に書かれている「機材の進化と実況内容の変化」は、私も日頃、とても感じていることだ。一般の視聴者は、当たり前すぎて気付かない部分かもしれない。

また、インタビュアーとして「今のお気持ちは?」的な質問は「下の下」で、「やってはいけない質問」に挙げているのも、よく分かる。

終章の「実況のツボ」は、コンパクトにまとまっていると思う。一般の読者にもわかりやすい。「音読み単語は締まる」とか、80年代に「華麗なる」という形容詞が流行ったとか、放送での敬語は2方面であるなど、勉強になりました。

 

 


star4

(2015、11、19読了)

2015年11月24日 12:31 | コメント (0)

新・ことば事情

5905「関心ごと」

 

『週刊文春』2015年10月8日号の「阿川佐和子のこの人に会いたい」という有名な対談コーナーに出ていた、作家の赤川次郎さん。その会話の中に、

「アメリカの関心ごとは、次の大統領選で」

という一言があり、気になりました。

「関心ごと」って、普通は「関心事」と書いて、

「かんしんじ」

と読む(言う)のではないでしょうか?

以前書きましたが(平成ことば事情5382「自分事」)、最近の若者は「私事(わたくしごと)」のことを、

「自分ごと」

と言う傾向があると。この赤川さんの「関心ごと」も、一連のその流れではないかと思うのです。しかし、一般の若者が使う「自分ごと」のような言葉はともかく、プロの作家の赤川さんが「関心事」を「関心ごと」などと話してしまうのは、かなりマズいのではないか?と感じましたが、いかが?

グーグル検索では(11月23日)

「関心事」 = 61万6000件

「関心ごと」= 14万6000件

「私事」  =185万0000件

「自分事」 = 29万9000件

「自分ごと」= 24万2000件

でした。「関心事」の検索でトップに出て来たのは「教えて!GOO」という質問サイトで、

「『関心事』の読みって『かんしんごと』は間違い?」

というものでした!やっぱりよく使われていて、気になる人もいるんだ!その回答の中に、

「『心配事』は『しんぱいごと』と読むのに、『関心事』は、なんで『じ』なんだろう?」

という疑問も書かれていました。あ、そうか「心配事」からの類推で「ごと」が出て来ているのか!書き言葉がすたれて、話し言葉に移り変わっている途中なのかもしれませんね。でも、「関心事」が「関心ごと」と読まれてしまう恐れがあることは、

「心配事」

ではあります。グーグル検索では、

「心配事」 =73万7000件

「心配ごと」=39万78000件

でした。

 

(2015、11、23)

2015年11月23日 22:25 | コメント (0)

新・ことば事情

5904「お二階」

 

ツイッターで、言葉に関する疑問がつぶやかれているのを見つけました。それは、

「なぜ『お二階』とは言うのに、『お三階』とか『お地下』とは言わないのだろうか?『二階』だけ特別なのは、なぜ?」

というものでした。

なるほど、言われてみれば確かに。ということで、私なりに考えてみました。

そこで、ハタ!と膝を打ったのは、

「八百万の神」

です!つまり。古来、日本の家には、隅々まで神様がいたのです。だから、各スペースを敬って「お」を付けたのです。

「お風呂」「お台所」「お手洗い」「お便所」「お納戸」「おくどさん」

などなど。その流れで、「二階」も、

「お二階」

になったのではないでしょうか?しかし、当時の庶民の家に「三階」や「地下」がなかったから、それらには「お」が付かなかったのではないでしょうか?

さらに考えると、この「お」が付くのは、

「女房言葉」

ですよね。その「女房言葉」が使われた場所には「三階」「地下」が無かったとも考えられます。「モノ」が無いので、「言葉」もない。その後「モノ」はできたけれども、その頃には既に「お」が付かない形が定着していたので、「お」は付かないままなのではないでしょうかね?いかがでしょうか?

 

(2015、11、23)

2015年11月23日 18:24 | コメント (0)

新・ことば事情

5903「大量に発生した難民」

 

 

11月17日の「ミヤネ屋」の最初の原稿に、

「大量に発生している難民」

という文章が出て来ました。しかし、本番のナレーションでは、

「大勢の難民」

となっていました。これで正解です。

「大量(の)」

という表現・形容句は、

「大量の在庫を処分した」「大量のゴミが出た」「大量のハエが発生した」

のように、

「物」「虫(けら)」

などに対して使います。「難民」は、もちろん「人」ですから、「物」や「虫(けら)」に使う「大量」を使うのは、失礼に当たります。

まさに、このままの例文が、日本新聞協会の新聞用語懇談会放送分科会編の『放送で気になる言葉2011』の38ページに、

「人間に使う言葉ではない」

と載っています。

 

(2015、11、17)

2015年11月20日 11:38 | コメント (0)

新・ことば事情

5902「ホーム・グロウン・テロリスト」

 

11月17日の「ミヤネ屋」放送後、ADのN君から、

「きょう、フリップとスーパーで『・』が『2つ』と『1つ』の両方の表記があったんですが、どっちが正しいのでしょうか?」

と聞かれました。自分の国で育ったテロリスト、

「ホーム・グロウン・テロリスト」

のことです。これが上記のように「・」が「2つ」入っているものと、

「ホームグロウン・テロリスト」

という「・」が「1つ」のものと、どちらが正しいかと聞かれました。

『新聞用語集2007年版』の「外来語の書き方」の基本では「・」が入るのは、

「3語以上の複合語」

です。(「人名」は別)つまり、

「ケース・バイ・ケース」

「メード・イン・ジャパン」

のような場合です。「2語」の場合は、原則「・」は要りません。

「ウォーミングアップ」

「シンクロナイズドスイミング」

などは「2語」なので、「・」は要らないのですね。

今回の場合は「ホーム」「グロウン」「テロリスト」と「3語」なので、「・」を入れてよい。ということは「・」は「2つ」で、

「ホーム・グロウン・テロリスト」

となります。11月16日(きのう)の「読売新聞」では、その表記でした。(「ホーム・グロウン・テロリスト」)

ただ、「自国育ち=ホームグロウン」を「1語」と考えると、全体で「2語」なので、

「ホームグロウンテロリスト」

と、「・」は「なし」になってしまいます。まだそれほど、なじみのある外来語とも思えないので、これはわかりにくい、ということで、「・」を一つだけ入れて、

「ホームグロウン・テロリスト」

として「テロリスト」を目立たせる表記も「可」だと思います。

「ホーム・グロウン・テロリスト」=○

「ホームグロウン・テロリスト」 =△

というところでしょうか。

 

(2015、11、17)

2015年11月19日 19:37 | コメント (0)

新・ことば事情

5901「酒林・杉玉」

 

11月17日の朝日放送のお昼のニュースを見ていたら、「新酒」のニュースをしていました。そういう季節なのですね。その中で、

「新酒ができたことを知らせる、杉で作った・・・」

として、店の軒先につるされた大きく茶色い、

「杉玉」

の映像が映っていたので、当然、そのナレーションの先には、

「杉玉」

と出て来るかと思っていたら、女性アナウンサーが口にした言葉は、

「さかばやし」

でした。え?何それ?「杉玉」じゃないの?と思って辞書(「精選版日本国語大辞典」)を引いたところ、

「酒林」

というのが載っていました。

*「酒林」=杉の葉を束ねて、球状にし、軒先にかけて酒屋の看板としたもの。また、その店。奈良県三輪山麓鎮座の大神(おおみわ)神社の祭神のはたらきの一つは酒神で、杉を神木とすることによるという。酒箒(さかぼうき)。酒旗(さかばた)。

そうだったのか!

「酒箒(さかぼうき)」「酒旗(さかばた)」

とも言うのか!ちなみに、この辞書には「杉玉」は載っていませんでした。

他の辞書も引いてみました。『三省堂国語辞典』には、「酒林」は「空見出し」になっていて、

「→杉玉(「杉玉」を見よ)

となっています。「杉玉」を見ると、

*「杉玉」=造り酒屋の軒先につり下げる、スギの葉をたばねて球形に刈ったかざり。新酒ができると、新しいものに取りかえる。酒林(サカバヤシ)。

とありました。やっぱり「杉玉」とも言うんだな!良かった。

実は「杉玉」については、だいぶ前に書きかけてほったらかしになっていました。

それをここに記します。

 

*********************************

 

<2009年1月12日にメモをし、当時の番号は「平成ことば事情3598」でした>

杉で樽を作る。その枝で。大きな酒蔵は杉玉も大きい。いまは専門の職人さんが作る。造り酒屋の看板。オーストリア・ウィーンの「ホイリゲ」(居酒屋)にも同じようなものがぶら下がっていた!「さかばやし」とも。

 

*********************************

 

あれ?ちゃんと「さかばやし」ともと、書いてあったわ!忘れてるー!

更に今年(2015年)3月に、そのあとを、書き足しています。

 

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なんと「杉玉」の真ん中には、

「竹で編んだ球体(ボール)」

があって、そこに杉を挿し込んでいって作られているのだそう!

2015年3月11日放送の「かんさい情報ネットten.」の「街角トレジャー」のコーナーで、京都・下立売(しもだちうり)の「竹細工」のお店を取材していて、そこで作っている「竹で編んだボール」が、近所の「佐々木酒造」の「杉玉」になっていると。

ちなみに「佐々木酒造」は、俳優の佐々木蔵之介さんのご実家です。

このコーナーでリポートをしている漫才コンビの「ますだおかだ」の「ますださん」と、「佐々木蔵之介さん」は、元・会社(広告代理店の「大広」)の同僚。

 

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もうひとつ言うと、私の弟が以前、なぜかこのお二人とお酒を飲んだことがあるそうです。

「世の中、狭いなー」

という話でした。それにしても「酒林」って、

「酒池肉林」

に似てますね。似てない?「地(血)」沸き「肉」躍る?

そういえば、きょう、11月の第3木曜日は

「ボジョレ・ヌ-ボー」

の解禁日だあ!!

 

(2015、11、19)

2015年11月19日 12:35 | コメント (0)

新・ことば事情

5900「交際相手女性」

 

 

11月17日の「ミヤネ屋」で、ハリウッド俳優のチャーリー・シーンがHIVに感染していたというニュースを伝えました。その中で、彼と過去に交際していた女性が、

「危険極まりない、訴える!」

と言っているという内容があり、この女性のことを、最初、

「交際相手女性」

とスーパーで表現しているのを、事前チェックで見つけました。これは「重複感」があります。普通は、

「交際相手」

で十分でしょう。しかし、よく考えると、チャーリー・シーン(=男)の、

「交際相手が『女』」

とは限りません。ニュースのポイントも「HIV感染」ですし、もしかしたら、

「交際相手には『男』がいる」

可能性もあります。とすると「相手」が「男か女か」が分かりにくいので、この場合は、

「交際女性」

にしました。ナレーションは、

「交際相手の女性」

です。

 

(2015、11、17)

2015年11月18日 22:34 | コメント (0)

新・ことば事情

5899「HIV感染者とAIDS患者」

 

11月17日の「ミヤネ屋」放送前、ディレクターのI君から、ハリウッド俳優のチャーリー・シーンが「HIV感染」というニュースで、

「厚労省のデータでは、『HIV感染者』と『AIDS患者』が出て来るんですが、違いは?」

と聞かれました。「広義」では「AIDS(エイズ)患者」も「HIV感染者」ですが、この場合は、

*「HIVに感染しても、発症しない(まだ、していない)人」=「HIV感染者」

*「HIVに感染して、AIDSを発症した人」       =「AIDS患者」

という区分のようでした。(人数を、別々にカウントしていました)

 

(2015、11、17)

2015年11月18日 19:33 | コメント (0)

新・ことば事情

5898「アウン・サン・スー・チー氏」

 

 

ミャンマーの総選挙で勝利したNLDを率いる女性党首の名前の表記。11月12日の新聞各紙は、

*「アウン・サン・スー・チー氏」=読売・産経・日経

*「アウンサンスーチー氏」=朝日・毎日

と、「・」が「入る」か「入らない」かで、真っ二つに分かれました。

実は、ミャンマーでは、

「名字がない」

そうで、全部「名前」なんだそうです。

つまり、「アウン・サン・スー・チー」氏の場合は、

・「アウンサン」=父の名

・「スー」=祖母の名

・「チー」=母の名

なのだそうです。そうすると「自分の名前」は、どれなんだ??

思うに、「・」を入れない「朝日と毎日」は、「名字がない」というミャンマーの風習を尊重して、

「名字と名前を分けるための『・』は入れない」

ことにしているのでしょう。それに対して、「読売・産経・日経」は、

「欧米の名前のシステムに従って『・ 』を入れることで、名字と名前を分けている」

のではないか?つまり、

「英語の表記を、カタカナにした」

のではないでしょうか?

「平成ことば事情4711アウン・サン・スー・チー『氏』か?『さん』か?」も、お読みください

 

(2015、11、16)

2015年11月18日 13:32 | コメント (0)

新・ことば事情

5897「WADAの訳語」

 

 

ロシアの陸上選手たちが国ぐるみでドーピングしていた疑いが強いと指摘されている問題で、よく出て来る国際団体名、

「WADA」=World Anti-Doping Agency

の日本語訳が、バラバラです。日本テレビでは、

「世界反ドーピング機構」

という訳語を使っているので、読売テレビも、それに倣っています。

他局を見ると、

(NHK)  世界反ドーピング機構

(テレビ朝日)世界反ドーピング機関

(フジテレビ)世界反ドーピング機関

(TBS)  世界アンチドーピング機関

(テレビ東京)国際反ドーピング連盟

というように、

(1)「機構」か?「機関」か?「連盟」か?

(2)「反」か?「アンチ」か?

(3)「世界」か?「国際」か?

という3点で相違があります。

新聞はどうかというと、なんと「読売・朝日・毎日・産経・日経」に「共同通信」まで(つまり、地方紙は全て)全部、

「世界反ドーピング機関」

なのです。

(1) の「機構」か?「機関」か?「連盟」か?については、

Agency

の訳語をどうするかということですよね。「機関」というとよく出て来る、

「世界保健機関」=WHO

「世界貿易機関」=WTO

は、「機関」に当たる単語は、いずれも、

Organization

です。そこから考えると、「WADA」の場合はAgencyなので、「機関」にするのはちょっとなあ・・・という気もしますね。

それにしても、TBSはなんで「反」を「アンチ」と「英語そのまま」にしているのかな?と思い、もう少し調べて見ると、「文部科学省」のサイトに、

「世界アンチドーピング機構」

と書かれているではないですか!日本支部もあるようです。だから、「アンチ」をそのままにしたのかな?逆に、NHKと日本テレビが「機関」ではなく「機構」にしたのも、これ(文科省)に従ったのではないか?ただ、「アンチ」は日本語としては、こなれないし文字数も多くなるので、そこは「反」にしたのではないかな?という気がします。

 

読売新聞社のスタイルブックには、アルファベットの略語の日本語訳が載っているのですが、それによると、

「WADA」=「世界反ドーピング機関」

ですが、同じくAgencyが付く団体・組織の日本語訳は、

「CIA」=中央情報局(米)(Central Intelligence Agency

「DIA」=国防情報局(米)(Defence Intelligence Agency

「EPA」=環境保護局(米)(Environment Protection Agency

「ESA」=欧州宇宙機関(European Space Agency

「FEMA」=連邦緊急事態管理局(米)(Federal Emergency Management Agency

「IAEA」=国際原子力機関(国連)(International Atomic Energy Agency

「IEA」=国際エネルギー機関(International Energy Agency

「IPA」=情報処理推進機構(Information-technology Promotion Agency

「JADA」=日本アンチ・ドーピング機構(Japn Anti-doping Agency

「JAXA」=宇宙航空研究開発機構(Japan Aerospace Exploration Agency ・ジャクサ)

「JICA」=国際協力機構(Japan International Cooperation Agency

「JSAA」=日本スポーツ仲裁機構(Japan Sports Arbitration Agency

「JST」=科学技術振興機構(Japan Science and Technology Agency

「MIGA」=多国間投資保証機関(Multilateral Investment Guarantee Agency

「NEA」=(OECDの)原子力機関(Nuclear Energy Agency

「NSA」=国家安全保障局(米)(National Security Agency

「PMDA」=医薬品医療機器総合機構(Pharmaceutical Medical Devices Agency

「USAID」=米国際開発庁(United States Agency for International Development

「WAM」=福祉医療機構(Welfare And Medical Service Agency

と、「局」=5、「庁」=1、「機構」=8、「機関」=5で、「機構」のほうが多いですね。また、「局」と「庁」は全て「アメリカの政府の下部組織」でした。

こうやって見てくると、傾向としては、

*「連盟」「協会」=FederationAssociationConfederation

*「連合」=Union

*「委員会」=CommitteeCommissionBoard

*「評議会」「会議」=Council

*「機関」=Organization

*「機構」=OrganizationInstitute

*「○○局」=Agency Administration

のように思えます。

Organization」で「機構」と訳すものは、「ルパン三世」の「銭形警部」でおなじみの、

「ICPO」=国際刑事警察機構(International Criminal Police Organization・インターポール)

があるほか、

「ISO」=国際標準化機構(International Organization for Standardization

もおなじみ。そして、

「JARO」=日本広告審査機構(Japan Advertising Review Organization

「JETRO」=日本貿易振興機構・ジェトロ(Japan External Trade Organization

「JGTO」=日本ゴルフツアー機構(Japn Golf Tour Organization

「KEDO」=朝鮮半島エネルギー開発機構(Korean Peninsula Energy Development Organization

「NATO」=北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organization

「OAPEC」=アラブ石油輸出国機構(Organization of Arab Petroleum Exporting Countries

「OECD」=経済協力開発機構(Organization for Economic Cooperation and Development

「OPEC」=石油輸出国機構(Organization of Petroleum Exporting Countries

 

など、古くから知られた組織(団体)のように感じました。

そう言えば、「WHO」も昔は「世界保健機構」と言っていたと思うのに、いつの頃からか「世界保健機関」と「機関」に変わりました。いまだに「機構」と訳している団体は、結構古くから名を知られたものばかりの気がします。流れとしては、

「機構」→「機関」

なのではないでしょうか?特に「国連」の「機関」は、昔は「機構」と言っていたのが「機関」に変わったのではないか?それ以外の団体は変わらないので、「機関」と「機構」が混在してしまっているのではないでしょうか?

また、「読売スタイルブック2014」では、日本の組織「JADA」を、

「日本アンチ・ドーピング機構」

として、「アンチ」を採用しています。「WADA」は「反」なのに。なぜでしょうねえ???

 

(2015、11、16)

2015年11月18日 02:31 | コメント (0)

新・読書日記 2015_162

『日本戦後史論』(内田樹&白井聡、徳間書店:2015、2、28第1刷・2015、3、20第4刷)

 

 

ベテランの論客・内田樹と、新進気鋭の論客・白井聡の対談集。あまり意見の相違はないので、方向性は同じなんだけど、親子ほど年が離れているので、世代間での捉え方の違いのようなものが少し感じられた。

白井の「永続敗戦レジーム」は、読んだが、難しかった。しかし、この対談集を読んで、少し理解が進んだ気がした。白井が「永続敗戦論」を書くきっかけになったのは「東日本大震災」。その以前から、この国にはずいぶんおかしなところがあるとは思っていたが、こんなにスカスカだったとは・・・と思い、その原因を突き詰めていくと「エリート層の劣化」に行き着く。そしてその原因は結局「いい加減な敗戦処理」にたどり着くという。

また、二人は、「右傾化と金儲けの親和性」についても述べている。これは「なるほど、たしかに」と思われる部分が多い。これまでも言われていることだけど。また、内田の発言、

「民主主義というシステムは意思決定に時間がかかるんですよね。それが経済活動においては障害になる。だから、すべての社会制度から民主制の残滓を一掃したいというのがグローバリストの夢なんです。でも、デモクラシーというのは原理的に物事の決定を遅らせるためのシステムであって、てきぱきと最適解を出す仕組みじゃない。意思決定が遅いので、民主主義体制では国が亡びるときも緩慢にしか滅びない。逆に独裁システムは急成長する代わりに、一夜にして滅びる。そういうものなんです。原理的にどちらがいい悪いということはない。」(59ページ)

ここまではそうだと思うのですが、続きには、ちょっと異論が。

「でも、国のかたちとしてどちらが望ましいかというと、ゆっくりとしか『いいこと』が起きない代わりに、『悪いこと』もゆっくりとしか起こらないというのは、その国の中で生き死にする生活者としてはより『まし』だと思うんです。」

これは前提条件が、遅かれ早かれ「滅びる」になってしまっているところが後ろ向きだと思います。ちょっとおかしい。これだと結局、今までのような「先送り」にしてしまうのではないか。それがダメということで、今いろいろやっているのに。急進的にやるのは、私もダメだと思いますが、ちょっとここは違うなあ。そのほか、

*(内田)「デマってその人の無意識の欲望ですからね」(224ページ)

*(白井)「永続敗戦レジームの内部では、いわば微温的に、穏当に、敗戦の否認ができた。(中略)このような微温的な敗戦の否認の世界に自足していることはできなくなった。そこから生み出されるものがもちろん歴史修正主義です。最近のトピックスでその欲望がいちばん強く出たのは、慰安婦問題報道をめぐる朝日新聞叩きでしょう。(中略)歴史についてきちんと認識するとか、反省するということ自体が日本人の誇りを傷つけることなんだという、果てしない拡大解釈が起きている。(中略)そして、こんな主張をまかり通らせれば、国際的孤立、破滅的事態に進んでいくことになる。自己破壊衝動ですね。」(226ページ)

*(内田)「時間が経てば、必ず隠蔽された歴史的事実は暴露されるんです。このことに例外はない。隠蔽された真実は『膿む』からです。ツルッとした表層の下で、ずっと傷口から血膿が流れ続けているから、隠蔽物の隙間から悪臭が発してきて、ある日、皮膚を破って『恐ろしいもの』が露出してくる。今、フランスであれだけ移民の問題や貧富格差の問題や極右の進出が起きているのも、元を辿ればフランスなりの『敗戦の否認』の帰結なんです。」(228ページ)

このあたりは「文学者」の比喩表現だなあ。

*(内田)「今でもヴィシーのことはフランスではタブーでしょう」(230ページ)

*(内田)「『自由・平等・博愛』ではなく、ヴィシーが掲げた『労働・家族・祖国』はそのまま今の極右のスローガンですから。」(233ページ)

第二次世界大戦でパリ陥落後、ナチス・ドイツ下で成立したヴィシー政権(1940~1944年)は、フランス人にとっては、未だに「恥」だと。フランスは一度「ナチス・ドイツ」に敗れている(パリ陥落)ので、他のイギリスやアメリカのような連合国側の国とは、立脚点が違うと。それなのに、「最初から戦勝国」の殻をかぶって「敗戦を否認」しているので、その内側が膿んで来ると。その「膿」が、現在の移民の問題などにつながっているという主張です。たしかに「一度、敗れている」のは知識としては知っていましたが、そういうふうに考えたことはなかったなあ。

今回、ちょうどこの本を読んでいるときに思い出したのは、少し前に、

「日本は、第二次世界大戦(日中戦争)の敗戦国として、70年経っても、国交回復したはずの中国や韓国にいまだに色々と文句を言われるのに、同じ第二次世界大戦の敗戦国のドイツは、なぜ特に何も言われないのか?」

という質問を受けたことでした。たしかに。どこが違うのか?考えました。

日本とドイツの違い。それはやはり、

「天皇制が残ったこと」

でしょう。ドイツは、死んだ「ヒットラー」と「ナチス」に全ての責任を(ある意味)押し付けました。そして国民・国土も、1990年まで45年間、東西に分断されるという「敗戦の責任」を取らされたのです(東ドイツ・西ドイツ)。

日本は、国土も分断されなかった(沖縄は取られたが、1972年に返還。しかし"基地"の土地は、引き続きを提供することにはなったのは、皆さんご存じのとおり)し、「天皇制」(=国体)も希望通り残った。これは戦勝国・アメリカ側も、戦後の日本の混乱や共産化を防ぐために「国体護持(天皇制の維持)」を認めたということもある。このことが、中国や韓国側から見ると「日本は、戦争責任をあいまいにした」ように感じるのではないでしょうか。白井の言う「永続敗戦レジーム」「いい加減な敗戦処理」とは、間違いなく、

「天皇制と、それにまつわる諸々の事情や感情」

を指していると感じました。

本は、字が大きいので読みやすかったです。色々と考えるきっかけを与えてくれる対談本でした。

 


star4

(2015、10、21読了)

2015年11月17日 21:20 | コメント (0)

新・読書日記 2015_161

『小説 新聞社販売局』(幸田泉、講談社:2015、9、8第1刷・2015、10、5第2刷)

 

全国紙の大阪本社。その編集部の記者だった男が、局長の怒りに触れ、希望していない販売局に飛ばされ、さらにそこから、普通は記者だった人がやらない「販売員」という仕事をする。望まない仕事ながら一生懸命やって行くうちに、いろいろな裏側が見えて来て、「復讐」を遂げていく。前半は「小説」というよりも、新聞社の販売店の現状などを裏側から描いた「実録もの」のような感じ。著者は、まさにこの小説の主人公のように、新聞社に入社して記者をやってから販売局に異動して、2014年に退社しているし。後半でようやく「小説」になっていく。「ドキュメント」プラス「池井戸潤(半沢直樹)」のような感じか。「改廃」「現読」「残紙」「押し紙」「即止め」「無読層」など、ふだんあまり耳にしない「専門用語」が飛び交う。

実は、ここで出て来た局長の不倫相手の名前(名字)が「中里(沙織)」。そして、この小説を読み終わってすぐ読み始めた、池井戸潤の新作『下町ロケット2』(現在、読んでいます!)に出て来た、佃製作所の中で不満を募らせる社員も、名字が「中里」!なんで?そんなによく出て来る名字じゃないのに。著者は1989年入社と書いてあったので、私より4~5歳年下の「49~50歳」ぐらい。池井戸潤は1963年生まれだから「52歳」。ほぼ同世代だ。50歳前後の人にとって「中里」って、なんか共通のものがあるのかな?と思ってしまった。私も同世代だが、特に思い当らない。偶然の一致?全然、関係ない話ですが。

 

 


star4

(2015、11、8読了)

2015年11月17日 11:19 | コメント (0)

新・読書日記 2015_160

『神の雫44』(作・亜樹直、画・オキモトシュウ、講談社:2014、7、23第1刷)

 

 

最近「神の雫」の漫画の単行本、出ていないなあと思って、いつも見つけたら買って来てくれる息子(高3。代金は私が払う)に聞いたら、「去年、もう終わったやん」。え?もう終わったん?完全に忘れてました。調べたら去年の7月に「最終巻=第44巻」が出ていました。家にちゃんとあった。

ということで、読み直してみました。うーん、面白かった。でも続きも読みたいなあ。

と思っていたら、なんだか、同じ出演者で違うタイトルでの漫画が始まっているみたい。

調べて見ると、タイトルは「マリアージュ~神の雫 最終章~」だそうです。10月23日に単行本第1巻が出ているようです。

また、原作の「亜樹直(あぎただし)」さん、実は、「姉弟の共同ペンネーム」なんだそうです!全然知らなかった!

 

 


star4

(2015、11、7読了)

2015年11月16日 21:17 | コメント (0)

新・ことば事情

5896「マッチポンプ」

 

 

大阪で、自分で放火した建物の消火に当たり、感謝状をもらっていた消防団員に対する裁判が11月12日に開かれ、「懲役3年・執行猶予5年(保護観察付き)」という判決が出ました。ストレスがたまってムシャクシャして火を付けたというのですが、情状酌量の余地はないと思います。

それより、自分で火を付けて自分で消して感謝状。これって、まさに、

「マッチポンプ」

という言葉がぴったりではないですか。

最近、あまり聞かなくなった言葉だなあ・・・と思いながら、このニュースを見ていました。

 

(2015、11、12)

2015年11月16日 17:16 | コメント (0)

新・読書日記 2015_159

『騙されてたまるか~調査報道の裏側』(清水潔、新潮新書:2015、7、20)

 

 

元・写真週刊誌「FOCUS」の記者で、その後、日本テレビの記者となった著者は、一貫して「現場に足を運ぶ」ことを取材の基本として、きっちりとその姿勢を貫いている。その中から救い上げた「現場の小さな声」の中に潜む"真実"のかけらを、丁寧に・丹念に調べていくと、警察発表や裁判所の判断、他社が報じた"事実"に「齟齬」が生じる。過去にいくつもそういった経験をしてきた。それが実を結んで、真犯人の特定や(桶川事件)、再審無罪を勝ち取ること(足利事件)につながって来た。その体験をまとめたもの。足利事件に関しての経緯は、以前、同じ著者の『殺人犯はそこにいる』で読んだ気がした。

しかし、なかなかこういった取材(調査報道)を毎日のようにできないまま過ごしてしまう私たちにとって、座右の一冊として、忘れないようにしたいものである。

 

 


star4

(2015、11、4読了)

2015年11月12日 17:34 | コメント (0)

新・ことば事情

5895「なぜダマはタマじゃないのか?」

 

 

「ミヤネ屋」の「愛のスパルタ料理塾」のレシピの文言チェックをしていたら、こんな気になる一文が。

「豚ミンチを押さえながら炒めると、ミンチがダマにならない」

この中の、

「ダマ」

に注目です。これは「塊・固まり」の意味ですよね。つまり、本来なら、

「タマ」

と濁りませんよね?「かたまり」の真ん中の「たま」が語源かもしれません。

これが「ダ」と濁るのはなぜなのか?考えてみました。というか思いつきですが。

濁る原因の一つとして考えられるのは、

「連濁」

です。つまり「タマ」の前に、何らかの言葉が付いたことによって、

「とんぼだま」「あめだま」「鉄砲だま」

のように濁るケースですね。この「ダマ」も、元は何かが頭について

「○○ダマ」

となった後に、その「○○」が省略されて、「ダマ」だけが残ったのではないでしょうか?

もし、そうだとすると、元の「○○」は何か?

と、ここまで考えてから辞書を引きました。『精選版日本国語大辞典』。

*「だま」=(1)米・麦などをたいた飯の中に、半煮えなどでかたまりとして残っているもの。(2)小麦粉を水などで溶いた時、なめらかにならずにできるかたまり。(3)(略)。

たぶん、私達がふだん目にする「だま」は(2)のほうですが、言葉の起源としては(1)のほうが古いのでしょうね。そうするともとは、

「米粉だま」「麦粉だま」

だったのではないでしょうか?と想像しました。

 

(2015、11、10)

2015年11月12日 11:12 | コメント (0)

新・ことば事情

5894「濃口か濃い口か?」

 

「ミヤネ屋」の「愛のスパルタ料理塾」のコーナーのレシピは、「ミヤネ屋」のホームページに掲載されていますが、その「文字チェック」も私の仕事の一つです。その際に、

「濃口しょう油」

という表現が出て来て、ハタと手が止まりました。表記に関して、まず「濃口」か「濃い口」か?という問題、次に「しょうゆ」か「しょう油」か「醤油(しょうゆ)」かという問題です。

『新聞用語集2007年版』と『読売スタイルブック2014』には、「濃口」か「濃い口」かは載っていません。「しょうゆ」「しょう油」「醤油(しょうゆ)」に関しては、共に「平仮名」で、

「しょうゆ」

と載っていました。グーグル検索では(11月10日)

「濃口しょうゆ」 =11万9000件

「濃い口しょうゆ」= 2万8200件

「濃口醤油」   =37万2000件

「濃い口醤油」  = 8万3100件

「濃口しょう油」 =   7430件

「濃い口しょう油」=   3400件

で、「濃口」「濃い口」については「濃口」が、「しょうゆ」「しょう油」「醤油」については「醤油」が一番多いですね。その結果「送り仮名なし」で全部「漢字」の「濃口醤油」が圧倒的です。

しかし!「愛のスパルタ料理塾」では、

「濃口しょうゆ」

を採用しました!♪それでも~濃いは~濃~い~、しょうゆうことで。

2015、11、10)

2015年11月11日 22:11 | コメント (0)

新・ことば事情

5893「土下座」

 

皆さんは、

「土下座」

とは、どのような「動作」であると説明しますか?

『広辞苑』(第6版)を引くと、

「相手に恭順の意を表するため、地上に跪(ひざまず)いて礼をすること。」

とあります。『三省堂国語辞典』(第7版)を引くと、

「地上にひざまずいて、深く、おじぎをすること」
とあります。何が言いたいかというと、

「『土下座』は『土』という字が入っているから、『地面』(=家の外)で行うものであり、畳の上や屋内・室内など土足では入らない場所の際は『土下座』とは言わない」

という意見があるのですが、本当にそうなのか?という問題です。

『広辞苑』も『三省堂国語辞典』も、

「地上に」

という風に「場所」を示しています。『三国』「地上」を引くと、

「地面の上」

とあります。『広辞苑』「地上」を引くと、

「(1)地面のうえ (2)この世。現世」

とあります。ともに「地面」ですから、まあ「外」でしょうね。「畳の上での土下座」は認めない立場と考えていいのではないでしょうか?

他の辞書はどうか?手許にある辞書を引いてみましょう。

*『新明解国語辞典』(第7版)

「ひざまずき地面に頭をつけるようにして礼をすること。(昔は貴人に対する拝礼として行なわれた。現在は陳謝・懇願の印として行われることがある)

*『岩波国語辞典』(第7版)

「ひれ伏して、地面に頭を着けて行う例。▽昔、貴人の通行時に行い、今も重大過失をわびる時などにこの形をとることがある。」

*『新潮現代国語辞典』(第2版)

「(1)昔、貴人に対して地面にひざまずいてした例。(2)両手をついて頭をさげること。」

*『明鏡国語辞典』

「謝罪の気持ちなどを表すために、地面や床の上にひざまずいて深く頭をさげること。」

*『デジタル大辞泉』

「(1)昔、貴人の通行の際に、ひざまずいて額を低く地面にすりつけて礼をしたこと。(2)申し訳ないという気持ちを表すために、地面や床にひざまずいて謝ること。」

*『精選版日本国語大辞典』

「(1)大名や貴人などが通行する際、一般の人が路上にひざまずいて平伏すること。(2)地面や床にひざまずいて謝罪の気持を表すこと。」

ということで、そもそも「土下座」は、

「昔の大名行列などに対する『土下座』はもちろん、地面に頭(額)を着けて平伏する形」

だったのですが、現在、行われているのは、それとほぼ同じ形で、

「謝罪や懇願の気持ちを込めて、地面や床に頭をすりつけ平伏すること」

のようです。大きな辞書では、意味をこの2つに分けていますが、中型の辞書では意味は1つだけ。そこに「地面」だけでなく「床」と入れるかどうか、という問題ですね。

うーん、入れたほうがいいんじゃないでしょうかね?そう感じました。

その後、過去の新聞用語懇談会の記録を見ていたら、2006年11月に松山市内で開かれた合同総会の席で、この話題が出ていました。それによると、TBSの委員から、

「自殺した子どもの家に行った教育長や校長などが、畳の部屋で『土下座』したという表現を使った社があったが、本来の『土下座』は、地べたにひれ伏し恭順の意を示すことにある。どの程度なら『土下座』という表現を使ってもよいか?」

という質問が出て、

「相手と土下座をする人との位置関係で、相手の方が(物理的に)上にいる必要があり、畳の上では土下座したことにはならないのではないか」

「基本的には、『土足でいる場所』で、ひれ伏して頭を地面(床)につけるのが土下座である」

などの意見が出たとのことでした。すっかり忘れていました。

 

(2015、11、11)

2015年11月11日 19:10 | コメント (0)

新・読書日記 2015_158

『あぶない一神教』(橋爪大三郎、佐藤優、小学館新書:2015、10、6)

 

現代日本で一番の博覧強記の論客は、この佐藤優だと思う。その佐藤と、碩学・橋爪大三郎の対談のテーマは「宗教」。まさに佐藤の一番得意な分野である。(同志社の神学部を出てますからね。)

表紙カバーには、

「なぜ日本は世界で孤立するのか?キリスト教徒23億人。イスラム教徒16億人。彼らのルールを知れば すべてわかる」

「世界の『混迷』を解き明かす最強の入門書」

とある。日本人も少しはイスラム教のことを知らないと、危ない時代である。少しかじってみた。抜粋してみる。

 

*(佐藤)「いま私が懸念しているのが、『イスラム国』が権威的な普遍主義による支配を目指しているということです。力によって実現しようとする普遍主義は、グローバリゼーションや新自由主義と同様、それ以外の文化圏の宗教、思想、芸術などとの軋轢をもたらします。ところが人類には一定の数、普遍的で単一の権威で支配された方がいいと考える人たちが存在する。すでにはじまっているのは、そんな人々との戦いなのです。」(77ページ)

*(橋爪)「近代化に直面したとき、キリスト教社会では何が起きたか。ヨーロッパではナショナリズムが生まれました。(中略)教会の都合とは別に、現実政治のロジックで動くことができるキリスト教社会だから起こりえたことです。これがイスラム世界には起こらない。あるいは起こりにくいのです。」(83ページ)

*(佐藤)「キリスト教が唯一神教でないのは確かです。父、神の子イエス、そして聖霊という三つの現れ方をする。一神教のルールブックがあのなら、反則技です。」(197ページ)

*(橋爪)「生産設備でない教会の建物は、完全な消費(浪費)にあたる。貯蓄できずに経済余剰がすべて消費されるので、拡大再生産ができない。経済発展が全くできない社会です。」

(佐藤)「貯蓄の習慣がないから、みんな気前よくおごる。あとはお祭りで一気に金を使う。中南米がそうです。ブラジルは世界でもっともカトリックの人口が多い国ですから、日常的に大変な消費をする。」(216ページ)

*(佐藤)「ラマダン月の日没後にはじめて食べる食事をイフタールといいます。あれは豪勢です。実はラマダン月は断食しているはずなのに食料消費が倍近くになるんですよ。」(218ページ)

*(佐藤)「(カトリックでは)労働は男の罰で、女の罰は出産です。いずれにしろ労働はだという考えは、キリスト教の根っこにある。」

(橋爪)「労働は罰なので、労働しないほうが偉いことになる。罪深い人間だけが働けばよいという、身分制につながる。」

(佐藤)「労働価値説は、労働量を数値化しなければ出てこない考え方です。そして、労働の数値として計るには、貨幣経済と賃労働が成立していなければなりません。」(222ページ)

(橋爪)「貨幣経済と所有権の絶対は、市場経済の成立には不可欠です。」(223ページ)

(橋爪)「ここで重要なのは、キリスト教ははじめ、利潤追求の資本主義をつくる予定では全然なかったこと。むしろその反対だった。ところが、キリスト教のなかにある要素を順番につなげてステップを踏んでいくと、いつの間にか予定にない、資本主義がうまれてしまった。」(228ページ)

*(橋爪)「最悪なのは国家と資本主義が二人三脚になること。国家と経済は、しっかり分かれているべきなのです。」

(佐藤)「国家と経済が一体となると、政治とビジネス両方に手を出す人間が、絶大な権力を手に入れますからね。」

(橋爪)「スターリン主義がそうです。それからナチス。そしていまの中国と、日本も入れてもいいかもしれない。」(235ページ)

(佐藤)「日本でいえば一九四○年体制がまさにそうでした。」

(橋爪)「国は税金を取り、軍を持っています。それと資本主義経済が一体化したら、戦争に突き進む危険性が一気に高まる。国家と資本主義はぜったいに分離しないといけない。」

(佐藤)「私は安倍政権の問題は、そこだと思っているんです。」(236ページ)

*(橋爪)「国民が理性的な物語を共有できなくなったとき、政治エリートの暴走が始まるのです。」(263-264ページ)

*(佐藤)「大陸から隔絶された島国で暮らす日本人にとって、いま何が足りないのか。目に見えない知を論理的に突き詰めて、超越的な世界を知ろうとする態度――つまり一神教に対する理解だと思うのです。」(266ページ)

 

政治家に読んでほしい本です。

 


star4

(2015、10、17読了)

2015年11月11日 18:32 | コメント (0)

新・ことば事情

5892「女性ごころをくすぐる」

 

9月1日の「かんさい情報ネットten.」を見ていたら、

「女性ごころをくすぐる」

というナレーションが出て来て、おや?っと思いました。

これは従来は、

「女ごころをくすぐる」

だったのではないでしょうか?スタジオのマルチ画面には、

「女性"の"心をくすぐる」

と「の」が入っていました。これなら違和感はありません。しかし、

「女性ごころ」

と「性」が入った言葉は、耳慣れません。

「女ごころ」あるいは「女性のこころ」

を使うべきだと思いました。

グーグル検索では(11月5日)、

「女ごころをくすぐる」   =   4200件

「女心をくすぐる」     =34万1000件

「女性ごころをくすぐる」  =   1520件

「女性心をくすぐる」    = 8万9400件

「女性のこころをくすぐる」=   2140件

「女性の心をくすぐる」  =15万3000件

でした。結構、「女性心をくすぐる」も使われているのですね。

「女心:女性心」=「4:1」

ぐらいの割合ですね。

 

(2015、11、5)

2015年11月11日 15:04 | コメント (0)

新・ことば事情

5891「女史」

 

『ニッポン語の散歩』(石黒修、角川新書)という、今から52年前に出た本を読んでいたら、男女の関連の言葉として、

「女史」

の扱いに関して、こんな記述がありました。

 

「昔シナで記録のことを扱い、日本でも文書を扱った女官を『女史』といったが、これを知名の女性に対する敬称として、さらに愛称、蔑称にも使うようになり、うっかり用いると、ごきげんを損ずることもできてきて、近ごろは『女史』は敬遠されがちになった。」(206ページ)

 

もう半世紀前から、「女史」という言葉の価値は低減していたんですね!もう「死語」だなあ。それと「シナ」という表記(言葉)は、半世紀前(戦後ですが)はOKだったんですね。

さらに続けて、

 

「このごろは未婚の女性にはミスにならって、『嬢』も用いられるが、『嬢』はもと良家の娘という意味である。」

 

そうでしたか。勉強になりました。

著者の「石黒修」さんという人は、明治32年(1899年)生まれで、法政大学や東京教育大学、東北大学などで講師をした言葉の専門家(言語学)だそうで、昭和55年(1980年)に亡くなっています。

こういう古い本を読むと、タイムマシンに乗って過去にさかのぼったような気がして、とても楽しかったです。

でも、50年前から、読み方やカタカナ語(外来語)の扱い、漢字の扱いに悩んでいる様子が分かって、

「なんだ、今も昔も、全然変わってないじゃないか」

と感じました。

 

ついでに、いつも読んでいる『ビッグコミックオリジナル』(小学館、2015年11月20日号)に連載されている『フイチン再見(ツァイチェン)~漫画の青い青い春~』(村上もとか)という漫画(第59話)で、主人公の漫画家・上田としこが、こんなセリフをしゃべっています。

「女流漫画家って言われるのも嫌い。だって男流なんて言葉はないでしょう。わたしは男でも女でもなく...ひとりのプロの漫画家として、日本中に漫画の素晴らしさを伝えたいの。」

場面は、昭和31年(1956年)の東京です。「上田トシコ」さんは、実在の漫画家(1917年~2008年)です。この漫画も、かなり史実に基づいて書かれていると思いますので、昭和31年ごろに上田さんは「女流」という言葉に対して、こういう気持ちを持っていたのではないでしょうか。

 

(2015、11、10)

2015年11月11日 11:44 | コメント (0)

新・ことば事情

5890「出馬」

 

2007年9月16日に書きかけました>

 

総裁選のニュースで、

「出馬」

という言葉を聞いた、(当時)小学4年生の息子が

「なぜ選挙に出るのに『馬』って言うの?」

と質問して来ました。

うっ。難しい質問してきやがって・・・。

 

 

・・・・・と、ここまで書いて8年が経ちました。質問をした息子は、もう現在は高校3年生です。この話も忘れかけていたのですが、先日、『「空間」から読み解く世界史~馬・航海・資本・電子』(宮﨑正勝、新潮社)という本を読んでいたら、

「『馬』は昔は、軍用(軍馬)として重要だった」

というような記述がありました。それを見て、ハッとしました!

 

「『馬』は、そもそも『軍事用』だったのか!だから、

「戦いに出る」=「馬に乗って戦いに出る」=「出馬」

なのか!『競馬』じゃなかったんだ!」

 

と思ったのです。8年越しで解決したその答えを息子に話しても、反応は、

「ふーん」

でした。

 

(2015、11、6)

2015年11月10日 18:42 | コメント (0)

新・読書日記 2015_157

『ニッポン語の散歩』(石黒修、角川新書:1963、10、10)

 

 

だいぶ前に「古本市」で買った本。読みかけたままになっていたが、なんとなく読み通してみたくなって読みました。本は、昭和38年(1963年)10月10日に出たもの。つまり52年前の本。当時の「ことば事情」がわかる。

この石黒修という人は、明治32年(1899年)生まれ。法政大学や東京教育大学、東北大学などで講師をした言葉の専門家(言語学)。昭和55年(1980年)に亡くなっているようだ。

こういう古い本を読むと、タイムマシンに乗って過去にさかのぼったような気がして、楽しい。73編の言葉のコラムのトップバッター、「まえがきにかえて」のテーマは「ニホンとニッポン」。まさに、古くて新しいテーマですねえ。この本のタイトルも、普通だと「ニホン語」なのに、なぜか「ニッポン語」。なぜなんでしょうかねえ。

それにしても、50年前から読み方やカタカナ語(外来語)の扱い、漢字の扱いに悩んでいる様子が分かって、

「なんだ、今も昔も、全然変わってないじゃないか」

と知ることができた。

男女の関連の言葉として、「女史」の扱いに関してこんな記述があったので記しておく。

「昔シナで記録のことを扱い、日本でも文書を扱った女官を『女史』といったが、これを知名の女性に対する敬称として、さらに愛称、蔑称にも使うようになり、うっかり用いると、ごきげんを損ずることもできてきて、近ごろは『女史』は敬遠されがちになった。」(206ページ)

もう半世紀前から、「女史」という言葉の価値は低減していたのか!また、「シナ」という表記(言葉)は、半世紀前(戦後ですが)はOKだったのか。さらに続けて、

「このごろは未婚の女性にはミスにならって、『嬢』も用いられるが、『嬢』はもと良家の娘という意味である。」

そうでしたか。勉強になりました。

 


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(2015、10、18読了)

2015年11月10日 11:22 | コメント (0)

新・ことば事情

5889「『ん』で始まる言葉」

 

 

いま、これまで出席した「新聞用語懇談会」の「合同総会」での討議事項を「あいうえお順」にまとめる作業をしています。17年分もあるので、大変な作業ですが・・・。

その中で、「2000年6月」に「青森市」で行われた合同総会のメモの中に、こんな文章が出て来ました。

 

『青森は、18年前に青函連絡船に乗る為、駅から船までの間だけ足を踏み入れた事がありましたが、本格的に町を見るのは今回が初めて。いろいろ面白い言葉を収集しました。

まず、お米屋さんに貼ってあったポスター。ご飯を食べている子が一言感想を言っている図柄なんですが、その一言が「んめっ!」。「うまい」という意味でしょう。ちなみに「そうだ」という意味の言葉は「んだ」と、「ん」で始まる言葉が青森にはたくさんありそうです。』

 

やはり、青森は「ん」から始まる言葉が多かったんだ!以前、青森出身の虎谷アナウンサーと話して、そういう話題になったことがありました。随分前だけど。いつだっけ?

 

あった、あった!「平成ことば事情1027『んんん』」の「追記3」で、こんな感じで書いていました。

****************************************

『大辞林』の第三版が出ました。アナウンス部で購入しました。「ん」の項目の「最後の言葉」は何かなあ、と思って引こうと思った瞬間、新人の虎谷(とらや)温子アナウンサーが「何をしてるんですか?」とやってきたので、

「この辞書の『ん』の最後の言葉は何だと思う?」

と聞いてみたら、驚いたことに即答で、

「『んどぅば』でしょ!」

と言ったのでビックリしました。あ、そうか、虎谷アナウンサーは青森出身だったから、青森弁かな?と思って、

「青森弁は載ってないでしょ。」

と言うと、

「違いますよ!これは筑波で、みんな言ってたんです。」

あ、そうか虎谷アナウンサーは筑波大学出身だったので、茨城弁かな?なんだかアフリカの言葉のような感じですね。

そうそう、『大辞林』第三版の「ん」の項の最後の言葉は、

「んぼう」

でした。

 

なんとこれを書いたのは、「2006年11月6日」。もう、ちょうど9年前の話かあ。懐かしい。「15年前の話」に「9年前の話」を合わせて、ここに残しておきます。

 

(2015、11、9)

2015年11月 9日 21:19 | コメント (0)

新・ことば事情

5888「T字戦法」

 

 

「T字路」

という言葉がありますね。アルファベットの「T」のように交わっている「三差路」ですね。これを昔は、

「丁字路」

と呼んだ。よく似ていますが違います。「T」ではなく「丁(てい)」。「1丁目、2丁目」の「丁」です。字形で呼ぶのですから。それはあり得ますね。

過去に「平成ことば事情269丁字路」「平成ことば事情3500本当にT字路?」にも書きました。

また、直木賞作家の佐々木譲さんの最新作『犬の掟』(新潮社:2015、9、20)にも、アルファベットの「T字路」のほうが出て来ました。

「いまのT字路で右折するか」(3ページ)

「T字路である」(42ページ)

「出てすぐのT字路を右折して」(70ページ)

「松本はそのT字の交差点で車を右折させた。」(256ページ)

「T字路の街頭の灯りの下に」(227ページ)

 

昔は「丁」で、最近は「T」というのはわかる気がするのですが、そこで疑問が。

「日露戦争」(1904年~1905年)で、東郷元帥が、ロシアのバルチック艦隊に対して取った、

「T字戦法」

という戦法ありますが、これはアルファベットの「T」ですよね、漢字の「丁」ではなく。100年以上前にアルファベットの「T」を使っていたのは、やはり「海軍」だからでしょうか?という疑問が出て来たのです。

どう思われますか?

グーグル検索では(11月5日)、

「T字路」=45万1000件

「丁字路」=45万1000件

全く同じ。つまりこの2つは区別されていないのか?

そして、「T字戦法」を検索したら・・・なんと

「丁字(ていじ)戦法」

が、ウィキペディアで出て来たのです。そうするとやはり、100年前は「ていじ」だったのか。「T字戦法」とも言うようですが。

それはさておき、新聞用語懇談会でも何度かこれについては討議されました。その記録をここに残しておきます。

「丁字路・T字路」=2002年4月&2012年9月&2014年9月

*【2002年4月】

「丁字路」=「ていじろ」が本来。しかし最近はローマ字の「T字路(ティーじろ)」になっている。まあ、仕方ないか。辞書にも採用されるようになってきているし。

*【2012年9月】

「丁字路」「T字路」の使い分け(報告)、JNNでは「T字路」の表記・読みとも許容する事にしました。(毎日放送)

NHKと共同通信は今も「丁」。NHKが「丁」と決めたのは1977年。当時も混在していたので「丁」に統一したが、すでにそれから35年がたっている。その他各社は「T」を、既に容認。

*【2014年9月】

FNS系列では「○丁字路(テージロ)、×T字路(ティージロ)」と定めていたが、報道が「警視庁交通総務課&広報課」に確認したところ、警察内・マスコミ広報でも「T(ティー)字路」と呼んでいる現状。そこで報道としては主に事故原稿で使用する際に、今後FNNとしては(「丁字路」ではなく)「T字路」を使用することになりました。各局の状況を教えて頂きたいです。(フジテレビ)

→(NHK)ハンドブックでもどちらを使っても良いことになっている。

(日本テレビ)両方出て来る。去年、クイズ番組に「丁字路」の読み方について問うものがあり、最初は「テイ」のみ○で「ティー」は×としていたが、番組監修の『明鏡国語辞典』 編纂者で筑波大学名誉教授の北原保雄先生に伺ったところ、「両方OK」とのことだったので、「T(ティー)字路とも」と表現をやわらげた。

(テレビ朝日)「T」もOK。「T」が圧倒的に使われている。「てい」と読むと「ティー」がハッキリ発音できないのか?と思われる。「三差路」は「Y字路」と言うことも。

(テレビ東京)統一していない。両方OK.

(共同通信)新聞原稿では「丁」を使う。放送原稿にルビを振っていないが、もしルビを振るなら「てい」。

(朝日放送)統一していないが、「丁」の出稿はない。

(関西テレビ)「丁」も「T」も「てい」と読んでいる。

(読売テレビ)特に決めていない。しかし、片方の道路が中央分離帯のある広い道路の場合は、「T」ではなく「〒」ではないか?と問題になったことはあった。

(テレビ大阪)50代のアナウンサーは「てい」と読み、30代・20代は「ティー」と読んでいる。以前アナウンサー試験で「丁字路」と問題を出したら「チョージロ」と読んだ受験者がいた。

(読売新聞)「丁」も「T」も形から来ているので、どちらかが絶対正しい、ということではないだろう。「三差路」と「Y字路」は同じぐらいの頻度で出て来る。

(TBS)2年前に「丁(てい)字路」に加え「T(ティー)字路」もOKと下。道路交通法では「丁(てい)字路」。

(毎日放送)以前、「丁字路」を「てい」と読んだら視聴者から「ティーではないのか?」と問い合わせが来たので調べてみたら「自動車学校(教習所)」=「T(ティー)」、「安全教本」も「T(ティー)」だった。「Vターン」「Y字路」などもあるので、アルファベットを使うのは問題ないのではないか。

 

いずれにせよ、「丁字路」を「ちょうじろ」と読んではダメですね。

 

(2015、11、5)

2015年11月 9日 10:45 | コメント (0)

新・ことば事情

5887「『立たず』のアクセント」

 

 

「立たず」

という否定の「ず」を使った言葉は、「文語」です。

これが現代語の中でも少し改まった「書き言葉」の中に残りました。放送でのニュース原稿などは、その典型です。放送ではその「書き言葉」を「音声化」します。

その読み方・アクセントですが、「本来の文語のアクセント」で発音すれば、

「タ\タズ」(頭高)

となります。

しかし、その際に、現代語の「否定形」の「ない」を付けた、

「立たない」

のアクセントパターン、

「タ/タ\ナイ」(中高・否定の「ナイ」の前にアクセントの滝がある)

を踏襲して、

「タ/タ\ズ」(中高)

とする傾向があります。これは許容かどうか?

いまや、「許容」しても仕方がないと思いますが、私は出来るだけ、元の、

「タ\タズ」

と読みたい。特に「文語」を読むのであれば、それは絶対でしょう。

「現代文」であれば、

「タ/タ\ズ」

でも良いと思います。

 

(2015、11、4)

2015年11月 8日 19:43 | コメント (0)

新・読書日記 2015_156

『常用漢字の歴史~教育、国家、日本語』(今野真二、中公新書:2015、9、25)

 

 

最近、精力的に次々と本を書かれている今野先生。その今野先生が、私などは毎日付き合っている「常用漢字」の歴史について書かれたということなので、これは読まずにはいられない!

「常用漢字」とはその文字通り「常に用いられる漢字」。簡単に言うと、戦後、日本は「漢字なんか使っていたから戦争に負けた」として「漢字制限」に動いた。それが「当面、使う漢字」=「当用漢字」だった。それが、戦後復興・高度経済成長を遂げた昭和56年(1981年)には、「もっと漢字を使いたい」ということで、それまで当用漢字で「1850字」に制限していたものを「1945字」にまで拡大して「常用漢字」と名付け、方向性としては180度転換した。それからさらに29年経った平成の世(2010年11月)、今度は「パソコン」で打てば、自分の手書きでは書けないはずの漢字も出てくるようになり、「書けないけど、読める漢字は使いたい」という要望から、196字増やして(5字減らし)「2136字」という「改定常用漢字」に変わって現在に至ると。そういった流れは私も知っているが、この本ではコンパクトにまとめてある。特に、戦前も「漢字制限」の動きがあり、「常用漢字」があったというあたりの詳しい説明は、勉強になった。

第五章で「常用漢字は常用されてきたか」というのは、たしかにそういう視点が必要。一般の人は、「常用漢字」の存在すら知らない。そんなことは気にせずに使っている。それで良い(つまり、決めなくても読めるし書ける)のなら、それでよいのだが。「常用漢字」うんぬんと言っているのは、我々メディアと行政ぐらい。いや、行政もあまり気にしていないように思える。

「櫻」の覚え方が「にかい(2階=2貝)の女にき(気=木)がかかる」というのは知っていたが、「鬱」の覚え方が、「林四郎」と略字で書くやり方や、「リンカーンはアメリカンコーヒー三杯」というのは、聞いた事は会ったが、覚えてはいなかった。「鬱」は、そんな覚え方しなくても、子どもの頃に覚えたので書ける。

 


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(2015、10、1読了)

2015年11月 8日 13:18 | コメント (0)

新・ことば事情

5886「拡声器か?拡声機か?」

 

 

8月10日、北朝鮮と韓国の軍事境界線で、韓国軍が約11年ぶりに巨大な「拡声き」を使った「宣伝放送」を再開したというニュース。(その後の南北高官の話し合いで中止されましたが。)

新聞各紙を見て見ると、

*「拡声」=産経・日経・報知・日刊・デイリー・サンスポ

*「拡声」=読売・朝日・毎日

でした。「き」の漢字が違ったのです。基本的には、

「大きな物=『機』」「小さな物=『器』」

ですが、今回の「拡声『き』」は、

「小さい物の集合体」

ですので、どちらでも間違いとは言えないような「き」がしました。

「日本テレビ」は「拡声だったので、今回、読売テレビの「ミヤネ屋」では、それに従って、

「拡声

で放送しました。

ちょうどその宣伝放送が、何年か前に中止されたときの記事(2004年6月17日付・読売新聞と毎日新聞)をスクラップしていました。「拡声き」が大きくて、写真が面白かったから切り取っていたのです。2004年の記事でも、「読売」と「毎日」は、

「拡声

を使っていました。

(2015、9、4)

(追記)

9月に行われた新聞用語懇談会放送分科会で、このテーマを議題に出したところ、各社からこんな意見が出ました。

*「拡声機」=NHK、日本テレビ

*「拡声器」=フジテレビ

(日本テレビ)「ミヤネ屋」さんは「日本テレビにならって『拡声器』にした」ということだが、日本テレビは「拡声機」。もしかしたら初出の「ストレイトニュース」で「拡声器」と出てしまったのかもしれない。

(NHK)「大きい・小さい」ではなく、「器」は「単純な原理で動くもの」、「機」は「複雑な原理で動くもの」。今回のケースは「複雑」なので「拡声機」。

(読売新聞)『新聞用語集2007年版』の「機・器」の項目の用例には「拡声機」で載っている。

 

ありゃ。「新聞用語集」に載っていたのか。気付きませんでした。日テレさんも、後で変えていたのか。これも気付きませんでした。

(2015、11、5)

(2015、9、4)

2015年11月 7日 11:17 | コメント (0)

新・読書日記 2015_155

『東京零年』(赤川次郎、集英社:2015、8、10)

 

 

赤川次郎の本を読むのは、いつ以来だろう?高校から大学生時代「三毛猫ホームズ」シリーズをはじめ、随分読んだ。段ボール箱に2箱ぐらいは読んだ、200冊ぐらいあったのではないかな?

新聞の書評欄で見て、久々に読んでみた。特にこの「零年」という言葉に惹かれて。これ、「ゼロネン」でいいのかな?それとも「レイネン」かな?と思って本の奥付を見たら、

「ぜろねん」

でした。ちょうど500ページの長編小説だが、一気に読ませる。

記憶に残った(メモした)部分を抜粋する。

*「優しさは大切だけど、この世の中を動かしているのが誰なのか、そしてその人たちが日本をどんな社会にしたがっているのか知る必要がある。言い換えれば、知らないことは罪なの」(181ページ)=ヒロイン・亜紀の言葉。

*「今、TVで新聞も、警察発表以外のことは一切報道しない」(218ページ)=デモの話。生田目検事が永沢にデモをコントロールしろと。

*「結果さえよければ手段は二の次。その言葉で、今までどれだけの悪が見過ごされて来たか」(257ページ)=これなんか、全ての政党に「それでいいのか!!」と問いたい。

*「やり過ぎれば、必ず反動が来る。もともと日本を警戒していた国ももちろんだが、同盟国もだ。一旦走り始めると止まらない日本の性格を分かっているからな」(307ページ)=湯浅の言葉。

*「確かに日本がこのまま警察国家になって行くことを、アメリカなどは快く思っていない。もとはといえば、アメリカ追従の政権が続いたせいなのだが、日本は形だけでも民主主義が機能しているようにみせることさえしなくなっている。」

「番犬が狂暴化して飼い主にかみつきかねないってところだな」(307ページ)

*「でも、人ひとり、死んでるんだもの」

「人の命なんて、今の政権にとっちゃ鳥の羽より軽いさ」(351ページ)

 

小説なので、登場人物の言葉も、作家の言葉の代弁。そう考えると、赤川次郎をしてここまで言わせるしかない今の日本の現状、集団的自衛権の行使に進んだ安倍政権に対する「抗議の声」が、この小説と言えるのではないか。

警察国家・ファシズム国家・戦争をする国家へ向かう日本の現状を小説にしたというように感じた。そのほか、気付いたことで言うと、

・「自称アーティスト」ってなんかちょっと怪しい感じがします。

*「井筒隆一という意男です。三十一歳で、自称アーティストだそうですが」

・これは「射った」より「撃った」のほうがいいかなと思いました。

*「父が湯浅を射った、と思われても仕方なかったからね」(293ページ)

 

 


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(2015、9、19読了)

2015年11月 6日 20:53 | コメント (0)

新・読書日記 2015_154

『多数決を疑う~社会的選択理論とは何か』(坂井豊貴、岩波新書:2015、4、21)

 

タイトルに惹かれて購入。実は「数学」の感覚がないと難しい論文。でも、途中経過を飛ばして、結果を読むと、「なるほどそうか」と思える部分もたくさん。

「民主主義=多数決」と思われがちだが、実は「多数決」が民主主義の絶対無二のルールではない。最善でもない。だからこそ「少数意見の尊重」ということも言われるわけだ。

この本では、統計的手法で、「多数決以外の民主主義のルール」を例示して、そのことを明らかにしている。また、状況によっては、そういった、

「多数決以外の決定方法」

を採用すべきではないか?ということも、読んでいて感じる。

いかんせん、ちょっと数学的な部分は難しかったが、全体像と意図は、把握・理解できた。

「民主主義=多数決」とは限らないということの実例では、9月16日に横浜で開かれた「集団的自衛権関連法案」の地方公聴会で、野党側から出た弁護士が、

「こういった動きは民主主義ではない、多数決主義だ!」

と言っていたということがあった。私は「そう、それ!」と意味が分かりましたが、一般的にはどうなんでしょうかね?

 

 


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(2015、8、26読了)

2015年11月 6日 17:13 | コメント (0)

新・読書日記 2015_153

『呪文』(星野智幸、河出書房新社:2015、9、30第1刷・2015、10、30第2刷)

 

 

書評で見て、面白そうだなと思って読んでみた。この著者の本を読むのは初めて。

1965年、米・ロサンゼルス生まれ。1988年早稲田大学卒業。新聞社勤務後メキシコに留学。1997年デビュー。2015年『夜は終わらない』で読売文学賞受賞。もう新人さんではない、堂々とした中堅、いやベテランだ。

都会の、少し郊外に近い駅のさびれかけた商店街。高齢化で人も減って・・・という中で若い人たちが、新しい店を経営すべく入って来るのだが、長続きしない。それをなんとか立て直そうと商店街の理事会の理事になって頑張る、青年居酒屋店主・図領。その熱意と理想に集まる人たち。

ここまでは、まあいいのだが、あるクレーマーがこの居酒屋にネットでクレームを付けたところから、居酒屋店主の中の「怪物」が目覚める。

新興宗教のような、ファシズムのような熱狂の中から、恐ろしい世界が商店街を支配するようになる。最初は、なんとなく「コワさ」を感じて居酒屋店主に反抗していた、儲からないメキシコ料理のスタンドをやっている霧生も、次第に取り込まれていく・・・。

怖い。

今、似たようなことが、現実の世の中でも起こっているのではないか・・・。そんな気持ちにさせる一冊。

 

 


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(2015、10、26読了)

2015年11月 6日 09:45 | コメント (0)

新・読書日記 2015_152

『他人の不幸を願う人』(片田珠美、中公新書ラクレ:2015、6、10)

 

 

これも「2015読書日記149」で読んだ『男尊女卑という病』(幻冬舎新書)と同じ片田さんの著書。精力的な執筆活動です!

この本、読みかけで家の居間の机の上に置いておいたら、タイトルを目にした小学5年生の娘に「サイテー!」

と言われました。そう、「最低の人=他人の不幸を願う人」とは、どんな人なのか?なぜ、そんな最低なことをするのか?

また、そういった人に不幸にして出会ってしまった場合の対応は、どうすれば良いか?などについて書かれた本です。

結論は「羨望」。つまり、他人に対する「嫉妬」ですね。コワイですねー、古来「嫉妬」はコワイものですが、改めて。

「友達(フレンド)」だと思っていたら、実は「敵(エネミー)」だった、というような存在を、英語では、「フレネミー(frenemy)」と言うそうです。昔からそういった人はいたけど、最近、そういう人が増えているのではないかと。

「羨望増幅社会」だと、著者は言います。そう、テレビもそうですがSNS・インターネットは、情報を「加速」します。「加速」するというのは、「単位時間当たりの情報量の増大」ですから、つまり「情報増幅装置」なのです、マスコミは。その「情報」が「羨望」というものであったら、当然それも増幅されますよね。「フレネミー」が増えたのは、そういったことも関係しているのではないか?と考えさせてくれる一冊でした。

 

 


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(2015、11、2読了)

2015年11月 5日 22:44 | コメント (0)

新・読書日記 2015_151

『いちえふ(3)』(竜田一人、講談社:2015、10、23)

 

 

福島第一原発の作業員となった漫画家による「ドキュメント漫画」の第3巻。

2014年の「いちえふ」(福島第一原発)内部で作業用様子が詳しく書かれている。

瓦礫の片づけに米軍製ロボットが活躍している様子や、そのセッティング等のアシストは「人力」で超アナログな感じで行われていて、もはや原発事故処理が「日常」と化してしまっている「異常」が描かれている。

昨今、あまり報じられなくなっている「いちえふ」の現地からのリポート。

 

 


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(2015、11、3読了)

2015年11月 5日 21:43 | コメント (0)

新・読書日記 2015_150

『おかんメール4』(「おかんメール」製作委員会編、扶桑社:2015、7、30)

 

 

現在、出ているシリーズでは、最新のもの。「おかんやなあ!」というのは、こんな手書きの手紙。(メールではないけど。)

「リモコンにコーヒーをこぼしてしまいました。使えません。ごめんなさい。寝ておわびします。起こさないで下さい。」

...全然、詫びてないやん!開き直ってるやん!もう・・・。

ほかには、鶏肉を送ってくれたやさしいお母さんからのメール。

「あす とりつく」

取り憑く!?ああ、「鶏、着く」か。

母のお告げ。

「○○ちゃんは 明日狂って」

「来る」のね・・・。

やさしいお母さん、どこに入れとんねん!

「西瓜に 二千円入れといたよ」

「SUICA」ですね・・・。

要は変換ミスか、慣れてない操作による間違いですね。手書きなら、あんまりこの手の間違いはないなあ。最後にこれは力作。

「ジョニー(実家の犬)を裏の庭で掘ったら菓子にしてたらすねて晩ごはん小判で食べないのよ」

♪大判小判が、ザック、ザック、ザックザク・・・・ではなく、

「ジョニー(実家の犬)を裏の庭で放ったらかしにしてたら、すねて晩ごはん、拒んで食べないのよ」

ですね。ハアーッ、脱力・・・。

 

 


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(2015、11、2読了)

2015年11月 5日 19:42 | コメント (0)

新・読書日記 2015_149

『男尊女卑という病』(片田珠美、幻冬舎新書:2015、7、30第1刷・2015、8、15第2刷)

 

 

このところ片田さん、本を連続して精力的に出してるなあ。タイトルも「お、読んでみようかな」という感じでキャッチーです。

著者の片田さんは精神科医ですから、社会病理を「病」として捉えて説明しています。

しかし、フロイトの「ファルス優位」「去勢コンプレックス」などを前面に出されていますが、うーん、どうなんだろうか、全てこれで斬っていけるとは思えないんですけどねえ・・・という感じがしました。

 

 


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(2015、10、28読了)

2015年11月 5日 18:08 | コメント (0)

新・ことば事情

5885「満弾・連弾・ランニング弾」

 

 

10月14日に開かれた関西地区の新聞用語懇談会で、スポーツの用語について話し合っていた中で、毎日新聞の委員から、こんな話題(議題)が出ました。

『「満塁ホームラン=満塁弾」のことを縮めて「満弾」とすることがある。ただ、「連弾」とする普通は「2者連続ホームラン」だが、「2打席連続ホームラン」と取られるかもしれないし、「ピアノの連弾」という言葉も、もともとあるので、ややこしい。各社どうしていますか?』

これに対して、参加した各社からの意見は、

(日刊スポーツ)「連弾」=「2者連続ホームラン」のこと。「2打席連続ホームラン」は「連発」とする。「ランニングホームラン」のことを「ランニング弾」としているのを時々目にするが、違和感がある。

(KTV)日刊スポーツで「満弾 逆王手」という「見出し」を見たことがあるが・・・。スポーツ紙の「満塁弾」「満弾」等の見出しをそのまま読まないように、若手アナウンサーなどには指導している。(「満塁ホームラン」と言い換えるように指導)また、競馬の「中波乱」という言葉は、使わないようにしている。

(ABC)サイドスーパーでは「満塁弾」「満塁打」などを見出し的に使うことがある。

(ytv)サイドスーパーでは「連弾」は使うだろう。「満弾」は見たことがない。音で聞くと「マンダン=漫談」に聞こえるので、しゃべりで「マンダン(満弾)」はない。「満塁弾」はあると思う。

(読売新聞)「弾」が「軍隊用語」なので避けて「HR(=ホームラン)」を使って「満塁HR」「連続HR」などとした時期もあったが、「HR」もわかりにくいという指摘があり、すぐに「連続弾」に戻ってしまった。

といったところでした。

「満弾」は、ないと思うなあ。「ランニング弾」も。唯一、「連弾」は、ありうるかな、ピアノとは意味が違いますが。

 

(2015、10、29)

2015年11月 5日 17:56 | コメント (0)

新・読書日記 2015_148

『じみへん 仕舞』(中崎タツヤ、小学館:2015、8、31)

 

先日、連載が終わり、著者が「断筆宣言」をした。その最後の連載をまとめたもの。見開き2ページ・15コマの漫画。第903回から第1171回までを収録。これにて仕舞。

最初の頃と比べると、文字が少なくなって、絵も白っぽくなっている。連載時に比べて、単行本ではサイズが小さくなっていたので、老眼の私には読みにくかった。

そんな中で注目したのは、「ラーメン店」が舞台になっている回だ。

たとえば「第917回」では、そのラーメン店の「ラーメン」と「カタカナ」で書かれた「のれん」が外から見て描かれていて、文字は雑な斜線で塗られていて「ン」の右側が半分ぐらい隠れている。

「第922回」では同じく外から見た「のれん」のカタカナの「ラーメン」の文字は、黒く塗りつぶされていて、「ラ」の左半分と「ン」の右端が欠けている。

そして問題は「第943回」。今度は「のれん」が「店内から」見た背景として描かれている。そして白地に黒で書かれた文字が、なんと「平仮名」で「らーめん」になっているのだ!正確には「ら」は見えず、「-めん」の「裏文字」なのだが。この店は「2種類ののれん」を持っているのか?それとも「第917回」「第922回」とは「別の店」なのか?でも、出て来る「ラーメン店の主人」は同じ人物だ。

さらに不思議なのは「第958回」でも、店内から裏文字であるが、今度は「黒地に白抜き文字」で「ラーメン」という「カタカナ」に戻っている。3種類目の「のれん」だ。

そして「第960回」は、また店内からの裏文字で、今度は「白地に黒文字」の「カタカナ」で「ン」だけが見える。また変わった!

このラーメン店が出て来る最後は「第976回」。今度も店内からで、もう文字は見えない。「のれん」の端の「白い布」が見えるのみである。

その後、このラーメン店の店主は、孫と一緒に「おじいちゃん」として登場(第995回・1051回・1053回・1103回・1114回・1170回)したほか、不動産屋(第1000回)、研究所の博士(第1002回・1075回)、医者(第1037回)、夫(第1111回)、最後は「閻魔(エンマ)大王」(第1166回)にもなっている。いろんな職業を転々としているものである。

中崎さん、お疲れ様でした!

 

 


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(2015、11、1読了)

2015年11月 5日 14:06 | コメント (0)

新・読書日記 2015_147

『校正という仕事~文字の森をゆき 言葉の海をわたる』(ヴェリタ編、世界文化社:2015、6、15)

 

 

ツイッターでこの本の存在を知って購入。校正の仕事をしている6人のプロに話を聞いたものをまとめた本。そのうちの1人は、なんと知り合いだった!元朝日新聞大阪本社の校閲担当の方で、用語懇談会でご一緒させて頂いていました。私もまあ現在の仕事は「テレビ報道における校閲」だし、「ご同業」だなあ。

昔は「校正」しかなくて「校閲」ではなかった。今の方が難しくなっていると。

昔「ペーパーカンパニー」が「製紙会社」と訳されていたということも!いやあ、怖い!

気付きにくい間違いとしては、「崇(あが)める」と「祟(たた)る」。え?どこが違うの?と思いますよねこれ。「崇(あが)める」は、上の部分が「山」で、「祟(たた)る」は上の部分が「出」。えー!気付かんわ、これ。

用字用語を統一することは、表現の自由をある程度、制限するかもしれないけど、多くの方にわかりやすく伝わりやすいということが、マスコミの使命としてはあるということなんだよなあ。

 

 


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(2015、9、3読了)

2015年11月 5日 10:04 | コメント (0)

新・読書日記 2015_146

『犬の掟』(佐々木譲、新潮社:2015、9、20)

 

帯には「迷わず撃て。お前が警官ならば」。警官でなくて良かった。

なんか「集団的自衛権行使」の際の「自衛隊員」も彷彿するような・・・。

読んだ感想は「初期の"逢坂剛"のような感じ」。人間の業・心の闇を描いている。

実はこの本ですごく気になったのは、

「T字路」

という言葉。「1丁目・2丁目」の「丁(ちょう・てい)」を用いた「丁字路(ていじろ)」ではなく、「アルファベット」の「T」を用いているこの「T字路」が、3ページに、

「いまのT字路で右折するか」

と出て来ました。その後も

「T字路である」(42ページ)

「出てすぐのT字路を右折して」(70ページ)

「松本はそのT字の交差点で車を右折させた。」(256ページ)

「T字路の街頭の灯りの下に」(227ページ)

と、たくさん出て来ました。

また、普通なら「タパス」が出て来る場面で「ピンチョス」が出てきたところで「おっ!」と思いました。「ピンチョス」とは、スペインのバスク地方の名物で、カナッペのような感じのおつまみのことです。

「波多野は東口のスペインふうの酒場の名前を出した。(中略)『知っていますよ』と高安は答えた。『二、三度入ったことがあります。うまいピンチョスを出すんです』」(192ページ)

それと「キーマン」ではなく「キーパーソン」が使われていましたが、それは「女性」だったからかな。

「そしていま、キーパーソンとして浮上してきたのは、大森署生活安全課の内田絵美である。」(211ページ)

最後に「四リットル」ではなく「四リッター」という表現も目につきました。

「いわゆる四駆タイプの車ですよ。四リッターの」(70ページ)

 

 


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(2015、9、25読了)

2015年11月 4日 23:04 | コメント (0)

新・読書日記 2015_145

『フランス流テロとの戦い方~全仏370万人「私はシャルリ」デモの理由』(山口昌子、ワニブックスPLUS新書:2015、4、25)

 

 

ことし初めにフランスで起きた、新聞社「シャルリ・エブド」襲撃事件。アリジェリアからの移民でも、二世・三世はフランス生まれなので「フランス人」。それなのになぜ「テロ犯」になったのか?なぜ、こういったテロ事件が起きたのか?そして、その後に「私はシャルリ」と書かれたプラカードを持った人々のデモが湧き起こったのか?その背景を、フランス在住数十年のジャーナリスト(元・産経新聞パリ特派員)が記す。大変勉強になった一冊。

新自由主義の下で誕生した極端な「格差社会」。そんな中で、元植民地・アルジェリアからの移民を受け入れて来たフランスだが、ここ10年、そういった移民の「同化政策」が失敗した。この二つが、今回の事件の背景にあるという。著者はこう言う。

「『私はシャルリ』によってフランスの『国のかたち』が浮かび上がった。『シックでエレガント』『シニックで老獪』といった『おフランス』のイメージとはおよそかけ離れた、強固で強靭で頑固で、あきれるほど自尊心と自負に富んだ『国のかたち』」。

だからこそ、敵を作りやすいのだが・・・・。

具体的な「足音」としては、フランスでは2004年に「スカーフ禁止法」、2010年に「ブルカ禁止法」という法律が制定された。「スカーフ禁止法」の正式名称は「宗教色の強い服装やシンボルの着用を禁止する法律」。イスラム教徒だけが対象ではない。ユダヤ教の帽子「キッパ」や、キリスト教徒の「大型の十字架」も、公共の場での使用は禁止されていたが、イスラム教徒はこれに反発した。そもそも、なぜスカーフなどを禁止したかというと、フランスの革命以来のテーゼ「自由・平等・博愛」の精神に基づくもの。

・「自由」=宗教的規律から解放される自由

・「平等」=宗教的外観から無縁

・「博愛」=信仰とは無関係な空間を構築できるから

ということらしい。フランスは現在、530万人が移民、670万人が移民2世・3世で。合計1200万人で、これは全人口の19%にあたる(うち8%がアラブ系)。そして、新生児の28,2%が、少なくとも両親のうち1人は外国生まれ(うち24,7%はEU以外の国)だそうだ。つまり10人に3人が「ハーフ」。これだと「ハーフ」はそれほど特徴にはならないかも。

また、フランス人の65%はカトリックで、イスラム教徒は7%、プロテスタントとユダヤ教が各1%。カトリックでは離婚は認められていない。これも、もしかしたら「結婚せず事実婚が多い理由」かもしれない。

そして「なぜ、『シャルリ・エブド』が狙われたか?」だが、元々「シャルリ」の「風刺」は、かなりどぎつく、万人から受け入れられていたとは言い難い。日本の福島第一原発の事故に関しても、放射能を揶揄したイラストを載せたりしていた。2006年にムハンマドの風刺画を載せたことで、イスラム過激派の激しい憎悪対象となっていたのだ。

しかし、フランス国民は、「シャルリ」を支持した。「シャルリ」は、テロリストの「死の脅迫」に対しての「自由」を守るために敢然と戦った、フランス人の鑑であり手本だと。だからこそ「私はシャルリ」のプラカードが出て来たのだ。

ドイツも、1963年6月26日に当時のケネディ大統領が冷戦下のベルリンにおいて、「私はベルリン市民だ」と演説したことがあったので、今回の「私はシャルリ」に対する共感が強かったという。

そういった「全体の輪郭」がよく分かった一冊だった。

しかしこの本、残念なことに、簡単な誤植が多い。チェック体制はどうなっているのか?

読み始めて2ページ目に、

×「アパートの二、三先では」(4p)→○「アパートの二、三先では」

という変換ミスがそのままだし、

×「不問にそう」(98p)→○「不問にそう」

×「フランス人のであり手本」(98p)→○「フランス人のであり手本」

×「弱気」(99p)→○「弱気」

増刷されるときには、直してほしい。

 

 


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(2015、9、5読了)

2015年11月 4日 18:58 | コメント (0)

新・ことば事情

5884「性転換・性適合」

 

2015年8月5日の「ミヤネ屋」に出て来た「KABA.ちゃん」が「男」から「女」になろうとしているという話題で、リードでは、

「性転換手術」

と言いましたが、VTRやスーパー、スタジオコメントでは、

「性適合手術」

と言っていました。その昔は「性転換手術」と言っていましたが、10年以上前からは、

「性適合(化)手術」

と言うようになっています。これは、

「『性転換』という言葉についた『悪いイメージ』を払拭するため」

でもありました。この話題を報じた女性誌やスポーツ紙では、

(見出し)    (本文)

「女性自身8/1825」 性転換手術    性別適合手術、いわゆる性転換手術

「デーリー7/27」   ****    性転換手術

「日刊スポーツ7/22」 性転換"工事"  性別適合手術(性転換手術)

「日刊スポーツ7/14」 性転換手術    性別適合手術(性転換手術)

「スポーツ報知7/14」 性転換手術    性別適合手術(性転換手術)

「スポニチ7/14」   性別適合手術   性別適合手術(性転換手術)

とありました。

「性適合手術」というのは、

「性同一性障害」

という「疾患(病気)」を治す手段としての手術だということを、定着させるための名称変更でした。

さらに去年(2014年)春には、日本精神神経学会が、「精神疾患の病名」の新しい指針を公表しました。それによると、

「性同一性障害」⇒「性別違和」

などに変更されています。差別意識や不快感を生まないようにしながら、病名を周知させるのが狙いだとのことです。

しかし、「性同一性障害」は法律名(「性同一性障害特例法」)にもなっていて、まだ名称が変わっていませんので、マスコミ各社も「性同一性障害」のままです。

国(厚生労働省)が決定したら、その段階で「新しい名称を採用する」ことになるだろうというのが、去年6月に開かれた「新聞用語懇談会 放送分科会」での、各社の用語委員の見解でした。

『読売テレビ放送用語ハンドブック第三版』にも「性同一性障害」とは、

「自分の心の性と身体の性との不一致が容認できないこと。2004年に『性同一性障害特例法』が施行され、一定の条件下で『性別の取り扱いの変更審判』を受けることが認められている。『性同一性障害』が疾患のひとつであることを理解し、この言葉を適切に使うことに留意すべきである。」

とあります。

10月28日放送の「ミヤネ屋」のパネルに、また、

「性転換」

という言葉が出て来ました。見出しとして使うので、「性適合」というのでは、うまくマッチしません。ディレクターが考えて、

「男⇒女」

という見出しにしました。

 

(2015、10、28)

2015年11月 4日 11:36 | コメント (0)
2015_144

『せんそうごっこ』(谷川俊太郎・文、三輪滋・絵、いそっぷ社:2015、9、20)

 

 

子どもの向け絵本だが、谷川俊太郎の詩が深い。絵はポップ。谷川俊太郎は1931年生まれ、三輪滋は1941年生まれ。1982年に刊行された本の「復刻改訂版」。

なぜ、35年の時を経て「今」、この本が復刊されたのかの"意味"を考える必要がある。今回、谷川俊太郎が書いた「あとがき」より、

「人間はどうして戦争をなくすことが出来ないのか、未来に答はあるのでしょうか」

 

 

(2015、9、20読了)

2015年11月 3日 13:33 | コメント (0)

新・読書日記 2015_143

『おかんメール3』(おかんメール制作委員会、扶桑社:2015、2、10第1刷・2015、9、10第10刷)

 

3冊目となると、ちょっと飽きてきた。まとめて4冊買わなくてもよかったか。帯には、

「子宮、帰れ!」

というお母さんからのメール・・・。そのほか、

*「ひそがはいっていておしいかったです」=×「ひそ」→○「しそ」

*「おまえたちはいいね、毎日がエブリデイで」=×「エブリデイ」→○「ホリデイ」

*「杏多電話 一著ン出欄」=方言「あんた電話いっちょん(ちっとも)出らん(出ない)」

*「噛み切りました」=「髪切りました」

結局、結論はこれ。

「おかんメールの新機軸 スマホの普及により、LINEスタンプや絵文字で、おかんメール画面がデコられ、ますます不可解に」

乞う御期待!

 

 


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(2015、10、27読了)

2015年11月 2日 20:32 | コメント (0)