Top

『道浦TIME』

新・読書日記 2020_019

『ヴァーツラフ・ハヴェル~力なき者たちの力』(阿部賢一、NHK出版:2020、2、1)

Eテレの「100分de名著」の「2020年2月」のテキスト。ツイッターで、伊集院光さんが司会をして、チェコの「ハベル元・大統領」を取り上げていることを知って購入。(このテキストでは「ハヴェル」と表記されていますが、ここではわかりやすく「ハベル」と表記しますね。)

1992年10月、まだ「チェコスロバキア」だった時代に、プラハでこの「ハベル氏」の記者会見に出たことがある。NNN系列の研修旅行に参加して、ということだった。民主化運動のリーダーで劇作家。それまでは不勉強で、彼の名前すら知らなかったのだが。そういうこと(実際に会って話を聞く機会)があったので、3か月後の1993年1月に、この国が「チェコ」と「スロバキア」に分かれ、「チェコ」の初めての大統領にハベル氏が就任した時には、興奮しました。(その後2003年まで、「チェコ」の大統領を10年務めました。その前の1989年12月~1992年7月までは「チェコスロバキア」の大統領でしたが)だから、この番組で取り上げると知って、まずはテキストを購入したのだ。しかし、4回シリーズのうち、すでに3回見逃がしており、実は一度も見ていない。その分、テキストを読んでいる。

番組の解説者でこのテキストの著者・阿部賢一氏は、1972年生まれのチェコ文学者で東大准教授だそうです。早速、興味深い記述が出て来ます。

第1回放送分のタイトル(テーマは)「『嘘の生』からなる全体主義」で、ここではまず、ミラン・クンデラの「笑いと忘却の書」(西永良成訳・集英社文庫2013)からの言葉が紹介されています。ミラン・クンデラと言えば映画化もされた「存在の耐えられない軽さ」の原作者ですよね。クンデラは、大統領となったフサークが、大学や科学研究所から145人のチェコ人歴史家を追放したことに触れて、こう書いているそうです。

「国民を厄介払いするために(略)まず国民から記憶が取り上げられる。国民の書物、文化、歴史などが破壊される。そしてだれか別の者が彼らのために別の本を書き、別の文化を与え、別の歴史を考え出してやる。やがて、国民が現在の自分、過去の自分をゆっくり忘れ始める。まわりの世界はそれよりなお速くその国民を忘れてしまう」

これを読んで、周りの国(ソ連=ロシア)から支配され続けたチェコで起こったことが今、わが国でも起こっているのではないか?と、ぞっとしました。ほら、アレですよ。

ハベルは1975年、公開書簡「グスターフ・フサーク大統領への手紙」の中で、文化活動を次々と制限していった政府に対して、

「文化が去勢されることにより、将来、民族の精神、倫理面での能力がどれほど深刻に失われることになるか?」

と問いかけ、

「現在の権力の利益のために、民族の精神の未来を犠牲にした人々の歴史的な罪は、その分、重いものとなる」

と批判しています。これをやろうとした、どこぞの知事・市長もいましたね。

そして、「ポスト全体主義」の根幹を成すものは「イデオロギー」であると。

「イデオロギーは本質的にはきわめて柔軟であるが、複合的で閉鎖的な特徴から世俗宗教のような性格を帯びている。(中略)実存的な確実性が危機に瀕している時代にあって、寄る辺なさや疎外を感じ、世界の意味が喪失されている時代にあって、このイデオロギーは、人びとに催眠をかけるような特殊な魅力を必然的に持っている。さまよえる人びとに対して、たやすく入手できる『故郷』を差し出す。あとはそれを受け入れるだけでいい。そうすれば、ありとあらゆるものが明快になり、生は意味を帯び、その地平線から、謎、疑問、不安、孤独が消えてゆく」

これっていわゆる「ネトウヨ」の人たちのことなのか?

イギリスの文学者、サミュエル・ジョンソンの、

「『愛国心』とは、ならず者の最後の砦である』

Patriotism is the last resort of a scoundrel.

という言葉がありますが、「寄る辺」「故郷」が、空想の中にある戦前の「大日本帝国」なのでしょうか?

また、ハベルは、宗教とイデオロギーを比較して、

「宗教は、さまざまな疑問や悩みを解決してくれる万能なものであると同時に、人びとの『生』の中に介入してくるものです。そして、ポスト全体主義体制におけるイデオロギーも、それと同じ性質を持っていると指摘しています。人々は、家族や自分の信念に心の拠り所を見出すのではなく、体制の掲げるイデオロギーという理念に盲従していくことで、自分の『故郷』、つまり居場所を見出します。そして、次第に思考停止の状態に陥り、外交や内政だけではなく、自分の生き方にいたるまでありとあらゆる事柄をイデオロギーに託すことになるのです。」

全部「丸投げ」にして「考えること」を止めてしまう。そりゃあ、「ラク」でしょうけどね。でも、無責任。責任逃れだ。

「ですが、その『故郷』には対価を支払わなくてはなりません。その対価が、自身の『理性、良心、責任』です。『理性』とは自分で考え、判断すること、『良心』とは自分の心が訴えること、そして『責任』とは自分の行為に対する応答です。故郷に居続けるということは、これらを放棄することを意味するのです。」

おお、これはまるで、メフィストフェレスに魂を売った「ファウスト」のようではないですか!悪魔に魂を売り渡す!!

体制から要求されている所作を自ら察知し、盲目的に従ってしまうことを、ハベルは、

「自発的動き(オートマティズム)」

と表現していて、それは平たく言うと、

「忖度」「空気を読む」

ということですね。これは、まさに「今の日本」じゃないの。その目的は、結局、

「良心と引き換えに、物質的な安定を得る」

ことだと。ドキッ。「良心」や「責任」という倫理的なものと引き換えに、「物質な安定」を確保する・・・それゆえ、

「嘘の中で生きる羽目になる」!!

ハベルは、このような体制が確立してしまう背景には、

「消費社会の特性」

があると考え、

「ポスト全体主義体制は、独裁と消費社会の歴史的遭遇という土台のもとで作り上げられたものである」

と述べています。

第2回「『真実の生』を求めて」で語られているのは、

「嘘の生」=「建前」、「真実の生」=「本音」

のように感じました。

第3回「並行文化の可能性」では、体制は芸術表現への介入を試みる。なぜならば「ポスト全体主義」は「統一」「単一性」「規律」を目指すのに対し、「生」はその本質において「複数性」「多様性」「独立した自己形成や自己編成」「自信の自由の実現」に向かうと、ハベルは考えました。

最近よく叫ばれる「ダイバーシティ―(多様性)」(最初「東京・お台場」の「新しいショッピングモールの名前」かと思いましたが...)ですね。「LGBT」とか、そういった「動き」も出て来て認識されつつありますが、受け入れようとしないのが、今の自民党です。

そりゃあ、相容れないよな。また「ポスト全体主義」が目指す「統一」「単一性」「規律」は、「合理主義」「大量生産」といったものとも相性が良いですね。

「ポスト全体主義」と「生」の衝突は、「嘘の生」と「真実の生」の衝突です。

「真実の生」は「前―政治的」なもの、つまり「政治という形を採る以前のもの」。

すなわち「音楽・文学・芸術・学問・宗教」といった多種多様なもので、これは「ポスト全体主義」と相容れないのですね!

第4回は「言葉の力」。当時のドイツのヴァイツゼッカー大統領と並んで「哲人大統領」と呼ばれたハベルは、政治の世界ではあまり使われない言葉「真実」「倫理」「人間性」「愛」といった表現を多用。近頃、私たちがなじんでしまった「ワンフレーズ・ポリティクす」とは対極にあるものです。ハベル大統領は明言を避ける一方で、「問い」を投げかけました。

大変勉強になる、中身の濃い一冊のテキストでした。


star4_half

(2020、2、18読了)

2020年2月20日 12:34