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『道浦TIME』

新・読書日記 2016_208

『感情化する社会』(大塚英志、太田出版:2016、10、9)

タイトルが全てを表している。

シンプルな青い表紙。「裏表紙」かと思ったが「表」だった。ボソッと「吹き出し」が小さくあり、「感情化する社会」とタイトルがある。手に取って読んでみると、冒頭の第1章は、「感情天皇制論」。おっ!?どういうことか?天皇陛下が2016年8月8日の「生前退位」についての「お気持ち」を表明したことが、まず書かれていて新しい。(この本が出たのは10月初め。「お気持ち」から、2か月も経っていない。)本書のテーマ「感情化」が天皇制にまで及んだと記されている。「おことば」でななく「お気持ち」。つまりこれは、21世紀の現代における「空気の研究」である。「感情」が価値判断の最上位に来て、「感情」による「共感」が社会システムとして機能する事態を、本書では「感情化」と呼ぶのだ。当然、ここで出て来る疑問は「理性は何処へ行った?」であろう。

「共感」は、人と人との結びつきに重要ではあるが、「共感」が直接「大きな感情」に結びついてしまうと、私達が本来、設計すべきだった「社会」「国家」(民主主義社会、民主主義国家、国民統合の象徴としての天皇"制")とは異質なものになってしまう。「感情天皇制」は、その象徴だという。

そして、「象徴」天皇制の本質は"感情労働"であると喝破する!なるほど、被災地を天皇陛下が見舞うこと、それを今上天皇が大事になさっていることは、「肉体労働」でも「頭脳労働」でもない、「感情労働」だったのか!

問題は、公共性に向かわない「感情」だ。著者はここで、アダム・スミスの「道徳感情論」を紹介している。

そして、今起こっていることは「文学の感情化」や「ジャーナリストの感情化」。「Twitter」や「LINE」など感情を表出するツールの充実は、「言葉の側面」から感情化を推進する。

天皇の「お気持ち」を受け止め、法の改定をしてしまえば、それはこの先の「感情的な政治選択」へのパンドラの箱を開けてしまうことになる、と著者は警鐘を鳴らす(世の中の方向性は、もう完全にそちらへ舵を切っているが・・・)。

「キモチ」を商品として提供されることに、ユーザー化した私たちは慣れている。そう!世の中は「感動」のセールスであふれている!

メールの返事の文面が、ある瞬間から「了解しました」ではなく「承知しました」に変わったことの奇妙さ。これも「感情労働」である。

「反知性主義」という「知性」さえも凌駕する「感情」の正体。まず「感情」の外側に立つことが大事だ。その機能を「批評」と呼ぶのだ。

2017年2月。

今、まさに世界はこの「感情化の波」にさらされている。世界で一番強い国のトップが、これでもか!と「感情」(それも「憎しみ」の)を投げ付けて来る。まるで、ジョージ・オーウェルの『1984年』に出て来る「2分間憎悪」のようだ。(『1984年』に出て来る党の3つのスローガン「戦争は平和なり」「自由は隷従なり」「無知は力なり」を見ると、あまりにも現代日本・現代世界に通じるので、改めて驚く。「安保法制」は「戦争は平和なり」だし、「自由は隷従なり」は「共謀法」だし、「無知は力なり」は昨今の国会論戦の法相や首相の答弁を見ていても感じるし、世の中全体の「反知性主義」の蔓延はまさにこれではないか!)

そして時節柄、思い当たったのは「節分の豆まき」である。

「鬼は外、福は内」

鬼は、うちに入って来るな!ビザなんか出さない!

普通の豆まきとは異なるのは「豆を投げている人が"鬼"」であることなのだが、投げている本人は「自分が鬼」だとは気付いていないのである。


star4

(2016、10、6読了)

2017年2月12日 12:26 | コメント (0)