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『道浦TIME』

新・ことば事情

6887「瓦礫(がれき)」

当事者にとっては単なる「瓦礫」ではない。一つ一つ、思い出のこもった品々、そのかけら。しかし客観的には瓦礫。ただし、この言葉を言う・読むときには、当事者のそういった思いを考えた上で、読まなくてはならない場合もある。淡々と読む場合もある。常に気を配る必要がある。これは被災者・死者といった場合にも共通。単なる数字入力に置き換えてはいけない。その一つ一つに命が、生活がある。

これは「東日本大震災」の半年後の、

「2011年9月26日」

に書きかけたままのももです。そこにはこんなメモも。

*「被災者」→被災された方

*「被災地」→被災された地域

そう呼んだ方が良いだろうという「放送用語」の問題ですね。

そのあと、当時読んだ本から「瓦礫」の使用例を引いて来ています。

『流される』(小林信彦、文藝春秋:2011915

・「昭和二十三年春に両国に戻った時、川岸は、米軍のブルドーザーが積み寄せた瓦礫が大人の背の一・五倍ほどの高さになっており、私の家からは川面が見えなかった。瓦礫には高い草が生えていた」「川開きのあと、町内の悪評のせいか、瓦礫は片付けられた。」(184ページ)

関連で「ガラ」という言葉。

・「そんなに仕事がないかね」「米軍関係以外では、ほとんどありません。ガラっておわかりですか」「知らない」「焼け跡のコンクリートの破片ですよ。あれを片付ける仕事ならありますが、ところどころにアメリカさんの不発弾が埋っていますから危険です」(110ページ)

当時(2011年11月)、青森で行われた新聞用語懇談総会でも、「瓦礫」という表現について討議されました。

毎日新聞・西部本社)東北の各社にお聞きしたいのですが、震災・原発報道で気を配っている表現はありますか。例えば「がれき」という言葉には被災者からの違和感が強いと聞きますが。

(福島民報)「がれき」については、自分たちの財産を「がれき」と言うのは、しのびない気持ちだが、今は放射線を浴びた物をどう処理するかに焦点が当たっており、「がれき」という言葉の使用は問題ない。ただ、若い記者が「町は、がれきの山だった」と書いてきたら「放置されたまま、がれきになった」などと書き換えるだろう。

(岩手日報)「がれき」については「使ってほしくない」という声は聞いたことがない。言葉よりも「がれき」そのものが、「厄介な存在」として厳然とある。(岩手では)言い換える必要はない。

というような意見が出ていました。

ここで取り上げたのは、今回の「西日本豪雨災害」の報道に関して書いて、

「平成ことば事情6885災害ごみ」

と全く同じ問題だなと思ったので、この「瓦礫」を、書きかけたままで、まだUPしてなかったのに気付いたからです。

改めて「西日本豪雨」、「台風12号」の被害に遭われた皆様に、お見舞い申し上げます。

(2018、7、30)

2018年7月30日 18:32 | コメント (0)