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『道浦TIME』

新・読書日記 2015_156

『常用漢字の歴史~教育、国家、日本語』(今野真二、中公新書:2015、9、25)

 

 

最近、精力的に次々と本を書かれている今野先生。その今野先生が、私などは毎日付き合っている「常用漢字」の歴史について書かれたということなので、これは読まずにはいられない!

「常用漢字」とはその文字通り「常に用いられる漢字」。簡単に言うと、戦後、日本は「漢字なんか使っていたから戦争に負けた」として「漢字制限」に動いた。それが「当面、使う漢字」=「当用漢字」だった。それが、戦後復興・高度経済成長を遂げた昭和56年(1981年)には、「もっと漢字を使いたい」ということで、それまで当用漢字で「1850字」に制限していたものを「1945字」にまで拡大して「常用漢字」と名付け、方向性としては180度転換した。それからさらに29年経った平成の世(2010年11月)、今度は「パソコン」で打てば、自分の手書きでは書けないはずの漢字も出てくるようになり、「書けないけど、読める漢字は使いたい」という要望から、196字増やして(5字減らし)「2136字」という「改定常用漢字」に変わって現在に至ると。そういった流れは私も知っているが、この本ではコンパクトにまとめてある。特に、戦前も「漢字制限」の動きがあり、「常用漢字」があったというあたりの詳しい説明は、勉強になった。

第五章で「常用漢字は常用されてきたか」というのは、たしかにそういう視点が必要。一般の人は、「常用漢字」の存在すら知らない。そんなことは気にせずに使っている。それで良い(つまり、決めなくても読めるし書ける)のなら、それでよいのだが。「常用漢字」うんぬんと言っているのは、我々メディアと行政ぐらい。いや、行政もあまり気にしていないように思える。

「櫻」の覚え方が「にかい(2階=2貝)の女にき(気=木)がかかる」というのは知っていたが、「鬱」の覚え方が、「林四郎」と略字で書くやり方や、「リンカーンはアメリカンコーヒー三杯」というのは、聞いた事は会ったが、覚えてはいなかった。「鬱」は、そんな覚え方しなくても、子どもの頃に覚えたので書ける。

 


star4

(2015、10、1読了)

2015年11月 8日 13:18 | コメント (0)