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『道浦TIME』

新・読書日記 2012_066

『東北の震災と想像力~われわれは何を負わされたのか』(鷲田清一×赤坂憲雄、講談社:2012、3、8)

 

阪神大震災を経験した前大阪大学総長の哲学者(鷲田)と、東日本大震災を経験した福島県立博物館館長で東北学の権威(赤坂)の対談集。

3章までの避難所の様子、ボランティアの様子と言ったこともさることながら、第4章「放置されたフクシマの奇妙な静けさ」、第5章「われわれは何を負わされてしまったのか」は重くのしかかってくる。第5章(最終章)の最後のタイトルが『「フクシマ」から「ふくしま」へ』。

「広島の美術館ではひらがなで『ひろしま』と表記するようになっていると。もう昔の漢字の『広島』へは戻れないがカタカナの『ヒロシマ』を内包して、自分たちに固有の都市像を抱きたいと願って、ひらがなにしたんじゃないか」と鷲田は想像する。「福島は今カタカナの『フクシマ』だけど、いつかひらがなの『ふくしま』を遠望できるような道筋を探したい」と。

実際、赤坂は20111111日~13日の「ふくしま会議2011」という「草の根会議」のタイトルを、ひらがなの「ふくしま」にした。福島の人たちの声を一つでも二つでもすくいあげて世界に発信する、そのときにカタカナの「フクシマ」でなく、やわらかく溶かすために、ひらがなの「ふくしま」にしたとのことだ。

 

 


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(2012、3、26読了)

2012年4月15日 08:25 | コメント (0)