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『道浦TIME』

新・読書日記 2010_172

『死刑』(森達也、朝日出版社:2008、1、20)

 

先日、「刑場」が公開された。それで思い出して読む気になったのが本書。出てすぐに買ったけど2年以上「積んどく」になっていました。

著者は「死刑廃止」にくみする。その視点で「死刑」について、色々な人の話を聴き、「刑場」にも近づいた。(見られなかったけど)ノンフィクションだが、彼の書き方はフィクション、私小説のようなにおいが立ち上る。そこが魅力でもあり、ちょっと鼻に付くところでもあるのだが・・・。

本書によると、ドイツ生まれのユダヤ人で政治哲学者のハンナ・アーレントは、『人間の条件』(志水速雄訳、ちくま学芸文庫)で、

「『許し』の反対物どころか、むしろ『許し』の代替物となっているのが『罰』である。『許し』と『罰』は、干渉がなければ際限なく続くなにかを終わらせようとする点で共通しているからである。」

というふうに述べ、「処罰」と「復讐」を峻別したという。「報復」ではなく「処罰」。

 

それにつけても、「私の履歴書」の「広岡」と「川上、長嶋」。広岡は二人を許してないし、罰してるわけでもない。未来永劫、怒りの炎に包まれる阿修羅のごとく(?)。しかし、本人は中途半端に終わらせることを望んでいないのではないか。怒りを持ち続けることを、そうやって関係を持つことを望んでいるのではないか?と感じられる。

 

「死刑」の犯罪抑止力は、データによると認められないそうだが、私は中学時代に認めていた。これを読んで思い出した。あれは中学の時に行われたと「『退場なし』の球技大会」。校内の親善バスケットボール大会で、「退場はなし」というルールを、生徒会役員が作った。それに反対した私は、あえて退場に値するような反則を犯し、

「ほうら、『退場なし』なんてルールを作るから、対処できないじゃないか。俺を退場させてみろよ。こんな反社会的・ルール破りが出たときに統制がとれないじゃないか。なぜ『退場なし』なんて中途半端な偽善的なルールにしたのか!」

とあえて憎まれ役(偽悪的)を買って出たことがある。(誰にも頼まれていないが。)わたしの周囲には、なぜ(いつもは、きっちりルールを守り、それを周囲にも守らせようとする)私がそんなことをしたのか、わかった人はいなかったようだった。

「許し」は「永遠=精神的」だが、「罰」は「物理的=永久」に終わらせる?

大変難しい問題。

 


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(2010、9、12読了)

2010年9月23日 19:24 | コメント (0)