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『道浦TIME』

新・ことば事情 3745

「『彷彿させる』か『彷彿とさせる』か」

関西テレビのIアナウンサーから、

「後輩から聞かれて答えに窮したことがありまして・・・。」

という質問のメールが来ました。それによると、

「思い起こさせるという意味で『彷彿とさせる』『彷彿させる』と言うが、どちらの使い方が正しいのか?現状は二つとも流通しているように思われ、一方は間違いだとしている辞書も無いようだ。ただ、もともとはどちらかが正解だったはずとも思えるのだが・・・。」

という内容。こんな返事を書きました。

『結論から言うと「どちらもOK」ですが、一応、辞書を引いてみましょう。

日本最大の国語辞典『日本国語大辞典』の電子辞書版を引くと、「髣髴・彷彿」は、1番得目の意味は「形動タリ」とあって、

「よく似ていること。またそのさま。そっくりなさま」

とあります。用例として「本朝分粋」という1060年ごろの用例(ただし漢文)があり、もう一つの用例は180711年の「読本・椿説弓張月」から、

「面影も又彷彿たり」

というのがあります。

いま、わたしたちが使うのは、2番目の意味で載っている「彷彿する」の形で使われるもので、これの意味は、

「ありありと眼前に見えること。はっきりと脳裏に浮かぶこと。また、そのさま。」

ですよね。こちらの方の用例は、1707年「童子問」というのがありますが、これも漢文。現代文での用例は1901年、森鴎外・訳の『即興詩人』で、

「この笛の音は、我に髣髴としてその面影を認めしめたり」

とあります。ここでは「髣髴と(して)」と「と」が入る形で森鴎外は使っています。

また『デジタル大字林』では1番目に

「名詞」スル

とあって、用例は、

「往時を彷彿させる」

「ミイラに因って埃及(エジプト)人を彷彿する」(夏目漱石『吾輩は猫である』)

というのが出ています。漱石は「と」が入らない「彷彿する」なのですね。

文豪の間でも使い方が分かれています。

『広辞苑』を引くと、用例は、

「故人に彷彿たり」

「旧時を彷彿させる」

「過去が彷彿としてよみがえる」

と、「彷彿させる」「彷彿として」という「と」が入らない形と、入る形が、両方載っています。

『新明解国語辞典』 の用例は、

「兄の笑顔に父のおもかげが髣髴とする」

「故人に髣髴たるものがある」

「昔日の栄華を髣髴とさせる遺品の数かず」

「在天の霊 髣髴として来(キタ)り享(ウ)けよ」

とあります。全部「文語」のおもかげがあり「タリ形容動詞」の形を重んじて「と」が入っています。

『三省堂国語辞典』では「彷彿」は(形動タルト・自他サ)とあり1番目の意味の「よく似ているようす」の方の用例は、

「故人(のおもかげ)に彷彿としている」

そして2番目の意味の「そこにないものが目の前にあらわれたように感じ・られる(させる)こと」の用例は、

「作家の姿勢を彷彿させる」

とあり、意味により、形容動詞の「タリ」の方は「と」を伴い、動詞の「する」がつく形では「とさせる」とはせず「彷彿する」の形にしているようです。

 

以上見てきたところから判断すると、もともとは1番目の意味で使われる形で「彷彿たり」だったので、活用させても「彷彿と」だったのが、動詞で2番目の意味で使われるようになる中で、「と」が脱落して「彷彿する」「彷彿させる」という形になってきたのではないかと考えますが、いかがでしょうか。

また「させる」の場合は「彷彿させる」と「と」が入らず、「する」の場合は「彷彿とする」と「と」が使われているようでもあります。(用例の中には例外もありますが)

こんなところです。

それでは、また何かわかりましたら、お知らせします。』

ということですが、納得してもらえたかな?

 (2009、11、5)

(追記)

同じ質問内容のものを『三省堂国語辞典・第6版』の編纂者で早稲田大学非常勤講師の、

飯間浩明さんに送って教えを乞うたところ、以下のような返事が返ってきました。

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「髣髴(と)させる」はややこしいですね。これは、環境によって、どちらかしか使えない場合と、両方使える場合とがありそうです。

 

(1)まず、「髣髴として」と副詞的に使う場合は「と」が入ります。

・江分利の前に昭和12年の神宮球場が彷彿としてあらわれてくる。(山口瞳「江分利満氏の優雅な生活」)

のような場合ですね。「髣髴して」にはならないでしょう。

 

これは「憤然として部屋を出る」「揚々として引き上げる」などと同じ語構成です。「憤然して」「揚々して」と言わないのと同様です。

 

(2)「~を髣髴する」のように、「~を(ありありと)眼前に見せる」の意味で使う場合は「と」は入りません。

・家全体の表情はたしかに、アレキサンドゥルの最後に見た表情を髣髴している。(森茉莉「甘い蜜の部屋」)

 

これは「表情を再現する」「表情を暗示する」などと同じ語構成です。「表情を再現とする」「表情を暗示とする」と言わないのと同様です。

 

(3)「~が髣髴する」のように、「~が(ありありと)眼前に見える」の意味で使う場合は、両方ありのようです。

(a)わが世の春を謳っていた情景が、眼前に髣髴としてくる思がするではないか。(中山義秀「芭蕉庵桃青」)

(b)当時の日本人にとって、きいただけでも、白く光ったおまんまが限前にほうふつする(てるおかやすたか「すらんぐ」)

 

これは、(a)「髣髴と+する(タリ形容詞+スル)」の場合と、(b)「髣髴する」という自動詞の場合の2つがあるからです。なお、この(3)は、使役形にすると、(a)は「~を髣髴とさせる」、(b)は「~を髣髴させる」になります((2)の「~を髣髴する」と似ていますが、語構成は違います)。

 

(道浦が示した)辞書の用例を、上記(1)(3)に当てはめてみると、

 即興詩人「髣髴としてその面影を認めしめたり」→(1)

 吾輩は猫である「埃及(エヂプト)人を髣髴すると」→(2)

 「往時を髣髴させる」→(3b)(「往時を髣髴する」なら(2)

 「旧時を髣髴させる」→(3b

 「過去が髣髴としてよみがえる」→(1)

 「兄の笑顔に父のおもかげが髣髴とする」→(3a)

 「昔日の栄華を髣髴とさせる遺品の数かず」→(3a)

(「栄華を髣髴する遺品」なら(2)

 「在天の霊 髣髴として来(キタ)り享(ウ)けよ」→(1)

 「作家の姿勢を彷彿させる」→(3b)

となり、きれいに分かれています。『三省堂国語辞典』では、このあたりの説明はあやふやですね。改善すべきです。

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ということで、見事に「と」がある場合とない場合の分類(区別)をしてくださいました。

飯間さん、ありがとうございました!

                                          (2009、11、6)

2009年11月 7日 15:49 | コメント (0)