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『道浦TIME』

新・ことば事情

6036「2つの戦前・敗戦」

平成ことば事情203で「戦前」について書きましたが(「平成ことば事情20・戦前」「平成ことば事情4039・平和と戦前」でも)、よく言われるのは、

「戦前・戦後」

と2つに分ける場合の「戦前」には「戦中」が含まれているという話ですよね。

それについて、なぜか通勤途中の電車の中で考えていて、ハタ!と思いつきました。

「戦前・戦後」

2つに分ける場合「戦」は「終戦(敗戦)」を意味している。略さなければ、

「終戦前・終戦後」

ということ。つまり「戦前=終戦前」です。それに対して、

「戦前・戦中・戦後」

という3つに区分する場合「戦前」は、

「開戦前」

の意味であり「戦中」はまさに「戦争中」の略であり、「戦後」だけは「終戦後」の略であるということに気付いたのです。

言われて見れば当たり前だけど、「混同されやすい」のですね。

つまり「戦前」という「略語」の語源には、

「終戦前」「開戦前」

の2つの異なる言葉があるということです。

そこからついでに思いついたのは、「敗戦」という言葉は合っても「勝戦」という言葉は無いな、と。和語ならば、

「勝ち戦(いくさ)」「負け戦(いくさ)」

という対の言葉がありますが、漢語の「敗戦」には反対語がない。これは、もしかしたら、「敗戦」の経験がなかった「戦前(終戦前)」に、「敗戦」という言葉は無かったのではないか?1945年の太平洋戦争敗戦をもってできた言葉なのではないか?などと感じました。これは、調べなくっちゃ。

野球では「敗戦投手」という言葉はありますが、反対語は「勝利投手」です。「勝戦投手」ではありません。そもそも「勝利」の反対語は「敗北」ですから、「敗戦投手」ではなく、

「敗北投手」

の方が正しいのではないでしょうか?

ということで、「敗戦」「敗戦国」についても「精選版日本国語大辞典」を引いて調べたところ、

★「敗戦」=戦争、試合などに負ける事。まけいくさ。(例)『一年有半』(1901)<中江兆民>附録・笠碁的開化「貨幣分捕られて、即ち敗戦に帰するは当然の結果也」*『帰郷』(1948)<大仏次郎>霧夜「敗戦とともに日本は、どんな亡命者も、憚らず大手を振って入ってこようと防げない」*『人間嫌い』(1949)<正宗白鳥>「今はたとへ敗戦しようとも、国民の生活大困難に陥ってゐようとも」

と、用例は一番古いのが「1901年」と、比較的新しい。他の2つの用例はまさに「敗戦後すぐ」の時期です。

あ、そうか「敗戦」の反対語は「勝戦(しょうせん)」ではなく、

「戦勝」

だ!「戦勝」を「精選版日本国語大辞典」で引くと、用例の一番古い物は「室町時代中頃」の「文明本節用集」に「戦勝(センンショウ)」と載っていて、その後「日本外史」(1827)や、「催告立志編」(1807071)、「歩兵操典」(1928)で使われているようです。

「戦勝国」と「敗戦国」

という二分論なのですね!ということは、

「英語からの翻訳語」

だったのかもしれない!と思って、「戦勝」「敗戦」の、「英語」は?と辞書を引くと、

*「戦勝」=victory

*「敗戦」=defeat

ついでに、

*「戦勝国」=a victorious nation

*「敗戦国」=a defeatedvanquished nation

でした。なお、「戦勝国」を「精選版日本国語大辞典」で引くと、用例の一番仏伊の葉、

「東京日日新聞」(1898)であり、続いては夏目漱石の『吾輩は猫である』(190506)ですから、

「日清・日露戦争」

の頃、ということになりますね、使われたのは。「実際、戦争に勝った」のですから。そして「実際、戦争に負けた」ことで、「敗戦」という言葉も、

「1945年以降に、よく使われた」

のではないでしょうか?

(2016、5、18)

2016年5月24日 22:20 | コメント (0)