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『道浦TIME』

新・読書日記 2015_046

『若者はなぜ「決めつける」のか~壊れゆく社会を行き抜く思考』(長山靖生、ちくま新書:2015、2、10)

 

タイトルの内容を期待すると、ちょっと、あれ?と思う。若者の動きを通じて、日本の世の中の現状を解き、その生きにくい時代の生き方をアドバイスする一冊。

「2015読書日記045」で書いた春香クリスティーンさんの本を読めば、「若者」が「決めつけている」とは思えないが、そういう若者は「少数派」ということか?

この本の著者が、以前(2003年)、『若者はなぜ「決められない」か』という本を書いているが、それから12年がたった時点での若者は、今度は「決めつける」のだという。つまり「両極端」に振れるということ。これは日本人の特徴なのかもしれない。

若者が社会へ出る=就職・就職活動(就活)に関しての状況、社会の「働き方」の変化、それによってこれまで「モラトリアム」などといって、そういった存在を、余裕を持って受け入れていた社会が、若者に「決断」を迫り、追い詰めるようになった。そして、その「決断」による結果を「自己責任」として切り捨てる。全ては「グローバル化」の影響だ。2000年~2009年の「ゼロ年代」、小泉政権から始まる中で、その傾向は固定化していったのである。そうして「一億総中流」だった時代の「ふつう」が、「ふつう」の人には手に入らなくなった。そのために「モノを持たない生活」から「家族を持たない(持てない)生活」への変化が生まれた。

「弱者、ゆとり教育、キャラ」の項(161ページ~167ページあたり)で著者は、

「困った状態にある人を、ここでは『弱者』と呼んでおくが、私の見るところ、若者には『否認系弱者』とでも呼ぶべき存在が多い。かれらは『弱者』であることを認めたがらない。架空の万能感に固執して、自分の現状を自覚することができない。(中略)『意識高い系』も、軽度の否認系といえる。また否認系は、『中二病』ともつながっている。中二病とは、中学二年生にありがちな背伸びした恥かしい思考、言動のことだが、これが嵩じると誇大妄想的な大言壮語になる。あるいは日常会話に非日常的なことばが増えて来る。」

「一方、自分の弱者性を自覚した人が陥りやすいのが、『他責系』あるいは『自責系』という次の段階の困難だ。」

というように詳しい分析が続くが、読んでいて自分のことを言われているようで、ムズムズする部分もあった。

また「弱者性を権利とする人々」は「思考停止状態」が見られ、本当は危険性を示すデータが存在したにもかかわらず「想定外だった」「信憑性が確認できなかった」「部下から報告を受けていなかった」「いじめはなかった」等の「言い訳」をし、職務責任として「知る努力」をしなければいけなかったのに怠った「①無能 ②怠慢 ③虚偽」のいずれかに該当する、というあたりは「ああ、あの議員、あの会社か、あの学校・・・」というように思い当る事例がたくさんあった。

著者の本業は、歯科医。歯医者さんの傍ら、こういった評論を多数、ものしている。驚きである。


star4

(2015、3、10読了)

2015年4月14日 21:58 | コメント (0)