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『道浦TIME』

新・読書日記 2014_072

『聖書を語る』(中村うさぎ・佐藤優、文春文庫:2014、1、10)

 

単行本は2001年7月に出ているが知らなかった。文庫本でお手頃。大変勉強になる。2人は同志社大学の同窓生。(ほぼ同じ時期にキャンパスにいたようだ)平成ことば事情5465「『1Q84』の『Q』」にも書いた部分もあるので、それ以外の感想や勉強になったことなど。

佐藤さんいわく「時間というのは2つに大別できる。流れていて、何時間、何時間で計れる時間のことを『クロノス』というのに対して、『カイロス』と呼ばれる時間がある。英訳すると『タイミング』。クロノスが座標軸の上を流れているとすると、上から介入してきて切断する、その点のことを『カイロス』という。ドイツ語では『クロノス』で記述する歴史を『ヒストリエ』といい、『カイロス』をつないで叙述する歴史は『ゲシヒテ』という。直訳すると『事件史』」

「『旧約聖書』は『ヘブライ語』で書かれていて、『新約聖書』は『ギリシア語』。ヘブライ語からギリシア語に訳されたときに"誤訳"があった。典型的なのが『処女降誕』の『処女』。ヘブライ語では単に『年頃の女』だったのに、ギリシアには処女神であるアルティミス信仰があるものだから『処女』と訳してしまった」(49ページ)

「浅田彰の『構造と力』が1983年に出て、その後の『逃走論』以来、大きな物語は要らない、なぜなら大きな物語というのは共産主義が作った抑圧論だから、とされたわけね。だから、大きな物語の抑圧構造を認めるのでなく、小さな差異が重要になってきた。ただし、この小さな差異を追求していくと競争原理になっちゃうんです」(84ページ)

「サッチャーが首相の時、サウジアラビアを公式訪問して、ファハド国王と会うことになった。ところが、女であるサッチャーを国王に会わせるわけにいかない。あの国は女が政治に参画しちゃいけない国だから。そこではたと困って、宗教評議会を開いて妙案を考え出したんです。サッチャーは見た目は女だけれども、あの人間のなかでは明らかに男の要素が勝っている。だから宗教的観点から男であるという判定を下して、男として王宮に迎え入れられたわけです。いわば、本人の自覚しない性同一性障害者として。」(110ページ)

「合掌というのは、どっちの手が押していて、どっちの手が受けているのかわからないから合掌なんですよね。主体もなければ客体もない。合掌が仏教におけるシンボル的な仕草なのも、そういう意味があるからなんです。」(114ページ)

「エリツィン政権の初期のブレーンで国務長官をつとめたゲンナジー・ブルブリスという人物がいるんです。(中略)この男がいなかったらエリツィンはおそらく大統領になれなかったというような人物なんですね。彼がこう言ったんです。ソ連崩壊はいつ始まったか、それはチェルノブイリ原発事故からである。チェルノブイリ原発が炉心を爆発させたと同じように、その5年後の1991年8月にソ連共産党の守旧派がクーデターを起こし、国家が爆発した。すなわち、原発のような巨大システムが事故を起こす時は、必ず国家や社会の機構の不具合もパラレルに起こっているのだ、と。」(126ページ)

 

中村「『週刊文春』の連載で、震災の前から3回ぐらいにわたって『個と全体』の問題を書いていて、そんなことが起きると思ってなかったんだけど、今回の震災が起きたときに、あ、やっぱりみんな全体主義に流れたなって思ったんだよね」

佐藤「今回の場合は国家あっての全体主義ではなくて、国民一人ひとりの根っこにある全体主義が出てきたんですね。」

中村「そうなの。日本人の中にずうっとある、全体主義への志向性っていうのかな。それが今回をきっかけに出てきた」(134ページ)

 

そのほか、「全体主義は、抑圧という名の重大な短所を持っている。同調ファシズム。不謹慎ファシズム。」というような指摘だとか、まさに山本七平の『空気の研究』ですね。

 

中村「宗教いうのも、やっぱり全体主義ですよね。」

佐藤「間違いなく宗教は全体主義です。」(146-147ページ)

 

佐藤「アメリカは、『適正』とか『数量化』に頼って動いている。なぜなら、いまだに啓蒙思想を後生大事にして合理性を信じるという、一種の宗教が支配している国なんですよね。」(163ページ)

 

中村「この震災が起こる前から個人主義がかなり行き詰まっていて、みんな薄ぼんやりと『これじゃいかん』みたいな共通認識を抱えていたところに、この震災で一気に全体主義に行ったじゃないですか。(中略)全体主義と個人主義のバランスのいいところと着地点を、これから模索しなきゃいけないんじゃないかと思うんだけれども」

佐藤「ライプニッツの単子論でいうモナドみたいな人と人のつながり方がありますよね。(中略)モナド的な全体主義のイメージとは、合唱やオーケストラなんです。一人ひとりにパートがある。指揮者の命令に従いはしても、各自の自発的な演奏にたよる部分もあって、それを全体として調和させる。一人ひとりが制約されつつ自分の持ち場を守ることによって、最大限のハーモニーができるわけです。」(165ページ)

 

佐藤「自分の力を世のため人のために使いたいと積極的に表れると翼賛、それに対し、他人に迷惑をかけるのはやめようと消極的に表れると自粛になるんです。翼賛と自粛はコインの表と裏なんですよね。」(166-167ページ)

 

中村「近代の科学主義だって資本主義だって、なんだって洗脳と言えば洗脳なんだよね」

佐藤「我々にとって最大の洗脳は『貨幣』ですよ。18世紀後半に産業革命がイギリス社会で定着するまでは、貨幣がなくても人間は生活することができた。」(178ページ)

 

「全体主義というものは必ず部分から成っていて、その部分部分はみんな違う。モナドは大きかったり小さかったりするわけです。だから全体主義の特徴は多元的なんですね。それに対して普遍主義は、個々の人間をひとしなみに扱い、一つの大きな原理で覆ってしまうのが特徴で、個々の人間はバラバラ。したがって全体主義と普遍主義は対立する概念なわけです。(中略)それでいくとナチスは普遍主義。全てをドイツ人によって席巻しようとするものである」(192~193ページ)

 

中村「全体主義と聞けばすぐナチスのことを思い浮かべるんだけどな、私なんかは」

佐藤「戦後の言葉遣いが変わったんですね。戦争中までは、多元主義が実は全体主義だったの。だから、日本に世界制覇の野望はなかったわけですよ。アジアは我々でやるけれども、その域を越える発想はなかった。」(193ページ)

 

佐藤「今のEUの思想も多元的全体主義の発想なんです。ロシアのプーチンたちがやっているユーラシア主義というのも、多元的発想。今、世界で普遍主義を唱えているのは、中国とアメリカとアルカイダだけですよ。」(195ページ)

 

佐藤「実は国家総動員法をつくった人たちは、1941年にほとんど逮捕されてしまう、治安維持法違反で。(中略)多元的全体主義は共産主義の仲間じゃないかと思われたんです。」(202ページ)

 

などなど。難しかったけど、中身の濃い、勉強になる一冊でした。


star4

(2014、5、26読了)

2014年6月 9日 00:58 | コメント (0)