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『道浦TIME』

新・読書日記 2009_239

『予習という病』(高木幹夫+日能研、講談社現代新書:2009、11、20)

著者は「日能研」の代表。教育カウンセラー。「予習」は病気であると断じる。「え?なんで?」と思うが、ここでいう「予習」とは、「教師の側があらかじめ予定しているカリキュラム」上の予習であり、その周辺や発展の問題というものは対象ではない。テキストを「たたき台」にして、いろいろと発展させて考えていくという勉強の仕方ではなく、あらかじめ設定されたものを「こなしていく」だけの勉強、それを進めることが「予習」であり、そういったやり方は「病」なのだという。なるほど、一理ある。そういった教え方をする教師(講師)は、ルートから外れる創造的な質問を嫌がるという。なんだか本末転倒な気も。著者による「予習病」の定義は、

『既に定められたカリキュラム、学んできたことに固執し、未知の事柄を「まだ教わっていない」「やったことがない」がゆえに無視、否定する精神の傾向。"近年、日能研によって発見され、治療の必要性が主張されている"』

と、ジョーク感覚で書かれていました。特に" "部分は"日能研の宣伝"だな。これを読んで思ったのは、

「全くもって、公務員や官僚の体質と言われるものと同じではないか」

ということ。おそらく右肩上がりの「高度経済成長」時代であれば、こういった物事の処理・対処の方法が、一番効率が良かったのでしょう。

しかし、正に未知の事柄が続く21世紀の現代において、このやり方・教育方法では、社会でのもろもろの出来事に臨機応変に対応することは出来ないと。それは確かにそうだなと思いました。

また著者は、「量が質に転化する」ということに関して、

「質に転化できない人も、たくさんいる」

という現実をシビアに提示し、普段は「量は質に転化する」と信じてきた私も、

「たしかに人によっては転化しない人も、結構いるのだろうな」

と納得してしまいました。つまりは、

「転化する量まで達することが出来ない人」

という意味ですが・・・。

 

 


star3

(2009、11、30読了)

2009年12月29日 12:45 | コメント (0)