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『道浦TIME』

新・ことば事情

4621「万死に値する」

 

山口・光市母子殺害事件の裁判で、最高裁は被告側の上告を棄却、事実上死刑が確定しました。

事件発生から13年、各ニュース番組は事件と裁判の流れを振り返っていました。

その中で流された、被害者側・遺族の本村洋さんのこれまでのコメントの中に、

「君の行った行為は万死に値する。」

という言葉がありました。たしか、事件翌年の2000年の発言だったと思います。

これまでにこの言葉は、よく政治家が口にしてきました。しかし、これまでに聞いたこの言葉の中で、これほど実感を持って、言葉の意味そのものがダイレクトに聞こえたことはありませんでした。

2月3日の読売新聞夕刊「いやはや語辞典」というコラムで、元・神戸女学院大学教授で思想家・文筆家の内田樹氏「万死に値する」という言葉を軽く使う政治家たちに苦言を呈しています。いわく、この「万死に値する」という言葉の字義は、

「一万回死ぬべきだ」

であり、それを唱えることで「呪いの言葉」として自己運動を始めてしまうと。そして、

「いま世を被っている攻撃性のインフレーションに対しては、もう少し警戒心を持ったほうがいいと私は思う。『攻撃的である』と『批評的である』ということはまったく別のことだからだ。批評的であるというのは『物事を根底からとらえる』ということであって、人を呪うことではない。行き交う言葉が断定的で、非寛容なものになるほど、人々の対話能力は劣化し、社会の空気はすさんでゆく。政治家がそれに加担してどうするのだ。」

と記しています。だいぶ、書き写してしまったが、この文章は重要です。

本村さんの発言が「呪いの言葉の自己運動」かどうかは分かりませんが、本村さんの活動が大きく司法を動かしたということは確かです。昨日の会見を聞いていると、本村さんはそんな「呪い」とかの低レベルの次元を突き抜けているように感じました。35歳というともちろん立派な大人ですが、そんな年齢ではないもっと成熟したというか、凡人では一生かかっても達しない「極み」のレベルに既に到達していると、そう感じました。

 

ずいぶん前ですが、2000年の6月14日に「平成ことば事情134」で「万死」について書いています。そのときは、神奈川県警の本部長が不祥事を揉み消していた事件の裁判で、裁判長の判決文の言葉が、

「罪は、万死に値する」

というもの。ところが、「万死に値する」はずのこの元本部長に、なんと、

「執行猶予がついた懲役刑の判決」

が下された、ということを書いています。その頃から、「万死」のインフレが始まっていたのかもしれません。私はそのとき、

「判決は検察側の求刑の『七掛け』、なんてこともよく言われます。しかし『万死』は、すなわち『死刑』ですから、『七掛け』でも『死刑』なんじゃないでしょうか。」

「言葉を安売りすると、言葉の持つ意味が軽くなってしまうのではないか、と懸念します」

と書いています。

 

 

 

 

 

 

(2012、2、21)

2012年2月21日 17:58 | コメント (0)