矢野さんお疲れ様でした。。。 ( プロ野球 ) > ( 阪神 )
今朝のあるスポーツ紙に「矢野引退」の見出しが躍った。
複雑な想いだった…
「やはり」と「まさか」
そして、「なんでこのタイミング?」
先月半ばに炎天下の鳴尾浜球場へお顔を見に行った際には、
復帰へ向けてキャッチボールを再開した日だっただけに、
矢野さん自身の悶々とした想いはわかっていたものの、
まだあきらめていない姿に正直ホッとしていた。
今朝の報道を受けてなのか?
今日午後、大阪市内のホテルにて会見が設定された…
昨日、矢野さんと球団社長が会談した席で、引退を決意し、球団も了承した経緯。
球団社長からは「98年トレードで阪神入りしたが、生え抜き選手と同じ」
と、最大級の言葉が贈られた…
代表質問に答える形でこれまでの野球人生を振り返った矢野さん。
痛めている右ひじのことは理由の1つであって全てではなく、
去年も今年も1軍の戦力として働けなかったこと、最近決めたこと、
今年ダメならの想いでキャンプを過ごしていたことなどを言葉をかみ締めながら発した。
98年のトレードや今回の引退を決意するまでの経緯を
「人生の分岐点は悔しい思いばかり」と形容した矢野さん。
中日で結果を残せなかったことでのトレードや去年からの流れ…
そのことを話し始めた時に、声を詰まらせ、涙が頬を伝い始めた。
星野仙一・吉田義男・野村克也・岡田彰布・真弓明信
5人の監督の下で球界を代表する捕手となった矢野さん。
中日時代ルーキーイヤー91年8・26
初ヒットが初HR・初打点となった甲子園での阪神戦で、
闘将星野仙一監督から「おめでとう」と手を差し伸べられたこと、
成績を残せず、新聞を見ることも嫌だった野村政権時代、
ほとんど褒められたことがなかった中、知将に一度だけ労われたこと。
優勝はもちろんのこと、この2つのことを思い出として挙げた矢野さん。
アニキ金本と下柳投手とはアラフォートリオと呼ばれ、
この同学年の3人は阪神の低迷脱出に欠かせなかったリーダー達。
『この2人がいたから、ここまでやって来れた』
私も数々の矢野さんとの12年を思い出し、涙をこらえるのに必死だった…
私が接してきた現役選手の中でNO.1ジェントルマンの矢野さん。
野球人としてはもちろん、人間矢野燿大を尊敬していた。
その人間性の素晴らしさを今日の引退会見でも存分に見せてくれた。
「優勝を争っているチームに迷惑かける形となり申し訳ない…」
この日も広島へ遠征して戦う仲間達へ、自らの引き際の席でも気遣った。
この姿が‘矢野燿大’なのです…
だからこそ、このタイミングでの決断に至ったのだと思う。
残り試合が「27」
大混戦の優勝争いが激化する中での発表よりは、その前の方がとの判断だろう。
球団サイドも、同じ想いだったかもしれない。。。
まだシーズン中だし、チームのために出来ることをするよ。
もっともっと成長できるように、他の野球見てみたい。
と今後のおぼろげなプランも話してくれた矢野さん。
第2の人生でも一緒に仕事できたらいいな…
それよりも、5年ぶりの‘あれ’の際には、
今年働いたとか働いてないとか関係なしに美酒に酔いしれますよね???
本当にお疲れ様でした。