特 集

2020/10/24

特集 01

2022年夏に“期限”「先送りできない」福島第一原発「処理水」問題 放射性物質トリチウム除去の新技術から見える問題の“本質”とは

東京電力福島第一原発にたまる、放射性物質トリチウムを含んだ「処理水」の処分問題。政府は処理水を薄めた上で海洋放出する案を検討しているが、地元漁業者らは「風評被害をもたらす」として反発を強める。一方、現在のペースで処理水が増え続ければ、原発敷地内の貯蔵タンク置き場は2022年に「満床」となる見通しで、廃炉作業最大の課題である原発建屋内の燃料デブリ取り出しを前進させるためにはタンクは増やしたくないのが国や東電の本音だ。地元の反発覚悟で海洋放出するしか選択肢はないのか。トリチウムが除去できる最新技術を取材し、“第3の道”の可能性を探る。

■政府検討 海洋放出の問題は

「ALPS(アルプス)処理水の取り扱いについて、いつまでも方針を決めないで先送りすることはできないと思っています。今後できるだけ早く政府として責任を持って、処分方針を決めたいと考えています。」菅義偉首相は10月21日、訪問先のインドネシア・ジャカルタで行われた会見で処理水問題に言及。決断の時期が迫っていることをにじませた。

■汚染水・処理水が増え続けるワケ

私たちは2月、福島第一原発を取材していた。事故を起こした4つの原子炉建屋では廃炉に向けた作業が進められているが、そのうち3基の地下には溶け落ちた核燃料、燃料デブリがそのまま残されている状態だ。

強い放射線を放つ燃料デブリを抑え込むためには、大量の水によって冷却し続ける必要がある。冷却のために使った水は放射性物質に触れることで「汚染」される。
さらに原発の地下を流れる大量の地下水も同様に燃料デブリに触れることで「汚染水」となってしまう。大量に生み出される「汚染水」は原発の敷地内にある多核種除去装置:ALPS(アルプス)へ運ばれ、62種類の放射性物質を取り除かれる。

こうした処理によって、セシウムやストロンチウムなど、ほとんどの放射性物質は取り除くことができる。こうした作業の後に残るのが「処理水」だ。無色透明で普通の水と変わらないように見える処理水。しかし中にはトリチウムという放射性物質が残っている。ALPSを通してもそれだけは取り除くことが出来ない。

■なぜトリチウムだけが分離できないのか

トリチウムを巡る問題を理解するために、少し科学の話にお付き合い頂きたい。まずは「水素(H)」を詳しく見てみると…通常の水素原子は陽子1つ、電子1つで構成されいる。しかしこれには例外がある。中性子が1つ加わることがあり、これが重水素(2H)。さらに中性子が2つ加わったものが三重水素(3H)であり、トリチウム(T)と呼ばれている。水素原子の放射性同位体であり、中性子の一つがβ崩壊し、微量の放射線(β線)を出す。

水素原子2つが酸素原子と結合したものが化学式 H2Oでおなじみの「水」だ。しかし、この水素原子は極めてよく似た性質を持つトリチウム(T)が結合する場合もある。こうしてできる水がトリチウム水(HTO)となる。宇宙線などの影響によりトリチウムは自然環境でも生成され、通常水1リットルあたり1ベクレル程度が存在している。体重60キロの人の場合、50ベクレル程度のトリチウムを体内に保有している。

福島第一原発にある施設内でトリチウム水を前に、経済産業省資源エネルギー庁の廃炉・汚染水対策官・木野正登氏が線量計をかざす。「この場所の空間線量が0.06マイクロシーベルト。線量計を処理水に近づけると0.06マイクロシーベルトのままです。処理水からは人体に影響する放射線が出ていないことがわかります。」
 
処理水を貯蔵するタンク1本の容量は約1350トン。巨大なタンクも1週間で満杯になってしまう。福島第一原発の敷地に増え続けたタンクは9月17日時点で1044基。増設するスペースがないため、処理水の貯蔵は2022年夏頃には限界を迎える。そこで政府が検討している処分法が処理水をあらかじめ薄めてから海に流す「海洋放出」だ。

2011年の原発事故以来、風評被害に悩まされてきた地元漁業関係者からの反発は強い。「“汚染水”を海に放出するとなれば、国民は(福島県の魚を)食べますか。
はっきり言って、福島県の水産関連の第一次産業なんてなくなってしまいますよ。今後、新しい後継者は出てこないですよ、イメージが悪くて」(いわき市漁協 江川章組合長)

現在、福島県産の魚は出荷前に放射能検査が行われている。震災前の国の基準は1キロあたり500ベクレル。震災翌年からは100ベクレルと厳しくなった。福島漁連ではさらに厳しい50ベクレルという基準を設定しているが検査結果はほぼ「不検出」となっているのが現状だ。福島の漁業にとって大きな課題となっているトリチウム水。処理水からの分離は本当に不可能なのだろうか?

■大規模除去プラントも可能?トリチウム除去の新技術

「トリチウムの分離は技術的にはできます」と語るのは、近畿大学原子力研究所の山西弘城所長だ。確かに、「電気分解」や「蒸留」など従来の技術でもトリチウム水の分離は可能だ。しかし100万トン単位の水を一気に処理することは難しいという。そこで近畿大学原子力研究所はトリチウム水と普通の水の“脱離エネルギーの違い”に注目。その「差」を利用することで分離することが可能だという。

実験は、トリチウム水が混ざった水(を模したもの)をたくさんの穴が開いた(多孔質の)吸着材に吹き付けることによって行われる。これを温度60度という環境で行うと…。普通の水はくっつきにくいが、トリチウム水は多孔質の物体にくっついたまま残るのだ。この特性を利用すれば、トリチウム水を大量に分離する技術も開発できるという。

この技術によって福島第一原発の処理水からトリチウムを分離することができるのか?山西所長に聞くと…。「実験室レベルでは量が少ないのでゆっくりやればいいのですが、実用化しようとすると100トンくらいの水を1日で処理することが必要。3、4基作るとなると数億円の規模でお金が必要ではないかと見積もっています。実用化はできるとは思うのですがそこにかかるコストや手間を考えていく必要がある」

そもそも「安全」と考えられているトリチウム水にこれだけのコストをかけることが難しい現実があるという。しかし、風評被害の払しょくに数億円の負担は決して安くはないはずだ。

■漁業関係者は“絶対反対” 政府の対応は?

10月15日、全国漁業協同連合組合「全漁連」の代表と福島の「県漁連」の代表らは小泉進次郎環境相のもとを訪れ、処理水の“海洋放出”絶対反対の立場を伝える要望書を提出した。「反対」という要望に対しての小泉大臣の返答は曖昧なものとなった。

「ALPS処理水の取り扱いは国家的にも非常に大きな課題で避けることができないという課題の中で、いかなる決定があったとしても、皆さんの思いをしっかり受け止めた上での決定をしなくてはならない。」(小泉環境相)

梶山弘志経済産業相は10月23日、自治体、漁業団体からの意見をまとめる会合後の会見で、従来通りの発言を繰り返し、10月中とみられていた政府決定を先送りする考えを示した。

「丁寧にやっているということで理解していただきたいと思います」(梶山経産相)
 
本格的な漁業ができない9年半の月日は、黒潮と親潮がぶつかる福島の海に、豊富な海産物をもたらしたという。震災前のように、たくさんの漁船が大漁を目指して海に出る…そんな当たり前の光景を取り戻せる日はいつになるのだろうか。

特集 02

美しい清流が命を奪った…熊本豪雨被災地で再燃するダム計画 新たな“民意”どこに?“反対”する人の思いは?

熊本県だけで死者65名、行方不明者2名の犠牲者を出した7月の「熊本豪雨」。発生から3か月を迎えた現地を訪ねると、流域に甚大な被害をもたらした球磨川が元の姿を取り戻しつつある中、上流にダムを求める声が上がり始めていた。民主党政権時代の2009年に一旦中止となった「川辺川ダム」(同県相良村)。環境保全を求める市民の間には反対の声も根強い。ダム計画の“復活”はあるのか――。

■12年前にダム計画反対の前市長「判断間違っていない」

「階段に座って、流されていく車とかを見ていた。この先どうなるんだろうと思いながら…」熊本県人吉市の田中信孝前市長(73)は7月4日の水害で、経営する市内の葬祭会館が2・7メートル浸水。階段に座り込みながら、なす術もなく水が引くのを待ったという。田中氏は市長だった2008年9月、川辺川ダム計画の「白紙撤回」を求め、その後、熊本県の蒲島郁夫知事や周辺市町村長がダム計画に反対する契機を作った一人だ。同年4月の市長選でダム問題に「中立」の立場で初当選。反対派の運動に参加した経験はなく、半年近くかけて“民意の在り処”を探った。計画反対を表明した根拠は「“清流球磨川”を求める住民の声の多さ」の一点。「人吉の人は、球磨川の恩恵を受けつつ、川とともに生活してきたから」。かつて球磨川で遊んだ自らの幼少期の姿も重ね合わせた。しかし、この政治判断は正しかったのか。自問自答を繰り返した末に昨年、熊本大学大学院で公共政策学修士を取得。研究論文「水害並びに降雨による土砂災害から住民を守るための研究」では、事前避難の重要性を説いた。

「ゲリラ豪雨や線状降水帯などの大雨から住民の命を守るには、ダムなどのハード面の整備よりも事前避難などのソフト面の充実が先だ」

未曽有の大水害を経験した現在でも当時の選択は「間違いなかった」と断言。「いまの“民意”がどこにあるかは分からないが、必要なのはダム建設より水害被害からの生活再建策だ」と語る。

■「ひどい目に遭っても球磨川が好き」

「きれいさっぱり消えた」・・・球磨川下流の八代市坂本町。川沿いに走るJR肥薩線瀬戸石駅前にあった1軒の民家は、7月4日未明の濁流で流された。経営するラフティング会社の事務所としてこの民家を借りていた溝口隼平さん(39)。東京大学大学院でダム撤去に伴う環境変化を研究していた約10年前、近くにあった発電専用の県営荒瀬ダムが全国初の撤去事例となることを知り、移住した。しかし今回の豪雨で自宅も1階部分が浸水し居住不能に。現在は市内のみなし仮設住宅に家族とともに身を寄せる。人吉市内のラフティング会社で“武者修行”を経て独立。ダム撤去で流れが戻った全国唯一のコースが呼び物だったが、豪雨後の川の中には崩壊した鉄橋やさまざまな廃棄物が残っており、現在も再開の見通しは立たない。主に寄付金を糧にボランティアで地域の復旧活動を行う毎日だ。

荒瀬ダムの撤去で「川の水質は改善し、アユが獲れる場所も増えた」と話す溝口さん。そんな経験から、川辺川ダムの建設には反対の立場だ。被災者でありながら球磨川水系にダムを望まない理由…それは、球磨川水系が持つ魅力だという。

「川の美しさもあるが、川と共にある人々の営みが日本の中でもかなり色濃く残っている。その営みそのものが魅力」

そのうえで、反対する人たちの思いを、こう代弁した。「みんな川が好きなんですよね。僕も(水害で球磨川に)だいぶひどい目に遭っているけど『いい川でしょ』って他の人に自慢したくなる。『アホだな』と思いながら」

■川辺川ダム計画とは

そもそも、川辺川ダムとはどんな計画なのか。前回の東京五輪前後の1963年から1965年。人吉の街は3年連続で球磨川の氾濫による水害に見舞われた。この水害を契機に持ち上がったのが、川辺川ダムの建設計画だ。当初は治水のほか利水(農業用水)と発電の機能を持つ多目的ダムとして計画されたが、計画から40年以上を経た2009年、「コンクリートから人へ」をキャッチフレーズに誕生した民主党政権により八ッ場ダム(群馬県・12年に建設再開)とともに中止が決められた。ただ、建設の法的根拠となる特定多目的ダム法に基づく廃止手続きは取られておらず、国土交通省が川辺川ダム建設を前提に07年に策定した球磨川水系の「河川整備基本方針」も存続している。「中止されたが法的には残る」状況が、川辺川ダム計画が“復活”できるカラクリだ。09年の中止後、利水と発電が撤退。現在は治水専用ダムとして計画が残っている。

国と熊本県、地元自治体はこの10年間、「ダムによらない治水」の在り方を協議。遊水池(河川法上の表記は「遊水地」)の確保や堤防のかさ上げ、川底の掘削などを組み合わせる代替策を検討してきた。

しかし、昨年算出した10の代替案は総工費が1兆円を超えるものもあり、川辺川ダムの2650億円(98年時点)より割高。今月6日には、いずれの案も「川辺川ダムより治水効果は限定的」との試算結果が公表され、「仮に川辺川ダムがあった場合、熊本豪雨による人吉市内の浸水域は6割程度少なかった」と結論づけられた。

ダム反対派は「算出が恣意的」などと反発するが、京都大学防災研究所の角哲也教授(河川工学)は、川辺川ダムは有効だと指摘する。

「球磨川水系は上流に行くと山岳地形になって、雨が降ると短時間で水が出てくる。そういう地形では上流で水を止め、貯める効果は高い。川辺川ダムを作るだけで終わるのではなくて、補完的対策はないのかを同時に考える必要がある。組み合わせていくことがこれから大事だ」

■計画に翻弄され50年 五木村は

ダム計画の紆余曲折に翻弄され続けるのが、川辺川ダム建設予定地の上流にある五木村。建設されれば、村の一部が水没する。

「最初は県も下流域も全て賛成で、五木村だけが反対だった。それが五木が同意したとたんに下流で反対運動が起きて中止となった」

村職員時代から50年以上ダム計画と向き合ってきた和田拓也前村長(73)は憤りを隠せない。村が建設反対から容認に転じ、補償交渉を経て住民の高台移転が始まった2000年代初頭、田中康夫長野県知事(当時)の“脱ダム宣言“に象徴される脱ダムブームが起こり、川辺川ダムの反対運動も活発化。さらに移転がほぼ完了したタイミングで、民主党政権による中止が決まったのだ。中止後は「ダムに頼らない村づくり」を掲げ、水没予定地の旧村中心部にはグランピングができる宿泊施設やバンジージャンプ施設を整備し、観光に力を入れてきた。

今年で14年連続、国交省調査の「水質日本一」に輝いた川辺川。そのほとりに建つ宿泊施設は“密”が避けられるとして、コロナ禍の今年の夏も満室の日が続いた。“ダムなし観光”が緒に就きはじめた矢先の「下流の心変わり」。和田前村長はあきらめ顔で語る。

「これから、ダム推進派と反対派による侃々諤々の議論が始まる。互いに言いたいことは言い合うが、その議論は“五木抜き”。五木村はどう思っているかという話は、あまり聞いてくれない」

■知事判断は年内?

2008年、「球磨川は宝」と述べて国に計画の白紙撤回を求めた熊本県の蒲島郁夫知事。今月21日の記者会見では「2008年と比べると、ダムを作ってくれという意見は多くなったという気がする。新たな体験をもとに形成される新たな民意をベースに治水を考えなければならない」と語った。住民や各種団体から意見聴取し、年内に結論を出すという。

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