編集手帳の思い出

  • 投稿日:
  • by

 
タイムラインにも書きましたが・・・
先日、読売新聞のコラム"編集手帳"の著者である
読売新聞の竹内政明論説委員にお話を聴くことができました。
    
今回の対談の準備をしながら思い出したのは、中学生の頃、編集手帳を
毎日ノートに貼って要約し、国語の先生に添削してもらっていたこと。
  
宿題以外の自主学習の範囲で、やりたい人は持っておいで、というもので、
先生はコラムのことを"天声人語のコーナー"と呼んでいました。
我が家はジャイアンツファンの父の影響で読売新聞を購読していたため
"編集手帳"を要約して持っていき、添削してもらっていました。 
   
数年前、"そこまで言って委員会NP"の収録に参加した時のこと。
自己紹介の中で大分県で育ったことを話した流れでこの話をしたら・・・
"大分県は日教組が強いから、やっぱり朝日なんだ。"なんて
辛坊さんや出演者の皆さんに随分言われましたが・・・
私の記憶では、熱心な若い女性の先生で、そこまでの深い?意図は
無かったのではないかと思います・・・。
  
当時の編集手帳は、今と字数もレイアウトも違って、横長だったのを
よく覚えています。新聞に親しむ、読む習慣をつける、という目的も
あったのではないかと思います。30年近く前のことですが・・・。
   
今回、竹内論説委員との対談では、"声に出して読んでみる"ことの
大切さが記事にもなっていました。我が子には要約ではなく"音読"を
させようと思います。編集手帳はまだまだ早いですが・・・。
   
先月のある日の編集手帳には江戸時代の儒学者"広瀬淡窓"の
名前が出てきました。豪雨災害に見舞われた大分県日田市に
咸宜園という私塾を開いた人です。
大分、福岡で被害に遭われた方に、改めてお見舞い申し上げます。