• 藤本義一さんと大阪イレブン
  • 藤本義一さんと大阪イレブン

  • 2012.11.08

 作家の藤本義一さんがお亡くなりになりました。もう長いことお目にかかっていませんでしたが僕にとっては“人生の師匠”と言える人でした。

 今でこそアニメプロデューサーですなんて言ってますが、僕のこの業界でのスタートはYTV入社して早々に配属された制作部で「11PM」(=イレブン、と呼んでます)という深夜バラエティ番組についたところからです。すでに歴史も伝統も兼ね備えていたイレブンスタッフに、仮配属の新米ぺーぺーADとして入れてもらったのが1983年5月。それから約2年半、ありとあらゆる叱られ方というか教育を経験しながら僕の制作人生の基盤が作られていきました。

 当時、月曜から金曜まで毎日深夜11時20分から65分間の生放送帯番組だったイレブン。YTVはそのうち火曜日と木曜日を担当していて、その両方の司会進行を務めていたのが藤本さん。ちなみにその横に座っていたホステス役が松居一代さんの時代です。火曜イレブンは「タイムギャング火曜イレブン」のキャッチフレーズで毎週決まったリズムでコーナーを刻む情報系?番組、木曜イレブンは一つのテーマを決めてじっくり取り組む教養系?番組でした。

 いずれにしろMCの藤本さんを中心にすべてがまわっていくのが大阪イレブンであり、すべての情報や映像要素を、藤本義一というフィルターを通して番組としてリリースしていくのが大阪イレブンという番組定義でありました。なので構成会議にしろ取材にしろスタッフ全員いつも「これは藤本さんならどう考えるんだろう」ということを念頭において活動していくのが常となったのです。

 2年のAD期間を経て僕がディレクターとしてデビューできたのが1985年3月5日の火曜イレブン、ホステス役は吉田由紀さんになっていました。取り扱ったテーマは「主夫宣言」、当時としてはほとんど知られていないテーマに対し、打ち合わせの時に「オレも主夫みたいなもんだな」と返してくれたことを覚えています。そのすぐ後の3月21日、同期の今村君も木曜イレブンでデビュー、なんとゲストは手塚治虫先生!。番組すべてを使っての大特集で、僕もFDとしてスタジオでしっかりお手伝いしましたよ。同じ関西という共通項があったせいか、生ピアノで「鉄腕アトム」を弾く手塚先生と藤本さんの大笑いなトークが最高な65分でした。

 僕のイレブン2作目のテーマは「ストリップ劇場のある街」、それは僕が学生時代を過ごした十三と天満という大阪のお話。例えば今でも十三の木川本町商店街には八百屋があって呉服屋があってその並びにちゃんと「十三ミュージック」があります。梅田はナビオ阪急の前からおそらく今は無い「東洋ショー」の宣伝カーに乗せてもらったこともありました。生活とそーゆー風俗が自然に溶け込んでいるんですね。これらを大阪の素顔の一つとして番組で表現したら、藤本さんがすごく機嫌良く「面白いね」と反応してくれたのは嬉しかったなあ。

 僕が担当していた火曜イレブンは他にもあの“うさぎちゃん”が温泉紹介をする超有名コーナー「秘湯の旅」や「USA最新情報」などの名物企画が有名ですが、番組冒頭に毎週新しい水着ギャルが2枚の鏡をバックにセンターポールをあつらえた特製ステージで、ポールを手に音楽に合わせて踊る「今週のギャルは○○ちゃん!綺麗な日焼けがチャームポイント!」(ナレーションは当時の羽川英樹YTVアナ、良き先輩です)みたいな映像を覚えている方はいますか?藤本さんがまずこのギャルについての感想を言う所から火曜イレブンはスタートしていたのです。

 もう一つ忘れられないのが「サントリーの生CM」。野村さんという本職のバーテンダーがタイミング見計らってボトルやグラスを持ってフレームイン。タイミングは計っているのですが、良くも悪くも話は中断、藤本さんはビールやウィスキーになんとか感想を触れてくれました。僕が担当した頃は松田聖子「Sweet Memories」の曲にペンギンが歌っていたビールのCMが流行っていましたね。冒頭の写真は当時使用していた時計がひしゃげた有名なイレブンイラストグラスです。

 およそ月1本ディレクターとして担当し、あとの火曜木曜はタイムキーパーADやフロアディレクターとして他のディレクターをサポートする、今ではちょっと考えられない余裕がある仕事だったように記憶してます。そんなイレブンを番組5回担当したところで急に卒業することになってしまいました。実はこれが僕が東京へ異動してアニメを担当することになるキッカケなわけですが、当時の僕は結局ものつくりとしてのディレクター失格なんだと思ってしまい、自分のセンスにも限界を感じかなり失意のどん底に。そんな僕に番組終了後にお別れ会をひらいてくれて、お願いして藤本さんからいただいた1枚の色紙には「義」の一文字が。今思えば僕がその後東京で曲がりなりにもやっていける武器をもらったのでしょう。イレブンのチームに在籍した必死の年月、そのつながりをご本人の一文字で表してもらったのですから。

 繰り返しますが大阪イレブン=藤本さんでした。すべてが藤本さんを中心に藤本さんの感性を憲法として回っていました。そして当時の僕の上司は(ここで岡島さんという名前を挙げないわけにはいきませんが)藤本さんをめぐる番組作りをイチから僕に教えて、というより文字通りたたき込んでくれたのです。会社の隣にあったバーレストランで食事をしていた藤本さんを「カメリハの時間です。よろしくお願いします。」と呼びに行くのも僕の仕事でした。僕の呼び方でまだ時間に余裕があることを察知し、本当に切羽詰まっても無視されてもう一度切羽詰まらせた後、おもむろに「じゃあ諏訪君に免じて行くとするか」とおっしゃる藤本さんのニヤリ笑顔も忘れられません。

 享年79歳とあって驚きました。 考えてみればお会いした83年って藤本さんは50歳。当時からロマンスグレーのイメージがありましたからもっと上に感じていましたね。僕はもうその年をとうに越えてます。勝手に師匠と呼ばせてもらいましたが、今の僕は藤本教の一つでもちゃんと継承出来ているのでしょうか。藤本さん、本当にありがとうございました。遠く東京から心より御冥福を祈らせていただきます。

 11月10日土曜夜6時「名探偵コナン 1ミリも許さない(前)」原作ファンならサブタイトルを見てニヤリとすることでしょう。実はこのお話、サブタイトル付けにちょっと苦労したのですが、灰原のこのセリフに行き着いた時はガッツポーズをとったほどです。さてどんな意味合いがあるのか、ぜひ前編からじっくりお楽しみ下さい。あと電話プレゼントは完全番組オリジナル賞品になりますよ。さあどんな賞品で、どんな電話コメントが成されたのでしょうか。こちらも番組を見て忘れずにかけて下さいね。

 11日日曜朝7時「宇宙兄弟 入ってはいけない場所」そういえば4日放送の星出さん宇宙アフレコはいかがだったでしょうか。壮大なロマンを感じてもらえたと思います。そしてそれから12時間後、文化放送インターネットラジオ超A&G「諏訪道彦のスワラジ」なんとゲストが山崎和佳奈さん!蘭ねーちゃんの登場です。実は話してみると話がたくさん面白すぎて2週に渡って放送することになってしまいました。というわけでわかちゃんとのスワラジ、まず前半部分を必ずお聞きくださいね。後半に重なる部分なんてあるはずないノリですから。

 というわけで今週のアニ民はアニ民ではないですが藤本さんのことを書かせていただきましたのでお休みいたします。