• 2006年~

    東京営業

  • 2015年~

    制作プロデューサー

  • 2020年~

    大阪営業

これまでの経歴と、今の仕事は?
『東京営業から制作、
そして再び大阪営業へ』

最初は東京営業に配属されて、スポットの枠運用を行う「デスク」として丸9年。その後制作局に異動して、『上沼・高田のクギズケ!』や『もんくもん』『ベストヒット歌謡祭』等を担当しました。そして本社営業部に「外勤」として戻ってきて、今はCMを出稿・検討頂いているスポンサーや広告代理店に向けて様々な提案を行っています。ただ、以前営業にいた時とは景色ががらっと様変わりしていて驚きました。クライアントが求めるものも複雑化しているし、テレビ局側も商品が増えて提案の幅が広がっています。地上波CM出稿においては、新たな指標への変更やオンラインから購入できるセールス枠の設定が新たに設定され、さらにはTVerなどネット配信へのCM出稿という地上波以外の商品も出てきています。セールス方法から商品のラインナップまでクライアントニーズをくみ取りながら、テレビ局の商品が猛スピードで変化したことを戻ってきて感じました。そこに更にリモート的要素が入ってきているので…誰かから呑みに誘われたら必ず出向き、宴会で使えそうな楽しいコールを考える日々を過ごしていた昭和営業スタイルの私からすると本当に浦島太郎状態です(笑)

仕事のやりがいは?
『テレビの弱点に向き合って、
ものすごいスピードで進化している環境』

自分の提案でクライアントの課題が解決に到ったとき!…と答えるのが正解なのかもしれませんが、それはもちろんのことで。制作で働いていた5年の間に幅広く、深くなったテレビ局のセールス商品にまだ追いついていない部分もあり戸惑いながらも、今はこの環境にやりがいを感じています。最初に配属された時の営業は、きっとこのページをご覧になっている方が多少はイメージとして思っているであろう「テレビ局の営業」で、かなり体力勝負の色が強かったです(笑)ただネット広告の急伸に危機感を抱えながら、テレビの弱点を営業目線でも業界全体で向き合って、ものすごいスピードで新しい商品が生まれ、進化しているのが今のテレビ業界。そんな環境で仕事ができているのはすごく運が良いと思っているし、自分のアイデアが以前より形になりやすい環境なので非常にやりがいを感じています。あと、営業は色んな人と触れ合うから、人との繋がりが自然と広がっていくのも面白いなと思います。どこまでいっても、自分自身おしゃべり好きで、人とコミュニケーションを取るの好きなので(笑)

ytvだからこそ実現できた、もしくは広がった夢は?
『テレビ営業の目線をきっかけに、
「音楽」コンテンツを
形にしたい』

自分は「合唱部」出身というキャリアを持っていて、就職活動時は「音楽で関西を元気にしたいです」と話していたんですが、制作時代にPとして関わった『ベストヒット歌謡祭』で1つ夢が叶いました。Toshlさん歌唱の演出で関西の合唱団の方々、500名以上にバックコーラスとして出演いただいたんですが、人集めはもちろんのこと、各合唱団の皆さんの並びなどもすべて考えて…かなりの時間を要しましたが、その甲斐あって本当に良い音楽が出来上がり、その瞬間を前にした時は、あまり人には見せないタイプなのですが思わず涙がこぼれちゃいました…営業からはすっかり離れた話になってはいますが、テレビ局における「夢」はやはり何かしらの「コンテンツ」を主語に話せるものが良いと思っているので、今、営業部にいる私としてはバリエーション豊かになったテレビ営業の目線をきっかけとして「音楽」コンテンツを形にしていきたいと思っています。

このページを見ている方へのメッセージ
『テレビ局の可能性を
押し広げるために
お力を貸してください!』

テレビ局の人事異動では、営業➡制作と全く畑違いの業務となることもあって、正直自分の積み重ねてきたキャリアを一度リセットする感覚もありました。ただ、今のテレビ局は売り方(営業)以外の、作り方(制作)なども本当にすごいスピードで変化を繰り返しています。ゴールへのアプローチ方法も多様になって自由度が増した結果、どこの職場でも自分の過去のキャリアをより活かしやすい環境になっていると思います。テレビとは全く異なる業界からの転職、学生から新入社員としての入社、いずれの立場でもご自身の経験を持ってテレビ局の可能性をより押し広げるためにお力を貸していただきたいです!
就職活動は「運」と「縁」。私は就活当時、ytvの採用試験であっさり一次面接落ちをしましたが、たまたま実施された後期採用で無事入社することができました。採用方法も本当に幅広くなってきていると思いますので、様々なアプローチをかけていただき、ご一緒できる日を楽しみにしています!