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野村明大(ytvアナウンサー)『野村明大の徒然なる道』

橋下知事の目指す「新しい治水」ではないのでは?

きのう

大阪府の河川整備委員会が、

開かれました。


有意義な議論だったとは思いますが、

ひとつ、大事なのに欠けている議論が、あります。

それは、

槇尾川ダムの「治水目標」、、これを「器」と言い換えますが、


「器は65ミリにするのか? 50ミリにするのか?」

という議論です。

府の事務局は、

昨年度の「検討部会」の中で、

「器50mmの整備が済んだあとに、危険度Ⅱがシミュレーション上、ほんの少しでも出れば、

 器を自動的に、65mmか80mmにあげる」

という、

まさに、霞が関文学さながらの、鮮やかな「骨抜き」フローを、出しました。

「65mmと80mm、どちらの器を選ぶのかは、

 1フローによるB-Cを計算し、効率性で選択する」


というフローが示されていた為、


「非効率な事業に、自動的に突っ走る」芽も事前に摘み取る

なかなか良くできたフローだと、、、、

その時点では、誰しも、思いました。。。。(恥ずかしながら、私も。。。)


                                 ところが。。。。。。。。


槇尾川について、

実際に、「B-C」を計算してみると、

「著しく非効率だ」ということが、如実にわかるデータが、新たに出てきました。


このデータをめぐり、

大阪府の幹部が、


有識者委員の一人だけに対して、

どうにか、このデータを世に出さずに、ほかの指標で済ますことはできないか?

相談のメールを送り、

実際に、一度は、別の指標が、委員会で提示されました。


しかし、「BーCがマイナスなのではないか?」との指摘が出て、

翌委員会で、結局、一度は世に出さなかった「B-C」の値が、公表されることになりました。

一連の動き、情報公開された「府と委員とのメールのやりとり」をみれば、

ダム建設に不利なデータの隠蔽工作ともとられかねない内容です。


(ちなみに、メールを送った当人も、受け取った当人も、

 「隠蔽工作の意図はなかった」と、我々の取材に対しては、否定しています)


話がそれました。


「いかに非効率な事業であっても、

 ある条件を満たせば、自動的に〝器〟をレベルアップする」

そんなフローを認めてしまった瞬間、

橋下知事の言う「新しい治水」の理想の9割は「骨抜き」になる、

というのが、私の意見です。


府は、かたくなに、「フローの修正」をしようとしません。


委員会のほうでは、「修正の余地はある」と多くの委員が口にしながらも、

いまだ、「修正」に向けた具体的な議論は、始まっていません。

橋下知事は、

ここにきて、

「行政の責任論」を、多く口にしだしました。

「記者の皆さんと違って、自分には、責任がある」んだそうです。


知事のおっしゃることは、もっともでしょう。

でも、

「50mmから65mmに、あげようとしている」のは、

「国の法律」ではなく、「大阪府自身」です。


しかも、そこには、府民、国民の税金が多く投入されるにも関わらず、

「十分な議論」なしにです。


自らの手で引き上げた「行政の責任」の「ハードル」をもって、


責任を問われるのが怖いから、より慎重で、前例に沿った計画を立てました、

というのは、


世の多くの「常識的」な首長の主張です。

少なくとも、橋下知事らしい主張では、断じてありません。


「行政の責任論」に絞っていうなら、


「器は50mmにする」という政治判断を決断したうえで、

(現に知事は、府民全体の、治水のシビルミニマムは、50mmにする、と

 宣言しています、、、何度も、、、、)

50mm+αの対策の中で、


「何が、もっともお金が安く、スピードをもって、住民の命に直接効果がある政策か?」を

探っていくのが、

「新しい治水」を掲げた当初の理念であり、原点であったはずです。

(そこでの検討の結果、

 「器の65ミリレベルアップが最適」あるいは「ダムが最適」といった結論が出ることを、

 否定する気は、さらさらありません。


 少なくとも、そこについて、「議論」を尽くすべきだと、言っています。)


自ら(府自身)が(意図的に?かどうかはわかりませんが…)作った「フロー」に自縄自縛になり、

「行政の責任が…」という理屈をタテに、

新しい手法、新しい考え方の導入をかたくなに拒否する姿勢は、

これまで知事が進めてきた「改革姿勢」とは、

残念ながら、180度、逆の姿勢です。

私は、

知事が、

「大阪府の住人の命は、治水の責任者である自分が、どれだけお金をかけても、守る!

 大阪府は、1時間100ミリの雨が降っても、水が一ミリたりともあふれないように、

 府下の河川の器を、整備する!


 それが、何十年、何兆円かかっても、やり遂げる!!」


という固い理念を持っておられるなら、

「行政の責任論」を、もろ手を挙げて、支持します。

今の知事の「責任論」は、残念ながら、

「65ミリの雨」までの話です。

80ミリの雨が降ったら、「すみません。。お金がないから、無理なんです。。」と

謝るレベルの「責任論」です。 

果たして、覚悟を持った「責任論」と言えるでしょうか??


それならば、なぜ「65ミリ」なのか?? 腑に落ちるように、説明してほしいというのが、

私の意見です。

知事は、一貫して、「50ミリ」と言ってきたはずなのに、

それがいつの間にか、「65ミリについて責任を負う」といわされる話になっている。。

(河川室の書いたストーリーに、さて、乗ってしまっていないでしょうか?)


それが「なぜなのか?」「何に原因があるのか??」


もう一度、霞が関文学さながらの、鮮やかなフローを勉強しなおして、

原因を、突き止めていただきたいものです。。

自らが問題提起し、わざわざ議論を巻き起こした、この問題。


もう一度、原点に戻って、

「何が大切であったのか?」を、思い起こしてもらいたいものです。

投稿者: 野村明大 日時: 2010年08月13日(金) | コメント (1)

コメント

ダムのプロである関西電力さんの意見を聞いてみたいですね。

彼らは実績に基づいたダムの治水効果のデータを持っているはずですから。

私・・・ガスより電気が好きです。 ^^v

投稿者: (・e・) 日時:2010年08月13日(金) at 17:21

アナウンサー