平成 ' 最高 ' の野球人

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孤高のバットマンが誇らしくバットを置いた...

日本で9年、アメリカで19年、日米通算4367安打
打つだけでなく、走る、守る
記録だけでなく、すべてにおいて記憶にも残るプレーヤーだった。

開幕戦同様、守備に就いてから交代を告げられると東京ドームが1つになった。
ファンのスタンディングオベーションはもちろん、
所属のマリナーズの同僚選手1人1人とハグを交わし、敵軍全員からも拍手をもらった。

公式戦の試合途中にも関わらずのセレモニー。この光景に文句を言う人は誰もいない。
日本から海を渡って歴史に名を刻んだサムライへ惜しみないセレブレーション
MLBの文化も粋だなと感じた瞬間である。


会見が始まったのは日付が変わる寸前...時間は約1時間30分...

球道者がまだ現役選手だったらきっと答えていないであろう質問にも、
時折ジョークを交え、丁寧に言葉を噛みしめながら報道陣を諭すシーンもあった。


私は当時のオリックスとあまり縁がなく、なかなか接する機会が少なかったが、
そんな私でも、彼と2回話したことがある。

2000年、福岡ドーム(現ヤフオクドーム)での
ダイエーvsオリックス戦の中継リポーター応援の時だった。

明らかに打撃フォームに変化があったので、

「イチローさん、練習終わりで1つ聞いてもいいですか?」

『今でいいですよ』

えーーーーー

練習終わりの取材を想定おり、
それまでにどの言葉を使って質問しようかとこれから考えようと思ってたのに...

でも、本人が今がいいと言ってるのに、これはチャンス!と思い、
自分を作らずに素直に聞いた。

「なんで打撃フォーム変えたのですか?」

『変えたのではなく、自然に変わったんです。僕はまだ上を目指しているので...』

当時一斉を風靡したイチローの代名詞【振り子打法】からの脱却。
その年のオフにポスティングシステムでMLBへ挑むことになるが、
近い将来、メジャーへ行き、そこでアジャストするための第一歩だったのだ。

もう1回は神戸市内の飲食店でたまたま会って、
ほんの少しだけ雑談しただけなので話したうちに入らないか...


平成初期、日本のトッププレーヤーになったオリックスの【イチロー】

その後、メジャーリーガーとなった【ICHIRO】は
平成の終わりとともに世界中のファンに別れを告げた

会見では【鈴木一朗】の顔もほんの少しのぞかせたが
これからはどんな姿を見せてくれるのだろうか?

漢字→カタカナ→アルファベットときたので...
新元号では【いちろう】で新たな時代を創ってくれるかもしれない


あなたと同じ時代を過ごすことができて光栄でした。ありがとうございました。


追伸
そっくりさんのニッチロー今後どうする???...