過去の放送内容
2025年1月
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2025年1月31日
【記者が体験】京都の文化「いけず」を体験するイベントが開催 女将が話す「いけず」から本音を読み解く 開催の狙いとは?
京都人に古くから伝わる“言いづらいことを遠回しに伝える“文化「いけず」。そんな「いけず」を、京都人の女将との会話を通じて体験できるイベントが開かれました。女将が話す「いけず」から本音を読み解くゲーム形式のイベントで、チケットは即日完売。追加日程も完売になるほどの盛況ぶりに。“いけず体験”が開催された狙いとは―
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2025年1月17日
あの日を忘れないー 写真で繋ぐ、震災の記憶 “いまの神戸”を撮ることで、伝えたい想い…【阪神・淡路大震災30年】
30年前、国内初震度7の揺れが襲った神戸の街。無残にも崩れた建物、火に包まれた商店街、逃げ惑う人々…震災の被害を伝え続ける当時に撮られた写真の数々。神戸市長田区には震災の写真を多数収蔵している「神戸アーカイブ写真館」がありました。しかし昨年末に閉館。代表の東さんは震災30年、そして施設の閉鎖のタイミングでいまの神戸の街をとる活動を始めました。震災を忘れないためにー。写真で繋いでいく震災の記憶。東さんの活動に密着しました。
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2025年1月17日
「経験してないのにどうしたら?」震災“未経験”教師が震災学習で苦悩 子どもたちに“自分事”に感じてもらうために…【阪神・淡路大震災30年】
「経験していないから」「生まれてはいたけれど…」。阪神・淡路大震災を“経験していない”教師たち。児童はもちろん教師も“未経験”であることが当たり前になりつつある中で、子供たちに“自分事”に感じてもらうために若い教師たちが苦悩しています。子供たちの“命”に向き合い試行錯誤する姿を取材しました。
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2025年1月17日
『もし梅田で被災したら…』都市部ならではの災害リスク 南海トラフ巨大地震に備え私たちができること【阪神・淡路大震災30年】
関西に住む人はもちろん、国内外からも多くの人が訪れる大阪のメインゲート梅田。昼間の人口は約350万人と言われています。そんな梅田の街で、もし大きな地震が起こったらどうなるのでしょうか。様々な視点の中から都市部の防災をテーマに、大都市ならではの災害リスクや避難場所について専門家とともに解説しました。
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2025年1月17日
30年前のあの日 90秒の映像の中に「生」と「死」が交差していた 時を経ていま思うこと【阪神・淡路大震災30年】
30年前のあの日、取材班が出会ったのは2人の男性。自宅前で呆然と立ち尽くしていた中田静男さん。静男さんに兄の生存と母の死を告げた吉見高司さん。カメラが直面した、わずか90秒の映像には生と死が交差していた。時を経て彼らがいま思うこととは。
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2025年1月17日
「救助の神」と呼ばれた父の背中を追い消防士になった娘 30年前の父の“無念”を胸に…いま伝えたいこと【阪神・淡路大震災30年】
神戸市消防局・垂水消防署の消防隊員・山本奈緒さん。阪神・淡路大震災で活動した父の背中を追い消防士になりました。夢の原点は、あの日仕事へと出ていった父の後ろ姿。あれから30年、自身も親になったいま、伝えたいこととは。
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2025年1月17日
初めて公の場で歌った児童が30年ぶりに“原点”の地で再現 各地の被災地で受け止めた人々は…「♪しあわせ運べるように」の30年【阪神・淡路大震災30年】
阪神・淡路大震災からの復興を願い作られた歌「しあわせ運べるように」。神戸市の教諭だった臼井真さんが、三宮の町の惨状を見て、頭に沸き上がった歌詞を書き留め作られました。当時赴任していた学校で“初めて”歌った児童らが当時を再現。その時は、参加者の誰もが思いもしませんでしたが、その後歌は、阪神・淡路以外の被災地にも広がり、新潟県中越地震や東日本大震災の被災者にも影響を与えました。中には「歌に巡り合わなければ自殺していた」という人も。歌を最初に歌った当時の児童は、何を思うのか?受け止めた被災者のその後は?30年歌い継がれたことを作者はどう感じているのか?
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2025年1月17日
「なぜこんな目に」厳しい道のりも息子とともに。感謝を胸にくだした決断と、今の思いー
阪神淡路大震災後、再開発事業が進められてきた長田の町で、店の灯りを守り続けてきたお茶屋の店主、伊東さん。30年という節目を前に、今思うこととは。
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2025年1月16日
「架け橋になりたい」…震災を知らない大学生が初めて学び伝える震災番組 経験を言葉に
兵庫・芦屋市のケーブルテレビで1月16日から放送されている「つなぐ、伝える」は、甲南女子大学の学生が制作した震災番組です。メンバーのひとり、2年生の中上さんは、「震災」に触れることにハードルを感じていました。多くの人に話を聞き、学びを深めていく学生たち。こども2人を亡くした米津勝之さんから被災当時の話を聞くと、「知らない」自分に何ができるか不安が募ります。また、9月には能登へ。初めて見る被災地に言葉を失いました。震災と初めて向き合い、学生たちが気づいたこと、番組で伝えたいこととは。悩み考え抜いた半年間に密着しました。
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2025年1月16日
0歳で被災…震災の記憶がない語り部が伝える「ありがとう」 批判と苦悩でも…父を目標に同じ道へ
米山未来さん(30)は、阪神・淡路大震災を語り継ぐ語り部として活動しています。生後2か月で被災したため震災当時の記憶はなく、語り部活動を批判されることも。その度に、語り部の先輩である父・正幸さん(58)に背中を押され、親子2代で阪神・淡路大震災を語り継いできました。震災から30年。いま、未来さんが伝えたい想いとは。









