太陽の光を浴びると皮膚がんに…1歳の男の子が患った難病「色素性乾皮症」 息子の未来を探す両親の決意

紫外線を浴びると皮膚に火傷のような症状が出て皮膚がんを発症する「色素性乾皮症」。生後2か月でこの難病と診断された男の子がいます。症状は徐々に進行し、生きられるのは長くても20歳ごろまで…。わが子の未来を変えるために、治療の道を探し続ける両親の1年を追いました。

【特集】太陽にあたれない子 20歳まで生きられない…1歳の男の子が患った難病「色素性乾皮症」、息子の未来を探す両親の決意

太陽にあたれない男の子

 太陽の光を浴びることができない“難病”を持つ男の子。光を避ける生活を続けていますが、残された時間には限りがあるといいます。「わが子の未来を変えたい」と治療の道を探す、家族の1年を追いました。

紫外線に当たらないように…海陽くんと家族の生活

太陽が沈んだ頃に公園へ

 1日の始まりは夜。あたりが暗くなると、その家族の時間が動き出します。

 新貝海陽(しんがい・うみひ)くん、0歳8か月(当時)。生後2か月で、ある病気を患いました。紫外線を浴びると皮膚に火傷のような症状が出て、皮膚癌を発症する難病「色素性乾皮症(しきそせいかんぴしょう)」です。症例が少なく、国内の患者数は推定300人~600人ほど。現在、治療法は見つかっていません。そんな海陽くんの家族は太陽が沈んだ後に公園へ出かけます。

「太陽が沈むと、なんか解放されたなっていう気持ちです。いま俺ら完全な普通だなって。普通に憧れますよね」(父・新貝篤司さん)

「色素性乾皮症」を持つ海陽(うみひ)くん

 海陽くんは5人家族で、3兄妹の末っ子。自宅では、紫外線を避けるため全ての窓に、紫外線をカットする特殊なフィルムを貼って生活をしています。

 この日は夕方から自宅の駐車場でバーベキュー。準備をするお父さんの篤司さんは、どこに行くにも紫外線量を測る機械が欠かせないと言います。

欠かせない「紫外線測定器」

「普通の人は気にしなくていいレベルなんですけどね。日陰ですら絶対に日焼けなんてしないんで。この日陰で、紫外線のレベルが300とかなんですけど、海陽は500から日焼けするかもしれない。普通の日中は5000とかです。今、準備したテントの中は5くらいで、僕たちは普段は10以下で生活しています。日陰なんて全然意味がないですね」(父・篤司さん)

わずかな距離も布で覆って移動

 自宅横に設置したテントまでのわずかな時間でも、紫外線が当たらないよう、海陽くんの全身を布で覆って移動します。

「このテントの中だったら、紫外線は大丈夫?」(母・真夕さん)
「大丈夫、もう絶対いける。できるだけテントの隅の角の方にいなよ」(父・篤司さん)
「隅の角ね」(母・真夕さん)

海陽くんを気遣う、姉の陽花ちゃん

 お姉さんの陽花ちゃんも、動き回る海陽くんを抱き、太陽の光が当たらない場所へ連れていきます。

「ダメダメ、太陽に当たっちゃダメ」(姉・陽花ちゃん)

 そして、この病気にはもう1つ特徴があります。太陽を浴びない生活を続け、皮膚がんの発症を防いでも、6歳頃から必ず身体機能の低下が始まります。症状は少しずつ進行していき、長くても20歳頃までしか生きることができないと言われています。

「海陽の未来を作りたい」治療の糸口を探す日々

生後2か月のとき、激しい日焼けの症状が…

 海陽くんが生まれたのは、2020年11月。名前に込められたのは、「海を照らす太陽のように輝く人になってほしい」という願いでした。生後2か月のとき、家族旅行でスキー場を訪れた翌日に激しい日焼けの症状が出ました。医師から告げられたのは、死と隣り合わせの難病「色素性乾皮症」でした。

「この病気は遺伝なので、100%私と主人のせいなんです。なので、ごめんねって感じで毎日思っていました。産んでごめんねって言ったら本当に悔しくなっちゃうんですけど…でも病気にしてごめんねって、だから絶対助けるねって思います」(母・真夕さん)

“防護服”はお母さんの手作り

 外に出る時は肌に直接光が当たらないよう、必ず手に靴下を履かせ、何着も服を重ねます。日光を遮断する防護服は、お母さんが見よう見まねで手作りしたもの。通気性の悪さを解消するために何度も改良を重ね、これで6着目です。

 両親が最も心配しているのは、皮膚がんの発症ではなく、“身体機能の低下”がいつ起こるのかということ。その始まりは“難聴”だと言われています。この日海陽くんは、静岡県にある浜松医科大学病院で診察を受けました。

「これからの予定として、5歳、6歳くらいになってきて両耳の聞こえが悪くなってきたら、補聴器をつけましょう」(浜松医科大学病院 医師)
「はい…」(母・真夕さん)

 “まだ何も症状が出ていない今のうちに病気を治したい”それが両親の願いです。未来を変えるには、病気の進行が始まると言われる6歳頃がリミットです。

 お父さんは病気が分かってからの8か月間、毎日暇さえあれば大学や研究機関の論文を調べるようになりました。

「治す力は僕らにはないので、研究の論文があるので見ていたんですけど、最近は“色素性乾皮症治療”ではあまり調べないですね。調べても治療法はないので。だから“アルツハイマー治療薬”とか“アルツハイマー 10年後 治る”とかで調べます。夜寝る前に、奥さんとインスタグラムの発信をしたり、更新をしたりするのと一緒のような形で。海陽が10年後20年後に幸せになっているための時間であれば、自分の事は全部我慢します」(父・篤司さん)

懸命に治療法を探す父・篤司さん

 少しでも手がかりが欲しいと、神戸大学病院や大阪医科薬科大学病院にも通いました。遺伝から発症するという色素性乾皮症。辿り着いたのは近年、世界的に注目を集める「遺伝子治療」です。

「色素性乾皮症のA群の僕たちが一番気にしているのは、身体機能の低下などの神経症状なんです」(父・篤司さん)
「この病気に関しては、直ちにこれを使えばいいでしょうっていう道筋がないですから、やっぱりそこを丹念に…まずメカニズムをはっきりさせないといけなくて…」(自治医科大学 教授)
「そうですね…はい」(父・篤司さん)

 かすかな光を期待して、全国の遺伝子治療の研究機関を駆けずり回りました。しかし希望の先に待っていたのは、治療の手立てがないという現実でした。

「寝顔を見ていて…すごい可愛いし、すごい僕のことを好きでいてくれているのがわかるので、嬉しいですし、嬉しいからこそ悔しいですし…この子の未来はどうやったら作れるのかなって思っちゃいますね」(父・篤司さん)

 生きていることは「死」に近づいていること。わが子に与えられた時間は限られています。

残された時間への焦り…それでも「絶対に諦めない」

 現実から目を背けてしまう気持ちと、諦めたくない気持ち。両親は心の中で何度も問いかけます。残された「時間」をどう歩むべきなのかー。夫婦の話し合いも、何度も重ねます。

「15歳からが早いんだと思う、20歳になるまでの衰退していくスピード感が。お花が咲いているかのようにウキウキの、今幸せって思っているこの状態を続けられるのは、この10年…10年もないんだなって思ったの」(母・真夕さん)
「海陽も日々成長しているから、“なんとかなるでしょ”の今だけど、でもくそダメだね。めっちゃダメ。仕事とかと一緒で、絶対ダメな“なんとかなるでしょ”みたいな、やった感。インスタグラムにあげただけで、やった感みたいな。フォロワーが増えているだけで、やった感みたいな。それでダメなのは分かっているけど…何を行動に移していいのか分からない」(父・篤司さん)
「生まれてきた意味を勝手に作っちゃいけないけど、何かをしなきゃみたいな」(母・真夕さん)
「うん・・・」(父・篤司さん)

「奇跡は誰も持ってきてくれない」母・真夕さん

「ボーッとここで座って待っていても、“奇跡なんて誰も持ってきてくれないよ”って思うんです。海陽といる時間を大切にしたいと思ったら、今後10年先、15年先にもしそう思ったときには、“じゃあ、おしまい”って思っちゃうかもしれないですけど、この7年、8年はたぶん、諦めることはないと思います」(母・真夕さん)

海陽くん1歳の誕生日

 たくさんの葛藤を心に抱え、複雑な思いで迎えた海陽くん1歳の誕生日。家族でケーキを囲んでお祝いしました。

「ハッピーバースデートゥーユー!ハッピーバースデー海陽!おめでとう1歳!」

 これからも大切な日々を、重ねていきます。

(「かんさい情報ネットten.」 2022年5月3日放送)

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