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#126「イタリア/フィレンツェ」 11月7日(日) 午前10:25〜10:55


 今回のお届け先はイタリア・フィレンツェ。この町で仕立屋を営む宮平康太郎さん(28)と、大阪に住む母・徳子さん(56)、妹・あやのさん(23)をつなぐ。イタリアに渡って7年。母は「針も持ったことのない子だったのに…。今は一人で生活しているので、食生活などが心配。どんな仕事ぶりか見てみたい」という。

 康太郎さんは2年前、フィレンツェにある自宅の小さな部屋で仕立屋を開業した。表には看板も出ていないが、イタリアでは店舗を構えないのが仕立屋の一般的なスタイルだという。「知っている人から知っている人につながって、顧客が増えていく」と康太郎さん。彼が仕立てるのはしなやかでエレガントなシルエットが特徴の「フィレンツェスタイル」と呼ばれるスーツ。1着およそ30万円。採寸から縫製まで、すべての工程をたった一人で、ハンドメイドで仕立てている。

 1着完成するまで最低でも6ヵ月。採寸した数値だけでなく、着る人の微妙な体型を常にイメージし、まるで布地と対話するかのように一針一針魂を込め、平面の生地を立体に仕立てていく康太郎さん。さらに3度にわたるフィッティングで細部を調整し、抜群の着心地と見た目の美しさを追求する。その両者をいかに高いレベルで両立させるか?スーツ作りはそのせめぎ合いの連続だという。

 康太郎さんが開業する前、4年間修業を積んだ老舗の仕立屋がある。日本でたまたまこの店が手がけたツイードジャケットを見て心を奪われ、イタリア語も喋れないままフィレンツェに渡り、その門を叩いた。「いきなり訪ねて、仕事を見せて欲しいと頼みました。仕事を手伝い終わったら"明日も来ていいか?"と聞き、"いいよ"と言ってもらって1年間通いました。その後、3ヵ月日本に戻ってお金を貯めてはフィレンツェに渡り、それを3回繰り返した」と康太郎さんは振り返る。そんな生活を2年間続けてようやく認められ、正式に店で雇ってもらえることに。スーツ職人としての道が開けた瞬間だった。

 そんな康太郎さんの両親は幼い頃に離婚。母は女手ひとつで息子を立派に育てようと頑張ったが、康太郎さんは高校を一年で中退。未来の目標を見失った時期があった。「やんちゃでした。ダンスやスケボーをしたり、針金で指輪を作って路上で売ったこともあった。その時は楽しいけど、後で虚しいんです。本当にやりたいことはこれじゃない、って」。そして建設業の仕事をしていた16才の時、たまたま入った洋服店に魅了され、次の日、年齢をごまかし、雇って欲しいと面接に行った。履歴書からはみ出すほどに綴った熱意で採用され、以来、洋服の魅力に取り憑かれた康太郎さんは、いつしか自分の手で作りたいと思うようになっていた。

 世間からドロップアウトした時期も道を踏み外さずに済んだのは、常にその胸に、ある想いがあったからだという。「父親代わりもして頑張ってくれていた母を裏切っていることがつらかった。でも母だけはいつも俺を応援してくれた。あの人だけは大切にしなければ…」。康太郎さんは母への秘めた想いを明かす。

 そんな母から届けられたのは、康太郎さんが高校を中退した後、路上で売っていた指輪。進むべき道を見失って、あり余る衝動だけをぶつけて作り上げた忘れがたい指輪だ。添えられていた手紙には"高校を中退した時、あなたの将来を案じましたが、指輪作りに一生懸命になっていた姿に希望が見えたようでホッとしました"と、当時の母の想いが綴られていた。康太郎さん自身も信じることのできなかった未来を信じてくれていた母。その想いに康太郎さんは「ほんまにエエおかんの所に生まれました」といって涙をこぼす。