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#124「フランス/サンレミ・ド・プロヴァンス」 10月24日(日) 午前10:25〜10:55


 今回のお届け先は南フランスのサンレミ・ド・プロヴァンス。この町のレストランでセカンドシェフとして奮闘する田中賢治さん(29)と、兵庫県宍粟市に住む父・義夫さん(61)、母・幸代さん(59)をつなぐ。両親の希望で一度は大学に進学した賢治さん。「大学の時、急に料理人になりたいと言い出して反対した。でも本人が泣きながら"どうしてもやりたい"と。そんなことは初めてだった」と、両親は当時の戸惑いを振り返る。

 賢治さんが働く「ラ・メゾン・ジョーヌ」は、ミシュランの一つ星レストラン。一つ星といえど、フランスにある何万もの店の中で、星がつくのはたった558軒だけ。料理の質、店の雰囲気など、あらゆる面で一流と認められた証なのだ。オーナー以外のシェフは賢治さんただひとり。セカンドシェフでありながら、仕込みをはじめ、厨房のほとんどすべてを任されている。およそ30ある客席は連日ほぼ満席。厨房では息つく暇もない忙しさだ。

 小さい頃から料理が大好きだった賢治さん。大学に進学しても、心の奥に秘めた料理人への夢を抑えることはできなかった。「"料理人になりたいから大学を辞める"と言ったら、両親が"それだけはダメだ"と。毎日喧嘩でした」。そんな中、ただ一人応援してくれたのが、大好きな祖母だった。「"料理人になるよ"といったら、"自分のしたいことをしなさい"と応援してくれた。おばあちゃんの応援は励みになった」と賢治さんは語る。

 大学卒業後、調理師専門学校に入り直し、ついに料理人の道へ。その後、本場フランスで修業をしたいと、100軒以上の店に手紙を送った。「行動イコール夢の原動力と思っていたので、できる・できないじゃなく、いろんなことに挑戦したかった」という。そして、1年間に3軒の名店で住み込み修業。そんな姿が今のオーナーの目にとまり、3年前からこの店で働き始めた。だが応援してくれた祖母はその後、他界。一人前になった姿を見せることはできなかった。

 賢治さんは昼の営業と、夜の仕込みまでの2時間ほどの休憩時間、近くにある自宅へ帰り、何やらノートに書き始める。厨房で学んだことを細かく記録しているのだ。料理人を志してもう20冊以上になるという。「僕は今29才で5年目。皆19才ぐらいで料理人になるので、僕のキャリアは普通の人の半分。その分、倍努力するのは当然」と、賢治さんは語る。フランソワさんも「賢治が来て3年になるが、信じられないスピードで成長している。彼みたいな人はめったにいない。僕が作りたい料理を正確に表現してくれる」と絶賛する。

 いまやフランソワさんの右腕として、絶大な信頼を得るまでになった賢治さんには、ある目標がある。「最終的には日本で店を持つというよりも、独立して、例えば出張料理でもいい、自分の料理を自分で考え、自分で作れて自分で経営できれば。今やっとスタートラインに立てたところ。これからいろんな事に挑戦したい」と熱い思いを語る。

 そんな賢治さんに両親から届けられたのは、祖母がいつも着ていた懐かしいセーター。添えられた手紙には、祖母がいつか賢治さんに渡そうと手編みし、結局渡す機会を失ったまま、祖母が賢治さんを想ってよく着ていたものだと明かされていた。賢治さんは「知らなかった。まさかそんな想いがあったとは…」と涙をこぼし、「料理をしていてよかった。料理を通しておばあちゃんにも両親にも恩返しをしていきたい。おばあちゃんに誇れる料理人になりたい」と、決意を語る。