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#095「アメリカ/カリフォルニア」 3月14日(日) 午前10:25〜10:55


 アメリカ・カリフォルニアでギターショップを営むギター職人の須貝邦夫さん(63)と、神奈川県横浜市に住む妹・晴子さん(54)をつなぐ。オーダーメードのギター職人としてその名を世界に知られる邦夫さんは、今から40年前の1970年、「本場でギターを作りたい」と夢を抱いて単身アメリカに渡り、その腕一本で成功をつかみ取った。晴子さんは「昔から機械いじりが好きな兄だった。最初は苦しかったと思うが、持ち前の何でもやってみようという好奇心旺盛さで頑張ってきたと思う」と、アメリカで活躍する兄に思いを馳せる。

 邦夫さんが作るのは世界的ロックスターたちを魅了するオーダーメードのカスタムギター。彼らのオーダーに応えて、これまで型破りでセンセーショナルな作品を提供してきた。ボディ全面にヘビ革を張ったギターは「ギタリスト、ウォーレン・デ・マルティーニのトレードマークになっているギター」と紹介する邦夫さん。「イーグルスのギタリスト、ジョー・ウォルシュのギターも作っていて、ツアーやレコーディング前にはメンテナンスもしている」と、そうそうたるギタリストの名前が飛び出す。ほかにもフランク・ザッパ、マイケル・シェンカーら多くのギタリストが邦夫さんの元を訪ねてはギターをオーダーしていったという。

 邦夫さんはショップの奥にある工房でギターを製作している。工房で働く職人は全員日本人。皆、邦夫さんに憧れて日本からやってきた職人歴10〜20年の熟練者ばかりだ。日本人の繊細で正確な技術がなければ、ロックスターたちのハイレベルなオーダーには応えられないのだという。

 そんな邦夫さんが大切にしているギターがある。学生だった20才の頃、独学で製作したものだ。世界的ギターメーカー・フェンダー社のギターを歯医者に持ち込んでレントゲンを撮ってもらい、ギターの構造を研究して作り上げたもので、当時すでに素人の域を遙かに超えていた。「その後レコーディングにも使われ、プロの要求に応えられるものだった。僕らの時代にはモノがなく、買いたくても買えなかった。それなら自分で作ってしまおうと…」と邦夫さん。その頃はアンプを手に入れることも難しく、まったく素人ながらアンプも手作りしていた。その性能はプロも顔負けで、噂が広がり注文が殺到。当時、グループサウンズのザ・ワイルドワンズもステージで使用していたという。

 そして1970年に本場アメリカへ。フェンダー社に就職したが、そこに邦夫さんの求めるギター作りはなかった。「ハンドメイドのギター作りがしたかったが、大きな会社ではできなかった。フェンダー社でできないことを自分のショップでやろうとスタートした」。以来40年、腕一本でギター作りに邁進してきた邦夫さん。それを支えてきたのは父から受け継いだ器用さと探求心だという。「私が小学1,2年の頃、父が初めて車を買ったんです。その車を父が修理しているのをそばで見ていたのが私の原点ですね。自分の器用さを父が教えてくれた」と、邦夫さんは振り返る。

 そんな邦夫さんに晴子さんから届けられたのは、父と共に第二次世界大戦を生き抜いた海軍支給の弁当箱。「父が戦地から大切に持って帰った遺品。私より兄が持っていた方がいいと思って…」と語る晴子さん。父の弁当箱を手にした邦夫さんは、「アメリカで私がここまで来られたのも父のおかげだと感謝している」と、父への想いをしみじみと語る…。