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野村明大(ytvアナウンサー)『野村明大の徒然なる道』

徒然なる「君が代」起立条例についてのもろもろ…

先週、
全国で初めて、大阪府で成立した

「君が代起立条例」。

正式名称は省略しますが、、、、


橋下知事が、

なぜ、この条例を通すことに、
あれほど、こだわったのか???


世間では、
実は、

いまひとつ、

「正確に」理解されていないようですので、、、、

私が
日々の取材で知る限りでの「情報」を、

お伝えいたしますと、、、、、

私は、
明確に、橋下さんご本人に、直接、聞きましたので、

ここの部分は、まず、知っておいていただきたいのですが、、、、


「君が代起立条例を成立させることに、
 知事が、そこまでこだわるのは、
 大きく分けて、次の三つのうち、どの理由が、一番主なんですか?」

と、聞きました。

その3つとは、

1)公務員の規律を徹底させたい
2)入学式など「晴れ舞台」での「儀礼」を、しっかり行われるようにしたい
3)国旗・国歌としての日の丸・君が代を、しっかり定着させたい


大きく分ければ、
この3つの要素に集約されると思うのですが、

それぞれが、どれくらいの割合なんですか??

と、

聞きました。

以前から、
1)の要素が大事なんだ! と知事は主張していたので、

あるいは、

2)の要素も、ちらりと話したりしていたので、


大まかにいえば、

1)と2)と3)の割合が、


5:3:2、、、、くらいなのかな、、、、と

思っていたのですが、、、、、、


知事の言葉を借りれば、

1)の要素が「すべてです!」、、、、なんだそうです。。。。

2)3)の要素については、

「ご飯の前に、各家庭で、君が代を必ず歌え」とか、
そこまでいけば、やりすぎだと思うが、

儀式の場での起立は、常識であり礼儀である、


という解釈を、披露しました。


知事の言葉を
数字で置き換えるとすると、

8:2:0、、、、、くらいでしょうか。。。。。。


私は、
そんな印象を、受けました。


ところが、
確かに、


この問題は、

主に、賛成の立場からも、反対の立場からも、

3)の要素に焦点を当てて、

論じられている、、、、ことが多いような気が、、、、、します。。。。


3)の要素は、

いわゆるひとつの「君が代・日の丸問題」、、、、だと

私は思っているのですが、、、、

知事は、

この「条例」は、


「君が代問題」ではない!!

と、

一貫して、言っています。

では、

この問題を
「君が代」問題であると、

世間で見る向きが多いのは、


世間の、誤解なんでしょうか??

マスコミの、ミスリードなんでしょうか??

橋下さんは、

「メディアがちゃんと、論点提示を出来ていない」と言っていますが、


私は、
そこの部分は、


そうとも言い切れない、、、というか、、、、、

そういう問題でもない、、、、


と、

思っています。。。

メディアが

「どれだけ正確」に、

論点提示しようが、


やはり、
3)の要素と絡めて、論じられる、、、、


これは、
日本の国の歴史、日の丸・君が代のたどった「変遷」を考えれば、

やむを得ない、、、ことです。。。


また、

橋下さんほど、世間の空気を読むのに長けている政治家からみれば、

こうなることも、

ある程度、

「想定の範囲内」、、、でしょう。。。

3)の要素は、
自分は考えていない、、、、


と言いながらも、

実は、

3)の要素を、ひそかに重視しているのではないか??

と思うからこそ、

上述のような、直球の質問を、してみた次第です。。。


ただ、

知事の言い分を聞いていると、


本当に、3)の要素は、考えていない、、、、

かのような、、、論調、、、、でした。。。。

実際のところ、、、、どうなのでしょうね。。。。。


単刀直入に聞いた質問に対して、

そのように応えているのだから、

その額面どおり、

受け取りたいと思いますし、

そうすべきだと思います。

さて、

そうなると、


この問題は、

一体、、、、

何なんでしょうか????

私は、


君が代が「国歌」なのだとすれば、

(法律で、そう決まっているのですが…)


入学式などの場で、

斉唱の際、

「起立」することは、


知事が言うように

「人に会ったら、挨拶しましょう」

といった、


常識の類に、

どちらかといえば、分類される「話」なのではないかと、思います。

そこのところに関しては、

異論、ありません。

ただ、

たとえば、、、、、

「人に会って、挨拶しない」常識を守らない生徒がいるときに、


「校則」で、

「人に会ったら、挨拶をしましょう」と、

定めるべきか否か、

という「命題」にも、

通ずるハナシ、、、、


だとは、思います。。。。。

要するに、


「人に会ったときに、挨拶もできない、非常識な生徒がいる」ことが、

情けなく、恥ずかしいことなのか、、、、


そんな生徒をいなくさせるために、

「人に会ったら、挨拶をしなさい、という校則を作る」ことが、

情けなく、恥ずかしいことなのか、、、、

という、

これはもう、

主観、、、価値観、、、「美学」、、、、の問題、、、、だと思います、、、、はっきり言って。。。。。


私なぞは、

中学・高校と、

校則のない学校に通っていましたので、


「そんな校則が、ある」、、、、ことのほうが、、、、、

情けなく、恥ずかしく、感じる、、、、、ところもあります。。。。。。


大人なんだから、、、、、、

「常識」的な行動は、

自分たちで考えて、とろうよ、、、、


というのが、基本にあって、、、、、


「常識的な行動をとらなくて、信用を失ったり、損したりするのは、

 その本人でしょ。。。」

という、

突き放した部分も、、、、あって、、、、、


と、

こう書いていると、


私の思っていることの

全てを語っているようで、

実は、全然、言えていませんので、


ここでもう一度、

「そもそも」のところに、戻らせて頂きたいのですが、、、、、、

上記の話は、


あくまで、

「君が代が、国歌である」ならば、、、、

という「前提条件」の下、、、、での話、、、、、であります。。。。。


「何言ってんの?? 国歌じゃん? 

 法律でも、決まってるじゃん??」


と、

おっしゃる方も、多いと思いますが、、、、

私は、

ことは、そう「単純」だとは、思っていません。。


私自身は、

断っておきますが、


式典などで、

起立しなかったこともありませんし、

「君が代」は、「国歌」だと、思っていますが、、、、

そのことと、

「君が代は、国歌である」と、

法律で決めることは、

全く、、、別問題で、、、、あります。。。。。


私は、


国歌たるもの、


国民皆が、


誰に言われることもなく、

「国歌」だと

認識して、、、認めて、、、、しかるべきものだと、、、、、思っていますし、、、、


要するに、


「これが、うちの国歌です!」

なぞと、

法律で決める、、、、ようなものなのか、、、、、


疑問が、、、、あります。。。。

いや、

外国で、

どうなのかは、

知りませんよ。。!!

私の中での

「あるべき論」で、


「それは違う!」と、


個人的に、、、感じている、、、、だけです。。。。

「君が代」のような

伝統と格式のある歌を、


わざわざ、


「国歌」として、

法律で、

決めなければいけない、、、、、


社会状況が、

そういう状態である時点で、


私は、、、法律で、、、、、決めるべきではないんではないかと、、、、、、

思う、、、、わけであります。。。。。

結果的には、


既に、

然るべき手続きを経て、

「決まって」、、、、しまっている、、、、わけですが、、、、、

その際にも、

付随して、、、、、

「これ(法律制定)をもって、強制するものではない」とか、、、、、

ワケの分からない「注釈」を、

法律化を推進された多くの政治家の方が、

おっしゃったり、、、、、している、、、、わけです。。。。。

私なぞの意見では、、、、、


「そんなに、ごちゃごちゃ言うくらいなら、

 初めから、明文化、、、するなよ!!」

と、


思ってしまいます。。。。

案の定、


推進派は、

「法律で、国歌と決まっている!」

と、

鬼の首をとったように、

主張しますし、、、、、


反対派は、

「強制するものではない」と、

法制化を推進した大物政治家も、

言っている!!


と、


主張します。。。。。


一連の、

最高裁判決と、

同じであります。。。。

「で、どっちやねん!!?」、、、、って、、、、ヤツです。。。。。。

でも、


「法制化」とか、

「最高裁判例」とかは、

やっぱり、

「有無を言わさぬ強さ!!」が

ありまして、、、、

付随意見としての、

「慎重意見」、、、、なんて、、、、

吹っ飛ぶ。。。。。!!!  ワケであります。。。。案の定。。。。。

これは、

当然といえば、当然。。。


付随意見や補足意見は、


所詮、どこまでいっても、、、

「付随意見」と「補足意見」、、、、ですから、、、、、、


で、


火種はあるのに、、、、、


つまり、

100%の国民は、

納得していないのに、、、、、


一応、、、、「国民の総意として」、、、、的な感じで、、、、、


法律では、、、定まっている、、、わけです。。。。

この「既成事実」は、

重いですよ。。。!!


私は、


重いと、、、思いますよ。。。。!!

橋下知事も

指摘しているように、、、、、

私も、

そこに関しては、


はっきりと同意見、、、なのですが、、、、、


「騒ぐべき時は、

 その時(国歌としての法制化のタイミング)だった」


と、

思います。


その時騒がずして、

今、騒ぐ「大義」は、

ないと思います。。

もっとも、

橋下知事が指摘するような状況とは違って、

少なくとも、

「法制化」

および

「法制化に伴う、一連の、通達や指導」


の時に、


それなりに、

「騒ぎ」になった、、、、とは、、、、、

わたくし、、認識、、、、しておりますけれど。。。。。。


繰り返し、

申しますが、

私は、

個人的には、


「君が代は、国歌だ」と、思っておりますが、、、、、

「君が代は、国歌だ」と定める法律を、

制定する、、、べき、、、だったのかどうかについては、、、、、、


「そうすべきだった」と、、、明確には、、、、

思えません。。。 今となっても。。。

「君が代は、国歌なんだ」という前提に基づいて、


今回のような「条例」が、

100% 論理破たんなく、 

(少なくとも、今回の橋下知事の「ロジック」については、

 私は、「破たん」しているとは、思っていません。)

成立する、、、

片や、


これだけの、

「反対の声」が、


やはり、、、上がる、、、、

状況を見るにつけ、、、、、

やっぱり、、、私は、、、、


そう、思わざるを、、、、、得ないです。。。。。はい。。。。。


少なくとも、

橋下知事が言うように、


2紙ほどの「全国紙」だけが、

「反対」の論陣を張っている、、、だけ、、、、、


というようには、


やはり、、、、わたくし、、、、、


肌感覚としても、、、、


感じない、、、もので。。。。。


たとえば、、、、

いまだ、

私は、

そんな話は、

聞いたことがないのですが、、、、、


オリンピックで

金メダルを獲った日本人選手が、

「思想・信条の理由から、

私は、

表彰台で、

君が代の吹奏を聞きたくないし、

日の丸の掲揚を、見たくない!」


と言い出したとき、、、、、、

まあ、

法律で、国歌・国旗が定められているのに、


何を言ってるんだ!!???


と、

なるでしょうし、、、、、

(当然です。 法律上、「国旗」「国歌」、、、なんですから。。。。!!)


でも、

有無を言わさず、


それでいいのか、、、、、、

やはり、そこを、


素通りする気には、、、、なれない、、、、、気がします。。。。。。


でも、

法律で、

「国歌」「国旗」と、決まっている以上は、


本来的には、

「何言ってんだ!!? 国から、遠征費とか、参加費も、
 
 出してもらってるのに!!?」


という、

話、、、、、


ですよね。。。。。


国歌・国旗と決まっている以上は、、、、、


やはり、、、そうだと、、、、思います。。。。。。

そういう状況が、あるのなら。。。。。。

法制化が、

そういう状況を、作り出しているのなら、、、、

やはり、、、「時期尚早」、、、、、だったのではないか、、、、と、、、、、、


そう思う部分も、、、、あるわけです。。。。。。

まあ、、、、、

一言で言えば、、、、、、

「時期尚早」というキーワードが、


一番、しっくりくる、、、、と、、、、、

個人的には、思っていたり、、、、するのですが、、、、、、


ちなみに、

「憲法9条」についても、、、、、


「時期」は、慎重に、見極めないといけないと、思っていますし、、、、、

そこを、

「愛国心」だとか、「フツウの国では、、、、」式の「理屈」で、

考えもなく、

「えいや!」で突っ走るのは、、、、

私は、、違うと、、、、、、

思っています。。。。。。

まあ、、、、、

しかし、、、、

難しい、、、問題、、、、ですねぇ。。。。。

何の「結論」も、出ないまま、、、、、、

この問題について、考え始めると、、、、、


こんな感じで、、、世が、、、、、、、


ふけて、、、、、いくのです。。。。。。


投稿者: 野村明大 日時: 2011年06月12日(日) | コメント (0)

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