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野村明大(ytvアナウンサー)『野村明大の徒然なる道』

ビンラディン容疑者殺害について

テロに対しては、
「憎しみ」を、感じます。

9・11のテロに対しても、
激しい憎しみを、感じます。

その被害者の方、ご遺族の方のお気持ちを思うと、
どれだけ言葉を尽くしても、どれだけ想像してみても、
その「悔しさ」までは到達できないと思いますし、


ただただ、

そのご無念を思い、
黙祷を捧げることくらいしか、自分には、できません。。

その首謀者とされる
「ビンラディン容疑者」については、

当然、「死」をもって、その「罪」を償うべきだと思っていましたし、

死をもっても、到底、償いきれるものだとも、
思いません。。

3000回死んでも、償い尽くせるものではありませんし、


どんな、宗教的な「強弁」を弄しようと、

筆舌を尽くしがたい「大罪」であることに、変わりはないと、思います。


そもそも、
イスラム教は、

そういう、「破滅型」の教え、、、、では、ないはずですが、、、

そういう「誤解」を流布した罪も、
小さくないと、思っています。

であればこそ、

なおさら、


ビンラディン容疑者の犯した罪の大きさに対しては、

激しい「憎しみ」を、覚えます。

さて、


今まで書き連ねてきた全てのことを、
「大前提」と踏まえた上で、

それでもなお、

今回の「結着」に、

私が「違和感」を覚えることは、

何なのでしょうか??

この速報に「狂喜乱舞」する

ニューヨークやワシントンの「市民」、、、、

誇らしげに
演説する


オバマ大統領。。


アメリカという超大国は、

それなりの「手続き」も経ずに、

「危険人物」を指定し、

抹殺することを許される「存在」なのか。。。

私は、


「手続き」の多さのために、
大事なことを見失う「社会」、、、であっては、、、

決していけないと、、、痛切に、、、、思う、、、、、、立場ですが、、、、

(そしていつも、日本という国が、まさにそういう「循環」に陥って、
 何も決められない、、、ことを、、、、大いに嘆いている、、、、一人、、、、ですが、、、、)


それでもなお、


これだけの「決行」が、

あいまいな手続きの上に、「成立」してしまう、、、、、

その「フレキシビリティ」には、、、、


少し、、、恐怖を、、、、、、覚えてしまいます。。。。

思えば、

ジハードは、、、

日本語に訳せば「聖戦」です。。。。


太古の昔から、

多くの戦争は
「聖戦」と謳われ、、、、


「正義のための戦い」の美名のもとに、

殺戮が、繰り返されてきました。。。

ビンラディンに、

「死」をもって、罪をつぐなうことを、迫る。。。。

おそらくこのことは、

「正しい」、、、ことだと、、、、思っていますが、、、、、


だからこそ、なおさら、、、、、


それを裏付ける「手続き」を、

きちんと、、、、踏んで欲しかった、、、、、


と思うのは、、、、、、

いささか、、、

テロに対する

「認識不足」「甘さ」、、、、でしょうか。。。。。。


とにかく、、、、違和感は、、、、

感じました。。。。。私は。。。。。

投稿者: 野村明大 日時: 2011年05月03日(火) |

アナウンサー