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野村明大(ytvアナウンサー)『野村明大の徒然なる道』

徒然なる「本気」なら、大賞賛に値する…

皆様の注目度が非常に高い
「ダム問題」について、
新たな動きが、ありました。


橋下知事が、
きのう、


4時間にわたって、
地元住民との「意見交換」。


この場で
知事は、

「河川改修+局所改修」(脱ダム案)のほうが、
「水害」に耐えうる、「抜本的なまちづくり」につながり、
「むしろ、安全・安心」を、
ダム以上に提供する。

との持論を、述べました。

私は正直、
度肝を抜かれました。。。。

知事の言うことは、
確かに、正論中の正論です。

しかし、

「正論」「理想論」は、

ともすれば、
「非現実」との批難を受け、


結局、
よりハードルの低い「現実論」に、とどまってしまう、、、、

ことが、

現実の「政治・行政の世界」では、
多いからです。


国政を見ても、そう。

「消費税」
「国家公務員の抜本改革」
「基地移設問題」


全て、

最初は「正論」「理想論」を掲げ、
大々的に旗を振り上げながら、

その後は、
「腰砕け」状態……

ときの政権、総理、大臣らが
一貫した強い主張を貫けず、


結局、
「理念の弱さ」及び「理論武装の未熟さ」を
露呈する形になってきたテーマ、、、ばかりです。。。。


「槇尾川ダム」については、


実は、

理想論や正論をベースに
議論に挑まなくても良いだけの「データ」が、

既に、十分に、揃っています。


「残事業費ベース」で見ても、

「脱ダム案」が、「ダム案」を、
28億円、下回っています。


「環境面」に関しても、
「脱ダム案が優位」と、コンセンサスが得られています。

「超過洪水」に関しては、
どちらが優位、という明確な結論は出ていません。

ここは、学者によって、意見が分かれているところです。


私は、
長期間、長時間にわたる審議を全て聞いてきて、

超過洪水に関しても、
「圧倒的に、『脱ダム案+堤防強化』が、優位だな…」と
感じていますが、


まあこれは、
あくまで、

「私の主観」なので、


この意見を、
共有されたものとして紹介するのは、
ここでは、敢えて、控えます。


さらに注目すべきは、


「ダム案」と「脱ダム案」の
「残事業費」試算は、

大阪府河川室が行ったものであるということです。

府の河川室は、
「ダム建設を続行したい」立場であるというのは、

既に、知事や、多くの河川整備委員、多くの議員、メディア関係者の間でも共有されている
「認識」ですので、

これについては、その「前提」で語ってよいと思っているのですが、

(また、それを裏付ける証拠もごまんとあることは、
 これまでにも、随時、ご紹介してきたとおりです。)


その「河川室」の試算をもってしても、

「脱ダム案」が、「ダム案」より、28億円も安いという試算が、出ているのです。


一般論として、

これも、多くの有識者の間で共有されている情報ですので、
「既定」の前提と考えてよいと思っているのですが、


「ダム建設」で、「最終かかった建設費用」が、
「当初の見積もり」の数倍、数十倍に達する例が、非常に多いということは、
よく知られた事実です。


ここについては、
私は寡聞にして知りませんが、


「当初の見積もり」と「最終の建設費」が、
まあ大体一致した、という例は、
一件もないのではないでしょうか??


もし一件でもあれば、
是非、ご教示いただきたいものですが。。

つまり、

槇尾川ダムの残事業費「108億円」が、

「その額」で済むのかどうか、、、、


正直、
誰もわからないということです。

もっといえば、
多分、どうなるかは、
なんとなく、想像できる、、、、とも、いえるかも知れません。。。。


一方で、

「脱ダム案」の残事業費「80億円」については、


いっぱいいっぱいに見積もって、
大掛かりな工事と用地買収を見積もった「金額」であるという指摘が、


既に、多く出ています。


実際に、より具体的な計画段階に入れば、

「道幅は、もっと狭くてよいのではないか?」
「場合によっては、ここには、道をとらなくてもいいのではないか?」
「ここは、余裕だかをとらないほうが、下流にいくと、より安全ではないか?」


などなど、、、

「予算圧縮」につながる細部が、
とても多く、つめきれずに残っているという「指摘」です。。


そこを、
「多め多め」にとった「見積もり」であるという「指摘」です。

私が何を言いたいかは、
もうお分かりいただけるかと思うのですが、


「少なめに見積もったダム案」と「多めに見積もった河川改修案」。


この二つを比べても、
なおかつ、28億円、脱ダム案のほうが優位であるという見方をする人も、
多いということです。。


この「コスト差」は、とても大きく、

(当然、残事業費でみてもこうですから、
総事業費でみると、
「なんで、こんな馬鹿げた計画を、立てたん??」
と突っ込みたくなる「計画」なのですが、

それはもう、過去のことですから、いまさら言いますまい。)

実際のところ、
「28億円」以上に大きいと見る識者も、多くいると、いうことです。


ただこれも、
あくまで「主観的」な見立てでしかないので、

そういう前提でご紹介するにとどめますが、、、、

で、
話はそれましたが、

要するに、
何が言いたかったかといいますと、

槇尾川については、


壮大な「理想論」や「正論」を掲げなくても、
現実的な「理屈」で、話は本来、ついているし、つけられるということです。


本来、
「ダム」というような巨大なコンクリートの壁を計画すべき場所ではなかったし、


そうはいっても、
計画がここまで進んできてしまった以上、


「引き返す」「ストップする」コストが、当然かかるのですが、

そのコストを入れても、

「引き返したほうが、よい」という結論が、

既に、容易に、机の上では、導き出されている話だということです。


槇尾川ダムは、

もし中止されれば、「着工済み」のダムとしては、全国で初めての例ですから、

その「インパクト」は、相当に大きく、

壮大な「ダムに頼らない治水」というマニフェストを掲げながら、
正直なところ、
ただいたずらに混乱を巻き起こしているだけで、「何もできていない」民主党政権
との比較という意味でも、


相当大きな「注目」をされるでしょうが、、、、

実際には、

矮小な(と敢えて言いましょう)
「コスト論」(でも、そこがもちろん、根本的には「全てのベース」ではあるべきですが…)
を前面に押し出すだけでも、


「分がある」

稀有な例であるということが、
いえると思います。

要するに、
コトバを換えますと、


「理念」とか「理想」とかいうものは、

抽象的で、
人によっても少しずつ違ったりもしていて、


何が正しい、
何が間違っている、

ということを、


これはなかなかいいにくい、、、、、

ものではあるのですが、、、、、

このダムについては、

そういう「わかりにくい」「難しい」議論を避けたとしても、、、、


わかりやすい部分だけを、とったとしても、、、、、、


「引き返してもいい」条件が、
整っているということです。

もちろん、


現実の政治は、

現実の「賛成の声」「反対の声」。


一票を持った、さまざまな有権者の、さまざまな声を、
無視するわけにはいかないもので、


ましてや、

このダムの場合、


たとえ、上に書いてきたような事情であったにせよ、

大阪府が、
20年以上、


現実に、地元の方に対して、

「ダムはとても有効です」
「ダムがあれば、安心です」

と説き、


「だから土地を売ってください」
「土地を売るよう、説得してください」

と頼み、

それを20年間、
ひたすら呪文のように、続けてきたことも、確かです。


「うそも100回言えば、真実になる」と言いますが、


地元の「推進派」の方にとっては、


「ダムがあれば、安心して寝られる」というのも、
もはや「真実」、、、なのだと思います。


机上の計算や、
マスコミの移ろいやすい論評とは違って、


政治の世界で
一番難しいのは、

そこでしょう。確かに。。。


現実に、
「何かを変える」
「何かを説得する」ということには、

膨大なエネルギーが必要となりますし、
「落選」の「リスク」も、時にはとらなければいけないかも、しれません。


ただ、


それを避ける政治なら、

誰がやっても同じですし、

実際、今は、

「誰がやってもいい政治」が、
横行している時代、、ではないでしょうか。。。。

「誰がやってもいい」から、

「息子」をかつぐのが、
地元の有力者にとっても、一番「都合がいい」し、
一番、不協和音が少なくて、済む、、、、

というのが


「世襲が絶えない『理由』」

でもあります。。。。


と、
話はそれましたが、


要するに、
私が何が言いたいかといいますと、


橋下知事が、
「安易な理論武装」に逃げずに、

『まちづくり』のために、何がベストか?

という「正論」「理想論」を、

堂々と、地元住民の前で説いたことに対して、

それについては、

大きな評価をせざるを得ない、

ということです。


「どうあるべきか?」「どうすべきか?」
「今刹那的に求められることではなくて、将来、子どもたちの時代に、残すべきものは何か?」


こういった、往々にして「耳の痛い話」を、
移ろいやすい有権者を前に、たじろがずに説くというのは、

政治家にとっては、かなり勇気のいることで、

ほとんど、そんな政治家を見たことが、一度もないのですが、

「信念」か? 「戦略」か? 「向こう見ず」なだけか??

信念だとすれば、
凄い信念ですし、


戦略だとすれば、
その計算高さたるや、常軌を逸した凄さ、ということになるでしょうし、


まあ、「向こう見ず」ということは、
あれだけ精緻な主張を展開している時点で、
あり得ないのかもしれませんが、


たとえ「向こう見ず」だったとしても、
そこまで突き抜ければ、やはり「凄い」といわざるを得ないでしょう。。。

いずれにせよ、

「どういう意味で」だったかは、
後々にならないと、判明しないのかもしれませんが、


きのうの橋下知事の「主張」が、
「本気」であるならば、「凄い」、、、としか、、、評しようがないと、、、、、

いうことだと思います。。。


知事に対し
批判的な論調を展開することもままある
当ブログですが、


きのうの「主張」が「本気」なら、

これは、賞賛に値する「主張」であると、評価されるべきものだと、思います。

投稿者: 野村明大 日時: 2011年01月29日(土) | コメント (1)

コメント

「ふかし」にまで踏み込むことができれば
政治家としては、教科書にその名が載るくらいの
「超一流・大物政治家」になれると思いますのです。

投稿者: (・e・) 日時:2011年01月29日(土) at 18:39

アナウンサー