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2025.12.12

グスタフ・クリムトは長い間、社会の上流階級のために歴史をテーマにした作品を、伝統に従って描き続けていました。しかし次第に、その厳しい決まりごとに息苦しさを感じるようになります。世界が変わっていくなら、芸術も変わらなければならない。そう考え始めたのです。
1897年、クリムトは同じ思いを抱く仲間たちとともに、ウィーンの保守的な芸術界から離れ、「ウィーン分離派」を結成しました。彼らのモットーは「時代にはその時代にふさわしい芸術を、芸術には自由を」。
グループの目的は、市内に現代美術のための展示スペースをつくること、そして国際的で開かれた芸術運動としてナショナリズムに反対することにありました。そのため、他のムーブメントとは異なり、メンバーには統一された作風がなく、保守主義や伝統芸術に反対する芸術家たちが自然と集まっていたのです。
しかし、グループの中では次第に意見の食い違いも生まれます。特に「装飾芸術をどれほど重視すべきか」をめぐる対立が深まり、1905年、クリムトはヨーゼフ・ホフマン、コロマン・モーザーとともに分離派を離脱しました。
分離派自体はその後も存続しましたが、クリムトの存在によってウィーンの芸術はすでに大きく変化していました。彼の描いた未来へのビジョンは力強く、その影響はもう誰にも止められないほどでした。
その止まらないクリムトの勢いを、ぜひ全身で感じてみませんか。

| クリムト・アライブ 大阪展 |
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| ■開催中~2026年3月1日(日) ※休館日:12月30日(火)~2026年1月1日(木・祝) 10:00~17:00 ※最終入場は閉館の45分前まで ■会場:堂島リバーフォーラム(大阪市福島区福島1-1-17) https://klimtalive.jp/osaka/ |
