【特集】中谷キャスターがみた南三陸の11年 若い世代が受け継ぐ南三陸の財産

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放送日2022.03.12

中谷キャスターが高台から町を見つめる
中谷キャスターが高台から町を見つめる

東日本大震災以来、「ウェークアップ」が伝え続けてきた宮城県南三陸町。
高さ20mの津波は死者620名、行方不明者211名の被害をもたらし、町の建物のおよそ6割にあたる3143戸が全壊した。あれから11年…。町は新たな姿に生まれ変わり、当時、子供だった世代は大人になった。“これから”を担う若い世代が見つけたこの町の魅力とは…。
10年間通い続けた辛坊治郎前キャスターからバトンを引き継いだ中谷しのぶキャスターが見た南三陸の今―。

風化しない3.11の記憶

小野寺翔さん
小野寺翔さん

「当時は中学校にいて次の日、先輩の卒業式だったので、準備をして教室に戻っていたところに地震があって…。」

戸倉中学校に通う中学2年生だった小野寺翔さん(25)。校舎で帰り支度をしている中、大きな揺れに見舞われ、他の生徒らとともに校庭に避難した。「地震のあとには津波がやって来る」。これまでも津波の被害にあっていた南三陸町では、住民の間に避難するのは当たり前という共通認識があった。海抜20mの高台にあり指定避難所だった戸倉中学校には近隣住民も多く集まっていた。

「当時、防波堤が立派になり、設備が新しくなったので、大丈夫だろうなという感覚を持ってしまっていました。」

戸倉公民館(旧戸倉中学校)
戸倉公民館(旧戸倉中学校)

生死を分けた一瞬の判断

水没した戸倉中学校
水没した戸倉中学校

しかし、小野寺さんの考えは打ち砕かれる。校庭で待機していると、これまでに聞いたことがない音とともに強い土のにおいが立ち込めた。

「ここに並んでいたときにゴーッという音が聞こえてきて、見に行ったら下の集落が波にのまれていた状況でした。」 
尋常ではない、と感じたその時。

「山の方向を指さして「山さ逃げろ」と…」

住民らの避難誘導に当たっていた1人の先生がとっさに大声で指示を出した。小野寺さんは指示を聞くと同時に海とは逆方向にある山へ無我夢中で走った。山を駆け上り、振り返ると校庭はすでに水没していた。一時、校舎の1階部分を水没させる高さにまで押し寄せた津波。逃げ遅れた高齢者も数多くいた。

「山の斜面のところでおぼれている人たちを目にして、僕と同級生で引き上げて心肺蘇生とかもやったのですけど、助けられなくて。」

目の前で人をなくすという経験は初めてだった。しかし、当時14歳の小野寺さんを襲った残酷な現実はそれだけではなかった。津波は自宅や思い出の風景まで押し流していた。

南三陸町
南三陸町

津波で命が失われない町へ 南三陸町の今

建設中の「南三陸311メモリアル」
建設中の「南三陸311メモリアル」

南三陸町は震災後、大きく姿を変えた。津波で命が失われない町にするべく町が掲げた復興のビジョンは“職住分離”。山を切り開いた高台に宅地を造成して“居住の町”とし、平地には山を削った土でかさ上げを行い、商業施設を配置し、“なりわいの町”とした。さらにその隣には震災の犠牲者を追悼する「南三陸町震災復興祈念公園」が作られた。震災の記憶を伝えるための施設「南三陸311メモリアル」も、ことし10月のオープンを予定している。

「これからの未来の命を守るという意味で大変参考になる勉強になる施設になる。」

南三陸町再建の陣頭指揮を取ってきた佐藤仁町長はこれまでの集大成になると胸を張る。町の再建はいよいよ最終段階を迎えた。

震災をきっかけに気付いた南三陸町の財産

小野寺翔さん
小野寺翔さん

11年の月日が変えたのは町だけではない。震災当時子供だった若い世代はたくましく成長し、町をけん引する存在となった。その一人が小野寺翔さんだ。高校入学とともに町を離れた小野寺さんだが、3年前に町に戻った。きっかけは南三陸の杉を使って地域振興を行おうとする林業者の姿を目にしたことだった。

南三陸杉
南三陸杉

江戸時代から杉の良産地として知られる南三陸町。南三陸杉は木の中心がピンク色で強度も高い。ブランド化され、柱などに重宝されている。

「祖父の代まで炭焼きをやっていたので杉の山は持っていたけど、持っているだけで何もしていなかった。」

 小野寺さんは祖父の代からの杉林を受け継ぎ、林業を始めた。長年放置されていた山に足を踏み入れ、作業道を整備。間伐を行い、木材を販売する会社を立ち上げた。小野寺さんが取り組んでいるのは自伐型林業。山一面すべての木を切るのではなく、必要な分だけを伐採し、出荷する。なるべく環境に負荷をかけない方法で山と向き合っている。
 
「震災後、色んなものが無くなってしまった。その中で唯一財産として残ったものが南三陸の杉だった。」

あらゆるものを奪い去った震災だが、町の魅力を改めて気づかせてくれたのも震災だったと小野寺さんは話す。

「震災がなかったら、戻ってきたいという思いもあまりなかったかもしれない。
震災をきっかけに外の人が入ってきたり、色んな人と関わることができた。
そういったご縁がどんどん繋がる町になってほしいな。」

風化させない番組との約束

佐藤仁町長
佐藤仁町長

震災直後、番組の前キャスター辛坊治郎氏がこの町を訪ねたとき、南三陸町の佐藤仁町長と「震災を風化させないため、伝え続ける」という約束を交わした。これまで東日本大震災の記憶は様々な形で伝えられてきたが、それでも「風化」を止めることは難しい。11年が経過した今、佐藤町長に改めてメディアに求めるものを聞いた。

「風化を防いで…という言葉をかけるつもりはもうない。私がメディアの方々に伝えてもらいたいのは、「全国どこでも自然災害は起こりうる」ということ。日本全国の皆さんにしっかりと伝えてもらって「災害から自分の命をなんとしても守る。」という覚悟を国民の皆さんに持ってもらいたい。」

東日本大震災から11年。復興を遂げつつある南三陸町の記憶は、いずれ「被災地」となるかもしれない町の、大きな指針となるに違いない。