宇宙兄弟

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#64

2013年6月29日
「一切れのケーキ」

ジョンソン宇宙センター・一室――。
真剣な顔つきで筆記テストに臨んでいる訓練生たちの中、六太の手は止まっていた。誰よりも早く月へ行き、シャロンとの約束を果たしたいと思っているにも関わらず、まったくテストに集中できないのだ。

数日前――。
六太とせりかは、シャロンの症状を解明するため、神経内科病院へ来ていた。せりかがシャロンの腕を叩いた時、筋線維束収縮の反応があったからである。せりかは、シャロンが自分の父と同じ病気、『ALS』の可能性を心配していた。

『ALS』とは、運動ニューロンという神経だけが障害を受け、脳から筋肉を動かす命令が伝わらなくなっていく病気である。そのせいで筋肉がやせ、徐々に手足が動かせなくなり、食べることも、話すことも、自力での呼吸もできなくなってしまうのだ。

シャロンの検査結果は、ALSだった。あと数ヶ月で、シャロンは大好きなピアノも弾けなくなってしまうのである。そのことを告げられても、それでもシャロンは笑顔を忘れなかった。

六太は、「僕はいざという時、役にも立たないダメ人間です」を英語で言うとどうなるか、シャロンに聞いた時のことを思い出していた。
『イッツア・ピース・オブ・ケイク』 
直訳すれば「ケーキ一切れ分」ということだが、違う意味もあるというシャロン。
その時の六太は、マイナスの意味で受け取ったが、本当の意味は――。
『楽勝だよ』
こういうウソを、平気な顔でついてしまうのがシャロンだった。

後日、六太のにシャロンからメールが届いた。
『私も3年後か4年後かに、あなたに月面望遠鏡建設計画の全ての説明を伝えに行く予定です。覚えることだらけよ――覚悟はいい?』
メールに返信しようとするも、その手は動かない。シャロンを元気づけられるような文章が、考えても考えても生み出せなかったのだ。そのため六太は、シャロンに教えてもらった言葉で返した。

『イッツア・ピース・オブ・ケイク』――。

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