この道ひとすじ70年 92歳の職人が生み出す輝くガラス細工

大阪の下町にある小さなガラス細工の工房。ここで日々ガラスと向き合う92歳のガラス職人がいます。その手から生み出されるのは、砂を吹き付けて描く模様と切子の模様を組み合わせた独特のデザイン…。大量生産の時代に抗い、ガラスひとつひとつに魂を込める、そんな職人の日々をノゾキミしました。

【特集】「毎日作り続けたい」この道ひとすじ70年、92歳のガラス切子職人 ひとつひとつ魂を込め作り上げるランプシェード 妻の笑顔を支えに工房にこもる日々

92歳のガラス切子職人 藤本幸治さん

 こよなく愛するのは、一杯の“お湯割り”と、今は亡き“妻”。ガラス切子職人の藤本幸治(ふじもと・ゆきはる)さんは、この道70年、御年92歳です。ガラスの表面に回転する砥石(といし)を押しつけ、溝を入れたり、研磨したりして独特のデザインを施す「ガラス切子」。描かれた模様は、受ける光の角度によって輝きを変え、幻想的な世界に導いてくれます。大量生産の時代に抗うように、ひとつひとつに魂を込め作り上げる92歳の職人の日々を追いました。

下町の工場で生まれる唯一無二のランプシェード

使い込んだ機械で、ひとつひとつ手作りする

 大阪市内の下町の古びた工房。精密機器は一切なく、あるのは昭和を色濃く残す、古めかしい機械ばかりです。ここで見る人の心を捉える作品が作られています。

「私の特徴としてやらせてもらっているのが、『サンドブラスト』と、『切子』とを組み合わせたものなんです」(藤本幸治さん)

 「サンドブラスト」とは、ガラスの表面に細かい砂を吹き付けることで、すりガラスのような模様を描く技術です。ガラスの粒の大きさを変えることで、繊細なデザインを描くことが出来ます。藤本さんはここに「切子」の模様を組み合わせ、独特のデザインを生み出しています。高度な技術が必要で、これができる職人はそう多くありません。

曲線が美しい、草花をあしらったランプシェード

「ガラスを削る砥石の付け替えに時間がかかる。切子の模様によったら、7~8枚ほど替えないといけないのはざらですわ」(藤本さん)

 5キロ以上もある砥石を何度も機械にセットするのは、92歳にとって大変な作業です。描く模様に応じて砥石使い分け、ひとつひとつ手作業で削り、花や葉っぱなどを繊細に描き上げていきます。この日に仕上げたのは、草花をあしらったランプシェード。切子職人でこれだけ美しい曲線を描けるのは、藤本さんだけと言われています。藤本さんの評判は全国に広がり、購入者から感謝の手紙が届くこともあるといいます。

購入者からの『感謝の手紙』が励みに

『壁に映る花模様の影も優しく、藤本さんのお人柄が偲ばれる、大変素敵なランプに出会えたことが嬉しく、ペンを取った次第です。不思議とこのランプを眺めていると、ざわざわとした心も落ち着き、優しい気持ちに包まれるのです。どうかいつまでも、お元気で新しい作品をもっと見せてくださいます様、楽しみにしております』(購入者からの手紙より)

「『家に帰って電気を点けたときに、すごく癒されます』といって手紙をくれたりするんです。それが私の一番の励みになるんですよね。なんとか喜んでもらえるようなものを作りたいと、絶えず思っていますねん」(藤本さん)

原点は寡黙な“職人の世界”…廃業危機からの起死回生

ガラス加工所に弟子入りした若かりし頃の藤本さん

 92歳となった今なお、新しいものづくりに意欲を燃やし続ける藤本さん。原点は20歳の頃、「絵が得意な自分に向いているのではないか」と思い、ガラス加工所に弟子入りしたことです。職人の世界は内気な性格の藤本さんには居心地がよかったといいます。

「職を手に付けようと思った第一の理由は、人としゃべるのが嫌やった。これやったら黙っていても仕事ができますからね。年とともに人間が厚かましくなったんか、よくしゃべるようになって自分でも面白いぐらいや」(藤本さん)

 「早く一人前になりたい」と人一倍修行に励み、8年後に独立することができました。当時の大阪はガラス加工業が盛んで、職人を雇い深夜までガラスを削り続けても注文に追い付かないほどだったといいます。ところが…。

大量生産出来る機械に「太刀打ちできなかった」

「人間が触らずに、ガラスの原料が流れてきて、赤い球がぽとん、ぽとんと落ちるだけで、下で順番にコップになって出てくる。そんな大きな機械が出来た。後から聞いたら、1日に12~13万個も出来るような機械が出来たんです。町の製造工場は太刀打ちできません。みんな、なくなってしもうた」(藤本さん)

 大量生産に加え、中国などの安いガラスが世の中を席捲し、職人のガラス細工は壊滅的な打撃を受けました。目に見えて仕事の注文が減っていく中、少しでも日銭を稼ぐためガラスで出来た電球のカバーの加工を受けるようになりました。リード線を入れるための穴を開けるだけの仕事を2年ほど続けましたが、「これでは先がない」と思い、生き残りを賭けて、サンドブラストの機械を導入すると、すりガラスと切子を組み合わせた独自の技法による商品が評判を呼び、新たな世界が広がりました。大変な時代を経験して、辞めようと思ったことはなかったのでしょうか。

「辞めたいとは思わない。これしか私のできることはないと思っていた」(藤本さん)

 藤本さんにとってガラス細工は、まさに「天職」だったのです。

花模様が独特で人気がある、藤本さんの作品たち

 藤本さんが新作を携えてやってきたのは、大阪市中央区にあるランプショップ「コバルトブルー」。藤本さんが作る作品のほとんどは、この店で扱っています。ランプシェードを中心に作るようになったのは、ここからのオーダーが増えたからだといいます。

「藤本さんはご高齢なんですけれど、すごくかわいらしいデザインで作ってくださって。ランプに合うように細かい作業が入っているんですけれど、お花模様とかが独特なので、とてもうちでは人気があります」(コバルトブルー 店員 永尾和恵さん)

衰えることのない創作意欲、支えは妻の笑顔

一日の終わりは、写真の妻との夕食

 仕事は夜の7時までと決めている藤本さん。夕食は娘が作り置きしておいてくれる料理をつまみに、お湯割りをすすります。食卓に飾ってある写真にはこんなエピソードが…。

「これ家内ですねん。桜の写真を撮りに行くのに、『行けへんか?』と言うたら、『行くわ』と言ってついてきて。そのときの写真。一番自分では気に入っている写真やさかい、私が死んだら、遺影はこれにしてやと…」(藤本さん)

生活苦の時も藤本さんを支えた妻・春美さん

 お見合いをして、妻と一緒になったのは、独立してすぐのことでした。大量生産の嵐の中、仕事が無くなり生活が苦しいときも、妻は笑顔で励ましてくれたといいます。

「急に亡くなったからね。私が帰ってきたら亡くなっていたから、どうしようもなかったんです。仕事をするのも一緒やけれど、遊びに行くのも絶えず一緒やった。私にとったら、一番ありがたい家内だったわね」(藤本さん)

 妻が亡くなって10年。写真の妻との夕食が、藤本さんの支えになっています。

新たな作品を手掛ける藤本さん

 藤本さんが今手掛けているのは、ランプシェードの新作です。

「皆さんが着ている洋服でもなんでも、次々と新しいものになっているからね。 同じものばかり作っているよりも、次々と先のことを考えてやるほど自分も楽しみやしね」(藤本さん)

 92歳になっても新しいものへの探求心は、決して衰えることはありません。

藤本さんの長男・光章さんが訪ねてきた

 週末、会社員をしている長男の光章さんが父親の様子を見にやって来ました。光章さんは父から職人を継ぐよう強制されたことは、一度もなかったと言います。

「小学校低学年ぐらいのときは、後を継ぐもんや、という認識でいてたと自分自身は思うんですけれど、周りも見て、だんだんと商売を縮小しているというのが目に見えて分かっていたので、もう継げないなと。親からも継いでくれとか何もなかったので」(長男・光章さん)

 「自分の好きな道だからこそ、極めることが出来る」藤本さんは、そう信じています。

花々をあしらった、新作のランプシェード

 藤本さんの新作が完成しました。ガラスに刻まれたのはバラやウメ、スイセンの花。そして、妻が好きだったサクラ…見る角度によって輝きを変え、幻想的な光を放ちます。

「こんな健康な体をいただいているし、おまけにこんな好きなことがある。先のことはみんな神様任せで、私には分かりませんけれども、こうやって元気に置いていただける限り、毎日作り続けたい。そういう気持ちばかりです」(藤本さん)

 92歳のガラス切子職人、藤本幸治さん。新たなガラスの輝きを求めて、今日も一人、工房にこもります。

(「かんさい情報ネットten.」 2022年6月27日放送)

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