10月14日(火)
万博“レガシー”どう残すべきかー 1970年大阪万博の「顔」から考える
184日間に及ぶ会期を終え、10月13日に閉幕した大阪・関西万博。熱狂が冷めやらぬ中ですが、次に目をむけたいのが会場跡地やパビリオンの行方です。万博のレガシーとは?残すために何が必要か、ゲキ追しました。
【万博】大屋根リングどうなる?解体寸前の『太陽の塔』救った切なる想い “レガシー”に託す未来へのバトン「共に次の時代へ」

万博の“レガシー”とは―
184日間に及ぶ会期を終え、閉幕した大阪・関西万博。“レガシー”を残そうとする動きが少しずつ進む中、注目は会場のシンボル・大屋根リングの行方です。1970年に開催された大阪万博のレガシーから見えた、今後のあるべき姿とは?関わった人々の想いを取材しました。
世界各地に移設・再利用へ パビリオンの未来

大阪公立大学・橋爪紳也特別教授
『いのち輝く未来社会のデザイン』をテーマに、158の国と地域が参加した大阪・関西万博。誘致の段階から中心的な役割を担ったのが、大阪公立大学・橋爪紳也特別教授です。

小学4年生で大阪万博を経験
万博に深く携わるきっかけは、当時小学4年生だった大阪万博(1970年)でした。18回会場を訪れ、世界の多様な文化に心を躍らせた橋爪さんは、2010年の上海万博で大阪館のプロデューサーを務めるなど、数多くの万博に携わってきました。

ブルーオーシャン・ドーム
今回の万博のレガシーとしてポイントにあげたのが、海の蘇生がテーマの民間パビリオン『ブルーオーシャン・ドーム』。建築界の最高峰『プリツカー賞』も受賞した建築家・坂茂(ばんしげる)さんが手掛けた3つのドームです。

カーボンファイバーで造られた世界初のドーム
建築材には、紙でできた管『紙管(しかん)』や竹など、異なる素材が使われました。中でも注目されたのが、カーボンファイバーという素材です。軽い上に強度がありますが、軽さを求めることが少ない建築物には、これまで使われてきませんでした。

モルディブのホテルへ移築予定
今後、インド洋に浮かぶモルディブのリゾートホテルに移築される予定です。
(大阪公立大学・橋爪紳也特別教授)
「現物は、博覧会のレガシーとして移築したときから評価が始まる。カーボンファイバーの建物が世界の各地で建築されることになった場合に、10年・20年後、『カーボンファイバーのドーム建築は2025年の大阪・関西万博から始まった』と言われます」

ウズベキスタンのパビリオン
さらに、日本で集めた丸太で個性的なパビリオンを造ったウズベキスタンは、丸太を母国に持ち帰り、建物の材料として活用する予定です。
(大阪公立大・橋爪特別教授)
「博覧会という場所の意味や記憶を、そのまま材料に託して、現地に持っていく。レガシーというよりも、国際交流のきっかけになるような事例です。これが移築されているところを、見に行きたくなるじゃないですか」
“忘れない場所”を…『パソナ館』淡路島に移設へ

17.5館以上の再利用を目指すが…
万博協会は、84あるパビリオンのうち、2割程度にあたる17.5館以上の再利用を目指していますが、今のところ移築を表明しているのは、『ブルーオーシャン・ドーム』などに留まっています。

淡路島を指さすアトム
そのうちの一つが、アンモナイトの形をした外観で『いのち』がテーマのパソナ館です。iPS細胞で作った直径3.5センチほどのミニ心臓や、体の状態に合わせて最適な睡眠環境を作り出すベッドを展示しました。ナビゲーターのアトムが指さしているのは、移設先の淡路島です。

“忘れない場所”を…
(パソナグループ・山本絹子副社長)
「平和とか命とか健康とか、皆さんの幸せを願う場所だったと思う。“忘れない場所”というのを、ちゃんと作っておくべきだと思うんです」
実は解体寸前だった…55年前のレガシーが今に遺すもの

旧鉄鋼館が記念館に
大阪万博(1970年)の会場跡地・万博記念公園では、当時のレガシーを紹介するツアーが行われています。公園内には、当時の最先端の技術が展示されたパビリオン(旧鉄鋼館)を利用して作られた記念館があり、3000点にものぼる資料が展示されています。

高度経済成長期を物語る大阪万博
高度経済成長期、日本で初めて開催された万博『大阪万博』には、77か国が参加・116のパビリオンが出展。入場者数は6400万人超えと、当時の過去最多を記録しました。

大阪万博の象徴『太陽の塔』
当時の日本の勢いを示した大阪万博の象徴は、会場の中央にそびえ立った『太陽の塔』です。過去・現在・未来の3つの顔は人々に大きなインパクトを与え、手掛けた岡本太郎さんは「べらぼうなもの」と表現しました。

解体を免れ『国の重要文化財』に
閉幕後は、更地にする計画で解体作業が始まりましたが、『太陽の塔』は2025年に国の重要文化財に指定され、今も大阪の“顔”として君臨しています。

ある少年の思いが綴られた手紙
なぜ、残り続けることができたのでしょうか?
(レガシーツアー・ガイド)
「『ダイナマイトで壊す』というのを見たある男の子が、手紙を書いたんです。『私達にとって、この太陽の塔とお祭り広場は永久に思い出を作ってもらいたいものなのです』と。お金を使って壊すなら、お金を使って残してくれませんか」
少年の思いが届いたのか、『太陽の塔』は当初の計画を変更し、“レガシー”として永久保存されることになりました。

あの手紙を送った藤井秀雄さん(67)
(「太陽の塔を残してほしい」と投書・藤井秀雄さん)
「岡本太郎さんも『太陽の塔はみんなの存在だ』ということで、ぜひとも残してあげてほしいという声もあって、永久保存が決まった。私にとっても、自分の生き方について教えていただいた存在でもある。過去は過ぎ去ったものだから背中に置いておいて、前に向かって歯を食いしばって頑張ったら、その先には輝く未来があるよと。太陽の塔は、自分を元気にしてくれる存在です」

住宅地に佇む旧カンボジア・パビリオン
大阪万博のレガシーは会場の中だけに留まらず、神戸市内にも。閑静な住宅街に突如現れるオレンジのトンガリ屋根が特徴的な建物は、大阪万博のカンボジア・パビリオンを移設してきたものです。閉幕後は住宅メーカーが落札し、神戸市北区の広陵町に移築されましたが、今は住民が集う集会所になっています。

当時の面影を残す館内
当時の面影も多く残り、地域のイベントや習い事に、ほぼ毎日のように活用されています。広陵町自治会・田中収会長は「みんなの思いが詰まっている。地域をまとめる力になっているのではないかなと。子どもたちが世界に目を開いてくれたら嬉しい」と話していて、半世紀前の万博のレガシーは暮らしの中に溶け込んでいます。
「万博から始まるものは全てレガシー」それぞれの想い

大屋根リングは「壊さないでほしい」
太陽の塔が人生の道標となった藤井さんは、大屋根リングの一部保存を、どう受け止めているのでしょうか。
(「太陽の塔を残してほしい」と投書・藤井さん)
「大阪・関西万博の大屋根リングは大きな位置づけだと思うと、壊さないでほしいという思いにはなる。6か月間、平和的なアピールをしてきて、ずっとこれからも発信していくんだというポリシーを出してほしいという思い。今からでも遅くないと思うので、やっていってほしい」

レガシーと共に次の時代へ
大阪・関西万博の立ち上げから関わった橋爪教授は、万博のレガシーに“ある思い”を託します。
(大阪公立大・橋爪特別教授)
「レガシーを遺産みたいに訳すのは、すごく嫌で。レガシーと共に次の時代を生きていく。博覧会を見て国際交流に目覚める若い人、博覧会の経験を通じてエンジニアを目指すような子どもたち…それが、最大のレガシー。万博で心に刻まれたモノがあって、そこから始まるものは全てレガシーと言っていいと思います」

何を遺すことができるのか―
158の国と地域で形作られた2025年万博は、何を遺すことができるのか―関わった私たちの“これから”にかかっています。
(「かんさい情報ネットten.」2025年10月14日放送)
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