【緊急ゲキ追】北新地放火容疑者“死の謎”に浮かぶ ビル火災の課題とは

大阪・北新地でおきたビル放火殺人事件から1月17日で1か月が経ちました。この事件では、ほとんどの被害者が事件当日に無くなった一方、谷本盛雄容疑者が亡くなったのは事件から2週間後でした。“なぜ、谷本容疑者はすぐに死ななかったのか…” この謎の背景に浮かび上がるビル火災の“課題”をゲキツイしました。

【特集】北新地クリニック放火殺人 なぜ容疑者だけが2週間後に死亡? 背景に浮かぶビル火災の課題

 去年12月、大阪・北新地のビルで起きた放火殺人事件。事件から1か月が経った1月17日、現場となったビルの前には、多くの花が手向けられ、犠牲者を悼み、手を合わせる人の姿が見られた。この事件では、ほとんどの被害者が当日に亡くなった一方で、意識不明の重体で搬送された谷本盛雄容疑者が亡くなったのは事件から2週間後。この謎の背景に浮かび上がったのはビル火災の課題。事件当日、クリニックの中では何が起き、どのように火の手が迫ったのか?なぜ、25人もの尊い命が犠牲になったのか?専門家と共に検証した。

放火されたクリニックが入るビルの前には多くの花が手向けられた

周到な犯行計画 容疑者死亡で捜査難航 動機は?

 年の瀬も押し迫った12月30日、その男の死の報せは全国を駆け巡った。大阪・北新地のビルで25人が死亡した放火殺人事件の容疑者、谷本盛雄61歳。重度の一酸化炭素中毒で意識不明の重体が続いていたが、事件発生から14日目、犯行の動機などを一切話すことなく、この世から消えた。クリニックと谷本容疑者との間にトラブルは無かったという。火災当時の状況を検証すると、室内にいた誰もが現場から逃げるのが難しい、周到な犯行だったことが明らかになった。

谷本盛雄容疑者(61)

 あの日、谷本容疑者はエレベーターの前で持ってきた袋を傾け、流れ出したガソリンにライターのようなもので点火。ほとんどの人がクリニックの奥へと逃げようとする中、もう一つの紙袋を非常口に向けて投げつけたため、現場で唯一の避難路が炎に包まれたとみられる。さらにこの後、非常口から逃げようとする1人に対し、避難の妨害を狙ったのか、体当たりするように突進する様子も防犯カメラに映っていた。救急隊が駆け付けた時、谷本容疑者はクリニックの奥の診察室側と待合室側を仕切る扉の手前側に倒れていた。閉まっていた扉を開けると、26人が心肺停止の状態で倒れていたという。

事件発生時のクリニックの内部 非常口は炎でふさがれていたとみられる

 3年前の京都アニメーション放火殺人事件で青葉被告の主治医を務めるなど、火災による一酸化炭素中毒などに詳しい鳥取大学医学部附属病院の上田敬博医師は、犯行の状況から現場を脱出することは極めて困難だったのではと分析する。

「屋内で煙が充満しやすい。被害者は逃げ場を失っていた。一酸化炭素は無色・無臭で気付かないうちに体の中に取り込まれて、最初は頭痛や吐き気がなどの気分不良が出るが、症状に気づく前に意識を失っていた可能性が高い。クリニックの出口は、犠牲になられた方々が倒れていた場所とは反対方向なので、逃げるには炎を通り抜けないといけない。そこに容疑者が立ちはだかっていたなら、それを振り払ったり、抑止していると、1分未満で避難するのは非常に難しい。そうやっている間に意識を失って倒れる可能性がある。」(上田敬博医師

鳥取大学医学部附属病院の上田敬博医師

谷本容疑者 事件発生から2週間後に死亡の謎

 この事件で亡くなった25人のうち24人が当日に死亡。1人も4日後に死亡が確認された。最大の謎は、なぜ火をつけた本人である谷本容疑者の死が2週間後だったのか?ということだ。その謎を解くため、事件当時の状況についてコンピューター解析を依頼し、室内の煙の動きをCGで再現した。(写真5参照)赤色で示した煙は数秒間で出火現場に近い待合室に充満した一方、奥の診察室が煙で満たされたのは出火からおよそ1分後。待合室と診察室の間の谷本容疑者が倒れていた場所は、診察室よりかなり早く煙が充満したとみられる。

事件当日のクリニック内の煙の動き 赤色で示した煙は出荷から1分後には右奥の診察室に充満した (協力:環境シミュレーション)

 しかし、待合室には表通りに面した窓から、青色で示した大量の外気が流入し、煙はやや上方へ押し上げられ、一酸化炭素濃度の低い空気の層が、床からおよそ30センチの高さでできていたことがわかった。(写真5参照)

待合室の窓から外気が流入(青色部分) 煙(赤色部分)は床上30センチ上方に押し上げられ、空気の層が生まれた

 そこで、仮に実際には窓がない診察室にも、待合室と同じ幅30センチの窓が1枚設置されていたとの条件で再計算してみると、煙の進入スピードが遅くなる上、待合室同様、外から流入した空気の層が床面に広がるという結果が得られたのだ。このCGを製作した環境シミュレーションの阪田升さんは、火災時における「排煙窓」の重要性を説く。

 「密閉したスペースに避難した方々からみると、30センチ幅の排煙窓が1個あるかないかというのは非常に大きい。頭を低くしていたならば、CO濃度の高い煙を吸わなくてすんだのではないかと考えられます。」

排煙窓があることで、外気が流入し空気の層が床面に広がった

 排煙窓の効果は、2013年に起きた宝塚市役所の放火事件で実証された。犯人の男がガソリンの入った瓶などを投げつけ炎上、約2200平方メートルが焼け、職員や市民5人がケガをしたが、死者は出なかった。宝塚市役所総務部管財課山本直規課長によると、事件当時、消火が始まってすぐに排煙窓を開け、これにより、一酸化炭素の充満を防げたことで、視界の確保にもつながり、死者を出さず速やかに避難を終えることができたという。

煙が充満する中、排煙窓を開ける宝塚市の職員

「2方向避難」の徹底を 生かされなかった“21年前のビル火災の教訓”

 さらに、都市防災に詳しい関西大学社会安全学部の越山健治教授は、今回、「2方向避難」の対策が施されていれば、もっと多くの命が助かった可能性があると指摘する。
   
「火災時、建築物の避難で一番よくない状況は、中にいる人が避難できなくなってしまうこと。もう一か所、避難できる出口を作って、地上に出られるルートを確保しておくことが“2方向避難”の原則です。今回のビル火災であれば2方向避難は必要。もしくは避難器具を使って逆側から1人でも2人でも逃げることができていたら、また違った結果になったのかもしれない。また排煙設備がついていれば、もう少し煙の拡散が和らげられたかもしれない。」

 「2方向避難」は、21年前、東京・歌舞伎町の雑居ビルで起きた火災で、その重要性が指摘されていた。2001年9月1日未明に起きたこの火災は、ビル3階のゲーム店や4階の飲食店にいた客や従業員ら合わせて44人が死亡する大惨事だった。警察は放火の疑いが強いとみて捜査しているが、いまだ犯人は逮捕されていない。ほとんどの被害者の死因は一酸化炭素中毒で、現場に「2方向避難」が確保されていなかった点など、今回の放火殺人事件と類似する点も多い。

 この歌舞伎町の火災で当時30歳の長男を亡くした井上正さんは、21年前からの課題がいまだ改善されない現状を嘆く。

「またかと…。どうして起きるんだろうなと…。入口で火をつけられたらどうすることもできない。奥に逃げても行き止まり、逃げる所がない。抜け道があればここまでの被害はなかったと思う。」(井上正さん)

東京・歌舞伎町の雑居ビルで起きた火災(2001年9月)

「2方向避難」なしでも法令違反にならないワケ

 実は、現在の法律では、6階建て以上の建物には地上につながる階段を2か所以上設けることが義務付けられている。また3階建て以上で延床面積が500平方メートル以上あれば排煙設備の設置も必要だ。現場のビルはこれらの対象となる建物に該当するが、これまで消防局の検査などで防火設備などに法令違反はないとされてきた。このビルが建設されたのは1970年。高度成長期の北新地には、約3000店の高級クラブが出店し、入居を当て込み、数多くのビルが続々と建設され、現在の街の姿となった。この頃に建てられたビルの多くは、排煙窓や2方向避難の確保が義務化される以前に造られ、建築基準法に違反しないのだ。現場のビルに入居するある会社関係者に、建物の安全面について話を聞いたところ、設備についてビルのオーナーには何も言えず、安全を感じたことは一度もないという。


「階段を設置するのは費用もかかるしジレンマがあるわけですよね。儲けを考えることに対して、どこまで“安全”というものにコストをかけて、その空間を使っていくのか。それに対する社会全体の合意が必要だと思います。」(関西大学社会安全学部 越山健治教授)

「その火災事故が起きて初めて、ビルの点検をしようと動いていただいている訳ですが、時間の経過とともに、ついついおろそかになる。火災の起きやすいビルを、こまめに点検してもらいたいなと思いますね。」(井上正さん)

 多くの人が亡くなる雑居ビルの火災を繰り返さないために取り組むべき課題は明確だ。それを解決しようという危機意識が共有できるかが社会全体に問われている。

上空から見た現場ビル 両隣のビル戸の隙間はほとんどない

(読売テレビ「かんさい情報ネットten.」1月17日放送分)

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