「ytv SDGs×難民を助ける会」
日本生まれの国際NGOに聞いた「ウクライナの現実と人権の危機」。
女性、こども、高齢者、障害者らを支援する現場からの報告に耳を傾けてください。

ytvSDGs×難民を助ける会
日本生まれの国際NGOが見た「ウクライナ戦争1年の現実」とは。
戦火の中で震える人たちに手を差し伸べる‘人道支援’活動の記録

ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始してから1年が過ぎました。戦争終結への道筋は見えていません。こうした中、オランダ・ハーグに本部を置く国際刑事裁判所(ICC)は今年3月、「戦争犯罪」の容疑で、ロシアのプーチン大統領らに逮捕状を出しました。この逮捕状の中身は、ロシアが、占領したウクライナの地域から「こどもたちを強制的に移送している」という内容で、プーチン大統領の不法行為に対し、戦争犯罪の責任を追及するものです。ミサイルや戦車による武力のぶつかり合いの狭間で、守られない人権があり、状況は深刻化しています。ICCは声明で「合理的な根拠がある」と説明していますが、ロシア政府は、戦争犯罪疑惑を否定し、逮捕状は「言語道断」だと主張しています。国連が2030年の達成を定めたSDGs(持続可能な開発目標)は17のゴールのひとつに「平和と公正をすべての人に」という目標を掲げています。しかし、ウクライナの現実は、理想からどんどん遠ざかっていると言わざるを得ません。そんな現実と向き合い、希望を届けようと活動する日本生まれの国際NGO「AAR Japan 難民を助ける会」があります。ウクライナからの報告には「あなたはこの現実にどう向き合いますか?」、そんな問い掛けが込められています。
(サステナビリティ部 山川友基)

「AAR Japan難民を助ける会」の中坪央暁です。今回は、国際社会最大の関心事である「ウクライナ人道危機」についてお話します。 私は世界の紛争や難民問題について、人道支援とジャーナリズム両方の視点で取材し、発信しています。2022年2月24日にロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まって間もなく、私は隣国ポーランドに飛んで緊急支援を立ち上げ、その後二回、ウクライナ国内を訪問しました。 今年1月には真冬の首都キーウを取材してきました。

まず、AAR Japanについて紹介します。 AARは40年余りの歴史を持つ日本生まれの国際NGOとして多くの方々から支援をいただいています。もともとは1979年、いわゆるボートピープルに象徴されるインドシナ難民問題がクローズアップされた頃、民間の力で難民を支援しようと創設された団体です。 創設者は相馬雪香。 明治から昭和にかけて活躍し、「憲政の神様」と呼ばれた政治家・尾崎行雄の娘です。雪香は既に故人ですが、明治生まれのバイリンガル。日本で初めて英語と日本語の同時通訳になったという、時代をいくつも先取りしたようなエネルギッシュな女性でした。AARは現在、日本国内を含む16か国で活動し、難民支援だけでなく、障害者の自立支援、災害時の被災者支援など幅広い活動に取り組んでいます。

ウクライナ問題については、国際政治や外交、あるいは軍事などさまざまな分野の専門家の皆さんがそれぞれに詳しく論じていますので、私は「人道支援」の立場から実際に現地で見て感じたことを報告したいと思います。軍事侵攻から一年になるのを前に今年1月中旬、首都キーウとその近郊で撮影しました。キーウ中心部の広場には、遺棄されたロシア軍の戦車や装甲車が並べられていました。一種の観光名所のようになっていました。キーウに空襲警報が発令され、ホテルの地下にある駐車場に退避しました。キーウ市内の住宅地では、昨年末突然のミサイル攻撃で民家が破壊されました。おそらく別の場所を狙ったミサイルが間違って落下したのだろうと考えられています。

虐殺の街として知られるキーウ近郊のブチャです。この通りにもたくさんの民間人の遺体が放置されていたといいます。これはブチャ市当局に日本政府が送った発電機です。この発電機を熱源として、団地のセントラルヒーティングが稼働していました。市民同士の助け合いの動きもすでにみられています。こうしたテントを張って、市民が気楽に来てお茶を飲んで語り合えるような場所が設けられていました。

これはブチャの近くにあるボロディアンカという町です。軍事侵攻初期にロシア軍の侵攻ルートにあったため、砲撃を受けて町がひどい状態になっていました。これはボロディアンカ出身の戦死した若者の葬列です。町の人たちも立ち止まって、この地元の若者に別れを告げていました。

戦時下の国と言いますと人々が四六時中、防空壕にこもっているような状況を想像しますが、キーウをはじめ多くの街では普通の市民生活、経済活動が営まれています。一般のオフィスや商店、レストラン、交通機関なども通常通りです。しかし、ひとたび空襲警報のサイレンが鳴ると大型スーパーなどの店が閉められ、人々は地下鉄の駅や最寄りのシェルターに退避します。ロシアによるインフラ攻撃の影響が大きく一日数時間の計画停電が行われていました。高層アパート20階に住む男性は「エレベーターが使えなくて階段を上り下りするだけで、毎日ヘトヘトだ」と嘆いていました。とは言え、キーウ市民の誰もが「こんなことで我々の士気をくじくことはできない。ロシアに対する憎しみがますます高まるだけだ」と話していました。 

私たちAARを一つの例としてウクライナ人道支援活動について説明します。いくつかの事業があります。最初に実施したのが、隣国ポーランドの団体と協力して比較的安全なウクライナ西部のテルノビリ州に避難した国内避難民、そのほとんどが若い母親と子供たちですが、食料や衛生用品、医薬品、子供服などをポーランド側から越境して届ける支援を行ないました。これは海外に逃れたウクライナ難民も同じですが、難民や国内避難民の大部分は、女性と子供、そして高齢者です。これはウクライナ政府が祖国防衛のために成人男性の出国を原則禁じていることが背景にあります。次に、同じくウクライナの隣国モルドバという、小さな国の首都キシナウに現地事務所を開設して、モルドバに流入した難民に食事や食材を提供したほか、難民が滞在する大学の学生寮に幼い子供たちの遊び場を設置しました。 この他にも現地のNGOと協力して様々なサポートを行っています。

もう一つ大切なのがウクライナ国内に残る障害者への支援です。ウクライナにはたくさんの知的障害者、身体障害者がいますが、軍事侵攻が始まって以来、政府、行政の優先事項はどうしても国防軍事になってしまい、障害者に対する公的助成が滞り、中には運営に支障をきたす施設も現れました。そこでAARはウクライナ国内のネットワークを通じて、二つの知的障害者団体、一つの車いす利用者の団体に資金を提供することにしました。この冬は全土で停電が常態化し、障害者施設も大変困っていたため、発電機やソーラーパネルを送りました。 先日お会いしたある団体の代表は「日本からの支援で発電機が届いたときには、思わず涙が出た」と話してくれました。この団体では、知的障害のある人たちを地方の静かな田舎町に10日間ずつ移して安心して過ごしてもらうプログラムを実施しています。これは「レスパイトケア」と言いまして、介護者である家族と障害当事者が一時的に別の場所で過ごして、それぞれ一息つく、リラックスする時間を作る取り組みで、プログラムでは音楽を演奏したり、演劇や料理、散歩などを楽しんでいました。AARは、この費用をすべて提供しています。

この写真は、2014年以降の戦死者の遺影です。 つまりウクライナの人々にとっては、すでに8年9年ロシアと戦争していて、それが今回エスカレートした、拡大したということに過ぎません。もう一つ強く感じたのは、ロシア以上にウクライナ側がこの戦争をやめられないということです。キーウ市民に話を聞くと男女問わず「私たちはロシアには決して屈しない。今は前線で兵士が戦ってくれているが、私たち市民も最後の一人まで戦う」という声が聞かれました。これは建前で勇ましいことを言っているわけではなく、静かな覚悟といいますか、本気で言っているのだなと感じました。ゼレンスキー大統領は欧米諸国に戦車や武器の提供を求め続けていますが、その核心的な主張は今の状況を2022年2月に戻すだけでなく、2014年に奪われたクリミアや東部地域からロシア軍を追い出すということです。そして国民多数がこれを強く支持している以上、ウクライナは戦争を止めることができません。

ウクライナの人々が平和を願っているのは言うまでもありません。キーウ郊外の町であった女性は私に話しました。「私は息子が二人いたが、一人は2年前に東部戦線で戦死してしまった。もう一人も今、ロシア軍と戦っています。愛する息子を二人とも失ったら私は生きていけません。この戦争はいったい、いつ終わるのでしょうか」。私は何も答えられませんでしたが、これもまたウクライナ市民の偽らざる気持ちだと思います。もう一人とても印象に残っているのが、四人の子供を連れた若い母親です。軍事侵攻が始まった直後に夫が殺害され、この母子たちは町を離れて避難していました。彼女が言ったのは、「私たちウクライナ人はとてもひどい目に遭っているけれども、これが何のための戦争なのか、何のために戦っているのかも知らずに死んでいくロシアの若い兵隊。そして息子を戦争に送り出しているロシアの母親たちも本当にかわいそうです」ということでした。

私たちは誰もがこの戦争が一日も早く終わって欲しいと願っていますが、残念ながら戦争を止める手立ては持っていません。軍事侵攻が始まって以来、私たちAARにはたくさんの個人や企業、団体の皆さんからたいへんな額のご寄付が寄せられています。それは、この戦争があまりにひどい、21世紀に起きてはならない事態だと多くの皆さんが感じて、自分も何かせずにはいられないと思っておられることの表れだと考えています。

私たちは今、21世紀の歴史に刻まれる大変な出来事をリアルタイムで日々目撃しています。 今の時代、世界中の出来事で自分とは関係ない、あるいは日本とは関係ない出来事は存在しません。日本は国際社会において欧米諸国とともにロシアと明確に対峙する側に立っています。そしていつかこの事態が終わった時、日本もウクライナ復興に対して応分の貢献を求められます。人道支援の立場で申し上げると、ウクライナ難民に限らず、困難に直面する人々に手を差し伸べることができるのは、同じ時代に生きる私たちしかいません。日々のニュースを傍観者として、ただ眺めるだけでなく、ここに私たちと同じ人々がいるのだということに思いを馳せて、 人道支援活動を応援していただければ幸いです。

プロフィール

中坪央暁(なかつぼ ひろあき)
ジャーナリスト/国際NGO「難民を助ける会」(AAR Japan)

 

全国紙の海外特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の派遣でアジア・アフリカの紛争復興・平和構築の現場を継続取材。2017年AAR Japanに入職、バングラデシュ駐在としてロヒンギャ難民支援に約2年間携わった後、東京事務局で広報担当(関西駐在兼務)。2022年に始まったウクライナ危機で同国およびポーランド、モルドバを取材し、人道支援の視点で発信を続ける。同志社大学文学部卒。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』(めこん)、共著『緊急人道支援の世紀』(ナカニシヤ出版)、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』(明石書店)ほか。