• 2003年~

    報道

  • 2008年~

    東京営業

  • 2020年~

    事業開発

これまでの経歴と、今の仕事は?
『報道記者・ディレクターから
東京営業、
そして事業開発へ』

報道で経済担当記者を2年、ディレクターを1年、大阪府警担当記者を2年担当しました。その後2008年に東京営業に異動し、現場デスクとして5年間勤務した後、スポットデスクの統括(チーフデスク)を任されました。当時はいわゆるインターネット広告が台頭してきた時で、『テレビ広告の価値』をどう表現するかという課題にチーフデスクという責任ある立場で取り組めたのは大きかったなと思っています。その経験を活かして、2020年に今の部署に来ました。「地上波外のビジネス」という領域で“新しいビジネスを開発してください”という部署なんですが、基本的には「利益追求」というのはちょっと後回しにして、テレビ局として地元・放送エリアに対して有益な情報の提供や、地元関西にどれだけ還元・貢献できるかということを考えています。

「事業開発」って、どんな部署ですか?
『ytvの強みを活かして
地域にどう貢献していくか』

基本的にはこれまでになかった発想で、「テレビ局として何かお手伝いできることがあるのか」という目線で仕事をしています。放送局の強みや人的リソースを生かしてエリア貢献に繋げ、その先にマネタイズがあればいいのかなという想いでやっています。自治体や企業の課題や悩みを聞いて、それを解決する手段を提案。受け入れられたら、プロジェクトを進めます。一概にテレビ局の新規事業といっても、ytvの強み・テレビ局の一番の強みは放送免許だと感じるので、放送免許を生かして地域の皆さんにどう貢献していくか。その上でお金が入ってきたらサステナブル(持続可能)、ひいてはSDGsに繋がると思っています。
異動した当初は、新設された部署だったので「何をやっていけばいいんだろう」というところからでした。(笑)でも「こうしなければならない」というふうに囚われなくていい部署なので、結構やりたいことはできています。

ytvだからこそ実現できた、もしくは抱けた夢はありますか?
『若いうちから何でもできる!』

若いうちから何でもできるってことだと思います。(即答)報道では1年目でVTRを作ることができて、営業でも配属されていきなりコストを決めたりしました。自由度は広いかなと思います。ただ正直、会社として「何が〇で何が×か」ということがわかりにくい部分もあるかなと思っていて、そこが難しい部分ではあるけど、逆にそれは自分で決めていけばいい。「何が〇で何が×か」というところすら、自分で作っていって、法律にできる会社だと思います。
今後はもっとこの会社を良くするために、放送エリアの人々に対してテレビ局として何かを還元できるようにするために、みんなで知恵を出し合って忖度なしで話し合える、ワイワイやれるような会社にしたいと思っています。

このページを見ている方へのメッセージ
『正直に“素”の自分で
勝負してもらいたい』

就活は大変だと思いますが、受かるために変に自分を飾るのではなくて、正直に素のままで、面接や課題に臨み、それでダメならしゃあないという気持ちでいて欲しいなと思います。会社に自分を合わせる必要はなく、素の自分で勝負してください。そうやって入社したほうが、多分楽しい仕事ができると思うので。「やらなければならない」を増やすより、「こうしたい」を増やしてもらいたい。もし希望の会社に「縁」がなかったとしても、「こうしたい」という気持ちで仕事にあたれる人、楽しく仕事にあたれる人になってほしいなと思います。