MESSAGE メッセージ

吉田羊 
2019にかける思い…

2月3日放送へ向けて、番組制作最終段階のナレーション収録のために、
吉田羊が都内のスタジオを訪れた。
収録を終えた吉田羊が取材に応じ、世界遺産の街を体感した内容や、
物語の主人公への時空を超えた思いと、
2019年にかける強い気持ちを語った…。

光子さんが感じたことを私も感じた…

――旅の感想をお聞かせください。

チェコとウィーンは今回が初めてでしたので街並みの雰囲気を見て楽しんでいましたし、このお話をいただいて初めて、グーデンホーフ光子さんについて知って、彼女が生きたそれぞれの場所を見られる楽しみというのがすごくありました。チェコは本当に美しい街で、街全体が映画のセットみたいな、ハリーポッターのような世界といいますか、どこをとってもフォトジェニックで、映画の中の世界にいるような気持ちにさせてくれる、ファンタジックな街でした。一方でウィーンは洗練されていて、教育、音楽、美術、すべてが最先端にいる街、という雰囲気でした。チェコとはまた違う感慨に私が浸ったように、きっと光子さんも当時感じていたのだろうな、と。行く先々で光子さんが感じたことをどこか感じさせてくれる旅でした。

――現地の方とのふれあいは?

ありました。こちらでアポイントメントを取っていた取材対象の方もいらっしゃいましたが、例えばファーマーズマーケットでアポのない現地のお店の方とお話をさせていただきました。特にチェコの皆様は小さい時から本に慣れ親しんでいる方が多くて、おしゃべり好きの方が多いように感じました。「1」聞くと、「200」くらい返してくださるので、1回インタビューをすると、しばらくその方の話を聞いていました(笑)。皆様「日本から来たクルーだよ」っていうと本当に気さくに、喜んでくれました。ですので、現地の方ともたくさんお話しをさせていただきました。

キャラクターを引きずるので ゆっくりできず

――ゆっくりできる時間は?それとも仕事のみでバタバタ?

渡航10日間のスケジュールはみっちりでしたけど、撮影クルーが景色を撮ったり、素材を撮っている時間はランチや現地散策をしていました。ですが、私はどの作品でもそうなんですけど、自分が関わるキャラクターをどうしても引きずってしまうところがあって、今回はやっぱり光子さんの人生をたどるという目的で行ったので、どこか手放しで旅行気分になれなかったです。光子さんが、ずっと近くにいるような気がしていました。

――光子さんという人はどういう人だと?

すごく強い女性だなと今回の旅をして思いました。その「強さ」というのは旦那様への愛ですとか子供への愛ですとか、自分が守りたい家族への愛が根底にあったからこそというのを感じました。また、きっと私と同じように光子さんのことを知らなかった人はたくさんいらっしゃると思うので、この番組を見て、特に女性の方には、この明治という時代に海外に渡り、そこに骨を埋める覚悟を決めて、最終的に国際結婚を成功させた人……光子さんの息づかいを感じて学んでいただけたら嬉しいです。人生を全うして、体現した人だからこそ彼女が残してきた言葉というのはすごく説得力がありますし、人はどこにいてもいくつになっても成し遂げることができるんだというメッセージを受け取っていただけたらと思います。

光子さんが私を選んでくれた

――勇気づけられた部分は?

私の好きな彼女の言葉で「意思があれば成し遂げられないことはない」という意味合いのものがあるんです。私も常に自分を鼓舞する意味でも信じている言葉です。やはりそういう思いが、強く彼女にリンクできる部分でしたし、私がそういう考えの人間だからこそ、光子さんは今回のナビゲーターに私を選んでくれたのかなという気がしています。

――常々「成し遂げられないものはない」って思っていたところに、時空を越えて同じ言葉が出てくるっていうのは、嬉しいものですよね?

一つ一つ彼女が、成し遂げてきているので、だからこそ、この言葉が響きましたし、説得力をもってその言葉を聞くことができました。だから私と同じように思っている人がいたとしたら改めてその思いを強くしてもらえるでしょうし、そうは思ってなかった方には新しい価値観として、ご自分の人生に取り入れていただけたらいいのではないか、それくらい彼女の人生は説得力のあるものだなと思いました。

年号とカタカナが苦手

――そもそも、歴史的なものにご興味はあったんですか?

私は、元々考古学の道を歩みたかったのです。でも、致命的に記憶力がなくて…(一同・笑)、年号とカタカナが苦手で、今回の旅でもお城の名前とかがいまだに言えないんです!ちっちゃい“ツ”がどこに入るのかとか分からなくて。世界史につまずき、日本史は年号につまずき、諦めた人間だったんですけど…。でも!でも!歴史は好きです!

――旅は好きですか?

はい。光子さんの人生をたどった時に、日本だけにいるのではなくて異文化の人たちと交流することは、視野も広がるし、人生観も広がるし、成長の種がそこにあるなって思ったら、どんどんこれからも出かけていくことを躊躇してはいけないなと改めて思いました。

――普段は計画を立てていかれるんですか?

私は基本的におおざっぱですし、「行き当たりばったりの旅か好き」なんて言ってたんですよ。でも去年親友と二人で10日間のフランス旅行に行ったんです。そしたら、親友も私もギリギリまで準備せずで、近づくにつれて「これ、何も考えなさすぎだな」と思ってやり始めたらハマってしまい、分刻みでスケジューリングをして、ものすごい緻密にプランニングしている自分がいました。どうせ行くなら効率的に回りたいと思っちゃいました。意外と私、ガイド向きかも(笑)。

つぎは、自腹でフランスへ

――プライベートでお一人で海外に行かれることは?

来月行きます。一人旅っていうのに憧れてはいたんですけど、まだやったことがなくて。来月ちょうど私が主演した『ハナレイ・ベイ』という映画が日本とフランスの専門家が選ぶ“日本映画史100年”というのに選ばれてパリで上映されることになったんです。なので監督が登壇してスピーチをするっていうのでそれを見ようと思って。自腹で・・・(笑)。

―クルーの皆さんにお土産を…と、聞きましたが。

それは何故かと言いますと、私がランチしている間、皆さんはせっせと素材を撮っていたわけですよ。おいしいランチも食べずに、その時間を仕事に充てられていたので、せめて何か手土産を!と思って、私がスーパーで見つけた美味しい食材を「持って帰ってください!」って差し上げたんです。我々がシュニッツェルとか食べている間、「何食べたんですか?」って聞いたら「マックです!」っていうから…。「マックは日本にもあるでしょ!」って(笑)

――OAにはありませんが、アンティークショップとかも行って、値段交渉も?

だって、こんなにちっちゃい江戸時代の花瓶が30万もして!(笑)。良いものだけど!30万は無理!何とかなりませんか?って(笑)。何百年も前の人と同じものを見ているかもしれない、ということに感動するんです。もしかしたらどこかのお殿様が触ったかもしれないものを今、私が触っていると思うとそれだけで感動します。そういうものが生きて残っているということに。モノだけれどもそのものが持っている生命力というものを感じられるというか…。好きなんです。

――旅の中でハプニングは?

事前にアポイントを取っていた方が急遽来られなくなったことがありました。で、代わりの方が来てくださることになったんです。にもかかわらず、詳しいんです。皆さん。チェコの方って小さいころから本に親しまれているのでお喋り好きなんですよ。決して専門家ではないのに、最低限の知識を皆さんが持っていらっしゃるってことには感動しました。嬉しいハプニングでした。

奇特な貴族の方がいれば…

――光子さんって数奇な運命の方ですけれども、もしご自身が同じ立場になられたら(こういう生き方は)考えられますか?

今の時代でしたら考えられましたね。さっきの話じゃないですけど、ぜひ飛び込んで、日本にいたままでは体験できない人生経験ができるっていうワクワク感、期待感しかないですね。なので、もしそういう奇特な貴族の方がいらっしゃいましたら、お会いして気心が合えばぜひお受けしたいと思います(笑)。

2019吉田羊は〇〇を!

――2019年の意気込みを

今年は今まで挫折してきたことを光子さんのように、成し遂げたいと思います。何を?って感じですね(笑)。語学をマスターしたいと思います。英語とフランス語を頑張りたいと思います。こういうことを外で言うと、「先生紹介しますよ」とか「学校紹介しますよ」とか言ってくださることも多くて、つい最近も、歌手のJUJUちゃんと飲んでいた時に、JUJUちゃんが「羊さん、私今年フランス語やりたいんですよ!」って言ってきて「私も!」って(笑)仲間ができました(笑)。共に励ましあって頑張りたいと思います。

――語学を学びたいと思われたきっかけは、お芝居の関係で?

ほぼそうだといっても過言ではないです。旅行に行った先で現地の方と話せたら面白いな、広がるな。もっと話せたら自分から尋ねに行けるのに、って思う事もありますし。でも一番は、お芝居の武器の選択肢の一つに加えたいなというのはあります。この人英語ペラペラそうだよねっていうキャラクターをやっているのに話せないからといってそのセリフがカットされたりとか、そのシーンがカットされたりってのは自分でその作品が底上げされる可能性を消していっているなと思うので、武器としてぜひ身に付けたいなという思いです。頑張ります!今日、ここで言っちゃったから(笑)。

STORY ストーリー

クーデンホーフ光子(旧姓 青山ミツ)
クーデンホーフ光子(旧姓 青山ミツ)

17歳の光子は、当時オーストリア・ハンガリー帝国の代理公使だったハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵に見初められ、2人は結婚。西洋人貴族と日本人の初めての国際結婚といわれたシンデレラストーリーでした。しかし日本での幸せな暮らしもつかの間、夫に母国から帰還命令が下され、光子は子供をつれて、夫の祖国オーストリア・ハンガリー帝国に渡ることになります。しかし、ほどなくして夫が病に倒れ、急逝。孤立無縁の状態で7人の子どもを女手一つで育てることになった光子は、相続問題や戦争など、様々な逆境に翻弄されながらも、「黒い瞳の伯爵夫人」と呼ばれ激動のヨーロッパを生き抜いていきます。

子供たちに最先端の教育を受けさせようとウィーンに移り住み、息子を位の高い人々へ売り込むため社交界に積極的に顔を出すなど、時には母として、時には厳しい父として、家長として、子どもたちを育てた光子だったが、そんな母に影響を受けた次男・リヒャルトが提唱した「汎ヨーロッパ主義」が、現在のEUが出来る礎となったといわれています。
両次大戦の荒波に翻弄され数奇な運命を辿ったクーデンホーフ光子の劇的な生涯とは!?

LOCATION ロケーション

  • プラハ
    プラハ

    世界最大級で最古の城とされるプラハ城や、モルダウ川に架かる美しい橋「カレル橋」、そして「百塔の都」の異名を持つほど歴史的建造物が立ち並ぶプラハの旧市街を散策。

  • ウィーン
    ウィーン

    芸術の都・ウィーンへは中央ヨーロッパを縦断する高速鉄道「レイルジェット」で移動。馬車に乗って街を見学し、ウィーン発祥のカフェ文化や光子も通ったシェーンブルン宮殿で豪華絢爛な宮廷文化を肌で体感します!

CHRONOLOGY 年表

1874年 東京市牛込納屋町に生まれる/1892年 ハインリッヒが日本に赴任(後に夫になるオーストリア・ハンガリー帝国からの外交官ハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵)/1893年 光子とハインリッヒが入籍・長男ハンス(光太郎)を東京で出産・次男リヒャルト(栄次郎)を東京で出産/1896年 欧州に到達(現在チェコのボヘミア地方にあるロンスペルク城)/1905年 日露戦争の勝利(オーストリア=ハンガリー帝国でも日本人であり貴族と結婚した光子も注目を浴びる)/1906年 夫ハインリッヒが急死(相続問題→訴訟)/1914年 第一次世界大戦(日本の敵国となり光子も赤十字に奉仕する一方、差別も受ける)/1923年 光子の次男リヒャルト(栄次郎)が「パン・ヨーロッパ思想」を出版し、提唱(EUの母と呼ばれる理由になっている)/1925年 脳溢血で倒れる(右半身が不随となる)/1941年 光子永眠/1953年 光子の息子、リヒャルト(栄次郎)が、明仁親王(今上天皇)と面会/(英国エリザベス女王の戴冠式に出席する外遊先のスイスで)