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【年金密着】「最期は『ありがとうな』と言って…」苦難の商売を支えてくれた妻が末期がんで他界 築80年超の家で一人暮らし、月額4万6000円でも前向きに生きる年金受給者の想い
2025年4月27日 UP
2025年4月15日(火)は、2か月に一度の年金支給日。今回出会ったのは、収入は月額約4万6000円の年金だけという78歳の男性。苦難の連続だったという商売、最愛の妻との別れ…今年度初の年金を受け取った受給者の“リアルな生活”に密着しました。
■築80年超の長屋に一人暮らし 年金受給者(78)のリアルな暮らし
現在の収入は、月額約4万6000円の年金のみだという井上さん(78)。現在は持ち家の一軒家に一人暮らしだそうですが、どうやら、相当古い自宅だそうです。
一体どんな生活を送っているのか、気になる自宅へお邪魔すると―。
(井上さん)
「昔の長屋、5軒長屋。築87~88年」
Q.井上さんが暮らしてから何年ですか?
(井上さん)
「今年で38年目やな。古いやろ」
現在の家に、40年近く暮らしているという井上さん。貯金を崩しながら、なんとか生活が成り立っているそうです。
(井上さん)
「物の値段が上がっているから、やりにくいよ。考えて買わないと。家があっても、年金だけの生活はできない」
■結婚後、『果物専門店』をオープンするも…バブル崩壊で辿った苦難の道
1946年、岡山・倉敷市に生まれた井上さんは、27歳で結婚。数年後に大阪市内の市場の中に果物専門店をオープンしましたが、商売の道は苦難の連続だったそうです。
(井上さん)
「最初は景気が良かったけど、バブルがはじけて、もう大変やった。それは物が売れなくて、困った」
1990年代のバブル崩壊により、お店の経営も下降線を辿り…。
さらに―。
(井上さん)
「市場が活性化すると言って、スーパーにすると言われた。でも、スーパーの中に店を出すなら何千万という借金がいるから、『それやったら私らやっていけない』と言って、市場を出て、商店街に出たわけ。他の店も結構やめたよ」
栄えていた市場から、人通りの少ない商店街の隅っこへ。果物だけでなく、需要の高い野菜なども販売し、なんとか生活を保っていたそうです。
■「最期は『ありがとうな』と…」ずっと近くで支えてくれた最愛の妻との別れ
そんな井上さんを一番近くで支えてくれたのが、妻・洋子さんでした。
(井上さん)
「しっかりした女。私はなかなか頑固やから言うことを聞かないけど、自分の能力とかわかっているから、だんだんと尻に敷かれるようになっていった(笑)」
夫婦二人三脚で、大事な店と一人息子がいる家庭を守ってきた井上さん夫妻。38年の間、商店街を盛り上げ、66歳のときに閉店したそうです。
その後、スーパーの品出しや清掃業など、新たな仕事を始めた井上さん。しかし、9年前、妻・洋子さんがすい臓がんであることが判明しました。
(井上さん)
「『もう何も欲しくない、食べられない』と言っていたら、末期がんもいいとこ。もうビックリしたよ、あと余命何か月って…」
余命宣告から数か月後の2016年12月11日、妻・洋子さんは病院で安らかに息を引き取ったそうです。70歳でした。
Q.亡くなられる瞬間には立ち会えましたか?
(井上さん)
「それが、ちょうど日曜日やったんやわ。電話が来て、『はよ来て、血圧が下がり出したから』と言われて、タクシー飛ばして行ったら、ものの5分。行ったら、すぐに息を引き取った。最期は『ありがとうな』と言うて……忘れもせんわ」
■亡き妻のために今も植物のお手入れを…一人で家事をこなしながら、楽しく前向きに生きる
2025年4月15日の年金支給日当日、井上さんは銀行へ向かい、しっかりと年金9万3604円(2か月分)が振り込まれているのを確認。その足で商店街の小売店へ向かい、夕食の食材と仏壇のお供え物を購入しました。
70代からスタートした一人暮らし。もちろん買い物も一人で行きます。自宅へ戻ると、夕食の準備へ。なるべく自炊を心がけているそうです。
(井上さん)
「包丁は昔からよく使っていた。何でかと言ったら、商売していたでしょ。お客さんの栗をよく剥いてあげていたから、包丁を使うのは結構慣れているの」
そして、日課の一つが、ホースを使った豪快な水やり。玄関や庭で多くの植物を育てていて、何種類になるか、ご本人もわからないそうです。
(井上さん)
「アジサイ、シャガ、スズラン…いっぱいある。だから、うちは花を買ったことがない。仏さんの花は買わないの。そのほうが妻も喜ぶと思うよ」
Q.ちなみに奥さんは、花は好きでしたか?
(井上さん)
「あんまり。『ジャングルみたいになっている、もっとスッキリさせたら?』と、よく怒られていた(笑)」
井上さんにとって花のお世話は、最愛の奥さんのための大事な日課なんだそう。
限られた年金生活の中で、男一人、全ての家事をこなさないといけない毎日。それでも、楽しく前向きに生きていけるのは、妻・洋子さんのおかげだといいます。
(井上さん)
「末期がんの折に、洗濯の仕方もご飯の炊き方も、みんな教えてもらった。全然したことなかったもん。その点、うちの妻には感謝しています」
(「情報ライブ ミヤネ屋」2025年4月21日放送)


