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【独自取材】“ビッグボス”新庄監督の少年時代~現在までを知る4人に直撃 「小学生で『“根性”ではなく“新庄”でがんばる』」「ひと言で表すと“人間5回目”」
2021年11月24日 UP
過去・現在、数々の“伝説”を独自取材
ただ立っているだけで、放たれる存在感。11月20日、千葉・鎌ケ谷(かまがや)での練習に現れた、日本ハムの“ビッグボス”こと新庄剛志(しんじょう・つよし)新監督。秋季練習の視察を終えて…
(北海道日本ハムファイターズ・新庄剛志新監督(49))
「グラウンドに入った瞬間に、シーズン中に戦っていた日本ハムの暗いイメージがない感じがした。ほわ~んと明るく。まあ僕のおかげですけどね。」
ここでも飛び出した“新庄節”!いつも人々を驚かせ、楽しませる稀代のエンターテイナー新庄剛志。ビッグボス改革ともいえる異例の指示を連発しました。そんな新庄監督の“原点”を知る人物を独自取材。語られたのは、まさに“規格外”の人物像でした。
少年野球時代のコーチが語る“原点”
“ビッグボス”の原点を探るべく訪れたのは、福岡県の長丘小学校。新庄監督が小学校時代に所属していた少年野球チームです。当時、コーチとして指導していた植木さんは、小学校時代の新庄監督を、こう振り返ります。
(小学校時代のコーチ・植木和生さん)
「小学校5年の時に、あそこ(グラウンドの端)から助走してボールを対角線で、ノーバウンドで投げたね。小学校の時からスーパースター。足が速い、肩が強い。まさかプロに行くなんて思わなかったけど」
小学生の頃から“非凡な才能”を見せていた新庄少年。実はこの野球チーム、新庄少年が仲間を集めて作ったのだといいます。
(植木さん)
「小学校4、5年まではサッカーばかり。サッカー少年だった。校区のソフトボールに駆り出されて、決勝で負けて泣いて『そんなに悔しいなら野球やるか』って。『明日までに9人揃えたらチーム作ってやる』って言って、9人揃えてきたからこのチームができた。」
さらに、チームの名前も 新庄少年が命名。その名も…「長丘(ながおか)ファイターズ」!!まさか、将来の「日本ハムファイターズ」入りを予見していたのでしょうか。また、ユニフォームのデザインも、新庄少年自らが考案したといいます。子どもたちも、このデザインはお気に入りのようで…
(長丘ファイターズの子どもたち)
「かっこいい!」
「ここにFightersって入っているところがかっこいい!」
小学校の卒業文集でも“個性爆発”
あらゆる才能を、これでもかと発揮していた小学校時代。卒業文集の作文では、6年生の時のマラソン大会を振り返ってこう綴っていました。
「『去年は、根性でがんばったので、ことしは新庄でがんばれよ。』とお父さんに、じょう談半分にはげまされました。ぼくは、新庄でがんばりたいと思いました。」(新庄監督の小学校卒業文集より)
“根性”ではなく“新庄”でがんばりたい―。少年時代から“個性が爆発”していた新庄監督を、植木さんはこう表します。
(植木さん)
「一言で言うなら“宇宙人”。我々じゃ理解できない。トライアウトにしても、今回の監督就任にしても、ちょっと考えられなかった。」
小学校時代のコーチに“宇宙人”とまで言わしめる、ビッグボス。野球人生をスタートさせた古巣からの期待は、高まっています。
(長丘ファイターズの子どもたち)
「がんばってください!ビッグボス!!」
高校時代のチームメートが語る“後輩との強い絆”
次に訪れたのは、新庄監督の母校、福岡県八女(やめ)市にある西日本短期大学附属高校。話を聞いたのは、新庄監督の元チームメートで、現在は野球部監督の西村慎太郎さん。高校時代の新庄監督について、こう振り返ります。
(西日本短期大学附属高校硬式野球部・西村慎太郎監督)
「とにかく練習をずっとやっているイメージしかないですね。当時夕方の4時から(深夜)12時ぐらいまで全体練習をやっていたんですけど、それが終わった後も一人でバットを振っているような、そんな感じの選手でした。」
誰よりも練習熱心だったという新庄監督ですが“周りへの気遣い”もー。
(西村監督)
「自分よりも能力が低い子たちに『今の良かったね』なんて声をかけて、その気にさせるタイプでしたから、後輩から非常に慕われていましたからね。新庄のことを悪く言う後輩はいないんじゃないですかね。」
2021年、11年ぶりに夏の甲子園出場を果たした、西日本短期大学附属高校。新庄監督は、そのお祝いとして“あるプレゼント”をしてくれたといいます。
(西村監督)
「Tシャツを部員全員に贈ってくれて、子どもたちも、ものすごく喜んでいました。ああいう子どもたちに対する気配りとか、我々学校としても非常にありがたいことだなと、感謝しかありません。」
新庄監督から、後輩たちへの“贈り物”。後輩たちからも、こんな“エール”が届けられました。
「新庄先輩、このたびは日本ハムファイターズの監督就任おめでとうございます!」(西日本短期大学附属高校公式インスタ動画より)
監督就任を祝うメッセージとともに送られたのは、吹奏楽部の演奏と、野球部の合唱による『ファイターズ讃歌』。日本ハムファイターズの公式応援歌です。新庄監督と後輩たちは、“強い絆”で結ばれていました。
タイガース選手寮の元寮長が語る“ルーキー時代の伝説”
1989年、当時17歳で阪神タイガースにドラフト5位指名で入団した新庄監督。入団会見での、初々しい姿が残っています。
(1989年 阪神タイガース入団会見)
Q.阪神ファンでしたか?
(新庄選手)
「いや…ファンとかはそんな、なかったんですけど。プロ野球自体あんまり好きじゃなかったから。」
Q.友達の中では人気者でしたか?
(新庄選手)
「自分で言うのもなんだけど(笑)けっこう人気者です。」
いきなり“新庄節”炸裂!このあと、プロ生活が始まると”新庄人気“が一気に爆発することになるのですが…。
そんな当時の様子を語ってくれたのは、かつて新庄監督も入居していたタイガースの新人選手寮「虎風荘(こふうそう)」の元寮長・梅本正之(うめもと・まさゆき)さん。その口から飛び出したのは、耳を疑うような“新庄伝説”の数々でした。
(「虎風荘」元・寮長 梅本正之さん)
「ファンの数は群を抜いていましたね。ファンレターとかバレンタインのチョコレートなんて桁違いです。ちょうどバレンタインの月は安芸のキャンプで新庄くんが留守だったんですが、僕がずっとおりましたので、承諾を得まして『君に来たバレンタインは、寮のおばさんに分けますから』という事で、僕が管理していました。」
Q.新庄監督はその時は何と?
「『どうぞ!』って。」
その人気はとどまるところを知らず、甲子園球場のすぐそばにあった「虎風荘」前には、新庄選手を一目見ようと、連日多くの女性ファンが詰めかけるように。すると・・・
(梅本さん)
「僕は車でいつも送って、ライトスタンドの裏口から迎えに行きましたんや。500mほどですよ。」
さらに、過熱する新庄フィーバーは、この歴史深い「虎風荘」の建物にも影響を及ぼすことに…
(梅本さん)
「ファンが集まって、そら大変だった。だから『虎風荘』を移転してくれと僕は会社に申し立てた。新庄が原因ですよ。」
私生活でも“新庄らしさ”全開
一方、私生活でも“新庄らしさ”全開。
(梅本さん)
「畳で言うと4畳半かな。全てキレイにしていました。ゴミ一つない、きれい好きでね。のれん掛けてね、ちゃんとコーディネートしていましたからね。オーデコロンを振って、部屋へ行ったらプンプンしていますよ。」
やはり当時から、美意識は人一倍強かったようです。新人らしからぬド派手な言動に、日々驚かされてばかりだった梅本さんですが…
Q.新庄さんのことを怒ったことは?
(梅本さん)
「ないね。本当に人がええな、彼は。僕からすれば子どもみたいなもんですけどね。全く悪さはない。不良なところは全くないし、両親がよく育ててくれましたね。」
そんな梅本さんが、大切にしているというあるものを見せてくれました。今から約18年前、梅本さんが寮長を引退した時に新庄監督がプレゼントしたTシャツです。
(梅本さん)
「ぶっきらぼうにポーンとくれました。『体に気を付けて頑張ってください』と書いてあります。達筆でしょ。本当に涙が出ました。メジャーから帰ってきてすぐに手渡しでもらった。それは僕も一生の思い出として、あとわずかな人生ですけど、大事に保管しようと思います。」
いま最も新庄監督に近い!?謎の同居人“リトルボス”
最後に、ミヤネ屋は「いま最も新庄監督に近い」といっても過言ではない、“謎の同居人”を直撃!“リトルボス”を名乗る男性は、安河内駿介(やすこうち・しゅんすけ)さん、27歳。彼は今、新庄監督と同居しているといいます。いったいなぜこの青年が、新庄監督と同居することになったのでしょうか?
(安河内駿介さん)
「最初の出会いは、インスタライブなんですよ。僕がインスタライブをしている時に、いきなり『@shinjo.freedomが参加しました』って通知がきたんですよ。『え、新庄さん!?間違いでも嬉しいわ』って思って、もう声出したんですよ。そしたら『こんばんは』ってコメントが来て。」
安河内さんが配信していたインスタライブにたまたま参加し、コメントを送った新庄監督。安河内さんは、かつて独立リーグの選手で、ドラフト候補にも挙がった野球経験者。野球人同士会話が盛り上がり、親しくなったといいます。
(安河内さん)
「そのあとマネジャーともお話をして、新庄さんがバリに呼んでくれて、2019年の年末にバリ島に行って、初対面を果たしたっていう仲ですね。」
その後、新庄監督がトライアウトを受けるために帰国した際、練習のパートナーとして呼ばれた安河内さん。そのまま、新庄監督の自宅の空き部屋に住むことになったのです。
Q.どんな感じですか、一緒に住んでいるというのは?
(安河内さん)
「ほんとに、あのまんまです。裏も表もないのが、新庄剛志ビッグボスなんですよ。」
Q. 家では、なんと呼んでいるんですか?
「ツーさんです。」
Q.安河内さんは?
「やっこっちって呼ばれています。」
新庄監督との同居生活の様子をYouTubeにもあげている安河内さん。新庄監督にヘアカットしてもらい、新庄流“帽子の型のつけ方”も習得しました。
(新庄監督)
「本当に、いつどこで出会うかわからないし、このタイミング、俺と出会うって思ってないもんね。しかもオレのこと好きで、メッツの帽子かぶっていて、不思議な出会いだよね。」
同居人が語る“知られざる素顔”
安河内さんは、同居生活の中で見えてきた、新庄監督の“知られざる一面”も教えてくれました。
(安河内さん)
「起きた瞬間に『うぁぁぁぁ!!』って叫ぶんですよ。朝起きて大きい声を出すと目が覚めるし、活力あふれる一日になるんでハッピーになるよって。」
さらに、新庄監督には大好物があるといいます。
(安河内さん)
「甘いものがめちゃくちゃ好きです。例えば、練乳。朝食べるパンに切れ目を入れて、そこに練乳をバーッとかけるんですよ。そして焼いて食べるんですけど、めちゃくちゃおいしいんですよ。」
朝、パンに切れ目を入れて練乳。これぞ“新庄モーニング”。安河内さんが驚いたのは、これだけではありません。
(安河内さん)
「街を歩いていて、ゴミとかが落ちていると拾うんですよ。で、ゴミ箱に捨てたり、ゴミ箱がなかったらポケットに入れたりとか。倒れている自転車があったら起こしたり、それはもう自然とするんですよ。多分ずっとやってきているんだろなっていうのがすごく伝わってくるぐらい、さっと拾ってさっと捨てる。」
普段のキャラクターからは想像できない素顔を持つ新庄監督。ズバリ、「新庄剛志」をひと言で表現すると…?
(安河内さん)
「本当に一言で表したら、“人間5回目”。人間を5回しているぐらい、人の気持ちがわかって、人の痛みを知っていて、優しくできるっていうのは、本当に“人間1回目”じゃここまでなれないだろうっていう。むしろ“人間5回”ぐらいしていると思えるほど、本当に人として素晴らしい方なんですよね。」
そんな新庄監督が率いるファイターズは、来シーズンどんな戦いを見せてくれるのでしょうか。目が離せません。
(情報ライブミヤネ屋 2021年11月23日放送)


