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【独自解説】スパイからロシアのトップに プーチン大統領の“素顔と野望” 「侵攻決断」の背景にある心理とは? 専門家が徹底分析
2022年3月17日 UP
強硬な姿勢を貫きウクライナへ侵攻を進めるプーチン大統領。盤石だったロシア国内でも異変が起きています。現在、プーチン政権によって厳しい言論統制が敷かれるロシア。そんな中、3月14日に国営テレビの番組に女性スタッフが乱入。放送中に反戦の主張を訴え警察に連行される事態が起きるなど、これまでの情報統制が揺らいでいるのです。さらに、IT技術者などロシアの頭脳とも呼ばれる多くの人たちが国内から脱出しているという報道も。国際社会のみならずロシア国内からも敵視する声が大きくなる中、プーチン大統領は今、何を考えているのか?絶対権力者の野望とは一体何なのか?その深層心理を「プーチン研究」、「国際政治」、「軍事」、「米露関係」の4人のプロが徹底解説します!
プーチン大統領 謎に満ちた経歴
プーチン大統領は1952年10月生まれ、少年時代は喧嘩ばかりする問題児だったと言います。やがてスパイに憧れたプーチン少年はボクシングや柔道を習うことになりました。1975年に大学卒業後、KGBに就職。このスパイ時代に2つの大きな転機が訪れます。プーチン大統領が30代の頃、工作員として任務にあたる旧・東ドイツでベルリンの壁崩壊を目撃しました。その時のことをプーチン大統領は「いろいろな意味で“開眼”させられた」と語っています。その後は政界へ。前職で培った情報収集能力で出世街道を一気に駆け上がり、47歳にして第2代ロシア大統領に就任しています。
Q.黒井さんは、プーチン大統領のKGB時代の活動拠点に行ったことがあるんですよね?
(軍事ジャーナリスト 黒井文太郎さん)
「はい。ドレスデンに行く機会があったのでプーチン大統領がどんなところで働いていたのかと思い、見てきました。」
Q.一見すると普通の家に見えるのですが?
(軍事ジャーナリスト 黒井文太郎さん)
「そうですね、民家です。ここは郊外の住宅地でこういった感じの民家が並んでおりまして、これはそのうちの一つです。プーチン大統領が権力に就いた時に、かつては何をやっていたのだろうということでドイツのメディアが色々探し回って、この建物を特定しています。」
Q.プーチン大統領が東ドイツで活動していた時期に、壁を一つだけ隔てたところに西ドイツがあるわけですから、自由な空気を謳歌した部分はあるのではないですか?
(軍事ジャーナリスト 黒井文太郎さん)
「自由というよりも、東ドイツにおけるKGBの工作員の地位は非常に高いですから、全能感をもって命令する立場の人間だったと思います。」
Q.ベルリンの壁の崩壊、ソ連の崩壊を間近で見て、若き日のプーチン氏というのは衝撃を受けたのでしょうね?
(国際安全保障に詳しい 慶応義塾大学 鶴岡路人准教授)
「ええ、やはり自分が信じていたもの、そして自分を支えてきたものが完全に崩壊していくわけですよね。ですから、そういうものをいかに防がないといけないのかと思ったとしても全く不思議ではない状況だったのだと思います。」
Q.「油断したら西側が来るぞ」というのが、ここで刷り込まれているのではないでしょうか?
(軍事ジャーナリスト 黒井文太郎さん)
「そうですね。まずは冷戦の崩壊、そしてプーチン大統領が30代の終わりから40代にかけて過ごした時期というのは、ロシア経済がどん底になって、ロシアは貧乏な無法地帯になりました。その屈辱感に対してプーチン大統領は以前のロシア“秩序が立って栄光のある国”を復活させたいという意識があるのだと思います。」
Q.プーチン大統領はいまだにKGB時代の頭で動いている可能性があるわけですよね?
(軍事ジャーナリスト 黒井文太郎さん)
「私には彼の言動が一貫しているように見えます。やはり20代、30代の若いころに叩き込まれた自分なりのモラルやルールといったものは結構残ると思うので、プーチン大統領は恐らくそういうものを引きずっているんだろうなと感じます。」
Q.モスクワに戻ってわずか5年で大統領になるというのはすごいことですよね?
(軍事ジャーナリスト 黒井文太郎さん)
「KGBを辞めてから故郷のレニングラードに帰り、そこで市長になっていた大学時代の恩師のもとで働いて、非常に仕事ができたと認められてエリツィン氏に目をつけられ彼のもとへ呼ばれました。その当時、エリツィン政権が終わりに差しかかっていたので幹部がどんどんお互いに潰し合って失脚していきました。下の方にいたプーチン氏がぽんぽんぽんと上がって来てしまい、しかもエリツィン氏としては当時のプーチン氏は真面目に見えたと思うんです。彼はまだそれほど権力に固執しているという様子もなかったので自分が辞めた後も自分に危害を加えないだろうということで、それほど政治経験がなかったのですが、抜てきしたということですね。」
(慶応義塾大学 鶴岡路人准教授)
「やはり仕事ができる人という評価はあったのだと思います。1999年の大晦日にエリツィン大統領が突如、辞任を表明したとき、たまたま一番上り調子で輝いていたのがプーチン氏だったという、タイミングもよかったというのは事実だと思います。」
幼い頃に得た“4つの教訓”と“戦いの流儀”
プーチン大統領の戦いの原点は7歳頃、初のケンカで惨敗してしまった体験だということで、これを“貴重な授業”として“4つの教訓”を得たといいます。教訓とは「(1)覚悟もなく“いちゃもん”をつけない。(2)どんな相手に対してもまずは敬意を払う。(3)自分が正しいか悪いかは問題外、どんな状況でも強く!でないとやり返せない。(4)攻撃や侮辱にすぐさま反撃!勝ちたければ最後まで戦い抜く。」というものです。筑波大学の中村逸郎教授は、幼き日に得た教訓は現在にも影響しているのではないかといいます。
(筑波大学 中村逸郎教授)
「実は力で仕返しをしていくというのは、プーチン大統領だけでなくロシアの伝統的な思想です。ロシアでは『力が一番大切、力さえあれば勉強していなくても、知性も持たなくてもいいんだ』という、ことわざがあります。プーチン大統領は7歳の頃からずっとこのロシアの古いことわざを守り続けているということになります。」
Q.世界はアメリカか中国かの二極化しようとしている中で、「待て、ロシアという大国を忘れてくれるな」というような、プーチン大統領の大国復活、ソ連邦復活、ロシア帝国という思いはあるのですか?
(慶応義塾大学 鶴岡路人准教授)
「まさにその『大国だ』というのが、今のロシアにとって最大のアイデンティティーなわけです。プーチン大統領の今までの言動は一貫しているように見えます。それをアメリカやヨーロッパが誤解し続けてきたということなのです。プーチン大統領はドイツ語ができるということでヨーロッパや西側のことが分かっているという期待や、仕事ができる合理主義者だ、というような西側が自分たちのイメージを勝手に投影して“合理的なリーダー像”を作ってきてしまった。それが間違いだったというのが今回さらに明らかになったということです。」
プーチン×バイデン お互いが嫌い? 相性が最悪なワケ
継続か侵攻停戦か、プーチン大統領が相容れない交渉相手というのが、アメリカのバイデン大統領です。2021年3月、アメリカメディアのインタビューでバイデン大統領は「プーチンを人殺しだと思うか?」という問いに対し「思う」と答えました。その発言に対しプーチン大統領は「そっちこそ人殺しだ」と言い、その直後にウクライナ国境に約10万人の兵を派遣しているなど、この二人はまさに犬猿の仲だということです。
Q.この二人がお互いを嫌い合う理由は何ですか?
(筑波大学 中村逸郎教授)
「バイデン大統領からすれば人権や自由が非常に重要です。これに対してプーチン大統領は人権とか自由というよりも、ロシア国家の安全保障を確立することが最大優先課題です。プーチン大統領にとってはウクライナが欧米化したのは全てバイデン、当時の副大統領のせいだというふうに恨んでいるわけです。」
2021年7月、プーチン大統領が発表した論文では「ロシアとウクライナは兄弟国家だ」と主張しました。拓殖大学の名越健郎教授は、そんなプーチン大統領に対してバイデン大統領は“ウクライナ民主化の生みの親“だとしています。オバマ政権の頃に副大統領としてウクライナ政策を統括し2009年~2017年の間にウクライナを6回訪問。「ウクライナがNATO加入を選択するならアメリカは強く支持する」と言ってアメリカとウクライナは深い関係になったというのです。
Q.一時は、ドイツのメルケル前首相がモスクワに行くんじゃないかみたいな話もありましたが、これからは一体、どうなるのでしょうか?
(軍事ジャーナリスト 黒井文太郎さん)
「それで収まるというのは、なかなか難しいと思います。プーチン大統領から見ればアメリカの大統領がどんな人間かは結構重要で、やはりブッシュ政権であればこういうことできないし、オバマ政権だったときにはオバマが弱腰だったということでクリミアを取りました。トランプ政権というのは甘いですが、交渉などでは非常に強気で米軍を強化するなど読めないということでプーチン大統領としても少し控えていた。バイデン大統領になってからはやはり弱腰だって見抜かれているんです。もちろんウクライナの因縁はありますがプーチン大統領としてはバイデン政権のうちに、どんどんいくんじゃないかなという気がしてしょうがないですね。」
Q. プーチン大統領としたら、ウクライナは我々を歓迎してくれるんじゃないか、もっと早く落ちるんじゃないかと思っていたんじゃないですか?
(慶応義塾大学 鶴岡路人准教授)
「まさにそうなんです。2014年のクリミア併合以降のロシアの行動がウクライナをヨーロッパに追いやったので、ある意味自業自得ということだと思います。」
Q.仮にキエフを侵攻して作戦が成功しても、ロシアがウクライナを治められるかといったら無理ではないですか?
(軍事ジャーナリスト 黒井文太郎さん)
「国全体は無理ですよね。キエフとか大きな街だけ押さえて、そこに傀儡政権という形だけを作って、抵抗運動をしばらく時間をかけて鎮圧していこう、というふうに考えているのだと思います。」
(情報ライブ ミヤネ屋 2022年3月16日放送)


