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渡辺徹さん「お別れの会」

【独自解説】渡辺徹さん「お別れの会」“相棒”山田邦子さん思い出を語る カッコ良くって優しくて 賑やかなのが大好きで でも寂しがり屋で… やっと「お疲れ様でした」と言える日が来た

 いつも朗らかで、太陽のように明るく、誰よりも妻・郁恵さんを愛していた渡辺徹さんが、敗血症のためこの世を去ったのは、2022年11月、まだ61歳でした。あまりにも突然の別れから4か月を迎えた3月28日、「お別れの会」が営まれました。今回は、かつて“名コンビ”と呼ばれ、渡辺徹さんと公私ともに親交の深い山田邦子さんが、徹さんとの思い出を語ります。

邦子さん徹さん共演の歴史

 山田邦子さんと渡辺徹さんは、1986年に「いきなり!フライデーナイト」で初共演しました。その後も共演をかさね、1995年「遠い夢に逢えるまで」というデュエット曲をリリースしました。

「お別れの会」の祭壇

Q.祭壇の様子をみましたが、徹さんらしい明るい祭壇でしたね。
(山田邦子さん)
「4か月たって、やっと私も手を合わせて送ってあげよう、という気持ちになりました。お別れの会は、本当に盛大でたくさんの方が来ていました」

渡辺徹さんと公私ともに親交の深い山田邦子さん

Q.邦子さんと徹さんはたくさんの番組で共演していたんですね
(邦子さん)
「渡辺徹さんは役者でしたので、バラエティに来たときの最初の相手が私だったんです。その後めきめきと上手になって、ホレボレするような“ツッコミ”でした」

Q.最初、徹さんは役者さんだな、大丈夫かな?というところはあったんですか?
(邦子さん)
「生放送でしたので、役者さんは台本がないと何もしゃべられないし、最初は邪魔で邪魔でしょうがなかったんですが、半年もしないうちに、徹さんは腕を上げて、のびのびとボケることができるようになりまして、嬉しい出会いでした」

Q.バラエティの才能もあったんでしょうね
(邦子さん)
「徹さんは、元々生徒会長ですから、任せておくと強いんですよ」

Q. 徹さんは、とにかく明るくて天真爛漫という印象があるのですが、プライベートではどんな方ですか?
(邦子さん)
「テニスも上手、サッカーもスキーも何もかもできるし、大食いですし、なんでもカッコ良くって、優しくて、『一人じゃないの?』と心配して電話御かけてきて、実際に来てくれたこともあります。徹さんは役者さんなので、旅もたくさん行くし、先輩後輩も大勢いるので本当に人づきあいが良くて、今回も会場いっぱいのたくさんの人がいました」

Q.色々な人と交流して、垣根がないというのが徹さんの魅力でしょうか?
(邦子さん)
「寂しがり屋で、賑やかなのが大好きで、今回の『お別れの会』も文学座の人や、お笑いの人たちで、そんなに売れていないときからの付き合いあった『中川家』や『サンドウィッチマン』が、発起人になってくれて、みんな集まってくれていました」

「徹座」とは?

Q.徹さんは、お笑いの方のために、舞台「徹座」というのをしていましたが、どういう意味合いがあったんですか?
(邦子さん)
「お笑いが大好きだったのと、ワイワイやりたかったんでしょうね」

渡辺徹さんと榊原郁恵さんの交際をいち早く気付いたある事件とは…

Q.山田邦子さんが、渡辺徹さんと榊原郁恵さんの交際をいち早く気付いた事件があるということですが?
(邦子さん)
「徹さんが独身の時から仕事をしていましたので、『あれ?怪しいんじゃないの?』というのは、私が引いたカゼが、徹さんにうつって、他の番組に行ったときに、同じタイプのカゼを郁恵さんがひいていたので、『あなたたち付き合っているでしょう』って言ったら、『イヤーばれたか。実は結婚するかも』と言ったので『頑張れ!頑張れ!』って応援しました。もう40年くらい前の話じゃないでしょうか」

Q.邦子さんと徹さんでデュエット曲も出していますよね
(邦子さん)
「もう何曲も出したんですが、この『遠い夢に逢えるまで』は今日の気持ちにぴったりな曲です。あと、裕太君が生まれたときも記念して『赤ちゃん生まれたね』というような曲も作りました。

邦子さんは自分の結婚式の司会を徹さんに依頼

Q.邦子さんの結婚式の司会を徹さんに依頼して、台本なども用意したということですが、司会ぶりはどうでしたか?
(邦子さん)
「結婚式の司会をお願いしたときに、『俺、初めてだから』と言って、本をいっぱい買って勉強してくれて、素晴らしい司会でした」

Q.「お別れの会」で郁恵さんが「後悔することがいっぱいあった」と言っていましたが…
(邦子さん)
「いやいや、違うと思います。郁恵さんでなかったら、徹さんはもっと早くお別れしていたと思います。ここまで生きられたのは、郁恵さんだったからだと思います。私は少し悪いなと思うことがあって、昭和の時代は、仕事が終わってから『打ち上げだー』って、暴飲暴食がしましたから、反省しています。」

Q.そのころの打ち上げは楽しかったでしょうね?
(邦子さん)
「そりゃ楽しかったですよ。特に徹さんや中村雅俊兄貴分もそうですし、カッコ良かったですから、言えない話がいっぱいです」

Q.徹さんの人生は濃縮されたものだったでしょうね
(邦子さん)
「もったいないですよ。70歳の徹さん、80歳の徹さんをみたかったですけれど、本当に走り抜けたなと思います。カッコ良かったですよ」

Q.徹さんは、いるだけでその場が明るくなる人ですよね
(邦子さん)
「本当にそうです。『お別れの会』に来られた方も、徹さんの気遣いのことを言っていましたが、徹さんのLINE一つ、電話一本でどれだけ救われたか、どれぐらいの人が元気付けられたかというのがあります」

Q.徹さんに、お別れの言葉を言うとしたらどういう言葉を伝えたいですか?
(邦子さん)
「『お疲れ様でした』という言葉ですかね。本当に11月の段階では、私はフラフラしてしまって、とてもじゃないけど送る言葉は言えない、と思いましたが、今回郁恵さんとも話し、先輩やたくさんの友達を見て、やっと、ちゃんと『お疲れ様でした』と言える日が来たと思いました」

(情報ライブミヤネ屋2023年3月28日放送)

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