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小川さゆりさん(仮名)と橋田達夫さん

【独占インタビュー】“統一教会”問題、渦中の2人に直撃① 2世信者として、元信者の夫としての凄絶半生「悔しい、悔しい、悔しい」両親に宛てた悲痛な“遺書”

“統一教会”の被害を訴え続ける小川さゆりさん(仮名)と橋田達夫さんが、二人揃って「情報ライブ ミヤネ屋」のインタビュー取材に答えました。その模様を、3回に渡ってお届けします。第1弾となる今回は、二人がこれまでに経験した凄絶な半生を振り返ります。

“神の子”とされ、かつては強い信仰心も

元2世信者 小川さゆり(仮)さん

(小川さゆり(仮)さん)
「私は、両親が合同結婚式で結婚して、そこから生まれた『祝福2世』」でした。赤ちゃんのころから白い服を着させられて、小さい頃からというよりは、生まれたその日から“信者”ということにはなっているんですよね」

 合同結婚式をあげた両親から産まれた小川さんは「祝福2世」と呼ばれ、教団内では“神の子”と位置付けられていました。親は教会長を務め、信仰心の深い家庭で育ってきたと言います。

(小川さん)
「毎週教会に行って、小さい頃は絵本とか紙芝居とかが多かったんですけど、だいたい聖書の話とか、あとは文鮮明の話とかがあって、それを10時ぐらいからお昼まで聞いて、ということが毎週あったので、なんとなく『あまり楽しくないな』という印象はありました。子どもってやっぱり遊んでいたいですし、よく分からないところにじっとしないといけないですし、『話もあんまりおもしろくないな…』って。本当に記憶にあるときはそういう感じで、でもだんだんそれが慣れていって、『これが当たり前か』ってなったときは『教会に行くものなのかな』ってなっていました」

 教団に接する生活が日常的なものだと感じるようになってからは、熱心に活動に取り組んでいくことになったと言います。小川さんは、文鮮明教祖の絵を書いたこともありました。さらに高校生のとき、教団のスピーチ大会に出たときは…

「原理講義」の全国大会で準優勝

(小川さん)
「統一教会では文化祭がありまして、スピーチや、『原理講義』といって『原理講論』の内容をレクチャーする大会があるんですけど、スピーチでは県大会で優勝して、高校3年生のときには『原理講義』でどんどん勝ち進んでいって、全国大会で準優勝しました。その時が一番熱心というか、本当に信じ込んでいました」

韓国に渡り「修練会」にも参加

 また、韓国に渡り「修練会」という名の合宿に参加して、合同結婚式に参加するための講義などを受けたといいます。生活を改める決意について問われたプリントには、小川さんの直筆で「祈り続けて答えを出す。男とは絶対に付き合わない。好きになっても心を許さない。死ぬまで統一教から離れない」と書かれています。一生を“統一教会”に捧げる…2世信者として強い信仰心を持っていました。

信者となり金を持ち出す妻に何も言えず…

元妻が現役信者 橋田達夫さん

 一方、橋田達夫さんは約30年前、元妻が“統一教会”に入信したといいます。橋田さんがその事実を知ったのは、運送の仕事で地元・高知から大阪に赴任中のときでした。

(橋田達夫さん)
「子どもたちと妻が、1年後ぐらいに大阪に引っ越して来たと思うんです。あるとき、“統一教会”の施設に通っているのを同僚が見まして、それで様子を見ていたらずっと通っていて、僕はそのとき、これが“統一教会”だと分かっていました。妻の場合は、高知のビデオセンターに何回か行ったと思うんです。大阪に来たときは毎日毎日行っていました。それで僕は、『あぁ…』と思っていました。高知の場合は、教会の信者が2人1組で一軒一軒訪ねてきて、『幸せになるから入りませんか?』と言うんです、それがきっかけだと思います」

(小川さん)
「実際に母が、そういう伝道をやっていたんですよね。具体的に地図も何回も見たことがありますし、ここの一帯を周ったっていうことで、印をつけてあったりとか…」

元妻は教団本部がある韓国へも

 数年後に高知に戻ると、元妻は教団活動に没頭し、週に6日教団に通うため、家を空ける機会も増えました。また、教団本部がある韓国にも行くようになったといいます。

(橋田さん)
「韓国には年間5~6回は行っていましたね。お金を持っていくんですよね…。しかし、僕は何とも言えませんでした。ただ上手く付いて行って、自分なりに教団から離そう離そうと努力はしました。だけど結局はのめり込んでいくという感じでした」

多額の献金から家庭が崩壊、長男が自死

元妻に売却された橋田さんの土地

 小川さんと橋田さん。教団との関係については立場が違う2人ですが、“被害”については共通する部分もあります。それが、「献金」と「家庭崩壊」です。橋田さんは、元妻が教団の勧めに従い、あらゆるものを購入していたと語ります。

(橋田さん)
「高麗人参・印鑑・浄水器・飲料水のメッコールとか、いろんな物が常に入って来るような感じでしたね。『止めろ』と言っても、『これは健康に良い』とか、子どもたちにカプセルに入れてまで毎日飲ませるんですよね。僕は何回も『止めろ』と言いました。だけど『体に良いから、健康に良いから』と言って止めないんです。壺も全部勝手に買って来るんですよ、だからいくら献金しているかも、全くわからないんです」

 さらに、元妻による土地の売却などもあり、献金の総額は1億円に上っていると、橋田さんは見ています。これらが原因で、家庭ではケンカが絶えなかったといいます。

(橋田さん)
「僕の性格は、きつい性格です。だから激しく言いました。それを子どもたちがずっと見ていたんでしょうね。夫婦ゲンカが絶えない、ということもありました。そのせいで子どもたちも異常になったのかなと、今でも考えたりもします。」

 橋田さんは約9年前に、信者の元妻と離婚しました。長男と二男は元妻の家に残り、橋田さんは家を飛び出しました。そして2年前、橋田さん一家に最もつらい出来事が起こりました。精神的に不安定に陥っていた2世信者の長男が、36歳で自ら命を落とすことになったのです。

(橋田さん)
「家庭が崩壊していって、こんな人生って、人から見たら本当に大変だなと思っても、中にいたらそれ以上に大変なんですよね。長男は苦しみましたので、彼の事を考えたら…今でも本当に写真も何もありません。位牌もまだ作っていません。そのまま1年間、家でお骨を置いてそのままお墓に持って行って、納骨とその次の日に行っただけで、もうお墓の前でお参りすることができないんです。『お父さん』って、声を掛けられているようなんです。『ごめんね』って…」

 献金による家庭の崩壊。それは小川さんの場合も例外ではありません。

(小川さん)
「中学校になるまでは、基本的に服を買ってもらえたことがほぼ無くて、ずっと親戚のお下がりを着ていました。それで当時は仲間外れにされたり、暴言を吐かれたりっていうことはありました。親からも母からも、お給料がよくないっていうことは聞いていて、教会長になったから特に生活が良くなったということは、全くなかったです。どちらかというとずっと、今もなんですけど、家は借金を負っています」

 また、高校生の頃に自身で稼いだアルバイト代200万円が、両親によって勝手に献金にあてられた疑いがあり、いまだ返ってきていないと言います。

体に異変を生じ脱退を決意、いまだに続く不安と恐怖

小川さんが参加した「修練会」

 小川さんは、生活が困窮しながらも、教団をそして両親のことをただただ信じ、積極的に活動を続けて行きました。そんな中、参加した韓国の「修錬会」で、深く傷つく出来事があったといいます。

(小川さん)
「祝福を受けることが良いこととされているので、私はそこに向かいたくて修錬会に参加するんですが、そこに男性の班長がいて、その方からセクハラを受けたんです。でも、私が誘惑を受けること、男性からそういうことをされたということは、私に『“悪霊”が憑いているからだ』と言われて…」

 小川さんはセクハラを受けたことをきっかけに、教団への不信感が積もっていきました。やがてその体に、“異変”が起こります。

(小川さん)
「引きこもったりしましたし、仕事にも影響が出て、韓国・清平の精神科病棟に入院しました。教会の人たちや清平の人たちは、『除霊すれば治ります』って頑なに言うんです。『あなたの問題は悪霊が付いているからだ』って。でも治りませんでした。自分は心理学とか医学的な事を勉強しまして、一般常識とかも勉強したのですが、統一教会で教えられてきたことよりも、こちらの方がすごく具体的というか、説得力があるなと思って。“サタン”とかふわっとした言葉じゃなくて、そっちの方で理論づけて考えることができるんじゃないかと思って、実際に意識することで病状も治りました。」

 「除霊で病は治らない」今までの教えとは正反対のことを身をもって知った小川さんは、6年前に脱会を決意します。しかし、教団での経験がフラッシュバックするなど、不安と恐怖に襲われる日々が続くといいます。

両親への憎悪と愛情、葛藤から人生をやり直す決意へ

小川さんが両親に宛てた“遺書”

 脱会後、小川さんが両親に宛てて書いたという“遺書”には、「私の苦しみを知ろうともせず、平気で笑って過ごしているお前たちが憎くてしかたなかった。私が死んだのはお前らのせいだ。でも、大好きだったことも嘘じゃない。悔しい、悔しい、悔しい、生きていたかった。愛し愛されたかった」と綴っています。

(小川さん)
「実際に発作があまりにもひどくて、引きこもるしかできませんし、そんな引きこもっていた自分を親は厄介者扱い。でも、そこから自立しようとしたって、体調も悪いし精神がおかしかったので、『これって自分の親からも社会からも、誰からも必要とされていないな。自分は何の生産性もないな』って思って、それで生きている意味が本気で分からなくなって…」

 何のために、誰のために生きるのか?小川さんは、「祝福2世」として人生の岐路をさまよっていました。

(小川さん)
「誰も自分のことを必要としていなくて、親でさえも分かってくれないということが一番辛くて。生んでくれたのは親で、私が生まれてきた原因も教会があるから私の命があるわけで、教会を否定することは、自分のアイデンティティを否定することになるんですよね。両親の言っていることは間違っているっていうことを伝えたかったんですけど、私が死んだとしても分からないんですよね。それが悔しくて。だから何とかして生きられないかなって思って…。まともな家庭に生まれたかっただけなんですよね。だから、特別な幸せが欲しいわけでもなく、普通の人生を手に入れるということが、恨みを晴らすことかなと思って、死なずに生きてやると思って…」

 「普通の生活がしたかった」その思いを取り戻すため、小川さんは、人生をやり直す決意をしました。

(小川さん)
「心身ともに未発達な、そういった時代を全て、教会の教えに本当にどっぷりつかって生きてきたので、自分は本当に常識を知らないし、“サタン”だとか教えられてきたことを、一から全て考え直さなきゃいけないっていう作業が必要だったので、すごく難しかったです」

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 様々な苦悩と戦う日々を経て、ついに二人は公の場に顔を出し、被害を訴える決意をします。しかし教団側は、あらゆる手段で反論をぶつけてきました。独占インタビュー第2弾では、教団の“反撃”に対する激しい怒りと、いまだに続く「家族が信者」であることの“苦悩”について、二人が激白します。

(情報ライブミヤネ屋2022年10月27日放送)

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